四
アンジェラはフォルセナに飽きなかったようで、一週間程経た後も、一言も帰りたいとは言い出さなかった。その間に、家の中が随分と女の子らしく影響され、箪笥に鮮やかな服が入っていたり、棚に化粧の瓶が並んでいたりと、細々した事物が増えた。何だか良い香りのするようになった家に、デュランも早々に順応してしまい、彼女が出迎えてくれる生活が当たり前となった。毎度のように仲間が遊びに来ているから、家に帰るのを楽しみにさえ思っていた。
そして彼は後になって気付いたのだが、アンジェラも伊達に遊んでばかり過ごしたわけでは無かったのだった。彼女はフォルセナの人々と積極的に交流を計り、お互いの国について理解を深め、少しでも心証を良くすべく努めた。ローラントの関係につけても、現状交易資源に乏しいアルテナに於いて、そうした地道な外交がいずれは実を結ぶのだろう。それを本人は、今日は誰と遊んだだの、明日は何処にお邪魔するだのと嘯くものだから、デュランは彼女を褒めるような機会を逃してしまった。
他の仲間も暫くの間逗留していたが、程無くリースが挨拶に来、ケヴィンとシャルロットが手を振って帰り、ついにはホークアイを見送る事になった。少々寂しく覚えるも、今度はウェンデルで集まって遊ぼうと約束したので、また会うのはそう遠い話でも無さそうだった。そうこうする内に週が巡り、アンジェラの帰郷も間近に迫っていた。
ある日デュランが帰宅すると、二階から娘達の話す声が聞こえて来た。二階はデュランだけの部屋と言うわけでも無く、妹達が使っても不思議は無いのだが、その内容が自分に関係するものであったから、つい足を止めて横聞きしてしまう。デュランと話さない時のアンジェラは、魔導師らしい澄んだ声で、落ち着いた喋り方をするのだった。
「……きのうもまた、きつい事言っちゃったし。デュラン、怒ってたでしょ」
「怒ってなかったよ。だって、お兄ちゃんがいけないんだもん」
「デュランは悪くないのよ。私がおとなげないから、ケンカになっちゃうんだもの」
「うちのお兄ちゃん、ほんとはすごくやさしいのよ。きらいにならないであげてね」
「だいじょうぶ、分かってるわ」
アンジェラは笑って、今し方の会話とは全然関係無い事を言った。糸がどうこうと話すから、縫い物か何かをしているらしい。ざらついた、布を断ち切る音がした。気を取り直して、デュランが一歩踏み出し掛けた矢先、今度はウェンディが話を始め、やや気落ちした声が聞こえた。
「お姉ちゃん、もうすぐ帰っちゃうんだよね?」
「そうね。たしか、あさってだったかな」
「さみしいなー……。私もアルテナ、行ってみたい」
「春になったら連れてってあげるね。ちょっと寒いけど、いい所なのよ」
と、アンジェラは楽しそうに話していたが、今度は彼女が嘆息した。
「……だけど、お兄ちゃんに怒られちゃうかしらね。デュラン、かなり迷惑がってるみたいだし。悪い事しちゃったなあ」
「怒りゃしねえよ」
デュランが入って行くと、二人並んでベッドに座っており、ウェンディは喜んで、アンジェラは驚いて、それぞれ迎えてくれた。思った通り、縫い物をしている最中だった。
「びっくりした……お帰り」
「お帰り、お兄ちゃん」
「ただいま」
デュランは荷物を机に置こうと思ったが、何だか色々と広げてあったので、足元にした。
「また何か作ってんのか」
「うん。パッチワーク」
と、ウェンディが布の塊を見せる。小さな菱形が花の形に繋がっていて、こうした所にも性格が出るのか、アンジェラの方に派手な色が偏っていた。今日はグランデヴィナの服装だが、例の重そうな冠だけは付けていない。良くそんなに服があるよなと、デュランは彼女を横目に見やりつつ、兵隊の装備を外しに掛かった。どうもこの手の兜が嫌いで、帰ったら真っ先に外してしまう。そのままいつもの兜を被ろうとしたが、食事の時間が近い事を思い出し、やめた。頭をわしわしと掻き乱しつつ、二人に声を掛ける。
「作るのは結構だが、ちゃんと片付けてくれよ」
一昨日はまきびしの如く、布団の中に色とりどりの粒々が交じっていたのだった。ウェンディはとっくに手元へ集中しており、気の無い返事をして寄越す。隣のアンジェラと言えば、ちょっと見なかった合間に、広げた布切れを綺麗さっぱり片付けてしまっていた。
「私、ごはんの支度手伝ってくるね」
そのまま流れるような所作で、デュランを避けるように擦り抜け、階下へ行ってしまった。盗み聞きを悟られたのかと、デュランは少々ばつの悪い思いで去った後を見ていたが、別にさしたる話でも無かった筈だった。気にしない事にして、さっさと着替えを済ませてしまうべく取り掛かった。ベッドの方を向くと、ウェンディが端切れを取ろうとして、机に身を乗り出した拍子、重そうな銀の髪飾りが揺すられて、夕暮れの光に赤く染まるのが見えた。髪の毛が複雑に編み込まれているのも、件の魔導師にやられたらしい。
