六
ついに新居が完成した。その一角だけ異世界に通じているような、煌びやかな都に似げぬ、木と草の雑然とした佇まいである。大きな暖炉は薪を蓄え、灯すべき火を今かと待ち侘びる。其処に、真ん前にしゃがみ込んだ真珠を、火傷しないように少し下がらせ、瑠璃が火種を落とした。白煙が上がった後、炎が少しずつ手を広げ、ぱちぱちと心安らぐ音が響いた。周囲が夕焼け色に照らされ、暗闇を隅へと追い払う。以前のしるきーと妖精のように、赫々たる揺らめきが妙に新鮮に覚えて、二人は暫し見入っていた。
「あったかいね」
「ああ」
苦労して作り上げただけあって、喜びも一入だった。間取りはフラウの家と殆ど同じだが、上階と書斎が無く、その分ごちゃごちゃと手狭な感じを受け、それが不思議と温かみを深めた。瑠璃が燭台に火を点けていると、人の存在に気付いたためか、あちこちに吊るされたガラクタのようなランプが、次々と明らみ始めた。精霊の光は宝石の煌めきに良く似ていた。
真珠は台所へお茶を用意しに行った。真新しい板張りの床は、歩くとぽこぽこ言うような、奇妙に響く音がして、その度に木の香りが舞い上がる。勝手知ったる彼女に対し、瑠璃はなかなか落ち着かない。生まれてこの方宿暮らしであったから、何処かに荷物を片付けたり、ゆっくり落ち着いて座ったりすることが無かったのだった。所在無く、揺り椅子を手で揺らしていたら、真珠が戻って来た。言われるがまま、剣を壁際に立て掛けて仕舞い、彼女と向かい合わせで席に着く。お茶の香りで、少し煙臭かった空気が払拭された。真珠は此処に来てから頬が緩みっぱなしで、零れそうな瞳を押さえるように、両手で頬杖を突いた。
「ここで、ずっといっしょに暮らせるのね」
「宿代がかからないってのは便利だな」
と、ずれたことを言う瑠璃を見、真珠はにこにこと微笑む。
「おうちに住むの、瑠璃くんははじめてなんだよね?」
「お前は……そうか、パールの記憶があるのか」
「うん。でも、あったかいおうちで、好きな人といっしょに住むのは、はじめて」
真珠は心から喜んでいる様子で、瑠璃の方も、こうして姫の顔を見ているだけで、苦労をした甲斐はあったと実感した。彼女に勧められ、紅茶に目線を落とす。白みがかった液面を見るに、今日の紅茶は牛乳を加えたようだ。女の子らしい気の配りようで、お茶には時々花が浮かんでいたり、縁に果物が刺してあったりするのだった。お茶からも彼女のような甘い香りがする心地で、ありがたく飲んだら、実際に甘ったるくて噎せそうになった。
「……何だこれは?」
「はちみつを入れたの。疲れたときは甘いものがいいんだって」
上手な淹れ方のコツを習う時、ティーポから貰ったのだと言う。思わぬ伏兵に身構えたものの、そうであると分かっていれば、確かに美味しくて、何と無く気分が解されるようだった。瑠璃の様子を打ち守りながら、真珠はとろけるような笑みを浮かべた。
「……おねえさまの家でお世話になった時ね、ここに瑠璃くんもいたらいいなって、ずっと思ってたの」
「オレのことなんか気にしてたのか?」
「うん。……だけど、瑠璃くんさみしがりやさんだから、二人きりがよかったの。ずっとおねえさまのおうちにいたら、おいていかれそうで怖かったから……」
蓋しく、フラウのところに行けば済むような望みを、わざわざ持って回ったやり方で実現したのは、其処に瑠璃がいないと知っていたからだ。胸の核がくすぐったいような気がして、妙に落ち着かなくなってしまい、彼は無意識に手で押さえた。
「おいてくわけが無いだろ? 姫がいなければ、オレには生きる資格さえ無くなってしまうんだ」
「……でも、瑠璃くんは、ずっと仲間を探してたもの。他に姫がみつかったら、わたしはもういらなくなるんだって……」
「それはお互い様だな。お前にはフラウがいるし、蛍姫だっている」
「みんなのことは好きよ。それでも、わたしの騎士はあなたしかいないわ。だれにも渡したくない、だいじな騎士さまなの」
そう言って目を伏せる。表情は依然笑みを浮かべているが、胸の真珠が影を帯びたように、薄暗い光を宿した。
瑠璃はふと、自分が馬鹿らしくなって失笑した。孤独を恐れて仲間を欲しがり続ける癖に、自分の姫に対する執着は殊更深く、仲間が増えると却って僻んでしまうのだ。姫にとって自分が必要かそうで無いか、彼の煩悶し続けた不安を、真珠はそれと無く斟酌し、答えを与えようとしてくれた。そしてその魂胆が、彼女もまた騎士に固執しているせいなのだと心付き、おかしくて堪らなかった。孤独の曇りを拭ってくれたのはこの少女だと言うのに。
「……似た者同士、か……」
そう呟くと、真珠も頬を赤くして、胸の石に手をやった。理由は瑠璃と同じなのだろう。この素直で嫉妬深い核は、相手から向けられた感情を知り、嬉しさに軋んでいるのだった。
「やきもち焼かれるのって、うれしいのね」
「……ロクなもんじゃない」
「だけどね、なんにも心配することはないわ。いつだってどこだって、わたしたちはずっといっしょなんだから」
瑠璃に真珠姫しかいないのも、真珠に瑠璃しかいないのも、もはや言うまでも無いようなことだった。長き珠魅の道行きで、この先数知れぬ出来事に遭い、数知れぬ人々に出会うのだろう。それが例え災厄でも裏切りでも、そばに真珠がいる限り、きっと歩き続けていられる。姫だけは決して分かたれることなく、そばで癒していてくれると知っているから。
「分かってるなら、もう離れたりするなよ」
「瑠璃くんも、おいてったりしないでね。やくそくよ」
真珠が手を伸べて、小指を差し出した。子供っぽいだの何だのと、照れ隠しにぶつぶつ零した挙句、瑠璃も石の手を伸ばした。青と白が重なり、確かに約束した。手狭とは言い条、自分達だけで過ごすには少々寂然とした家である。このテーブルがやたら大きくて、椅子が六つも備えてあるのは、いずれ客人を呼んで賑やかにするためだった。二人きりも始めの内だけになるのだろう。互いに相手を独り占めしたい反面、来たるその日が楽しみで仕方無いのだから、面倒な性分もあったものだった。
瑠璃がさっさと手を引っ込めると、真珠もくすくす笑って手を引いた。胸に収め、さも大切そうに小指を撫でさする。
「わたしたちの幸せ、世界中のいろんな人に分けてあげられたら、きっとみんな幸せになれるわ」
真珠姫が胸一杯に秘める気持ち、草人達が口にする言葉、女神そのものの姿。全ては同一であり、瑠璃もとうから手にしているものである。果せる哉、幾ら与えられても足りないし、与えても気の済むことなど無いけれど、不思議と心は満たされた。