昧者の行進

「デュランのバカ!」
「バカじゃねえ!」
 デュランとアンジェラが喧嘩している。宿屋までの道のりを、歩調を合わせて一緒に歩き、部屋に入る時は、デュランが扉を開けてアンジェラを先に入らせてやったが、その間も言い合いを続けていた。いつもの事なので仲間達は気にしない。すぐに終わるから、生暖かい視線で見守っていたが、今度の喧嘩はなかなかしつこかった。
「バカ! だいっきらい!」
 アンジェラはもはやそれしか言わない。蓮っ葉なように見えて、根はお姫様育ちなので、人を貶すような語彙が馬鹿と嫌いの他に浮かばないのだった。それでもデュランには効果覿面で、逐一何のかんのと言い返している。刻々と二人の語調が荒くなり、状況が微笑ましく無くなって来たので、仲間達が仲裁しようと立ち上がった折、喧嘩は最終局面に入っていた。アンジェラは地団太を踏みかねない勢いで、赫然と相手をやり込めようとしていた。
「もう、あっち行ってよ! デュランなんかだいっきらい!」
「へん! こっちこそ、お前の顔なんか見たくもないね!」
 挑発はデュランの方が上手い。アンジェラが顔を真っ赤にして、しかし何も言い返せない内、彼は前言通りさっさと踵を返し、暮れの外に出て行った。扉が物凄い音で閉まった。残されたアンジェラは、わなわなと震えていたが、リースがそっとそばへ行くなり、彼女に飛び付いた。
「リース〜……」
「……今日だけは、どうしてもゆずれない話だったのね?」
「うん」
 リースが優しく尋ねると、鼻声が返った。肩口に顔を埋めてしまい、アンジェラの顔は見えない。気の毒がって、リースはアンジェラの髪を撫でた。
「じゅっちゅーはっく、デュランしゃんがわるいようなきがしまちけど……」
 嘆息しながら、シャルロットが扉に目をくれた。すっかり呆れているものの、アンジェラの反応を見たせいか、彼女の方に味方していた。
「しかし、両方の言い分を聞いてみない事にはな。ケヴィン、行ってこようぜ」
 と、ホークアイが席を立ち、戸口に向かった。喧嘩も泣いている人も苦手なケヴィンなので、極力体を小さくし、おずおずとアンジェラの様子を窺いつつ、ホークアイに従って宿を出た。日は城塞の陰に落ち、ようよう夜が深まり行く頃だった。
 ジャドなので酒場がある。デュランはさほど酒を好かないが、耐え難いような出来事に見舞われると、一転して浴びるように飲む。多分今回がそうだろうと、二人は見当を付けて酒場に入ったら、案の定デュランがカウンターに着いている所だった。
「アンジェラが泣いてたよ」
 彼に近寄り、ホークアイが先制攻撃を食らわせた。見事に弱点を突いた。デュランは少し固まったが、二人の方は向かず、マスターから差し出された麦酒を呷った。
「デュラン、なかなおり、しよう?」
 ケヴィンがその隣に座り、ホークアイは反対側に座った。デュランは妙に据わった目で、両側の仲間をちらりと一瞥した。
「お前らも飲めよ」
「オイラ、飲めない……」
 ケヴィンは成人していない。子供に酒は出さないのが酒場の鉄則である。ホークアイも普段はからっきしだが、一人くらい付き合わないと話が聞き出せそうにないから、葡萄酒を頼んだ。ケヴィンは牛乳を貰った。その間に、デュランはもう一杯頼んでいた。
「言っておくが、オレはバカじゃねえからな。バカは騎士になれないんだ」
 デュランは最初にそう言った。外見と言動のせいで、如何にも勉強が出来ないように見えるが、騎士の子として一通りの教養は修めている。苦手な勉強を頑張ったので、その点には一種誇りを持っており、だからこそアンジェラの馬鹿の魔法が抜群に堪えたのだった。
「知ってるよ。デュラン、オイラよりずっと、物知り」
