サウスマウンドトップ戦役。天下分け目の戦いを前に、小さなディガーとその仲間達の力など高が知れ、到底太刀打ち出来そうにもない。ジニーらはヴァンアープルと共に、戦いを見届けるという名目で待機、暇を潰していた。
貴族でも無ければ卵に関係するわけでも無い。加えて余所者であるロベルトは、一連の動きがどうも身に余ると捉えていた。はじめは年長者らしく、ウィリアムや師弟達の談義を聞いていたのだが、それもあっと言う間に飽きてしまったのだった。出て行ったグスタフは気掛かりで、どうにも落ち着かないし、これは是非ともジニーとお話して気を紛らわすべきだと、彼女がいる筈の天幕を訪ねた。ところが外から声を掛けたら、期待の愛らしい返事は無かった。
「ジニーちゃん、いるかい?」
「入らないでくれる?」
白刃のような声がした。プルミエールだった。
「急ぎの要件でなければ後にして」
「ジニーちゃんに用があるんだが……」
「ジニーは今答えられないわ。代わりに私が伺うから、そこで話して」
流石のロベルトも、何だか妙だと気付いた。返される言葉は変に焦った様子である。少々心配になるものの、断り無く女性の天幕に上がり込むのも失礼で、大人しく踵を返そうとした。したら、ロベルト〜とむにゃむにゃ言う声が聞こえた。思わずちょっと覗いたら、やっぱりジニーはいた。プルミエールに膝枕されて、寝ていた。手元には斧があった。
「入らないでと言ったでしょう!」
もうちょっとで危うくぶん投げられるところだった。ロベルトは必死で彼女を宥めすかし、見ちまったもんは仕方無いとか何とか嘯いて、天幕に居座ることにする。正面にどっかり座り込み、知らん顔で荷物を広げ始めれば、追い出されることも無かった。
当たり前だが、プルミエールがジニーを甘やかしていたわけでは無い。はじめ彼女は一人でいた。其処に退屈なジニーが寄って行って、好き勝手した挙げ句寝入ってしまい、よじ登るような形で膝に転がり込んだのだった。天幕と言っても単なる布である。地べたに座るよりはましなくらいで、石ころの凹凸や草のふさふさが布越しに伝わってくる。ジニーが膝を選んだのも理であった。プルミエールは滅法不機嫌なものの、その眼差しは優しい。ヴァージニアは天真爛漫な美少女で、彼女も黙っていれば大変な美人である。右手に斧を掴んでいるのが難だが、天幕の壁が額縁の役割を果たし、絵に描いたような光景だった。
「そうやってると可愛いんだけどな、二人とも」
「可愛くなくて結構よ。この子、本当にタイクーンの孫なのかしら。全くそうは思えない」
「何たって家出娘だからな。で、君も家出娘、グスタフも家出息子と」
「家出はしていないわ。お義母様に挨拶をしてから、家を出たもの」
語るに落ちると言うやつだが、下手にからかうと今度こそ摘み出されそうだ。ロベルトは追及しなかった。
弓使いは往々にして重用されない。後方支援は術で事足りるし、矢が有限であるというのも戦力的、心理的、金銭的と多方面に於ける負担となる。其処で殆どの弓使いは、暇さえあれば自分で矢を拵えるようにしていた。術者自身の力を吹き込んで作られる矢は、強力な媒体になる反面、市場に流通するものより歪で精度が悪い。ロベルトは慣れた手付きで枝を切る。矯めるのはグスタフにやらせていて、元々の几帳面な性格と、火と熱への馴染みが深いせいか、職人の手のように真っ直ぐ伸ばされるのだった。今はいないから、自分でやるしか無い。普段は何くれと無く手を貸してくれるのだが、今日のプルミエールはぼんやり見詰めるだけだった。見ているようで見ていない、心が全く別にあって、眼前の事象をそれと捉えていないようだった。
そわそわしていた。各々理由はそれぞれだが、落ち着かなくて普段と様相を殊にした。彼女がどうしてそんなことを言い出したのかは分からないが、状況が大いに関係したのだろう。独り言のように呟いた。
「ヌヴィエムお義母様は、オート候家の立て直しを図られていたの。私も、オート候家中興の祖、大カンタールの遺志を継ぐべく育てられたわ」
「ヌヴィエムって……九番目の娘さんか。あんたは?」
「二十三番目。私の名は義母に付けて頂いたの」
「それでプルミエールか。複雑な家庭事情だよな」
「ええ。侮辱されたことも少なくないわ。だけどお義母様は、オート侯家の娘として、誇りを持ちなさいと仰っていた」
彼女は義母に良く似ているのだろう。口さがない者の言葉をやり過ごすには、それらを耳に入れぬよう避けてしまうか、反対に堂々と構えて寄せ付けぬか。母子は後者を取った。ただ今日の彼女には、いつもの気迫は窺えなかった。