「暗いだろ。灯りつけなよ」
「いいよ。すぐ終わりにするから」
そう言いながらも、ウェンディは手を止めるつもりが無いようだった。人より不器用なデュランは、籠手のベルトを緩めるのに苦心した挙句、やっと両方外し終えた。前に馬鹿力のせいで千切れた事があったので、嫌でも慎重にさせられた。続いて鎧を緩めていると、背中から声が掛かった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「どうして、アンジェラお姉ちゃんの騎士になってあげないの?」
「父さんみたいになりたいからだよ。お前だって知ってるだろ」
デュランは妹を見ないで返した。その間鎧も外してしまって、鎖帷子を脱ぐのに難儀する。ウェンディも手元に集中したまま、話を続けた。
「お父さんは英雄王様の騎士だったけど、お母さんの事も守ってあげてたんでしょ。お兄ちゃんもそうすればいいじゃない」
「それじゃ気に食わねえんだとよ」
デュランほどでは無いものの、アンジェラも意地っ張りな所があるので、こうと決めたらなかなか譲ろうとはしないのだった。しかし、デュランも散々悩んで譲歩したつもりである、これ以上は毛ほども譲る気は無かった。相手がよりによって騎士を引き合いに出して来なければ、デュランも父のように振舞ってやろうと考えたかも知れないが、もはや今更だった。鰾膠も無い態度の兄に、ウェンディは口を尖らせて、階段の方へ目をやった。
「……ずっと、うちにいてくれたらいいのになあ」
「オレはごめんだね。やかましくて、おちおち夜も寝てられん」
「どうしてそんな事言うのかな……」
ついに手が止まった。気の強い瞳ではたと見据えられ、見慣れた筈のデュランもちょっとたじろいだ。
「お兄ちゃんって、アンジェラお姉ちゃんにだけ、いっつもいじわるしてるよね。騎士だったら、みんなにやさしくしてあげなきゃダメじゃないの?」
それにはぐうの音も出なかった。思い返してみれば、仲間の皆もデュランに向かって口々に、アンジェラに優しくするよう、素直になるようにと進言して来たのだった。薄々自覚はあったものの、傍から見れば目に余るような、余程素気無い態度なのだろう。
「……竜殺しが聞いて呆れるな。名前ばかりで、ちっとも中身が伴わない」
自嘲して、傭兵の兜を見下ろした。
「やっぱりオレ、まだ全然未熟なんだな。自分の事ばっかりで、誰かに気をつかってやる余裕がなくてさ。こんなんじゃ、騎士の座なんて程遠いや」
デュランの言葉に、ウェンディも口調を和らげた。
「そうやって反省できるんだから、えらいと思うよ」
「ああ、反省した。意地張るのもやめだ」
修行とは闇雲に剣を振るばかりでは無い。剣は心を映す鏡、如何なる時も心を静かにを保てと、父ロキもそう言っていたのだ。もうじき成人して二年になるのだし、デュランもいい加減大人になって、剣士の模範たるべき態度を取らねばならなかった。決意も新たに、しかと頷くと、ウェンディも笑って頷き返した。
「お兄ちゃん、昔からやさしかったけど、旅から帰ってきてもっとやさしくなったよ。自信もっていいからね」
「そうか。ありがとう」
心機一転の折、アンジェラが部屋に戻って来た。階段からひょっこり顔を覗かせ、デュランを見るなり、訝しげに眉を顰める。
「どうかしたの? 顔こわいけど」
「ちょっと、いい事あってさ」
「そうなの? あんたって、うれしくても眉間にシワ寄ってるのね」
そう言って彼女は手を伸ばし、二本の指で眉間に触れて来た。デュランが何か言う前に、身を翻して、階段の方へ立ち戻る。
「二人とも、ご飯できたよ。早くおりておいでよ」
出鼻を挫かれ、むすっとした兄の横を、苦笑いのウェンディが通り抜けて行った。道は長く険しそうだった。
アンジェラの存在はそこはかとなく古傷に似て、長い間そばにあり、既に身の内として馴染んでしまっている癖に、ふとした拍子、肌の一部とは違う事を思い知らされるものだった。痛むのはほんの一時の事だから、治まるまで放っておくつもりなのに、周囲が気にしていちいち触れて来る。触れられると痛いような痒いようなで、とにかく構わないで欲しかった。古傷なのだから、これ以上良くも悪くもなりはしないのだと思っていたが、この期に及んでデュランも知らん振りを決め込んではいられなくなった。意地っ張りの自覚がある彼は、今更アンジェラに優しくするのが気恥ずかしいのだが、せめて家族や仲間と同じように接しようと、心に固く誓ったのだった。そうしていつものように口喧嘩をしたり、何でもないような話をしている内、残りの二日間は瞬く間に過ぎていった。
