駆け出し乙女

　ことの起こりはグラディウスから。エミリアの、ない、の悲鳴から始まった。
「何！？」
　真先にアニーが飛び出して来た。悲鳴の出所には、部屋の隅でしゃがみ込んだエミリアがいた。
「ないの！」
「何が！？」
　彼女は夢中で鞄を漁っていた。中から衣装の出てくること、ファシナトゥール風のドレスからワカツ仕立ての着物まで、引っ切り無しに引張り出される。花吹雪のように舞う布切れと、珍しく色をなしたエミリアに、グラディウスの面々も続々様子を見に来た。群衆を割ってライザが入る。丁度店の営業が終わったところだった。
「一体何の騒ぎなの？」
「パープルアイとブローチ！　なくなっちゃったのよ。どこかに落としたみたい」
　やっとエミリアが顔を上げた。周囲を見回すと、グラディウス中の人間が殆ど集まっていることに気が付き、遅まきながら声を低める。アニーはしゃがんで、床にばらまかれた服を拾い始めた。
「どこで失くしたのさ？」
「分かんない。この間のオウミかしら。それともシュライクかな。もしかしたら、ヨークランドかも……」
　仕事柄、そちこち走り回っているせいで見当も付かない。二人は途方に暮れてしまったが、一方でライザは冷静だった。差し当たって見物人を散らす。人払いが済むと、慌てるエミリアのそばにしゃがんで、彼女と目線を合わせた。
「落ち着いて考えなさい。いつまで持っていたのか、思い出して」
「……オウミだと、ブローチはあったわ。シュライクでも持ってた。だけどパープルアイは全然覚えてない。いつの間にか落としちゃったみたい」
　ぐちゃぐちゃになってしまった服を畳みながら、三人で額を集める。頭は混乱しているエミリアだが、手の方は良く働いた。探し物が挟まっていないか厳重に確認し、畳んで鞄に仕舞い直す。
「ひとまず、パープルアイは置いておきましょう。ブローチはどこまで持っていたの？」
「多分、ヨークランド。酔ってて覚えてないの」
「何で酒なんか飲んでるのよ」
　アニーが思わず横槍を入れた。
「聞かないで。色々あったのよ……」
　尚も彼女は訝しげだったが、ゆるゆると首を振ったエミリアを見、言及するのはやめておいた。
　騒ぎを聞き付けルーファスのお出ましだ。エミリアが騒ぐのは大抵碌なことではなく、既に呆れ顔である。流石の三人娘達も、彼の登場にはぎくりとし、やや居住まいを改めた。
「何を騒いでいるんだ？」
「アクセサリ、失くしちゃったんだってさ！」
　アニーの言葉に、ルーファスはますますむっつりした。案の定碌でもないことだ。溜息一つ、重い口を開く前に、エミリアが答えた。
「……分かってるわ。後にする。ジョーカーが先だもの」
「良く分かっている」
　彼女はそれきり、押し黙って衣装を仕舞っていた。大人しい子供が、隅でこっそり泣いているようでいじらしい。見かねたライザが立ち上がり、ルーファスに対峙する。
「今のこの子では、戦うことは出来ないわ。エミリアは貴重な戦力なのよ」
「君らしくもない台詞だな。探したところで、見付かるとでも？」
「どうかしらね。見付からなければ、諦めもつくでしょうけれど」
「事は一刻を争う。エミリアも承知の上だろう」
　言いながら、彼はエミリアを一瞥した。しょんぼりしている。アニーを見ると、慰める傍ら彼女もしょげている。ライザは白い目だ。君らしくもない、の言い草が癪に障ったせいもある。グラディウスの面々もいつの間にか戻って来ており、入り口から顔だけ覗かせ、趨勢を見守っている。大っぴらに様子を窺うには親分が怖いのだ。ルーファスは無視した。踵を返し、自ずと割れて行く人だかりを通り抜け、さあらぬ体で出て行ったが、去り際にぽつりと言った。
「……一日だ。それ以上は待たんぞ」
　忽ち一同わっと騒ぎ出した。まさか全員が飛び出していくとは思わず、ルーファスが引き留める。
「待て！　二人で十分だろう。ライザ、アニー、君達がついてやれ」
「了解！」
「ありがとう、ルーファス！」
「たまには優しいところもあるじゃん！」
　言うが早いか、三人は颯爽とアジトを飛び出して行った。ルーファスにとって、最も頼りになるのはこの三人娘だが、最も煩わしいのもこの三人だった。常々まともな人材が欲しいと託つが、公的機関のIRPOさえあれだ。土台無茶な話であった。
　九龍の町へ繰り出す際、ふとライザが呟いた。
「……昔、私も失くしたことがあったわ。小さなイヤリング。探したくても、ルーファスのことだから」
「行けなかったのね」
　と、エミリアが後に続く言葉を言った。
「そう考えると、あれでもマシになった方なのかな？」
　アニーが口を尖らせる。ところがライザは首を振った。
「いえ。仕事を終えて帰ってきたら、机に置いてあるのよ、それが」
　大きく息をつき、彼女は眩い表通りへ出て行った。鉄の女がむくれている。エミリア達は顔を見合わせ、こっそり苦笑した。
　表通りとは雖も、九龍の通りはおしなべて狭い。人魔機械と様々な者が行き交い、商品なのだか産廃なのだか分からんようなものが所狭しと並んでいるためである。自然、エミリア達は縦に並んで歩いた。並ぶ時はいつも背の順だ。健康的な小麦色の肌したアニーが、威勢良く先頭を歩く。色白のライザは前と後に気を配りつつ、真ん中を悠々と歩く。一番派手なエミリアが、遅れないよう二人の後を付いて行く。ただ歩くだけでもとにかく目立つので、珍しがって人が見る。全く以て隠密行動には向いていず、しかしてルーファスは彼女らを一緒に行動させたがらないのだった。
　発着場のそばでブルーに遭遇した。今日はT260G達を連れている。ゲンの案内で、これからワカツに向かうところだった。
「こんにちは、ゲンさん」
　嬉々として寄って来た娘達に、ゲンは軽く手を挙げて返した。
「おう。三人揃ってどうした？」
「探し物よ。エミリアの」
　と、アニーが答える。
「だとよ兄ちゃん。ちょっくら、手貸してやるか？」
　ゲンはそう言って、術士を顧みた。
「私は先を急ぎたいのだが……」
　ブルーは声が変だった。心配した娘達がわらわら集まって来たため、迷惑そうな顔をし、一歩後に退く。
「うつるぞ」
「風邪かしら。お加減はどう？」
　ライザは少し離れている。
