三

 今晩はエルランドの宿で過ごすと決めた。アンジェラの立場を考えると、ウィンテッド大陸に長居するのは危険かも知れないが、次なる砂漠に至るまでの道が覚束無いのだから已むを得なかった。娘達は寒がって早々部屋に籠り、お湯を使って温まっていたようだが、割合寒さに強いデュランは町の雪掻きを手伝って過ごした。船の航行が途絶えて久しい中、突如として訪れた異国人はどう考えても不審である。その上、指名手配の王女は元より、自分が如何にもフォルセナ兵と言った風体で、万一アルテナにでも感づかれたら事だった。だから心証を良くして何とか誤魔化そうとする底意もあったのだが、お陰で宿の待遇も厚くなったのだからしめたものだった。雪国の暮れは釣瓶落とし、暗々と深まり行く帰り掛け、フェアリーが灯りになって道を照らしてくれた。精霊も温度を感じるらしく、寒い寒いと楽しそうに笑っている。
「でも、町の中は少しあったかいね。理の女王様の魔力が、ちょっとだけ残ってるみたい」
「そうか? オレにはさっぱりだけど」
「私には分かるよ。女王様、やさしい人なんだわ」
 彼女はそう言って、指先で地表の雪を撫でた。マナには術者の心が見える。こんなデュランにも他者への献身と言うものが内包されているらしく、故、女神は彼に騎士たり得る承認と祝福を与えてくれたのだった。此処までマナが減少してしまったにも拘わらず、理の女王は未だエルランドの気候を保持しようと努めており、フェアリーはその僅かな魔力から、女王の心優しい人となりが分かると言った。しかしフォルセナのデュランには、何とも答えようが無く、はぐらかして済ませた。
「オレは雪国なんかまっぴらだね。とっとと次行きたい所だよ」
「しょうがないよ。夜の海に落っこちちゃったら大変だもの」
 と、フェアリーが苦笑した。ブースカブーはああ見えて気の良い亀で、旅の仲間としても悪くない相手だと分かって来たものの、日が差す内の航海ですらあの体たらく、夜間に出れば凍え死にが関の山だった。それに、クラスが変わって魔導師達は新しい力を手に入れたので、速やかに実践に投入すべく、研究する時間を欲していた。激しさを増す戦いを鑑みるに、無理をせず着実に進んで行く方が良いのだろう。二人のお淑やかな振りは飽きもせず続いているようで、デュランは戻るのに少々気が重かった。妖精の光に仄かに明らむ、半ば凍り掛けた雪を踏み締めて歩く。道すがら、フェアリーに愚痴を零した。
「あいつら、機嫌なおしたかなあ……」
「二人とも、怒ってるわけじゃなさそうだよ。デュランに遊んでほしいんじゃないかな」
「ヘンな遊び。だったら、オレも大人しいフリした方がいいのか?」
「フリじゃなくても、元気なさそうよ」
「……別に、いつも通りだよ」
 存外声が荒くなる。フェアリーは平然としていた。
「そう? あの黒い騎士が言ってた事、気にしてるんじゃない?」
 突っ撥ねても彼女にはお見通しだったらしい。見ず知らずの敵に動揺させられたと認めるのは癪だが、渋々頷いた。道を照らすのに低空飛行をしていたフェアリーが、デュランの肩の辺りまで上がって来た。
「だいじょうぶよ。十年前のマナの減少は、竜帝を倒したおかげで防がれたんだから」
「今だって減ってんだろ」
「それは、そうだけど……」
 フェアリーが口籠った。マナの樹が枯れる原因は、彼女にも良く分からないらしい。人間にマナを減少させる術は無いから、人ならざる者の力、特に悪しき心の影響を受けている事は推測出来、それが神獣の封印をも破ろうとしているのだった。デュランは先般の出来事のせいで、諸悪の根源は十中八九あれなのだろうと決め込んでいるが、しかし竜帝に限らずとも、怪しげな輩は他にも数多く見て来たわけである。第一、フェアリーに当たってもどうしようも無い事だった。
「……ごめん」
 苛立ちが鬱屈に転じ、デュランも俯いた。
「あの騎士がデタラメ抜かしてるってのは、分かってるんだ」
「私も、竜帝が生きているとは思いたくないわ。せっかく仲間が命をかけて、英雄王様達と一緒にがんばったんだもの」
「そうだよな。でなけりゃ、みんなムダ死にになっちまうんだ」