アルテナへは夜行船に乗り、明朝エルランドに着く予定になった。マナの加護が失われた現在、秋も深まり行くウィンテッドに於いて、以前のような軽装で歩くのは余りに無謀が過ぎる。アンジェラは普段の露出と打って変わって、妖精みたような白くて厚手のローブを着込み、デュランは二度と着ないような毛皮の外套を着て、それぞれの格好を珍しがる。普段てんで反りの合わない二人だが、ぶかぶかして動き辛いから厚着が嫌だと言う一点のみは共通していた。船室で暇を潰している内、空気が冷え込んで来たと思って見れば、窓硝子が霜で真っ白に凍り付いている。削って二人で覗き込むと、朝焼けに雪原がぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。アルテナだと、アンジェラが声を弾ませた。
エルランドに着いた。こちらの天気は良いが、雪原からアルテナに掛けてはやや雲が掛かっているようだった。帰郷にはしゃぐアンジェラが、軽い足取りで石畳に降りようとした拍子、凍った海水に足を取られた。転びそうになった所を、慌ててデュランが抱えてやったら、思いっ切り肘で殴られてしまった。
「ごめん、つい……」
「今のは効いたぞ……」
頬を擦り擦り放してやる。もし防具に当たっていたら痛いのはアンジェラの方で、それだけは不幸中の幸いだった。また転んでぶたれるのも嫌なので、いっそ手でも引いて歩いてやろうかと、デュランは彼女に掌を差し出した。が、相手は珍獣でも見たような顔で、暫く動かなかった。
「よけいなお世話か」
「ううん。うれしい、ありがと」
引っ込めようとした矢先、アンジェラが飛び付くように手を取った。嬉しそうにしているので、どうやら正解だったらしい。しっかり相手に心を砕いてやり、自らが思い描く理想の騎士に近付いたようで、デュランも気分良く歩いた。
そのままひとまずエルランドの酒場に行き、暖かい暖炉と飲み物で休憩した。機会なので情報収集もしてみると、こちらはアルテナより以前から寒さの浸食を被っていたため、暮らし振りはすっかり雪国のそれに順応して、差し当たり苦労はしていない事が分かった。南部に港が新設される件については、向こうは遠浅で船を付けるに適さない上、エルランドを訪れる旅行者がそちらに取られてしまうのでは無いかと、期待よりは不安の方が良く聞こえた。話に耳を傾けながら、アンジェラは紅茶の液面を見詰めたまま、長い事沈思黙考していた。
降り積む雪は熱ばかりで無く、音までもを奪い取ってしまうようで、零下の雪原は静まり返っていた。以前見られた、梢にマナの結晶が付いてきらきらと輝く様も今は無く、薄暗い曇天も相俟って、ますますうら寂しく感じられた。静寂の中で、二人の歩く足音だけは嫌に響き、知らぬ間に魔物達に忍び寄られる事もしばしばだった。暫く歩いていたら、出し抜けにアンジェラが杖で樹氷を叩いた。雪に交じってサハギンが転げ落ちる。間髪入れずデュランが突き殺し、振るって死骸を放り捨てた。残酷だが致し方無い。これが示威の役目を果たしたらしく、暫くは魔物も息を殺していたが、それも長くは続かず、海岸線の辺りに来るとちらほら襲われるようになった。天候が悪いと言うのも、魔物達の活動を助長させる要因だった。
アンジェラが今度は海岸を打った。杖を振り上げると、握りの部分にサハギンの銛が絡め取られ、宙に放られた。銛を受け止めた彼女を庇うように、デュランが盾を構えるも、本体は海中へ沈んでしまって出て来ない。していると背後に殺気を感じ、デュランは背後に向けて盾を突き出した。案の定シーサーペントが肉薄しており、吐き出された冷気が盾に弾けて霧散した。其処にアンジェラが足払いを掛け、デュランが喉首目掛けて斬り捨てた。そちらを相手取っている隙に、懐へ二匹のポトがデュランの懐に飛び込んで来、利き腕に食い付かれた。片方を蹴飛ばして退け、咄嗟に腰の短剣を抜き、もう一匹の脳天に突き刺した。そのまま引き下ろして体を捌く。噴き出した体液に構う間も無く、残りの一匹を袈裟切りにしたら、二匹分の返り血でべとべとになってしまった。目元を拭って周囲を見やると、海中のサハギンは丸腰で掛かる気概も無いらしく、泳いで沖合に逃げ去った後だった。デュランは剣の血糊を払いながら、鎧にへばり付いたポトの皮を剥がし、なるべく遠くに放り捨てた。アンジェラの方は、ぱっくんトカゲの口に銛を詰め込み、ぼこぼこ小突いて海に突き落とした所だった。他にもいないか警戒したい所だが、油混じりの青い液汁が目に沁みてどうしようも無い。乱暴に擦っていたら、見かねたアンジェラがそばに来て、ハンカチで拭ってくれた。
「敵は?」
