袋小路迷宮出口

 小此木烈人はヒーローである。その名はアルカイザー、正義と復讐に燃えるヒーローなのだ。サントアリオの掟に従い、如何なる者にも正体を悟られぬよう、日夜孤独な戦いを続けている。
 ブルーはレッドを疑っている。タイミング良く登場するアルカイザーとタイミング良く消えるレッドがいたら、疑わない方がおかしいのだが、受け入れるのが仲間の習いというものである。しかしブルーは魔術の世界からやって来た男、お約束など知ったことか。狸のように執念深く追ってくる。
 どうすりゃいいのか尋ねれど、アルカールは答えてくれない。正体を探られるなど良くあることだろうに、忙しいからと取り合ってくれなかった。つまりは一人で何とかしろと言うことだ。これはアルカールからの試練だったのだ。頑張れアルカイザー、負けるなアルカイザー。ブラッククロスを討つその日まで。
 嫌な奴ほど出くわすものである。場はトワイライトゾーン。戦うアルカイザー。対する戦闘員。うなるブライトナックル。ばたばた倒れる戦闘員。閃くシャイニングキック。ついでのアルブラスター。あと一人というところで、ゲートが開き、ブルーが入ってきた。つかつか歩いて、残った戦闘員に詰め寄る。
「アルカイザーとか名乗る、あの妙な格好の男は何だ?」
「キー」
 戦闘員は喋れない。甲高くキーと言うのが決まりなのである。しかしそんなことをブルーが知る由も無い。
「あの男は誰だと聞いている」
「キー」
 相変わらずキーと答える戦闘員に、ブルーは暫く拱いた。沈黙の後、彼は戦闘員を敵だと看做したらしい。
「……そうか。ならば……」
 死ね、と言いかけたところで、アルカイザーが割って入った。まさかこの空間に人が来られるとは思わず、暫し面食らっていた。
「待つんだ青年! ブラッククロスを倒すのは私の役目だ。君は下がっていてくれたまえ」
「貴様の正体を言え。さもないと、こいつの命はない」
 ブルーは全く取り合わず、戦闘員の喉首に手刀を当てた。おののく戦闘員。怯むアルカイザー。しかし良く考えてみれば、元々倒す予定だったわけで、どの道やられる定めの戦闘員なのだった。敵に背を向けるのは恥ずべき行為だが、この場合は已むを得ない。アルカイザーは転身し、トワイライトゾーンを抜けて走った。
 ヒーローは故郷にいる。元の姿に戻ったものの、特段することが無く、当て所も無くシュライクを放浪していた。そうしたら、公園で遊ぶ知り合いを見付けた。クーンとルージュだった。何故か砂場で城を作っていたのだった。
 レッドとルージュは仲が良い。割と年が近いこともあるが、名前からしても互いに親近感が湧いている。クーンは性格柄、誰とでも友達になれるので、もちろんこの二人とも仲が良い。
「二人とは一緒に冒険したことないよね。たまには一緒に行こうよ!」
「ああ、ブラッククロスのことが終わってからな」
「僕も自分の使命で精一杯なんだ。すまない」
 と、ルージュも口を揃えた。クーンは残念そうにしたが、自分にも使命があることだからと、あっさり諦めた。そこで遊びは終わったらしく、二人は立ち上がって手をはたいた。
「すごいの作ったな。クーンに付き合ってたのか?」
 レッドが砂の城を指して言った。遊びと言うには随分と本格的で、オルロワージュの城の形に出来上がっている。しかしルージュは首を振った。
「いや、僕が付き合って貰ったんだ」
「キングダムではずっと勉強してたんだって。だから、遊び方を教えてあげてるんだよ」
 ラモックスの遊びと言えば化かし合いと探検だが、探検はいつもやっていることだし、人間に変化の術は真似出来そうも無いから、取り敢えず公園の遊具で一通り遊んでみるにしたらしい。ルージュ曰く、今までの人生で町へ出掛けたことも無く、二十余年を寮みたいなところで過ごしていたと。術と教養以外は学ぶ機会が無かったのだ。レッドはちょっと気の毒になったので、何か奢ってやることにした。彼は馬鹿では無い。博士の息子だっただけはある。それでもやっぱり勉強尽くしは嫌だった。
