むすんでひらいて

「よし、全員いるな!」
 アルテナの春の朝、デュランはいつもの仲間達とお泊り会をして、いつものように遊びに出ようとした。昨晩は男三人と一匹、女三人に分かれて客間に泊まり、大きな食堂で朝食を食べて、また客間に戻って身支度をした。準備が出来次第、男部屋の方に集合し、さて出発という段になった。デュランは厚手の上着を着て、もはや親の顔ほど見慣れた顔ぶれを確認し、意気揚々と客間を出ようとした。
「ちょっと待って! アンジェラがまだ来ていませんよ」
「アンジェラしゃんがいまちぇんよ!」
 すると、リースとシャルロットが慌てた様子でデュランを引き留めた。ホークアイも口を開きかけたが、二人が先に喋ったものだから、何も言わない事にしたらしい。デュランはあれ、と思って、今度は数を数えながら仲間の顔を確認した。一が小さなシャルロット、二が金髪のリース、三が獣人のケヴィン、四が狼のカール、五が銀髪のホークアイである。自分を足して六で、確かに一人足りなかった。
「……ホントだ、アンジェラがいねえや」
「ちょっと!」
 デュランが呟いた途端、勢いよく客間の扉が開かれた。手でノブを掴んだまま開いたから、ばたんと大きな音を立てる事はなかったが、怒っているのは明白だった。
「ひどいじゃない! どうしてデュランが私を忘れるのよ!」
 入って来たのはアンジェラである。白いローブを着た彼女は、腰に手をやって、ぷりぷり怒りながらデュランに詰め寄った。
「ごめん」
 デュランも素直に謝った。今は平時だから良いものの、緊急時に確認をしそびれるというのは大問題である。反省しながら、真摯に謝ると、普段のアンジェラならばすぐに矛を収めてくれる。彼女は熱しやすく冷めやすいのである。しかし、今度ばかりは違うようだった。
「私、すっごいキズついた!」
 アンジェラは腕組みして、吊り目がちの瞳をますます吊り上げていた。困った事にアンジェラは、よりによってデュランに忘れられたというのがとても気に食わなかったらしい。デュランはアンジェラとずっと一緒に旅をして、苦楽を共にした仲だった。
「まあまあ、朝っぱらからケンカしなさんな……」
「あんたは黙ってて」
 ホークアイが宥めようとしたものの、アンジェラにぴしゃりと言われ、すごすごと引き下がった。彼が困ったようにリースに視線を送ると、リースも困ったように視線を返した。シャルロットは、この喧嘩が長引くと分かっているようで、ベッドに座って足をゆらゆらさせ始めていた。ケヴィンはびくびくしている。優しい性格だから、喧嘩が始まるとどうすれば良いか分からなくなってしまうのだ。デュランがそんな風に周囲を見ていると、アンジェラはますます機嫌を悪くしたらしい。またきいきいと捲し立てられるかと思ったが、アンジェラは珍しく、何も言わずに怒っていた。この状況を改めるには、デュランの方から何か言わねばならないらしい。デュランは頭をぽりぽり掻いた。何か言おうにも、言い訳するのは男らしくない。
「ごめん」
 だから、大人しく頭を下げる事にした。しかし、それでもアンジェラは黙っていた。
「デュランさんも、わざとじゃないんですよ。アンジェラがいつもそばにいてくれるから、きっとまた隣にいると思っていたんです。ね?」
 と、リースがデュランに代わって弁明した。それは多少アンジェラの気に入るものだったらしい。アンジェラは少し態度を和らげて、溜息をついた。
「……つまり、私のありがたみが分かってないってことね」
 今日のアンジェラは妙に僻みっぽい。腕組みしたまま、値踏みするようにデュランを見やって、ちょっと考えた。
「どうしたら、私のありがたみが分かるようになるかしら……」
 アンジェラも、折角仲間全員が集まったのだから、いつまでも空気を悪くしてはならないと分かっているらしい。考え込んだ様子で、解決策を模索しようとした。
「ずーっとひっついてれば?」
 と、シャルロットが頓珍漢な提案をした。
「やーよ。デュランとひっつきたくないもの」
 アンジェラはそっぽを向いてしまった。しかし、なかなか面白い提案だとも思ったらしい。微かに口元がにやけていた。
「……ひっつくのはイヤだけど、これくらいならいいかな」
 そう言って、アンジェラはまたデュランに近付いた。さっき詰め寄った距離のまま、更に詰められたから、デュランは心持ちのけぞった。後ずさろうにも、後ろにはベッドがある。その僅かな距離の中で、アンジェラはデュランに右手を差し出した。
