ほとんど真っ赤な赤と白
レッドとアセルスは、年の離れた幼馴染と言う関係である。やんちゃ坊主だったレッドと活発だったアセルスは、しばしば一緒になって、雑木林にかぶとむしを捕りに行ったり、遺跡の探検に繰り出したり、ヒーローごっこで遊んだりした。家族ぐるみの付き合いもあり、かなり仲の良い二人だったのである。それから十二年の月日が経ち、ひょんなことから二人は再会した。色々とあったアセルスは、何処か引け目のようなものを感じているらしく、人と関わるのを極力避けているが、レッドは相変わらず親近感を持っている。両者ともに、突然の事故から命を落とし、人ならざる者の手によって蘇った存在なのだ。追っ手に付け狙われていると言うアセルスを、レッドは守ってやりたいと思ったし、いつも彼女のそばにいる白薔薇と言う女性も、儚げでか弱そうで、二人纏めて守ってやりたいと思った。ブラッククロスをぶっ潰すのもヒーローの使命だが、力無き一般市民を守ることもまた、ヒーローの果たすべき務めなのである。そうしたわけで、レッドは二人のお散歩に付いて行くことにした。
場所はマンハッタンである。賑やかなショッピングモールの大通りは、いつもならば混雑していて、目を引く出で立ちのアセルスや白薔薇さえ埋もれてしまうほどだが、今日は人通りもまばらである。追っ手には見付かりやすいかも知れないが、はぐれる心配は無いし、散策する分にはこれくらいが丁度良い。レッドは二人の身辺警護兼、荷物持ちとして、一緒に喋りながら歩いていた。
「見て、白薔薇。シュークリーム屋さんだよ」
アセルスがとある店を指差した。外の大通りに面したそのシュークリーム屋は、辺りに甘い匂いを振り撒いて、道行く人の足を引き止める。アセルスも、その香りに惹かれた一人だった。
「しゅーくりーむ？」
白薔薇が首を傾げた。そんな仕草も、鷹揚として美しい。
「食べてみれば分かるよ」
アセルスはそう言って、雲が描かれた空色の外観に近付いて行った。レッドは彼女に付いて行って、懐から財布を取り出した。こうした時に自然と奢ってあげられるのが、かっこいい男の嗜みである。シュークリームにも色々種類があるらしく、アセルスは迷いながらショーケースを覗き込んだ。遅れて来た白薔薇も、ショーケースの中のもこもこした菓子を見る。
「これが、シュークリームですか？」
「うん。おいしいよ」
興味深げな白薔薇に、アセルスはにっこり笑い掛けて、またシュークリームの吟味に戻った。少し考えた後、思い出したようにレッドを顧みる。
「レッド君も食べるよね？」
「俺はいいよ」
と、レッドが財布を手に持っていたので、アセルスはそれを気に掛けた。
「お金のことなら、大丈夫だよ。私が払ってあげるから」
「いや、金はいいんだけどさ……」
レッドはシュークリームに興味が無いだけである。しかし、アセルスが気にすると悪いから、レッドは三つのシュークリームを注文した。中身の違いは良く分からなかったから、適当に指差して三つ頼んだが、それで良かったらしい。
「ありがとうございます」
コックのような帽子を被った売り子のお姉さんは、にっこり笑って、三つのシュークリームを箱に詰めてくれた。店の外装も可愛らしければ、紙の箱まで可愛らしいもので、空色の地に雲と風船が描かれていた。
「ありがとう、レッド君」
アセルスは嬉しそうに箱を受け取り、白薔薇に見せた。
「白薔薇はカスタードがいい？ キャラメルがいい？」
「アセルス様におまかせします」
いつものように、白薔薇がやんわりと選択を委ねて来たので、アセルスはレッドに聞いた。
「レッド君はどれがいい？」
「どれでもいいよ」
レッドもそう言うと、アセルスは少し迷った挙句、取り敢えず座ろうかと言って、中庭の方へ歩いて行った。中庭は綺麗な庭園になっていて、大きな鳥籠のような囲いの中に、こじゃれた木製のベンチがある。三人は其処へ並んで座って、シュークリームの箱を開封した。
「はい、どうぞ」
真ん中に座ったアセルスが、キャラメルをレッドにくれ、カスタードを白薔薇にくれた。残った彼女のものは、普通の白いクリームらしい。妖魔は食事が不要で、嗜好品として紅茶を嗜む程度なのだが、アセルスは人間の楽しみを忘れないようにと、良く食べてぐっすり眠る生活を送っている。白薔薇も彼女に合わせて、人間らしい暮らしを送っているが、これがどうしてなかなか楽しいようだった。右端に座った白薔薇は、食べ方を知らないらしく、戸惑いながら二人の方を見た。レッドとアセルスは、シュークリームを大きく頬張って、手に付いたクリームを舐め取った。ぱりぱりした皮の中に、滑らかなクリームがぎっしりと詰まっている。レッドはキャラメル味を初めて食べたが、確かにキャラメルの味がして美味かった。思い切った食べ方に、白薔薇はますます困惑した。