「任務に差し支えは無い」
　喋るのも懶げに咳をする。空咳が癖になっているらしい。語られた断片的な情報によると、先般カードを求めて雪山に行った際、まかり間違って遭難したらしく、その時に風邪をひいてしまったのだった。この男とはさほど親しいわけでも無いが、世話焼きのアニーはあれやこれやと心配した。
「男のくせに、そんなヒラヒラ着てるからさ」
「正装なんだ」
「喉には生姜湯が良いのよ。作ってやろうか？」
　そう申し出るも、ブルーは首を振った。アニーはちょっとしょんぼりした。その傍ら、T260Gがエミリアに尋ねている。エミリアは背が高いので、屈むようにして目線を合わせる。
「遺失物は何ですか」
「パープルアイと、天使のブローチ。パープルアイは普通より青いの。ちょっと珍しかったから、プレゼントに買ったものなんだけど……」
　T260Gは赤い目をちかちかさせていたが、お手上げとばかりゲンを見上げた。彼は彼で、気難しげに拱いている。
「悪いが、俺はそういうもんに縁が無いんでな」
「目標物回収のため、情報が必要です」
「それが、覚えていないらしいのよ」
　と、ライザ。T260Gは半球形の首を回し、彼女とエミリアを交互に見た。どうやら自分の境遇に重ねたらしく、T260Gは心持ち同情を示したようである。
「不明ですか」
「そりゃそうだろうな。場所が分かってたら、とっくに探しに行ってる筈だ」
　ゲンが腕を組んだ。エミリアは頬に指を当て、心当たりを懸命に思い出す。
「多分、ブローチはヨークランドで失くした筈なのよ。……あんまり気は進まないけど、行ってみるしかなさそう」
「思い出させるな」
　ブルーとエミリア、二人で頭を抱えた。思い出すと頭痛が蘇る。忘れもしないヨークランド、カードを探して情報収集の傍ら、あれよあれよと酒を薦められ、メカまで残らずへろへろになってしまった。おまけに二日酔いも酷く、メイレンがしじみのおみおつけを作ってくれ、みんなで一生懸命飲んだのだった。今でも酒造の空気が喉に痞えている気がする。話せばゲンは羨むが、眩暈発熱意識混濁まで起こすとんでもない酒だ。人に飲ませるものでは無い。
　人情家の性である。ゲンは頻りに探し物を気に掛けるが、既にブルーを手伝うと約束してあった。
「俺はこっちを手伝ってやらにゃあならん。すまんな」
「気にしないで。もし見付かったら、教えてね」
「あんたも、頼むよ」
　アニーがT260Gを小突く。
「了解」
　持つべきものは友達である。ゲン達はあの通り、頼まれずともきっと探してくれるだろう。内心、パープルアイなどとても見付かりそうに無いと思っていたが、希望が見えた三人だった。ブルーは話が済み次第、さっさと先に行ってしまい、ゲン達が慌てて後を追い掛けた。鰾膠も無い対応だが、一往話に付き合ってくれているだけ良いのだと、エミリアはそう思うことにしていた。誰に教え込まれたのだか、別れ際T260Gが手を振ってくれた。
　ヨークランドに来た。発着場を出、崖の上に誰かいるのが見えると思えば、リュートが手を振っていた。大きなオーガのサンダーと、赤いから多分ルージュもいる。術士の方は、飛び降りようとするオーガを懸命に引き止めてい、身を乗り出した二人を、咄嗟にリュートが掴む。全員諸共落っこちそうで、三人娘は走って行った。何とか間に合った。久々の再会であるが、誰も彼も息を切らしてへたり込み、暫く挨拶も出来なかった。漸く息を整えたアニーが、筋骨隆々の腕をはたく。
「よお、サンダー！」
「よお！」
　サンダーは娘達が好きだ。美人のライザと優しいエミリアと、とりわけ料理上手なアニーが好きだ。彼もはたき返すが、勢い余って相手をつんのめらせた。ライザは立ち上がって埃をはたき、上品に挨拶する。
「御機嫌よう」
「こんちは」
　リュートもにっこりして返す。
「こんにちは」
　さっき聞いたような声がした。何とルージュも声が変なのだった。心配したエミリアが尋ねる。
「どうしたの、その声。」
「風邪をひいてしまったようなんだ」
　聞けば先日、九龍裏通りにて雨に打たれたらしい。ヒューズとルージュとリュート、何だか名前の似たような男達と、レッドとサンダーとの五人組で、ブラッククロスを追っているそうだ。で、ぼんやりしていたらうっかりシップに置いて行かれたのだった。大好きな人達に会えたお陰で、サンダーは滅法ご機嫌だった。ルージュも急ぐ身ながら、特に焦っている様子も無い。
「任務に差し支える前に、早く治しておかねばならないな」
「……生姜湯、飲むなら作ってやるけど？」
　さっき袖にされたせいで、ふてくされたように申し出るアニー。勿論、ルージュは喜んで頷いた。
「ありがとう」
「やった、おやつだ！」
　サンダーがきらきらした目で見下ろした。魔物達はみんなこんな風だ。龍に化けたりシュリーカーに化けたりするが、中身は皆おやつと昼寝と化かし合いが大好きな、のんびりとした種族だった。腕を振るえるのが嬉しく、アニーも張り切った風情で、仲間の二人を顧みた。
「そういうわけで、ちょっと時間ちょうだい」
「ええ、いいわよ」
「手短になさい」
　と、年上の二人は鷹揚に答えた。
「そんじゃ、そこんちの台所借りようぜ」
　リュートに案内されるまま、ある一戸の扉を叩く。彼がと懇意にしている老夫婦の家だった。六人ぞろぞろとお邪魔するのは憚られたが、昼間倅は酒を造っていて閑居で、夫婦は来客を喜んでくれた。流石リュート発祥の地と言うべきか、魔物余所者来る者拒まずで、サンダーなどちゃん付けで呼ばれているほどの親しみようだった。コップを握り潰したり皿を吹き飛ばしたりするが、彼はなかなかの働き者だった。
　アニーが蜂蜜生姜を作り、お婆さんが佃煮やら煎餅やら、食べ切れないほどのおつまみを出してくれた。リュートのお猿は木の実を貰って食べている。爺さんは酒をちびちび、ヨークランドの昔話にくだを巻く。天使の話にモンドの若い頃、ゆくりなくもエミリアに縁の深い題材だった。ついでに夜逃げした富豪の消息を聞くと、風の噂では、貧乏ながら元気にやっているとのことである。良い話を聞いた。
　老夫婦にお礼を言い、六人はお宅を辞した。皆それぞれの目的に戻る。リュート達は今更に相談し合っていた。
