足跡三つに道一つ
ホークアイはウェンデルの宿屋にて、ベッドに座ってナイフの手入れをしていた。今にも獣人兵の軍勢が攻めて来ようと言う状況だが、逃れるような場所は無く、手の打ちようも無いので、何か動きがあるまで座して待つ他無い。どうしようも無いから、先程知り合ったリースと言う女の子と、ケヴィンと言う少年と一緒に、宿屋で一息入れる事にしたのだった。獣人のケヴィンの方は、偵察に行くと出て行ってしまい、今此処にはいない。リースはホークアイの向かいのベッドに座り、丁度槍の手入れを終えた所で、窓の外に目を向けながら、落ち着かない風で髪飾りを撫で付けていた。鮮やかな金色の髪は、微かに揺れるだけでも陽光を弾き、柔らかな光の帯を宿した。
「……どうかしました?」
視線に気付いたリースが言った。困惑したような、曖昧な微笑に、ホークアイは愛想の良い笑みで答えた。
「いや、金髪って、きれいだなーって思ってさ」
「そうですか?」
と、リースは自身の髪を手で梳いた。
「私の国では、めずらしくありませんけど……みんな金髪なんです」
「へえ。オレの故郷では、かなりめずらしい方だよ。みんなこういう色なんだ」
そう言って、ホークアイは前髪を摘んだ。銀髪の範疇らしいが、自分では青だか紫だかの、そのくらいの色だと思っている。ナバールの人間は、石を投げれば青い髪に当たると言った具合で、兄弟分の一人を除き、ネコ族の仲間までもが青い毛色を持っているのだった。特別綺麗なわけでも無い、平凡な青い髪を、リースはじっと見詰めた。
「じゃあ、ホークアイさんのご家族も、そういう色なんですね」
ホークアイは頷こうとしたが、少し考えた。彼やナバールにとっての家族と、外の人間が指す家族と言う言葉では、意味合いが違って来る。
「オレ、血のつながった家族はいないんだよ。孤児だったんだ」
「そうだったの? ……ごめんなさい」
目を伏せた彼女に、ホークアイは慌てて付け足した。
「あ、気にしないでくれよ。フレイムカーンさまに拾ってもらってからは、ナバールの仲間が家族みたいなものなんだ」
ホークアイは親の顔さえ知らぬ孤児であるが、首領フレイムカーンから実の子同然に接して貰い、今は亡き首領の細君に可愛がられ、仲間達と兄弟のように遊んだり喧嘩したお陰で、家族の何たるかと言うのは十分知っていた。盗賊団と言う肩書きも与って、特殊な環境だと思われがちだが、泥棒になりたくない者は他の仕事を手伝えば良いし、要塞の外に出ても構わないし、養い子達には自由な選択肢がある。ナバールはそう言う場所だった。リースは事情が事情なので、ナバールを好意的に受け入れられる筈も無いのだが、只こう言った。
「……ナバールは、ふしぎな所なんですね」
「オレ達にとっては、ふつうなんだけどな」
ごく普通の、帰るべき家である。だから、誰しも要塞を出ようとはせず、結局居付いてしまうのだ。声に愛着を滲ませると、リースは微かに笑った。取り敢えず、彼女にナバールが嫌われていないらしいと言うだけで、ホークアイには十分だった。国を滅ぼされた怨嗟が雲散霧消する事はあるまいが、諸悪の根源がイザベラにあると知り、少し見方を変えてくれたようだった。
「……そんな人達が、他国を侵略しようなんて、とても考えられませんね」
「ああ。おそらく、ナバールの全員に、美獣の呪術がかけられていたんだと思う」
要塞の者達は皆、一度は家族を失い、帰るべき家を失っている。その悲しみを知りながら、他者の家族や家を奪うような真似をする筈が無いのだ。ホークアイとイーグルは、水際で美獣の策略に感付いたが、遅きに失した辺り、先々から心変わりの呪術を掛けられていたのだろう。ふと、首筋に冷たい女の手を掛けられたような気がして、ホークアイは苛々と頭を掻き毟った。
「くそ、美獣のやつ……」