「手が汚れてしまいますわ」
「こうやって食べるとうまいんだぜ」
そう言いながら、レッドは中身がはみ出すのも構わず、シュークリームをぱくりと食べた。白薔薇は躊躇いながら、小さな口を出来るだけ大きく開け、シュークリームにかぶりついた。かじった跡が付いたことに、少々恥ずかしそうにしながらも、彼女は口元を綻ばせた。
「おいしい？」
と、アセルスが顔を覗き込んだ。
「ええ、とても」
白薔薇は目を細めながら、唇に付いたカスタードを舐めた。彼女は過去に人間だった頃もあったそうだが、遠い遠い昔のことで、かつての記憶は忘却の彼方に消え去ってしまったらしい。故、口にするもの全てが未知の体験なのだった。白薔薇が少しずつ食べて行く隣で、レッドとアセルスはあっと言う間に食べ切った。
「おいしかったね。もう一個買えばよかったな」
指を舐めながら、アセルスが言った。
「アイス食おうぜ、アイス」
「いいね」
レッドの提案に、アセルスはにっこり笑って、白薔薇の方を向いた。
「白薔薇も好きだよね、アイス」
「ええ。アイスなら、存じています」
以前レッド君が食べさせて下さった、冷たくて甘い食べ物ですねと言う。白薔薇が口にすると、アイスも何処か上品な代物に聞こえた。シュークリームを食べ終えた後、三人はアイス屋さんを探そうと、店の並ぶ通りへ戻って行こうとした。
「あ、ルージュ」
中庭の向こうを見て、アセルスが呟いた。ルージュは目立つ。背が高い上、いつもキングダムの制服を身に付けているため、何処にいてもすぐにルージュだと分かる。怜悧で、見掛けは近寄りがたい雰囲気を醸し出しているが、性格は優しいので、友達は多かった。レッド達三人も、彼とは知己の間柄だった。
「おーい、ルージュ」
レッドが手を上げて合図すると、ルージュもこちらに気が付いた。彼が歩いて来る前に、レッドが駆け出してそちらに向かった。
「珍しいな、こんな所にいるなんて」
「ルーンの情報を集めていたんだが……」
と、ルージュは言葉を切った。そこそこの付き合いになるので、レッドは何と無く事情を察した。要するに迷ったのだ。ルージュは頭が良い割に、妙に世間知らずな所があり、その辺りがまた親しみ易かった。二人がそんなことを話しながら、中庭を横切って行くと、丁度アセルス達も歩いて来た所で、先程のベンチのそばで合流した。
「ごきげんよう、ルージュ様」
と、白薔薇がドレスの裾を広げ、優美な挨拶をした。
「ごきげんよう」
ルージュも微笑んで返した。
「珍しいね、君がこんな所にいるなんて」
アセルスはレッドと全く同じことを聞いた。
「君こそ」
ルージュの返答はちょっと違った。アセルスは滅多なことでも無い限り、人の多い場所には出て来ないのである。
「私達は、どこにも行く当てがないからさ」
そう言ってアセルスは苦笑する。
「レッド君に、このリージョンを案内してもらっていますの」
「そうか」
白薔薇の言葉に、ルージュは感心してレッドの方を見た。
「案内ってほど知ってるわけじゃないんだけどな」
そんな話をしながら、さっきのシュークリーム屋と反対方向に向かい、アイス屋さんの前までやって来た。何とか言う有名な店らしいが、折良くも客の姿は無かった。アセルス達と一緒にいると、しばしばこうした幸運に恵まれるのである。アセルスは嬉しそうにして、色鮮やかな店先に立った。
「ルージュもアイス、食べる？」
「アイスか……」
ルージュは気難しそうな顔で、ガラス張りの陳列を見た。ルージュが言うと、美味しいアイスも小難しい術語のように聞こえる。アイスを見下ろし、押し黙ったルージュに対し、レッドは横から口を出した。
「おごってやるよ。好きなの選びな」
ルージュはキングダムにいた頃、つまり生まれてからこの方なのだが、お菓子と言う食べ物を見たことが無かったらしい。俗っぽい楽しみを全く知らないルージュに対し、彼と仲の良いレッドやリュートなどは、なるべく色んな遊びに誘うようにしていた。ルージュはありがとうと礼を言い、またアイスの陳列を見下ろした。幾つかに区切られたトレーの中にアイスが入っており、味を選んで、売り子に掬って貰う形の注文方法である。暫く考えた挙句、ルージュは肩を竦めた。
「よく分からないな。君達に任せるよ」