「そんじゃ、俺達も行くとするか。レッドはどこに行くって言ってたっけ？」
「確か、九龍だったと思う」
　と、ルージュ。
「九龍か。何だっけ、ブラッククロスの基地があるとかないとか……」
「シュウザーでしょ。あたし、知ってるよ」
　首を捻ったリュートに、アニーが助け舟を出した。
「本当か？　教えてくれないか」
　ルージュが彼女にちょっと詰め寄った。アニーは答えようとしたが、少し考えて、話題を変える。
「いいけど、交換条件だね。あたし達、パープルアイと天使のブローチを探してるんだ。あんた達の知ってること、教えてちょうだい」
　彼女にそう切り出され、ルージュは探し物の詳細を尋ねたが、聞けども思い当たる節は見付からず、済まなそうに首を振った。
「残念だが、僕には分からないな」
「パープルアイかー。……そうだ、お前が食べなかったっけ」
　と、リュートがサンダーに振る。サンダーは首を振った。
「食べないよ。アニキが、そんなもん食うなって言ったろ」
「そっか。そのまんま、どっか行っちゃったんだっけ。九龍の裏通りで見つけたから、今頃は下水かねえ？」
「もう十分よ。どうもありがとう」
　エミリアがどうしようもなく泣きそうだったので、ライザは話を打ち切った。依然ブローチの行方は不明だが、思わぬ手掛かりを得た。下水にあるらしい。無い方が良い手掛かりだったかも知れない。
「それなら、私達の行き先は同じね。ルージュ、同行しても構わなくて？」
「喜んで」
　暫し沈黙があった。全員揃ってルージュを見ており、術士が怪訝そうな顔をする。ややあって、見かねたアニーが突っ込んだ。
「あんた、術士だろ。ゲートはどうしたのよ？」
「……ああ、ごめん」
　ルージュはゲートが嫌いらしい。他の魔術士は土すら踏まぬ勢いで連発するにも拘らず、彼はいつもてっきり忘れている。便利だとは思うが、地道に歩いて旅する方が修行になるのだ、とは本人の弁だった。
　リュート達はレッドを探しに行った。相変わらずエミリアが泣きそうなため、彼のことは待ち敢えず、案内や商談は後回しにして、今は下水道を探している。何か光ったと思えば水棲生物が飛び出して来たり、どうでも良いようなはしたクレジットだったり、捜査は難航の一途を辿る。していると、ブラッククロスの戦闘員を発見した。向こうも気付くなり襲い掛からんとしたが、相手は女三人で、どうしたものかと戸惑っている。しかも一人は明らかに涙目だ。害意が無いなら、娘達の方も敵とは看做さない。アニーが近寄って、おどおどする戦闘員に尋ねた。
「あんた、パープルアイ見てない？」
「キー」
　戦闘員は頷いた。思いも掛けぬ反応に、娘達がどっと詰め寄る。戦闘員はちょっと怯んで、後ずさった。
「エミリアの、少し青みがかったものよ」
　重ねてライザも聞く。
「キー」また頷く。
「本当？　どこにあるの？」
　ついにエミリアも元気を取り戻した。戦闘員は身振り手振りを交えつつ、ひたすらキーキー言うが、さっぱり分からない。ついに説明を諦めた彼は、踵を返すとすたすた歩き出した。三人も追った。
　途中でアニーが気付いたが、それはシュウザー基地への道だった。拾得物は上司に届け出るのだろう。道中エミリアは何度と無く、拾ったものは汚れていなかったかと聞いたが、相変わらずのキーキーで一向要領を得ない。下水に塗れて汚ければ、流石の戦闘員達も拾いはしなかろうと、結局彼女は自分を納得させていた。
　シュウザー基地には色とりどりの戦闘員達が住まっており、珍客の来訪に驚いたり見とれたりと、顔は見えずとも反応は分かりやすかった。一部はグラディウスにこてんぱんにやられた記憶があるので、おっかなびっくり遠巻きにしている。三人は基地内部へずかずか踏み入り、水の滴る天井を避け、穴だらけの渡り廊下を飛び越え、遠慮なくねぐらを眺めた後、揃って顔をしかめた。
「うわ、ひっどいな！」
　アニーが明け透けな感嘆を述べた。
「あなた達、こんなところで暮らしているの？」
　ライザが同情たっぷりに尋ねた。頷く戦闘員。天井には穴が開き、雨漏りだらけで、床にはねずみの食べ差しらしき粉塵が飛び散っている。ごわごわの毛布は起きた当時のまま皺だらけになっていた。あまりの惨状に、アニーとライザはちらと後ろを見た。エミリアは腕組みしていた。
「……酷いわね。ちょっと、掃除してあげましょうか」
　かくして大掃除が始まった。まずは汚れ物を何とかしようにも、洗濯機が無い。仕方無いから桶を掻き集め、並んで手洗いする。その間残りの人員に指図して、天井を塞ぎ、床を掃き、渡り廊下を補強させる。片付く度戦闘員達が生き生きしてくる。何より、エミリアが束の間憂愁を忘れたのが良かった。そうこうしていると、親分のシュウザーが騒ぎを聞き付け、戸口に現れた。
「何事だ！」
「ちょっとシュウザー！　いくらなんでも、これは酷すぎるんじゃない？　ブラッククロスはまともな家も用意できないわけ？」
　大変おかんむりのアニーは、見上げるほどの大男に食って掛かった。しかし怯むシュウザーではない。
「余所者はすっこんでろ！　こちとら新人の教育で汲々なんだ」
「こんなで新人が来るわけないだろ」
　勿論負けるアニーではなく、気圧されることなく応戦する。そこにエミリアとライザも加わった。
「健全な精神と肉体は、健全な環境からよ」
「どうりでブラッククロスに人が来ないわけだわ。私、こんなところで働きたくないもの」
　畳み掛ける三人娘。シュウザーはぐうの音も出ない。結句、彼女らを追い払うことも叶わず、捲し立てられるまま、昼食はカレーに決まった。贅沢にもハンバーグ入りだ。出払っている戦闘員を呼び集め、一部は買い出しに向かわせ、綺麗に掃除した大広間を食堂にする。とんでもない騒ぎだった。
　こう言う時、一番しっかりしているのはアニーだ。料理の指示からうるさい子分共を黙らせるまで、てきぱきとやってのける。ついでにエミリアとライザまで世話を焼かれ、ちぐはぐな気分だったが、妹分の大車輪を微笑ましく受け入れていた。あれこれ助言を受けつつ、エミリアが不慣れな手付きでじゃがいもを剥き、人参を切っている間、ライザとアニーは戦闘員達の口を塞ぐべく、余ったじゃがいもでニョッキを作っていた。表向きがイタメシ屋なだけあって、二人とも料理が上手かった。邪魔だからと隅に追いやられてしまい、渋面で成り行きを見守るシュウザーに対し、フライを片手に通り掛かったアニーがちくりと刺す。
