考察を始めるにあたり、筆者のスタンスなどを始めに記しておきます。
筆者が「公式設定」と考えるものは、ゲーム中でのセリフやモノローグです。
書籍には誤謬や著者の個人的な見解が含まれるためです。
当サイトでは、オリジナルの「ロマンシング サ・ガ」とリメイク版の「ロマンシング サガ ミンストレルソング」の設定は別モノであると見做しています。
(ワンダースワン版はシェラハイベント以外ほぼオリジナルと同一なので特に触れません)
便宜上、前者は「ロマサガ」、後者は「ミンサガ」と表記します。
ロマサガの設定に関しては、NTT出版の攻略本3冊・大事典・大全集・時織人・サガクロニクル・ワンダースワン版攻略本と、多くの資料があります。
ミンサガにはファーストガイド・Vジャンプ攻略本・アルティマニア・サガクロニクルなどが存在します。
更に雑誌などのスタッフインタビュー、最近ではSNSでの発言など、資料が多岐に渡って存在します。
これらの資料に記載されている設定は統一されているわけではありません。
例えば、フェル六世の妹マチルダは、ある書籍では「フェル四世の次女」とされていますが、別の書籍では「フェル五世の末娘」とされています。
というわけで、書籍に載っているからと言ってそれが必ずしも正しいわけではないと考えられます。
ゆえに、この考察は都合の良い設定だけを取り上げて展開します。あしからず。
また、ゲーム中で変えられる設定(親の職業など)やストーリー展開については、最も王道だと思われるものを取っています。
ロマ1で言うと、主人公は全員独自シナリオを経験済み、各地で発生するイベントは解決済み、親の職業はパーティメンバーとして加わった時のデフォ職……などなど。
この辺は感覚の問題になりますが、管理人しまはデフォルト選択肢や円満解決ルートが好きなほうです。
前置きがひじょ〜〜に長いですが、初見の閲覧者の方にも分かりやすいよう細かく書いてみました。
序 運命に負けたりはしない
エンディング後のクローディアは、皇女になるか、迷いの森に帰るか、どちらかの道を選ぶ事になります。
(グレイと旅に出るとか、他の仲間と一緒になるとかもありますが、それはさておき)
彼女はどちらを選ぶのか?
今回はそんな話を考察します。
1 ロマサガとミンサガ
ロマサガとミンサガでは少々設定が違うので、別個に考察してみましょう。
ミンサガのクローディアは皇女になります。
……えらくあっけなく終わりましたが、ミンサガはクローディアの去就についてゲーム中で触れています。
八人クリア時の座談会にて、ジャミルが「メルビルに行けよ」と言い、クローディアは肯定的な反応を見せるのです。
会話の流れからしても、クローディアがメルビルで皇女になるであろう事が示唆されています。
ミンサガの彼女はクールビューティで、性格からしても、皇位を継いでも不思議はなさそうですね。容姿もリメイク前より貴族風です。
一方で、アルティマニアにはこんな記述も存在します。
「クローディアは、己の出生を知っても、それによって自分の生きかたを変えようとはしない」
ED後の座談会でこの意思を改めたとも考えられますが、ちょっと気になる言い回しですね。
ロマサガのクローディアはどうでしょう。
時織人では「親子の名乗りは結局上げてずに終わった」(上げてずは原文ママ)
「本人には、皇位を継承するつもりはなく、森で動物たちと静かに暮らすことを望んでいる」とあります。
更に注目すべき所は、河津氏のツイッターでの発言です。
「彼女は皇位を継いだのか? 性格的には継ぎそうにありませんが、帝国はどうなるのか?」と製作者自ら語ってます。
河津氏はシナリオ担当(スタッフロールによる)でもあるので、かなり重要なコメントです。
ロマサガのクローディアの性格は、セリフが少ないので何とも言いがたい所ですが、多くのプレイヤーは「おっとりした物静かな女性」と言う、ミンサガとは少々違うキャラクターをイメージしていたのではないでしょうか。
河津氏の仰る通り、皇女になるより森で暮らす方が向いているように思えます。
彼女が皇位を継いだ場合、メルビルのゴタゴタは万事丸く収まります。
色々と事件は勃発するでしょうが、クローディアならば、万難を排して帝国を立て直す事ができるでしょう。
問題は森に帰った場合です。
様々な不都合が起こりえますが、その難関を乗り越え、どうやって彼女は森に帰るのか?
