お嬢様誘拐大作戦!

「あ〜、たいくつ……」
 ベッドの上で本を読みながら、マリベルは呟いた。寝転がったその足元に、彼女にしか懐かない猫が座っていて、丁寧に前足を舐めている。綺麗な赤毛とはしこそうな釣り目、しなやかな仕草、何もかもが飼い主にそっくりで、本当に可愛らしい猫ちゃんだと、マリベルはこの猫を良く褒めた。
 マリベルは退屈していた。かねてから切望していた漁船には、漸く乗せて貰えるようになったが、年に一度のアミット漁と、フィッシュベル近海で行われる漁にしか連れて行って貰えない。アミットやボルカノに拝み倒して、怒って、泣いて、必死にアルスを泣き落とした挙句、やっと手に入れたのは、月に一度あるか無いかの楽しみである。てっきり毎回連れて行って貰えるものだと思っていたマリベルは、大いに落胆し、憤慨した。もっと不満なのは、アルスが家を留守がちにする事だった。見習いの癖に、アルスは毎回漁に付いて行き、村にいることよりいないことの方が多くなってしまった。実際の所はそうでは無く、家でぶらぶらしていることも多いのだが、マリベルがいないと言ったらいないのである。そうしたわけで、アルスとは遊べなかった。かと言って、他の仲間と遊ぼうにも、アイラは姫の教育係兼近衛兵として忙しくしており、メルビンは空の上で忙しくしている。暇なのはガボくらいだが、彼と遊ぶのもいい加減に飽きてしまった。ガボは良い子だが、年頃の女の子がするものでは無い、荒っぽくて野性的な遊びを好む。マリベルは、獣のねぐらに入って昼寝をしたり、熊や猪と相撲を取ったりはしたくないのである。
「たいくつ!!」
 足をぱたぱたと揺らしながら、マリベルははっきりと不満を声に出した。勿論答える者は無い。飼い主に良く似た可愛らしい猫が、五月蝿そうに尻尾を動かした。こう苛々するのは、全てアルスが原因だった。只でさえ退屈で堪らないのに、今頃アルスが漁船の上で、漁師の仲間と楽しい思いをしていると思うと、羨ましいやら悔しいやら、憤懣やる方無い思いだった。
「あ〜あ、あたしも漁師になりたいなあ……」
 埒も無いことを言いながら、マリベルは読み掛けの本を見下ろした。勇者が巨大な竜と戦い、囚われの姫を助ける冒険譚である。様々な世界を歩き、艱難辛苦とりどりの経験をして来たマリベルだが、こんな冒険をしたことは無いから、読んでいてそれなりに面白く感じられる。彼女は何度も竜を倒したことがあるが、成り行きは物語よりもずっと捻くれていて、例えばルーメンの闇のドラゴンなどは、討伐したら却って状況が悪化した。王様に感謝されたことも数え切れないほどだが、それは囚われの姫を助けたからでは無く、惨憺たる国家滅亡の危機を救ったからだった。囚われ人の救出と言えば、フォズ大神官を助けたのがそうなのかも知れないが、物語に書かれているのとはかなり違うような気がする。考えてみれば、マリベルとその仲間達は、絵に描いたような王道を辿った経験が無かった。ウッドパルナから始まって、心に澱の溜まるような、後味の悪い思いをすることもしばしばであった。勿論、それだけでは無いから旅を続けていられたのだが、うら若き乙女のマリベルとしては、一度ロマンチックな冒険活劇を味わってみたいものだった。
「考えてみれば、あたしって、さらわれるお姫さまのほうなのよね……」
 マリベルはぽつりと呟いた。彼女は深窓の令嬢である。物語の中ならば、屋敷に忍び込んだ悪党に拐かされ、仄暗い洞窟の中でしくしく泣いている筈の立場なのだった。何気無く口にしてみた言葉だが、物語のお姫様と自分を重ね合わせてみると、まさしくぴったりで、マリベルははたと身を起こした。
「そうよ。どうして気づかなかったのかしら」
 そう言って本を伏せ、ベッドから立ち上がった。羽毛や綿を詰め込んだマットレスは、人が動くと良く弾み、気難しい猫が縦に揺れながら、迷惑そうな顔をした。マリベルは一顧だにせず、裸足で鏡台に歩いて行く。鏡台の前に立つと、鏡の中には、少し気が強そうな、利発で、可愛らしい少女の姿が映っていた。マリベルは鏡を覗き込みながら、ふわふわの赤毛を整え、頭巾のリボンを結び直し、ワンピースの裾を撫で付ける。襟を正して、鏡に向かってにっこりと笑い掛ければ、紛うこと無き良家のお嬢様だった。マリベルは自信を持って、自分を攫ってくれる悪党を探すことにした。