と、またしても選択を委ねられたので、アセルスが彼の分まで選んだ。赤い色が好きだから、二人はいちご味のアイスを頼んだ。ぽつぽつと見える赤い粒々は、いちごの果肉が入っているらしい。最近のアイスは凝っているなと思いながら、レッドはコーヒー味を頼んでみた。モカファッジと言うらしいが、要するにコーヒー牛乳の味だろう。白薔薇は、今度は自分で選んで、クッキーの粒が入った、ちょっと洒落たものを頼んだ。売り子のお姉さんは笑顔で対応し、まずいちご味のアイスを掬い、綺麗な丸い形を作ってコーンに乗せた。
「モカファッジとクッキー、二段で」
唐突に、横からヒューズが顔を出し、売り子のお姉さんに注文した。レッドとの間に割り込まれたアセルスは、少し下がって、ヒューズと適切な距離を置いた。
「あなたは……ヒューズ？」
「おっ、覚えててくれたのか。元気だったかい？」
ヒューズはよそ行きの顔で、アセルスと白薔薇に挨拶した。レッドとルージュに対しては、いつものやる気の無さそうな態度である。
「お前ら、こんな所で何してんだ？」
「レッドがご馳走してくれるんだ」
ルージュが答えた。
「ふーん。悪いな、レッド」
と、ヒューズは端からお代を払わない気だった。奢って貰うのに二段のアイスは無いだろうと思ったが、アセルス達の手前、レッドは懐の広い所を見せてやることにした。そうこうしている内にアイスが出来た。最初にアセルス達のいちご味が渡され、最後にヒューズの二段アイスが来た。まん丸のアイスはすぐに溶けてしまうから、皆その場で食べ始める。
「クッキー、おいしい？」
アセルスが白薔薇に尋ねた。
「ええ。アセルス様も、召し上がりますか？」
白薔薇がアイスを差し出したので、アセルスは一口かじって頂いた。唇を舐めて、にっこり笑う。
「ありがとう。白薔薇も食べる？」
「いただきますわ」
今度はアセルスがアイスを差し出し、白薔薇がいちご味を舐めた。そうして二人で笑っている。如何にも微笑ましい様子で、レッドが二人を見ていたら、アセルスがアイスを見せて来た。
「レッド君も、いる？」
「ああ……」
と言い掛けて、ふと気付く。七歳の頃なら一口貰っている所だが、今のレッドは十九歳である。いくら仲が良いとは言え、流石に女の子の食べさしを貰う年では無い。アセルスもそれに気付いて、少しはにかんだ。
「……って言う年じゃないよね、もう」
「ああ、やめとく」
二人はちょっと気まずくなって、黙って自分のアイスをかじった。照れくさがっていると、ヒューズがレッドの背中を小突いた。
「おいレッド」
と、声を潜めて話し掛けてくる。
「何だよ」
「妖魔はやめとけっつっただろ」
「だから言ってるだろう。俺とアセルス姉ちゃんはそんなんじゃない」
レッドとアセルスは姉弟同然なのである。家族のように大切に思っているだけで、惚れた腫れたの関係とは全く縁の無い場所に位置しているのだが、ヒューズにはそれが通じないらしい。妖魔は嫉妬深くて浮気性な奴ばかりだと、まるで経験談のように語るのだった。
「何でもいいが、妖魔の世界に関わるのはやめときな。あいつらは人間とは違う」
「分かったよ」
珍しく、ヒューズが真剣に忠告して来たので、レッドも頭の片隅に置いておくことにした。元より、アセルスと白薔薇、ついでにサイレンス以外の妖魔と関わり合いになるつもりは無い。それでも十分首を突っ込むことにはなっているのだが、レッドは知らない振りをした。
「そんなことより、仕事はどうしたんだよ」
レッドが話を逸らすと、ヒューズは腕時計を見た。
「休憩中だ。……十分前まではな」
昼休みはとうに終わっているらしい。ヒューズは慌てた様子も無く、悠々とアイスの一段目を食べ切った。
「そんじゃ、仕事に戻るとするわ。ごっそさん」
片手にアイスを持ったまま、手をひらひら振って、ヒューズは何処かに行ってしまった。ああ見えて忙しいのである。ルージュはさほど忙しくも無いようで、上品にアイスを食べながら、アセルス達と話をしていた。
「そう、ルーンは順調に集まってるのね」
ルージュはすごいねと、いちごのアイスを食べながら、アセルスが彼を褒めた。
「今は活力のルーンを探しているんだ」
ルージュも同じく、いちごのアイスを食べながら答えた。如何せん、現状ルーンに繋がる手掛かりを掴めていないため、彼は仲間達から情報を得ようと尋ね歩いているのだった。此処にいたのは、単純に迷ったためかと思われたが、強ちそうでも無いらしい。
「ルーンの所在について、何か知っていることはないか？」
ルージュにそう尋ねられ、アセルスと白薔薇は顔を見合わせた。
「ごめん、分からない」
「申し訳ございません。私達は、外の世界に出て来たばかりなので……」