およそ人間のやる所業では無い。ナバールは前後不覚のまま、他者を傷付け、自らを傷付けている。傍観者のホークアイですら辛くて堪らないのに、仲間達が正気に戻った時、一体何を思うのか、想像だに出来無かった。彼は故郷を思い返し、皆は今頃無事でいるだろうか、イザベラの支配から逃げ果せた者はいるだろうかと、仲間の身を案じた。リースも似たような事を考えたらしく、俯いて眉を曇らせた。会話に暗雲が立ち込めた事に気付き、ホークアイは速やかに話頭を転じた。
「あのさ、リース。ケヴィンがもどってきてから言おうと思ったんだが……」
「なんですか?」
リースが顔を上げた。ホークアイは心持ち身を乗り出し、言葉を続けた。
「オレ達、これからも、三人でいっしょに旅をしないか? 一人でいるより、ずっといいと思うんだ」
相手の顔色を窺いつつ、なるべく親切に申し出た。目的は同じく、聖剣の勇者を探し出し、憎きイザベラを打ち倒す事のようだが、立場がまるで正反対なものだから、内心断られるかもと思っていた。一国の姫君ともあろう者が、おいそれと泥棒を信用するわけも無いだろう。ところが、案に違いて、リースは聞くにつれて表情を綻ばせた。
「……いいんですか?」
「もちろん!」
相手が笑ったので、ホークアイも安心して続けた。
「こう見えても、旅のお役に立てる自信はあるんだ。情報収集はお手のものだし、値切るのも大得意。戦いの時は、盾のかわりにもなるよ」
冗談めかして言うと、リースも明るい声で答えた。
「私、外の事はよく知らないんです。あなたがいっしょなら、こんなに心強い事はないわ」
「決まりだな。オレ達は仲間同士、一蓮托生だ」
そう言って、ホークアイが手を差し出し、リースもその手を取った。彼女の手は意外と小さく、指の付け根に小さな胼胝があった。握手を交わした後、リースは嬉しそうに両手を合わせた。
「よかった。こんなに早く、仲間ができるなんて……」
「オレもだよ。世の中、すてたもんじゃないよな」
「ええ」
と、二人でにっこり笑った。ホークアイも平然として見えて、今までずっと仲間と組んで行動していた身だから、内心どうしたものかと考えていたのである。先の事が分からない中で、信じ合って行動を共に出来る存在があるのは、何より心強く感じるものだった。思った以上にほっとしながら、ホークアイは目を側め、窓の外を見やった。
「あとは、ケヴィンがなんて言うかだな」
「ケヴィンさん、おそいですね……」
リースは扉の方を見た。
「もしかしたら、一人で行くつもりなのかもよ」
ケヴィンは屈強な戦士で、このウェンデルに来るまでの僅かな間共闘しただけでも、並外れた実力である事が見て取れた。あまり喋るのは好きでは無いようだし、ひょっとしたら一人でいる方が気楽なのかも知れない。ホークアイはそれはそれで仕方無いと思っていたが、リースは反対した。
「ダメですよ。ケヴィンさん、故郷の森から出た事がないって言ってたんです。一人じゃ心配だわ」
「そうかなあ?」
「そうですよ。それに、まだ十五さいなんですって。成人もしてないんですよ」
リースはどうやら、ケヴィンの事を年下の少年だと思っているらしかった。大人びた風貌と寡黙な性格から、ホークアイは自分と同じくらいの年だと思っていたが、実際のケヴィンは二つも下だった。それにしても心配無さそうな印象を受けたが、リースは同行を主張し、ホークアイとしても一緒に行けるに越した事は無かったので、取り敢えず誘ってみる事になった。
「なら、もどってきた時に誘うとするか」
「話すなら、早いほうがいいですよ」
そうと決まれば居ても立ってもいられずに、リースは立ち上がった。
「私、探しにいってきますね」