 マリベルは山賊のアジトにやって来た。美しい令嬢を攫うのは、海や山に住む荒くれ者達と相場が決まっている。誘拐犯の大役は、マール・デ・ドラゴーンに頼もうかと思ったが、シャークアイやボロンゴに迷惑を掛けるのは気が咎めたので、やめた。マリベルは良識あるお嬢様なのだ。海賊以外で、マリベルの知りうる荒くれ者と言うと、ダーマの山賊くらいしか思い付かないが、彼女はあのアジトが大嫌いなので、どうしても二の足を踏んでしまう。熟考した挙句、取り敢えず、近くに行くだけ行ってみて、やっぱり嫌なら帰ろうと、元ふきだまりの廃墟まで足を伸ばしてみることにした。ルーラの魔法でダーマへ飛び、山間の道を南へ歩いていると、マリベルは次第に気分が良くなって来た。平和な世界に魔物の影は無く、小鳥の囀る声が爽やかに聞こえる。一人で散歩に出ても、話し相手がいなくて詰まらないと思っていたが、たまには優雅に一人旅をしてみるのも良いかも知れない。そうしてご機嫌に散策を楽しんでいたが、南へ下るにつれ、忘れていた様々な心配事を思い出して来た。山賊に攫われると、当然アジトに閉じ込められることになる。あの腐った空気の中で、マリベルは五分と生きていられる気がしない。饗される食事は、朝昼晩毎回エテポンゲの特製シチューで、寝床は藁を並べただけの湿った地面である。マリベルは粗末な寝床には慣れている方だが、それは隣に気心知れた仲間がいたからで、荒くれ共と一緒に寝るのは死んでも御免だった。考えれば考えるほど、すっかり意気地が無くなってしまったので、誘拐計画は一旦保留として、マリベルは家に帰ろうと思った。ところが、ふきだまりの廃墟にて、山賊の一人に見付かってしまった。
「おっ、あんた、アルスのお仲間さんじゃねえか!」
 神父の格好をした男が地面に寝転がっていた。以前のように、死んだふりをして鴨を探していたらしい。マリベルが何か言う前に、神父もどきは起き上がり、だみ声で親し気に話し掛けて来た。
「オレたちに会いに来たんだろ? おかしらも、口には出さねえが、あんたらに会いたがってるみてえなんだよ」
「あ、あたしは別に……」
 近付くと変な臭いがするから、マリベルは思わず後退ろうとした。ところが、腕をしっかと掴まれてしまい、動けなくなってしまった。
「まあ、立ち話もなんだ。今日の仕事は終わりにすっからよ、アジトに帰ろうぜ」
 と、捲し立てられるまま、マリベルはアジトに連行されてしまった。
 マリベルは山賊のアジトで歓迎された。エテポンゲを始め、以前こてんぱんにのしてやった連中や、生き埋め大好きな男やら、その他の荒くれ共に、親しく挨拶を受けた。面構えの割に性格は気さくで、特に同袍に対しては親切な連中なのである。以前、人の出入りが激しいと聞いたことがあるが、主だった面々はそう変わらないようだった。彼らを適当にあしらいながら、神父もどきはマリベルを連れて歩き、かしらの部屋まで案内した。ノックも無しに扉を開けると、かしらはベッドの上に座って、本を読んでいるところだった。
「おかしら! マリベルさんが来やしたぜ!」
 と、神父もどきに紹介されたので、マリベルは鼻を覆っていた手を一旦下ろして、スカートを摘まみ、上流階級の礼をした。
「こんにちは、おかしらさん」
「おう、なつかしい顔が来やがったな」
 と、かしらはベッドから飛び下り、二人に近付いて来た。見た目はちんちくりんながら、聡明で冷静沈着なかしらは、客人の来訪を静かに出迎えた。
「おまえ、ごくろうだったな。下がっていいぞ」
「へいっ」
 かしらに労をねぎらわれ、神父もどきは部屋を後にした。ドアをきちんと閉めずに、少し開けたまま出て行ったので、マリベルはぴたりと閉じ直し、向こう側の腐った空気を遮断した。かしらはベッドの方に戻り、何やらごそごそと漁っていた。
「まあ、とりあえず座れよ」
 と、後ろ手に絨毯を指差されたので、マリベルは大人しく床に座った。椅子くらい用意すれば良いのに、と思いながらも、淑女はもてなしに文句を付けないものである。突然の訪問ならば猶更だった。
「なんか飲むか?」
 かしらは小机の引き出しを開け、中から欠けたグラスを二つ出した。見た目は子供のようだが、これでも酒を嗜むらしい。マリベルはまだ成人では無いので、丁重に断った。
「いらないわ。どうぞおかまいなく」
「そうか」
 と、かしらは引き出しを閉め、床にあぐらをかいた。かくして二人は向かい合った。マリベルがこのアジトを蛇蝎のように嫌う理由は、穴倉に立ち込める臭気にある。腐った肉や玉ねぎに、炭のような臭いと、饐えた汗くささが入り混じったような最低最悪の空気だった。かしらの部屋は比較的ましな方だが、中は臭わなくとも、外からの臭気に汚染されてしまって、心なしか空気が淀んだ感じがする。マリベルはなるべく息を吸わないよう、口を引き結んでいたので、自然と口数も少なくなった。敷物に座ったまま、俯いて黙ってしまった彼女を、かしらは真ん丸の目でじっと見詰めた。
「ここに来たのは、本意じゃねえって顔だな」
「まあ、そうなんだけど……」
「何があったんだ? オレでよければ、聞いてやるぜ」
 かしらはマリベルを心配していた。義理堅い性格故、以前アルス達に世話になった誼から、彼らの相談には出来るだけ乗ろうとしているのだった。マリベルは何と言うべきか迷って、赤毛を指に巻き付けた。
「ええと、なんて言ったらいいのかしらね……」