 其処で戸口に辿り着き、フェアリーは姿を消した。軒から垂れ下がる氷柱の、窓越しの灯りに燃える様が、竜が牙を剥くようにでも見えた。
 宿の主人がお茶をくれた。それを土産に部屋へ戻ると、布団の上に巨大な雪だるまが据えてあり、デュランはぎょっとしてトレイを落としそうになった。しかし良く見れば、布団を被ったシャルロットだった。月の精霊みたように、乳白色の毛布から顔だけが出ており、真っ赤な頬で暖炉の正面を陣取っていた。
「さぶいでぢ〜……」
「動かねえから寒いんじゃねえの? 一緒に外でも走ってこようぜ」
「いいえ。シャルロットはせいそでおじょーひんなので、おしずかにしてるんでございまち」
 そう言って、ついとそっぽを向いてしまう。得体の知れないごっこ遊びは未だに終わっていないらしい。デュランは構わず、雪だるまにお茶を差し出した。
「ほら。あったまるぜ」
「ありがとさんでち。でもシャルロット、ねこじたなの。そこおいといて」
「あいよ。こぼすなよ」
 何処に置こうかちょっと考えたが、結局トレイごとベッドに乗せた。真ん中はそうしてシャルロットに占領されている。隣の、窓際の寒そうな方にアンジェラが座っており、どうしてわざわざ冷えるような場所にいるのかと、デュランは訝りながらそばに行った。
「これ、お前の分」
「ありがと」
 彼女は右手を窓に当てたまま、体ごとずらしてこちらに寄せ、反対の手を伸ばしてカップを取ろうとした。不自然な所作だった。
「……その手、何?」
「何でもない。冷たくて気持ちいいだけよ」
 指摘されようと、硝子から手を離そうとはしない。デュランがいよいよ卦体に思っていると、肩越しに声が掛かった。
「さては、おひるまのアレじゃーありまちぇんかね? シャルロットがなおしてあげたんでちけど、まだヘンなの?」
 と、シャルロットが尋ねたが、アンジェラは首を振った。
「おかげさまで、よくなってるわ」
「ほんとかよ? ちょっくら、見せてみな」
 デュランが手を差し出すも、彼女は他所を向いてしまう。
「だいじょうぶだってば!」
 昼間魔導兵を相手にした際、妙な魔法の使い方をして火傷したらしい。シャルロット曰く、今し方魔法を練習していた時はまるで気にしていなかったとの事で、次第に悪化しているようだった。いやに隠したがる相手に、デュランはまた例のごっこ遊びのせいかと思い当たる。もはや飲み物などどうでも良くなり、適当に床へ置いてしまい、彼女に詰め寄った。
「それとこれとは関係ねえだろ! おら、出せ!」
 荒っぽく無理に引いたら、アンジェラが顔を顰めたので、これにはデュランも恐縮した。痛まないよう、そっと手袋を抜く。暗くて良く分からんから火の方に翳して見たが、表面上は何とも無さそうである。アンジェラが抵抗しながら、口早に弁解した。
「平気だよ。シャルロットが治してくれたもの」
「これのどこが治ってんだよ」
「ぜんぜん、なおってまちぇんね」
 シャルロットも心配そうにした。引っ込めようとした手をデュランが掴んだら、またアンジェラが嫌な顔をした。
「いたっ! あんた、力加減ってものを知らないんじゃないの?」
「じゅうぶん加減してるっての。やっぱり痛いんじゃねえか」
「ほんとに、大した事ないんだってば! あんた達の方がよっぽど大ケガだったじゃない」
 捲し立てながら、無理に手を抜いて反対側にやってしまった。他の二人が痛い目見たからこそ、彼女の傷も深いのでは無いかと心配しているのだが、口論では一向埒が開かず、デュランは雪だるまを顧みた。シャルロットは白い目だった。
「ちわゲンカじゃ、なおるもんもなおりまちぇんよ」
「なーにがちわゲンカだ。いいから、早く見てやってくれ」
「やれやれでち」
 手招きすると、シャルロットが毛布を引き摺りながら、寝台から寝台へ渡って来た。アンジェラの背中越しに覗き込み、ちらと見るなり触れもせず、傷の具合は分かったようである。
「おハダの、おくのほうまでやけちゃったんでちね。すぐよくなりまちよ。シャルロットのまほう、かかりがあまかったのかも」
