ハンプティダンプティは塀の上

 ワイドの暮らしは、ウィリアムにとって心地の良いものだった。此処ではディガーとしての技量や地位は何の意味をも齎さない。当然、ウィルをタイクーン扱いする者は無く、結婚したばかりの妻が危険な旅に出ることも無い。彼らは平々凡々な移住者として、細々した依頼と探索で生計を立てつつ、二人で平和な日々を送っていた。ウィルがちょっと失敗だと思うのは、この家に庭が無いことだった。コーデリアは植物を世話するのが好きで、此処でも家の内外に植木鉢を並べている。丁寧に寄せ植えしてあるお陰で、草花がこんもりして華やかなのだが、育てる方からすれば狭くて物足りないだろう。ヤーデの方が気候も暖かく、長閑で広々していると聞くから、そちらに越せば良かったかも知れない。
「そんなこと気にしてたの?」
 朝露きらめく花を生けながら、コーデリアは笑い出した。朝食の後、花の手入れをするのが彼女の日課である。古くなった生け花を木術で元気付けてやり、洗い物するウィルのところへ来、布巾でお皿を拭き始める。相手が神妙な顔をして、コーデリアにも神妙が移っていた分、おかしさも一入だったらしい。
「たくさんあっても面倒見きれないもの。この家、なかなか気に入ってるのよ」
「それなら良かった。僕も気に入ってるんだ、コーディーがいてくれるから」
「どこだって付いて行くって言ったでしょ」
 言う通り、ウィルの旅には必ず同行した彼女だが、空の下で攻守の分担をするのと、屋根の下で家政を分担するのでは、長年の付き合いを以てしても、まるで勝手が違っていた。趣味に関してもそうだ。花が好きなのは知っていたが、育てる方も大好きで、こんなにも甲斐甲斐しく世話するとは知らなかった。多分相手の方でも、知らなかったウィルの一面を見ることがあるのだろう。理解するたび好ましさは募るから、コーディーも同じように受け止めてくれていたら良いな、と思っていた。
 片付けが終わったので、ウィルは身支度に掛かった。新米の冒険者に付き合って手助けしてやる予定である。最近引き受ける仕事は専ら、こう言った身近な冒険や、一両日で済む探索ばかりである。所帯を持ったのも大きいが、メガリスでの冒険を経、タイクーンと称されるようになってから、彼の探求心は潮が引くように落ち着いてしまったのだった。名を上げるにつれ伴い行く、血腥い兵戈や政争のきな臭さがどうにも堪え難かったのである。ロードレスランドを離れるに当たって、殆どの装備はナルセスやタイラーに任せたり、処分したりしてしまったが、杖とコーデリアの槍だけは敢えて貰い受けた。彼女に使うつもりは無いようだが、いつか誰かの手に渡る時に備え、まめに磨いてある。ウィルの杖は、以前のほどでは無いにしろ、しばしば冒険の供を務めた。
「手紙、出すんでしょう? 忘れないでね」
 お勝手からコーデリアが声を掛けた。ここのところ送ったり届いたりが頻繁で、気になったらしく、重ねて言う。
「どこに出してるか知らないけど、怪しいところに首突っ込まないでよ。あなたは何でも引き受けちゃうんだから……」
「気を付けるよ」
 ウィルは苦笑ではぐらかした。怪しいどころか命に関わる事件だった。
 石切場の件以降、卵の行方は杳として知れない。失われてしまったならば落着なのに、あの時一度だけ走った怖気が、未だ脳裏にこびり付いている。ウィルは秘密裏に、近々台頭した人物、卵に似た形のツールやクヴェル、諸々の噂を集め、果たして直感が正しいのか否か確かめようと試みていた。しかし結果は梨の礫で、今回も然りである。ぼんやり支度していたら、いつの間にかコーデリアが手を伸ばしてい、首飾りやらお守りやらを結んでくれた。
 ウィルは卵によって、父と母を奪われた。伯母は卵が遠因であるが、喪ったのは自分の責だ。この世にあれが存在する限り、何処かの誰かが、ともすればコーデリアが危険に曝される。手に掛けるのは自分かも知れない。卵がナイツの宿命に纏わり続けるならば、子々孫々に渡ってまで累を及ぼす羽目になる。自分の子や孫が、同じ悲しみに遭うのは御免だった。
 黙りこくったせいか、コーデリアは離れる際、心なしか眉を曇らせていた。
「心配しないで、コーディー」
 そう言って彼女の手を取る。少し冷たいそれを、ウィルは両手で握った。
「もう厄介事に関わるつもりは無いよ。君を巻き込んで、危ない目に遭わせたくない」
「約束よ。一人で待ってると、どうしても心配になっちゃうんだから」
「うん、必ず」
 コーデリアが視線を逸らした。まさか隠し事に感付かれたのではと、ウィルは内心心配したが、彼女はそれとは関係無いことを言った。
「一緒に行く子達、しっかり守ってあげて」
「分かった」
 ウィルはほっとして、彼女に笑い掛けた。
「コーディーも、気を付けて」
「ええ。美味しいもの作って待ってるわ」
「ありがとう」
「……分かったら、いい加減離してちょうだい!」
 コーデリアが赤い顔で根を上げた。所在無さげな理由は手にあったらしい。ただ触れているだけで、一体何がいけないのかと、ウィルがそのまま離さなかったら、ついに機嫌を損ねてそっぽを向いてしまった。それからも、なるべく険しい表情を装っていたコーデリアだが、気楽な相手の態度を見、すっかり気勢を殺がれてしまっていた。
 あれこれ注意した後、彼女は笑って送り出してくれる。今のように怒らせてしまった日も、遅れそうになって慌てた日も、出掛けの表情はいつも変わらない。帰った時は、何をしている途中でも、手を止めて戸口まで出て来て、温かく迎えてくれる。こんな日がずっと続けば良いと、ウィルは思う。そのためには、厄介事の禍根を絶たねばならないのである。手に馴染んだ杖を取り、兜を深めに被り直した。
「行って来る」

2014.3.1