「新人教育って、一体何してるんだか。掃除は駄目、料理は駄目で、何にも出来やしないじゃない」
「このアマ！」
　シュウザーが睨みを利かせた。
「何さ！」
　やっぱり負けるアニーではない。暫し睨み合う。何せシュウザーの手は爪だ。お玉や泡だて器を付けるわけにはいかない。この状況で強いて役に立てるとして、とんまな子分をクロービットでお仕置きするくらいだ。結局、シュウザーは何も言い返さなかった。腹いせに、後で小此木博士の脳みそをいじめるに違いなかった。
　付け合せにサラダを出した。それでも足りなければ、くず野菜のスープもたんまり作ってある。至極簡単な料理だが、戦闘員達は泣くほど喜んだ。その反応を見、普段どんなものを食べさせられていたのかと、いよいよエミリア達は可哀想になってしまった。大広間に全員がぎゅうぎゅう詰めに座らされ、いただきますの代わりに、キーの合唱が木霊した。どうやら食べる時は、マスクの下半分だけ開けるらしかった。
　戦闘員達の分で食糧が精一杯だったので、娘達はカレーを食べず、真ん中に座ってジュースを飲んでいた。添加物臭くて水っぽいが、此処ではジュースも貴重品、他に飲めるものと言えば生水しか無い。シュウザーは改造人間なので食事は取らない。これで案外部下に慕われており、三人の向かいで子分に囲まれながら、キーキーだらけの世間話に付き合ってやっている。ライザがその内の一人を指した。最初に会ったのはこの人だろうと、彼女は僅かな特徴を覚えていた。スーツが青くて、姿勢が良いのが特徴だ。
「シュウザー、この子の言葉を訳してちょうだい。あなた、パープルアイのことを教えて」
　青戦闘員はものすごい勢いで首を振った。言うキーは知らないの一点張りである。エミリアは悄然として、縋るように問い質した。
「知ってるって言ったのに……さっきのはあなたでしょう？」
　頷くが、首を振る。やにわに相手がしおれてしまい、大層気の毒がるが、やはり青戦闘員は首を振った。いい加減千切れそうだ。エミリアはそれ以上詰問しなかったが、期待した分落胆は大きかった。
「ブローチも見付からなくて、どうしよう……」
　そう言って、彼女はしょぼくれてしまった。
「羽生えた変な奴か？」
　以外にも、シュウザーが反応を見せた。娘達が一斉にテーブルに手を突き、身を乗り出す。
「それよ！　どこにあったの、どこにあるの？」
　エミリアががぶりよる。シュウザーは面倒くさそうに答えた。
「売っ払ったに決まってる」
「どうして？」
「見りゃ分かるだろう」
　と、鉤爪で総勢五十名近くにのぼる面々を指した。皆一心不乱にカレーを貪っていた。ヒーローのせいで辞職者は絶えないが、新人だけでもこれだけいるのである。彼らは赤貧だ。その上装飾品には全く縁がない。シュウザーは個人的にアラクーネが嫌いだし、今ではそのアラクーネも討たれてしまったので、渡すべき女性もいない。それは当然売り払うだろう。詳しく聞けば、マンハッタンの宝石屋に売ったそうだった。
　もはや此処に用は無い。食器の片付けまでは手伝ってやり、三人娘は倉皇と去ろうとしたが、戦闘員達が真剣に取り縋って来た。家庭的な生活が身に沁みてしまったようだ。いっそブラッククロスからグラディウスに乗り換えようとする者も出始め、親分のお仕置きを食らっていた。
　余談になるが、戦闘員は確かにパープルアイを拾ったのだ。拾って、通りすがりのサボテン頭に蹴っ飛ばされて落としてしまった。そんな情けない失態がシュウザーの耳に入ってみよ、間違いなくブッ飛ばされる。せめて落とした場所だけでも教えたいところであるが、しかしキーキー語を訳せるのは上司以外にいず、結局言わずじまいになってしまったのだった。ブラッククロス瓦解の後、ただ美しいあの人に詫びたい一心で、彼は宝石商になる。
　ところ変わってマンハッタンの宝石店。高名な店で、人間の著名人はもちろん、魔術士が術具のために買い、メカのパーツの材料、時には魔物や妖魔までもが求めに来る。モデルのエミリアが訪ねることも珍しくない。エミリアが慣れた所作で、店員を呼び付けた。
「ブローチを探しているの。天使が彫られた、大きめのものなんだけど」
「はい。先ほどお譲り致しました」
　勇んで飛びつこうとするアニーを制し、エミリアは飽くまで落ちつき払って尋ねる。
「誰に売ったの？　どんな人か、覚えているかしら」
「緑の髪の女性です。薔薇の冠をした、お連れ様とご来店なさいました」
　と、店員も優雅な風情で答えた。
「アセルスだ！」
　三人がいっぺんに叫んだ。驚く店員。思わずライザまで声を揃えてしまい、口元に手をやる。
「……失礼。緑の髪の女の子ね」
「ええ」
「その子がどこに行くか、話してはいなかった？」
　ライザが重ねて尋ねるも、店員はそれには首を振った。
「いえ、口数の少ない方でしたので……」
「分かったわ。どうもありがとう」
　旅の仲間達はいずれも大体名状しやすい。楽器持ったあんちゃんと言えばリュートだし、サボテン頭の少年はレッド、犬と来ればクーンだ。分かりやすいのは結構だが、それぞれ目的に向かって東奔西しているせいで、足取りは全く掴みようが無い。当てもなく彷徨っているアセルスは尚更のこと。果たして何処にいるのやら。考えたらお腹が空いてしまい、三人は寄り道してハンバーガーを食べた。依然エミリアは大人しいが、しょげてはいず、曖昧に微笑する。
「……アセルスにあげるなら、もう良いかなって」
「そう。納得出来たのなら、早くルーファスのところに戻りましょう」
　鉄の女は切り替えが早い。アニーは諦めきれず、食い下がった。包み紙をぐしゃぐしゃに丸める。
「でも、大事なものなんだろ？　話すだけ、話してみようよ」
「けど、アセルスはどこにいるのかしら……」
　と、エミリアが誰ともなく聞いた。
「茶会に」
　すると、返事があった。背後にサイレンスがいたのだった。突然の登場に、驚き戸惑い飛びずさる一同。丁寧に頭を下げるサイレンス。エミリアがおずおず近付き、下がったままの顔を覗き込んだ。