「だいじょうぶ、もういないよ」
と、アンジェラは周囲を見回した。
「だったら、早く行こうぜ」
「ダメ。そんな顔でお母様に会わせられるわけないでしょ」
彼女は嫌がるデュランを捕まえて、布で体液を拭き取っては、足元の綺麗な雪で洗い清めた。ポトの油はなかなか落ちない。散々顔を擦られた挙句、やっと目が利くようになったデュランは、両方の手に持った武器を見比べ、ちょっと仲間の事を思い出した。
「オレも二刀流にしてみようかな」
「やめときなさいよ。なれない事して、ケガでもしたらどうするの?」
「自分の力量ぐらい分かってら」
と、デュランはむっとしながら短剣を仕舞った。アンジェラも眉を吊り上げる。
「ウソばっかり! 自分の事を分かってるヤツが、あんなにムチャするわけないでしょ」
「いつの話をしてんだよ」
「最初のカニの時から、竜帝を倒した時まで、ず〜っと! シャルロットがいなかったら、今ごろどうなってるかわかんないのよ。だいたいデュランは……」
「わかったわかった! わかったから、放してくれよ!」
大きな声で、デュランは無理矢理話を打ち切った。話している間もずっと擦られていたのだった。それでもなかなか解放されず、ついには冷たい籠手を袖口に突っ込んでやったら、アンジェラが金切り声を出して飛び退いた。デュランはしてやったりと笑いながら、肘までずり落ちた盾を手元に引き上げ、脱げた外套を拾い、雪をはたいて被り直した。齧られた右手が若干ぎこちないが、斬る分には問題無さそうである。その後も敵とはしばしば相対する羽目になり、日に焼かれて乾燥しないお陰か、水棲生物がいやに元気だった。
かかるほどにアルテナへ到着した。外壁の程近くを流れる小川は、今やすっかり雪に埋もれてしまい、地面と見分けが付かなくなっている。城門を潜った先も一面真っ白に染まっており、前来た時とは打って変わった様相で、デュランは全く見知らぬ場所へ来たような気分になった。寒いし暗いせいで、街角の人通りはまばらであるが、子供だけは元気で、着膨れした丸っこい姿で、黄色い声を盛んに上げて走り回っていた。二人は雪合戦の邪魔をしないよう、大通りを避けて王城に向かった。予めフォルセナから言伝を送っていたお陰で、王女が勝手に城を飛び出していた割には、至極平凡に迎えられた。挨拶のついで、門兵の女の子と世間話をしていると、城の方から金髪の青年が走って来た。アンジェラが手を振る。
「ヴィクターだ。ただいま!」
「お帰りなさい。女王陛下がお待ちかねですよ」
ヴィクター青年は深刻な様子だった。母親の名前が出、流石のアンジェラも怯んだようで、杖に身を隠すように縮こまった。
「……お母様、怒ってない?」
彼女がそう尋ねると、ヴィクターはますます難しい顔をする。
「……それが、大変おかんむりのご様子なんです」
途端、アンジェラがさっと青ざめた。青年はやり込めたとばかり、からから笑って手を振った。
「うそうそ。ずっと心配していらっしゃったので、早く行ってあげてくださいね」
アンジェラが杖を構え、ヴィクターを小突いてやろうとしたが、彼はまんまとかわしてしまった。逃げた勢い、遠回りしてデュランの方に近づき、深々と頭を下げる。
「すみません。うちの姫様がご迷惑おかけして……」
「いつもの事だよ」
慌てて飛び出して来たのか、ヴィクターは薄着で寒そうに肘を抱えていた。意外と良い性格をしたこの人は、確か宮廷の使用人で、特にアンジェラのお目付けを勤めている筈だった。彼も散々苦労させられているようなので、デュランの方には何と無く親近感があった。そうして頭を上げたヴィクターが、ふと心配そうな顔をして、デュランの事を矯めつ眇めつ凝視して来た。まだポトの油が付いているのかと思い、指の腹で頬を擦る。相手は依然神妙な顔で、王女に聞こえぬよう、こっそり言った。
「……あの、ほんとに姫様でいいんですか?」
「何だそりゃ?」
「ちょっと、よけいな事言わないでよ!」
と、アンジェラが間に押し入って来た。聞こえていたようだ。デュランは何の事だかさっぱり分からないまま、機嫌を損ねたアンジェラが無理矢理背中を押し進めて来たせいで、結局何が良いのか聞けずじまいだった。ヴィクターは途中まで追従し、姫様にもこんな良い所があるのだと、彼女の事を一生懸命褒めて寄越した挙句、ついに本人の手で追い払われてしまった。ヴィクターの他にも、城中の者達がアンジェラを見るなりそばに来て、親しく言葉を交わしたが、誰もが去り際にデュランの顔をしげしげ見詰めて行く。自分みたいな兵士が余程珍しいのか、それともアルテナ人は人の顔を見るのが癖なのか、少々落ち着かない気分のまま歩き、奥まで通された。寒いせいか、中庭を使うのは止めたらしく、代わりに外周の塔を渡って歩いた。