そう言って、壁に立て掛けてあった槍を取り、部屋から出て行った。ホークアイも付いて行こうかと思ったが、自分が誘うより彼女に任せた方が効果がありそうだったので、やめた。やり掛けだったナイフの手入れを済ませ、いつでも使えるようにそばに置いた。想像した以上に旅は上手く行っており、ホークアイは安心していた。王族の人間はお高く止まっているものだと偏見を持っていたが、実際出会った王女のリースは、泥棒の自分にも親切に接してくれる優しい少女だった。獣人のケヴィンの方も、率先して仲間を守るように戦ってくれるし、そもそも旅立った理由が友達の命を救うためらしいから、良い奴だとは分かっていた。何より、二人とも、一緒にいて居心地の良い相手だった。少なくとも聖剣の勇者に追い付くまでは、この三人で道を同じゅうする事になるだろうが、ホークアイはあわよくばその先も、と考えていた。仲間は何人いても良いわけだし、全員で勇者の所へ押し掛けてしまうつもりである。未だ見ぬ聖剣の勇者と言う人物は、魔法の使えない魔導師の女の子と、此処の司祭の孫だと言う子供に、半ば押し切られるような形で一緒に旅を始めたそうで、聞くだけでも憎めないような人となりだった。目下の問題は現状の打開策であるが、持ち前の楽観的な思考で、取り敢えず三人揃ってから考えてみようと、さして深刻に捉えてはいなかった。既にケヴィンが仲間に入ったようなつもりでいた。
暫く待つと、二人が戻って来た。ケヴィンは何だかまごついており、リースは苦笑していて、どんな話をしたのだかさっぱりだった。ケヴィンはリースに通され、そろりと部屋に入って来た。一瞬ホークアイと目が合ったものの、ばつが悪そうに逸らされる。少々不思議に思いながら、ホークアイは彼を刺激しないよう、親切に出迎えた。
「おかえり。仲間に入るつもりになったかい?」
ケヴィンは答えず、戸口に立ったまま、むっつりした顔で床を見ていた。代わりにリースが答える。
「ええ、それはいいんですけど……」
相変わらずリースは苦笑いだった。堪えようとしているのだが、どうしても笑わずにはいられないと言った風である。
「情報を集めようとしたんだけど、知らない人に話しかけられなかったんですって」
「ごめん……」
ケヴィンがしょんぼりと立ち尽くした。またリースに促され、大人しく真ん中のベッドに座ったが、叱られた犬のように俯いていた。戦闘中の威風堂々たる振る舞いとはまるで違っており、ホークアイも思わず笑いそうになったが、どうにか堪えた。
「そうか、君は人見知りなんだな」
「人、ニガテ……」
「だいじょうぶさ、誰もとって食べたりしないよ」
「うん」
照れくさいらしく、ケヴィンはちらりとホークアイを見た。寡黙なのは喋るのが苦手だからで、険しい顔をしているのは感情表現が苦手だからと言う理由があったようである。頼もしく見えた少年だが、意外な欠点があったのだった。ホークアイは、自分と同じ琥珀色の瞳を見、孤高の一匹狼然としていたケヴィンが、忽ち近しくなったような気がした。リースはすっかりお姉さんらしい顔になり、親し気な様子でケヴィンの隣に座った。同じ金髪だが、リースが水のように柔らかなのに対し、ケヴィンは硬質で、鉄鋼のような鈍い光を映していた。
「人がにがてなのに、一人で旅をするのは大変だと思いますよ。私達といっしょに行きましょ」
リースが優しく声を掛けると、ケヴィンは言い淀んだ。
「その……」
「どうした?」
リースにつられて、ホークアイも親切な声を出した。
「……オイラ、夜、変身する……。それでもいいか?」
そう言った後、彼は慌てて付け足した。
「でも、オイラ、みんなはキズつけない。心配いらない」
「もちろん、かまわないよ」
相手が言い切らぬ内、ホークアイは至極あっさり答えた。ケヴィンは意外そうに目を丸くして、今度はリースの方を見た。リースも恬然としていた。
「私も、いいですよ」
ケヴィンはいよいよ戸惑って、喉の方から呻くような音を出しながら、二人の顔を交互に見た。相手から微笑み返され、歓迎されているのが分かると、視線を宙に彷徨わせ、結局膝を見下ろした。