 親切なかしらの言葉に甘え、彼女は訥々と、誘拐計画の全貌を明らかにした。全貌と言っても単純である。山賊が彼女を拐かし、挑戦状を送り付ければ、心ある勇者がきっと助けに来てくれる、と言うだけのものだった。実際に口に出すのは恥ずかしかったから、マリベルは一部を濁して伝えたが、察しの良いかしらは一を聞いて十を理解した。
「誘拐なあ……」
 と、渋い顔で腕を組んだ。
「他ならぬあんたの頼みだ。協力してやりてえところだが、そうもいかねえんだな」
 石版を強者に託し、自らの役目を果たしたと思っているかしらは、以前の慎重さを取り戻していた。山賊は一見、傍若無人な無法者の集団のように思えるが、その実、ダーマの親衛隊に目を付けられぬよう、計算ずくで悪事を行っている。生活に必要不可欠な、例えばゴールドや食材を盗むと言った小悪は許されているが、それ以上の無体を働いてはならない。山賊のかしらは部下にそう厳命しているのだった。特に、最近は石版の件で少々やりすぎてしまったから、尚更謹慎せねばならないらしい。
「あんたは、いいとこのおじょうさんなんだろ? そんな人を誘拐しちまったら、まちがいなく、ダーマの親衛隊ににらまれちまう」
「……やっぱり、そうよね」
 と、マリベルは息をついた。
「ああ。悪いが、他当たってくんな」
 かしらはきっぱりと頷いた。マリベルとて、誰にでも高圧的で我儘なわけでは無い。山賊のかしらに、こう親切に相談に乗って貰った上で、無理に拝み倒すことは出来なかった。しかしながら、誘拐計画を諦めるわけには行かない。完璧なお嬢様たるもの、一度決心したことは何としてでもやり遂げなければならないし、彼女の性格として、こんな面白そうな計画を諦めることは出来ないのだった。マリベルはこれからどうしようかと考えたが、差し当たり適当な案は浮かんで来なかった。
「……ちょっと、外の空気を吸ってくるわ」
 洞窟内の息苦しさと、計画の頓挫による憂鬱が相俟って、段々と気が滅入って来たマリベルは、一旦気分転換を計ろうと考えた。
「帰るのか?」
「ううん、ちょっとお散歩したいだけ」
「そうか」
 マリベルが立ち上がると、山賊のかしらも腰を上げた。
「女一人でうろつかせるわけにもいかねえ。オレもついていくぜ」
 と、山賊の癖に、紳士的な申し出をするのだった。マリベルは山賊のアジトが大嫌いだが、実のところ、かしらは嫌いでは無い。このアジトの中では清潔感がある方で、見た目が可愛らしく、話の分かる人だから、割合好感を持っているくらいだった。マリベルは快諾し、二人は一緒に散歩に出掛けることになった。
 マリベルとかしらは、アジトから北上して、山道を登った。ダーマに卸される食べ物は、此処で育てている家畜から賄われており、羊飼いの通り道があちこちに連なっている。そのため、険しい山脈ながら、道は歩き易かった。山道の途中の、なだらかな斜面に広がる草原には、高原にしか咲かない綺麗な花と、料理や虫除けに使うハーブが沢山生えている。マリベルは其処で一休みしながら、お花摘みを楽しむことにした。山賊のかしらは、女の子の遊びを嫌がる風も無く、一緒になって綺麗な花を探してくれた。
「オレは思うんだがよ、あんたをさらう悪党なんか、この世にいないんじゃねえか?」
 岩間から花を引き抜きながら、かしらがそう言った。
「そうかもね」
 マリベルも素直に肯定した。彼女は魔王オルゴ・デミーラを倒した勇者の一人である。その右手にグリンガムの鞭を携えれば、手足のように操って、小山ほどの大きさの竜すら薙ぎ倒してしまう。もしも誰かに捕まって、手足を縛られてしまったとしても、たった一言、イオナズン、と呟けば、全てが吹き飛んでお終いである。万々彼女が何も出来なくなったとしても、歴々の仲間達がすぐさま駆け付け、颯爽と助け出してくれるのだった。仲間のことを思い出して、マリベルはふと、人の良さそうな、ぼんやりした顔が頭に浮かんだ。かしらも同じことを考えたようだった。
「あんたにゃ、アルスって仲間がいるじゃねえか。あいつが助けてくれるって分かってんなら、何もわざわざ、自分からさらわれることもないと思うんだがな」
「アルスなんか、ぜんぜんアテにならないわよ」
 そう言って、マリベルはかしらに背を向け、良い香りの枝を折り取った。
「……あたしがこんな所にいるっていうのに、ちっともむかえに来てくれないし」
 摘み取った花束に顔を埋めながら、かしらに聞こえぬよう、小さくぼやいた。今頃アルスは海の上にいて、迎えに来られる筈も無いのだが、文句を言わずにはいられなかった。大体アルスは、マリベルのような、美人で、お金持ちで、優しくて、何でも出来る幼馴染がいる幸運に恵まれたと言うのに、ちっともマリベルを大切にしてくれない。ちょっと綺麗な人を見付けて、その人が困っていたりすると、アルスは何でも頼みを引き受けてしまうし、最近はとみにマーディラスのグレーテ姫と仲が良いと言う。別にアルスが何処で何をしていようと、マリベルには関係無い話だが、アルスに女の人の影が見えると、何故だか不思議と腹が立つのだった。
