四
しかじかの理由で、全員掻き集めるには骨が折れたものの、どうにか全員とカールをモールベア高原に呼び出す事が出来た。幸い皆五体満足で、気掛かりだったデュランもぴんぴんしていた。アンジェラの方も、少々機嫌は悪いものの、普段通りの様子である。しかしながら、ついこの間会ったにも拘わらず、リースは仲間達の変化に愕然とした。三人ともが生傷だらけで、顔には痣を作り、服には落ち切らない何かの染みが点々と付いていた。ケヴィンは凶暴化している際の記憶が無いらしく、普段とさして変わらないが、他の二人はついに自棄でも起こしたのか、なりに反していやに清々した顔だった。それが却って不気味だった。リースが司祭の言葉を伝えると、揃って哄笑した。
「リースはじょうだんがヘタだなあ」
「いくらお前の言う事だって、そればっかりは信用できねえよ」
と、デュランもホークアイも同じような事を言った。二人とも全く信じていないらしい。
「いいえ、本当です」
普段の彼女ならば、疑うのも無理は無いとやんわり頷く所だが、今度ばかりは決然と否定した。
「ウソだと思うなら、ここで必殺技を使ってみてください」
「よっしゃ、オレがやったる」
デュランがつと態度を改めた。いつものデスブリンガーから、保護用に巻き付けた布を引き剥がす。準備運動がてら、その辺の木を九度斬り倒した後、軽く息をついた。
「お前達、下がってな」
仲間を散らすと、彼は一点集中し、剣を地面へ突き立てた。しかし、大地は噴出しなかった。待てど暮らせど何とも起こらず、デュランは首を傾げながら、已む無く剣を引っこ抜き、刀身の土塊を落とした。
「アレ? おっかしいな……」
「そんじゃ、今度オレね」
ホークアイもまともな顔になった。同じく短刀を抜き、立木を九回斬り付け、分身しようとした。しかし、やはり何も出なかった。何度試そうが一向変わらず、樹木が傷付き、地面が刺し跡だらけになるだけだった。二人とも、息切れするまで繰り返した挙句、目を疑うように手元を凝視していたが、やがて頭を抱えた。
「ウソだろ、おい……」
リースは大いにほっとした。彼らのそばへ行き、両者の顔を交互に見て言う。
「やっぱり、思い込みのせいだったのね。私達みんな、闇の力はとっくに抜けているはずなんですもの。ねえ、アンジェラ?」
と、アンジェラに水を向ける。先程からシャルロットにこそこそ耳打ちされており、彼女はおおよその事情と狙いを察した様子だった。訝りつつも首肯する。
「そうね……。世界からマナがなくなっちゃったわけだし、人間が闇の力を使う手段はないわ。魔族にでもならない限りはね」
「でもあんたしゃんたち、まぞくじゃないでちょ。やっぱり、ただのおもいこみだったんでち」
シャルロットも一緒になって説得すると、デュランはかなり気分を害したらしい。剣を持ったまま、器用に拱いた。
「バカ言うない。思い込みでマグマが呼び出せてたまるかよ」
「しかし、デュラン」
ホークアイは冷静だった。
「考えてみれば、おかしいんじゃないか。普通の人間のオレ達が、どうしてマグマを呼び出せたり、分身したりできるんだ? マナの力があるならまだしも、今は魔法も使えないってのに」
「んな事言ったって、今まで普通にできたんだぜ。そういうもんなんだろ」
「……確かに。今更、使えなくなるのも変な話だな」
二人は暫く相談していたが、結局必殺技は撃てるのだと言う結論に達したらしい。再び実践しようとした矢先、リースが慌てて飛び出した。
「ダメダメ! ダメです、できないものはできないんです! ダメだから、あきらめて下さい!」
