待宵草の彷徨
六人ともバイゼルにいる。物資の調達と情報の共有、それに加えて今回は衣服の補修も必要だった。旅をして魔物と戦ったり、道無き道を進んだりすると、どうしても服がほつれたり穴が開いたりする。それをアンジェラとリースが縫ってくれるのだった。二人が机に道具を広げ、丁寧に針を動かしている周りに、他の仲間達も集まって話をする。ケヴィンは友達が揃うこの時間を殊に気に入っており、皆の話を聞いているだけで楽しかった。
今日の話はアンジェラの耳についてだった。彼女の耳は妖精のように長くて尖っている上、後ろ髪を高く纏め上げた髪型のため、その形が良く目立つ。アルテナではそう珍しくも無いようだが、他の地域では殆ど見ないものなので、何故こんな耳をしているのかと言う話だった。
「お城の学者さんが言ってたけど、先祖がえりみたいなものなんですって」
当のアンジェラが説明した。話によると、大昔にエルフや獣人の血が混ざった者達の末裔は、時折祖先の特徴を受け継いで生まれて来るのだと言う。血は薄まっているから、外見以外は人間そのものだが、ごく稀に人並み以上の能力を持つ事もあるらしい。
「アルテナにマジシャンが多いのは、ご先祖様にエルフがいるからじゃないかって言われてるのよ」
「シャルロットとおんなじ。アンジェラしゃん、シャルロットのどーるいだったんでちね」
シャルロットが嬉しそうにした。
「学者さんの言ってる仮説だけどね。本当かどうかは分からないよ」
とは言え、アンジェラも満更では無さそうだった。口元を緩ませながら、目を伏せて手元に集中する。
「そういや、シャルロットの耳ってどうなってるっけ」
隣のデュランが手を伸ばし、金髪の巻き毛に差し入れた。しかし相手がこそばゆがって暴れてしまい、上手く見られなかったらしい。傭兵の手を押しのけ、改めてシャルロットが自分から髪を掻き上げた。ケヴィンは彼女の耳を初めて見たが、エルフのもので無く、普通の人間と同じだった。皆からしげしげ見詰められると、シャルロットは含羞みながら、髪を撫で付けて輪郭を隠してしまった。
「……そんなにじろじろみないでくだちゃい」
「遺伝ってフシギだなあ。君はお父さん似だったんだね」
と、ホークアイ。
「みみだけでちけどね。かおはままそっくりの、かれんなれでぇなんでち」
「レディなんだったら、そんな格好でうろつかないのよ」
アンジェラが繕い物を仕上げ、彼女に服を渡した。シャルロットは下着で席に着いていたのだった。小さな子供のする事だからと、誰も気に留めなかったが、いざ指摘されると面映くなったらしい。シャルロットはいそいそと服に袖を通し、アンジェラに背中を向けた。
「アンジェラしゃん、ぼたんとめて」
「今いそがしいの。デュラン、やってあげて」
アンジェラは針に糸を通す最中だった。
「りょーかい。ほら、むこう向きな」
と、デュランは小さな少女を回れ右させ、たっぷりした巻き毛を脇によけ、背中のボタンを留めてやった。ついで前掛けも着せて貰い、着替えの済んだシャルロットが、ケヴィンを見て口を尖らせた。
「ケヴィンしゃんも、そんなかっこーじゃいけまちぇんよ。はやくきがえなしゃい」
ケヴィンも上着を着ていなかった。始めの頃は仲間達から、筋肉が凄いと、喜ぶべきなのか良く分からない感想を貰い、少し気恥ずかしかったものだが、今は言われないので着るのを忘れていた。彼は一旦席を立ち、倉庫に手を突っ込み、胴着を取り出して身に着けた。
「今縫ってあげるから、待っててね」
リースが糸を切り、ホークアイにバンダナを返した。受け取った方は礼を言い、普段するように額へ巻いた。リースは続いてケヴィンの上着を取り、服と襟の取れ掛けた部分を縫い合わせ始めた。襟巻きのふさふさは随分と毛が抜けてしまい、所々地の部分が見えている。ケヴィンが椅子に座り直し、自分の服に糸が通る様を観察していると、ふとリースがこちらを見た。
