甘酸っぱくほろ苦い

 アンジェラは、魔法の代わりにもっと素敵なものを見付けたらしい。それが何なのかデュランにはさっぱりだが、昨今のアンジェラは、無暗やたらと積極的になった。デュランだったら背中が痒くなるような台詞を、平然として口に出すのである。聞いているこっちが恥ずかしくなるのでやめてほしいのだが、アンジェラは恥ずかしげも無くきゃいきゃいとはしゃいでいた。
 その日は、デュランの家にアンジェラとシャルロットが遊びに来た。デュランは黄金の街道の川辺にいて、最近ケヴィンから教えて貰った、ざりがに釣りで遊んでいた。
「あ、お魚つってる」
「たいりょうでちかー?」
 背中から二人の声が掛かったので、デュランは釣り糸を上げ、そちらを振り向いた。アンジェラとシャルロットが畔を下り、デュランのそばまでやって来るところだった。
「おさかな、つれてまちか?」
「魚じゃなくて、ザリガニ釣ってんだよ」
「ざりがに?」
 シャルロットが首を傾げた。アンジェラも知らないらしく、きょとんとしている。
「見せてやるから、待ってろ」
 そう言って、デュランは再び糸を川に垂らした。木の棒に糸をくっ付けて、先に小さな魚の切れ端を縛り付けただけの、簡素な仕掛けである。これを、水の流れが止まって淀んだところに垂らすと、ざりがにが釣れる筈なのだった。アンジェラは、足元が湿っていない事を確認し、デュランの隣に座った。
「じゃ、釣れたらキスしてあげる」
「バカヤロ」
 悪戯っぽく秋波を送られたが、デュランは一蹴した。
「まったく、としごろのむすめしゃんが、つつしみをしりまちぇんこと……」
 シャルロットが小難しい事を言いながら、アンジェラの反対側に座った。デュランも同感だった。そんな恥ずかしい事を軽々しく言うものでは無い。
「だって、好きなんだからしょうがないでしょ」
 と、アンジェラがキスを投げる真似をしたが、デュランはそっぽを向いて無視した。
「デュランのいじわる〜」
 肘鉄砲を食らったアンジェラは、口を尖らせて非難した。唯一ましだと思っているのは、アンジェラはデュランを触って来ない事だった。積極的なのは口先だけである。これでも王女なので、最低限の慎みは弁えているようだった。
「……つれまちぇんね……」
 お喋りをしながら暫く待ったが、当たりは来なかった。
「お前達がうるさいから、ザリガニが逃げちまったんだろ」
 デュランは人のせいにした。ケヴィンの話によると、月夜の森では山ほど釣れるそうなのだが、フォルセナにはざりがにがいないのかも知れない。昔此処で捕まえた事があるから、そんな筈はないのだが、デュランはざりがにの存在を疑い始めた。
「えさがだめなんじゃないでちか? おいしいえさにしまちた?」
 と、シャルロットがデュランの腕を引っ張って、糸の先を見ようとした。デュランは餌を一旦水から上げて、すぐに沈めた。
「魚の切り身だよ。ケヴィンはこれがいいって言ってたんだけどな……」
 もう暫く頑張ってみた後、デュランは場所を変えて、別の淀みに糸を垂らした。デュランが動くと、アンジェラとシャルロットも付いて来た。
「ところで、釣ったザリガニはどうするの?」
「そりゃーもちろん、ばんごはんにするんでちょ」
 二人はそんな事を言ったが、デュランは首を振った。
「ザリガニは食いもんじゃねえぞ」
「えっ? 食べないのに、釣ってるの?」
 アンジェラがまじくじした。
「ああ。ただの遊びだよ」
「そんなことして、おもしろいんでちか?」
 シャルロットも不思議そうだった。
「釣れれば面白いさ」
 デュランはそう言って、ひたすら当たりを待った。辛抱強い性格のケヴィンは、じりじりといつまでも待ち続けて、いつかは必ず釣ってみせるのだろうが、せっかちのデュランはそうでは無い。糸の先を睨み付けている内、段々嫌になって来て、終いには棒を放り出した。
「……やっぱり、やめた!」
「もうあきちゃったの?」
 アンジェラは呆れていたが、デュランはさっさと立ち上がり、ズボンに付いた葉っぱを払った。
「終わりだ終わり! 帰るぞ!」
「もうちょっとがんばってみれば?」
 と、アンジェラが賺そうとする。
「いやだね。もうやめた!」
「釣れたらキスしてあげるのに」
「余計なお世話だ」
 すっかりつむじを曲げてしまい、帰り支度を始めたデュランの傍らで、シャルロットが棒を拾い、川に放って釣り始めた。
「みてなしゃい。シャルロットがつりまち」
 と、シャルロットはどっしり構えて待ち始めた。帰るとは言ったものの、デュランもちょっと気になって、立ったままシャルロットの釣りを見物した。
「ねえ、デュラン」
 と、アンジェラが見上げて来た。
「何だよ」
「私の事、好き?」
「キライじゃねえよ」
 デュランは即答した。いつもの問答である。