「獣人、きらわれてるかと思った……。獣人兵、ジャドで、みんなにいじわるしたから」
「獣人かどうかは関係ありませんよ。私達は、あなたといっしょに行きたいんです」
と、リースが顔を覗き込むようにした。心持ちのけぞりながら、困ったようにケヴィンが視線を寄越したので、ホークアイは追撃した。
「こんなおじょうさんが、ここまで言ってくれてるんだ。断るわけにもいかないだろう?」
ケヴィンはどうやら、仲間に加わる云々よりも、人から素直に好意を向けられる事に困惑し、返答しあぐねているようだった。人から厚情を受ける経験に乏しいようだ。そのためホークアイは、敢えて自分はちょっかいを出さず、相手の自主性に任せていた。リースだけで無く、ホークアイまでもが積極的に行動したら、ケヴィンはいよいよ居た堪れなかったろう。問い掛けるような、迂遠な誘いの文句を口にすると、ついにケヴィンも臍を固めた。
「……うん」
言葉を噛み締めるように頷き、彼は顔を上げた。
「オイラ、みんなといっしょに行く!」
「決まりだな。これから、オレ達は仲間同士だ」
と、ホークアイはベッドから立ち、少年に手を差し出した。
「よろしくな、ケヴィン」
「うん、トモダチ!」
ケヴィンは破顔して、手を握り返した。やはり握力が強く、意外にも皮膚が柔らかい。フレイムカーンと同じ、達人の手だと、ホークアイは感心した。続いてリースも握手したが、ぶんぶんと力強く手を振られ、笑っていた。四六時中むっつりしているわけでは無く、ケヴィンは心を開きさえすれば、良く笑う普通の少年のようだった。
かくして三人の仲間が集結した。幸先は良いが、喜んでばかりもいられなかった。にこにこしていたリースも、表情を改め、先程神殿で集めて来た情報を話し出した。
「光の司祭様は、町に結界をはるつもりのようなんです」
ウェンデルには優秀な神官がいて、常ならばその人が主立って神殿の守りを担うのだが、折悪しくも現在行方不明になっているらしい。故、大規模な獣人軍に対抗するためには、司祭の力が必要不可欠になるわけだが、高齢ゆえに命に関わる虞があるそうだった。
「だから、オイラ達、時間かせぐ。滝の洞窟で、獣人兵とめる」
と、ケヴィン。万一結界が間に合わなかった場合、獣人兵が町に侵入してしまい、それらを弾き出すのに余計な魔力を費やしてしまう。三人が協力し、少しでも神殿の負担を減らそうと言う心算だった。一見良く出来た作戦のように思えたが、ふとリースが言った。
「……でも、結界がはられた後、私達はどうなるんでしょう? ウェンデルには、もどれませんよね?」
「……神のみぞ知るってやつだな」
ホークアイは肩を竦めた。程々に戦って、事が終わり次第速やかに投降するのが賢明だろう。問題はその後で、只捕まって投獄でもされるくらいなら幸せだが、事によると身に危険が迫るかも知れない。アストリアの惨状を見て、流石の彼も楽観的には捉えられなかった。最悪、自分の身はどうとでもなるが、ケヴィンとリースは何とか逃がしてやらなければと、考えを巡らせる。折角手に入れた仲間達だが、早くもお別れする羽目になりそうだった。
「……オイラが、何とかする」
沈黙をケヴィンが破った。
「ルガーはオイラを殺せない。獣人兵も、手出させない。だから、みんな、オイラのそばをはなれないで」
ケヴィンは獣人王の後継者を目された存在で、獣人王の命こそ覆せぬものの、自分とその仲間を目溢しさせる程度の発言力は有していた。人間の味方をするケヴィンは、恐らく同族を敵に回す事になるだろうが、彼はそれでも構わないと言った。訥々と語ったケヴィンの説明に対し、ホークアイは付かぬ事に関心が向いた。
「君、獣人王の息子さんだったのか?」