 三人はシュライクの町中に出て、アイスを買って公園に戻り、ベンチに並んで食べた。シュライクのバニラアイスは美味いのである。後でゲーセンにでも連れて行ってやるつもりだが、まずは腹拵えだった。
「レッドは何してたの?」
 クーンが聞く。目線はアイスに夢中で、何とも幸せそうな笑顔である。対するレッドは、さっきの出来事を思い出し、少々渋い顔をした。
「ブルーから逃げて来たんだ」
「……ブルーがどうかしたのか?」
 ルージュは些か剣呑な顔になった。レッドは穏当に済ませるべく、軽い口調で答えた。
「何だか、あいつに疑われてるみたいでさ。何を疑ってるのかは知らないんだけど」
「そうか。……やはり、倒さねばならないようだな」
 今の話で何故そんな考えに至ったのかはさっぱりだが、マジックキングダムに冗談は無い。倒すと言えば完膚無きまでに叩き殺す。完全に目が座っているのを見、怖くなったレッドが諌めた。
「物騒なこと言うなよ」
「僕は争いは好きではない。しかし、あんな人間が僕を殺して生きながらえるくらいなら、返り討ちにしてやる方が世の中のためだ。そうすれば僕は完全な術士となり、キングダムへの忠義を果たすことが出来る。そもそも僕と間違えられることが気に食わないな。この間ルミナスで見たが、全く似ていなかったぞ。大体ブルーのせいで資質集めも捗らないし、欲しかった秘術は取られてしまったし……」
「そこまで悪い奴でもなさそうだけどな」
 ぶつくさ零すルージュを宥める。レッドは確かに苦手に思っているが、其処までブルーが嫌いなわけでも無く、そもそも付き合いが薄いから知りようが無いのだった。クーンも彼のことは好きだと言うし、他の仲間達もしばしば冒険を共にしているようなので、案外良い奴かも知れないと思っている。しかしルージュは首を振った。
「そうかな。君達にはそうかも知れない。……だが、僕には倒すべき敵だ」
「ルージュ、ブルーのこと良く知ってるよね」
 と、クーンが聞くと、ルージュはまたも首を振った。
「まさか。話したことも無いよ」
 もう一人の話さえしなければ、彼は親切で穏やかな人間である。レッドもあいつのことは忘れたかったので、それからは全く関係無い話をして楽しんだ。
 したら、ブルーが来た。
 ルージュが立ち上がった。二人が跳ぶ。ブルーは回転遊具の上、ルージュは雲梯の上に乗る。背景はいつの間にか夜になっていた。如何にも悪そうな笑みを浮かべたブルーが、双竜を従え月を背に、片割れを指差した。
「今宵貴様を殺し、私こそが完全な術士となるのだ。いざ覚悟、ルージュ!」
「貴様を倒し、その俗悪なる野望を阻止して見せる。受けて立つ、ブルー!」
 対するルージュは蝶を纏う。高笑いのブルーと燃えるルージュ。竜虎相対す。
 未だにクーンは食べていた。大事に少しずつ掬っていたのが、険悪な雰囲気に気付いた途端、忽ち一気に掻き込み、おろおろとレッドを見上げた。
「どうしよう、レッド!?」
「どうするって、止めるしかないよな……。おーい、二人共!」
 レッドが手を振って合図すると、術士が揃って動きを止めた。さっきの格好のまま、首だけレッドに向ける。こうして見るとそっくりだった。
「戦ってまで完全な術士にならなくても良いだろう。兄弟なんだし、仲良くやれよ」
「確かにそう思うよ」頷くルージュ。
「そうかも知れない」何とブルーも同意した。
「しかし、キングダムからの命令だ。逆らうことは許されない」
 と、双子が声を揃えて言った。それからは口を挟む隙さえ無かった。
 宿命の対決。先攻はブルーのため、空術空間から始まる。仲裁しようにも、変身する機会を逃してしまい、レッドはベンチに座ったまま、あたふたするクーンと一緒に見物することになった。術が弾け、蝶が舞い竜がめぐり、お祭りのようだった。
 どっちが勝ったのかは忘れた。レッドが覚えているのは夜明けまでで、両者憔悴しながらもとても楽しそうに戦っているのを見た。術酒を呷り呷りやっているせいか、すっかり酔いが回っていたようにも見えた。暫くは付き合ってやったものの、自分にも使命があることを思い出したレッドは、船を漕ぎ始めたクーンをおんぶして帰った。どうせ決着は付かないような予感がしたのだった。