と、二人そろって首を振った。
「いいんだ。気にしないでくれ」
ルージュは余裕がある風だった。事情を知っているだけに、レッドは心配する。
「大丈夫なのか？ もう一人のブルーって奴に、先を越されてるんじゃないだろうな」
「心配しなくていい。僕がブルーに遅れをとることは無いよ」
ルージュは事も無げに言った。その実力をひけらかすことは無いが、ルージュは優秀なのである。双子の片割れに負ける筈など無いと、絶対的な自信を持っていた。
立ち食いも何なので、アイス屋さんの前にあったベンチに座った。レッドの頼んだモカファッジは、砕いたくるみが入っていて、香ばしくて美味しかった。コーンの部分もぱりぱりして美味い。それなりに値は張ったが、まあこれなら損はしないだろうと言う味だった。かくして四人並んで、雑談を交わしながら食べていると、不意に、隣に座っていたアセルスがいなくなったので、レッドは周囲を見回した。アセルスの隣に座っていた白薔薇も、姿を消している。
「アセルス姉ちゃん？ 白薔薇さん？」
呼んでも返事は無い。レッドは嫌な予感がした。
「おい、ルージュ」
剣呑な顔で、反対側のルージュを見やると、ルージュも深刻そうな顔をしていた。
「二人はどこに行ったんだ？」
「分からない。……だが、妖術の気配を感じた」
「また妖魔か」
レッドはアイスの残りを口に詰め込み、紙の包みをポケットに突っ込んだ。悪は討たねばならない。幸いにして人通りは少ないが、目の前にルージュがいるため、この場で変身することは叶わない。レッドは一計を巡らした。
「あっ！」
空を指差し、ルージュがそちらを向いた隙に、レッドは全速力で物陰に逃げ込んだ。店舗の裏に隠れ、密やかに変身する。以前は体が眩く光り輝き、周囲に目立って仕方無かったのだが、今は隠密裏に変身することが可能となった。身に馴染んだ装甲を纏い、ヒーローの見参である。
「ルージュ！」
正義の使者アルカイザーとなったレッドは、倉皇とルージュの元に駆け付けた。
「アセルス達はどこに？ まさか、妖魔のアジトに連れ去られたのか？」
ひょっとすると、オルロワ何とか言う妖魔の元へ誘拐されてしまったのかも知れない。いかなヒーローと雖も、妖魔の総本山から二人を救出するのは至難の業である。レッドは焦ったが、ルージュは冷静だった。
「いや、近くにいる」
考え込んだ様子で、ルージュはそう言った。
「アセルス達は異空間に封じ込められたようだ。恐らく、妖魔の仕業だろう」
「どうすれば助けられる？」
「僕達も異空間に向かう」
と、ルージュはモールの裏まで歩いて行った。レッドも追従して、店舗の奥の、人気の無い裏通りに来る。ルージュは壁面に手を当て、細く息をつくと、魔力を開放してゲートを作り出した。何の変哲もない店舗の壁に、ぽっかりと円形の穴が開いた。中には混沌の如き闇が渦巻いている。この先に何が待ち受けているかは分からないが、レッドは躊躇わなかった。
「行くぞ、ルージュ！」
敢然と飛び込み、暗澹たる妖魔空間に着地した。
「アルカイザー、推参ッ！！」
倒すべき敵は騎士のなりをしていた。剣と盾を構えており、色からして水の妖魔だろう。相対するアセルスは、白薔薇を庇う形で相手に立ちはだかっている。ちらりとこちらを顧みて、張り詰めた表情が一瞬和らいだ。
「あなたは、アルカイザー……」
「ルージュ様」
二人が口々に名前を呼んだ。甲冑のような出で立ちをした水の妖魔は、突然の闖入者に鼻白んでいた。
「人間が、私の世界に入って来るとは……」
「人間では無い、ヒーローだ！」
「人間だが、魔術士だ」
威勢良く啖呵を切って、二人はいつもの構えを取った。戦う前に、まずは市民を安全な場所に避難させる必要がある。
「ルージュ」
「分かっている」
ルージュにめくわすと、彼は頷いて、ゲートの術式を編み始めた。
「待って、あなた達には……」
アセルスが何か言い掛けたが、ルージュがその身にそっと触れると、彼女は漆黒の影と化し、姿が薄らいで消えて行った。続いて白薔薇も、ゲートの術で元いた場所へと送られた。これで心置き無く全力を出せる。
「妖魔の騎士、覚悟しろ！」
レッドは改めて相手に向き合った。水の従騎士は慇懃に一礼し、レッドに剣を差し向けた。
「いいでしょう。あなた方を始末してから、白薔薇姫を捕えさせて頂きます」
対するは、ヒーローと魔術士の最強タッグである。負ける筈が無い。剣を持つ相手ならばと、レッドはレイブレードを取り出し、刀身を光で染め抜いた。
「参ります」
