鬼の居ぬ間に倉庫番

 アンジェラとリースが倉庫の掃除をしている。この倉庫は、魔法の力によって空間を繋げ、いつでも何処でも所持品を仕舞ったり取り出したりする事が出来る。便利だが、適当に手を突っ込んだり投げ入れたりする事も多く、中は装備品や道具などでごった返していた。忙しない旅路も与って、長い事そのまま放っておかれたのだが、この間ついにデュランが手を切ってしまったため、ついに二人は内部の片付けに乗り出したのだった。
 毎日のように使っている場所だが、実の所、誰も倉庫の所在地を知らなかった。これを紹介してくれたフェアリーも、聖域の何処かに建っていると言うだけで、詳しい場所は分かっていないらしい。其処で、二人が掃除をしている間、他の仲間は周囲を探索してみる事にしたのだった。
 石造りの倉庫は、鬱蒼とした森林に囲繞され、外観こそ苔むしてひねこびた印象だが、中は綺麗で、恰も建てられたばかりのようだった。しかし、それも以前までの話で、現状は埃を被った惨憺たる有様だった。アンジェラとリースは狭い庫内を歩き回り、まずは荷物を種類ごとに集める事にした。
「もう、やんなっちゃう! デュランの剣が多すぎるのよ」
 山積みのプイプイ草を集めていると、下から剣の柄が顔を覗かせ、アンジェラが驚いて手を引っ込めた。重くてとても持てないから、引き摺って倉庫の真ん中まで持ち出して来る。殆どが大き過ぎて鞘にすら収められない代物なので、普段持ち主がしているように、刀身を布でぐるぐる巻きにして保護し、倒さないよう床へ寝かせて仕舞った。なし崩しに一振りずつ巻いて行くが、今までに買った剣が一つ残らず揃っているため、幾らやっても終わらないような気さえして来る。五本片付けた所で、アンジェラが足を投げ出し、凝った体を伸ばした。
「こうなったら、全部まとめて売っちゃおうかしら」
「それがいいかもね。デュランさんに聞いてみましょ」
 リースが答えると、アンジェラは大きく溜息をついた。
「そしたら、また大騒ぎになるんだろうなぁ……」
 噂をしていたら、件の傭兵が姿を見せた。二人が抱えたものを見るなり、大股で踏み込んで来る。
「あっ、オレの剣捨てないでくれよ!」
「捨てないわよ。売るんですもの」
 アンジェラが腰に手をやった。
「売らないって約束したじゃねえかよぉ!」
 デュランが情け無い声を出した。二人のそばへ屈み、大事な武器を隠すように奥へと押しやった。しかしアンジェラは全く無視して、全部で何本あるかを数えている。デュランはリースに矛先を変えた。
「リース、あいつを止めてくれ!」
 リースは布巻きを続けており、今使われているヴァーラルソードを隅によけて置いた。
「でも、デュランさん、もう使ってないんですよね? 必要ないなら、かたづけちゃった方がいいと思いますよ」
「あれ、オヤジの形見なんだよ」
 と、ブロンズソードを指差した。彼の武器にしては小振りなため、きちんと鞘に収められており、一目見ただけでも大切にしていると分かる。それにはリースも首を振った。
「だいじょうぶ、あの剣は売りませんよ」
「それと、こいつはローラントの時に使ったやつ」
 続いて、アンジェラからブロードソードを奪い取った。こちらも鞘に入っていた。
「ええ、この剣も、お世話になったものですね」
 彼女にとって、ローラント城奪還はどうやっても忘れられない人生の節目である。それを引き合いに出されると弱かった。デュランはそうだろうと頷き、今度はスティールソードを指差した。
「そんで、あっちはブッカで買ったやつ。火山島は噴火しちまったし、もう二度と手に入んねえかも知れないだろ」
 そうした伝で、デュランは四方八方から言い訳を持ち出し、最終的に、全部大事だから一つたりとも手放せないのだと主張した。その上、剣を集めるくらいしか趣味が無いのだと言われては、流石のアンジェラも気の毒に思ってしまった。困った時の癖で、髪の毛を指に巻き付ける。
「……でもね、デュラン。私達、お金がないのよ。武器を売らなきゃなんにも買えないの。分かるでしょ?」
「なら、オレががんばって稼ぐよ!」