皆で協力し、二人の武器を取り上げてから、草の上に座らせた。取り敢えず話し合わなければどうしようも無いので、全員で車座になって説得に掛かる。カールは友達が揃って大喜びで、上体を伏せた格好で跳ね回っているが、いかんせん誰も相手をしている暇が無い。丁度下毛が抜ける時期に入ったらしく、彼は何だか見た目がみすぼらしくなってしまい、辺りに綿のような塊が散らばっていた。ケヴィンは先程の説明に対し、一往は頷いていたが、未だ半信半疑の体だった。
「じゃ、じゃあ、オイラが獣人に変身するのも、もしかして思い込みのせいなのか?」
「ケヴィンが変身できるのは、そういう種族だからよ」
アンジェラがきっぱり否定した。デスブリンガーを抱えているせいか、有無を言わせぬ迫力を備える。異論の差し挟みようも無く、ケヴィンは小さく呻いたきりだった。続いてデュランが食い下がる。
「なら、シャルロットがちびっこいのも、エルフだって思い込みのせいなんじゃねえの?」
「シャルロットのせーちょーがちょっぴりおそいのは、シャルロットがハーフエルフだからでち。あんたしゃんのおもいこみといっしょにしないでくだちゃい!」
忽ちシャルロットが怒り出した。言及するとおしおきの目に遭いそうで、デュランもすごすごと引き下がる。今度はホークアイだった。
「じゃあさ、オレが分身できるのは、オレがニンジャだからじゃないかな? そういうクラスなんだよ」
「他のニンジャさん達は、もう分身してないでしょう? ホークアイ、あなたがそう思い込んじゃってるんですよ」
リースが答えると、確かに心当たりがあるらしく、彼も噤んだ。少し膝を伸ばした拍子、ゲートルから金属のような音が立ったもので、リースは其処からまたしても暗器を没収する羽目になった。一体どうやって隠しているのか、凶器が湯水のように際限無く出て来るのだった。少年達は何か反駁しようとしたものの、結局上手い言葉が出て来ず、暫し黙然としていた。やがて、デュランが拗ねたように言った。
「……オレが必殺技を使えるのは、他ならぬ修行の成果なんだ。思い込みごときと一緒にしないでくれよな」
「修行したから使えるようになったって、そう思い込んでるだけでしょ。考えてみなさいよ。普通の人間が、マグマなんか呼びだせるわけがないの」
アンジェラが言い伏せた。しかし負ける傭兵では無い。
「だが、昨日はできた!」
「昨日でしょ。今はムリじゃない」
「なら、できるまでやってやるよ。剣返せ」
と、手を差し出したが、アンジェラは背を向けて阻止した。デュランはめげずに、背中越しに奪い取ろうとしたが、剣をしっかと抱き込まれてどうしようも無い。アンジェラは鬱陶しそうに、しつこい手の甲を払い落とした。
「いい加減あきらめなさいよ。必殺技の一つや二つ、どうだっていいじゃない」
「よくない! オレの数少ない特技だぞ」
デュランの意志の強さなら、このまま本気で必殺技が使えるようになりかねず、その辺りでリースが仲裁した。こうしたやりとりを何事も無く見られると言うのが、今の彼女には有り難く感じるのだが、感慨に浸っている余裕は無い。宥め賺して、どうにかデュランに武器を思い切らせると、後ろからホークアイが肩を叩いて来た。
「リース、ちょっといいかい?」
「ええ、何ですか……」
そう返事をするや否や、既にナイフは掠め取られた後で、ホークアイの手元で弄ばれていた。しかしながら、彼はふざけて盗ったわけでは無いらしく、顔付きは存外真剣だった。
「……よかった、こっちの腕は落ちてないな」
と、息をつく。安堵した様子に、リースが苦笑して答えた。
「心配しなくても、だいじょうぶですよ。あなたは元々シーフだったんだから」
「盗みのテクは思い込みじゃないわけか。……だったらさ、やっぱり、分身斬もできるんじゃないかな?」
「できませんよ」
言下に否定され、ホークアイは渋い顔で、デュランとケヴィンそれぞれの顔を見た。二人とも似たような反応で、揃って首を捻った。
「……みんななくなっちまうんなら、獣人の変身する力も、なくなっちまえばいいのに」
