篝火をひとめぐり

 ワンダーの樹海で遭難した。地図も案内も無しに樹海を歩こうと言うのだから、そもそもが無謀な試みだった。森で生まれ育ったケヴィンも、故郷を離れてしまえば全くの門外漢であり、シャルロットも、ランプ花の森には詳しくても、樹海の秘密までもは知らんようで、二人とも首を傾げながら、ひた歩く仲間の後を追従した。広大な密林の中、フェアリーが感じる微かな邪気を手掛かりに歩くのは、余りに心許無く、徒に時間ばかりが過ぎた。地には木の根が張り出し、狭い梢を割って歩く道中は、見る間に旅人の体力を削ぎ落とす。始めは意気軒昂に、下らない話を交わしつつ探索していた六人も、日が暮れて、疲労と焦燥が募る内、徐々に口数が減って行った。
「……さっきから、おなじところを、ぐるぐるまわってまちぇん?」
 シャルロットが溜息混じりに言った。ホークアイは少し離れた場所にいて、周囲の木々を確認し、無傷の幹にナイフで目印を刻んだ。
「同じ場所ではないが……迷っているのは確かだな。……おっと、だいじょうぶかい?」
 アンジェラが小さな悲鳴を上げ、彼は慌ててそちらに戻った。木の根に躓いたのだった。夜の闇が大気に澱み、まるで足元が覚束無い。アンジェラは、ホークアイから差し出された手を取らず、むくれながら根を飛び越えた。疲労のせいで、体の動きが頭に付いて行かないのだった。
「あーん、もう!」
 悔しそうに呟きつつ、アンジェラは親切な所作で、シャルロットが飛び越えるのを手助けした。フレイルで片手が塞がっているシャルロットは、彼女の手を借りながら、転ばぬよう慎重に木の根を跨いだ。後方のやり取りを聞き、先頭を行くデュランが足を止めた。彼と並ぶように歩いていたリースも立ち止まり、デュランの代わりに前方の警戒を務める。デュランは仲間の様子を見、諦めたように息をついた。
「休憩するか」
 その言葉に、仲間達の緊張の糸が緩んだ。彼らの気が抜けたのを気取り、デュランは一層警戒を強めた。油断と疲弊は魔物の格好の餌食である。同じく神経を尖らせたホークアイが、背後に視線を走らせた。すると、夜陰に乗じて追跡していたポロビンリーダーが、木立の陰に頭を引っ込め、そそくさと逃げ出そうとした。すかさずシャルロットがフレイルを構えた。
「こら、まちんしゃい!」
「やめよう。無益な殺生、よくない」
 追撃しようとした彼女を、後ろにいたケヴィンが止めた。シャルロットは悔しそうに、魔物が去った暗闇を見ていたが、結句深追いはせず、ぷりぷりと怒りながら前を向いた。
「それじゃ、休む場所をさがしましょうか。それまでは、油断しないでいきましょ」
 リースがちょっと振り返り、明るい調子で声を掛けた。仲間達も気を引き締め、張りのある声で返事をした。終着点が定まれば、自然と熱意も戻って来るものである。それぞれが周囲に気を払いながら、六人で落ち着けるような場所を探した。
 大樹の陰は、太陽の光が遮られるため、背の低い草や苔などが育ち易くなる代わり、木が疎らで間隙が空く。その根元の大きな洞には、最近まで獣が住まっていたらしく、周囲の地面が踏み固められて平らになっていた。塒の主は、腐って湿っぽくなった内部を嫌い、何処かへ移ってしまったらしい。此処なら丁度良さそうだった。ケヴィンが慎重に洞の中を窺い、獣が戻って来ないだろう事を確認してから、大樹の下で陣地を広げる事にした。火を焚く余裕もあったので、地面に薄く積もった落ち葉を払い、雑草や苔を抜いてから、枝を集めて着火した。森の生き物は火を嫌う。赫々と燃える篝火は、疲れ切った体を温め、安心感を抱かせた。ともすればぼんやりとしてしまい、火の前で立ち尽くしそうになる所を、最後の一頑張りで、六人が分担して野営の準備に勤しんだ。
「ねんのため、けっかいをはっておきまちょう」
 シャルロットがフレイルを両手で持ち、剣のように構えながら、焚火の周りをぐるぐると回り始めた。時々立ち止まると、フレイルを振って、雪のような柔らかい光を散らす。きらきらした純白の光は、忽ち地面に染み込んで溶けた。シャルロットが結界を張っている間、アンジェラはリースを隣に立たせ、祈りを籠めて、杖で額にそっと触れた。特に何とも変化は無かったが、リースはさっぱりとした笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
