三

 本日も夕飯は六人と一匹で食べる事にした。とは言え、昨日の今日で、ステラおばさんに迷惑を掛けてばかりはいられない。そうしたわけで、皆で酒場に繰り出して食べる事に決めた。フォルセナの酒場は料理屋も兼ねており、日が暮れる前ならば人の入りもまばらである。空いているのを良い事に、奥の大テーブルを占領し、まずは牛乳で乾杯した。デュランが一息に飲み干すと、負けじとケヴィンとホークアイがぐいぐい飲み、つられてアンジェラやリースも一気に飲み始めた。威勢良くグラスを机に置き、皆美味しそうに息をつく。シャルロットが周囲を見回し、自分もと奮起した。
「よし、シャルロットも、いっきのみしまち!」
「シャルロットは、やめときましょうね」
 と、リースが引き止めた。
「そうだよ。吐き出しちまったらどうすんだ?」
「へいきでち!」
 デュランの余計な一言で勢い付けてしまった。シャルロットはいよいよ意気込んで、入れ物を底が見えるほど傾けた。頬がまん丸に膨らんだ。器を置いても、まだ風船のようにまん丸だった。
 バクハツする。誰もがそう思った瞬間、すかさずデュランが布巾で封をした。ひとまず決壊は防いだらしい。てんやわんやで受け皿を用意し、一同固唾を呑んで見守る中、渦中のシャルロットは目を真っ赤に潤ませながら、少しずつ飲み込んで風船を萎ませた。やっと口が自由になって、ぐすぐす泣く声が聞こえた時には、可哀想だと思いながらも、皆揃って胸を撫で下ろしたのだった。
「だから言ったのにさ……」
「でも、よくガマンしたわね。えらいえらい」
 両隣のデュランとアンジェラが、それぞれ涙を拭ったり頭を撫でたりして、どうにか慰めてやる。シャルロットも気を取り直して、袖でごしごしと目を擦った。
「シャルロット、じゅーすがのみたい……」
「ん。じゃあ、それよこしなよ」
 少し残った牛乳は、そうしてデュランが片付けた。シャルロットはめげる事無く、今度はジュースを一気に飲み干そうとしたが、今度こそ周囲に止められた。
 高原の河川で鱒が良く獲れたそうなので、お薦め通り全員揃って、鱒のバター焼きを注文する事にした。デュランとケヴィンは一緒に鳥のトマト煮込みも頼んだ。それらの皿と籠一杯のパンとで、丸いテーブルの上がひしめき合う。端っこのカールは、店で飼われている犬と一緒に、羊肉の欠片を齧っている。一同頂く前に、シャルロットに倣ってお祈りを捧げ、そうして食事は賑やかに始まった。昨日もお喋りに興じた筈なのに、話題はいつまでも尽きる事が無かった。
「はい、ケヴィン」
 と、リースが自分の皿を差し出した。綺麗に外された魚の骨を、ケヴィンが手を伸ばして摘み取り、口の中に放り込む。ばりばりと景気の良い音がした。彼は魚の骨が好きなので、いつもリースから分けて貰っているのだった。食べ終わり、指先を舐めていると、ふと思い出したように周囲を見回した。
「……オイラ、行儀悪いかな?」
「誰も見てないから、だいじょうぶよ」
「そっか」
 リースの言葉に安心して、ケヴィンは仲間達の骨も貰って回り、今度はフォークを使って平らげた。喉に詰まらせないように気をつけてと、リースは彼の食べる様子を見守っており、弟の面倒でも見ているかのようだった。
「そういえば、エリオットは一緒に来なかったのね」
 隣のアンジェラが尋ねると、彼女は困ったように薄く笑った。
「あの子、フォルセナで剣を学びたいみたいなの。一人前になるまでは帰らないなんて言い出すせいで、連れて来られなかったんです」
「へえ。なかなか見所があるじゃん」
 と、デュランが感心して言った。彼女の弟は確かウェンディと同じくらいの年頃だった筈で、今からでも訓練するのは十分遅くないだろう。デュランにとってみれば、剣の友が増えるのは喜ばしい傾向で、それにはリースも同意したが、相変わらず困惑顔だった。
「うれしいとは思うんですけど、エリオットがローラントを出てしまったら困るんですよ。その事を英雄王様に相談したら、剣術の先生をローラントにお招きできるよう、手配してくださったんです」