 と、何でも無さそうに言ったので、真実些細な怪我ではあったらしい。アンジェラは暫くの事、自分の手を見ていたが、いきなりデュランに向かって突き出した。
「ねえ、デュランが治してよ」
「何でオレが?」
「魔法が使えるようになったんでしょ。今の内に、練習しとかなきゃ」
「確かにそうだけどさ……いつまでかかるか、分かんねえぞ」
「いいよ」
 アンジェラは素直に頷いた。デュランにしてみれば、練習なんかより早く治す方が余程大事だと思うのだが、彼女にとっては逆らしい。
「あんたしゃんがだめだったら、シャルロットがなおしてあげまち」
 シャルロットにまで促され、デュランは仕方無しにアンジェラの手を取った。さっき触った時痛そうだったので、なるべく力を籠めないよう、優しく引き寄せる。やり方などてんで知らないのだが、シャルロットに教えられるまま、差し当たって光の精霊を呼び付けた。火のように揺らめく眩い塊が現れ、陽気に宙を跳ねた。周囲が白く照らされる。
「こんちはっス」
「よう。早速だが、こいつのキズ治してやってくれよ」
 そう言って頼んでみたが、ウィスプは跳ねるのをやめてしまった。
「おことばですが、魔法を使うのはデュランさんっスよ。オレは力しか貸してあげられないんス」
「何だそりゃ? 魔法だってのに、ちょいちょいっとやっちまえないのかよ」
「魔法にも原理はありますからね」
 ウィスプは尤もらしく頷いた。理屈を覚えて使えるようになるまで、随分時間が掛かりそうである。早く治してやりたいのに、この期に及んでそんな間怠っこしい手順を踏んではいられなかった。デュランが掴んでいた手を離すと、アンジェラは拍子抜けした顔で見上げて来た。
「シャルロット、やってくれよ。オレがやったんじゃ夜が明けちまいそうだ」
「しょうがないでちねえ……」
 と、いそいそと毛布を脱ごうとしたシャルロットを、当のアンジェラが引き止めた。
「シャルロットはそこで見てて。デュランに練習させてあげなきゃ」
「練習なんか後でいいよ」
「ダメ。治して。シャルロットも、いいよね?」
 シャルロットはそれぞれの渋面を見比べていたが、やがて頷いた。
「まあ、れんしゅーはだいじでちよね。アンジェラしゃんがいいってんなら、じっけんだいになってあげてくだしゃい」
「ほら。シャルロットもこう言ってるじゃない」
 我が意を得たりとばかり、アンジェラは手を突き出して来、幾ら言い含めても頑として譲らなかったため、やはりデュランが治す羽目になった。
 魔法と言うのは、術者の内包するマナを呼び水に、精霊を介して天然自然のマナの力を呼び起こすものらしい。中でも回復術は一風変わっており、光の持つマナエネルギーを収斂させた後、人間の持つべき体力や自然治癒力に変換して取り込むのだとか、そんなような説明だった。ウィスプからざっと講釈を受けたは良いものの、相変わらずデュランにはさっぱりだった。習うより慣れろと、取り敢えず剣を取り出した途端、アンジェラが怖じ気付いて後ずさった。
「その剣は何!?」
「これがないと集中できねえんだよ。鞘は抜かないから、安心してな」
「そういう問題じゃないんだけど……」
 物凄く嫌そうな顔の相手を引き摺り寄せ、デュランはその手首に鞘を当てた。確かフェアリーは以前、滝の水からマナの力を取り出していた筈で、つまりマナとは取り出すべきものなのだろう。光を取って掻き集める様を想像し、拳に力を籠めたら、暖炉の火が僅かに暗くなった。そちらに気を逸らし掛けた矢先、ウィスプの声が掛かる。
「集中、集中!」
 言われるまま手先に集中している内、炎が一段と明かりを落とした。していると、ふと、手先を精霊が掠めて行く。力が抜けた。鞘の切っ先から、水のような陸離たる粒子が弾け、アンジェラの手を伝って染み込んだ。それで終わりだった。灯りも元に戻っているし、肝心要の傷にも特段変化は見られない。デュランは間の抜けた心持ちで、肩を落とした。
「やっぱり、付け焼刃じゃダメか……」
 その向かいで、アンジェラは暫く手を握ったり開いたりしていたが、ちょっと笑って手を振った。
「ううん、痛くなくなったよ。ありがとう」
「本当か?」
「どれどれ、シャルロットちゃんがみてあげまち。おててだしてちょー」