珍しく、ケヴィンがぶつくさ不平を言った。ホークアイも依然腑に落ちない風で、娘達に尋ねる。
「エルフの人達も、もう不思議な力は使えないんだよな? 獣人の能力だけが残ってると言うのも、おかしな話だと思うんだが……」
「シャルロットだってなっとくできまちぇんよ。でも、そーゆーもんなんだから、しょうがないでちょ」
と、シャルロット。続いてデュランが聞く。
「ケヴィンの変身は思い込みじゃなくて、オレ達の能力は思い込みだって言うのか?」
「そうよ」
「そうなんです」
「でち」
三人娘が頷いた。
「違いがさっぱり分からねえ……」
男二人がぶつぶつ呻いた。尚も諦めきれない彼らは、何が使えて何が駄目なのか、持てる技全ての試し斬りに掛かった。思い込み理論が通用しなかったらどうしようかと、リースは内心はらはらしたが、幸い忍術以外の能力は封じられていた。忍術は道具を使うため、どう見ても不可思議な術なのであるが、マナの助けが無くとも可能なようだった。元々体術一辺倒のケヴィンは、実践しようにも弾が無く、隅で傍観していたが、そのせいで却って不安がっていた。
「……でも、オイラ、やっぱり思い込みのせいじゃないよ。凶暴なのは獣人の血のせいだ」
少年の隣には、木の枝が山のように積み上げられていた。遊んで貰おうとカールが運んで来るのである。ケヴィンは無意識なのか、抜け毛の塊を取るのに一生懸命で、投げるつもりがないようだったから、代わりにアンジェラが一つ拾い上げ、丘の方へ放り投げた。カールは喜んで追って行った。
「きっとデュランのせいよ。だって、あんたがおかしくなったの、ジャドでデュランの話を聞いてからなんでしょ?」
彼女の問いに、ケヴィンは小さく頷いた。
「うん。デュランが変なら、オイラも変なのかもって、心配になったんだ」
「なあなあアンジェラ! オレ、旋風剣は使えるぜ!」
噂の当人が手を振っていた。
「剣持って回ってるだけじゃないのよ。ちょっと静かにしてて!」
アンジェラが一蹴し、話はケヴィンに戻される。丁度その辺りで、枝を咥えたカールが戻って来、シャルロットが彼に抱き付いた。
「ケヴィンしゃん、すんでるばしょがかわっちゃって、からだがなれてないんでちょ。カールも、さいきん、しょくよくなかったみたい」
ケヴィンははっとして、綿を投げ捨て、じっとカールを見詰めた。
「……カール、元気なかったのか?」
漸く注意を向けられ、カールは喜んで彼の腕に擦り寄った。冬毛が抜けつつあるのも要因だが、確かに体が細くなったようだった。傍から見ただけでは分からない程度の小さな変化で、常々ひっ付いていたシャルロットだからこそ気付いたのである。ケヴィンは目を丸くしたまま、膝立ちになってカールの方へいざり寄り、兄弟分を抱き締めた。
「ごめんよ。オイラ、気がつかなかった……」
元々性格の大人しいケヴィンは、それで闇の力もすっかり抜け切ったのだった。彼にとってはカールが精神安定剤のようなもので、カールを敬遠して離れた事により、却って気持ちを落ち着かなくしてしまったらしい。明るい森にもじき慣れるだろうから、ケヴィンについては心配無用となった。
「みんなも、ごめん。オイラ、心配かけちゃった……」
ケヴィンは頭を上げ、仲間達にも謝辞を述べた。
「いいのよ」
「どういたちまちて」
「ケヴィンは誰にも迷惑かけてないもんね」
と、アンジェラが平野の方を見やった。もう一人はまだ頑張っていたが、ホークアイは早々に諦め、戻って来た。いい加減諦めさせようと、入れ代わりアンジェラが走って行く。くたびれた風情で、彼はリースの隣へどっかり座った。
「君達の言った事は本当の様だな。忍術の威力もからっきしだ」
「とーぜんでちょ。あんたしゃん、デュランしゃんにつられちゃっただけなんでち」