従騎士はレッドに肉薄し、斬撃を振るった。レッドは容易く身を躱し、切り返しを食らわせたが、盾で防がれた。盾は水の塊らしく、沸騰して凄まじい音を立てた。続いてルージュが魔術の鎖を放つも、またしても盾に阻まれた。盾を随意に召喚出来るようで、何処から打っても隙が無い。
「ルージュ」
レッドはルージュに合図を送った。ルージュが頷き、水の盾に向かって爆裂の魔術を唱える。インプロージョンで吹き飛ばした一瞬の隙に、レッドは相手の懐に飛び込み、ブレードを腹に突き立てた。従騎士が低く呻いた。
「おのれ！」
従騎士は地から大量の水を呼び出し、レッドに向かって叩き付けた。吹っ飛ばされて地面に落ちる。ルージュがそちらに注意を逸らした瞬間、彼の頭上に水の塊が出現し、滂沱と降り注いで圧倒した。レッドが体勢を立て直し、跳躍してルージュの元に退く。
「大丈夫か」
「ああ」
と、ルージュは濡れた髪を掻き揚げた。一瞬脇腹に手をやったが、骨でも折れたのかも知れない。比類無き魔力を持つとは言え、ルージュは生身の人間である。そう何発も食らうわけには行かない。
「君は盾を破壊してくれ。私は本体を狙う」
従騎士が腹のブレードを抜き、捨てるのを見ながら、レッドはルージュに向かって言った。腹に風穴が空いており、其処を攻めるのが良いだろう。従騎士が再び剣を振るい、レッドは籠手で受け止めた。間髪入れず、ルージュがエナジーチェーンで剣を絡め取り、相手の動きを封じる。レッドは蹴りを打ち込もうとしたが、従騎士が剣を手放し、手の平から強烈な水圧を放った。肩が裂けたが、柔らかな光が傷口を覆い、立ち所に癒される。ルージュが癒しの術を掛けたらしい。レッドは一旦後に退き、態勢を整えながら、術士をちらと顧みた。
「私に構うな。相手に集中してくれ」
「……分かった」
ルージュは奪い取った剣を捨て、再び集中し、手を翳して熱波を呼び出した。陽術の一、超風である。吹き荒れる熱線に水の盾が蒸発し、掻き消されると、従騎士は新たな盾を呼び出した。其処にルージュが肉薄し、光の剣を召喚して、盾を一刀両断した。従騎士は一瞬逡巡したが、水撃で相手を退ける方を選んだ。膨大な水量に、ルージュは吹っ飛ばされたが、身を翻して着地した。
「アルカイザー！」
裂かれた盾の間からレッドが飛び込んだ。従騎士が彼に狙いを定め、水撃で足を切り裂いたが、レッドは怯まず接近する。すかさず燦然たる拳を叩き込み、振り下ろしてはらわたを引き裂いた。甲冑の胴体に縦一文字の風穴が空き、青い血をぼたぼたと垂れ流した。膝を突いた従騎士に、ルージュが手刀を突き付ける。
「この私が、人間如きに不覚を取るとは……」
喘鳴と共に、従騎士が吐き捨てるように言った。もう動けないようだ。ルージュは冷酷な眼差しで、従騎士を無感動に見下ろした。
「どうする？ このまま、息の根を止めておくか」
レッドは少し考えた。妖魔の事情は良く分からないが、無闇に命を奪うと、他の仲間の恨みを買ってしまうかも知れない。復讐はレッドのみならず、アセルスと白薔薇、ひいてはルージュにさえも累を及ぼすだろう。此処は一つ穏便に、こてんぽんに叩きのめして帰そうと考えた。
「キサマの親玉に伝えておけ」
レッドは仁王立ちになり、足元の妖魔を見下ろした。
「二人に手を出すことは、このアルカイザーが許さないと」
「このルージュも黙っていない……と、そう伝えておいてくれ」
そう言って、ルージュが妖魔に手を翳した。魔術の力により、妖魔の体は分解され、無数の蝶へと姿を変える。蝶々は、妖魔の空間を惑いながら羽ばたき、何処かへと去って行った。後には青い染みだけが残った。
悪は去った。レッドはアセルス達の無事が気に掛かったが、その前に、目の前の青年に礼を言った。
「協力に感謝する」
と、レッドはルージュに手を差し出し、握手を交わした。ルージュはこの妙ちくりんな仮面男について、毫末の疑問をも抱かない。メカや妖魔と同じく、そう言うものなのだろうと思っている。疑って来ないから、レッドとしてもやり易い相手だった。
「アセルスと白薔薇は無事なのか？」
「ああ。マンハッタンに戻っているはずだよ」
殺気が抜けたルージュは、いつもの温和な笑みを浮かべた。レッドも安心して、ヘルメットの下の表情を和らげた。
「アルカイザー、傷を見せてくれ」
と、ルージュがそばに膝を突いた。拳に集中していたので気付かなかったが、スーツの脛がぱっくりと裂け、傷は骨まで達していた。かなり痛かったが、今のレッドはヒーローなので、弱音は吐かなかった。レッドの治療が済むと、ルージュは自分の傷を癒した。見た目には分からないが、そこら中をぶつけてかなり怪我をしたらしい。流石に痛むなと言ったが、そうした言葉にも何処か余裕があった。治療が完了すると、ルージュは太陽光線を唱え、ずぶ濡れになった服を乾かした。