理の女王は図書館にて、家臣と共に読書に興じている最中だった。空色のローブの上から厚手の毛織物を羽織っており、佇まいは女王たる威厳を増しているが、表情は以前に比べてずっと柔らかだった。アンジェラが室内に顔を出すと、周囲の人を払い、立ち上がって娘を出迎える。
「お帰りなさい、アンジェラ」
後ろに控えたホセ爺が、口に雪の塊でも詰め込まれたような顔をしていたが、今の所お説教をするつもりは無いらしく、黙って直立不動を保っている。他の人々には一切構わず、アンジェラは飛び付かんばかりの勢いで、母君の前に駆け寄った。
「ただいま、お母様! デュランが来てくれたよ」
「まあ」
アンジェラに指差され、デュランも女王の御前に出た。しとやかな礼に一礼して応える。
「ご足労いただき、どうもありがとう。アンジェラが大変お世話になりました」
「いえ。私の都合で引きとどめてしまい、もうしわけありませんでした」
「お気になさらず。娘も喜んでいるようですから」
と、女王が微笑むと、アンジェラも満面の笑みで頷いた。元々良く似た親子だが、笑った顔はまさしくそっくりだった。
「どうぞ、この城をご自分のお屋敷だと思って、くつろいで行って下さいね」
「ありがとうございます」
此処にもアルテナ人の習性は健在で、デュランがちらりと階上に目を移すと、手摺から若い魔導師達が身を乗り出し、下を見ながら囁き合っているのが見えた。そんなにアンジェラが帰って来て嬉しいのかと、少し不思議に思っていたら、女王もデュランの顔を打ち守っていた。やがて、彼女は床しげに目を細めた。
「本当に、ロキの若い頃によく似ているわ」
「父をご存じなんですか?」
デュランが思わず尋ねると、理の女王は頷いた。
「私と英雄王は、古くからの知り合いだったのです。昔からリチャードとロキは仲が良くて、彼の事もよく覚えていますわ」
似ていると言われて照れくさくもあり、父の事を突っ込んで聞いてみたい好奇心もあり、デュランは内心浮足立ったが、ぐっと堪えて頭を掻くに留めておいた。その腕をアンジェラが引っ張る。
「ねえ、もういいでしょ。行きましょ」
「アンジェラ、待ちなさい」
女王の声が冴え渡った。アンジェラが固まる。慌てふためき、一旦デュランの影に隠れようとするも、観念しておずおずと前に出て来た。理の女王は怒ると却って迫力の弱まる人だったが、娘にとっては効果覿面のようで、捨てられた犬のようにしょんぼりした。
「また一人でお城を抜け出して。どこかで事故にあっていないか、心配していたのよ」
「ごめんなさい。……でも私、出かけるって言ったよ」
「いつともどこへとも聞いていません。それでは、黙ってお城を出たのと変わらないでしょう?」
後ろのホセ爺が何度も頷いた。アンジェラはそちらを無視して、哀れっぽい体で母親を見上げる。吹き抜けから聞こえるひそひそ声も、王女に味方する風だった。
「ごめんなさい。もうしないから。……ね、だからゆるして?」
と、アンジェラは縋るように両手を組んだ。彼女の緊張が伝染してか、その場の全員が固唾を飲んで、女王の次なる言葉を待った。厳めしい顔を保つのに疲れたのか、理の女王は眉間に手をやり、呆れたように嘆息した。
「仕方のない子ね。次からは気をつけなさい」
「やった! お母様、だーいすき!」
容赦の言葉を受けるなり、アンジェラは調子良く母親にしがみ付いた。女王は苦笑交じりに娘を抱き止めてやり、その髪を優しく手で梳く。かつての母子の関係を知っているだけに、周囲の反応も好意的で、お冠だったホセ爺も思わず目尻を下げていた。そうしてアンジェラは忽ち威勢を取り戻し、家臣達の温かい視線に笑って返しながら、今度こそデュランの手を取り、図書館を後にした。
「デュランって、お母様の前だとあんな風にしゃべるんだね」
と、アンジェラは含み笑いを浮かべていた。
「当たり前だろ。女王陛下の前なんだから、失礼のないようにしなきゃ」
「私のお母様なんだから、ふつうにしててもだいじょうぶよ」
「こういう時は礼儀を尽くすもんなの」
デュランは英雄王陛下の命により、アンジェラ王女の身辺警護を任されたと言う立場である。当然、理の女王に対しても粗相の無いように振舞わねばならないのだった。珍しく堅苦しい事を言う彼に対し、アンジェラは一頻り面白がっていたが、やがて相好を改めた。
「さてと。遅くなっちゃったけど、約束、忘れてないからね」
「……ああ。頼む」
不意に緊張してしまい、デュランは拳を固く握った。アンジェラの方も、いつに無く真剣な表情だった。
