五

 深い悲しみと決意を持って八つのマナストーンが集うとき、聖域へのとびらは開かれる。ファ・ザード大陸にはそんな言い伝えがあった。
 聖域の扉を開くまでの強靭な意志と言うのは、恐ろしく思い込みの強いもので、とうの昔に闇の力など失われていた彼らをも、未だに闇へと引き摺り込むような気分にさせてしまっていたのだった。其処で六人の仲間達は、最強の装備を倉庫の奥へ仕舞い、簡素な銅や革製の武器を携え、以前就いていた普通のクラスへ戻る事にした。それを以て、流石に能力までひよっこに戻る事は無かったものの、兼ねてから心の片隅に存在していた負の感情はすっかり抜け落ちたのだった。
 一悶着あったのはデュランで、薬の効果に気付いた途端、倒れて一週間ほど寝込んでしまった。正気に戻ったアンジェラは、目が溶けてしまいそうなくらい泣いて後悔していたが、彼女や家族の看病の甲斐あって程無く平癒した。そして怪我の功名と言うべきか、暫く自宅で安静にし、改めて心配してくれる人達の存在に気が付いた事で、彼の戦闘狂癖もあっさり落ち付いたのだった。ケヴィンはその後暫く、肉の類を受け付けなくなってしまい、菜食主義として過ごした。生き胆を啜る記憶が相当堪えたらしい。ついでに、今までも好き好んではいなかったが、獣の姿へ変身する頻度がますます減ったのだった。ホークアイはジェシカに異変を感付かれており、彼女を再三はらはらさせる羽目になってしまったし、シャルロットは仲間が落ち着きを取り戻しても安心出来ず、暫くは胡乱気に皆の経過を観察していた。そうして全ての者が多少なりと不幸を被っていたが、リースだけは良い事があった。色々と必死だったのもあるが、大きな弟のように思っている少年へ膝枕なんかしたお陰で、実の弟にも少しべたべたしてみる勇気が出た。しっかり者の姉は甘える事を覚え、頼り無かった弟は甘やかす事を覚え、姉弟の仲は今まで以上に好転した。
 そして春も爛漫たる季節となり、剣術大会を間近に控えた頃、デュランの激励も兼ね、六人と一匹はジャドでお茶をするために集まった。カールは毛皮が生え変わり、端正な狼らしい風貌になっていたが、相変わらず人々の気にも留められなかった。
「オレ、武者修行の旅に出るわ」
 乾杯するなりデュランはそう言った。開口一番、皆飲み物を噴き出しそうになった。隣の席のアンジェラが、むせ込みながら悲痛な声を上げた。
「全然治ってないじゃないのよ!」
「あんたしゃんも、こりまちぇんねえ」
 シャルロットも呆れて肩を竦めた。さも思い掛けないと言った風に、デュランは仲間の顔を見回した。応援されると思いきや、全員の顰蹙を買ってしまい、眉間に皺を寄せる。
「だってよお、クスリごときであんなに寝込んじまったんだぜ。つまりはまだまだ修行が足りないって事だろ」
「それとこれとは関係ないと思いますけど……」
 リースがアンジェラの背を擦りながら言った。流石に悪いと思い、デュランは彼女の咳が治まるまで大人しくしていた。しかし言う事は相変わらずである。
「クラスも元に戻っちまった事だし、いっちょ自分を鍛え直してくるよ。すぐ帰るから心配するなって」
「デュラン、十分強い。デュランより強いヤツ、どこにもいないよ」
 と、ケヴィン。デュランは一転して、真面目な顔付きで考え込み始めた。
「それが問題なんだよな。だから、またドラゴンズホールにでも行こうかと思ってんだ」
 ついでにオヤジに花でも手向けて来るつもりだと、既に決まったつもりの傭兵に、残りの五人は頭を抱えた。そう言えばこの男は元々こんな気質だったのである。アンジェラは途方に暮れてしまい、隣へ助けを求めた。
「ねえリース、どうしたらいいの?」
 リースはどうすれば丸く収められるのか、慎重に考えていた。
「……思いきって、行かせてあげてもいいんじゃないかしら。もし大会で負けてしまったら、デュランさんはきっとまた旅に出ちゃいますよ。今度は戻ってこないかも……」
「ああ。ロキの子が負けたとなったら、陛下に面目が立たん」
 リースの意見に、デュランが強く頷いた。シャルロットが嘆息する。
「あんたしゃんのぱぱ、くさばのかげでないてまち」
「デュラン。修行、つまんないし、つらいよ。遊んでる方がいいよ」