主を失い、妖魔の空間が崩れ始めた。消え方もまたお耽美で、真っ黒な空間が薔薇の花弁と化し、舞い散って人間の世界を表して行く。空間が崩れて行く間に、レッドは全速力で駆け出し、ルージュから見えない場所まで逃げた。頓着しない相手とは言え、正体がばれるのはご法度である。妖魔空間が掻き消えてしまい、元のショッピングモールが蘇ると、レッドは店舗の裏で変身を解いた。そしてトイレの方から出て来ると、心配そうに眉を顰めたアセルスと白薔薇が、こちらに駆け寄って来るのが見えた。
「レッド君」
「二人とも、大丈夫か？」
「私達は大丈夫。君達は……良かった、無事だったのね」
そばに来たルージュを見て、アセルスはほっと息をついた。レッドは何食わぬ顔で、今し方の出来事に頬被りを決め込んだ。
「みんな、一体どこに行ってたんだ？」
「妖魔の世界ですわ。水の従騎士が追って来たのです」
白薔薇が答えた。まだ不安げで、アセルスに寄り添っている。
「そうか」
如何にも良く分からないと言った顔をして、レッドは素知らぬ風を装い続けた。
「その何とかの騎士は、ルージュが倒してくれたんだよな？」
「アルカイザーが助けてくれたよ」
と、ルージュ。
「そうか。とにかく、無事で良かったよ」
「うん……」
不思議そうに、アセルスはレッドをじっと打ち守った。その硝子玉のような目から視線を逸らすと、忽ち嘘が暴かれてしまうような気がして、レッドは彼女を見返し続けた。暫く見詰め合っていると、やがてアセルスが目を側めたので、レッドは内心安堵した。
「だけど、これは私達の問題なんだ。手を出すのはやめてほしい」
敢えて酷薄に聞こえるよう、アセルスは表情を硬くして言った。レッドとルージュは顔を見合わせたが、答えは決まっていた。
「それはできない相談だな」
「アセルス姉ちゃんが困ってるのに、黙って見てられるわけないだろう」
「でも、君達を巻き込むわけにはいかないんだ」
苦しげに、胸元で手を握ったアセルスに、レッドはなるべく優しく言った。
「姉ちゃんが俺達を心配してくれるのと同じで、俺達も二人が心配なんだよ。それとも、人間が妖魔に関わると、まずいことでもあるのかい？」
「それは……」
と、アセルスは口籠って、結局答えられなかった。白薔薇も右に同じらしい。ヒューズはああ言っていたが、レッドは自らの信じる道を行くことにした。アセルスを狙う妖魔如き、ヒーローの力でぶちのめしてやれば良い。驕りでは無く、今のレッドにはそれだけの力がある。
「……ありがとう」
アセルスも観念して、小さく礼を言った。白薔薇は相変わらず、心細そうに彼女に寄り添っている。別に責めるようなつもりは無かったのだが、二人をしょんぼりさせてしまい、レッドは少々気が咎めた。
「それじゃ、次はどこへ行く？」
レッドはさっさと話題を変えて、楽しい買い物の時間に立ち返った。
かくして日が暮れた。レッド達は発着場でルージュと別れ、九龍にやって来た。夕飯と、宿を取るためである。此処には美味しいイタメシ屋があって、顔見知りの誼と言うことで、少しだけなら負けてくれるのだった。ネオンの光る薄暗い通りの中、場所は分かり辛いが、大抵の場合、店先に看板娘が立っているので、すぐにそれと分かった。
「よお、レッド」
と、看板娘のアニーが手を挙げた。レッドも挨拶を返す。
「よう。やってるか？」
「今日はヒマなんだ。食べてくんでしょ？」
「まけてくれるならな」
アニーと軽口を叩きながら、三人は奥の席に案内して貰った。今日は客の入りも少なく、グラディウスも暇なようで、エミリアとアニーも同席した。円形のテーブルに、レッドとアセルス達は向かい合って座り、エミリアはアセルスの隣、アニーはレッドの隣に座った。
「みんな、ワインは好き？」
メニューを見ながら、エミリアが婀娜っぽく誘い掛けたが、レッドは断った。
「俺、未成年なんだよ」
他所のリージョンではいざ知らず、シュライクでは、お酒を飲むのは二十歳から、と言う決まりになっている。
「そう。アセルスと白薔薇は、お酒は飲まないのよね」
「うん。ごめんね」
「申し訳ございません」
と、二人が済まなそうにした。
「ううん、いいのよ」
エミリアは特段残念そうでも無く、にこにこしながら、再びレッドに話題を振った。
「そっか、レッドはまだ未成年だったのよね。今いくつ？」
「十九」
「四つも下なのか……あたしも年とったなあ」