アルテナの墓所は町外れに位置した。かなりの人数が足繁く通っているようで、雪は道の両脇によけられており、路面の芝や石が露出していた。アンジェラが約束し、デュランが請うたのは、紅蓮の魔導師が眠るべき場所だった。一番奥にあるそうで、立ち並ぶ墓石を横切って歩いて行く。途中、アンジェラは何度か立ち止まり、真新しい墓石に小瓶を供えて回った。兼ねてより待ち望んでいた割に、デュランには未だに実感が湧かなかった。灼熱を以て相手を屠る魔導師と、冷やかなこの墓所がどうしても結び付きそうに無かったのだ。
「……ほんとに、あるんだな」
ぽつりと呟くと、先を行くアンジェラが振り返った。
「中は空っぽだけどね。あんなヤツだったけど、国のみんなには慕われてたし、お墓ぐらいは作ってあげなきゃ」
と、彼女はまた墓石の前にしゃがんで、先の争いで失われた命に祈りを捧げた。
片隅にひっそりと佇むのがそれだった。花が無い代わり、飲み物の瓶や果物が供えられており、昨晩からの雪に半ば埋もれていた。デュランは墓碑銘の新雪を払い、其処で初めて魔導師の名前を知った。
「オレさ、お前との勝負、全然納得できてないんだ」
だって三対一だったろうと、声に出すのも照れくさいので、心の内に留めておいた。それについてデュランは微塵も後悔していない。その頃には決闘より遥かに優先すべき目的を持っており、何としてでもフェアリーの願いを叶えてやらねばならなかったのだ。悔いは無いが、出来る事なら、もう一度勝負したかった。他ならぬ自身の剣で術を断ち、魔導師を打ち倒したのは確かであるが、あんな条件で剣術が魔術を凌駕したとは到底言い難い。今度こそ尋常に勝負をして、雌雄を証明したいのだった。
「だが、今じゃ世界にマナの力は無くなっちまった。今度こそ尋常に勝負と言っても、魔法が使えるようになる頃には、オレだってとっくにくたばってるだろう」
デュランは徐に剣を抜いた。捧げるように、切っ先で墓碑に触れる。刀身と雪のあわいで光が反響し、火花のように煌めいた。
「だから、今度は剣で勝負しようぜ。またお前と戦えるまで、いくらだって待ってやる。どれだけ経とうが、オレは絶対に負けるつもりはないけどな」
言うだけ言ってしまい、凍みた空気を深く吸うと、思った以上に気分が晴れ晴れして来た。畢竟自分は戦う道しか目に入らない性分で、とやかくやと思い悩むようになった事は全て、唯一此処に起因していたのである。もはや太刀筋に迷いは無かった。デュランは軽くなった腕で剣を収め、後に下がった。入れ代わり、アンジェラが墓前に屈み込んで、琥珀色の酒瓶を供えた。碑銘を指でなぞり、少し笑う。
「だから言ったのにさ、生きていればいいことあるって。今度は魔法じゃない、もっと別のステキな事が待ってたのにね」
そして黙祷を捧げると、彼女は立ち上がってデュランを顧みた。寒さで頬が赤くなっている。デュランが何と無しに触れてみると、手袋越しにも冷たいのが分かり、無意識に赤みを親指で拭った。アンジェラが手の方に頭を傾げて、嫣然と笑った。
「ありがとうな、付き合ってくれて。寒かったろ」
「どういたしまして。何だか、さっぱりしちゃってるわね」
「ああ。やっぱ、目標があるっていいよな」
廓然とした心持ちで、デュランは墓所を後にした。もしこいつの墓がフォルセナにあるのだったら、毎日墓前で剣の良さを説き、さっさとあの世から出て来るように仕向けてやるのに、道々アンジェラにそう話したら、少しは静かに眠らせてやれと窘められた。
アルテナ城に戻り、今度は玉座の間の奥、アンジェラの部屋に通された。離れの塔と言った佇まいで、窓から城が見渡せる景観の良い場所なのに、本人は階段の行き来が大変なのだと、さほど自慢するでも無かった。彼女は赤が好きらしいが、部屋の中にそれらしい色は暖炉とクッションくらいのもので、何処と無く雪や雲を思わせるような、可愛らしい雰囲気の内装だった。二人で小さな机を挟み、真っ白な軟らかいソファに座る。未だ暖気の行き渡らぬ室内で、熱い紅茶が殊の他美味しく感じた。
「けっこういい所だな、アルテナって」
「でしょ」
アンジェラがにっこりした。
「一度、みんなに遊びに来てほしかったんだ。あとで、町の方も案内してあげるね」
「ありがたいけど、また今度にしてくれよ。オレ、すぐ帰らなきゃいけないんだ」
「お仕事の事なら、だいじょうぶよ。英雄王さんに、デュランはしばらく帰らないかもって言ってあるの」
「いつの間に……」
その上、マイア行きの船は早くても二日後になるそうだった。こうなったらデュランは意地でも帰りたくなってしまい、いっそフラミーに乗って行こうかと思ったが、最近の彼女は気まぐれで、太鼓を十回鳴らして一回来るか来ないかの有様だった。かと言って、この気候でブースカブーに乗るのは自殺行為だし、他に帰るような手段も見付かりそうに無い。デュランがお茶を啜りながら、恨みがましくアンジェラを睨んでいたら、相手も相手で、呆れたように半眼で見返して来た。