 グラスを置き、ケヴィンが口の周りを舐めた。デュランは相変わらず酒を離さない。
「それをアンジェラのやつ、バカバカ言いやがって……。そりゃあいつに比べたら、オレなんかバカだろうけどさ」
 少し酒が回ったのか、ぶつくさと零し始めた。ホークアイはアンジェラ達のためにも、財布のためにも、手早く話を畳みに掛かった。
「だが、ケンカの原因はバカじゃないんだろ?」
「バカじゃねえよ」
 デュランの頭は馬鹿で一杯だった。何を言っても話が馬鹿に立ち戻りそうだったが、二人掛かりで宥めたり賺したりしつつ、どうにか事情を引き出した。聞いてみると何の事は無く、アンジェラの撃った魔法がデュランに直撃しただけの話だった。その上、どちらにも責任は無く、敵を引き付けようとした方と魔法を放とうとした方、お互いが偶然にかち合ってしまっただけであった。事の顛末を話し、デュランはふんぞり返った。
「だから、オレは悪くない!」
「……アンジェラも、悪くないね」
 ケヴィンが言うと、デュランはやや俯いた。
「そうだな……」
「いつもの君達なら、あやまっておしまいの話じゃないか。どうしてあんなに言い争ってたんだ?」
 ホークアイが核心に迫った。グラスを空けると更に飲まされそうだから、ちびちびと葡萄酒を口にしていた。デュランは二杯目も空けてしまい、またお代わりを頼んだ。
「……バカって言われたら、ついハラが立ってよ」
「そこじゃない。問題はその前だ」
 再び馬鹿に立ち返りそうな相手に、ホークアイは直截聞いた。デュランは状況を思い返し、不服そうに声を低めながら、訥々と理由を話した。
「……オレは別に、痛くもかゆくもねえから、好きなだけオトリになってやるって言っただけだよ。そうしたら」
「アンジェラの逆鱗に触れちゃったわけだな」
 デュランが頷いた。頬杖を突き、眉間に皺を寄せる。
「なんであんなに怒ったんだろうな? 戦う時は、みんな持ちつ持たれつだろ」
 ケヴィンとホークアイは、顔を見合わせて息をついた。この傭兵は戦い慣れているせいか、ごく一般的な感覚からかけ離れつつある。其処がアンジェラと噛み合わないのだった。ホークアイが上手い説得の文句を考えている間に、ケヴィンが先んじて口を切った。
「……デュラン、アンジェラをぶったら、いやじゃないか?」
「そんな事しねえよ!」
 忽ち、デュランがむきになって反論した。敢え無く失敗してしまい、ケヴィンはグラスに顔を埋め、しょんぼりと向かいを見やった。今度はホークアイの番である。ケヴィンの方に労わるような目線をやり、彼は傭兵に向き直った。
「たとえばの話だよ。戦ってる最中に、まちがってアンジェラをキズつけたりしたら、君はどうする?」
「ありえない話だが……」
 デュランはひとまず矛を収め、また酒を呷った。
「あやまるよ。あやまって、キズが治るまで何でもする」
「そんな時に、もっと斬ってもかまわないなんて言われたら、君だって怒るだろ」
 デュランは言わんとする旨を察し、そう言う事かと呟いた。それでも納得し切れずに、机へ深く凭れた。
「……でも、魔法だぜ。武器と違って、狙いが外れる事もあるだろう」
「アンジェラにとってはそうじゃないんだよ。彼女の魔法は、君の剣であり、オレにとってのナイフだ」
 ホークアイも一口酒を飲んだ。彼らの武器がそうであるように、アンジェラも自らの魔法を手足のように使いこなしている。それが不可抗力でも誤射したとなれば、魔導師の名折れだし、何より自分自身の手で相手を傷付けたような罪悪感を覚えるのだった。他の仲間は状況を確認していないが、よくよく聞けば、デュランが自ら囮を買って出たような戦法に近かったらしい。尚更アンジェラが怒る筈だった。ホークアイに諭され、デュランは彼女の気持ちを酌んだようだが、依然その意思は固いものだった。