「はい」
「……? なんだよ」
 デュランにはさっぱりだった。アンジェラは心持ちしょげた様子で、少しだけ待って、差し出した手を引っ込めようとした。周囲の仲間が一斉に息を吸って、デュランに何か言おうとした。その瞬間、デュランは天啓のような閃きを得て、アンジェラの戻しかけた手を捕まえた。アンジェラはびっくりした様子で、二人の手を見て、デュランの顔を見た。
「なんだよ、違うのか?」
「……違わないけど」
 アンジェラは嬉しいのか嬉しくないのか、俯いて、微妙な表情を浮かべていた。デュランはひとまず息をついた。妹のウェンディも、もう随分大きくなったというのに、未だに誰かと手を繋ぐのが好きなのである。それがなければ今もぽかんとして、アンジェラを怒らせるか、悲しませるかしているところだった。
「……じゃ、今日は一日このままでいましょ。そうすれば、さすがのデュランも私を忘れないでしょ」
 顔を上げたアンジェラは、忽ちにっこりして、デュランに最適なおしおきの方法を伝えた。
「一日中かよ……」
 肩を落としたデュランの右手に、ふと、ふにふにした、とても温かくて柔らかいものが巻き付いた。びっくりして隣を見やると、いつの間にやら、シャルロットもデュランと手を繋いでいた。
「あんたしゃんたちがひっついてると、またケンカするでちょ。シャルロットがみはっててあげまち」
 と、シャルロットは偉そうに胸を張るのだった。
「そりゃどーも、ありがとよ……」
 デュランはますます肩を落とした。別に、恥ずかしいとは思わない。デュランが恥ずかしいのは負ける事と、敵に背を向ける事だけである。だから手を繋いでいる事そのものは問題ないのだが、困った事がある。剣を持てないのだ。デュランが腰に帯びている、やたらとでかくて重い剣は、彼にとって命のように大切なものだった。それを抜けないというのは、何だか丸腰でいるような気分になるのだった。
「なにしてるんでちか。はやくいきまちょ」
「そうよ。せっかくの休日なんだから、いっぱい楽しまなきゃ」
 両隣から急かされて、デュランはいよいよ出発する事になった。後ろを顧みて、思い思いの表情を浮かべる仲間の顔を見た。ケヴィンはきょとんとして、リースはにこにこして、ホークアイはにやにやしていた。
「……お前達、ついてくるか?」
 デュランは一応聞いてみた。
「いいや、楽しんできなよ。オレ達はオレ達で仲良くやるからさ。なっ」
 と、二人に笑い掛けると、リースも頷いた。ケヴィンは相変わらずきょとんとしていたが、とりあえず頷いた。カールも尻尾を振った。折角六人と一匹が集まったのだから、全員で遊びたいところなのだが、こんな変な状況になってしまっては仕方ない。デュランはアンジェラに扉を開けて貰い、残雪も深いアルテナの町へ繰り出す事にした。
 城内を通りすがる途中、アルテナのマジシャン達がきゃあきゃあ言いながら、三人に色々と声を掛けてきた。デュランは意外にも、アルテナで人気者である。魔術師の多いアルテナに於いて、デュランのようなむくつけき剣士の男は珍しいらしくて、珍獣のような好奇心を以て接せられるのだった。デュランとしては、自分の男らしさを褒めて貰っているような感じで、悪い気はしない。しないが、アンジェラとシャルロットの機嫌が悪くなるから、あまり気にしないようにしていた。今日の話題は、デュランと手を繋いでいるシャルロットがかわいいという事のようである。小さくて子供のようなシャルロットも人気者で、此処ではかわいいかわいいと言ってちやほやされているが、本人は不服らしい。勿論、アルテナではアンジェラが一番人気である。その三人が手を繋いで歩いているものだから、アルテナの女の子達には格好の話題の種になるのだった。アンジェラは空いている方の手を振って、女の子達にまめに挨拶をしていた。
「なんだか、ちょっと気分がいいわね」
 アンジェラはご機嫌だった。
「でち」
 隣のシャルロットも、かなり楽しんでいるらしい。二人とも、いつもより手を大きく振って、元気良く歩みを進めていた。
「……なあ、シャルロット。悪いけど、もうちょっと背のびしてくれるか」