 デュランがしつこく食い下がった。穴が開くほど見詰められ、困惑した風で、アンジェラは隣の友達の顔を見やったが、リースは彼女の判断に一任するつもりらしく、ちょっと苦笑しただけだった。仕方無く、アンジェラは傭兵に向き直る。
「……ほんとに、がんばってくれるならね」
「やるったらやる! やるから、だから売るのはかんべんしてくれ!」
 と、畏まって床に手を付いた。ますます閉口してしまい、アンジェラは暫くの事、彼とリースの顔を見比べていたが、やがてデュランの真っ直ぐな目に根負けし、肩を竦めた。
「しょうがないわね……」
「やりっ!」
 デュランが拳を突き上げた。最前の平身低頭は何処へやら、威勢良く立ち上がってアンジェラを指差す。
「いいか、約束したからな! 勝手に売ったら承知しねえぞ!」
 重々念を押し、傭兵は喜び勇んで外へ飛び出して行った。嵐が過ぎ去ったようだった。再び散らかってしまった武器を、残された二人が拾い集めた。不機嫌ながら、アンジェラは刀身に指紋を付けてしまわぬよう、丁寧に扱った。
「まったく、お金の大切さを分かってないんだから!」
「しょうがないわ。私達だって、むだづかいをしてないわけじゃないし……」
 そう言って、リースが棚から小さな箱を取り出して来た。中には化粧の瓶が入っている。一つ手に取り、軽く振って見せると、底の方で液面がぱしゃりと揺らめいた。
「なくなりそうだけど、しばらくはガマンするしかありませんね」
「まあ、お化粧はしなくても困らないからね」
 と、アンジェラは指先で口元をなぞった。彼女は元々唇が赤いので、口紅を引かずとも十分華やかな容色をしている。リースも可愛らしい、着飾るよりは自然にしている方が似合う顔立ちだから、二人ともさして化粧の必要が無かった。差し詰め買い足しは保留とし、化粧の箱を元のように仕舞っておいた。続いては、回復用の食べ物や聖杯を片付けに掛かった。底を突いてしまわぬよう、こまめに買い足しているのだが、それが故にあちこちの袋に入って散乱しており、全て集めるのも一苦労だった。
「リースって、礼儀作法のおべんきょうは好きだった?」
 まんまるドロップを樽に詰め込みながら、アンジェラが尋ねた。同じく天使の聖杯を樽に詰め込みながら、リースが答える。
「実は、あんまり好きじゃなかったの」
「やっぱり?」
 アンジェラがにやりと笑った。
「私はだーいっきらいでさあ。脱走のおべんきょうの時間だったよ」
「私も、昔はよく逃げだしてたわ」
 入りきらなかった聖杯を取り出し、詰める順番を変えながら、リースが苦笑した。今でこそ大人しい彼女であるが、子供の頃はお転婆で、勉強よりも棒術で遊ぶ方がずっと好きだったのだ。懐かしい思い出に、リースは笑って肩を竦めた。
「……でも、行くのがいつも同じ山の上だから、すぐ見つかっちゃったの」
「脱走学も奥が深いのよねえ」
 アンジェラが仔細ありげに頷いた。そんな話をしながら、今度は倉庫の奥を漁っていると、鎧の間から、白くて細長い、びろびろした物体が出て来た。リースが手に巻き取り、不思議そうに見下ろした。
「包帯かしら?」
「ケヴィンが足に巻いてる包帯かな? それとも、ホークアイの髪の毛のやつ?」
 アンジェラも肩越しに覗き込み、首を傾げた。考えてみれば、両方とも同じような布を巻いているのだった。ケヴィンは綺麗好きの一面があり、身に付けるものはいつも丁寧に洗っている。だから足に巻いている割に、ホークアイの髪留めと遜色無いくらいに真っ白だった。二人は頭を悩ませた挙句、包帯にしては生地の幅が狭いような気がするから、これはホークアイの髪留めだと言う事に結論付け、畳んでバンダナと一緒にしておいた。服はその辺に置いておくわけにも行かないので、一人ずつ箱に分けて仕舞っておいてあるのだが、入れ物が同じであるなため、蓋を開けて見ないと分からないと言う難点があった。
「アンジェラ、リース」
 ケヴィンがひょっこり顔を出した。珍しく帽子を被っていず、手に持っている。折しも二人はグラブを片付けている最中で、アンジェラが顧みて彼に聞いた。