 言いながら、かつての過酷な修行を思い出したのか、ケヴィンが怖気を振るった。獣人王の扱きは途轍も無く厳しいのだった。
「だいじょうぶ。オレは楽しみでやってるんだ」
 辛いのはむしろ望む所だと、デュランは却って嬉しそうにした。四方八方から異論の声が上がったものの、もはや取り付く島も無い。余計な事を言って勢い付けてしまい、隣から恨めしげな目を向けられたリースが、変心して引き止めに掛かった。
「やっぱり、やめときませんか? アンジェラだって、こんなに心配してるんですもの。きっとご家族も心配されてますよ。……ね、やめましょ?」
「オレが弱っちいから心配かけるんだろ。もっと修練して、お前もおばさんもウェンディも守ってやれるぐらい、強くなるからさ」
「守ってくれなくていいから、大人しくしてて」
 デュランが拳を固めたのを、アンジェラは見もしないで、力無く机に突っ伏した。何が不味いのかさっぱり分かっていない少年は、もう二度と無謀な戦いはしないからと、見当違いな慰め方をした。シャルロットはアンジェラを気の毒そうに見やり、能天気な傭兵を睥睨した。
「いってもきかないんじゃ、どうしようもありまちぇんね。ケヴィンしゃん、いっちょがつんとやっちゃってちょーだい!」
「オイラ、デュラン殴りたくないよ」
 ケヴィンは即座に拒否した。
「この際、当日まで寝かせておくべきかもな」
 と、ホークアイが懐から暗器を取り出したが、すかさずケヴィンが脇から奪い取った。
「ケンカ、絶対ダメ! デュランも、ダメだよ!」
 ホークアイを押し止めつつ、彼は傭兵への牽制も忘れなかった。剣を抜こうと及び掛けたデュランも、ひとまず矛を収め、恨めしげに相手を見やる。机を挟んでは怖い事も無く、元忍者は悪びれもせぬ笑みを浮かべていた。
「ホークアイ、お前こそ全然直ってねえじゃん! 何だよそのぶっそうな武器は!」
「だってオレ、弱っちくんのシーフだし。護身用だよ、護身用」
 彼の傍らに座るリースが、椅子の背に掛けられたマントを持ち上げ、軽く振った。金属が喧しく音を立てた。ホークアイは一瞬ぎくりと身を竦めたが、さあらぬ体でマントを引き寄せた。
「こら、リース。人の荷物を勝手にいじっちゃダメじゃないか」
「ごめんなさいね。護身にしても、こんなにたくさんは必要ないと思いますけど?」
 彼女は少々呆れた風だった。引き寄せる内、またもや中身ががちゃがちゃ鳴ったので、ホークアイは慌ててガーブを押さえ付けた。
「……実はこれ、趣味のコレクションなんだよ」
「あなたが集めてるのは、アンティークのダガーでしたよね? そんな武器じゃなかったはずよ」
「……いや、ほら、投げるのに使うじゃないか。飛燕投とかさ」
「投げる所、見た事ないよ」
 忍者が使うのは残影斬である。ケヴィンにも突っ込まれ、ホークアイはお座なりに笑って誤魔化した。その間、そそくさとマントを机の下に押しやるのは忘れなかった。最前デュランが説得されていた時、終始無言を通していたのは、自分にも後ろめたい節があったためらしい。もはやアンジェラは怒るつもりも失せ、頬杖を突いた。先日の事件を経た手前、彼らに強く言い出せないのだった。
「男の子って、どうしてみんなこうなのかしら……。まともなのはケヴィンだけじゃない」
 そうして隣から酒を引ったくり、一息に飲み干してしまった。唇に付いた蜂蜜葡萄酒を、さも美味しそうに舐め取る。
「あっ、こんにゃろ!」
 デュランが気付いて奪い返そうとするも、とうに中身は空だった。
「お昼間からお酒なんて飲まないでよ。没収!」
「こんなもん、酒のうちにも入んねえや!」
 デュランはむきになってもう一杯頼もうとしたが、アンジェラによって阻止されてしまった。威嚇するデュランとあっかんべーをするアンジェラとで、長い事睨み合うが、恒例だから誰も止めなかった。
 折しもその時、頼んでいた昼食が運ばれて来た。鳥と春野菜の蒸し焼きと、プイプイ草のピクルスも出された。プイプイ草の根は、二十日大根と似たような、やや甘みのある味をしているのだが、酢漬けにすると途方も無く酸っぱく、皆目を瞑りながらかじった。カールは鳥の頭と、少しだけ笹身の部分も貰い、机の下で食べていた。食事を取りながら、今度はナバールの近況を聞く。ホークアイは話したくてうずうずしており、早々に話の口を切った。