「どういたしまして。さ、みんなもいらっしゃい」
 アンジェラが手招きすると、ホークアイは素直にそちらへ行ったが、他の男二人は尻込みしていた。デュランは薪を掻き集め、ケヴィンは倒木を見付け、長椅子代わりにしようと引き摺って来る所だった。
「それ、くすぐったい……」
 ケヴィンが肩を竦めた。
「なんかゾワゾワするんだよな……」
 デュランは木の枝を足元に下ろし、アンジェラから距離を取ろうとした。
「きれいになるんだから、ガマンしなさい」
 アンジェラは手早くホークアイに魔法を掛け、他の二人が逃げ出す前に、さっさと体を杖でつついた。体と衣服の汚れを濯ぐ魔法である。触れられた場所がひんやりと冷たくなり、続いて、全身から何かが流れ落ちるような感覚がする。それがどうにも気持ち悪くて、デュラン達は身震いした。男達が綺麗になると、アンジェラは自分の額をつついて、自身に清潔の魔法を掛け、最後に、結界を張り終えたシャルロットの身を清めた。それで大体の支度は整った。ケヴィンの持って来た丸太に、娘達が三人並んで腰掛け、他は適当に地面に座った。
「この森、ウルフ、いない……」
 ケヴィンの呟きは寂然と響いた。ラビの森や月夜の森とは空気が違う。森全体が絶え間無くざわめき、囁き合っているような、迷い人を嘲笑っているような感さえ受けた。結界を張ったためか、そばには蛾や羽虫のような昆虫さえも飛んでいず、火で照らされた周囲のみが浮かび上がり、恰もこの空間が外界と隔てられているかのようだった。うら寂しいが、休憩する分には好都合である。六人でチョコを分け合い、遅い夕飯とした。ぱっくんチョコは旅人の伴として作られているため、砂糖がふんだんに使われており、とびきり甘い。口の中でとろけると、疲れた体に染み、少量でも空腹が満たされた。
「おいしいでち〜」
 甘いものが大好きなシャルロットは、一つ目をぺろりと食べてしまい、お代わりに取り掛かっていた。板状のチョコを割って小さくする時、小さな欠片が零れ落ちるのだが、前掛けが受け皿のようになって溜まっているのを、指にくっ付けて舐め取っていた。
「口のまわりに、ついてるわよ」
「おう、もったいないでち」
 アンジェラが指摘すると、シャルロットは口の周りをべろべろ舐め回し、チョコの味を逃すまいとした。涎まみれになった口を見て、アンジェラは少し眉を顰めたが、仕方無いと言った風で、口元は笑っていた。その反対側、ホークアイの隣に座るデュランは、詰め込むようにチョコを頬張り、手の甲で口を拭った。
「早く食っちまいな。終わったら出発だ」
「え〜、まだあるくの?」
 シャルロットが気怠い声を上げた。丁度食べている途中で、言葉には出さなかったが、アンジェラも不乗りな反応を見せた。当然とばかり、デュランが頷く。
「とっとと行って、片づけちまおうぜ」
「じっとしていた方がいいかも知れませんよ。こんなに暗いと、道がわからないし……」
 と、リース。チョコの包み紙を少しずつ剥ぎ、手が汚れないようにしていた。
「どうせ迷っちまってるんだ。少しでも歩いて、神獣を探したほうがいい」
 そう言って、デュランは飽くまでも前進を主張した。紅蓮の魔導師や、その先に待つ者を追うデュランにとり、神獣は立ちはだかる障害なのだとしか捉えられなかった。しかしながら、復活した神獣を無視するわけにもいかず、逐一探し出して討伐して行くしか無い。かくなる上は、速やかに神獣を片付けてしまい、さっさと次に向かうべきなのである。そう考えて、始めは落ち着いていたデュランだが、神獣の数が減るにつれ、焦りが募った。
「気持ちはわかるけどさ……今の私達の状態じゃ、神獣にやられちゃうんじゃない? クタクタで倒せるほど、神獣は甘くないと思うわよ」
 アンジェラは慎重だった。彼女は母親が紅蓮の魔導師に攫われてしまい、未だその安否を確認出来ていない。焦る気持ちは一入だが、だからこそ冷静に、着実に事を進めようとしていた。デュランはちょっと考えながら、ケヴィンの方を見た。ケヴィンは首を振った。底抜けの体力を持つ彼でさえ、進むのを躊躇っている様子を見、デュランは気勢を削がれながら、今度はホークアイに意見を求めた。