シャルロットがえらそうに肯じた。職業柄か、疑り深い所のあるホークアイは、どうしても納得し切れず、複雑な面持ちで腕を組んだ。
「……しかし、思い込みでここまで変わるもんかなあ?」
「ホークアイ」
リースは哀れっぽい声を出した。
「私、みんなが不幸になるのはもう嫌なの……。お願いだから、そういう事にしておいて」
リースはいよいよ悲しくなって来た。友達がずたぼろになるのは辛くて堪らないし、それを見て心配する友達の姿も胸に余るものがある。ちょっと悪い夢を見ただけだと思って、こんな事件は綺麗さっぱり忘れてしまい、以前のように皆で楽しく過ごしたかった。切々と訴えると、ホークアイは頬のかさぶたを掻き、少し頭を下げた。
「……すまない。オレが間違ってた」
「ありがとう」
リースが微笑むと、彼も少し笑って返した。屈託無く笑うには、まだ解決すべき課題が残っている。
「さ、一緒にデュランさんを説得しましょ」
と、ホークアイから目を離した先で、ケヴィンがカールを抱いたまま、むっつりと考え込んでいるのが見えた。
「……そういえば、オイラ、なんかへんなもん食ってたような……?」
ケヴィンはそう呟くと、唐突に何事か思いだしたらしく、呻き声を上げて草に手を突いた。それにはデュラン達も飛んで来て、皆で寄ってたかって背中を撫でる。心配そうなカールが頻りに顔を舐めるも、その感触がまた何かを彷彿とさせたらしく、怖気を振るった。シャルロットは半泣きの体だった。
「アンジェラしゃん、あんたしゃんまさか、ケヴィンしゃんにドクのませたんじゃ……!?」
すると、デュランがぎょっとしてアンジェラを見た。
「とんでもねえヤツだな! いくらケヴィンが丈夫だからって、毒なんか盛るか!?」
「もう、勝手に決めつけないでちょうだい! ケヴィンにそんな事するわけないでしょ!」
二人が例の如く言い合いつつ、手だけは優しくケヴィンの背を擦る。そう言えばリースは何か大変な事を忘れているような気がしたが、今はそれどころでは無い。五人が一斉に撫でたせいか、ケヴィンは押されてつんのめるような格好で倒れてしまった。危うく潰れかけたカールを助け出し、シャルロットが容体を診る。貧血を見たり脈拍を計ったりした後、首を振った。
「だいじょうぶ、びょーきじゃありまちぇんよ。きもちわるいんなら、しばらく、おねんねしてまちょうね」
「オイラ、平気……気にしないで」
と、ケヴィンは青い顔で立ち上がった。
「ムリしちゃだめよ。よくなるまで、横になっていて」
そのままふらふらと歩き始めた少年を、リースが木陰へ誘導し、膝に寝かせて手で煽いでやる。もはや彼女より随分と背が高いのだが、思いなしか弟と重ねて見てしまい、苦しむ姿が身に抓まされた。周章狼狽して周囲をぐるぐる回っていたカールには、シャルロットがよちよちと宥めて落ち付かせた。その間、ホークアイが本人に聞こえぬように事情を話してくれたのだが、どうやら動物を生きたまま食らったり、果ては魔物まで餌食にしていた記憶が蘇ってしまったらしい。幼い頃は人間の母親に育てられ、ごく人並みの感覚が備わっているケヴィンにしてみれば、まさしく狂気の沙汰だった。そのホークアイと言えば、心配そうにケヴィンを見ているだけで、特段変わった様子も無い。元来何を考えているのだか分かりにくい性分だった。リースの視線に気が付くと、術無げに笑って応じた。
「ホークアイ、あなたは何ともありませんか?」
「ああ。元々、オレは大した事なかったしさ。二人には悪い事しちまったけど……」