「ケヴィン、あんたの武器も売っちゃうけど、いい?」
「うん、いいよ」
 ケヴィンはあっさり頷いた。
「ケヴィンは素直でいいわよねえ……」
 苦笑いを浮かべながら、彼女はケヴィンを手招きして呼んだ。
「じゃあ、こっちに来て。いるものといらないもの、分けてちょうだい」
「全部いらないよ。今使ってるやつがあればいい」
 と、ダイヤナックルを拾って言うのだった。極め付きには、お金が無いんだったら素手でも構わないとすら提言するのである。アンジェラはつくづく感心して、ケヴィンの顔をじっと見詰めたが、不意に身を強張らせた。不思議に思ったリースも、視線を追って、固まってしまった。
「……それ、何?」
 アンジェラが恐る恐る指差した。ケヴィンの手元には、卵くらいの大きさの真紅の塊が握られていた。丸い表皮の一面に、長い棘が生えており、大きな引っ付き虫のようにも見えた。
「そこの木からとったんだ。いっしょに食べよう!」
 ケヴィンは嬉しそうに笑って、帽子から謎の塊を更に取り出し、二人に向かって差し出した。一方、娘達は引きつった顔で後ずさった。思わぬ反応に、ケヴィンが首を傾げた。
「二人とも、これ、きらいか?」
「きらいと言うか……」
 と、リースが隣を見た。アンジェラは彼女より嫌そうな顔で、今にも後ずさらんばかりだった。
「おっきな毛虫にしか見えないんだけど……。それって、食べものなの?」
「うん。木になってたから、木の実だよ」
「木にくっついてた毛虫じゃないでしょうね……」
 話しながら、ケヴィンは謎の木の実を宙に放って遊んでいた。棘は柔らかいらしく、掌に落ちるたび軽くしなって形を変える。そのさまが虫の蠢くように見え、二人は怖気を振るった。暫くそうしていたケヴィンだが、相手に食べるつもりが無いのが分かると、心持ち肩を落とした。
「二人とも、食べないのか……。じゃあオイラ、みんな食べちまうよ」
「ケヴィン、それは食べちゃだめよ。毒が入ってるかも知れないわ」
 彼が木の実を口に近付けた拍子、慌ててリースが引き止めた。ケヴィンはまじくじして、実と彼女の顔を交互に見る。
「毒?」
「だって、見るからにヤバそうだもん。あぶないから、あんたもやめときなさい」
 アンジェラが重ねて忠告すると、いよいよケヴィンは心配になったらしい。
「……そうか、分かった。ザンネン……」
 素直に木の実を帽子に入れ、ズボンで手を拭いた。そしてしょんぼりしながら、外へ捨てに行った。気が差したものの、仲間と自分の安全には替えられない。悄然とした背中を、二人は黙って見送った。
 再び戻って来たケヴィンは、隅の方に座って片付けの様子を眺めていた。手伝いたいようだが、特に手もいらないので断られたのである。暇潰しに、体に付いたごみや葉っぱを落とし、帽子と襟巻きの房を撫で付け、足の裏を見て言った。
「……足、よごれてる」
 自分の事かと思い、アンジェラとリースが足元を見下ろしたが、いつもと別段変わり無く、ケヴィンを顧みて漸く気付いた。薄暗いため遠目では良く分からないが、彼は裸足なので、ブーツよりも汚れが目立つのだった。
「ところで、ケヴィンははだしで痛くないの?」
 アンジェラが尋ねた。ケヴィンは平気な顔で、足の裏に付いた小石を摘み取っている。普通の人間ならば石が食い込んで痛そうな所だが、彼の丈夫な皮膚は少し凹んだだけだった。
「獣人、みんなはだしだよ」
「じょうぶよねえ。私だったら、痛くて一歩も歩けないわ」
「でも、土ふまずは痛いよ。だから、ホータイ巻いてるんだ」
 そう言って、ケヴィンは足の包帯を脱ぎ始めた。軽く巻き取って手に持つと、立ち上がる。
「オイラ、洗濯する。洗うものあったら、かして」
「じゃあ、手袋をおねがいしようかしら」
 と、リースが手袋を脱いだ。
「あ、私も」
 アンジェラも手袋を外し、ケヴィンに預けた。そうして獣人の少年は、洗濯物を手に持ち、機嫌良さそうに倉庫を出て行った。