「……やっぱ、やめたほうがいいのか?」
「急いては事をしそんじるってヤツだな。あせらず行こうぜ」
 そう言って肩を竦められ、ついにデュランも諦めた。
「……わかった」
 と、大きく息をつき、自分の膝を思い切り叩いた。
「よし、みんな、野営の準備だ!」
「わーい、おとまりでち!」
 シャルロットが万歳した。
「おとまりというか……野宿よね」
 アンジェラは相変わらず気乗りしない風だったが、強行軍よりはずっとましだと考え、反対しなかった。
「準備の前に、まずはごはんを食べちゃいません?」
 リースがそう言ったので、立ち上がりかけた全員が、大人しく座り直し、食事に戻った。夕飯と言ってもお菓子しか無い。チョコのお代わりを取って、蝋引きの包み紙を破き、焚火に投げ込む。近くに水場が見当たらなかったので、水筒の中身は大事に飲んだ。チョコとドロップだけのもの寂しい食卓は、これが終わったら何を食べようかと、美味しい料理の想像を膨らませる事で彩った。
 長らく旅をして来たが、六人は野営の経験が殆ど無い。各地に町と宿屋が点在している上、夜の闇に旅路を阻まれる事が無いので、大抵の場合宿屋に着くまで一気呵成に歩いてしまうのである。そのため、野宿に必要な装備を整えておらず、辛うじて倉庫から三枚の毛布を引っ張り出した。当然、使うのは娘達の三人と決まっている。幸い、ワンダーの樹海はさほど寒くも無く、毛布を使わずとも風邪を引く心配は無さそうだった。かかるほどに支度は終わり、六人で火を囲みながら談笑に興じた。野営と言う珍しい体験に、シャルロットが興奮してきゃいきゃいと黄色い声を上げ、他の仲間も気分を高揚させた。魔物が潜む樹海の最中とは言え、星の下で眠るのは楽しいものなのだった。
 夜も更けて行き、話題は転々とした。各々が喋り疲れて来て、水を飲み始めると、ある時不意に会話が途切れた。話し声が止むと、今まですっかり忘れていたような。木々を揺らすそよ風の音が耳に届いた。葉の擦れ合うざらつきに交じり、魔物の囁く声さえ聞こえるようだった。
「……さて。こんな夜だし、こわい話でもしないか?」
 ホークアイが提案した。まるで笑い話でもするような調子だった。殆どの仲間は賛成の声を上げたが、ケヴィンは黙って眉を顰め、シャルロットは小さな体を縮こめた。
「……シャルロットは、えんりょしておきまち」
「なーに、こわいの?」
 隣のアンジェラがにやりとして、彼女の方へ体を倒した。シャルロットがむっとする。
「こわくなんかありまちぇん! シャルロットはこわいもんなしでち!」
 負けじと体を傾け、大きな頭でアンジェラを押し返した。アンジェラは桃色の帽子にぐりぐりされながら、口元に手を当て、含み笑いを浮かべた。
「だってさ。だれから話す?」
「よし、オレからいこう」
 ホークアイは咳払いし、十分に間を置いてから、徐に口を開いた。物々しい雰囲気を装い、声は地を這うように低かった。
「……オレたちシーフは、うそはつかないし、約束は必ず守る。それがなぜだか知ってるか?」
「盗賊の仁義ってやつじゃねえの?」
 デュランが言った。
「そいつも、理由のひとつだが……」
 ホークアイは勿体振って頷いた。如何にも芝居がかった風で、平気なデュランはさっさと話してくれなどと思っていたが、子供に対しては効果覿面だった。ケヴィンはそれと無く、ホークアイから離れて倒木に近付いた。そして倒木に手を置いたら、偶然リースの手が置かれていたので、何と無く二人は手を握ってみた。誰かに触っていると少し安心する。リースも平気な顔をして、内心では怖がっているのだった。シャルロットはアンジェラに体を押し付け、肩が半分見えなくなっていた。ホークアイはそれらの反応を楽しみながら、漸く続きを口にした。
「……ナバールのニンジャ達は、古くから伝わる、あるしきたりに従っているんだ」
「しきたり? なに?」
 不意にホークアイと視線がかち合い、ケヴィンが弾かれたように相槌を打った。ホークアイは待っていたとばかり、口角を上げた。
「うそをつくと、針を千本飲まなきゃいけないのさ。こういうやつをね……」
 と、懐からふくみ針の束を取り出した。繊細な銀の針は、火の明かりに照らされ、焼けたように真っ赤に煌めいた。不敵に笑いながら、戯れに針を口元に持って行くと、シャルロットが目を覆った。