 ローラントにも剣の使い手は少なくないが、折角弟がやる気になってくれたのだからと、リースは腕の良い師匠を探していたらしい。本来ならば、デュランが稽古を付けてやれれば良いのだが、実は構え方の基本すらなっていない完全な自己流なので、とても人に教えられるような代物では無いのだった。
「いっぱしになったら、オレと勝負させてくれよ」
「ええ、もちろん。弟も、デュランさんの噂を聞いて、憧れているそうなので」
「そうだ、エリオットで思い出した」
 ホークアイが口を挟んだ。割り込んで失礼と、一言侘びてから改めて話題を持ち込む。
「オレ、このあいだパロに行く用事があったんだ。そしたらやっぱり、リースの様子も見に行きたくなってさ。ちょっと驚かせてやろうと思って、城にこっそり忍び込んでみたんだよ」
 其処まで話して、矢庭にリースが笑い出した。本人もつられて笑ったが、いつもするような陽気な風で無く、照れくさそうだった。落ち着くべく飲み物を口にするも、それが二人揃って同時だったので、互いにますますにやついた。ややあって、漸く発作の治まった頃、何事も無かったかのように続きに戻る。
「……それでだな。城に入ったらすぐ、エリオット王子に出くわしたんだ。オレは喜ばせてやるつもりで、こいつを使ってお手玉を披露したんだけど」
 と、腰のナイフに手をやる。
「ところが、王子はさっさと逃げだしちゃって、アマゾネス兵をこーんないっぱい連れてくるんだよ。参っちゃったよね、ほんと」
 そう言って、ホークアイは大きく手を広げて見せた。どう考えても悪いのは自分の方で、逃げ出しても却って事であるし、彼は大人しく投降を決めたらしい。それで武器を捨てたは良いものの、アマゾネス達に槍襖もかくやとばかり取り囲まれ、槍の柄で散々小突かれた挙句、あっという間に取り押さえられてしまった。そうして敢え無く御用となったホークアイは、曲者としてローラント王女の元に連行されたのだった。
「手足を縄で縛られて、リースの前に突き出されたんだぜ」
「うう、おっかねえ……」
 怖気を振るうケヴィンの脇で、笑壷に嵌ったリースがまだ口元を押さえていた。彼女曰く、てんやわんやの家臣達に呼び付けられ、慌てて玉座の間に向かった所、全身黒ずくめの不審者が引き摺られて来、顔を上げさせて見れば良く知る顔だった。目が合った時の互いの顔は未だに忘れられそうに無いと。
「私はほっとしたんですよ。本当に敵の侵入だったら大変だったもの。おかげさまで、警備体制を見直すきっかけになりましたし」
 リースは取り敢えず、抜き打ちの訓練だったと言う事にして、ホークアイの進入を適当に庇ってやったらしい。そして、当意即妙な対応を取る事が出来たエリオットを褒めてあげる事で、事件は良い形に丸く収まったのだった。かく言うリース自身もなかなか楽しんだらしい。
「ホークアイのあんな顔、もう二度と見られないでしょうね。ほんとにおかしかったの」
「まあ、リースもこの通り、とってもお気にめしてくれたみたいなんでね。結果オーライってやつだ」
 と、ホークアイも笑って話を結んだ。無事解放された後、彼は改めてエリオットに挨拶し、今度こそ曲芸を楽しんで貰ったそうだった。そして今度ローラントを訪れる時は、黒のガーブでは無く普通の格好で行こうと反省したらしい。
「ホークアイしゃんも、けっこうおマヌケでちねえ」
 にまにまするシャルロットの頬をアンジェラがつついた。
「おマヌケはあんたもでしょ、シャルロット。この子ってば、雪原で凍え死にそうになったのよ」
 彼女が呆れて言うと、シャルロットはぎくりと身を竦ませた。そうしたら、何故かケヴィンが頭を下げた。
「オイラも……ごめんなさい」
「シャルロットも、ごめんちゃい」
 と、シャルロットも頭を下げたが、忽ち顔を上げた。
「……でもでも、あれにはふかーいワケがあったんでち」
「仕方ないわね。聞いてあげましょう」
 アンジェラが嘆息して譲ってやり、一同の耳目が集まると、シャルロットはジュースで景気を付け、身振り手振りで喋り始めた。
「シャルロットは、さいきんヒースがいそがしくて、すごーくたいくつしてまちた。だけど、ケヴィンしゃんがついてるなら、おさんぽしてもいいってゆーから、カールといっしょにおともさせてあげてたんでち」