 ケヴィンが去った後、二人は本の片付けに取り掛かった。全員が異なる魔法を使うため、魔導書だけでも結構な量になる。全てを棚から出して平積みにし、題名を確認している内、アンジェラが思い切ったように声を上げた。
「よし、私の本は全部売っちゃおっと!」
「だいじょうぶ? 後で困るんじゃない?」
 リースが心配して尋ねたが、彼女は平気な顔で首を振った。
「ぜんぜん。だって、中身は全部おぼえちゃったんだもの」
「すごいわね……」
 感心するリースに、アンジェラはからからと笑った。
「私、意外とやればできるみたい」
 歌うように言いながら、自分の魔導書だけを床に置いたままにし、他を棚に並べ始めた。木製の棚は古めかしいが、埃を払えば傷は無く、作りもしっかりしている。シャルロットの使う本は、手に取りやすいよう低い位置に置き、他は分類別に分けて並べた。シャルロットは未だに本が読めないものの、アンジェラに読み聞かせて貰っているお陰で、魔導書を開くと何と無く内容を思い出すらしかった。やはりと言うべきか、アンジェラの本が殆どを占めていたため、それらを処分すると本棚にかなりの余裕が生まれた。
「アンジェラしゃん、リースしゃーん」
 シャルロットが倉庫を覗き込んみ、弾むように中へ入って来た。彼女も帽子を被っていない。戸口にはデュランも立っていた。
「きゅーけいして、おやつにしまちょ」
 そう言って差し出したのは、先程の謎の木の実だった。何度見ても魔物の卵のようにしか見えず、二人は思わずたじろいだ。
「……シャルロット。それ、食べちゃダメだからね」
 アンジェラが先のように注意すると、シャルロットは唇を尖らせた。
「えー、なんで?」
「よくわからないものは、あぶないから口に入れちゃダメよ」
 リースも口を添えた。
「よくわかんねえけど、けっこういけるぜ」
 と、デュランが木の実をかじったが、皮は不味いらしく、外に向かって吐き出した。そうして皮を剥きながら食べている。平然と毛虫のような物体を貪る様に、娘達がますます剣呑な顔をした。シャルロットは掌で木の実を転がしながら、羨ましそうにデュランを見上げていた。
「シャルロット、おなかすいちゃった……。いらないんなら、シャルロットがたべちゃいまちよ」
「ちょっと待ってろ。今、むいてやるからよ」
 デュランはさっさと実を食べ終え、シャルロットから木の実を受け取り、もう一方の手で短刀を抜いた。刃が傷むと言う理由で、彼は剣をこうした場面では用いず、代わりにナイフを携帯している。手慣れた所作で、木の実に刃を当てようとした矢先、アンジェラが鋭く叱責した。
「ちょっとデュラン! シャルロットにへんなもの食べさせないで!」
 注意されるも、デュランは意に介さなかった。
「だいじょうぶだって。オレ、三つも食ったけど、なんともないぜ。ホークアイもいっぱい食ってるし」
「あんた達は平気でも、シャルロットのおなかは平気じゃないの」
 ケヴィンは言い付けをきちんと守り、勧められても食べずにいるようだが、他の二人はお代わりまでしていたのだった。シャルロットは娘達と一緒に食べるため、今まで楽しみに取っておいたそうだが、もはや時間の問題である。心配するアンジェラに対し、シャルロットは呆れたように肩を竦めた。
「アンジェラしゃんはしんぱいしょーでちねえ。こうみえても、シャルロットはじょうぶにできてまちよ」
 アンジェラが何か言い返す前に、デュランが皮を剥き終え、シャルロットに謎の木の実を手渡した。外見に反し、中身は真っ白で瑞々しい。受け取った途端、アンジェラ達が止める間も無く、シャルロットは木の実にかぶりついた。
「おいしいでち〜」
 と、とろけるような笑みを浮かべる。喜色満面の様子を見、デュランも得意そうだった。
「ほらな。オレの経験からすると、うまいもんに毒はねえんだ」
「おなかこわしても知らないからね!」
 アンジェラはそっぽを向き、それきりデュランを無視する事にした。彼女が黙々と片付けに勤しむ傍ら、リースは心配そうにシャルロットを見ていたが、ふと気が付いて言った。
「シャルロット、帽子はどうしたの?」
「あっちで、ケヴィンしゃんがあらってくれてまち」