「そういえば、ケヴィンの耳も長いのよね」
そう言われて、他の皆も覗き込んで来たので、ケヴィンは耳を軽く引っ張り、良く見えるようにした。
「獣人、みんなこうなってるよ」
ケヴィンは獣人の男にしては背が低めで、体格もさほど立派では無いのだが、金色の目と長い耳は種族の血を色濃く反映していた。どうやら父親似のようで、いずれは獣人王のような大男になるのかも知れない。ケヴィンは旅を始めてから少しずつ身長が伸びていた。
「うは、お前もっとムキムキになんの? すっげーな!」
デュランは面白そうだった。興味津々で見詰められ、ケヴィンはやや気後れした。
「わかんないけど……」
混血の身であるから、それほど獣人らしくはならないかも知れないし、ケヴィンは自分が将来どうなるか想像した事も無かった。それよりは、仲間達がどう思うかの方が気になった。獣人兵達には散々な目に遭わされたわけだし、もしかしたら嫌かも知れない。
「……オイラが獣人兵みたいになったら、みんな、いやか?」
「いいんじゃない? 私はきらいじゃないよ」
獣人兵みたく意地悪しないならねと、アンジェラが淡然と答えた。
「ちいさいよりは、おおきいほうがずーっといいでちよ」
シャルロットが少しむくれて言った。
「……そうかな?」
「そうでち! シャルロットも、たくさんぎゅーにゅーのんで、がんばってるんでち。ケヴィンしゃんもがんばりなちゃい」
と、何故か彼女に励ましの言葉を貰った。他の皆もアンジェラと似たような反応で、ケヴィンの見た目がどうなろうと頓着しないらしい。無関心では無く好意的な受容だった。それがケヴィンには殊の外嬉しく思え、ちょっと照れくさくなって下を向いた。
アンジェラはシャルロットの服に続き、自分の着るうさぎのドレスを手直しした。卸したてでまだ殆ど使われていず、襟元の柔らかな毛皮も、後ろに付いている小さな尻尾の毛も綺麗に生え揃っている。向かいで縫われているケヴィンの上着を比べてみると、一層みすぼらしく見えた。
「それ、そろそろ新しくした方がよくないか?」
ホークアイが上着の毛皮を指差した。リースも気になっていたらしく、針を持たない方の手で房を撫で付けた。
「そうね……。ふわふわの所だけでも、つけかえた方がいいかしら。今から買ってくる?」
と、彼女に尋ねられたが、ケヴィンは断った。
「まだ使えるし、いいよ」
どうせ旅先では胴着を着けるのだし、この服を直すまでも無かった。それに、確かに傷みは酷いが、縫い目が目立たぬよう虎斑模様に添って針を通したり、継ぎ布の色をなるべく同じものに合わせてくれたりする、アンジェラとリースの繊細な優しさが見えて気に入っており、出来ればこのままにしておきたいのだった。
「ちょっとぐらいボロくても、どうせ誰も見やしねえしな」
デュランも同意を示した。持ち前の突撃したがる性格故か、デュランは飛び抜けて負傷と破れが多い。胴体は鎧を着て足には脛当てをつけているものの、他の所はどうしても破いてしまうし、時には鎖帷子すら駄目にする。奮闘の甲斐あってアンジェラとシャルロットはいつも無事であるが、それについて彼女らは良い顔をしなかった。
「あんたしゃん、もうすこし、いのちをたいせつにしなしゃい。デュランしゃんのたたかいかた、しにいそいでるみたいでちよ」
シャルロットが小言を言った。しかしデュランは平気で笑っている。
「お前がいる限りはだいじょうぶだよ。きれいさっぱり治してくれんだろ?」
「まほうにたよりっぱなしは、よくないんでちよ。あんたしゃん、もしシャルロットがいなくなったら、どーするの?」
「いなくならないように、つかまえとく」
「だみだこりゃ。シャルロットのいいたいこと、つうじてまちぇん……」
と、彼女は机に頬杖を突いた。仮令シャルロットが治療してくれなくなったとして、騎士であるデュランは自分自身で魔法が使えるのである。能天気な態度は改めようが無かった。