「あわわ、のんじゃだめ!」
「だいじょうぶ、飲まないよ」
 ホークアイは愉快そうに、針束の先で手の平をつついた。圧力が分散され、痛くも痒くも無いのだが、シャルロットは刺さるまいかとびくびくしていた。その様子が如何にも気の毒で、見かねたリースが窘めた。
「ホークアイ、小さい子をからかうのはよくないですよ」
「ゴメンゴメン」
「ちいさいこってなんでちか、ちいさいこって!」
 最前とは打って変わって、シャルロットが頬を膨らませた。しかしいかんせん、アンジェラの腕にしがみ付いたままで、全く迫力が無い。本人も、アンジェラの目付きに気が付き、慌てて手をほどいた。アンジェラが堪りかねて、くすくすと笑い出すと、シャルロットはいよいよ不機嫌になってしまい、彼女の手を引っ張って揺らした。
「もー、わらわないでくだちゃい!」
「え〜、だって……」
 と、アンジェラは肩を揺らしながら答えた。シャルロットが怒れば怒るほど、アンジェラはおかしそうに笑い続けた。二人がやりとりする様は微笑ましく、ホークアイが陰鬱にせんとしていた空気が和みつつあった。
「そろそろいいかな」
 ホークアイが咳払いした。途端、シャルロットがぴたりと動きを止めた。
「ニンジャに伝わる、もうひとつのしきたりだが……」
 と、ホークアイは再び声を低くした。シャルロットはまた怖気付いて、アンジェラにぐいぐいと体を押し付けた。アンジェラは一番面白い時を待って、笑うのを堪えていた。
「……約束をやぶったヤツは、小指を切らなければならないんだ。そして、切り落とした小指を相手に渡して、二度とやぶらない事を誓うのさ」
 話しながら、右の小指を立て、もう一方の手で切る真似をした。ケヴィンとシャルロットは思わず拳を握り、小指を手の中に隠した。リースは思い詰めたような顔で、ホークアイをじっと見詰めた。相変わらず片手はケヴィンと繋いだままで、内心かなり怖がっていた。
「……ほんとうに、そんな事をしているの?」
「いや、大昔の話だよ」
 と、ホークアイは調子を一転させ、いつもの声で言った。
「ナバールは仲間を信用してるから、そんなしきたりはいらないのさ。うそをつくヤツも、約束をやぶるヤツもいないんだ」
 影日向の一族らしく、ナバールに法は存在しない。法は無いが、正義はある。問題が生じた場合、軽微なものであれば当事者が判断して処理し、重大なものであればフレイムカーンに報告して指示を仰ぐ。よって大半が首領の裁量に委ねられているわけだが、その判断が過つ事は無いのである。美獣と言うとんでもない例外はあったものの、普段の盗賊団は秩序を以て治められていたのだった。得意気にそう説明し、ホークアイの怪談は幕を閉じた。一部は震え上がっていたものの、反応はまちまちで、特にデュランは全く以て物足りない顔だった。
「なんだよ、ぜんぜん恐くねえぞ」
「え〜? とっておきの話だったのにな……」
 ホークアイが肩を落とした。すっかり拍子抜けした風で、最後の説明がいらなかったか、と頭を掻き、はちみつドリンクを出して飲み始めた。少し喉を潤すと、満足して、瓶を軽く振り、シャルロットに話し掛けた。
「シャルロット、飲むかい?」
 怯えるあまり、殆どアンジェラの膝に乗っかるような形だったシャルロットは、そろそろと膝から降り、小さく頷いた。
「のみまち」
「よし。これ、シャルロットまで回して」
 と、ホークアイは瓶をデュランに渡した。デュランはアンジェラに渡し、アンジェラからシャルロットの元に回った。はちみつドリンクは気力と体力を蘇らせる。怖い話によって気分の落ちたシャルロットも、甘い蜜を飲んで元気を取り戻した。
「これ、なんか、はいってまち」
 と、シャルロットは瓶を目の高さに上げ、火に翳して中を見た。
「オレンジじゃないか? めずらしいよな」
 ホークアイが答えた。輪切りのオレンジが一枚入っているらしい。
「あ、それ、マイアで見つけたやつ! めずらしいから、買ってみたの」
 アンジェラが思い出して言った。彼女とリースが選んだものだった。普段食べている食品も、地域によって材料に多少の差異が見られる。例えばまんまるドロップは、エルフの里で購入したものは、月の雫の比率が高く、すっとした爽やかな味がする。このはちみつドリンクは、マイアで収穫されたオレンジの輪切りが入っており、ほんのりと酸っぱい柑橘類の風味が感じられた。シャルロットはドリンクを満足するまで飲み、瓶から口を離した。
