父の死はヴァージニアにとって、凍てついた水がじんわりと染み行くような、実感の遅い悲しみだった。それもその筈、父リッチは顔も知らぬ消息不明の人物で、足跡を見付けたのは全くの偶然、彼女にとって予想だにしない出来事だったのである。唐突に齎された真実は、呑み込むのさえ時間を要する。受け入れるにはもっとかかる。例になく皆の後ろを歩き、口数も少なかったジニーは、宿につくなり泣き出した。痛ましくて気の毒だけれど、仲間達にはどうすることも叶わない。とりあえずグスタフの提案で、そっとしておくことになった。
それから随分経った。そろそろ落ち着いた頃だろうと、グスタフが斥候に出された。なんなれば、先般ちょっと分別のあることを言ったものだから、上手いこと対応出来るだろうと一任されたのだった。
ヴァージニアはさっき泣いていた姿勢で、ベッドに突っ伏していた。名前を呼んでも返事がない。疲れて寝入ってしまったのかと、暫し様子を見ていたら、唐突にむっくり起き上がった。グスタフは片膝をつき、彼女と目線を合わせる。ジニーの方は、未だ赤いままの目で、彼の後ろ髪が揺れるのを見上げていた。
「食事の支度が出来たそうだ。食べられるか」
「うん。いっぱい泣いたら、お腹空いちゃった」
存外明るい声だった。楽しい夢でも見ていたかのように、ジニーは気楽そうに伸びをする。座り込んでいるとお下げが床を擦りそうだ。グスタフはさほど気を揉む性分で無く、相手がけろりとしているなら、いつも通りに応対した。
「顔ベタベタ〜……ご飯の前に洗って来ようっと」
顔に腕輪の模様が付いていないかとグスタフに聞く。空腹だと行った割に、お下げを直したり布団の皺を伸ばしたりと、ちっとも立ち上がる素振りを見せない。グスタフも敢えて催促しない。ジニーは話したくて仕方が無くて、しかし蒸し返すようで気恥ずかしくて、目を見たり逸らしたりしてくる。今にも袖を引っ張って来そうだ。結局、彼女の性分で呑み込むのは難しく、やがて話の口を切った。
「パパのこと、グスタフには話してないよね?」
「ああ」
「パパはね、すっごいディガーだったんだ。色んなところを冒険して、色んな人を助けたの」
ジニーは得意気にそう言った。砂漠の噴水を蘇らせたこともあり、その時のクヴェルを今も母が持っている。ヤーデ伯爵の依頼を受けたこともある、実際に話をつけたのは同行したヴィジランツだけれど。最後に女性を追って行ったのは、何か大変な事件があったに違いないし、そのために母の身を案じてワイドへ送ってくれたのだ。ママから聞いたと言う父の冒険譚を、ジニーは彼に自慢した。表情には笑みこそ浮かべていたが、どこに注目していいかわからない様子で、窓の方に目線を彷徨わせる。父を思い浮かべようにも、彼女はその面影を知らない。だからこそ、言葉でその姿を讃え、求めるのだった。
「おじいちゃんのことはみんな知ってる。偉大なタイクーン・ウィルだって。……でもね、パパも負けないくらいのディガーだったのよ」
「そうだな。世の人に知られなかっただけだ」
「そうだよね!」
と、ジニーがにっこり笑う。グスタフは頷いた。彼の父フィリップもまた、歴史の陰に埋もれた一人だった。誰が悪いわけでは無い、他に仕様があったわけでも無い。グスタフはチャールズを恨みに思ってはいなかった。父を死なせ、伯父に弟を見捨てさせる仕儀とさせた、この時世を儚んだのだった。ファイアブランドを振るう者、ギュスターヴの後継者、ハン・ノヴァの新たなる王者。たったそれだけの肩書きが確執を生んだことを厭うた。故、グスタフは父祖の命に悖り、身分と治めるべき領地を捨て、ギュスターヴとファイアブランドを歴史から葬ったのである。
「でも、みんなが知らなくったって別にいいの。ママが知ってるもん。私だってタイクーンになりたいわけじゃないし」
「君は名誉が欲しくは無いのか」
グスタフが尋ねると、彼女は大きく首を振った。
「いらないよ。おじいちゃんも、本当はやだって言ってたもん。グスタフだって嫌でしょ、タイクーンなんて呼ばれるの」
「そうだな」
「ほらね」
にこにこしていた彼女が、少し表情を改めた。
「タイクーンはやだけど、私、それくらいのすごい冒険者になるつもりよ。いつか、おじいちゃんとパパみたいになるんだ!」
だからもっと頑張るよ、とジニーは言った。そしてやにわに立ち上がると、グスタフの手を引っ張った。
「行こ! ご飯冷めちゃったらやだもん」
元が楽天家とは言え、強がりを見せている節もあるだろう。グスタフは、もう少し優しい言葉を掛けてやろうと思ったものの、出て来たジニーをロベルトが迎えたために、結局機会を逃してしまった。
直向きなジニーの姿に、グスタフは少し懐かしさを覚えた。名声など要るものか、自分は領地領民の繁栄さえ担えれば良い。そんなようなことを言ったのは従兄殿だった。辣腕のデーヴィドは、グスタフよりもよほど王座に向く器の持ち主であったが、それを本人に零せば一笑に付された。伯父の内心はともあれ、少なくとも従兄との関係には、一抹の衒いや嫉みすら介在しなかったのである。そんなお互いだったから、共にヤーデの地を善く治めて行こうと、固く誓い合ったものだった。
地位名利を葬れど、かつて父と祖父に憧れ、従兄と誓った熱情は、火種の如く燻り続けている。鉄の重石で抑えたそれが、再び熱き焔を灯すまで、未だ発破は掛けられていない。