 シャルロットが壁を指差した。普段全く外そうとせず、滅多に洗わせてもくれない彼女だが、ケヴィンの洗濯の腕は信用しているらしい。そして、折角洗濯をしてくれると言うのだから、ついでに他の洋服も洗って貰うつもりのようだった。シャルロットは木の実を完食し、果汁でべたついた手を舐めながら、倉庫の奥へ歩いて行った。
「というわけで、シャルロットはきがえをとりにきたんでち」
「そんじゃ、オレも洗ってもらうとするか」
 洋服を引っ張り出し始めたシャルロットの隣で、デュランも一緒になって倉庫を漁り出した。真っ先に剣の無事を確かめ、箱を探し出していつもの青い服を取り出す。箱に顔を突っ込んでいたシャルロットが、彼を横目で見た。
「あんたしゃん、シャルロットがきがえてるあいだ、あっちむいてて」
「分かってるよ」
 デュランは自分の服を肩に掛け、倉庫を出て外で着替え始めた。その姿が見えなくなったのを確認し、シャルロットも着替えに取り掛かった。彼女の衣装は複雑で、まず肩に掛かっている貫頭衣を脱ぎ、背中のボタンを全部外してから、袖と足を抜いて漸く脱ぐ事が出来る。当然、シャルロット一人で出来よう筈も無く、いつもアンジェラとリースが手を貸していた。ボタンを外していると、外からデュランとフェアリーの話す声が聞こえて来た。
「……聖域のマナの力も、すごく弱くなってしまったわ。早く神獣を倒さなくちゃ」
「それにしたって、ぶっつづけで戦うのはきつかったぜ……」
 デュランが珍しく愚痴を零した。今此処でのんびりしているのは、神獣との戦いの合間に、体の疲れを癒すためでもあった。宿屋で寝るほどの暇は取れないのである。
「もう少しだけがんばって。マナの女神様を救えるのは、デュラン達だけなんだから」
「分かってるよ。おまえも、そろそろ体が限界だろ」
 マナの力によって生きるフェアリーは、今のこの世界に於いては酷く儚い生き物だった。デュランも兼ねてから心配しており、口調を和らげると、フェアリーは殊更明るく返した。
「私の事は気にしないで。マナの樹を守る事が、私達の役目なんだから」
 デュランは何とも答えなかった。庫内のアンジェラとリースは、息を詰めて会話を横聞きしていた。次に何を話すのかと思っていれば、デュランは全然関係無い事を言った。
「げげ、外れねえ……」
「手伝おうか?」
「ああ。このベルトのとこ、外せるか?」
「うん、やってみるね」
 また暫く無言になった。胸当てを外そうと奮闘したフェアリーだが、駄目だったらしく、悄然とした声が返った。
「うーん……ごめんね、力が足りないみたい」
「前は外せたのにな。やっぱり、弱っちまってるんだな……」
 デュランも気を落として言った。そのまま、フェアリーは姿を消してしまったようだった。盗み聞きしていたアンジェラとリースは、悲しい気持ちになり、シャルロットの着替えに戻った。シャルロットはくすぐったがって、きゃいきゃいとはしゃぎながら身を捩っていた。そうこうして無事脱ぎ終わり、今度は新しい服を着せていると、シャルロットが外を覗こうとして身を乗り出した。
「デュランしゃん、むこうむいてまちかー?」
「見てねえよ。いいから、早く着がえちまいな」
 面倒くさそうな声が返った。それでもシャルロットは外が気になるらしく、つい戸外へ出てしまおうとして、二人に連れ戻された。かかるほどに着替えも完了し、デュランとシャルロットはそれぞれの脱いだものを抱え、仲良く探険に再出発した。
 区別を付けるために、服の入っている木箱は、蓋に各々の名前の頭文字を刻む事にした。ホークアイの古いナイフを借り、分担して文字を彫っていると、似たような入れ物がもう一つある事に気が付いた。棚の一番下の段の、目立たぬ位置にひっそりと置いてあった。アンジェラが棚から出して持ち上げたら、妙に重く、内部でがしゃがしゃ言う硬質な音が立った。彼女は怪訝な顔で、慎重に箱を床へと置いた。
「何だろ? なんか、あやしい……」
「でも、ここにあるって事は、私達の荷物なんだと思うわ」