 と始まって、彼女の話した経緯はこんなものだった。
 聖剣を巡るごたごたが解決し、家に帰ってからと言うもの、シャルロットは長い事ウェンデルからの外出を禁じられていたらしい。祖父の司祭からしてみれば、かつて家出同然に旅立って行った孫の事、放っておけばまた行方不明になるかも知れないので、安全を期して言い付けたのである。しかしシャルロットが納得出来る筈も無い。連日連夜窓を眺めては溜息をつき、自由気ままに遊びに行けるケヴィンに対し、羨望と嫉妬の眼差しさえ向ける始末だった。ケヴィンはそんなシャルロットに同情してやり、彼女の謹慎が解けるまで、自分も仲間達に会いに行こうとはしなかったのだった。
 そんなある日、ついに司祭から外出の許可が下りた。遠くへ行ってはいけないと言う条件付きだが、シャルロットはお座なりに聞き流し、早速ケヴィンとカールを遊びに誘った。遠出は良くないと渋るケヴィンを、彼女は得意の舌先三寸で丸め込み、夜中にこっそりと神殿を抜け出した。行き先についてだが、忍者軍で盗賊団なナバールに行くのはちょっと怖いし、ローラントは山登りが大変、だからフォルセナに行こうと思ったのだが、今度リースがフォルセナを訪れると言う噂を思い出し、デュランに会うのはその時にしようと決めた。それで残ったアルテナに決まったのだった。しかしてアルテナに向かったものの、二人はウィンテッド大陸が寒い事をすっかり忘れていた。着の身着のまま出発して、船に乗って、エルランドから雪原に出て、それからの記憶は無いと言う。アンジェラが言うには、雪原の見回りに出たアルテナ兵が、丸くなって雪に埋もれる狼と、その毛皮に包まってすやすや眠る子供達の姿を発見したそうだった。
「きがついたら、なんだかあったかくてふわふわしたところにいて、シャルロットはきっとてんごくにきたんだとおもいまちた」
 うっとりと両手を組むシャルロットの傍ら、アンジェラはげんなりしてこめかみを押さえた。
「私達は地獄のようだったわよ……。あんた達は死んだように眠ってるし、ウェンデルは子供達が行方不明だって大騒ぎ。どうしてみんな、連絡ってものを知らないのかしら」
「ほんとだぜ。一言ぐらいよこすのが礼儀ってもんだ」
 呆れた様子の彼女に、デュランが横槍を入れた。ところがまるで手応えは無く、婀娜っぽい目配せで反撃される。
「ちゃーんと連絡するわよ。デュランが私のために、お仕事休んでくれるんだったらね」
「へん、お断りだね!」
「ひどーい!」
 と、忽ちアンジェラがむくれてしまった。
「リースのためなら、いくらだって休むくせに!」
「日頃の行い考えろってんだ」
 デュランはそっぽを向いた。本日の休暇はリースとローラント兵のために申請したもので、彼女とは頻繁に会えるわけでは無いから、少し話せる時間を取るつもりでいたのだ。お冠のアンジェラが引き続き文句を言ったものの、デュランは鶏肉に夢中で聞いていなかった。じっくり煮込まれていて柔らかく、トマトの酸味が利いて美味しい。放っておかれたアンジェラは、その内リースに慰められていた。嵐を上手くやり過ごしたデュランは、再び先程の話に立ち戻る。無事にウェンデルまで送り戻された後、ケヴィンとシャルロットは司祭から長々とお説教を食らってしまったそうだった。
「……それからオイラ達、ずっとウェンデルを出してもらえなかったんだ。司祭様が許してくれて、出かけていいって言われたの、おととい」
 ケヴィンは真摯に反省し、身を縮こませて小さくなってしまった。いじらしい姿に、デュランとホークアイが顔を見合わせる。
「かわいそうだが、しょうがねえよな。ケヴィンにも責任はあるわけだ」
「だな。シャルロットはまだ小さいんだからさ、君がしっかりしないといけないよ」
 ホークアイの注意を受け、ケヴィンは素直に頷いた。
「分かった、気をつける」
「こら、きこえてまちよ! コドモあつかいしないでくだちゃい!」
 言われた本人が慌てて魚を飲み下し、抗議に掛かった。普段やり込められてばかりのケヴィンだが、この時ばかりは眦を決し、机越しにシャルロットへ詰め寄った。いつに無い気勢に、流石のシャルロットも怯んだのか、心持ちのけぞった。