「アセルスの居場所、知ってるの？」
　微かに頷く。親切だし礼儀正しいのだが、いかんせんこの男は喋らない。あれこれ話し掛けた結果、どうやら案内してくれるらしいこと、尋ね人はお茶の時間であることを、何とか聞き出せた。いっそ影に聞いた方が良かったかも知れない。
　暫く妖魔を追従すると、シュライクの外れまで来た。森のあわい、木漏れ日が注ぐ草原で、縦長の白い机に数脚の椅子が並べてある。背もたれと座面は深緋の別珍で、ふかふかして座り良さそうだ。椅子と同じ数カップが伏せられているが、お茶以外に食物の類はない。他の種族には物足りなくとも、彼らはお茶のみで十分らしい。
　会場には既に妖魔達が集っていた。主催はアセルスである。何故こんなお茶会を催すのかと言うと、彼女は先般ヤルートに捕まっていた時、自分ら以外の妖魔を見た。当然彼らに助けなど来ず、どこぞに売り払われた挙句、ぼろ雑巾のように使い潰される運命にある。事態を由々しく思った彼女は、妖魔同士の交流を深め、有事に際して助け合えるようにと考えたのである。それで目下身近な妖魔を集め、時々お茶会を開くのだった。いつもの面々に加え、今日はメサルティムを呼んだ。唯一の下級妖魔であるために、気の毒なくらい恐れおののいている。木陰に身を隠し、面を伏せっていた。
「私には、分不相応な場所ですから……」
「気にしなくていいよ。ほら、こっちに来て」
　支度を終えたアセルスが、そちらへ行き、手を差し伸べる。それでもメサルティムは応じず、暫く膠着していたが、ついにアセルスが抱き上げて運び始めた。水妖は真赤になった。
「アセルス様！」
「君は私の隣ね。私はいつもの、お誕生日席。白薔薇、椅子引いてくれる？」
　と、彼女がお願いすると、白薔薇は上品に肯った。優しげな微笑で、メサルティムを落ち着かせようとする。
「畏まりました。さ、メサルティム。そう緊張しないで」
　アセルスは長い尻尾に手古摺りながらも、無事テーブルまで運んで行き、白薔薇が為設けてくれた椅子に下ろした。メサルティムの席は姫の向かいだ。一応上座はこちらだが、ヌサカーンに零など他に名の知れた妖魔が来るため、殆ど関係無くしている。美味しいお茶の淹れ方はサイレンスが詳しいため、彼に一任されており、茶葉の馥郁たる香りが漂い始めた。
　森から何か出て来た。熊か鹿かと思えば、金獅子姫だった。柳腰の繊細な美人が多い中、彼女は精悍な迫力の美人である。アセルスと白薔薇が出迎えるが、見上げないと目線が合わなかった。
「獅子姫姉様！」
　白薔薇は驚きながらも、姉姫の登場に喜びを持って迎えた。
「魅惑の君四十四番目の寵姫、金獅子。君の代理にて参上致しました」
「オルロワージュが！」
　アセルスが張り詰めた。白薔薇は依然喜んだ風で、両手を合わせる。
「まあ、主上が……ご加減は如何ですか」
「大変お怒りでお出でです」
　溜息一つ、獅子姫は城の情状を話した。美々しき言葉で飾られているが、要するに、オルロワージュがふてくされているらしかった。白薔薇は帰らないし零は逃げ通しだし、しかもそれらでお茶会を楽しんでいるのだから尚更だ。自分も参加したくて堪らないが、招かれざる客が茶会に姿を見せるわけにも行かないのである。仕方無いから金獅子を使わしたのだった。
「現在、寵姫達総出で慰め申し上げている次第です」
「何てお労しい……」
「ほっときなよ。一つくらい思い通りにならないことがあっても良い」
　白薔薇は心底気の毒がるも、アセルスが一蹴した。それで彼女はエミリア達の方を向いてしまった。
「みんなも一緒にどう？　賑やかではないけど、結構楽しいよ」
「素敵ね。たまにはゆっくりお茶したいものだわ」
　ライザは乗り気でいる。
「ノンキしてる場合じゃないだろ、ライザ」
　アニーが突っ込んだ。それでもライザはとぼけていた。
「あら、そうだったかしら……」
「どうしたの？」
　首を傾げるアセルスに、エミリアが申し出た。
「ねえアセルス。マンハッタンで、ブローチを買わなかった？」
「買ったよ」
　と、彼女は不思議そうな顔で頷いた。
「すごくきれいだから、白薔薇にプレゼントしたの」
「それ、実は私のブローチだったのよ」
「……エミリアのブローチが、どうしてお店にあるの？」
　まして首を捻るアセルスに、エミリアは何処から何処まで話したものかと逡巡する。代わってアニーがざっくばらんに説明した。
「失くして、色々あって、シュウザーに売っ払われちゃったんだよ」
「そんなことが……。ねえ、白薔薇！」
　と、彼女が白薔薇姫を呼んだところで、時が少し前後する。彼女が三人娘を向いてから、三人の寵姫も会話を続けていた。凛然の金獅子、夢幻の白薔薇、妖艶の零。この先二度はないであろう機会、惜しむように見合う。金獅子が恭しく、姉姫に頭を下げた。
「ご無沙汰しています、零姫姉様」
「久しいな、金獅子」
「我が君はあなたを探し続けておられます。どうか、お戻り下さい」
「茶会じゃ。ゆるりと過ごせ」
　零はさらりと流した。背の低さゆえに子供椅子に掛けるが、彼女は最上級の妖魔なのである。一瞬空気が張り詰めたが、すぐに和らいだ。今の金獅子は徒手空拳だ。
「……そうですね。私はアセルス様に敗れた身。敗者は去るのみです」
「姫姉様、もう戻られてしまうのですか？」
　白薔薇が声を上げた。心優しき妹姫に、金獅子が笑い掛ける。其処にはしようもないオルロワージュへの苦笑も含まれていた。
「ええ。このことを、主上にお伝えしなければなりませんので」
「では、あの方にこれを。どうぞこれを私と思って下さるよう、お伝え下さい」
「確かに」
　白薔薇が花に包んで渡したのは、何と件のブローチだった。アセルスが姫を呼んだのはその辺りである。白薔薇が振り返った瞬間、花いっぱいの金獅子は姿を消していた。
　事情を話すと、白薔薇が真っ青になってしまった。何しろ、渡した相手はかのオルロワージュだ。よりによってあのオルロワージュなのだ。
「ごめんなさい、私、何てことを……」
「ごめんエミリア、本当にごめん！」
　アセルスも一緒になって謝る。