先般経緯を話された時、血縁関係には触れなかったのだが、どうやらそう言う事になるらしい。尋ねると、ケヴィンは否定しなかったが、代わりにこう言った。
「……父さんだと、思いたくない」
と、態度を強張らせた。事情を鑑みると無理も無く、ホークアイもリースもそれ以上は聞かなかった。
「ところで、みんな、おなか減ってないか?」
出し抜けにホークアイが言うと、二人は理合いを飲み込みかねた様子で、きょとんとした。予想外の反応に、ホークアイも不思議がり、妙な沈黙が置かれた。
「……あれ? ハラ減ってない? オレはぺこぺこなんだけど」
と、二人の顔を交互に見ると、ようやく言わんとする旨を察したらしい。彼らは顔を見合わせた。
「言われてみれば……」
「おなか、すいたね」
何だか気の抜けた反応だった。最前まで深刻な話をしていたため、急に食事の事を切り出されても、あまりにも毛色が違って理解出来なかったようである。
「やっぱり」
ホークアイはにやりと笑った。
「そうだろうと思って、昼ごはんを頼んでおいたんだ」
そろそろ出来た頃だろうと、彼は部屋の扉を少し開け、宿の様子を窺った。ソースの熱される香ばしい匂いがする事から、丁度支度が終わったのだと知れた。ホークアイとリースは、宿の親父を手伝って、籠一杯の白パンと、魚と、玉ねぎのスープを部屋に運んだ。三人座れるような椅子が無かったから、少々行儀は悪いが、床に輪になって座る次第となった。ケヴィンはきちんと脱帽し、ふさふさの付いた帽子を背中に回した。主菜の皿には、肉厚の淡水魚を白ワインで蒸し焼きにした料理に、クレソンの葉がたっぷりと添えてある。パンは雲のように盛り上がった形で、上等の小麦を使っているらしく、真っ白くて良い匂いがする。あまつさえ、濃い黄色のバターを幾らでも付けて良いと、大きな塊の入った箱を寄越してくれたのである。ウェンデルの豊かな自然に育まれた食事だった。部屋中に広がる良い匂いに、ホークアイは腹が減って仕方無く、内心うずうずしていた。
「いただきます!」
言うや否や、バターを大きく掬い取り、パンに塗り付けて噛り付いた。山ほど付けたつもりが、牛乳そのもののように滑らかで、忽ち溶けて無くなってしまった。それでいて味は濃厚なのである。
「あ、ごめん、先にいただいてるよ」
パンをもちもちと食べながら、ホークアイが謝った。二人は遠慮がちで、互いに譲り合うような視線を送っていたが、ホークアイの様子を見て、空腹を思い出したらしい。
「いただきます!」
「いただきます」
遅れて、彼らも食べ始めた。ケヴィンは魚から、リースはスープから取り掛かった。魚は、ほんのり焦げ目の付いた部分を食べると、ソースが濃縮されていて美味しい。肉が厚く柔らかな身に、香辛料の効いた味わいと、辛みのあるクレソンの付け合わせが良く合っていた。これを食べた後、甘いパンに齧り付き、それから温かいスープを飲むと、それぞれの味が引き立って食が進んだ。三人とも、始めは黙って夢中で食べていたが、一通り口を付けると、顔を上げてにっこりした。
「うまいな」
「ウン」
「ええ、おいしいです」
リースは始め、遠慮してバターを少ししか取らなかったが、瞬く間に目減りする塊を見るや、負けじと大きく掬い取った。
「あーあ、そのパン、オレがねらってたのに」
ケヴィンとリースがパンを取った時、ホークアイが冗談めかして言った。
「あっ、ごめんなさい……」
「か、返す……」
二人がぎくりと動きを止め、同時に謝った。終いには揃って籠に戻そうとして、面白いくらいの反応に、ホークアイは失笑した。
「じょうだんだよ。えんりょしないで、どんどん食べなよ」
と、笑いながらパンを取り、またたっぷりとバターを塗り付けた。形こそ不揃いだが、味はいずれも上等である。三人とも良く食べる方で、籠に詰め込まれていたパンが次々と無くなって行った。肌理の細かい上質なパンは、生地が詰まって弾力があって、バターを付けると甘味が一層引き立った。スープは作り置きのようだが、良く煮込まれて玉ねぎがとろけ、綺麗な琥珀色をしている。一口飲むと、温かさが胸に沁みた。