 後日ルージュに会ったら、不満そうにしていた。案の定術力が切れて引き分けにしたと言う。決着はまた今度で良いさ、と励ましたレッドだった。
 対決の帰り道、レッドはクーンを届けに行った。宿屋ではメイレンが心配していた。ルージュがいるから心配は無いだろうけど、夜中まで遊び歩くような子達では無いし、外は何だか騒がしくて危ないしで、そこら中探し回っていたのだった。レッドは彼女に、兄弟喧嘩に付き合っていたと説明した。何度もお礼を言われた。
 レッドは少し休憩しようと、自分も宿を取ることにした。シュライクにあるのは宿というよりホテルで、一階に洒落たカフェがある。そこで、グラディウスの三人娘が駄弁っていた。レッドが通り掛かると、それぞれ笑って手を振ってくれる。
「よお、レッド」
 相変わらず凄い格好のアニー。かっちりしたライザと対照的である。
「レッド君、お茶はいかが?」
「ああ。……でも俺、金持ってないんだ」
 ライザに誘われるも、レッドはポケットを引っくり返した。出来るならば三人に奢ってやりたいところなのだが、最近仕事を辞めたせいで、彼は金欠だった。窮状を酌んでか、エミリアが優しく申し出てくれた。
「心配しなくて良いわよ。軍資金、たくさん貰ってあるの」
「ドケチのルーファスが良くそんなにくれたよね」
 アニーもにこにこと頬杖を突く。おっさんの奢りならまあ良いかと、レッドは相伴に預かることにした。そばへ行って良く見ると、娘達が飲んでいるのは酒だった。流石に早朝から飲んだくれるのは憚られたのか、ほんのり上機嫌な微醺に止まっている。仕事の愚痴に上司の不満に兄弟自慢に、くすくす笑って楽しげに話す。相槌を打ちながら、レッドは端でコーヒーを飲んだ。アニーがからかい混じりに酒を勧めて来たが、断固拒否した。ヨークランドの件ですっかり酒は嫌になっていた。
「……うちの弟、悪の組織に入りたいんだってさ。どうせならヒーローに憧れれば良いのに」
 と、アニーが溜息。レッドも苦笑いで応じる。
「ヒーローも苦労するんだぜ」
「アルカイザーも大変そうだものねえ」
 ライザはヒーローが好きだ。己の拳のみで戦っていくその姿が気に入っている。それと、颯爽と現れて言葉も無く去っていくのが誰かに似ていて、良いらしい。
「悪役なんてどこが良いんだろうな」
「そうだと思うんだけどね。だけどあの子、捻くれちゃってるからさ……」
 と、アニーはまた一つ溜息をついた。エミリアもライザも身寄りが無いので、微笑ましげに聞いていた。アルカイザーの噂はすっかり広まっているようで、レッドは少々こそばゆいような気分になった。ただし、アニーの弟がブラッククロスに入られでもしたら冗談では無い。本気で止めた。
 ドアベルがからからと鳴り、パトロールの面々が入って来た。人間に妖魔にメカに魔物に、異色の組み合わせが良く目立つ。
「あら、タリス。ご一緒にどう? 奢るわよ」
 ライザが声を掛けた。すっかりくたびれていたドールは、誘われるままふらふらとテーブルに寄って来る。
「頂くわ。夜勤明けで疲れちゃって……」
 皆さんもいかが、と誘えば、IRPO全員が挙って席に着いた。隊員五人と娘三人、ついでのレッドで大所帯になり、狭いテーブルがひしめき合った。IRPOとグラディウスは付き合いが長く、しばしば敵対したり協力したりするので、お互いに気質を良く知っているのだった。アニーは自称可愛いもの嫌いなのだが、コットンに懐かれれば邪険にはしない。小皿に酒を分けてやって、一緒に飲んでいる。唯一飲み食いが出来無いラビットは、心なしか羨ましそうに、周囲を浮いていた。
 エミリアとヒューズだけは仲が悪い。今では冤罪も晴れているが、意地っ張りのヒューズは断じて謝ろうとしないし、それならそれでとエミリアも赦すつもりが無い。さりとて二人も良い大人、いつもは当たり障り無く通している。それが、酒のせいで小競り合いになった。
「どう考えてもお前さんが犯人だったろうが! ジョーカーなんか知るかってんだ」