「ほんと、回復魔法さまさまだよな。オレもケヴィンをつかまえとかないと」
ホークアイもそう言って笑った。二人揃っての反応に、シャルロットは怒って何度か机を叩いた。
「まったくもう! みんな、いのちをかるくみてるんでちから!」
モンクの端くれであるケヴィンは知っているのだが、聖職者の教えとして、便利な力ばかりに頼ってはいけないと言うような旨があるのだった。それを彼やデュランに教えてくれたのは、他ならぬシャルロットである。しかし、いかんせん喋り方がこうなので、肝心の詳しい理由は分からなかった。そんな体たらくにも拘らず、彼らが聖なる力に携わるのを許してくれる辺り、マナの女神様はとても心の広い人なのだろうと、ケヴィンは女神に感謝していた。
四方山話をしている内、娘達の仕事も片付いた。アンジェラがデュランのズボンを畳み、本人へ返す。
「できたわよ」
「おう、サンキュー」
「あっ、ひっぱったらほつれちゃうよ」
どんな具合に出来たのかと、デュランは縫い目をいじくり始め、アンジェラに注意された。広げてぐちゃぐちゃになったズボンを、アンジェラがもう一度取り返し、また綺麗に畳んだ。
「いい? 今度やぶいたら怒るからね」
と、縫い目を優しく撫で付け、今度こそ持ち主に返したが、デュランはそっぽを向いて受け取った。
「そういうのはモンスターに言ってくれ」
「あんたの不注意でモンスターに切られちゃうんでしょ? そのたびにケガして、私達がどれだけ心配すると思ってるのよ」
適当にかわせばまして言い募られ、デュランは閉口した。それでも流石に反省したらしく、大人しく返事をして服を仕舞いに掛かった。
「いししし、デュランしゃんおこられてまち。だめでちねえ」
隣でシャルロットがにまにました。途端、アンジェラがむっとしてそちらを向いた。隠れようとしたが遅かった。
「シャルロットだって、人の事言えないでしょ。どうして服を枝にひっかけちゃうわけ? おひざもすり切れちゃって、ボロボロじゃない」
「はうう、ごめんちゃい……」
と、剣突を食らって頭を抱えた。シャルロットは気になるものがあると、地べたに膝を突いて観察に掛かる上、時々何も無い所でこける。それで膝の部分が汚れて擦り切れてしまうのだった。二人が怒られている傍ら、ケヴィンはリースからかなり縫い跡だらけの服を受け取り、少々気まずい思いをした。
「オイラも、気をつける……」
「君だけじゃないさ」
ホークアイが額のバンダナを引っ張った。身軽なので攻撃をかわすのが上手いのだが、反面、軽装のせいで食らうと痛い目に遭うらしい。自分達の傷んだ服に呆れつつ、ふとリースの方を見ると、彼女は殆ど手直しをしていなかった。
「リースは物持ちがいいよな。その服も新品みたいだよ」
と、ホークアイが褒めた。
「だって、二人がかばってくれるんですもの」
リースは全く嬉しそうでは無かった。眉を顰め、少し溜息をつく。
「しつこいようだけど、私の事はかばわないでくれますか? 私は鎧を着てるから、多少の攻撃ならぜんぜん痛くないんです」
「ああ、わかってるけど……」
一往は頷いたホークアイが、困ったようにケヴィンをちらと見た。アマゾネス戦士と雖も、リースはどう見ても普通の女の子である。男だらけの獣人や盗賊団の中で生きていた彼らにすれば、女性と言うのは守るのが当たり前の存在で、リースを庇うのは殆ど無意識からの行動だった。彼女と一緒に旅を始めて随分経つが、未だにその癖は抜けそうに無かった。
後片付けをしながら、今度は次の目的地の事を相談した。デュラン達は木の精霊を探しに、ランプ花の森と言う場所へ行き、ホークアイ達は月の精霊を探しに、獣人の住む月夜の森へ向かうつもりだった。どちらも人間の立ち入らぬ場所であるが、其処で暮らしていたケヴィンは勿論、シャルロットも森の秘密を知っているらしく、少しは頼りになりそうだった。