「ケヴィンしゃんも、のみなちゃい。かおいろがわるいでちよ」
 と、シャルロットはリースに渡し、リースがケヴィンに回した。切っ掛けが掴めず、何と無く掴んだままだった二人の手は、其処で漸く離れた。二人は顔を見合わせ、ちょっと含羞んだ。
「……でも、ビン、からっぽ……」
 ケヴィンが瓶を覗いて言った。渡した癖に、ドリンクはシャルロットが全部飲んでしまったのだった。ケヴィンは瓶を逆さにし、少し残っていたドリンクの雫を舐めてから、底に貼り付いたオレンジをほじくり出して食べた。その頃には、シャルロットは怖い思いをしていた事をすっかり忘れており、ご機嫌で口の周りを舐めていた。
「さて、次はだれの番だい?」
 と、ホークアイが怪談話に立ち戻った。
「じゃあ、私!」
 アンジェラが手を挙げた。シャルロットは始め、なんの話だったかと首を傾げたが、思い出して来るにつれ、次第に顔色が悪くなって行った。座ったままじりじりと動き、アンジェラからそれと無く距離を置いて、今度はリースの方へくっ付いた。アンジェラは勿体振らず、すぐに話を始めた。
「ダースマタンゴって、どうやって増えるか知ってる?」
 マイコニド属のきのこである。この樹海に広く生息し、先般から散々斬り捨てて来た相手だった。
「キノコだから……胞子でふえるんじゃないですか?」
 賢いリースがすぐに答えた。
「ええ」
 と、アンジェラは頷いた。おどろおどろしく話すかと思えば、至って淡々としており、それが却って不気味だった。
「人間に胞子をくっつけて、養分を吸って成長するの」
「……くっつけられた人、どうなるの?」
 ケヴィンが恐る恐る尋ねた。人形のような無機質な所作で、アンジェラは彼の方を向いた。
「体が胞子におおわれて、キノコ人間になっちゃうのよ。それが、ダースマタンゴ」
 つまり中身はそう言う事である。あれを半分に叩き斬ってみたら、断面から、とても口には出来ないようなものが出て来るらしい。ダースマタンゴの体格は、丁度人間が膝を抱えたより大きいくらいで、強ち嘘とも言い切れない。シャルロットはすっかり縮み上がり、リースの手袋を掴みながら、言葉にならない声を出した。
「でもよ、ダースマタンゴは、この樹海にしか住んでないんだろ? こんな場所に、人間なんか来ねえよ」
 デュランが半畳を入れた。シャルロットは救いの光明を見たように、期待の眼差しでそちらを見た。
「……でも、樹海の中、女神像あった。だれが持ってきたの?」
 と、ケヴィン。
「それに、ネコ族のふたりが、行商に来てましたよね……」
 リースまでもがそう言った。すると、丁度その時、一陣の風が樹海を揺らし、全員が思わず身を竦めた。風は忽ち行き去ったが、石化してしまったかのように、誰一人として微動だにしない。恐る恐る、目だけを動かし、互いに目配せした。沈黙が降りた。息の詰まる静寂の後、出し抜けに、アンジェラがデュランを指差した。
「……あっ、デュランの背中に、キノコの胞子が!」
「うわーん、デュランしゃんがきのこにぃ!!」
 シャルロットが金切り声を上げ、リースに抱き付いた。シャルロット本人では無く、敢えてデュランに付いていると言ったのは、アンジェラなりに手心を加えたつもりだったのだが、却ってシャルロットを怖がらせてしまったらしい。終いには涙を浮かべたシャルロットを見、アンジェラは気後れした様子だった。
「じょうだんだってば……なにも泣く事ないじゃない」
「ほら、よく見てみな。なんにもついてねえだろ?」
 デュランが背中を向け、隣のホークアイが、その背を軽くはたいて見せた。清潔の魔法のお陰で、叩いても埃一つ出なかった。
「きのこにんげんはいやでち〜……」
 シャルロットは目を擦りながら、ぐすぐすと鼻をすすった。これ以上はシャルロットに悪いからと、怪談話はお開きになった。その頃には夜もすっかり更けていたので、日がな一日歩き回った六人は、疲れた体を休める事にした。周囲の警戒兼火の番として、二人ずつ交代で起きる決まりとし、ケヴィンとホークアイ以外の者が眠りに就いた。