「……それでも、同じ状況になったら、オレは何度だって同じ事をするよ。そうしなければ、仲間を守れない」
 決然と言い放ち、漸くグラスを置いた。何処まで行っても頑固だが、それがさっぱりしていて、他の二人は苦笑した。
「戦いの事になると、君は一人でしょいこみすぎるクセがあるよな」
 ホークアイが窘めるように言った。デュランは反発したような、素直に聞き入れたような、曖昧な反応を見せた。反対側のケヴィンが、彼の背中をぽんぽんと叩いた。
「みんなで、いっしょに守るんだよ。それがトモダチ」
 デュランは意外そうに、仲間の顔を交互に見た。二人はそれ以上何とも言わなかったが、大方の意図は伝わった。面映いような風で、デュランが頭を掻いた。
「……そうだな。一人で戦ってるんじゃねえんだもんな、オレ達」
 頑なな傭兵が漸く氷解し、二人はほっとした。ケヴィンが嬉しそうに笑い、机に凭れるようにして腕を置く。
「なかなおり、する?」
「ああ。アンジェラにあやまってくるよ」
 デュランはやると言ったら必ず実行する男である。それで問題は解決を兆した。三人は景気付けに、今ある飲み物をぐっと飲み干し、牛乳を頼んで、改めて乾杯した。
「……オレ、もっと強くなりたいよ」
 牛乳を飲みながら、ふとデュランが呟いた。
「オレもだよ」
「オイラも」
 他の二人も同感だった。三人とも、大切なものを守り切れなかったと言う強い後悔がある。デュランは国で、ケヴィンは親友で、ホークアイは幼馴染だった。抱える事情こそそれぞれだが、今の目標は同一である。カウンターに座って話していたら、何と無く通じ合ったような気になり、三人でしみじみと飲み交わした。
 状況は宿屋に戻る。リースはベッドに座り、アンジェラの髪を梳いていた。取り敢えず落ち着かせようと取った行動だが、これが案外功を奏しており、アンジェラは少し大人しくなっていた。シャルロットもブラシを持ったが、下手だからと断られ、隣のベッドに座って、自分の髪にブラシの毛を絡ませている。アンジェラの方は頗る不機嫌で、人形のように端然と座りながら、懸命に罵詈雑言を考えていた。大人びた肢体と、不満で赤らめた子供のような面差しが、何ともちぐはくであった。
「デュランのわからずや。……あ、わからずやって言えばよかった〜!」
 と、思い付く度に足をばたつかせる。シャルロットも一緒になって考えており、時々彼女に助言した。
「デュランしゃんの、いしあたま! ……どうでちか?」
「デュランの、いしあたま〜! ……いいかも」
 アンジェラは大きな声で叫び、うんうんと頷いた。シャルロットは耳年増で、何処で覚えたのか分からんような言葉も知っている。それでも神殿育ち故、出て来る悪態は高が知れており、架空の傭兵に向かって、子供のような罵倒が繰り返された。リースは気の済むまで言わせておき、落ち着き次第、話を聞き出そうとした。
「それで、デュランさんとは、一体何があったんですか?」
「石頭で、わからずやの、デュラン」
 アンジェラが口を尖らせた。リースがまたデュランさんと言うと、彼女も同じ事を繰り返した。従わなければ話が続かないようなので、リースは苦笑いを浮かべながら真似をした。
「……石頭で、わからずやさんのデュランさんと、何があったの?」
 アンジェラは我が意を得たりとばかり、少し笑った。しかしそれも束の間の事で、潮が引くように表情が失せ、忽ち俯いてしまった。二人の方からは、紫色の髪しか見えなくなった。
「……私の魔法が、デュランに当たっちゃったの」
「そうだったの……。でも、デュランさんは、そんな事で怒らないでしょ?」