「ディオールには、よーせーおーっていう、エルフでいちばんえらいひとがいるんでちって。もしかしたら、おじいちゃんのびょーき、なおちてくれまちかね?」
かくある理由で、シャルロットは今回の冒険を楽しみにしていた。もっと早く気付けば良かったと、今から浮き足立ち始める。
「シャルロット、じんせーはつのさとがえりでち。どきどきでちねえ」
そう言ってにやつきながら、そわそわと室内をうろつき始めた。一方のケヴィンは、何とも言えない心持ちで机を見詰めた。室内を一周したシャルロットが、浮かない面持ちに気付き、足を止めた。
「ケヴィンしゃんも、さとがえりでちよ。うれしくありまちぇんか?」
「あんまり……今帰っても、うれしくない」
「ふくざつなんでちね」
と、彼女は仔細顔で頷いた。
「じゃ、カールしゃんに、あいにいくつもりでいけば? シャルロット、ぱぱとままにあいにいくんでち」
シャルロットは墓参りの事を指した。ケヴィンは月夜の森を飛び出したきり、カールのお墓を一度たりとも見ていない。掃除してくれるような人がいるでも無し、今頃は獣に掘り返されているかも知れなかった。荒れているであろうお墓が目に浮かび、ケヴィンは胸がざわついた。
「カールの、おはかまいり……?」
「そうしましょ。私も、カールの所に会いに行ってみたいわ」
リースも賛成した。以前この仲間達で、ジョスター王とミネルバ王妃の墓前に詣でた事があったため、お返しのつもりでもあるのだった。そうして皆ケヴィンを励ましてくれたが、今の彼は人間に与する裏切り者である。只でさえ獣人王の後継者である彼に手合わせ願いたいと思う者は多く、今回は正にお誂え向きの機会なのだった。城で共に暮らした仲間を叩きのめさねばならないと思うと、やはり森に行くのは気が進まなかった。依然気無しの様子を見、アンジェラが声を掛けた。
「しょうがないよ。私だって、ウィンテッドに行くのはいやだったもん。何だったら、ディオールのほうに行く?」
「いや、いいよ。月夜の森、オイラが一番くわしいから」
と、ケヴィンも漸く臍を固めた。アンジェラはその顔をじっと見詰め、何故かますます心配したようだった。
「つらかったら、すぐみんなに言いなさいよ。あんた、いやな事があってもガマンするんだもの」
「うん」
「それと、ケガした時も、かくさないでみんなに言いなさい。魔法だって、万能なわけじゃないんだからね」
「うん、気をつける」
ケヴィンより四つも年上のこの魔導師は、仲間の様子を良く見ているのだった。ケヴィンは良く自分の負傷を後回しにして、友達の治療を優先するのである。言い付けに耳を傾けていると、隣で聞いていたリースが片付けの手を止め、剣呑な顔でケヴィンを見た。
「気をつけるって……やっぱり隠していたの?」
「言葉のアヤだよな。だいじょうぶだよ」
ホークアイが助け舟を出してくれ、ケヴィンは何度も頷いた。彼は殊戦闘に於いてケヴィンに全幅の信頼を置いており、傷の判断や治療の優先順位をケヴィンに一任しているため、今まで何とも言わずにやって来た。リースの方も、頭では分かっているようだが、性格上心配せずにはいられない少女なので、誰かが怪我をするとあれこれ気を揉む羽目になる。それでケヴィンはますます自分の不調を隠すのだった。実際、獣人の体は無理に耐えうる頑強さを持ち合わせているから、我慢するくらいで丁度良いのだった。
相変わらず路銀に乏しい一行なので、買い物に際しては良く考えてルクを使わねばならなかった。命を守る武器と防具は優先的に用意し、次に治療の道具、余裕があればコイン等の雑品を補給するのだが、六人分の装備を揃えるだけで足が出てしまいそうだった。それでもどうにか全員の装備を整え、残ったなけなしの資金でクルミやドロップを買い、六人は二手に分かれて旅立った。