と、金色の後頭部を見下ろす。元が丈夫なだけに、ケヴィンはとうに復調しており、気恥ずかしそうにうつ伏せになっていた。リースが大事を取って膝から離さないようにしているためだった。言われて彼女は頭を撫で、硬い髪の毛越しに、小さなたんこぶの感触がするのに気が付いた。友達思いのホークアイは、無我夢中でも手加減だけは忘れていなかったのだ。それよりは、と彼は隣を一瞥した。カールを追い回していたシャルロットが戻って来、傭兵に尋ねる。相変わらず武器を後生大事に掴んでいた。
「デュランしゃん。あんたしゃん、なんともなーい?」
「何ともねえよ。……考えてみりゃ、無益な殺生は騎士道に反するよな。何であんな事してたんだろ」
デュランはすっかり毒気の抜けた風で、鼻のかさぶたを引っ掻いた。まあ修行になったから良いやと、ケヴィンと違って気に病む節も無かったようである。今にも彼を引っぱたきかねないアンジェラに代わり、リースが問うた。
「じゃあ、もうあんなムチャな戦いをする必要もありませんね」
「ああ」
しかと頷き、デュランは立ち上がって仲間を見回した。
「お前達には、ずいぶんと迷惑かけちまったな。本当にすまなかった」
皆がおかしくなったのも自分のせいだろうと、深々と頭を下げた。アンジェラも身を起こし、睫毛に滲んだ涙を拭い取った。
「分かったんなら、もう二度としないでちょうだい。ほんとに心配したんだから……」
「ああ、ごめん」
と、二人とも苦笑を浮かべ、無事仲直りをする事が出来た。それで全てに決着が付いたのだった。後はケヴィンが良くなるのを待つだけである。シャルロットの見立てを疑うわけでは無いが、魔物の肉を食べてしまったらしいので、もしかしたら体を壊しているかも知れない。リースは彼の様子を見ながら、てっきり終わったつもりでいたら、シャルロットが肝心な問題を掘り返した。
「アンジェラしゃん。あんたしゃん、デュランしゃんに、ドクのましてないでちょうね?」
リースとアンジェラが、あっと声を上げた。すっかり忘れていた。リースは一縷の望みを掛けて、元魔導師の友達をちらりと見やったが、表情からして絶望的だった。只でさえ涙ぐんでいたアンジェラは、見る間に目を潤ませ、ちんぷんかんぷんな傭兵に向かって飛び付いた。
「ごめん、デュラン! 私、あなたに大変な事しちゃったの!」
縋り付かんばかりの勢いで謝られ、おまけにさめざめと泣かれてしまったものだから、流石のデュランも鼻白んだ。取り敢えず武器を捨て、引き剥がしたものか慰めたものか、両手が宙を掻く。
「何で治ったってのに泣くんだよ!?」
尋ねれど、アンジェラはへたり込んで泣き濡れるばかりだった。デュランは頭を掻き毟り、途方に暮れたように周囲を見やった。彼の身に降り掛かったであろう災難について、リースとしては口にするのも恐ろしいのだが、シャルロットも手でばってんを作り、言うつもりが無い。仕方無いから、怖ず怖ずと答えた。
「その、アンジェラは、デュランさんにこっそり毒薬を飲ませていたみたいなんです……」
「うへ、マジ!? 君達もすごかったんだね!」
ホークアイが思わずのけぞった。今にも倒れやしまいかと、全員が矯めつ眇めつ顔色を窺う中、一服盛られた当人は平然と腕を組んでいた。
「バカヤロ。毒薬ごときでやられるオレじゃねえよ」
「しってまち。だから、たくさんたくさん、のませちゃったのかも……」
シャルロットがびくついた。
「そりゃ、量にもよるだろうけどさ」
デュランはまた頭を掻き、怒っていない事を示そうと、努めて親切な態度を取った。子供にするように片膝を着き、アンジェラと目線を合わせる。
「おまえ、どんだけ飲ましたの?」
「大鍋いっぱい……」
アンジェラがしゃくり上げた。
「何だ、大した事ねえじゃん。そんなぐらいで泣くなよ、ほら」
「……それ、デュランがナバールから帰って来てからのぶん」
蹲って泣く彼女に、デュランが手を伸べて立たせようとした所、更なる追撃が入った。二日でそれだけ飲ませたらしい。リースがそちらに夢中になっていたら、いつの間にかケヴィンが膝から逃げ出していた。駆けて来たカールを抱き止め、仰向けに引っくり返りながら、顔だけアンジェラの方へ向ける。