 リースが櫛の手を止めると、アンジェラは小さく頷いた。詳しく聞くと、森でマイコニドをやっつけていた時、アンジェラの魔法が逸れてしまいそうになった。其処へデュランが走って行き、敵に一太刀浴びせ、自分諸共ダイヤミサイルの餌食になったそうだった。アンジェラは驚いたやら、申し訳無いやらで、デュランをすぐに介抱した。前膊をぱっくり裂きながらも、デュランは平然として、いくらでも囮になってやると答え、あまつさえこんな戦法も悪くないと言ってのけたのだった。アンジェラの怒った事、それからジャドに戻るまでずっと喧嘩していたのである。
「シャルロットたちがみてないあいだに、そんなことがあったんでちか?」
 シャルロットは内容より、顛末の早さに関心を寄せた。他の仲間達にしてみれば、森のきのことうさぎを相手にして、ちょっとデュラン達が見えなかったと思えば、次には言い争って登場したのである。しかもその時には既に、馬鹿と馬鹿じゃないの応酬が始まっていたのだった。目にも留まらぬ早業だった。
「……私も、回復魔法が使えればよかったのになあ」
 背後にシャルロットの声を聞き、アンジェラはそちらへ向きを変えて座った。ベッドに足を乗せ、膝を抱える形になる。
「そしたら、デュランの事、思いっきりバカって言えるのに」
 あれでも手加減していたらしい。シャルロットは治す立場なので、デュランに心置き無く説教が出来るが、守られる立場にあるアンジェラは強く言い出せないのだった。まして今度の件は彼女が怪我をさせた側である。
「でも、シャルロットにも、せきにんのいったんはありまちよ……。すぐなおせるから、デュランしゃんもむちゃするんでち」
 と、シャルロットはアンジェラを庇うように言った。アンジェラは不服そうに、目だけをそちらに向けた。
「最初のカニの時から、ずっとムチャだったでしょ」
「そうでちた」
 二人はフルメタルハガーを指して言った。魔法の使えない魔導師二人を従え、デュランは必死に奮戦したのである。当時を思い出し、いやまし力不足を痛感したアンジェラは、うなだれて溜め息をついた。シャルロットは万策尽きたと言った様子で、助けを求めるようにリースを見た。
「でも、デュランさんは、いっしょに組むならアンジェラがいいって言ってましたよ」
 リースが言うと、彼女は食い付くように身を乗り出した。
「うそ!? どこで?」
「船の上ですけど……」
「どうして? デュラン、理由は言ってなかった?」
 重ねて問われ、リースは返答に窮した。彼女にとって、デュランは戦士の先輩なので、戦術について真屡に議論を交わす。其処でデュランが言う事には、自分が矢面に立って戦うからこそ、アンジェラとシャルロットは思う存分魔法に集中出来るのだと。しかしこれを伝えると、またアンジェラの不興を買ってしまうから、リースは別な一件を持ち出した。
「デュランさんは、アンジェラの魔法が好きみたいなの」
 はっきりとは言っていない。アンジェラが魔法を唱えた時、すかっとするとちょっと褒めた。そして彼はいつも、アンジェラの魔法が飛ぶと調子が付いたように、負けじとばかり威勢良く攻勢に出る。だからリースは好きなのだろうと思った。端的に伝えたのを、アンジェラは目を丸くして聞いていたが、やがて訝るように半眼になった。
「……ほんとに、デュランがそんな事言ったの?」
「いじっぱりのデュランしゃんが、そんなこというわけありまちぇん」
 シャルロットまで胡散顔だった。散々な反応に、リースは思わず苦笑した。
「言ってはいないけど……でも、見ていてスカっとするんですって」
「すか?」
 相変わらずシャルロットは首を傾げていたが、アンジェラとリースは褒め言葉と受け取っていた。デュランはそんな風に褒める性格だった。しかし、アンジェラはあまり嬉しそうでは無かった。