「気に入らないなら、ジョーカーが犯人じゃないって証拠を探せば良いでしょ」
 珍しくエミリアがご機嫌斜めだった。ヒューズの不機嫌はいつもの事である。
「あんたが犯人だっつう証拠が上がってんだよ!」
「そんなの見つかるに決まってるじゃない! 私を犯人にしようとして、ジョーカーがでっち上げたんですもの。チャラチャラして頭が軽いのはどっちよ」
「どっからどう見ても硬派だろうが! 笑うなレッド!!」
 失笑した外野にヒューズが怒った。レッドを味方に付け、エミリアは余裕の笑顔。
「ゲンさんとかレッドとか、そういう人のことを言うんでしょ、硬派って」
 その後も口論が続いたが、レッドはサイレンスの変装芸に夢中で聞いていなかった。術の使い方が少しルージュに似ており、無数の蝶が散らばったと思えばまた集い、気がつけば隣に別人がいる。終始黙然と紅茶を飲んでいたが、いちいち付き合ってくれる辺りサイレンスも気の良い男だ。酔ったコットンがきゅうきゅうくだを巻くのを、ふんふんと黙って聞いてやる一面もあった。そうこうしている内、喧嘩は最終局面に入っていた。
「可愛くねえ女!」
「やな男!」
 両者睨み合う。言葉の喧嘩が拳の喧嘩になりかけたその時、隊員がはたと立ち上がった。わらわらとヒューズを取り押さえる。呆気に取られたレッドに向かって、ラビットが挨拶し、ドールがウィンクし、コットンが脛をこすり、サイレンスが一礼し、豆鉄砲食らったようなヒューズを担いで、去って行った。全ては一瞬の出来事だった。一方のエミリアも、仲間達に捕まっていた。威嚇する格好のまま席についている。苛立ち紛れに酒を追加で頼み、ぐいぐいと飲み干していた。
 それから後、あるヒーローがヒーローで無くなる頃の話だが、結局エミリア達は和解したらしい。酒を飲み交わしつつ、懐かしい男のことをしみじみ語り合ったとか。殴り合った後に芽生える友情のようなものだった。
 考えてみれば一睡もしていないので、レッドはいい加減に眠くなって来た。取り敢えずさっぱりするつもりで、まずは一風呂浴びることにした。エミリア達と別れた後、ホテルのチェックインを済ませ、階段を上って行く。客室のある廊下を歩いていたら、アセルスと白薔薇が向こうからやって来た。ほっこりしっとりしているので、どうやら湯上りのようである。熱気に中てられてか、花が少々しおれていた。彼女らはレッドを見るなり、揃って顔を綻ばせた。
「おはよう。姉ちゃん達も風呂か」
「おはよう、レッド君」
「ご機嫌麗しゅう、レッド君。アセルス様に髪を洗って頂きましたの」
 相変わらず仲が良いようだった。人間と違い、妖魔はいつも清潔らしいのだが、彼女たちは風呂に入るのが好きなのである。いつもは血色の悪い二人だが、今回ばかりは頬に赤みが差し、元気そうだった。
「気をつけないと花が傷んじゃうからね。いつも手伝ってあげてるんだ」
 白薔薇は頭から直接生えている。根元がどんな風なのかレッドは気になったのだが、男性に見られるのは恥ずかしいと、やんわり断られた。アセルスは勿論知っているが、本人がそう言うのだからと教えてはくれない。アセルス様だけが知る白薔薇の秘密。耽美である。
「ってことは、二人も朝帰りか」
「ええ」
 白薔薇がゆったりと頷いた。
「少しお休みして、湯浴みを済ませたところです」
「あの城、時の流れがないからさ。時間も考えずに刺客が来るんだ」
 口を尖らせたアセルスに、白薔薇が不安げに身を寄せた。
「……アセルス様、やはり戻られた方がよろしいのでは?」
「白薔薇は帰りたいの?」
 と、アセルスが不安気に尋ねる。勿論白薔薇の答えは否だった。
「いいえ。貴方のおそばであれば、どのような場所でも構いません。ですが、追われるアセルス様を見ていると、おいたわしくてならないのです」
「私は平気。心配しなくて良いよ、君は私が守るもの」
 そう言って、互いに手を取り合う。美しい姉妹愛。弱い者の味方として、レッドとしては是非守ってやりたいのだが、しかし何故かいつも、彼は刺客と入れ違いにアセルスと会う。妖魔と人間の理は相容れないのであった。