「あんたしゃんたち、はやく、けっこんしちゃえば?」
 と、シャルロットが言うのもお定まりだった。こまっしゃくれた言動を取る割に、シャルロットは恋愛を理解していないらしく、平気でそんな事を口に出すのだった。
「結婚かぁ……いいなあ」
 アンジェラはほっぺを赤くして、結婚の言葉にうっとりした。勿論デュランは嫌である。まだ十八なのに、そんな面倒な事に関わりたく無いし、第一アンジェラと結婚したら、王配となってアルテナに住まなければならない。少なくともウェンディが成人するまでは、デュランはフォルセナを離れるつもりは無かった。
「ほら、デュランしゃん。ぷろぽーずをするんでちよ」
「バカヤロ」
 シャルロットがけしかけたが、デュランはまたしても一蹴した。
「いいのよ、シャルロット」
 アンジェラはにこにこしながら首を振った。
「私、デュランに待ってろって言われたんですもの。だから、ずっと待ってるつもりなの」
 と、夢見るように、瞳を潤ませながら言うのだった。
「けなげでちねえ」
 シャルロットは良く分かっていないくせに、分かっているような顔で頷いた。確かに、デュランはいつだったかのアルテナで、アンジェラに待っていろと言った事がある。待っていてくれれば、いつかアルテナの騎士となって、彼女に力を貸してやれると、アンジェラはその言葉を大切にして、まるで告白でもされたかのように、折に触れてはうっとりしながら思い出しているのだった。
「……うひゃ!」
 唐突に、シャルロットが身を竦ませた。
「ひええ、なんか、ひっぱってまち!」
「来たな! よし、貸せ!」
 慌てふためくシャルロットから、デュランは枝を取り上げて、一思いに引っ張った。すると、あっさりと糸は上がり、片手に切り身を挟んだざりがにが、ぶらぶらしながら揺れていた。
「よっしゃ! 釣れた!」
 びびる二人を下がらせ、デュランはざりがにの背中をつまんで捕まえた。ざりがにはじたばたしながら、両手のはさみを大きく広げて威嚇した。
「これがザリガニだ」
 と、デュランは得意げに見せ付けた。
「やだ、きもちわるーい!」
 アンジェラはすぐに背中を向けてしまったが、シャルロットは興味津々で、恐る恐る顔を近付けて、蠢く沢山の小さな足を観察した。
「えびしゃんにそっくりでち」
「エビの仲間らしいぜ」
 デュランはそう言いながら、ざりがにを人差し指でつついて挑発した。したら、はさみで指を挟まれた。
「いってえ!」
 思わず放り投げてしまうと、ざりがには放物線を描いて宙を飛び、元いた川の中にとぷんと着水した。暫くは水の中にいるのが見えたが、後退りして泥の中に潜ると、すっかり姿を消してしまった。
「あーあ、にげちゃいまちた……」
「まあいいさ。どうせ食うわけでもねえんだ」
 シャルロットは残念そうにしたが、デュランは釣れただけで満足だった。手を軽く払って、付いた泥をはたき落とす。
「釣れた事だし、帰ろうぜ」
「待って。約束、忘れてない?」
 立ち上がって帰ろうとした二人を、アンジェラが引き止めた。デュランには何の事だか分からなくて、隣のシャルロットを見やったが、彼女も首を傾げていた。二人で暫くぽかんとしていると、アンジェラが非難するように言った。
「釣れたらキスしてあげるって言ったでしょ。ほら、おでこ出して」
 アンジェラが立ち上がり、兜を取ろうとして来たもので、デュランは泡を食って逃げ出し、畔の上まで退避した。アンジェラがむくれていると、シャルロットが自信満々ににまにましていた。
「まちなしゃい。ざりがにしゃんをつったのは、シャルロットでちよ」
 アンジェラは怪訝な顔をして、得意気に胸を張るシャルロットを見下ろした。
「……あんた、私にキスしてほしいの?」
「……んーと、してほしいような、そうでもないような……?」
 シャルロットは首を捻っていた。アンジェラは溜息をつき、膝に手を置いて体を屈めた。
「ま、約束は約束だからね……はい、目つぶって」
 言われるまま、素直に目を瞑ったシャルロットに、アンジェラは顔を近付けた。デュランは、目を逸らすと言うような遠慮を知らない男だから、何も考えずに二人を見ていた。口にしたのかと思ったが、良く見たら鼻に口付けていた。
「はい、おしまい!」
 と、アンジェラはすぐに離れて背を向けた。少し照れているらしく、目元が赤い。
「おお、れもんのあじがしまちた……」
 シャルロットは何故か感慨深そうにして、両手に頬を当てて頷いていた。
「もういいか? 帰ろうぜ」
 やはり遠慮を知らないデュランは、下でにやにやしている二人に声を掛けた。
「はーい」
「はいでち」
 浮足立って、ぽやんとしていたアンジェラとシャルロットも、返事をして畔に登った。今日のおやつは美味しいレモンパイである。

2017.1.22