「でも、デュランに気に入られてもなあ……役に立たなくちゃ意味ないよ」
 彼女は落ち込んでしまい、抱えた膝に顔を埋めた。リースにもその気持ちは理解出来、そっと声を掛けた。
「役に立っているかどうかは、私もときどき考えますよ」
「リースが? どうして?」
 と、アンジェラが顔を上げた。
「だって、力や技では、みんなにかなわないんですもの。私には、魔法の力もないんだし……」
 口にしてみると、つくづく自分が情け無く思え、リースは羽飾りを撫で付けた。腕力や体力ではデュランやケヴィンにとても敵わないし、敵の弱点を突いて立ち回る事についてはホークアイに遠く及ばない。三人から庇って貰う事も多い。リースは自分が戦士として中途半端なように思っていた。どうにか足手纏いにはならないものの、戦いに必要不可欠な存在では無いのである。
「それをいうなら、シャルロットは、かいふくまほういがい、なんのとりえもありまちぇんよ」
 常に自信満々なシャルロットも、二人に気を遣ってか、殊勝な事を言った。魔導師は前衛に守られる分、己の弱さを顕著に実感するのだった。胸裏を披瀝し合い、三人とも、互いに同情的な視線を寄せた。
「……考える事は、みんなおんなじなんだね」
 二人の顔を見ながら、アンジェラが呟いた。リースは頷き、前向きな提案をする。
「だから、私達は、今の自分にできる事をやっていきましょう。がんばっていれば、いつかきっと、みんなの力になれる日がくるわ」
 彼女は以前ホークアイに、其処まで気を張って戦わなくとも良いと言われた。デュランとケヴィンに任せておけば皆倒してくれるのだから、自分達は援護に回るくらいで丁度良いのだと。勿論冗談だが、強ち間違いでも無かった。彼らのように先陣を切って戦えずとも、自分なりの違う戦術を取れば良いのである。それをリースはまだ模索している最中だが、焦らずに少しずつ見付ければ良いのだと思っている。仲間が助けてくれるお陰だった。
「できる事……か。そうだよね」
 アンジェラが繰り返した。染み入るように、言葉の意味をとくと理解し、顔を綻ばせた。足を伸ばし、裸足に靴を履き始める。
「じゃあ、私、今の自分にできる事をやってくるね」
 そう言って立ち上がり、彼女は戸口に歩いて行った。面差しはさっぱりしたものだった。シャルロットとリースは顔を見合わせ、こっそり笑み交わした。
「デュランしゃんたち、どこにいるのか、わかりまちか?」
「うん」
 シャルロットが尋ねると、アンジェラは当然のように応じた。流石に相手の事を良く分かっており、迷う事無く部屋を出て行った。
 状況は再び宿屋を離れる。デュランは友達の応援を背に、単独でアンジェラの元へ向かっていた。星空の下、町の石段を下り、宿屋の通りまで歩いて来ると、丁度アンジェラが出て来た所だった。何故かいつもの冠を着けていない。アンジェラは虚を衝かれて、デュランも一瞬鼻白んだ。
「すまん」
 デュランは真っ先に頭を下げた。意地っ張りに反して、謝ると決めたら素直に言い出せる性格である。
「アンジェラの気持ち、今になってわかったよ。怒って当然なんだよな」
「いいよ」
 アンジェラは照れくさそうに首を振った。
「こっちこそ、ごめんね。ケガさせたのに、ひどい事言っちゃって」
「気にするなよ」
 今度はデュランが首を振った。こうして謝ってみると、何とも下らなくて大した事の無い喧嘩に思え、二人で笑い合った。少し話をしようと言う事になったが、酒場や宿屋に戻る気がしなかったので、町の石段に座った。既に日はとっぷりと暮れてしまい、人通りは無かった。其処でデュランは、何故あんなに怒ったのかと言う言い分を、本人の口から直接聞いた。果たしてホークアイ達に指摘された通りだった。アンジェラも、デュランがやたらと怒った理由を聞いた。馬鹿が嫌なのだと言われ、束の間呆気に取られたが、彼女は終始真面目に取り合った。