「私、君にお願いして参ります」
　と、白薔薇。隣のアセルスがぎくりとした。
「耳を貸すとは思えんがな。しかし、そなたが城に戻ると言うなら、あるいは……」
　冷ややかな零姫。白薔薇はそちらを向くと、毅然として言った。
「ええ、そのつもりですわ」
「だめだ！」
　アセルスが吼えた。
「そんなことさせるくらいなら、私があいつを倒して奪う！」
「ついにやるのか」
　ゾズマが囃す。いつの間にか来ていたのだった。アセルスは忌々しげに彼を一瞥し、また白薔薇に向き直った。
　剣幕にメサルティムが怖気付いている。サイレンスは我関せず、フライングでお茶を飲み始めた。今の自分の位置が大変微妙なので、王座争いには関らじと努めるイルドゥン。とさかを立てている半妖を、なだめたのは当のエミリアだった。
「アセルス、もう良いのよ。だって、白薔薇は帰りたくないんでしょう？」
　白薔薇は俯く。アセルスが不安げに見やった。さっきの気炎はどこへやら、捨てられた子犬のようだ。
「分かりません。……けれど、アセルス様のおそばにいたい」
「なら決まりよ。オルロワージュが大切にしてくれれば、それで良いんだもの。さ、お茶会を始めましょ」
　それきり彼女はけろりと忘れてしまった。贈り主のモンドには悪い事をしてしまったが、成り行きがこうであれば諦めも付く。ブローチによって少しでも城からの追手が弛むならば、アセルスのためになる筈だった。
　アセルスは意気消沈した風情で、大人しく席に着くと、驚かせたことについて水妖に謝罪した。茶会は和やかに始まる。人数が増え過ぎて、数が足りなくなってしまった茶器は、ぶつくさ言いながらもイルドゥンが調達してくれた。
　三人娘は真ん中に並んで座った。ライザはメサルティムと隣り合ったので、ぽつぽつ話をする。水妖は依然おっかなびっくりだが、少し笑うようになった。零姫の飲み方は変で、湯呑みの如く両手で支えながら啜る。皆に言及されるも、動じる彼女ではなかった。
　遅れてヌサカーンも来、彼はアセルスの迷いを聞いてやっている。その頃にはもはや席順など意味をなさず、各自勝手なところに椅子を持ち込んで座った。
「どうにかして、人間に戻れたらいいんだけど……。青い血をなくすことなんて、出来るのかな？」
「血を抜くことが手取り早い。試してみるか？」
「そんなこと、出来るの？」
「君が検体になれば」
「……じゃあ、やめとく」
　アセルスも慣れた風で、さらりとかわした。冗談はさておき、彼はアセルスに近い妖魔だ。九龍の異変を危ぶんだり、病気が好きという体裁ではあるが、人里に紛れて暮らしたり、確かに他人へ関心を寄せている。こうして彼女が行う、妖魔達の無関心に対する試みにも理解を示し、ふらりと現れては相伴して帰るのだった。他の妖魔はそんなことはどうでも良いらしい。それでは何のために此処へやって来るのか、ただお茶が飲みたいのか、何を考えているのかさっぱり分からない。取り敢えず、それぞれの顔は覚えて来たようだった。
　静かな森は時の流れを忘れるようで、エミリア達ものんびりとお茶を楽しんだ。三人でゆっくり話すのは久々だった。
「この間ね、アニーの家にお泊りしたの」
「あら、珍しいこと」
　ライザが感心して言った。
「珍しくもないわよ。よく遊びに行ってるもの、ね？」
　と、エミリアがことも無げに返し、アニーも頷いた。ライザが驚いたのは、滅多に家庭のことに触れないアニーが、人を家に上げるなど及びも付かないからである。気さくに見えて、案外彼女は人に懐かないのだった。
「エミリアは物好きなんだよ。あんなうるさい悪ガキのいるとこ、あたしだったら頼まれても行きたくないわ」
「男の子はみんなそうよ。レッドもやんちゃだったって言うし、レンもそうだったみたいですもの」
　楽しいひとときだった。エミリア達は帰り道が分からなかったため、妖魔の誰かに付いて行こうとする。しかし彼らは自由だ。皆あっと言う間に散り散りどこかへ行ってしまった。途方に暮れたが、ライザがしっかりしているお陰でことなきを得、何とかシュライクの人里まで出て来た。そうしたらレッドが飛んで来た。続いてサンダーの突撃。アニーがかわし、サンダーは滑り込む格好で茂みに突っ込んで行った。
「シュウザー基地に案内してくれ！」
　息せき切るレッド。アニーはそちらもかわそうとしたが、なかなかどうしてしつこかった。
「あたし達、忙しいんだけど……」
「こっちだって急いでるんだ！」
「別に、シュウザーじゃなくてもいいんじゃないの？　他にもいるんだろ、幹部さん」
　と、リュート。首尾良く合流出来たようだ。呑気な提案を受け、レッドが渋々ながら頷き、幹部の数を指折り数え始めた。
「ベルヴァは倒した。アラクネも倒した。……四人いるから、あと一人か」
「京だろ。ラビットが探してんぞ」
　ヒューズが後からやって来た。相手の中にエミリアを見付けたので、なるべく話に加わりたくないらしい。
「よし、行こう！」
　其処で漸くサンダーも戻って来た。かなりの勢いで突っ込んだが、掠り傷一つなくけろりとしている。男だらけの面々は、先程よりも二人増えているが、代わりに一人いなくなっていた。そう言えばと、ライザが尋ねた。
「一人、足りないようだけど？」
「ルージュなら、医者にかかりに行かせたよ」
　と、レッドが答えた。
「ボーっとしてっから風邪なんかひくんだろ」
　レッドとヒューズは呆れ顔だった。彼らも共に雨に打たれたにも拘わらず、ぴんしゃんしている。ついでにヒューズは雪山の遭難にまで出会したのだが、凍えてもずぶ濡れでもくしゃみ一つしていなかった。これも心術の修行のなせる業である。
「俺、薬嫌い。医者も嫌いだ」
　医者の単語を聞き、サンダーが怖気を振るった。
「で、サンダーもこう言ってるし、レッドも急いでるしで、置いてきたんだ」
　待ってた方が良かったかな、とリュートは言うが、他の仲間達はそうは思っていなかった。元々ブラッククロスには関わり無いルージュである。このままでは首領との決戦まで付いて来かねないために、仲間達が気を回して一人にさせたのだった。恐らく無駄な試みだが。
「それで、お前らは何してんの？」