ここではクローディアが森に帰った場合を前提として考察します。
2 クローディアと魔女の話
森に帰った場合、順当に考えれば、クローディアはオウルの後を継ぐ事になります。
しかし、クローディアは方々で「魔法の才能がない」と言われています。
森の番人としての役目は果たしているようですが、オウルも自分の跡継ぎとして育てるのは諦めていたようです。
ところで、魔法って何の事でしょうね?
一般的に言う「魔法」の力は、ロマサガでは「術法」と表現します。
作中で「魔法」と称されるのは、魔女や魔法使いが使う不思議な力の事のみを指しています。
……が、具体的に何であるかは明示されていません。
魔女と言うのも抽象的な存在です。
書籍などでは、迷いの森は魔女によって惑わされている というような旨が書かれています。
しかし、実際のゲームでは、魔女オウルが死んだ後も迷いの森は迷宮のままです。
その上、クローディアのOPではオウルについて「人々はこの魔女が森を守っているのだと思っている」と説明しています。
「と思っている」です。妙に含みのある言い回しですね。
森を魔女が惑わしているのだとしても、パーティにクローディアがいる場合、フィールドから迷わずオウルの庵へ行く事ができるので、クローディアは惑わしの力に干渉できる(≒魔女の力を持つ?)と言う事になります。
魔法と術法については「虎の巣」管理人氏の考察を引用します。
>「術法(術)」とは「仕組みが解明されていて、知識・技能を伝達することで使用可能になる技術」であり、
「魔法」とは「仕組みが解明されておらず、一部の者のみが使用可能な特殊能力」である。
>#「魔法」は「仕組みが解明されていない」ので、資質が無いと使えないかもしれないし、必ずしもそうではないかもしれない。
これに同意し、筆者も魔法と術法は異なる存在であると考えます。
教わるだけで殆ど誰でも術方が使える世界に於いて、フラーマやオウルなどの存在が特別視されているのは、人にはない類稀なる能力を持っているためなのでしょう。
また、ゲーム中には「魔導士」「魔術」「魔女」など、魔を冠する言葉がしばしば登場します。
これほど多岐に渡っているのは、「魔の術法」という意味と、邪悪なもの・魔族的なものという意味が含まれているため複雑になっていると推察します。
私達が使う言葉に同じ単語や発音で意味合いが変わるように、マルディアス人も感覚で「魔」を使い分けているのかも知れません。
色々書きましたが、自分としては、クローディアは魔法の才(オウルやフラーマのような特異な能力)はないが、術法の才(作中で使用する水や他属性の術法)は備えているという結論に至っています。
魔法の才がなく魔女にはなれないクローディアですが、迷いの森を守る者としては生きて行けると思います。
ときに、ロマサガ大事典はシナリオライター監修の書籍ではない(奥付にスペシャルサンクスとしてスクエアの名があるのみ)ため、公式設定というわけでもなく、プレイヤーの想像を膨らませる一助になるものだと捉えています。
(そうした書籍はとても重要だし、個人的にも大好きです)
その前提で考察すると、大事典にある「オウルは魔女などではなく、シリルを崇拝する集団の大司教」という記述は、森の外に住む人々の観点から書かれたものかも知れません。
実情はそうではないが、迷いの森の神秘性からまことしやかに囁かれる推論か。
オウルは人との関わりを断って暮らしているため、崇拝者の中での立場があるとは考え難いです。
よって、大事典の「魔女の操作によって迷いの森が作られている」という記述も、実情はそうではないとも考えられます。
オウルは魔法の力でシリルの加護に干渉し、惑わずに住まっていることから、市井の人々に「魔女が迷わせている」と思わせているのかも知れません。
オウルの死後も迷いの森の神秘は存続し、干渉できるのはクローディアのみ。
クローディアが森に戻れば、術法で獣や木々を癒し、弓で森を荒らす外敵を退ける暮らしを続けることでしょう。
それは人々の目に「魔女が森を守っている」と映るかも知れません。