「オイラ、もうシャルロットの言う事聞かない! しっぽの毛抜いたってダメだ」
「ぬいてまちぇん! ひっぱったら、ぬけちゃったんでち。じゅーじんになってたケヴィンしゃんが、いけないんでちょ!」
 ちょっと面食らっていたシャルロットも、負けじと応戦する。
「カールに狩り教えてたんだよ。獣人ならないと、狩り、できない」
「かりしてたんなら、なおさらでしょー。いつなにがおこるか、わかりまちぇんもん。ゆだんたいてきでち」
「……そうだけど、しっぽ引っ張るのは、よくない」
 ケヴィンの語勢が弱まった。助け船を求めてか、ちらりと男友達の方を一瞥したので、ホークアイが取り成してやる。
「シャルロット、そこんとこはかんべんしてあげて。しっぽが抜けちゃったら大変だよ」
「それは、はんせいでち。ごめんちゃい」
 と、机に付くほど頭を下げた。帽子が垂れて、料理の皿に落ちそうになったのを、アンジェラが押さえて後ろに撫で付ける。彼女はリースとの会話に夢中で、それきりこちらの輪には戻って来なかった。シャルロットは相変わらず伏せったままで、気の毒に思ったらしいケヴィンが、そっと声を掛けた。
「いいよ。……その、油断してたオイラも、悪かったし……」
 すると、ゆっくりと頭が上がった。シャルロットは机に顎を乗せ、拗ねたように食い下がる。
「……だいたい、どーしてよなかにおでかけしてるんでちか? おひるまげんきにあそんで、よるはおねむのじかんって、おじいちゃんもいってまち」
「オイラ、ヒースさんに聞いてから出たよ。夜しか獣人になれないんだったら、いいって」
「ヒースはあんたしゃんにあまいんでち。そんなとくれーがゆるされちゃったら、うぇんでるのキリツがみだれるでちょうに」
「……だから、ヒースさんに言われたんだ。シャルロットにはナイショだって」
「なんですと!?」
 いよいよ逆鱗に触れ、シャルロットは頬をこれでもかと膨らませながら、ケヴィンにフォークの切っ先を向けた。
「あんたしゃんだけおいしいおもいをするきだったんでちね。ところがどっこい、ヒースとおてんとさまがゆるしても、シャルロットはゆるしまちぇんよ! でかけるんなら、シャルロットのきょかもとるんでち!」
「むちゃくちゃだ!」
 案の定ケヴィンは言い負かされてしまった。もはやホークアイに助けてやるつもりは無いらしく、仲良き事は素晴らしきかな、と笑って観戦していた。迂闊に手を出して狼に噛まれるのも嫌なので、デュランもそのまま放っておく事にした。パンの残りを食べようとして、ふと手元を見下ろすと、飲み物のグラスで陣地が占領されている。丁度その折、隣の男が追加で注文を始めており、犯人はすぐにそれと知れた。デュランはグラスを目で数えながら、相手の事をちょっと心配した。
「いくら何でも多すぎやしねえか? 吐き出すなよ」
「へーきへーき。悪いね、占領しちゃって」
 ホークアイはにやにやしながら、葡萄のジュースを呷って空にした。それを端によけておき、お次は梨のジュースを取る。デュランと違って酒がからっきし駄目なので、お茶と甘いものばかりを飲んでいた。
「それにしても、フォルセナっていい所だな」
 そう言って、彼は窓の方を見やった。そろそろ日の暮れる頃で、屋内に明かりが灯り始めている。故郷を褒めて貰い、デュランも喜んで頷いた。
「そうだろう。何たって、英雄王様がいらっしゃるんだからな」
「おっしゃる通りで。ま、ナバールだって負けちゃいないけどさ」
「ナバールか。一回行ってみたいもんだな」
「遊びに来るといいよ。とびっきりの、ステキなお出迎えをしてあげるからさ」
 と、胡散臭い笑顔で液面をぐるぐる揺らした。余程気に入ったらしく、此処で頼める限りの飲み物を粗方飲み比べている。これが一番美味しいと、デュランに向かって薦めて来たのは、取り分け甘くて濃厚そうな葡萄のジュースだった。デュランは入れ物を押しやりながら、相手を怪訝に見やった。
「お前、酔っぱらってんじゃねえだろうな?」
「心配御無用。おれ、酒飲めないんだ」