「……まあ、あんたの事情は、だいたい分かったよ」
 マリベルが黙っていると、かしらが背中に声を掛けた。
「要は、アルスにむかえに来てほしいってことだろ?」
「べつに、アルスじゃなくてもいいのよ」
「そうかい」
 かしらは揶揄する風でも無く、恬然と答えた。マリベルの性格を分かっているので、敢えて困らせたり、むくれさせたりするような態度は取らないのだった。山賊のかしらは、見た目は黄色いちんちくりんだが、思慮深く洞察力に長け、話しぶりにも貫禄が窺えた。マリベルは賢い人が好きなので、この人は案外、話していて面白く感じるのだった。
「あんたの待ってる誰かが来るまで、ここで好きなだけ待ってればいいさ。オレ達は、あんたをムリに追いだしたりはしねえよ」
 流石エテポンゲその他を擁するだけあって、かしらは度量が広い人だった。マリベルも、その言葉に甘えたいところだが、大きな問題が横たわっている。
「あのにおいが何とかなれば、しばらくここにいさせてもらいたいんだけどねえ……」
「においなあ……なれちまえば、どうってことねえんだがな」
 と、かしらは頭を掻いた。かしらは何の匂いもしないのだが、身体はすっかりアジトの毒気にやられてしまっているらしい。
「ま、鼻が曲がんねえうちに、むかえが来るといいな」
「うん、ありがと」
 マリベルはローズマリーの枝を集めて、小さな花冠を編んだ。子供の頭にしか入らないくらいの大きさだが、かしらの頭には丁度良い。マリベルはかしらを手招きして、きょとんとしている頭の上に、ローズマリーの輪っかを被せた。小さな黄色いちんちくりんは、小ぶりな青い花が良く似合っていた。
「あら、かわいいじゃない」
「まあな」
 マリベルがくすくす笑うと、かしらもにっこりした。笑うと無邪気で、ますます可愛らしく見える。
「この愛らしさで、数々の修羅場をくぐり抜けてきたもんよ」
 かしらは得意げに言った。頭の良いかしらは、自らの小さな姿までもを武器に使うのだった。マリベルが最初に出会った時も、この愛らしさに免じて、手心加えてやった記憶がある。見た目が良いって得なのよね、と、マリベルも自らの容姿を顧みて思うのだった。
 夕飯はマリベルが作ってやることになった。食材は何があるのか尋ねてみると、先日羊を一頭盗んで来て、塩をまぶして倉庫に吊るしてあると言う。それとワインが沢山あったから、羊肉の煮込み料理を作ることにした。この穴倉に於いて、女がいるだけでも珍しいのに、それが夕食を振る舞ってくれると言うのだから、山賊共は興味津々で、殆ど全員がお勝手に集まった。むさ苦しいが、マリベルは注目を浴びると嬉しい性質だから、得意になって料理の腕を披露する。酒蔵の樽からワインを汲み、鍋に注いでいると、様子を見ていた山賊が息を呑んだ。
「ああ、もったいねえ……」
「どうせおなかに入るんだから、飲むのも食べるのもおんなじでしょ」
 そう言いながら、大量の羊肉を一口大に切り、大きな鍋に入れた。人数が多いため、やたらと沢山作らなければならないが、多く作るも少なく作るも同じことだった。こう見えて、マリベルは料理が下手では無い。良家の婦人と言うものは、メイドの仕事を監督する立場でもあるため、一通りの家政を習得せねばならないのだった。完璧なお嬢様であるマリベルにとり、それくらいは朝飯前である。馥郁たる葡萄が香る鍋の中に、玉ねぎとにんにく、ハーブを入れ、柔らかくなるまで煮込むだけだった。
「あとは、火かげんに気をつけるだけよ」
 マリベルは味見をしなかった。前に来た時、エテポンゲがこの鍋につばきを吐いているのを目撃してしまったからだ。薄暗いから良く見えないが、このアジトに於いて、食器や調理器具を綺麗に洗っているとは到底考えられず、鍋の内側には極力触らないようにしていた。そのエテポンゲと言えば、マリベルの隣に立って、挙動を具に観察していた。
「ふむふむ……葉っぱをいれると、おいしいのんね」
 エテポンゲの料理は、唯一まともに作れるシチューを除いて、どれも腐った魚のような臭いと味がするらしい。まともな筈のシチューすら、一部の人間によると、この世のものとは思えない味がすると言う。腐った魚と異界の味と、どちらがましかと言われると、口に入れた瞬間吐き出さないだけ、シチューの方がまだ食える味をしている。だからシチューしか作らないし、作らせて貰えない。その体たらくで、何故にエテポンゲを料理当番にしているかと言うと、料理を作るくらいしか能が無いからだった。
「葉っぱなら、そのへんからむしってくればいいんだしょ? 経済的なのんね」
 エテポンゲの言い草は、何か不穏な予感がしたので、マリベルは念のため忠告した。
「言っとくけど、そのへんの雑草をむしってきてもダメだからね?」
「あら〜、ちがうのん?」
 と、エテポンゲはまじくじした。
「大ちがいよ! いいにおいのする、ハーブをつんでくるの」