「ごめんね。バカって言われて、デュランがそんなに怒ると思わなかったから」
「バカじゃねえからな。英雄王様に仕える人間がバカヤロウじゃ、陛下の威信にかかわる」
 デュランが言い張ると、アンジェラは口元に手をやり、くすくす笑った。
「わかった、もう言わないよ。……ほんとに怒った時以外はね」
 と、小さな声で付け足した。
「本気で怒ってなかったのかよ?」
「私の本気は、もっとすごいわよ」
 今度は意味深な含み笑いを浮かべられ、デュランはそれ以上言及しなかった。アンジェラは怒っても手を出さないが、万一本気で怒ったとするならば、手どころか大魔法が出てきそうだった。
 アンジェラが空を見上げた。雲一つ無い夜で、月は細く小さく、星々が遠く感じる。暖かい季節で、城壁から僅かに吹き込む潮風も、柔らかで心地の良いものだった。髪留めを宿に忘れたらしく、彼女は髪を下ろしており、豊かなそれを手で梳いた。
「私、もうちょっと、魔法の使い方を考えて戦うよ」
「なんで? 今までどおりでいいよ」
「ううん」
 と、視線を下ろし、デュランの方を見た。表情は真剣だった。アンジェラが言うには、もう少し杖を上手く使って、身を守りつつ魔法を唱えるつもりになったそうだった。漸く念願の魔法を手に入れ、爾来嬉しくてそればかりに頼っていたが、元々は杖での直接攻撃を主としていたのだ。
「うれしいからって、調子にのっちゃダメなんだよね」
 これからは多用を控えると聞き、デュランは少し勿体無いように感じた。確かに彼は魔法が好きだった。最初の邂逅は碌でも無かったが、アンジェラやシャルロットの恩恵に与る内、自分にとって欠かせないものだと思い始めたのである。剣士のデュランすらこう感じるのだから、当のアンジェラにとってはそれ以上に大切なものだろうと、相手に理解を示した。
「しょうがねえよ。オレだって、はじめて自分の剣をもらった時は、すっげーうれしかったぜ」
 デュランが初めて手にした真剣は、今は自分の部屋にある。ステラおばさんが、父の形見と引き換えてくれたので、代わりに残して来た。貰ったのはかなり幼い頃だった。真新しい銅の鈍い煌めきを、子供だったデュランは大層気に入って、身の丈に余る剣を振り回し、無闇と手入れを繰り返し、寝る時は抱いて寝ようかと思ったくらいだった。翻って、銅の剣にはほろ苦い記憶もあり、彼は少し言い淀んだ。
「……それで、調子にのってたら、指切った」
「指? だいじょうぶだった?」
 アンジェラが顔を近付けた。この星明かりでは見えないが、親指の付け根の辺りに、今でも白く痕が残っていた。間の抜けた笑い話のようなつもりだったが、案外相手が心配していたので、デュランは手を後ろに隠してしまった。
「とにかく、最初は失敗しておぼえるもんなんだよ。オレも夕方の事で、オトリになるのはダメだってわかった」
「……デュランにも、まだおぼえる事があるんだね」
 と、アンジェラは微笑した。仲間を見付けて安心したような口振りだった。しおらしかった相手の調子が戻って来、デュランも気を良くして答えた。
「もちろんあるさ。剣士として、オレはまだヒヨっこなんだ。もっと精進しなければならない」
「なら、魔導師のタマゴの私は、もーっと精進しないといけないわね」
 そう言って、アンジェラが嫣然と髪を掻き揚げた。己の弱さを認める事も修行の内だった。デュランは故郷を旅立つ際、一から修行をやり直すと決めたから、未熟な立場はアンジェラと全く同じつもりである。達成すべき目的も同じで、まずはクラスチェンジを済ませると言う明確な指標がある。半人前の二人は、いつか一端になる事を誓い合った。