 アンジェラは躊躇したが、調べない事には片付かないからと、リースが思い切って蓋を開けた。中には、布に包まれたナイフやダガーが入っていた。アンジェラが一つ手に取り、布を外して、明るい方に翳して見る。鼈甲のような色をした鞘に、葡萄と蔦を象った金の装飾が施されており、素人目にも見事な逸品だと分かった。彼女はそれと対になる、二振り目のダガーを探してみたが、箱の中には見当たらなかった。
「ホークアイのかな。でも、かたっぽしかないけど……」
「アンティークのナイフだわ。ホークアイの趣味なんですって」
 リースも一つ手に取り、これが何であるかを思い出した。実用では無く観賞用で、ホークアイが個人的な趣味として蒐集しているらしい。
「男の子って、ほんとに武器が好きよねえ」
 アンジェラは呆れるより感心して、装飾の凹凸を指でなぞった。
「それにしても、ずいぶん数が多いような……。こんなにたくさん持ってたのかしら?」
 リースがそう言うと、アンジェラは何か嫌な予感がし、強張った表情でナイフを見下ろした。何も無い所からナイフは生まれないのだ。その様子を見、リースも胡乱気に箱の中身を見た。
「おじょうさん達、はかどってるかい?」
 今度はホークアイが様子を見に来た。戸口に手を突き、もう一方の手で、やはり謎の木の実を食べていた。いつものように、軽い調子で入って来ようとしたが、二人が片付けているものを見るなり、慌ててそばに屈み込んだ。
「あっ、そのナイフ捨てないで!」
「分かってますよ」
 さっき聞いたような反応に、リースがちょっと呆れて答えた。ホークアイはほっとして、一番のお気に入りである、柄の部分に宝石が嵌め込まれたナイフを取り、安否を確かめるように検めた。流石に良く似合っており、持ち主の手に収まった事で、ナイフが皓然と輝いたようだった。アンジェラは冷めた顔で、惚れ惚れしている盗賊を一瞥した。
「そんなもの、いつのまに買ったの?」
「そりゃ色々さ。デュランに許可はとってあるよ」
「デュランに聞いてどうするのよ」
 アンジェラが声を尖らせるも、彼はさあらぬ体だった。
「らって、おサイフ係はドゥランらろ」
 ホークアイは木の実を口に咥えながら、鞘を抜き、刀身を布で丁寧に磨いた。内心アンジェラは、何としてでもデュランから財布を取り上げようと固く誓った。しかし、彼はアンティークこそ大切にしているが、普段使いの武器にさしたる執着は無いらしい。欲しかったらいずれ自分で買い戻すからと、そちらはすんなり諦めてくれた。大事なお気に入りを箱に仕舞い直し、ホークアイは満足気な顔で、再び果肉をかじり始めた。それをリースが見咎める。
「ホークアイ、その木の実は食べないほうがいいですよ。体に毒かも知れませんから」
「だいじょうぶさ。オレの経験によると、おいしいものに毒はないんだ」
「デュランさんも言ってたけど……」
 リースが当惑すると、ホークアイはにやりと笑った。
「ほらな。オレ達の言う事にまちがいはないんだよ」
 笑いながら適当な理屈を捏ね、まるで取り合おうとしなかった。しかしてあっと言う間に食べ終えてしまい、種を外に向かって投げ捨てると、今度は自分の服を漁り始めた。ケヴィンに洗って貰うつもりらしい。バンダナと上着とズボンを出したついで、例の長い布切れが床に落ちたのを見、不思議そうにした。
「ケヴィンの包帯だ。なんでこんなとこに?」
「あ、それ、ホークアイのリボンじゃなかったんですか?」
 と、リースが聞いた。
「ああ。オレのは色がついてるんだよ」
 そう言って、ホークアイは後ろ髪を軽く揺らした。身嗜みに気を遣っている彼は、服の色に合わせて複数持っているのだった。しかしながら、ケヴィンとホークアイで取り違える事も多いようで、どちらも倉庫のあちこちに放り投げられていた。薄暗い中、ホークアイは自分の髪留めを探し集めに掛かったが、また間違えてケヴィンの包帯を拾った。その辺に放り投げられそうになった所を、リースが受け取り、畳んでケヴィンの箱に入れておいた。ホークアイは今度こそ自分の髪留めを見付け、適当に畳み、自分の箱へ仕舞った。
「ケヴィンはマメだよな。むこうに川があるんだけど、また洗濯してくれてるよ」