 果たして、エテポンゲは雑草とハーブの区別が付いていなかった。香りで確かめようにも、壊滅的に鼻が悪いらしい。さもなければ、他の連中に取って来させようと思ったが、お花摘みは女のやることだと言って、山賊共はいずれも忌避するのだった。フィッシュベルのコックでも、必要に迫られればハーブを摘みに行ったりする。美味しい料理を作るための作業に男も女も無いと思うのだが、マリベルには解せなかった。
「ウチ、みんなのために、おいしいゴハンを作ってあげますのん」
 マリベルの言った手順を復唱しながら、エテポンゲは楽しそうにした。不潔でかなり間が抜けているが、内面は正直で優しい性格である。殊勝なことを言う彼に免じて、マリベルは特別に、幾つかのレシピを紙に書いて渡してあげることにした。エテポンゲは頭が悪いが、文字はきちんと読めるらしい。いつぞやの知識の帽子の騒動で、実はエテポンゲは賢いのでは無いか、と言った山賊がいたが、果たして本当なのかも知れなかった。
 肉を煮込んでいる間、マリベルは暇潰しに山賊と話をした。例の生き埋め野郎は、隙あらば仲間までもを埋めようとするので、アジトの中でもかなり迷惑な存在になっているらしい。こいつをどうしたものかと相談されて、マリベルはふと、エンゴウで行われようとしていた砂風呂なるものを思い出した。温かいエンゴウの砂で、人の身体を首まで埋めてしまい、お風呂のようにぬくまるものだと言う。それを生き埋め野郎に紹介してやれば、好きなだけ人を埋められる職にありつけそうだったが、そう言えばエンゴウの村長は、村おこしに躍起になるのを諦めたことをも思い出した。エンゴウの民は旧に復して、炎の精霊を崇めて粛々と生きることにしたらしい。それではきっと砂風呂の計画も頓挫しただろう。生き埋め野郎をエンゴウに送って、何かが起きたら事だから、マリベルは砂風呂のことは言わないでおいた。そうして結局、何の解決も見出せなかったが、山賊の相談に乗ってやった代わりに、マリベルは彼らに愚痴を零した。
「……それで、パパもボルカノおじさまも、あたしは船からおりなさいって言うの」
 と、マリベルはぷりぷり怒りながら、鍋を木べらで掻き回した。マリベルは漁に付いて行きたくて堪らないのに、お嬢さんだから、娘っこだからと言って、漁師の皆は仲間外れにする。マリベルは、小魚の群れが何処にいるのかすぐ分かるし、まぐろやかつおなどの大きな魚が、海中で鱗を光らせる姿だって、誰よりも早く見付けられる。網を引っ張る力は十分だし、隅々まで掃除をする忍耐力もある。役に立ちこそすれ、足手纏いになる筈が無いのに、それでも漁には連れて行って貰えないのだった。山賊達は、概ね彼女の主張に同調したが、一方で、漁師の言い分にも理解を示した。
「でもよ、お嬢。もしオレにカミさんがいたら、あぶなっかしいマネはさせたくねえよ」
 山賊の一人が言った。以前エテポンゲの代わりに料理当番を受け持っていた男で、妙に所帯染みたようなところがあった。他にもちらほらと頷く者がいて、山の荒くれ者達は、考えることが漁師と似たり寄ったりらしい。マリベルは少しむっとした。
「ウチ、マリベルさんの気持ちもわかりますわん。おいてけぼりは、さみしいですのんね」
 と、エテポンゲは同情してくれた。
「そうでしょ。あたしだけ仲間はずれなんて、どう考えたっておかしいわよ」
 マリベルは口を尖らせながら、木べらで灰汁を掬った。以前出会ったアニエスと言う人は、なよやかで美しく、荒事とは無縁そうな人だったのに、海賊の総領と結婚し、船の上で暮らしていたのである。彼女が良くて、マリベルが駄目だと言うのは理屈が通らない。
 其処でマリベルは、当初の目的を思い出し、エテポンゲにこっそりと誘拐計画を打ち明けた。山賊のかしらに却下されてしまった手前、もはや此処で実行するつもりは無かったから、エテポンゲにだけ教えた。その頃には男共も飽きていて、殆どがいつもの場所に戻っていた。
「すてきねぇ〜ん……」
 と、エテポンゲはうっとりした。
「ウチ、アルスさんにお手紙書いてあげますのんね。アルスさんなら、きっとむかえに来てくれますのん」
「べつに、アルスに来てほしいわけじゃないわよ」
 と、マリベルは自分が思ったよりもはっきりと否定した。彼女が欲するのは、アニエスにとってシャークアイがそうだったように、自分を尊重してくれて、優しくて、いざと言う時必ず助けに来てくれる人だった。そんな理想の勇者に迎えに来て貰うため、わざわざこんなむさ苦しいアジトまで足労したのである。しかしながら、元来マリベルはじっとしているのが苦手な性格で、薄暗くて汚いアジトの中で待ち続けるのは、いい加減に飽きてしまっていた。この料理が終わったら帰ることにしようと、マリベルは鍋の中身を掻き混ぜた。
 火の番をエテポンゲに任せ、マリベルはかしらの部屋に遊びに行った。この部屋は比較的清潔で、ハーブの花束をそこら中に飾り付ければ、どうにか爽やかと言えなくも無い空間になった。これらのハーブは、見た目を楽しむだけで無く、乾燥させて保存すれば、様々な料理に利用出来る。お花摘みを嫌がる山賊のために、マリベルは出来る限り沢山摘んで来てやったのだった。