　ヒューズが突っ慳貪に聞いた。今のところ突っかかる理由が無いため、極力エミリアと目を合わせないようにしている。
「探し物。ブローチ……は諦めたけど、パープルアイを探してる」
　ところが答えたのはエミリアだった。何でこいつが返事するかな、と思いつつも、落ち込んでいる素振りを見、彼は今日ばかりは冷たく当たらないことにした。土台女性につんけんするのは嫌いな男だ。
「……ああ、そうだ。T260がお前らのこと探してたぞ。お前らの探してるもんが見つかったんだとよ」
「本当！？」
　詳しく聞けば、ブルーの風邪を何とかすべく、現在九龍の診療所に滞在しているそうだった。ヒューズに礼を言い、入れ違いにならぬよう、娘達は猛然と駆け出した。刻限の日没も迫っていた。
　ヌサカーンの診療所は暗い。妖魔のくせに眼鏡を掛けているのはそのせいだ。おまけに待合室がごちゃごちゃ散らかっているため、棚の角に足をぶつけたり、頭蓋骨が降って来たり、酷い時には患者に蹴躓いたりする。この日は一際暗かった。
　慎重に歩いたものの、エミリアが何かに躓いてしまった。アニーに支えられ、足元を見る。T260Gの首が落ちていた。あまりのことに、ライザの後ろに隠れる二人。しかし流石のライザも不気味がる。素手で殴れないものは怖いのだ。一旦退くべく、暗中模索、手探りで今来た扉を開けようとしていると、よう姉ちゃん、とゲンの陽気な声がした。其処で漸く目が慣れて来た。
　待合室のソファに三人座っていた。ゲンは相変わらず飲んだくれ、ぱたんぱたんと尻尾を揺らすクーンを、幽鬼のようなメイレンが膝枕してやっている。彼らがどうして此処にいるのかと言えば、突然ふらりと消えてしまったヌサカーンを迎えに来ていた。エミリアが彼女に話し掛けようとしたが、診察室からの轟音に邪魔された。
　机が引っくり返る音、爆裂する音、刃物が壁に刺さる音、硝子が割れる、布きれが切り裂かれる、また爆裂。扉の隙間が眩しく一閃する。ゲンが頻りに見物しに行こうと意気込むが、全員が必死になって彼を引き止めた。中では恐ろしい事態が巻き起こっているようだった。
　事情はこうだった。まず、風邪気味のルージュが薬を貰いに来た。次に、ゲンがブルーを引き連れてやって来、折もあろうに診察中の扉を開けてしまった。そして今に至る。中では、恐怖の医者を防ぎつつ相手を倒さんとする双子、この際喉首掻捌いて後でゆっくり診るべく奮闘するヌサカーンの、魔妖混交三つ巴が繰り広げられている。この一瞬、ルージュによって時間が止められたのだが、誰も気付かなかった。
　嵐の中、エミリアが、恐る恐るT260Gの首を持ち上げた。案外軽かった。度胸あるう、とアニーが囃す。首の主はどこかと探せば、隅の方にいた。稲光のように辺りが照らし出され、束の間二体の影を映す。キャタピラに何だか良く分からないものを乗っけた機械が、胴体だけのT260Gを弄くっていた。頭は無いし、首からコードははみ出しているし、足はすっかり投げ出されているし、腕は力なく垂れ下がっているし、とにかく怖い。メスとドリルを携えたキャタピラも怖い。エミリアが首を抱き抱えたまま、意を決して近寄った。
「こんにちは」
「初めまして。私は特殊工作車です」
　爆音で特なんとか車としか聞こえなかった。名前は後で改めて聞こうと、エミリアは差し当たり自己紹介をすることにした。
「エミリアよ。向こうはアニー、あっちがライザ、暗くて良く見えないけど……」
　既にライザはメイレンの方に行った後で、彼女は全然違う方向を指差した。
「ちょっと、T260Gと話をさせてほしいんだけど」
「少々お待ちください。現在、修理を受けています」
　首なしのT260Gが喋った。首から伸びた太い軸を、捻ってこちらに向けるが、がつんがつんと、噛み合わない歯車を無理に回したような音を立てる。機械に疎いエミリアでも其処が悪いのだと分かった。
「このポンコツ、またどっかおかしくなりやがってよ」
　ゲンが彼女を爪先で蹴った。既に二本目のとっくりを呷っている。狼藉も飲酒も毎度のことで、T260Gはどちらにも取り合わない。
「胸部のギアに異物が挟まっています」
「まだるっこしい。逆さまにして振りゃあ取れるだろう」
　せっかちのゲンは、今度はとっくりでT260Gを小突いた。彼女を庇うように、特工者はそちらに回り込む。
「損傷を最小限に抑える必要があります」
　特工者はそう言うなり、引っくり返そうとするクーンと引っくり返ろうとするT260Gを止めた。クーンは昼寝していたのだが、喧しさに起きてしまったのだった。
「その引っ掛かってる異物っていうのが、あなた達の探し物みたいよ」
　ライザから大方の事情は聞いたようで、メイレンが説明してくれた。現在扉の向こうはカオスストリームでぶん回されており、煩くて全く聞こえない。メイレンはもう一度、今度は詳しい事情を話してくれた。話によると、T260Gは三人娘と分かれた直後、首尾良くパープルアイを発見する事が出来たのだが、未だパーツがぎこちないせいで、うっかり体内に入り込んでしまったらしい。ゲンも漸く事情を知り、またT260Gを爪先で小突いた。
「おいおい。こらポンコツ、早く出してやらんか！」
「修理中です」
　T260Gがまたがつんがつん言った。
「修理なんぞ後にしろ」
「いいのよ、ゲンさん。私達も、ここで待ってることにするわ」
　小突くゲンをエミリアが諌め、薄暗くて喧しい中、皆で椅子に座って待つことになった。暇潰しにクーン達とお喋りをすると、彼らの指輪探しは、そこそこ捗っているそうだった。エミリア達は、現在ジョーカーとの直接対決を控え、ヨークランドに向かう筈だった旨を話す。とっくにジョーカーは待ち合わせの場所からいなくなっているのではと、メイレンが至極まともな突っ込みを入れた。
　先般のゲンの言葉が讖をなしたか、診療所の全てのものが空中に浮いた。逆さまに引っくり返され、地面に叩き付けられる。尻餅をつく娘達。棚から薬瓶やら何やらが降って来る。すかさず、ゲンと特工車が庇ってくれた。扉の向こうで馬が嘶き、死神がけたけた笑い、それきり静かになった。
「次の方、どうぞ」
　模型の首がごとりと落ちた。飛び上がる一同。静かになったが、誰も動けない。