 アライグマみたいで面白いよと、ホークアイは表を指差した。
「近くに川があったのね」
 と、リース。ホークアイは彼女の隣に座り、額のバンダナを外しに掛かった。
「でも、マナの樹のある所からは、かなり離れているみたいだ」
 この倉庫は聖域の最も外れにあるようだった。ケヴィンが洗濯をしている川と言うのは、浅くて流れも緩やかなのだが、対岸を行っても川沿いを遡上しても先は森ばかりで、終いには倉庫に戻り着けなくなりそうなので、ほどほどで引き返したらしい。しかし、魔物に出会す危険性が無いと言うのは安心出来るもので、皆散策がてら楽しんでいるのだった。話が済むと、バンダナを手に巻き取りながら、ホークアイは立ち上がった。
「それじゃ、オレはデュラン達をつれもどしに行くとするよ。おふたりさん、ほっとくとどこまでも行っちゃうんだ」
 そして彼は一旦出て行ったが、急遽引き返して倉庫に顔を出した。
「そのナイフ、売らないでおくれよ!」
 さっき聞いたような言葉を言い置き、今度こそ姿を消した。残された二人は、ホークアイの最後の一言によって、大事な問題を嫌でも思い起こされた。愕然として、アンジェラが床に手を突いた。
「どうして、デュランなんかにおサイフ係をまかせちゃったのかしら……。自分でもどうかしてたわ」
「どうりでお金が足りないわけだわ……」
 流石のリースも頭を抱えていた。似たような趣味を持つ誼から、デュランとホークアイは互いに共謀し、密かに自分達の好きなものを着々と買い集めて行ったのだろう。決して安価とは言えないナイフやダガーの、それも希少な骨董品となれば、一体幾らになるのか考えたくも無かった。アンジェラは見るのも嫌だとばかり、アンティークの箱を棚へ押しやってしまい、腰に手を当てた。
「とりあえず、いらないものを売ってこようよ。ジャマで片づかないもん」
「ええ。高く売れるといいけど……」
 そうして二人は一旦倉庫を出、店で装備や道具を売却して来た。デュランも剣以外は頓着しないようなので、鎧や装飾品は全部容赦無く処分した。しかし、武器はともかく、他のものは大した値も付かず、結局新しい装備が一つか二つ買えるくらいの儲けにしかならないのだった。山積みのプイプイ草については、半ば干からび掛けた野菜を店に引き取って貰うわけにも行かないので、その辺に捨てて来てしまった。良い肥料になるだろう。再び倉庫に戻って来た二人は、酷く草臥れてしまい、床に座り込んだ。
「あとは、シャルロットのおやつを考えなきゃね……」
 アンジェラが髪を手で梳いた。
「そうよね。毎日ドロップとチョコじゃ、かわいそうですもの」
 シャルロットは良く食べる子供で、特におやつに対しては一方ならぬ拘りを見せ、飽きてしまったおやつを見せると不機嫌になるが、大好きなおやつを与えると天使のような笑顔を浮かべる。あの小さな体で必死に戦っている頑張りを労い、なるべく喜ぶ事をしてあげたい所なのだが、近頃はおやつを考えたり買ったりする暇が無い。このままでは、毎日まんまるドロップを食べさせる羽目になりそうだった。先程は懸命に止めようとしたものの、この期に及んでは、たといそれが得体の知れない木の実でも、喜ぶなら仕方無いかと思い始めた。
「……あの木の実、おいしかったのかしら?」
 リースがふと呟いた。
「リース、食べたかったの?」
 アンジェラが怪訝に尋ねると、彼女は小さく頷いた。
「ちょっと味が気になるかな。もちろん、毒がなければの話だけど」
「……まあ、たしかにね。見た目は毛虫だけど、みんなおいしそうに食べてたもん」
 と、アンジェラも気になっていた事を認めた。動いて喉が渇いたせいで、あの瑞々しい白い中身が少しだけ床しく感じられたのだった。
 それから最後の一頑張りで、二人はついに片付けを終わらせた。不要な装備を処分し、空間に余裕が出来ると、見た目にもこざっぱりとして整然たる様相になった。これなら夢見草とプイプイ草を間違える事も無いし、武器で手を切るような事も無くなる筈だった。
「あー、きれいになった!」