「おかしら〜!!」
 かしらと話をしていると、唐突に、武闘家くずれの山賊が入って来た。何かを手の中に握っており、かしらの目の前まで走って来ると、手を広げて彼に見せた。マリベルがあっと声を上げた。
「これ、食ってみてくだせえ」
 握っていたのは羊の肉だった。
「それ、まだ煮こんでないのに!」
 マリベルが非難したが、取り合われなかった。山賊の握り潰した羊肉を、かしらは平気な顔で摘まみ取り、口に放り込んだ。もちもちと咀嚼し、ごくりと嚥下する。
「……おお、うめえな」
 感心したらしく、かしらは目を丸くした。
「でしょ! オレ、こんなうめえもん初めて食いましたよ!」
 一体普段どんなものを食べているのか、山賊は感動すること頻りであった。一時エテポンゲの代理を務めていた料理当番も、やる気は十分だが、味の方は芳しく無かったらしい。誰が作っても同じならばと、結局、仕事の無いエテポンゲが料理に戻されたのだった。彼を見張りに立たせると、猫も杓子も平気で通してしまうため、あっと言う間に門番を首になったらしい。武闘家くずれは、かしらに羊を味見させると、倉皇として台所に戻って行った。急がなければ他の連中に食べ尽くされてしまうのだった。またしても扉が開けっ放しになったので、マリベルは扉をぴたりと閉じ、外の汚染された空気を追い出した。
「あの調子じゃ、夕飯の前にみーんな食われちまうな」
 かしらはのんびりと言った。
「それじゃ、おかしらさんの分が残らないんじゃないの?」
「心配いらねえよ。オレのメシを取っちまうようなバカはいねえ」
 マリベルは心配したが、かしらは平然としていた。彼のおしおきは強烈らしい。マリベルは火の番に戻ろうかと思ったが、山賊の手垢がこれでもかと付いた鍋を触るのは嫌だったし、連中が固まっている空間は、悪臭と汚染が何倍にも凝縮されていそうで、考えるだけでも身震いし、近寄るだけで気絶してしまいそうな気がした。先程集まっていた時平気だったのは、料理に集中していたお陰だが、考えてみれば奇跡のようなものである。だから、鍋の中身は食われるままにして、諦めることにした。
 穴倉の中は時間が全く分からないが、どうやら夕暮れが近付きつつあるようだった。マリベルは摘んで来たハーブでリースを作り、かしらの部屋を飾り立てながら、部屋の主とお喋りをして過ごした。前にぼやいていた通り、かしらは有能な部下が欲しかったらしく、ゴールドや食料の調達とやりくり、暑さ寒さの対応策、先だって注意された清潔さの欠落など、様々な問題をマリベルに相談した。マリベルは常識的な範囲で答えたが、いかんせん実行するのがあの山賊達だから、とても解決出来そうには思えなかった。必要なのは有能な部下そのものである。今度、知識の帽子を貸してあげようかなと、マリベルはかしらに同情した。
 お喋りに興じていると、部屋の扉が開いて、兵士の格好をした山賊が顔を出した。口の周りに鍋の煮汁が付いたようで、やたらと顔が汚れていた。
「お嬢、あんたのツレが来たみたいだぜ」
 と、汚い親指で扉の向こうを指した。用が済むなり、兵士はすぐに引っ込んだ。
「よかったな、むかえが来たぜ」
 かしらはマリベルにそう言った。マリベルは澄まして頷いたが、誰が来たかは大体当てがついており、内心浮き足立っていた。ところが、暫く待ってもなかなか来ない。あんまり来ないので、マリベルは開けっ放しの扉を閉め、外の腐った空気を遮断して、再びかしらと他愛もない話を始めた。そして長らく待っていると、やっとのこと、扉が弱々しく、静かに開かれた。
「こんにちは〜……」
 アルスは如何にも頼りなさそうに入って来た。随分と日に焼けたが、相変わらずひ弱そうな雰囲気を醸し出している。敷物に座って、山賊のかしらと話していたマリベルは、そちらに顔を向けた。
「あら、アルス。おそかったじゃない」
「マリベル……」
 目が合うと、アルスは脱力したように肩を落とした。ほら穴に咲く一輪の花のように、マリベルは取り澄まして見返した。
「あんまりおそいから、フィッシュベルに帰ろうと思ってたところよ」
 心の中では、迎えに来てくれてかなり嬉しかったのだが、マリベルは只そう言った。アルスは何か言おうとして口を開いたが、やめて、マリベルの隣に腰を下ろした。こんなにもくたびれたアルスを見るのは、かつて無いことだった。
「マリベルがお世話になりました」
 と、アルスは山賊のかしらに頭を下げた。
「なんの。こっちこそ、メシまでごちそうになっちまったよ」
 二人の話はそれで終わった。アルスは何も尋ねるつもりが無いらしく、大きく息をついて、すぐに立ち上がった。
「マリベル、帰ろう」