迷いの森の在り方としては、そんな形も美しいのではと思います。
3 森の仲間達の都合
ミンサガのクローディア編で印象的なイベントは、やはりブラウやシルベンとの別れでしょう。
クローディアはもう迷いの森にいてはいけない存在なのだと実感し、彼らに別れを告げるのです。
ロマサガにもこのイベントは存在します。
クローディアは「この森にいてはいけないのね」と言い、森の住人に別れを告げます。
……ところが、なぜかシルベンはパーティから抜けません。
プレイヤーの攻略によっては、ブラウまでもがパーティに居座ったりします。
恐らくバグなんでしょうが、別れを告げた後もシルベン達とはずっと一緒にいるわけです。
更に、クローディア以外が主人公の場合、このイベントはだいぶ端折られます。
「わしはもう死ぬ」と「オウルはクローディアに出生の秘密を話した」から、「私はだいじょうぶよ。さあ行きましょう」で終了です。
森の仲間とお別れしません。
クローディア自身は「森にいてはいけない」と思ったようですが、状況的にはそうでもなさそうです。
困った時は大きな木に聞け と言うオウルの遺言からして、これからもちょくちょく遊びに来る前提のようですし。
4 人々の都合
クローディアと森の仲間達は、上記のように考えているらしいです。
周囲の人々はどう思っているのでしょう。
帝国側の人々は、ローバーン夫婦を除いた全ての者がクローディアの帰りを待ち望んでいます。
この事は論ずるまでもないでしょう。
オウルについては、どう考えているか微妙なところです。
森を出て世界を知る事を勧めたり、出生の秘密を話したりしている事から、クローディアが森を出る事を予期しているようにも思えます。
一方で、跡継ぎにする事を考えていたり、ジャンの件について「厄介な事にならなければいいが」、サンゴの指輪について「そんなものは無い方がこの子のためになる」と発言したりと、クローディアが森で暮らす事を望んでいるような素振りも見せています。
恐らくオウルは、自分の意向よりもクローディアの幸せを一番に考えていたのでしょう。
森で静かに暮らせればそれで良いし、森を出たとしても、それがクローディアの選んだ道ならば良しと思っていたのかも知れません。
シリルの意向はなんとも言い難いところですが、エリスについてはこんなセリフがあります。
「私は、あなたがこの森で一生穏やかに暮らしていければ良いと思っていた」と。
エリス(シルベン)はクローディアが森に住む事を望んでいます。
しかし、他のセリフからすると、エリスも結局はクローディアの幸せが一番大事なようです。
父親のフェル六世も、娘の幸せが一番であるようです。
もちろん可能ならば戻ってきて欲しいと思っているのでしょうが、クローディアの正体と自分との関係について、皇帝は一切触れようとしません。
クローディアの命が狙われた事を知っているとしたら、却ってメルビルにいない方が幸せだと思っているかも知れません。
運命にこそ弄ばれるクローディアですが、周囲は彼女の意思を尊重しています。
どうするかはクローディア次第 と言う事ですね。
5 どうなる帝国の巻
クローディアが森に帰った場合、一番大きな問題は、帝国の今後でしょう。
なんせ皇帝に跡継ぎがいないわけです。
その皇帝も、妹夫婦に命を狙われ、危うい状況に置かれています。
しかしよく考えてみると、皇帝が命を狙われ始めたのは、クローディアの存在が判明してからです。
宿屋の変死に始まる一連のイベントは、クローディアが森を出た後に発生します。
それ以前については、皇帝が命を狙われていたのかどうかは不明です。
ローバーンが皇帝の命を狙ったのは、跡継ぎの存在が判明し、己らの立場が危うくなって来た事が原因だとも考えられるのです。
ローバーン公は様々な事件に関わっていますが、帝国そのものが瓦解する事は望んでいなかったようです(海賊の襲来は予期していたが、モンスターの襲撃は予想外だったらしい)
人格にこそ問題はありますが、公の政治的手腕は確かなものです。