 アンジェラが深呼吸し、腕を思い切り伸ばした。埃を掃き清めたので居心地が良い。
「きれいになると、気持ちがいいわね」
 リースも満足そうに笑いながら、倉庫の真ん中に座った。アンジェラがその隣に座り、ふざけて彼女に寄り掛かった。リースも寄り掛かって押し返す。互いに押し合いへし合い、くすくすと笑った。
「これからは、もっとマメにかたづけないとね。おそうじが大変だわ」
「ほんと、大変だった!」
 二人は兼ねてから倉庫の惨状を気にしていたのだが、忙しさにかまけてそのままにしていた。今回漸く着手した事で、胸に引っ掛かっていたものが取れたような気分になっていた。互いの背中に凭れるようにして、二人は綺麗になった倉庫を眺め、満ち足りた溜息をついた。
「洗濯、終わったよ」
 再びケヴィンが入って来た。自分の上着も洗ってしまったらしく、筋骨隆々の上半身が剥き出しになっている。また一段と逞しくなったようで、二人は何と無く威圧感を受けてしまい、端に寄って道を開けた。ケヴィンは些か不思議そうにしながら、奥の棚の方へ歩いて行き、きょろきょろと周囲を見回した。
「オイラの服、どこ?」
「ちょっと待って。……はい、どうぞ」
 と、リースが棚から箱を取り出し、彼に渡した。
「ありがとう」
 ケヴィンは屈んで箱に手を入れ、どれにしようか少し迷って、結句いつもの虎斑模様の服を着た。それから二人のそばに腰を下ろし、改めて倉庫の様子を見た。
「倉庫、きれいになった」
「そうでしょ。大変だったんだから」
 アンジェラが得意気に答えた。
「おつかれさま」
 そう言って二人に笑い掛け、ケヴィンはつくづく感心して、様変わりした倉庫を見上げていた。その足元を見ると、帽子の中に件の木の実が入っていた。あからさまであるが、背中の方に置いてあり、一往隠していたつもりらしい。相変わらず奇妙な見た目だが、もはや態度は軟化しており、アンジェラ達の見る目も剣呑なものでは無い。ケヴィンが視線に気付き、おずおずと申し出た。
「……ふたりとも、食べる?」
 二人は互いに顔を見合わせた。相手が欲しいと言い出せば、自分も便乗するつもりなのだが、可惜どちらも言い出さなかった。一度駄目だと言われたものだから、ケヴィンは顔色を窺いつつ、どうなるものかと待っている。暫し膠着した後、リースが意を決して口を切った。
「……じゃあ、一つもらえる?」
「あ、私も!」
 リースが手を差し出すと、アンジェラも被せるように要求した。すると、ケヴィンの表情が忽ち明るくなり、喜んで木の実を取り出した。焦って手を突っ込んだもので、一つ床に転がり落ちた。
「みんなで、いっしょに食べよう!」
 彼は言い付け通り、今まで木の実を食べず、仲間達が美味しそうに食べているのを横目で眺めていたのだった。先程のデュランの伝で、皮をむしって食べようとしたが、リースに止められ、ナイフで皮を剥き始めた。二人も皮を剥くと、毛虫らしい様相はすっかり無くなり、白くて艶やかな果実が現れた。馥郁たる香りに誘われ、一口かじると、甘い果汁が口一杯に広がった。とろけるような味わいに、自ずと目尻が下がった。
「……わあ、おいしい」
 満面の笑みを浮かべながら、リースが頬を押さえた。
「なーんだ、心配してソンしちゃった。おいしいじゃない」
 アンジェラもにこにこしながら、もう一口かじった。少し弾力のある独特の触感で、瑞々しい果汁は零れんばかりに、渇いた喉を潤した。ケヴィンは既に食べ終えてしまい、落ちた一つを拾って剥き始めた。
「もっと食べて。いっぱい、とってきた」
 空腹だったので、アンジェラ達もお代わりに手を伸ばした。取る時、柔らかい棘が手に触れると、思わず躊躇してしまうが、甘い誘惑には逆らえなかった。なるべく手がべたつかないよう、リースは半分だけ皮を剥き、少しずつ食べ進めた。ケヴィンはお構い無しで、手首まで垂れた果汁を舐めていた。
「……でも、やっぱり、見た目が悪いわよねえ。どう見たって毛虫だもん!」
 そう言いながら、アンジェラは手早く皮を剥き、刺々しいそれを放り捨てた。

2016.3.6