 剣にたまげて転げ落ちたらしい。シャルロットがベッドをよじ登り、アンジェラの手を取って、ぷにぷにした小さな手で撫で擦った。その手元をウィスプが照らしてやる。ややあって、三人とも笑顔でデュランを見た。
「ばっちりっス!」
「はじめてにしちゃ、じょーできでちね。よくできまちた、えらいっ!」
「ありがと。やっぱり頼りになるわね、あんたって」
「そうか」
 皆に褒めて貰い、所在無く、デュランは手元を見下ろした。此処に来て漸く、クラスの変わった事を実感した。剣を以て人を守り術を以て人を癒す、騎士道精神を地で行くような能力を手にしたのである。しかしこの程度で浮かれてもいられず、口にしたのは素っ気無い感想だった。
「……案外、何でもないんだな」
「そんな難しいもんじゃないんスよ。自然のマナエネルギーを取り出すだけなんで」
 ウィスプは呼んだ当初より光が淡くなっていた。拙い魔法を手助けして、余分に力を使ったのかも知れない。
「お前が手貸してくれたおかげかな。助かったよ、ウィスプ」
「いえいえ。おつかれさんでした」
 にっこり笑って、光の精霊は姿を消した。暗闇が戻り、残るは暖炉の赤い火影のみになった。
 雪だるまから手が伸びて、デュランの服を引っ張った。シャルロットがもじもじと含羞みながら、思わせ振りに目を瞬かせる。
「……ねえねえ、デュランしゃん」
「何だよ」
 その様子がちょっと不気味だったので、デュランは心持ち後ずさった。
「おじょーひんなシャルロット、どうでちか? いつにもましてかわいいでちょ?」
「……とりあえず、もうかんべんしてくれ。やりづらくてかなわん」
「なんですと!」
 途端、取り繕った上品はかなぐり捨ててしまい、いつもの調子で頬を膨らませる。
「あんたしゃん、やっぱりしつれいでちね。ホークアイしゃんだったら、いつものげんきなきみがいちばんすてきだよ、ぐらいのことはいってくれまち!」
「へん、やってらんねえや」
 デュランはまともに取り合わず、床のお茶を拾って飲み始めた。案の定温くなっていた。布団の上でじたばたするシャルロットに、揺れて零れそうになっている茶を指差した。
「もう冷めてるぜ。さっさと飲んで寝ちまいな」
「はなしはまだおわってまちぇんよ! あんたしゃん、オトメゴコロがわからんちんなんでち!」
「オレは男だぞ。んなもん分かってたまるかい!」
「おとこのこだから、わかんないとダメなんでちょー。あんたしゃんがやさしくしたげれば、アンジェラしゃんだってやさしくしてくれまち」
 横柄にそんな事を言う。減らず口を封殺してやろうと、デュランは大きな頭を押して、後ろに転がしてやった。悲鳴と共に崩れた雪だるまを、鼻で笑って一蹴し、今度はアンジェラに矛先を変える。
「で、お前は?」
「私はとっくに一抜けよ。大人しくしてたって、つまんないだけだもん」
 その割には、いつも以上にだんまりで、デュランは何だか手応えの無いように思った。
 シャルロットは雪だるまの格好ですやすやと寝入ってしまった。寝苦しいのか、次第にむずかり出したので、アンジェラが毛布を掛け直してやる。そのままフェアリーと話しながら、金色の巻き毛を撫で続けており、何かと思えば、彼女は寝ぼけたシャルロットに指を掴まれてしまったのだった。時折シャルロットは悪い夢でも見るのか、起き抜けに元気の無い事があるのだが、こうしてアンジェラに面倒を見て貰うようになってからは落ち付いて来た。お転婆娘も最年長なだけはあるのだった。暫くして解放され、アンジェラも自分のベッドに戻ったが、しおらしい風情は、物音を立てないようにしているからでは無さそうだった。防具の水気を拭き取り、手入れを済ませたデュランは、そちらに声を掛けた。
「元気ないな。やっぱ、まだ痛むんじゃねえのか?」
「ちがうよ」
 と、少しこちらを向いたが、すぐに視線は窓辺へ戻された。フェアリーはデュランに目配せしたきり、姿を消してしまう。言わんとする旨を悟り、彼はアンジェラの所へ行った。窓の外は杳たる暗闇で、硝子に映った表情は如何にも儚げだった。
「……ちょっと、さびしくなっちゃっただけ。ここまで来たのに、お城には帰れないんだもん」