「魚、もっとほしいな」
ケヴィンがそう言った。ホークアイも丁度、最後の一切れを頬張った所だった。少しずつ身を解して大切に食べたが、一切れでは満足出来ない。スープと魚は足りなかった。パンだけでも美味しいが、やはり付け合わせは欲しい。そんなような事を考えていると、最後の欠片にソースを絡め、器用にクレソンを乗せているリースと目が合った。
「おかわりをもらってくるか」
「でも、お金はだいじょうぶなんですか?」
リースが現実的な事を言い、魚の身を頬張った。あまり旅慣れていない三人だが、この宿の待遇が並以上である事は分かる。数時間の休憩とは言い条、ほんの二十四ルクで、これだけの食事を付けて持て成してくれたのだ。心付けは必要だろう。ホークアイは銀のフォークを起き、軽く胸を叩いた。
「安心してくれ、オレのおごりだ!」
と、えらそうに豪語したものの、一転して腑抜けた顔で、頬を掻いた。
「……と言いたい所だが、実はオレ、おけらなんだ」
「おけら?」
二人がまじくじした。育ちのためか、俗語が通用しないらしい。
「……要するに、お金がないって事」
ホークアイはますます不甲斐無い気分で付け足した。着の身着のままナバールを抜け出して来た身である。三人分の宿代と食事代を払うくらいは可能だが、お代わりを要求するには心許無い、何ともしみったれた額しか持っていなかった。ウェンデルで武器と防具を買ったのが失敗だったかも知れない。情け無いが、今は年下の彼らを頼る他無かった。リースは魚を飲み込み、ケヴィンの方を向いた。
「ケヴィンさん、お金は持ってますか?」
「うん、ちょっとだけ……」
ケヴィンは銀の匙を銜えながら、帽子を拾い、中から十ルクを取り出した。何処に仕舞うか迷った挙句、グラブの中と、帽子の縫い目の破れた隙間に、少しずつ入れたようだ。リースも小さな袋からルクを出し、床の上に並べた。二人は百ルクと少々持っていた。
「……いや、待てよ」
ホークアイは急遽自分の袋を引っ掴み、逆さにして中身を出し、改めて数え直した。一緒に入っていたごみを払いのけ、手慣れた所作で勘定する。先般は億劫がって適当に数えたが、正確には四十ルク持っていた。
「……よし、これで足りるな。だいじょうぶ、オレが払うよ」
と、今度こそ胸を張った。宿代が二十四ルクだから、十分余裕のある額になった。一遍、釣りはいらないと言ってみたかったので、丸ごと払ってしまうつもりだった。ホークアイは全財産を脇に除け、二人に向かって言った。
「その百ルクは、迷子になった時のために、とっておくといいよ。君達のおこづかいだな」
「わかりました。これからの旅では、手に入れたお金は、ホークアイさんにあずける事にしますね」
「了解」
かくして金の管理はホークアイが一任する事に決まった。銘々が持っているよりも、一纏めにしてしまった方が都合が良い。行く行く高価な武器や防具を買う時、予算を計上し易いのである。ケヴィンはリースから袋を貰い、百ルクを中に入れたが、ちょっとにやけたような、複雑な顔をしていた。
「……おこづかい、初めてもらった」
「私もですよ」
と、二人は嬉しそうに小銭入れを仕舞った。ホークアイは今まで、盗んだ財宝のお零れに与ると言う形で、フレイムカーンから幾らかのルクを受け取っていたが、この年でお小遣いを貰っているなどとても自慢にならないから、二人には黙っておいた。
宿の親父にお代わりを頼み、暫し待つと、熱々の皿が運ばれて来た。美味しい食事は幾ら食べても飽きないものである。配膳を手伝うホークアイとリースも、それを目で追うリースも、内心わくわくしながら、木のトレイに料理が揃うのを待った。