 熱っぽく見詰め合っていた二人が、つとレッドに向き直った。アセルスがにっこり笑う。
「……それで、これから散歩に行くつもりなの」
「日向ぼっこをして参ります」
「湯冷めしないようにな。何かあったら、すぐ呼んでくれ」
 レッドがそう言うと、二人ともにっこり笑って応じた。
「ありがとう」
「レッド君も、無理をなさらないで下さいね」
 手を振って、レッドは二人と別れた。彼女らの仲睦まじい様子を見ていたら、何だか自分の妹のことを思い出した。アセルス姉ちゃんは幼い藍子を良く可愛がってくれたものだった。昔とは何もかもが変わってしまったが、唯一幼馴染みの姿だけは変わらぬままで、ほんの少しだけ感傷的な気分になった。
 悪あるところにヒーローある。ブラッククロスが出没したと聞いて、レッドは着の身着のまま飛んで行った。
「そこまでだ、ブラッククロス!」
「ようアルカイザーさん。いつもお疲れさん」
 今回の被害者はリュートだった。しかし、それにしては様子がおかしい。彼と戦闘員はスクラップの往来の端っこで、何やら話をしていた。どう見ても襲われているような雰囲気では無い。予想外の出来事に、アルカイザーは戸惑ってしまった。
「市民が被害に遭っていると聞いたのだが……」
 アルカイザーが尋ねると、リュートは首を振った。
「何にもしてないぜ。俺達、話をしてただけだよ」
「キー」
「そうかい。そりゃ難儀な仕事だよなあ」
 何と戦闘員は人生相談していたのだった。相変わらず言うことはキーばかりでも、不思議とリュートには通じている。戦闘員は肩を落とし、終いには泣き出した。目を擦る分かりやすい格好をしているから、多分泣いていた。
「キー」
「たまには田舎に帰ってやんな。母ちゃんってのは、ほんとに怖えけど、あんたのこと一番心配してくれてんだぜ」
「キー」
「出世なんか気にすんなよ。偉くなんなくたって、元気でやってるってだけで、十分親孝行さ」
 リュートは相手の肩を優しく叩き、励ましていた。如何ともしがたく、ついにアルカイザーは途方に暮れてしまった。
「……その、私はどうすれば良いんだろうか?」
 戸惑うヒーローに、リュートはのんびりした風情で答える。
「ん。わざわざ来てくれたのに悪いね。だけど、今日はブラッククロスも休みなんだとよ」
 そこにブルーが現れた。泣き濡れる全身タイツの変なのと、それを慰めるリュート、うろたえる奇天烈仮面を見、怪訝な顔をした。が、すぐに気を取り直す。
「さて、今日こそは吐いて貰おうか」
「断ると言ったら?」
 アルカイザーはリュートを頼りに、少し強気に出てみた。ブルーに遭遇した中で、彼は唯一毒を吐かれなかった男である。おまけに身の上まで聞き出したのだから大したものである。これなら安心だ。ところが、ブルーは鼻で笑って一蹴した。
「やってみるがいい。私とて、手段を選ぶつもりはない」
 笑うと何とも人相が悪い。不気味に思い、アルカイザーはそれと無くリュートの陰に隠れた。情け無いヒーローの図。戦闘員も一緒になって隠れているせいで、狭い。二人から背中をせっつかれたリュートは、取り敢えずブルーを宥めにかかった。
「ブルーよう、いい加減でやめときなよ」
「下がってくれないか。私はそれの正体が知りたいだけだ」
 と、ブルーは彼をどかそうとする。しかしリュートに退くつもりは毛頭無く、呑気に首を傾げた。
「正体っつったって、アルカイザーさんはアルカイザーさんだろ?」
「まさか。そんな姿の人間がいる筈がないだろう」
 ブルーが一蹴。
「そっか」
 すると、リュートはいともあっさり頷いた。不利な状況に、アルカイザーはリュートの肩を叩いて、何とか丸く収めてもらうよう頼み込んだ。それでやっと、リュートは初心を思い出したらしい。また宥めにかかる。
「でもさ、知らない方が楽しいこともあるんだぜ」
「無知は万死に値する。手段は選ぶな。キングダムの教えだ」
「そう言ったって、あんたにも秘密くらいあるだろ?」
「ない」
 ブルーはきっぱり答えた。相変わらず一刀両断である。
「そう。確かになさそうだね」