 勿体振って指を振る。そうであるのは知っているから心配したわけだが、確かに酒の類は一つも無かった。リースもそうだが、彼らはちょっとした事でも良く笑うようになっており、それが酔っ払いの笑い上戸に見えるのだった。いずれにせよ、飲み過ぎには変わり無く、ホークアイは食事よりも水分ばかり取っている。幾ら飲んでも全く平気な風で、美味しそうに次々グラスを空けて行くので、ナバール人は体が砂ででも出来ているんじゃないかと、思わず感心する所だった。
「そういや、ナバールの辺りって井戸が枯れかけてなかったっけ。もう平気なのか?」
 そう尋ねると、ホークアイは頷いた。
「ああ。ここの所の異常気象は、マナのバランスが崩れていたせいで起こってたらしいんだ。オアシスの水位も戻ったよ」
「そうか。そりゃ良かった」
 向かい側では、ケヴィンのお代わりした鳥を皆で分け合って味見していた。一口のつもりが、皆次々と摘まみ出し、ついには本人の分が殆ど残らなくなってしまう。嬉しそうに頬を押さえたアンジェラと、視線がぶつかる前に、デュランはさっさと目を逸らした。
「アルテナの方も、少し暖かくなってきたようだな。おかしな話だぜ、マナがなくなっちまった方がマシだなんてさ」
「そう言いなさんな。オレ達は魔法を使わないから、不便だって事が分からないだけだよ」
 苦笑して窘められた。其処で漸く、ホークアイはやや真面目の体を取り戻して来、デュランに問う。
「フォルセナはどうなんだ? 何か変わった事とか、あるかい」
「別に、ないけど……ああ、鉱石の採れる量がちょっと減ったとか聞いたな。でも、変わったと言えば、それぐらいだよ」
「そうか。フォルセナの場合は、マナの変動がいい方に影響してたんだろうな。それが元に戻ってきてるのかも知れない」
 彼の言う通り、従来のフォルセナは他国に比べて資源が潤沢だった。豊かな土地に育まれる動植物、尽きる事無い鉱脈、後背の山脈から湧き出る清水。それらが全て土のマナやノームの力による恩恵だったとすれば、マナの消失は少なからず環境に累を及ぼすのだろう。昔のように戻ったと言うだけなのだが、どうしても良い方向には考えられず、デュランは机に頬杖を突いた。
「この国も、今まで通りってわけにはいかないのかもな……」
「そうとも限らないさ。今言ったの、単なるオレの推測なんだ」
 茶化した事を責任逃れのように思ったのか、ホークアイは学者からの受け売りだと前置きし、理屈を交えて敷衍に掛かった。例えばローラントは、制御装置が機能しなくなったにも拘わらず、依然として風が吹き続けている。ウェンデルの緑豊かで麗らかな様相も、ウィスプが去った今でも全く衰えてはいない。そうした例を挙げ、元々の自然環境もあるのだから、フォルセナの資源はこの先も豊かなままだろうと言うのだった。しかしデュランの方は、そうとも限らないだろうと思い直した。ナバール周辺の広大な砂漠とて、かつては緑豊かな大地だったと言うのだし、世の中がどう発展するのかは誰にも分からない。女神とマナの力が及ばない世界で、それらを守っていくのは人間の力に他ならなかった。
「これからは、オレ達の力で守っていくべきものなんだろうな。何たって、精霊も女神も寝てやがんだからさ」
「そういうことだな。かわいいフェアリーちゃんが安心して眠れるように、みんなでがんばっていこうぜ」
 ホークアイは話しながらも飲み続けており、あれだけあった器は殆ど空っぽになってしまった。しかし流石に多かったらしく、ちょっと胸悪そうにする。残った分はデュランも助けてやり、二人でどうにか片付けた。
 気が付けば、他の仲間達が席を立っていた。何をするかと思えば、酒場の主人に肉を貰って、カールとその友達の犬にお代わりを与えているのだった。シャルロットが掌にパンの欠片を乗せ、屈んでカールの口元に差し出す。カールは舌で舐めとろうとしたが、落としてしまい、それをシャルロットが拾って、今度は直接口に入れてやった。ご機嫌に仲間達と笑み交わすリースを見るにつけ、アマゾネスの目論見通り、良い休暇になったようだ。其処でふと、アンジェラと目が合ったが、デュランは何と無く見ない振りをしてしまった。