「その帽子は、あとで縫っておきますね」
背面に置こうと、ケヴィンが帽子を持ち上げた時、リースが言った。帽子の内と外の堺、丁度折り目になっている部分が破れており、ケヴィンが財布代わりに使っていたせいで、布がくたびれて、大きく口が開いていた。被ってしまえば目立たないものの、几帳面なリースは気にして直そうとした。ケヴィンは頷こうとしたが、彼女の顔を見て、僅かに眉間に皺を寄せた。
「……リース、オイラの事、ケヴィンさんって呼ぶ?」
「ええ。いやですか?」
と、リースは座りながら、長い髪を後ろによけた。
「いやじゃない、けど……」
ケヴィンは俯いて言葉を濁したが、小首を傾げながら続きを待つ彼女を見、思い切ったように顔を上げた。
「オイラ、ふつうがいい。ふつうに話して」
「ふつう……?」
リースは言われた事を繰り返したが、意味合いを把握しあぐねたようで、曖昧な微笑を浮かべた。ケヴィンはそれ以上言葉を重ねるつもりは無く、口を引き結んで答えを待っている。戸惑ったリースに、ホークアイが助け舟を出した。
「呼び捨てで、敬語もなし、って事だよな?」
「うん」
ケヴィンは頷き、期待の籠った眼差しで、リースをじっと見詰めた。穴が開くほどの視線を受け、彼女は大いに困惑し、目を泳がせながら、羽飾りを何度も撫で付けた。口の中で、あの、とかその、とか言った挙句、漸く臍を固めたらしい。
「じゃあ……ケヴィン?」
「うん、リース!」
忽ちケヴィンは破顔した。輝くばかりの笑顔に、リースもつられて笑いながら、少し顔を赤くした。
「なんだか、ちょっと照れますね……」
先程は、リースから真摯な厚意を受け、ケヴィンが照れくさがっていたが、今度は反対の事が起きていた。微笑ましき光景に、ホークアイも便乗させて貰う事にした。
「そんじゃ、オレの事も、ホークアイと呼んでくれるかい?」
そう尋ねると、リースはほんのり頬を染めたまま、目線を少し落とした。
「でも、ホークアイさんは年上だから……」
「呼ばないなら、オレは君の事、リース様って呼ぼうかな……。どうだい、リース様?」
と、リースに目線を寄越した。二度目はさほど抵抗も無かったらしい。リースはあっさり腹を決め、名前を呼んだ。
「じゃあ……ホークアイ」
「それでよし」
ケヴィンほどの晴れがましき表情は引き出せぬものの、ホークアイもそれなりの笑顔で頷いた。ほんの些細な違いだが、呼び付けた方法で呼ばれる方が、胸にしっくり来るのだった。ホークアイは敬称を付けられるほど大した人間でも無いし、第一名前が長いから、端的な方が好きだった。
「話もまとまった所で、ごはんの続きを食べようか」
冷めない内にと、ホークアイはスープの器を手に取った。中身は熱々だが、厚い木製の器はほのかに温いだけである。二人も皿を手に取ったが、ケヴィンは先程の、お小遣いを貰った時と同じ表情をしていた。
「ホークアイと、リース。オイラの、トモダチ」
と、何度か小さく名前を繰り返していた。さっき聞いた話では、大切な親友が横死したばかりだと言うから、友達に対しては一際思い入れがあるのかも知れない。ホークアイは彼に同情を覚えた。
「これからは、ずーっといっしょなんだから、いくらでも呼べるよ」
「うん、ずっといっしょ」
と、ケヴィンが顔を上げた。
「オイラ、二人の事、守るよ」
「ありがとう」
リースも感慨深そうに言った。大切な人を守りたいと躍起になって、結局果たせなかった彼女とホークアイにとって、自分が守られると言うのは思ってもみない事だった。これからは三人一緒に行くのだから、負うべきものも三人で担って行けるのである。そう考えると、肩の荷が軽くなった気がして、仲間の有り難みがつくづく身に沁みた。全く違った環境に生まれ育った三人だが、心底には何処か通じ合った所がある。この旅は上手く行きそうだった。