「あっ、いた!」
 不意に声がして、二人はそちらに注意を向けた。宿屋の角から、シャルロットが顔を出していた。大きな丸い目を見開き、ふわふわした巻き毛を揺らしながら駆け寄って来る。
「クレリックのタマゴが来たわね」
 アンジェラが含み笑いでみむかえた。シャルロットはとんちんかんな顔をして、歩度を緩めてこちらに来た。
「なんでちか、やぶからぼーに」
「みんな精進がたりないって事よ。ね、デュラン」
「ああ」
 と、アンジェラはデュランの方を見て、デュランも頷いた。シャルロットは相変わらずきょとんとしていたが、やがて状況を呑み込んだらしく、にっこりと笑みを浮かべた。
「そのようすだと、なかなおりできたみたいでちね」
 彼女は満足気に息をつき、二人の間の、少し空いた隙間に座ろうとした。狭いが、小さな少女が入るには丁度良く、三人で足をくっ付けるようにして並んだ。安心したシャルロットは、デュラン達に向かって小言を言った。
「まったくもう、ふたりとも、ほんとーにおばかしゃんなんでちから……」
「バカじゃねえよ」
 デュランがまた反応した。アンジェラはにやにやしている。シャルロットは説教をやめ、二人の顔を見回した。
「なに?」
「バカはいやなんだってさ」
 言い渋るデュランに代わり、アンジェラが説明した。格好の付く話では無い上、三度目ともなると、デュランはいい加減話すのが嫌なのだった。馬鹿の理由を伝えられ、シャルロットはなるほどと言った。
「じゃあ、ふたりは、おりこうなおばかしゃんでちね」
「なんだよ、それ?」
 デュランが怪訝に尋ねると、彼女は得意気に胸を反らした。
「しょーじんがたりないってことでち。じんせいはべんきょーだって、おじいちゃんがいってまちた」
 と、道々しく語った。デュランは工夫に落ちず、反対側のアンジェラの顔を見やったが、相手は苦笑して肩を竦めるだけだった。シャルロットがえらそうな口吻をするのはいつもの事である。デュランも始め、まともに取り合う気にならなかったが、ふと冷静になった。
「……そうだな」
 彼は其処で、シャルロットの言う馬鹿の意味を悟った。デュランは頭は悪くない。しかし、アンジェラの気持ちを理解出来ない所は馬鹿だったし、馬鹿の本当の意味を知らない所もそうだった。耳に逆らうからと撥ね付けてしまい、相手の言葉を素直に聞き入れないのは、正しく愚か者の所業である。修練すべきは剣術の腕ばかりで無かった。
「学ぶ事はたくさんあるんだよな。慢心してると、ほんとのバカになっちまう」
「それがわかれば、おりこうしゃんでち」
 と、シャルロットは破顔した。それが思いの外嬉しく感じ、デュランは廓然と進歩を実感した。シャルロットはにやりとしながら、アンジェラの顔を覗き込んだ。
「アンジェラしゃんも、デュランしゃんをみならいなちゃい」
「なによ、私だけおバカのままなの?」
 アンジェラが眉を顰め、ついとそっぽを向いた。
「いいもん。私には、リースとの約束があるんだから。ちょっとずつがんばればいいの」
「ま、せいぜいがんばりなされ。シャルロットも、がんばりまち」
 そう言って、シャルロットが意味深に目配せをした。すると、他所を向いていたアンジェラも、口元を緩め、秘密めかした視線を返した。相通じる所があったらしく、今度は二人で含み笑いを浮かべる。仔細ありげなやり取りだが、デュランには見当も付かなかった。
「約束って、何かあったのか?」
「ヒミツ!」
「ないしょでち」
 弾むような返事があり、二人は喜色満面に顔を見合わせた。デュランとしては、今し方の会話の運びから、分からない事があると言うのは悔しいものなのだが、結局彼には教えられなかった。

2016.1.19