 城の中庭を歩いている時、デュランは言いにくいことをシャルロットに頼んだ。あまりにも身長差があるもので、手の位置が違って、かなり歩き辛いのだった。十六歳になったシャルロットは、最近ますます、自分の体が成長出来ない事を気に病んでいる。デュランも以前はシャルロットのちびを揶揄ったりしていたものの、近頃は本当に悩んでいるようだったから、あまり触れないように気遣っていた。
「……のびてまち」
 シャルロットは悔しそうにしかめっ面をして、小さく呟いた。確かに良く見ると、シャルロットは爪先立ちで歩いている。歩く内、少しずつ元気が萎んでいったのは、そのためのようだった。
「そうか」
 デュランはちょっと考えた。このままではデュランは元より、シャルロットが歩き辛い。その上、シャルロットは自分が小さい事をまざまざと見せつけられているようで、良い気分がしないだろう。デュランはふと、先程の、ひっついているという言葉を思い出した。そして、何の気なしに、シャルロットの手を離して、体を捕まえて肩に乗っけてみた。
「わわ、な、なんでちか!?」
 シャルロットは案の定じたばたしたが、非力な彼女を押さえつけるなど造作もない。肩当てに座らせるような格好にさせると、シャルロットは暫く不安定な仕草でもぞもぞ動いていたが、やがて落ち着く位置を見つけたらしい。抵抗するのも諦めて、大人しくデュランの右肩に座った。デュランは少し優越感を覚えて、ちょっとシャルロットを見上げて言った。
「今日はひっつきたいんだろ?」
「そんなことはいってまちぇん」
 むくれてそう言いながら、シャルロットはデュランの担いでいる腕にそっと手を乗せた。フォルセナでは剣術大会が近付いているため、デュランの仕事も少々忙しくなった。そのため、あまり仲間と会えなかったから、シャルロットも多少寂しく思っていたのだろう。生意気な性格だから、素直に寂しかったとは言えないのである。
「重くないの?」
 アンジェラは、隣でさっさとシャルロットが担がれたのを見て、呆気に取られていた。
「おもくないでち」
 デュランの代わりにシャルロットが答えて、三人はまた歩き出した。
 城を出ると、また雪が深く積もっていた。春とは言い条、空気はまだ冷たく湿っていて、とても麗らかとは言い難い。デュランは意外とそれを気に入っていた。フォルセナには滅多に雪が降らないから、珍しくて面白いし、冷たい冴えた空気の中で、素振りをして鍛錬に耽るのが好きなのである。煉瓦の道からは雪がどけられているものの、端っこには湿った雪が積もっているから、アンジェラにじめじめした水分を踏ませぬよう、デュランが道の端を歩いた。この小うるさい二人に鍛えられたお陰で、デュランも多少紳士的な振る舞いが身に付いたのだった。
「なーに? 機嫌よさそうじゃない」
 白い息を吐きながら、アンジェラがそう言った。いつものビスチェでは寒いから、厚手の白いローブを着ている。
「べつに」
 どうも緩んでいるような気がしたから、デュランはアンジェラから顔を背けて、表情を引き締めた。シャルロットはデュランの肩に座って、ゆらゆら足を揺らし、雲の少ない澄んだ空を見上げている。デュランはまた身長が伸びたから、シャルロットにとっては空が近くて楽しいのだろう。
「そりゃそうでちょ。りょーてにはな、でちからね。とびっきりかわいいおはなでち」
 シャルロットは寒さにほっぺたを赤くして、にまにま笑いながら言った。こちらも上着を着ているが、顔と手は冷たいのだろう。
「どうする? なんか食うか?」
 デュランは気を回して、何処か暖かい場所に入ろうかと提案した。アルテナは小洒落た町で、酒場や食堂の他、カフェと言う軽食を食べる店もある。甘いものが大好きな二人は、面倒くさがるデュランを引っ張って、しばしばその店に連れて行くのだった。
「そうね……」
 アンジェラは顎に指を当てて、嬉しそうに、少し考えた。
「……もう少し、このままでもいいんじゃない?」
 と、彼女はデュランに笑い掛けた。それは丁度、デュランも考えていた事だった。
「そうでちよ。もうすこし、あるくでち」
 シャルロットもまた嬉しそうにして、デュランの肩当てをぺちぺちと叩いた。
「……そうだな」
 デュランもそれだけ答えて、アンジェラと手を繋ぎ、シャルロットを肩に乗せて、彼女達に歩度を合わせて歩き続けた。良く晴れた空がそうさせるのか、何となく気分が良くて、いつもより仲間が身近に思える。そうして、三人は何処へ行くでもなく、何の話をするでもなく、ただ歩いた。

2019.3.29