アニーは落胆したような、何とも言えない表情をした。年齢を気にするお年頃らしい。
「何言ってるんだか」
と、エミリアが苦笑する。
「二十歳になったら、一緒に乾杯しましょうね」
エミリアはそう言って、ライザにジンジャーエールを五つ頼んだ。彼女らは賄いを食べてしまったので、食事に相伴こそ出来ないものの、一服するのに付き合ってくれた。アセルスと白薔薇は、二人で一つのパスタを食べると言うので、エミリアお勧めの、ボンゴレと言うパスタを二皿頼んだ。しかしてジンジャーエールを飲みながら、五人で雑談を交わした。話題はレッドとアセルスの関係についてだった。エミリアやアニーは、幼馴染の絶妙な距離感に理解を示してくれ、仲が良いことを揶揄するようなことは無い。
「いいわね、幼なじみって」
と、エミリアは微笑ましげに言った。アニーはちょっと面白がりながら、机に頬杖を突く。
「ねえ、小さい頃のレッドって、どんなガキんちょだったの？」
「いい子だったよ。よく、うちの配達を手伝ってくれたの」
アニーに尋ねられ、アセルスは当たり障りの無いことを答えた。実のところ、レッドには情け無い思い出も沢山ある。転んでしまって、アセルス姉ちゃんに家までおぶって貰ったり、喧嘩に負けて、姉ちゃんに慰めて貰ったりもした。他にも色々な出来事があったものの、優しいアセルスは、レッドの気持ちを斟酌して、恥ずかしい思い出を伏せてくれた。
「私、昔からおてんばだったから、レッド君とは気が合ったんだよね」
「ああ」
アセルスは昔と全く変わらない。十年以上眠っていて、全く年を取っていないのだから当たり前なのだが、レッドが昔見たアセルス姉ちゃんそのままだった。レッドと、まだ赤ん坊だった藍子を良く可愛がってくれ、同じ年頃の友達も多くて、町の人気者だったのである。アセルス本人は自嘲的に、すっかり昔と変わってしまったと言うが、レッドはそうは思わなかった。現に今もこうして、友達に囲まれながら、楽しそうに談笑しているのだ。
「お二人とも、本当に仲がよろしくて。うらやましいですわ」
と、白薔薇は笑顔でほっぺに手を当てた。レッドとアセルスは、何故か唐突に弁解したくなり、口を開き掛けたが、結局言い訳めいた台詞は何も出て来ず、黙って飲み物を飲んだ。理由は良く分からないが、白薔薇にとても悪いことをしたような気になったのだった。
「アセルスは人気者ね」
狼狽した二人を見、エミリアは何もかも分かっていると言った風で、悪戯っぽくそう言った。
そうこうする内に、頼んでいたパスタが出来上がった。ライザが料理を運んで来てくれ、二人で分けて食べるアセルス達のために、小皿を二つ用意してくれた。ボンゴレと言うのは、あさりを使ったパスタのことらしい。ほんのり辛くて、あさりの出汁が利いていて、あのむっつりしたおっさんが作ったとは思えないくらい美味しい。
「おいしいね」
「ええ」
アセルスと白薔薇は、パスタを小皿に少しずつ取り分けて、ふうふうと冷ましながら、仲睦まじく食べている。上品なことに、あさりを食べる時に手を使わず、フォーク一つで身を剥がして食べてしまうのだった。レッドがフォークにくるくる巻いて食べていると、隣に座ったアニーが羨ましそうに見ていた。
「あー、あたしもお腹減ってきちゃった」
「アニーも頼めよ」
レッドはそう言ったが、アニーは手をひらひら振った。
「ダメダメ。原価知っちゃうと、もったいなくて食べる気にならないわよ」
この店もそこそこ儲かっているらしい。原価は一体いくらになるのかと、レッドは試しに聞いてみたが、アニーは企業秘密だと言って、やはり教えてはくれないのだった。
食事が終わり、皿にはあさりの貝殻のみが残った。三人がごちそうさまをすると、エミリアが皿を厨房に下げ、食後の紅茶を運んで来てくれた。白薔薇がいる時は、彼女の好みに合わせ、皆紅茶を飲むのである。温かいお茶で一息ついていると、何処からかアニーが雑誌を持って来て、机の上にぽんと放り投げた。表紙からすると、いわゆるタブロイド紙と言うやつらしい。
「珍しいわね、アニーがそんなものを読むなんて」
と、エミリア。
「だって、エミリアのことが載ってたんだもん。気になるじゃない」
アニーは喜々として雑誌を開き、端っこに折り目を付けたページを出して見せた。記事の見出しは、元スーパーモデルが云々、と言うものだった。
「また、あることないこと書いてあるんでしょう？」