「オレ、ついに弟ができたんだ。やっぱり、小さい子ってかわいいもんだよな」
「……それを、シャルロットをみながらいうのは、なんででしょーね?」
 シャルロットがぼやいた。その子の名前は、亡き両親により立派なものが付けられていたので、ナバールの洗礼は受けなかったらしい。鳥の名前が多過ぎて紛らわしいのだと、要塞の人々には歓迎されていた。今では新しい暮らしにすっかり馴染み、義理の兄と姉達から可愛がられているそうだった。兄弟のいるデュランとリースは、彼の気持ちが分かるらしく、微笑ましそうに聞いていた。
「その子も、剣術大会に連れて行ってあげるのはどうですか? 男の子って剣が好きだから、きっと喜ぶわ」
 リースの提案に、ホークアイは複雑な表情で応じた。
「でもさ、剣士にあこがれちゃったら困るじゃないか。オレはナイフ教えてやりたいんだ」
「あなたがいるんだから、心配いらないと思うけど」
 そう言ってリースが笑い掛け、アンジェラも一緒になってにっこりした。
「ホークアイも、かっこいい所見せてあげればいいじゃない」
 女の子達に褒めて貰い、ホークアイも気を良くし、景気良く飲み物を呷った。
「そうだね。がんばって働いて、いいとこ見せてやろっと!」
 かく言う彼も、ナイフの二刀流を志した切っ掛けは、フレイムカーンのナイフ捌きに憧れたからだった。やはり身近に手練がいると言うのは大きいものである。ホークアイに負けじと、デュランもいよいよ奮起した。
「オレも負けちゃいらんねえな」
「デュランも家族を大事にしてあげなよ。この間の事で、ずいぶん心配かけたんだろ?」
 と、ホークアイが何気無く水を向けた。
「……そうか。旅に出ちまったら、また心配かける事になっちまうんだよな」
 デュランが頷き、深刻な面持ちで頬杖を突く。決意が揺らいだのを好機とばかり、仲間達が畳み掛けるように説得を始めた。
「そうですよ。おうちにいて、ご家族といっしょに過ごしてあげてください」
「デュランしゃんのおうち、さんにんしかいないんでちょ。あんたしゃんがいなかったら、だれがどろぼーとたたかうんでちか?」
 シャルロットとリースにも促され、デュランは長らく逡巡していた。やがて、仲間達全員が期待の眼差しで見詰めて来ている事に心付くと、思い切るように机に手を突いた。
「分かった。武者修行はやめだ」
 その言葉に、一同ほっとして肩の力を抜いた。心置きなく食事を楽しむ気になり、皆ほくほくした顔で蒸し鶏をつつき出す。淡白な胸肉に、肉汁で作られたソースがかかっており、野菜と一緒に絡めて食べると美味しいのだった。食べる途中で、ケヴィンが牛乳を皿に注ぎ、机の下のカールに分けてやる。済むと、顔を上げ、デュランに声を掛けた。
「デュラン。修行、オイラといっしょに、フォルセナでやろう!」
「お、いいなそれ!」
 と、デュランも喜んで話に乗り、お陰で彼の大会までの楽しみも出来たようだった。そうして楽しんで食事を取る中、唯一フォークが進まないのはアンジェラだった。これまでの経緯から、彼女がデュランの言う事を鵜呑みに出来よう筈も無く、半眼で彼を見やった。
「何かあやしいのよねえ……。途中で、やっぱりやめた、とか言わないでしょうね?」
「だいじょうぶだって。お前も心配性だなあ」
「ほんとに、ほんとなんでしょうね?」
 と、アンジェラは更に言い詰めた。デュランはちょっと困惑しながらも、彼女を安心させるべく、まともに応じた。
「ウソはつかねえよ。うそつきは騎士になれないんだぞ」
 この間は、無茶はしないと言っただけで、戦い自体を禁じたわけでは無かったのだと、彼は屁理屈を捏ねた。尚も胡散気なアンジェラは、今度あんな事をやったら英雄王に言い付けると、効果覿面な脅しを掛け、其処で漸く一連の事件にも片が付いたのだった。それからは、皆お互いの近況を教え合ったり、大会の日にどうやって過ごすかと言ったような話をした。剣術大会はフォルセナで最も盛大な催しなので、普段は見られないような旅芸人とか、行商人なども訪れるのだった。丁度日の暮れなずむ時節で、楽しいお喋りはいつまでも続いた。