 そう言いながら、マリベルをちらと見て、アルスは出口の方へ向かった。そして扉を開けて待っているので、マリベルも慌てて立ち上がり、かしらに頭を下げた。
「おかしらさん、どうもありがとう。いいヒマつぶしになったわ」
「おう。気がむいたら、また来いよ」
「ええ、気がむいたらね」
 かしらとにっこり笑い合い、マリベルは彼の部屋を後にした。山賊共は羊肉に夢中で、台所に集まっていたが、マリベルが歩いて来るのを見ると、皆で手を振った。
「お嬢、また来いよ!」
「あんたたちが、毎日おフロに入ってくれるんならね」
 思わず鼻を覆いそうになったが、どうにか堪えて、マリベルは上品に微笑み、軽やかな足取りでアジトを出て行った。まだ煮込みが足りないのだが、あの分では忽ち空になってしまうだろう。完璧なものを提供したいマリベルにとり、少し不満だが、あれだけ喜んでくれたお陰で、自尊心は十分満たされた。
 外は夕暮れで、暮れなずむ夕日が木立の陰に見え隠れしていた。其処まで黙って歩いて来たアルスは、漸くマリベルの方を向いた。来た、と思って、マリベルは剣突を食う心構えをした。
「マリベル、出かける時は行き先を言ってよ。みんな心配してたよ」
 と、アルスは優しい忠告をした。てっきり怒られるものだと思っていたマリベルは、拍子抜けして、ぽかんとした表情でアルスを見詰めた。アルスは既に帰り支度を始めていた。ルーラで帰るのかと思いきや、魔法のじゅうたんを取り出し、軽く振るって空中に広げた。すると、じゅうたんがふわりと風を孕み、人が乗り易いような、膝くらいの高さに浮き上がった。この上に座ると、踏み固めた雪の上に乗ったような、しっかりとした力を感じるのだった。アルスとマリベルは慣れた風で、じゅうたんの上に陣取った。しかしてアルスが北を指差すと、じゅうたんは高く浮き上がり、滑るように走り出した。アルスの服は泥だらけで、生き埋め大好きな山賊の一人に、首まで地面に埋められてしまったようだった。汚いが、他に掴まるようなものも無かったから、マリベルはアルスにしがみついた。アルスは何とも言わないし、振り返りもしない。いつに無い反応に、マリベルは内心はらはらした。
「……ねえ、もしかして、怒ってる?」
 と、マリベルは相手の顔色を窺った。
「怒ってないよ」
 アルスは端的に答えた。それが自分でも素っ気無く思ったのか、マリベルの方を顧みて、穏やかに言葉を続けた。
「ちょっとつかれて、気が抜けちゃったんだ」
「……そうなの?」
 マリベルは安心して、ちょっと媚びるような声を出した。アルスは確かに疲れているのだ。漁から帰ってすぐ、マリベルを探してそちこちを歩き回ったのかも知れない。自分だったら間違い無く怒っているだろうと、マリベルはアルスの気持ちを思いやった。
「……ねえ、ほんとに、怒ってない?」
「怒ってないよ?」
 アルスは不思議そうに言った。恐らく二人にとって、人生で初めて、マリベルがアルスのご機嫌を窺う形になったが、アルスは優位を笠に着なかった。人の良さそうな顔で、いつもの通り彼女に接している。自分は下手に出ているのに、アルスは決して上位に立たず、それが何だか物足りないような、マリベルは不思議な感覚に囚われた。
「……たまには、怒ってもいいわよ。あたしは、いつもあんたを怒ってるんだし」
 言い訳するように、マリベルは口を尖らせた。
「マリベル、もしかして、怒ってほしかったの?」
 アルスはふと気が付いて言った。蓋しく、マリベルはアルスが怒るところを見てみたいのだった。それも、魔物の狼藉に対する義憤では無く、マリベルの過ぎた我儘に対してである。およそ人間に対して怒ったことの無いアルスが、マリベルには怒るのか、少し試してみたいのだった。言葉にすればそう言うことになるのだが、抱いている気持ちとは違うような気がして、マリベルは何とも答えず、しがみついた腕に力を込めた。アルスの身体は、泥と潮の入り混じった変な匂いがしたが、それが嫌だとは思わなかった。
「今日はどこまで行ってきたの?」
 と、マリベルは話頭を転じた。
「南の、移民の町が見えるところ」
 アルスはアルスバーグを移民の町と呼ぶ。自分で選んだ名前なのだが、自分の名前が付いているから、呼ぶのが照れくさいらしい。フィッシュベルと移民の町は、かなり距離が接していて、行って帰るまで半日も掛からない。近海で漁をしていたから、帰ってマリベルを探す余裕があったのだった。
「そう……」
 相槌を打ちながら、マリベルはアルスの背中をじっと見詰めた。こうして見る分には、泥だらけで汚い、平凡な十七歳の背中だった。この背中に漁師が務まるならば、マリベルにだって簡単に出来るような気がした。じゅうたんは毒の沼地を避け、平原を西に迂回して、岸壁から海上に出た。心地良い潮風が二人の間をすり抜ける。沈み掛けた真っ赤な夕日が海に映り、細波に砕けてきらきらと輝いている。眩い照り返しに、マリベルは目を細めた。
「あんた、まっくろになったわね」
「うん。皮むけちゃって、ちょっとかゆいんだ」