「私、休みなさいって言わなかった?」
「てっきり夢かと思ってたよ。たたき起こされた後だったんでね」
「約束は約束よ」
と、いつぞやのように年上振って言い付ける。それでもしつこく睨め付けられると、彼女は肩を竦めた。
「少しぐらい良いじゃない。デュランのお父様の事、うちのお母様が話してくれるかもよ」
「本当か?」
「ほんと。頼んでみなさいな」
一瞬手放しで喜びかけたが、これでは相手の思う壺だと考え直し、デュランは引き続き不機嫌な体を装った。英雄王と理の女王の関係については、アンジェラも日頃気になってはいるのだが、母君に尋ねてもこれと言った答えは得られなかったそうである。だから、デュランを出しに聞いてみようと言う魂胆らしいのだが、デュランは頼まれても詮索するつもりは無かった。彼にとってこのアンジェラがそうであるように、国王陛下に於ける女王の存在も、古傷みたようなものでは無いかと思ったのだった。
「あ、降ってきた」
ふと、アンジェラが窓を見て呟いた。デュランもそちらを向くと、鈍色の空から、粒の大きい雪がはらはらと落ちて来るのが見えた。降り方は穏やかでも、暫く止みそうに無かった。
「アルテナはもう冬か」
「まだまだこれからよ。と言っても、私も見た事ないんだけどね、冬のアルテナって」
そう言って、アンジェラはちょっと舌を出して見せた。雪原に地吹雪が起こるため、真冬のアルテナは外界から隔絶されてしまう。これまでは常春であったから問題にもならなかったが、今度からはそうも行かない。此処は少なくとも数代前の王から温暖な気候を保ち続けているそうで、まともに冬を迎えるのは数百年振りですらあった。
「そんな調子で、だいじょうぶなのかよ」
「平気だよ。みーんなバッチリ準備してあるんですもの」
アンジェラは胸を張って答えた。かと思えば、肩を落として少々俯く。
「……でも、みんなと会えなくなっちゃうのはさびしいよね。デュランとも、しばらくお別れ」
「真冬の間だけだろ。たった一か月やそこらじゃねえか」
「じゅうぶん長いよ。あんたの事だし、剣のおけいこに夢中になって、私の事なんか忘れちゃうに決まってるわ」
と、相手が僻みっぽく言ってきたのに対し、デュランはへへんと笑って返した。
「あいにくだな。最近ようやく、剣術以外の大切な事に気づいた所さ」
「えっ、何それ?」
アンジェラが目を丸くした。机から身を乗り出され、デュランも思わず鼻白む。
「何って……色々だよ」
曖昧に濁したせいで、却って彼女は不審に思ったらしく、しまいには何か勘違いしてむくれ始めた。浮気は絶対許さないからと、頭に付けていた冠をデュランに渡し、いらなくとも無理矢理押し付けられてしまった。悪い事に、その時被っていたのはとりわけ大きなミエインクラウンで、持って帰るにも邪魔で仕方無かった。
あれこれとお喋りに興じた後、デュランは件の話を切り出した。以前の結果が結果なだけに、気が引けてしまう所を、傍らの剣に手をやって、どうにか意気地を奮い立たせる。
「アンジェラ。こないだの話だけどさ……」
「なに?」
「すまないが、やっぱり答えは同じだ」
アンジェラはきょとんとしていたが、何の事を言ったのかは分かっているようだし、その言葉で傷付いた様子も無かった。デュランは相手の反応を窺いつつ、話を続ける。
「色々と考えてみて、今の自分じゃ騎士になる資格がないって事が、改めて分かったんだ。剣術の腕はもちろんだし、精神的にも未熟だろ。もっと修行を積まなければならない」
「うん」
「だから、お前の頼みを聞いてやる事はできない。先の事は分からんが、今はそれが全てだ」
ぐちぐち弁解するのも男らしくないから、端的に只それだけを伝えた。椅子にきちんと座り直して、相手の返事を待つ。アンジェラは暫く反応を見せなかったが、長く息をつき、観念したように薄く笑った。
「……分かった。残念だけど、デュランの決めた事だもんね」
「ごめん」
「あやまらなくていいよ。もともと、私が勝手に言い出した事なんだし」
長い事待たせていただけに、アンジェラも胸の痞えが取れたらしく、落胆するよりは清々した表情だった。意外にすんなり受け入れられ、デュランもほっとした。このやりとりだけでも相手に悪いような気がして、大いに気まずい思いをしたが、まだアンジェラには言わねばならない事があり、デュランは机に手を付いた。
「それと、もう一つ」
「何、まだあるの?」
「ある」
と、強く頷いた。
「アンジェラが何で、オレに対してそんな話を持ちかけてきたのか、やっと分かったような気がするんだ」
「……そう」
アンジェラは小さく相槌を打ち、目線を手元のカップに移した。