「そのうち帰れるよ。聖域に行けるまで、あともう少しなんだからさ」
 一往は頷いたものの、アンジェラは相変わらずしょんぼりとした風だった。其処でやっと振り返って、デュランの方に向き直る。俯きがちで、見下ろす格好では顔が殆ど見えなかった。
「……ねえ、デュラン。マナの剣を手にいれたら、本当に願いが叶うんだと思う?」
「たぶんな。そうでなきゃ困る」
 デュランの目的は打倒紅蓮の魔導師であった。彼にとり、その足掛けとなるのはクラスチェンジで、実際マナの剣を得た所で自分が強くなれるとは思っていない。それが今こうした旅に身を置いているのは、只魔導師を討つと言う私利私欲とは異なる、別な使命を持ち始めたからだった。自分の願いは独力で叶える、しかし仲間とフェアリーの願いは、マナの女神に頼る他仕様が無いのだった。
 其処で彼はふと、アンジェラの望みを知らない事に気が付いた。そもそもの目的は、マナの剣をアルテナより先に手に入れる事のようだが、肝心なのはその先だった。
「そういや、お前の願いは聞いた事ねえな」
 アンジェラは俯いたまま、目線だけデュランに向けた。
「できるかどうか分かんないし。……それに、きっとあんた笑うもん」
「笑うもんかよ。いいから、言ってみ」
 デュランがしつこく聞いてみると、拗ねたように言い渋っていた相手も観念し、俯いたまま小さな声で呟いた。
「……お母様の魔法に頼らなくても、アルテナがずっとあったかくなるようにって」
「へえ」
 思わず間抜けな相槌が出た。アンジェラが忽ち顔を上げ、恨みがましく睥睨する。
「今、ぜんぜん私らしくないって思ったでしょ?」
「思ってねえよ。やっぱりお前も、アルテナの王女だったんだなって」
「それってつまり、王女さまらしくないって事でしょ」
「……まあ、いつもはあんまりだけどさ」
「失礼しちゃう!」
 褒めるつもりで口が滑った。デュランには上手い取り繕いようも無く、終いには枕で引っぱたかれそうになり、寝ている子供の手前、暫し無言の攻防が続いた。やっぱり大人しい振りをしていただけかと、デュランは散々気を揉んだのが馬鹿馬鹿しくなって来たが、しかしフェアリーも心配していたわけだし、もう少し話をして気を紛らわせる事にした。暖炉の火が弱々しく燻って来、代わりに燭台を用意して、シャルロットが眩しくないよう足元に置く。隣に座っても良いか尋ねたら、不承不承頷いたので、少し距離を取って座った。忙しなく揺れていた小さな灯火が、ようやっと落ち着いて来る。アンジェラは未だに機嫌を損ねていた。
「王女の資格がないのは、自分でもじゅうぶん分かってるわよ」
「そんなつもりで言ったんじゃねえんだって。お前が国の事を大事にしてるのは、ずっと前から分かってたよ」
 火に油を注がないよう、デュランは少し口調を和らげた。アンジェラは口を尖らせたまま、横目で見やって来る。
「でも、あんたはアルテナの事がきらいじゃない。アルテナのためにお願いするなんて、気に入らないでしょ」
「そりゃアルテナは気に食わないけどさ、不幸になれとは思わねえよ。アンジェラの故郷なんだし」
「……やっぱり、きらいなんだ」
 彼女は一瞬眉を吊り上げたものの、気が抜けたように嘆息し、天井を向いた。
「まあ、仕方ないよね。デュランはフォルセナの人だもん」
 それから両手を布団に突いたまま、器用に足だけで靴を脱ぎ捨て、爪先で端へ追いやる。また蝋燭の灯が揺れた。落ち付くと、卒然潮が引いたように大人しくなり、願い事の件の続きを話した。
「……それにね、魔法を使う必要がなくなれば、お母様の負担も軽くなるでしょ。そしたら、もっと私と話をしてくれるようになるかも知れないもの」
「母親なのに、話さないのか?」
「うん、あんまり……」
 と、アンジェラは少し俯いた。
「そうか……。お前んちの事情も、ずいぶん複雑なんだな」
「忙しいからしょうがないのよ。それに、複雑なのは、みんなのおうちも一緒だし」