マチルダが女帝になりさえすれば、案外帝国は上手くいくかも知れません。
ローバーン公とマチルダの間に子供がいるかどうかは不明です。
子供が存在する場合、マチルダが皇位を継承しなかったとしても、皇位継承権はその子供に引き継がれます。
鳶が鷹を産むではありませんが、親はアレでも、子供はまともな人間かも知れません。
そうであれば帝国は安泰ですね。
ナイトハルトはマルディアス全土の掌握を狙っています。
ロマサガでは黒幕説も浮上した彼ですが、ミンサガで意外といい人である事が判明しました。
しかし、非情な一面を持っている事は変わりません。
ED後の平和な世界に於いても、ナイトハルトは他国への侵攻を諦めていないかも知れません。
ローザリアが侵攻した場合、恐らくメルビルはあっさりと制圧されてしまうでしょう。
帝国の歴史はそこで終わる可能性もあるわけです。
クローディアがいない帝国の将来としては、
一・マチルダが女帝になる
二・ローバーン公の子が帝位を継ぐ
三・ローザリアの支配下に置かれる
の三つが考えられるでしょうか。
いずれも大団円とは言いがたいですが、クローディアが女帝になったとして上手くいくとも限りませんし、どちらが良いとは判断つきかねるところです。
(クローディアは帝王学を全く学んでいない上、帝国の人材不足は深刻で、彼女を補佐できる有能な人物がいるかどうか不明である)
6 つまるところ
長々と書きましたが、筆者の結論は、
「ロマサガクローディアは森に帰る、ミンサガクローディアは皇女になる」です。
好きなように解釈していい がサガシリーズの基本なので、飽くまで筆者の結論です。
ロマサガ大事典に「森で見かけられる月の女神の正体は、森に住む若い娘である」というような記述があります。
クローディアは魔女にこそなれずとも、森の番人、月の女神の加護を受ける者として、迷いの森の獣達を守っていく事ができるでしょう。
余談 クローディアの性格
考察の最初に「クローディアはおっとりした物静かな性格」と書きましたが、作中のセリフと照らし合わせたクローディアはどうなのか? という話です。
クローディアは穏やかなBGM(クローディアのテーマ)で動物達に囲まれ、「なーに?」と小鳥の呼びかけに答えるシーンから始まります。
実のところ、おっとりと断言できるのはこの場面のみです。
他のセリフとしては「……うるさいところですね」「たいめんばかり気にしてバカバカしい」など、シニカルで冷静沈着な言葉も目立ちます。
(セリフちょっと間違ってます。うろ覚えで失礼)
パーティメンバーとして仲間にする際は、かなりの人見知りで、二回の選択肢を挟んでやや強引に連れ出す必要があります。
その時は「……分かったわ 一緒に行きましょう」と、微笑みながら答えたのか、おずおず返答したのか、呆れ気味なのか文面だけでは判然とせず、声色や表情はプレイヤーの想像力に託されています。
再度パーティに加入する際のセリフも、「〇〇(主人公)……いっしょに行く?」と、微笑みながらか無表情なのか、嬉しそうな声色か感情を押さえているのかで印象が変わってきます。
また、元来サガシリーズ(河津氏)のセリフ回しは端的かつ、感嘆符(!や?)が少なめである、ということも考慮する必要があります。
他のサガでも顕著ですが、他の創作に比べても、サガシリーズの登場人物は淡々とした、冷静沈着な言い回しをする場合が多いのです。
一方で、選択肢にはざっくばらんなセリフ(「すかしたやつだなー」「この大女!」とか)が多いのも面白いところです。
個人的には、相手や状況によって考え方は変わり、キャラ自身の状況によって(切羽詰まっていることがあるか余裕があるか)気分や口振りも変わってくるのがよりリアルなキャラクター性だと思っています。
シニカルなところや心優しく穏やかなところ、人を助けたい時の情熱的な言葉など、沢山のセリフがあるからこそ、クローディアというキャラクターに魅力があると思っています。
……というわけで、「おっとりでも冷静沈着でもある」が自分の結論です。
以上です。
読んで下さりありがとうございました。