「ただのワガママじゃないんだろ。気をつかってくれたんだよな」
彼女はデュランの悩みを分かっていたのだった。紅蓮の魔導師の件は勿論、自分が英雄王から騎士に叙されない事についても、彼女なりのやり方でに手を差し伸べ、改めて考える機会を与えてくれた。旅の中で大きな目的を果たし、何と無くくすぶり掛けてしまったデュランの意志も、お陰で初心に立ち返る切っ掛けを得られたのだった。アンジェラは何とも答えなかったが、反応からして間違いでも無かったらしい。押し黙ったまま、紅茶のカップに顔を隠してしまった相手に対し、デュランは更に言葉を続けた。
「……それで、お返しってわけじゃないけど、オレもおまえに何かしてやりたいんだ。しかしオレの頭じゃ、何すりゃいいのか全然思いつかなくてさ。だから、直接聞かせてくれ。どうすればいい?」
また沈黙が降りた。アンジェラはちらりとこちらを見たきり、またカップに顔を埋めてしまい、そわそわと目を泳がせていた。落ち着かない気分が伝染し、デュランも剣の柄をいじくって気を紛らわせる。それでもやはり返事は無かったので、いい加減焦れてせっついた。
「……おい、何か言え」
「ごめん」
アンジェラがちょっと身を竦ませ、漸く紅茶を置いた。弾かれたように、ぽつぽつと弁明を始める。
「そんな事言われるなんて思ってもみなくて、びっくりしたと言うか……」
「なんでい。人が恥を忍んで聞いてるってのに」
「ごめんってば」
そう言って、彼女はちょっと笑った。デュランの方はすっかり不貞腐れてしまい、剣の鯉口をかちかち言わせる。
「やめなよ。傷つくんでしょ」
「言うに事欠いてそれかよ」
アンジェラはますます笑い出し、お茶のカップを手に取ったは良いものの、今にも零しそうに揺すりながら飲んだ。それでやっと落ち着いたらしく、再三謝ってデュランを宥めた。幾分かまともになった表情で、目を細める。
「すごくうれしいよ。うれしいけど、何もいらないんだもの。デュランには、旅の間もずっと助けてもらったから」
「そんなのお互いさまだろ。オレだって、お前とシャルロットには何度も助けてもらったわけだし」
「だから、それでおあいこって事にしたいんだけど……あんたの事だから、それじゃ納得できないわよね」
「ああ、できない」
しつこく食い下がると、アンジェラは顎に指を当て、改めて考え始めた。ややあって、少し躊躇ったように言う。
「私が欲しいのは、デュランが騎士になってくれて、アルテナで一緒にいてくれる事だよ。……でも、それはムリだって分かってるし」
「すまん」
「……でも、もしよ」
と、意味深に笑って続ける。
「もしもいつか、私が立派な王女さまになれたら、デュランも気が変わるかも知れないでしょ? お返しなら、その時にまたお願いするから、今はまだとっておいてよ」
「そうか」
取り敢えず返事が貰えた事で、漸くデュランの気も済んだ。安心すると同時に、これからアンジェラもアルテナの王女として頑張って行くのだと知り、負けず嫌いの心に火が付いた。
「オレだって、いずれは人から一目置かれるような剣士になるつもりだ。そうしたらきっと、アルテナにも力を貸してやれると思う」
「ありがと」
「もっとも、その頃にはお前の気も変わってるだろうけどさ」
「ううん。今よりもっと好きになってるよ、きっと」
「……そうかよ。だったら、せいぜい顔を洗って待ってる事だな」
と、デュランはそっぽを向いてしまったが、アンジェラは含羞んだように頬を緩めた。
「うん、待ってる」
大人しく頷いて、そっと目を伏せた。こいつこんな性格してたっけと、デュランは妙な気分になりつつ、照れくさいからやっぱり顔を背けていた。
アンジェラがふと立ち上がり、デュランのそばまでやって来た。顔はどうとも付かない無表情で、立ち止まって見下ろして来る。何のつもりかとデュランが構えていたら、頭に手を突っ込まれ、兜を外された。視界が前髪で塞がったのを、両脇に掻き分けられる。
「おい、取るなよ」
気が付いたら相手の顔が目の前にあった。額にちょっとだけ触れて、すぐに離れてしまう。思わずデュランは頭上を見上げたが、自分の額が見える筈も無かった。当のアンジェラは、自分から仕掛けて来た癖に、とんがり耳まで真っ赤に染めて、決まり悪そうにデュランの眉間の皺を伸ばしていた。
「そんなにヤな顔しなくたっていいでしょうに……」
「ヤな顔はしてねえよ」
「そう? よかった」
ぽつりと呟くなり、逃げるようにして椅子へと戻った。目が合うとにっこり笑って、前髪をめくって見せる。
「お返し、今くれちゃってもいいけど?」
「バカヤロ!」
デュランがまたそっぽを向くと、アンジェラはけらけら笑って、兜を投げ返した。