 マリベルがどうとでも取れることを言うと、アルスは日焼けを指したのだと受け取り、褐色に焼けた鼻を掻いた。それが何だか誇らしげで、マリベルは羨ましくてならなかった。
「いいわよねえ……あたし、毎日だって船に乗りたいわ」
「マリベルも日に焼けたいの?」
 アルスは変なことを聞いた。
「べつに、焼けたいわけじゃないけど……」
 そう言いながら、マリベルは相手が口を開き掛けたのに気付いた。しかしアルスは、そのまま口を閉じ、前を向いた。マリベルが怪訝な目で見ていると、アルスは彼女の方を見ようとして、やはりやめた。
「なに? 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
 アルスは消極的に見えるが、意外にものをはっきり言う性格である。と言うよりは、考え無しに物事を口にする。それが口を重くするのは、言っても無駄だと分かりきっているか、彼なりに言い難い内容だと思っている時だった。隠しても、態度があからさまなので、知りたがりのマリベルに忽ち詮索され、結局容易に口を割ってしまう。今度もいつもの通り、マリベルに再三尋ねられると、アルスは徐に口を開いた。
「……漁師のみんなは、自分の奥さんには、きれいなかっこうをして、おいしいごはんを作って待っててほしいんだって」
 マリベルに言ったら怒られそうだからと、アルスはまた余計なことを口走ったが、マリベルは怒らなかった。アルスの顔は、ぽーっとして如何にも平凡そうに見えるが、身体の方は筋骨隆々である。ガボも、あんな土饅頭のような顔をしていながら、体つきは非常に発達している。二人とも、顔と身体がちぐはぐなので、服を脱ぐと何とも変てこに見えた。翻ってマリベルは、今のところ少女らしい、たおやかな肢体を保っているが、以前母親に心配されたように、徐々に逞しくなりつつある。これが漁師と同じ生活をして、暴風と荒波に揉まれ続けたら、彼女の誇る美しい容色ではいられないかも知れなかった。アルスはそれを心配しているらしい。確かに筋肉が付き過ぎるのは嫌だが、あれほどの過酷な旅路を経て尚、マリベルは華奢な身体を保っており、同じ女性であるアイラも、相変わらず羨ましいほどの美貌を持ち続けている。アルス達とは性別が違うから、そもそも筋肉まみれにはならないのかも知れなかった。マリベルはあれこれと考えた挙句、アルスに尋ねた。
「アルスも、自分のおよめさんには、家にいてほしいの?」
「僕は……ムリにそうしてほしいとは、思わないけど」
「ふーん。そっ」
 アルスらしい、弱々しくも聞こえる意見は、マリベルにとって耳触りが良かった。土台、彼がマリベルに何かを強要する筈が無いのである。好きにして良いのだと言われ、気が楽になったマリベルは、アルスに分からないように、ふふんと笑った。海上を吹き抜ける向かい風は、前にいるアルスにぶつかって散るため、マリベルのところには敢え無きそよ風として届く。空の縁に浮かぶ大きな雲は、悠然と動いており、じゅうたんが幾つも追い抜いて行った。
「ところで、あたしのいる場所がよくわかったわね」
 マリベルが尋ねると、アルスは少し笑った。
「マリベルの、一番いそうにない場所を探したんだ」
 彼にしては勘が働いたようで、マリベルの居所を一発で突き止め、見事に見付け果せたのだった。だから、あちこちを忙しなく探し回ったのでは無いらしい。マリベルはそれを聞いて少し安心した。複雑な乙女心であるが、彼女はアルスに迷惑を掛けてみたり、怒らせてみたいと思ってはいたが、疲れたり困らせたりしたいわけでは無いのだった。マリベルはしがみついていた腕を緩め、アルスの背中に額を押し当てた。
「アルス。むかえに来てくれて、ありがと」
「どういたしまして」
「今度からは、あんたが漁に出てない時にいなくなるわ」
「できれば、いなくならないでほしいんだけど……」
 アルスは苦笑いで頼んで来たが、どうするかはマリベルの胸三寸である。今日はなかなか面白い遊びが出来て、今までに無いような体験も出来た。美しい令嬢を颯爽と助けてくれるような、格好良い勇者は現れなかったが、代わりにアルスが来てくれたので、マリベルはそれで良しとした。アルスは何を考えているのか良く分からない人間だが、つまるところ、マリベルのことが大切で、自ら迎えに行かなければ気が済まないのだ。それが分かって嬉しかったが、そんな気持ちをアルスに伝えるのは、何だか負けたような気がするし、何より今更言うまでもないことなので、マリベルは黙っていようと決めた。マリベルが意地を張っていて、本心を口にしないことさえ、どうせアルスは全部分かっている。
「あ、フィッシュベル」
 と、アルスが北東を指差した。赤い水平線の向こうに、フィッシュベルの小さな街が立ち並び、夕映えに照らされて金色に輝いていた。じゅうたんは軽く弾みを付けて、流れるように海を渡って行った。

2016.9.24