エミリアは辟易した風で、全く関心を示さなかった。レッドには縁の無い世界だが、有名なモデルだったエミリアは、何かと雑誌に取沙汰されることも多いらしい。この雑誌に載っている記事は、恋人殺しの件についての新説を説いたもので、意外にも核心を突いた内容であった。しかし、エミリアにとってはどうでも良いらしく、懶げに淡い金髪を掻き揚げた。
「もうほっといて、って感じよ。モデルなんて、とっくに引退しちゃってるもの」
隠し撮りらしい、白黒写真に写った自分の姿を、エミリアは素っ気無く見下ろした。ぼんやりと九龍の通りを歩いている時の、全く無防備な姿を撮られても尚、華やかな美人に写ってしまうのだから、恐るべき写真写りの良さである。隣のページには小さくアルカイザーの記事も掲載されており、レッドは正体がばれていないかと気に掛かったが、載っているのはほんの一文で、さしたる影響も無さそうだった。
「私にも読ませて頂けますか？」
白薔薇も興味を示したが、アニーは却って雑誌を遠ざけた。
「あんたは読まない方がいいよ。どうせ、下らない話ばっかりだし」
「いけませんの？」
と、白薔薇が首を傾げたが、隣のアセルスも渋い反応だった。
「白薔薇は読まない方がいいと思う」
「そうですか……」
白薔薇は残念そうにして、紅茶のカップを手に取った。少々気の毒に思えるが、純真無垢な彼女を守るためには仕方無いのである。アニーも、エミリアの記事以外に興味は無いらしく、一頻り話題の種にすると、ごみ箱に放り投げて捨ててしまった。
エミリア達と別れ、イタメシ屋を後にした三人は、九龍の宿屋に向かった。アセルス達が泊まるには、乱雑でむさ苦しい場所であるが、妖魔の追手も、まさか二人がこんな所にいるとは思わないだろう。妖魔がどうやってアセルスの所在を掴んでいるかは知らないが、ごく普通の宿屋よりは見付かり辛い場所だった。アセルス達の部屋とレッドの部屋、二つ分の宿代を払い、メカのパーツやら何やらが置きっぱなしになっている廊下を通って、部屋の前まで歩いて来た。廊下は薄暗く、切れかけた電灯が点滅しており、レッドは途中で何かを蹴っ飛ばしたが、気にしないことにした。二つの部屋は隣同士で、何かあった時もすぐに駆け付けられそうだった。
「レッド君、今日は本当にありがとう」
「お陰様で、楽しいお時間が過ごせましたわ」
アセルスと白薔薇はにっこり笑って、今日の出来事の礼を言った。
「大したことはしてないけどさ」
「ううん、とっても楽しかったよ」
アセルスが首を振った。表情からして、本当に楽しかったらしい。かわいい二人がこんなにも喜んでくれたので、レッドとしても悪い気はしなかった。話はそれで終わったが、何と無く名残惜しい気分で、三人はその場に立ち尽くした。
「あの……」
と、アセルスが何か言い掛けた。
「何？」
「なんでもない」
アセルスは逡巡した挙句、結局首を振った。
「そうか」
レッドもそれ以上は尋ねなかったが、何かもう少し聞いておきたいことがあるような気がした。何だか間の抜けた時間が過ぎた。それからも三人は黙って立っていたが、特段するようなことも、交わすような言葉も無かったから、自ずと別れて寝に入ることになる。
「じゃ、おやすみ。また明日な」
レッドが軽く手を挙げると、二人も気を取り直したように顔を上げた。
「うん、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
手を振り振り、廊下で別れた。部屋に入るなり、レッドはベッドに飛び込んだ。変身して戦うには、かなりの気力と体力を要するのである。アセルス達を守るため、有事の際はすぐに飛んで行けるよう、神経を尖らせておこうと思っていたが、結局朝までぐっすり寝入ってしまった。
翌朝、レッドが身支度を整えていると、扉の下に小さな紙切れが落ちていることに気が付いた。何気無く拾い上げてみると、見慣れた筆跡で短い文章が認められている。アセルスの手で書かれたそれを、レッドは声に出して読み上げた。
「……昨日は本当にありがとう。困った時は、またレッド君に相談するね……」
読み終わるなり、レッドは部屋を飛び出した。隣室を訪ねるも、扉は開きっぱなしで、始めから誰もいなかったかのように、室内は綺麗に整頓されていた。アセルスと白薔薇は去ってしまった。レッドは狐に摘ままれたような気分で、もう一度書き置きを読み返した。短い文章だが、アセルスの真情が籠められているのは分かる。彼女は今までのように、他者との関りを避けて、人知れず姿を消したわけでは無かった。この手紙が何よりの証拠である。またいつか、必ず会える筈なのだ。何度だって助けてやると、レッドは心に固く誓って、手紙をポケットに突っ込んだ。