「……にいちゃん達、センセイにのされちまったようだな」
　ゲンが頭を振り、軽く酔いを払うと、後始末の指示を始めた。
「犬っ子達、ルージュを連れて行ってくれるか？　俺達はブルーを持って帰る」
　と、メイレン達に指示する。彼の言葉に弾かれたように、皆正気に返った。クーンが元気に手を挙げた。
「はーい！」
「私達、先生を待ってたんだけど……」
　メイレンは溜息だが、了承した。ゲンが軽く頭を下げる。
「悪いな。特工車、お前は犬っ子手伝ってやれ」
「了解しました。丁度作業が終わったところです」
「仕事が早いこった。ポンコツ、直ったか？」
　と、嬉しそうに機械をはたいた。軽快に首を回すT260G。
「お陰様で。特殊工作車、感謝します」
「お役に立てて嬉しいです」
　二人とも棒読みだが、言葉には誠意が籠もっている。特工車はエミリアを向き、遺失物はこれですかと、ピンセットを差し出した。暗闇に紫の光が煌めいた。蓋しくゲンの言うとおり、逆さまにして振ったら取れたのだった。一同挙りて、噂の探し物をまじまじ見詰める。確かに青く、持ち主の目の色に似ていた。あったは良いが、先般散々ギアで擦ったために、T260Gは済まなそうだった。
「損傷はありませんか」
「大丈夫よ。ありがとう、T260G！」
　にっこり笑って、エミリアは彼女を抱き締めた。
「特工車も、ありがとう！」
「どう致しまして」
　続いて、特工車の肩の辺りのミサイルポッドに抱き付く。特工車は大いに照れており、腕のドリルをぎこちなく動かした。彼から離れた後、エミリアは輝くような笑顔で、仲間達に向き直った。
「それじゃ、帰りましょう！　ルーファスに怒られちゃう」
「だけど、ブローチが見付かっていないわよ」
　と、ライザが問うたが、エミリアは全く気にしていない素振りだった。
「どうしたのよライザ。もういいわよ、ブローチなんて」
　エミリアに押されるまま、彼女らはメイレン達に別れを告げ、探してくれた仲間達に礼を言い、術士と医師によろしく伝えておくよう頼み、診療所を後にした。ついでに戦闘の記録を一部記すと、明らかに厄介そうな医者は開幕サイキックプリズンで封じられた。それから魔術士達による、時を止められた空間を切り取って逃れてはまたその空間の時を止めると言う、何だか良く分からないいたちごっこが繰り返される。しているうちに息切れする。ヌサカーンが復活し、暫くは術を控えて闘っていたが、その内面倒くさくなってしまい、プリズンを顧みず盲滅法幻夢を召喚した。そして勝利。彼は割と人の良い妖魔で、双子の事情を承知している。万一捕まったとしても、悪いようにはしないだろう。
　威勢の良いエミリアを先頭に、三人が薄暗い診療所を出たら、丁度アルカイザーが着地したところに出会した。スーツの継ぎ目にこれでもかと薔薇が突き刺さっている。あまりに痛そうで、抜いてやろうとする娘達を制し、彼は届け物を差し出した。紛うことない天使のブローチであった。
「探し物はこれかい？」
「どうして……」
　エミリアは驚きのあまり、上手く言葉が出て来なかった。
「ヒーローは何もかもお見通しなのさ」
　軽く言ってのけたものの、実のところ、妖魔の根城への侵入は一苦労で、金獅子その他を巻き込んでの大騒動を巻き起こしていた。しかしアルカイザーは語らない。ヒーローは陰ながら奮闘するものだ。始めエミリアは状況が呑み込めなかったが、ブローチを取り、確かにそれと認めると、さっきT260Gにしたように、思い切りヒーローへ跳び付いた。もはや言葉では礼を尽くし切れなかった。抱き付かれたアルカイザーの方は気が気でない。至近距離だとバイザーからうっすら顔が見えるのだ。彼女から顔を背けるべく、隣のアニーに聞く。彼女も彼女でぷちぷち薔薇を引っこ抜いているので、近いことは近い。
「ところで、ルージュを知らないか？」
　アルカイザーが尋ねると、アニーが頷いて、親指で後ろの方を指す。
「いるわよ。先生にやられて、のびちゃってるけど」
「仲間が探しているようだ。彼のことは私が預かろう」
「頼むよ。あんなでっかい男、メイレン達じゃ運べないもん」
　それで話はついたのだった。すっかり感激してしまったエミリアを、どうにかヒーローから引き剥がし、ライザは彼によくよく礼を言って送った。お土産に、薔薇の花を貰った。
　結局のところ、失くしたアクセサリはいずれも九龍にて落としたのだった。以前エミリアが仮面舞踏会に出掛けて行く際、急遽ドレスやら何やらの支度をしてアジトを飛び出し、どさくさに紛れて落としてしまった。それらを戦闘員とレッド一行が拾った。ブローチはシュウザーに届けられ、何のかんので妖魔の手に渡り、パープルアイも何のかんので下水に流され、戦闘員に拾われ、レッドと言う名の旅人に蹴っ飛ばされ、また落ちた。紆余曲折あったわけだが、誰一人として真相を知る由も無かった。
「遅い！」
　アジトへ帰ると、ルーファスが仁王立ちで待ち構えていた。減給が怖いアニーは思わず隠れる。ご機嫌なエミリアはちっとも臆せず、軽い足取りで近寄った。お土産の薔薇を差し出されるも、ルーファスは拒否した。
「ごめんなさい。でも見付かったのよ、二つとも」
「報告は結構。ジョーカーを追うぞ」
　モンドからジョーカーの居場所を聞き出して、殆ど丸一日経つ。もはや望みは断たれたかと思いきや、グラディウスの情報筋によると、辛うじて存在を確認出来ているそうである。怒っているルーファスは厄介なので、エミリア達はライザに相手を任せた。新たな情報を受け、始めは真剣に言葉を交わしていた彼女だったが、ふとあることに気付いた瞬間、目を丸くした。珍しく呆気に取られた顔で、他の二人を顧みる。無言で彼女に促され、エミリアも支部長の姿を見るなり、思わず口を押さえた。アニーはもはや噴き出す寸前だった。ライザが戸惑った風に、声を掛ける。
「ルーファス」
「まだ何かあるのか？」
　ルーファスはいよいよ面倒くさそうにした。
「いえ、そうではなくて……」
　娘達が揃って変な顔をしているので、ルーファスは怪訝そうに見返した。わけが分からないものだ、と背を向ける。彼女らはいよいよ笑い出した。
「ルーファス、背中に薔薇が刺さってるわよ」