 うんうんと話に付き合いながら、リュートはこっそり合図を送り、戦闘員を逃がしてやった。如何せんアルカイザーは逃げそびれた。それからも誤魔化すなりなんなりしてみたが、ブルーはどうしても中身を知りたがった。リュートが押しの強い性格では無いのもあり、段々と劣勢になるヒーロー側。
 不意に、巨大な紙飛行機が飛んで来た。と思えば、耳を刺す凄まじい音と圧と共に急停止する。T260Gが来た。パーツが空中分解する。放られた鉄の塊は磁石のように引き寄せられ、力強く噛み合う。やかましく変形して、最後に頭がせり出した。いつもの可愛らしい姿になった。さっきの迫力はどこへやら、とことこと歩いて来る。
「失礼致しました」
「よう、T260」
 リュートは衝撃波で引っくり返っていた。超人のアルカイザーは全く以て平気である。空術で地面に引っ付いていたブルーも、服が煽られた程度でびくともしない。依然不機嫌そうな顔で、T260Gのそばへ近付いた。T260Gが心持ち頭を下げた。
「こんにちは、ブルー様」
「この男を解析して貰いたい。頼めるかな」
 ブルーが頼むと、T260Gは目をちかちかさせながら、周囲の様子を見回した。
「了解」
 後方からの縋るような目線に気付き、T260Gは目を一回光らせた。友人の多いレッドだが、アルカイザーの正体を知るのはほんの一握りである。彼女はその内に入っていた。そんな関係なので、両者の間には無言の信頼が築かれていた。T260Gだけが知るレッドの秘密。あまり耽美では無い。彼女はアルカイザーの前に立つと、頭から爪先まで順繰りに、緑の光を浴びせた。終わると、頭部だけ回してブルーに向けた。
「どうだった?」
「この人物はアルカイザー様です」
 T260Gの答えに、ますますブルーの表情が険しくなった。
「そんな筈はない」
「いいえ。アルカイザー様以外の何者でもありません」
「しかし……」
「いいえ」
 押し問答が続いた。T260Gにしては、有無を言わせぬ威圧感があった。黙然としたまま、ブルーは暫し彼女を見下ろす。全く表情が変わらないため、胸中が読みにくい男だが、T260Gはそれ以上の鉄面皮であるため、流石の彼も全く見抜けずにいるらしい。ブルーが拱く。アルカイザーは内心びくびくしながら見守った。永らく沈黙。やがて、漸く術士がこう言った。
「……なるほど。つまり、君達はルージュに味方をするわけか」
 ブルーの頭の中では、自分の敵は即ちルージュの味方と言う、妙に短絡的な定説が成り立っている。これも偏にルージュの知り合いが多過ぎるせいだった。俄かに不穏な空気となり、残りの三人が慌てふためき、口々に弁解にかかる。
「私はブルー様の味方です」
「嫌ってなんかないよ。あんまりアルカイザーさんに構うと、ちょっと嫌われるだろうけど」
「……と言うわけで、私にはお構いなく!」
 どさくさに紛れ、ちゃっかりヒーローは逃げようとした。が、すかさず空術で吹き飛ばされた。引っくり返って倒れたところに、ブルーが立ち塞がる。
「この際、正体などどうでも良くなった。敵は倒すのみだ」
 身を起こそうとしたアルカイザーの首に、ひんやりした物が触れた。三本の剣が地から突き出し、枷のように組み合わさっている。僅かでも動けば斬られそうな塩梅だった。背後で動く気配がする。こうなってはやるしか無いと、いよいよヒーローは覚悟を決めた。
「よしなってば!」
 その時リュートが動いた。T260Gと強力し、術士を引き離して羽交い絞めにする。術力こそ強力な男だが、如何せん貧弱なのであっさり捕まった。剣の魔力が弱まった隙に、アルカイザーはすかさず三本とも抜き捨てた。そして後ろに目をやると、二人に押さえられたブルーがもがいているところだった。
「何故止めるんだ? 放してくれ!」
「そりゃ止めるよ!」
「止めます」
 それでも魔術で抵抗としない辺り、ささやかな手心が窺えた。自分は容赦無く吹っ飛ばされたのにと、レッドはあんまり面白く無かったが、そんな事を考えている場合では無い。用も無くなった事で、アルカイザーは転進した。