「アンジェラ、デュランの家に泊まってた。その時も飲ませてたんじゃないか?」
嗚咽の隙間から、僅かにうんと聞こえた。更に聞くと、最初にアンジェラが泊まりに行った時分から、口で言っても全く聞かないのを悟り、毎回食事に混ぜていたらしい。気の遠くなるような話であるが、本人がぴんしゃんしている上、あまりに現実味に欠くせいで、シャルロットはいっそ感心していた。
「そんなにたべてて、よくきがつきまちぇんでしたねえ。ふつう、へんなあじするでしょ」
「何かスープの味が違うような気はしてたんだよ。でも、こいつは料理の練習中だし、作り方でも変えたんだろうと思ってたんだ」
スープ以外はいつも通りだったと、デュランは昨日の夕飯を指折り数えた。幸いな事に、彼の器だけに混ぜ込んだので、他の家族には被害が及ばなかったらしい。
「まあ、好き嫌いがないのはいい事だよな」
ホークアイも的外れな感懐を述べた。しかしやはり心配なようで、真剣な顔付きでデュランに助言をする。
「しかし、毒薬ってのはすぐに効果が出るワケじゃないんだぜ。今は平気でも、用心した方がいい」
「だったら、プイプイ草でもかじっときゃいいんじゃねえの?」
相変わらずデュランは他人事だった。それとは対照的に痛切な顔をしたケヴィンが、シャルロットに頼み込む。
「でも、心配だよ。シャルロット、デュランの事もみてあげて」
「がってんしょーち!」
了解するなり、シャルロットは傭兵の胸当てを引っ張り、体を自分の方へ向けさせた。平気だと言い張る相手を無視し、先程の伝で、幼さに見合わぬ慣れた所作を以て診察する。長い事言葉を失っていたリースも、カールに手を舐められた拍子、漸く我を取り戻した。
「そ、それで、どうなんですか?」
「こころなしか、ちこっと、ひんけつぎみかも……? ドクのしゅるいがわからんことには、どーにも……」
と、シャルロットは難しい顔で言う。
「アンジェラしゃん。あんたしゃん、どんなドクのませたの?」
そう話を振った先、ようよう泣き止んで来たものの、アンジェラは手で顔を覆ったままだった。種類が分からぬ事には手の施しようも無く、シャルロットは腰に手をやった。
「こまりまちたね。リースしゃん、なんかこころあたりは、なーい?」
「……たぶん、あの薬だと思うわ。耳かき一杯で、獣人も気絶しちゃうぐらいの毒なんですって」
どうやらアンジェラは、以前注意した例の小鍋では飽き足らず、密かに作り続けていたらしい。当時の彼女の頭は薬で一杯だったのだが、悪い事に丁度その時ホークアイの手紙が届いたせいで、矛先がデュランに向かってしまったのだった。あまりにも間が悪いとしか言いようが無かった。と其処で、自分の返答で全員が絶句したのに心付き、リースも思わず口を押さえたが、言ってしまった事には取り返しが付かなかった。皆が恐る恐る、デュランを盗み見る。
「ふーん。そいつを大鍋いっぱい、か……」
デュランは少し考える素振りをしていたが、不意に、跪いた格好のまま、横様に倒れて気絶した。危うくデスブリンガーに頭をぶつける所だった。
その後は上に下にの大騒ぎだった。カールは動転して鳴き続けるし、シャルロットは鎮魂の祈りを捧げ始めるし、わんわん泣くアンジェラを宥めるのは大変だったしで、ようやっとケヴィンとホークアイが肩を貸し、デュランを自宅まで運んだ。そうして連れて行くまでも一方ならぬ苦労があったのだが、あまつさえ、彼の家族に事の次第を説明する段となっては、五人とも申し訳無さで碌に口が回らなかった。全員の見事な連携でデュランに止めを刺したわけだが、お陰で責任が分散し、アンジェラがたった一人で気負わずに済んだ事だけが、不幸中の幸いだった。