「けれど、私にはそのお義母様こそが、ヤーデ伯への恨みによって行動しているようにしか見えなかった。出来るなら止めたかったけれど、それでは義母の人生を否定することになってしまう。だから私は家を出たの。止められないのなら、せめてその連鎖を断ち切れるように」
普段は弁舌淀み無きプルミエールが、珍しく言葉に迷っていた。肉親や家の否定は彼女の本意に反するのだろう。ヌヴィエムと言う人物のことはさっぱりだが、単純なロベルトは、妹を引き取って育てた情の深い人で、かつ美人のプルミエールの姉なのだから、きっと素晴らしい人に違い無いと思い込んだ。
「良い母上様だったんじゃないか? 難しいことはともかく、妹の君をここまで育てた人なんだろう。出来れば、もう少しおしとやかな女の子にして欲しかったとこだが」
「あなたは一言余計なのよ」
ジニーがまたむにゃむにゃ言いながら、プルミエールの腹側に寝返りを打った。寝顔が見られなくなったのは残念である。プルミエールも仏心を出し、緑の前髪を梳く。末子の彼女なので、年下に対する振る舞いを知らなくとも無理は無い。やっと斧を手放してくれたので、ほっとするロベルト。眠る少女から目を移し、髪を掻き上げた彼女は、仄かに微笑していた。
「勿論、私に取っては良き母だったわ。お父様も、親子らしいことは何も出来無かったけれど、お義母様が抱く尊敬の気持ちは良く分かるの」
それで話は打ち切られてしまった。懐かしい夢から覚めたように、やわらかな少女のプルミエールが、たちまち普段の烈女に戻った。
「昔の話ね。家を捨てた私には、もう関係無いことだわ」
今は昔の、口にしたところでどうにもならぬ話。そうした過去を思い返すほどに、プルミエールをして動揺せしめたのは、似た境遇にあったグスタフの行動を目の当たりにしたせいだ。今からでもと踏ん切る事も出来ず、今更と捨て置く事も出来ず、こんなところでぐずついているのは、彼女もまだ青いからだった。
「家を捨てたことと、そういう気持ちってのは、別物なんじゃないか?」
そう言って、矢羽をふわふわ振る。プルミエールは頭を振った。
「もう良いの。チャールズは死んだわ。デーヴィドが後を継ぎ、世界は和平に向かっている。そこにオートの再興は必要ない。父上の栄光も、義母上の野心も、全ては過去のもの……振り返っても虚しいだけよ」
「グスタフはそう思ってないみたいだぜ。勿論ジニーちゃんもだ。あいつは領主になりたくもハン・ノヴァが欲しくもないし、ジニーちゃんはタイクーンになりたいわけじゃない。そういうのと、家族が好きだってのは別だろ」
「そうであっても、私に出来ることはないわ」
彼女の態度は影法師を厭うようなものである。所詮振り切ることなど叶わないのだから、認めて受け入れてしまった方が楽になれる。しかし、グスタフには従兄を助けるという機会が与えられたのに対し、プルミエールには、家族への尊敬と思慕を形にして返すべき時宜が、未だ訪れていないのだった。ただ心に思うだけでは済まされないのが彼女である。生きて会える内に伝えるべきだと、ロベルトはつくづく考えるのだが、事情が事情なだけに口出しするのも憚られた。先方も話を続けるつもりは無いようで、散らばった矢の部品に手を伸ばすと、黙々と作業を始めた。
ついに材料が尽きた。相変わらずじっとしていられない彼は、丘の上に偵察へ行こうと決めた。プルミエールも出ようとしたが、膝の重みに気付くと、やめた。ロベルトを見上げる。
「ロベルト、話を聞いてくれてありがとう」
「なんのなんの」
彼女はお愛想に、少し笑って見せた。ロベルトも気安く返す。出て行く間際、彼は不意に良い知らせを思い出し、振り返って言った。
「そういや、さっきオート候家が増援を寄越してくれたらしいぜ。ヌヴィエムお義母様も考え直したのかもな」
「何ですって?」
プルミエールが目を見張った。引き止める声を無視して、ロベルトはさっさと撤退する。意地の悪い切り出し方だったが、あの鋼鉄のような娘に一杯食わせてやったのは痛快である。こんな小さな切っ掛けで彼女が家に戻ることは無かろうし、勿論グスタフの方も然り。彼としてはその方が都合が良く、可愛いジニーと直向きなミーティアと、頼もしいウィリアム老と、皆で賑やかに冒険していたかった。
途中まで歩いてふと、ロベルトはやなぐいを天幕へ忘れたことに気付いた。今更戻れなかった。