 レッドは逃げてきた。スクラップから京まで全力で走った。途中で混沌に飲まれそうになったがそれでも走った。逃げた先に、再びさっきの術士がいて、度肝を抜かれたが、良く見たらルージュだった。動揺のあまり見間違えたのだった。その慌てように、ルージュも驚いていた。
「どうしたんだ!?」
「……また逃げてきた……」
 息が切れてまともに喋れない。また例のあいつかと、ルージュが一瞬剣呑な顔をしたが、たちまちいつもの穏やかな風体に戻った。その頃にはレッドも漸く落ち着き、ここはどこかなのかと周囲を見回した。足元は玉砂利で、京の庭園まで来たようである。この庭は宿屋の敷地内にあり、ルージュがとった部屋の丁度真ん前なのだった。
「とりあえず、上がっていきなよ。お茶でも飲んで落ち着くと良い」
「ああ、悪い……」
 レッドは縁側からお邪魔した。京の宿屋は初めてだったが、魔術士は結構実入りの多い仕事のようだ。秋模様の庭園を臨む、広くて瀟洒な部屋だった。
 紅葉の降り積む池を眺めつつ、熱いお茶を貰った。煎餅と饅頭も美味しい。ルージュから話を聞くと、彼は心術の会得に来たのだが、心がどうのこうので駄目だったらしい。仕方無いから、別の資質を手に入れるべく、調べ物をしているのだと。心術と言えばヒューズである。ルージュも彼から聞いて京に来たのだった。棒でしばかれたり眠くなったり、禄でも無い修行だったと嘯いていたが、結局資質を得ていることからして、あれで案外大した男なのかも知れない。レッドはちょっと感心したが、本人のしたり顔がふと浮かび、褒めてやるものかと思い直した。ルージュは分厚い魔導書から、レッドの方へ目を移した。
「昨日はすまなかった」
「ああ、ほっといて悪かったな。クーンが寝ちまったから、帰ったんだよ」
「クーンに謝らないと。彼にお礼もしていないや」
「それより、出発するんならメイレンに声掛けていけよ。お前のことも心配してたぞ」
「……分かった」
 ルージュはばつが悪そうに笑った。どうやら忘れていたらしい。
 レッドは彼に、出来たらアセルス達を守ってやってほしいと頼んだ。ルージュは快諾してくれた。彼女達にはエミリアも付いているから、これでどうにか一安心である。いかなヒーローといえども、友の助け無しにはやっていけないのだ。ルージュの方は、修練所のことが疑問だったのか、心と自意識の話をした。レッドは何とも言えず、前に聞いた石の心の件で答えてみた。彼は迷っていると言う。しかしブルーを倒せば全てが終わるため、今はキングダムの命令通りに動き、考えるのはそれからにするつもりのようだった。レッドは妹を殺されており、ルージュは双子の兄弟を殺そうとしている。勿論相手にも事情はあるのだろうが、宿命の対決の話を聞くと、いつもレッドは胸中複雑であった。ルージュも気がついて、ごめんと言った。少し気まずくなった。
 静かにお茶を啜った。三十枚、紅葉が落ちるのを眺めた。しばらくしたら、ルージュが言った。
「レッド。君はブルーに疑われていると言っただろう?」
 表情は真剣だった。レッドは何か嫌な予感がしたが、一往頷いた。
「ああ」
「知っての通り、僕は彼と戦う機会があった。折角だから、そのことについても聞いてみたんだ」
「うん」
「……しかし、ブルーが追っていたのは君ではなく、アルカイザーだと言うんだ。それどころか、レッドには全く会っていないらしい」
 相槌を打ちつつ、レッドはそれと無く逃げようとした。ところが、後ずさった方向に障害物があり、背中を思い切りぶつけてしまった。振り返って見ても、そこには何も無かったが、どうやら見えない壁が作ってある。別方向に蟹歩きするも、次の瞬間には、元通り座布団に座っている自分に気が付いた。時術で巻き戻されている。ルージュは相変わらず穏やかな表情だが、目が笑っていなかった。
「そこのところ、詳しく聞かせて貰いたいな」
 もはや助けは無かった。友情の力を借りるのは、物語の最後の最後、今はまだその時では無い。自力で苦境を乗り越えてこそ、真のヒーローたりえるのだ。頑張れアルカイザー、負けるなアルカイザー。ブラッククロスを討つその日まで。

2010.?