 苦笑しつつ、アンジェラは聞き分け良く言った。母親については、幼い頃から厳しく育てられ、いつも彼女が人とするような会話を交わした事さえ無かったらしい。仮令紅蓮の魔導師に操られているとしても、アンジェラの抱える問題はそれよりずっと以前から根差していたようだった。其処には娘を後継者たるべく育てるための、女王としての重責があったのだろう。皆が異口同音に語った、心優しい理の女王と言う人となりが真実であれば、アンジェラも王女らしくしっかりして来た事なのだし、これからは立場に拘泥せず接する機会も増える筈だった。デュランがそんなような旨を伝えると、彼女は含羞んで首を竦め、頑張ってみると答えた。
「昨日、ケヴィンと話したんだ。私達、このままでいたんじゃ、いつかきっと後悔すると思うって。他のみんなは、お父様もお母様ももういなくて、仲良くしたくてもできないんだから……」
「そんな事話してたのか」
「うん。ケヴィンはカールの事があるから、今はお父様をゆるせないみたいだけど……」
 昨夜ケヴィンが言った台詞は、そうした心境に依るものだったらしい。親友を失った少年が、どうしても納得出来ないなりの、最大限の譲歩だった。
「それも女神に頼んでみるべきだな。カールさえ生き返れば、後はどうにでもなるだろう」
 デュランはそう楽観的に考えたが、アンジェラの方は訝しげに眉根を寄せた。
「……でも、ほんとに死んじゃったものを生き返らせてくれるのかしら? 司祭さんはムリだって言ってたのに」
「望みなら何でも叶えてくれるってんだぜ。いけるって」
「そうかなあ……? なんか、信じらんないや」
 過度な期待を寄せるのはやめて、アルテナの気候も変わらないつもりで覚悟すると、アンジェラは冷静な事を言った。その上、ケヴィンを糠喜びさせるのも気の毒だから、女神に頼む事は彼には黙っておこうと、デュランに提言まで寄越す始末だった。妙な所で現実的な娘だった。
「ところで、デュランは女神様に会ったら、どんなお願いをするつもりなの?」
 今度はアンジェラが尋ねて来た。デュランは即座に答えようとしたものの、喉元まで出掛かったのを押し止め、束の間考えた。
「最強の剣士にしてくれ、って頼むつもりだったんだがな……。やっぱやめた」
「どうして?」
「人からもらった力なんて、しょせんは紛い物だろ。自分の手で体得してこその剣の道なんだ。……だから、今は考え中!」
 と、きっぱり言い切った。剣術の技量こそ人後に落ちぬものだと自負しているが、デュランは精神的には未熟な若造だった。生来頑固な性質だし、内面を誰かの力で変えて貰おうなどとは望むべくも無い。だから、自分の力で着実に修練して行こうと言うのが、騎士として自らに立てた新しい誓いだった。言葉にしたら、やはりそうするべきだと思えて、一層決意が固くなった。頑固だと呆れられるかと思ったが、意外にもアンジェラは真面目に取り合ってくれ、ちょっと口元を緩ませた。
「ふーん。そういう所、えらいよね」
「えらいか?」
「えらいよ」
 と、アンジェラは重ねて褒めた。
「願い事、決まったら教えてね」
「……言っとくけど、そんな大したもんじゃねえぞ」
「いいよ。デュランがどんな事考えてるのか、ちょっと知りたいだけ」
「変なヤツ」
 内心褒められて嬉しかったものの、表向きは素っ気無く頭を掻いたデュランに、彼女はおかしそうに笑い、両足をぱたぱたと揺らした。
 ついに暖炉の火が果てた。罅割れた炭が真っ赤に色付き、やがてそれも鎮まってしまうと、室内の闇が一段と深まった。其処で二人もお開きにし、布団に入って明日に備える事にした。アンジェラは早々に寝入ったようだが、デュランの方はなかなか寝付けそうに無かった。
 先般フェアリーとした会話が、彼の中では未だに腑に落ちていなかった。父の名誉に懸けても、竜帝が生きているとは考えがたいが、個人的な感情で捨て置くには事態が逼迫している。十二年前にもフェアリーが地上に下りて来た事からして、万々竜帝が地の底で死に損なったとするならば、今度の騒動に一枚噛んでいる公算は高いのである。アルテナや紅蓮の魔導師、昼間邂逅した騎士の動向につけても、どれもこれもがマナストーンに結び付いている。デュランももう少し考える必要がありそうだった。

2014.12.25