後

 デュラン達が客間から出て行ったのを、ホークアイはにやにやしながら見送った。デュランも好かれたものである。あの三人は意地っ張りな性格をしていて、普段は憎まれ口を叩く事も多いのだが、結局はお互いの事が大好きなのだ。彼らは彼らで楽しくやるようだから、ホークアイは自分達も楽しく遊ぶ事にした。そうして残った仲間に目をやると、ケヴィンはしゃがんで、カールにお手をさせていた。勿論、ケヴィンとカールにそのつもりはない。カールはケヴィンのペットではなく、大切な親友なのだ。だから、二人は手を繋いでいるのだと、ホークアイも理解した。彼らはどうやら、出て行った三人が羨ましいようだった。
「私達も行きますか?」
 水色の上着を着たリースは、にこにこと嬉しそうにして、ホークアイに声を掛けた。何となく、リースもデュラン達を羨ましがっているのが見て取れた。ホークアイは、此処で二人を喜ばせるであろう方法を思い付いたが、ちょっと考えた。
「……ケヴィン、オレと手つなぎたいか?」
 と、ケヴィンに聞いてみる事にした。
「ウン」
 ケヴィンは素直に頷いた。ホークアイは少し困った。デュラン達は女の子が二人もいるから、三人で手を繋いでいても微笑ましい。一方こちらは男が二人なので、残念ながら手を繋いでもあまりかわいらしくない。少し工夫が必要である。ケヴィンの純真な気持ちには悪いが、ホークアイは無難な策を取る事にした。
「リースが真ん中だな」
 そう言って、リースの方に手を伸ばし、ぎゅっと握った。リースはかなりびっくりしたらしく、取られた腕を少し曲げて、自分の方へ近付けた。リースの手は、女の子らしく小さくて、指が長くて、肉刺があって少し硬い。働き者の頑張り屋の手で、ホークアイは好きだった。リースは戸惑って、最初はホークアイにただ握られているだけだったが、すぐに順応して、そっと握り返してきた。そして、カールと手を繋いでいるケヴィンに手招きした。
「ケヴィン、おいで」
「ん!」
 ケヴィンは弾んだ調子で、リースの方へ行き、手を繋いだ。ホークアイは知っているが、ケヴィンの手は柔らかい。武道の達人の手は、得てして柔らかいものなのだと聞いているが、まさしくケヴィンはその手の持ち主なのだった。
「カール、手、つなげないけど……」
 と、ケヴィンはすり寄って来たカールを見下ろした。
「気持ちはつながってるさ」
 と、ホークアイはちょっと歯の浮くような台詞を言って、先導して客間の扉を開けた。仲が良くて、ずっと一緒に旅をしていた三人だが、こうして手を繋いで歩くのは初めてだった。
 アルテナの春は寒い。もう春も半ばの時候ながら、未だに路肩には厚い雪が積み上げられている。これが溶け出して、ようやく作物の種を蒔けるくらいになってくると、もう夏が訪れているのである。砂漠生まれのホークアイには、珍しくて、羨ましくもある光景だった。これほどの雪が故郷にあれば、どれだけ空気が涼しくて、どれだけ大地が潤うのだろう。
「ケヴィン、また少し大きくなったわね」
 真ん中のリースがケヴィンに言った。ケヴィンは背が伸びた。獣人の血が混じっているから当然なのだが、会う度に大きく逞しくなっているような気がする。ホークアイは、弟分の成長を微笑ましく見守る反面、うかうかしていると自分の身長さえも抜かされそうで、少しだけ複雑な気持ちもあった。言われたケヴィンは、少し照れ臭そうにして、ほっぺたを掻いた。ケヴィンは自身の成長に対して、あまり喜んではいないらしい。仲間達はともかく、それ以外の人々がケヴィンを見て、おっかないと思わないかどうかが不安なのだ。獣人に対する偏見は、当の獣人達が思っているほど酷くはないのだが、体の大きい者はそれだけで威圧感を与えてしまうものである。ケヴィンは誰かに嫌われるのが怖いのだった。ホークアイとしては、別に誰に嫌われようが、自分の好きな人達にさえ好かれていれば十分だと思うのだが、それは飽くまでホークアイの考えである。
「私のお父様も、とても大きな方だったのよ」
 と、リースはにこにこして、懐かしそうに言うのだった。彼女にそう言われて、ケヴィンは少し安心したようだった。リースの父ジョスター王は、一騎当千の武人にして、心優しく穏やかで、誰からも好かれる名君であった。ケヴィンも父のような男性になってくれれば良いと、リースはそう思っている。それがケヴィンにとって嬉しいのだった。リースはやはり上手いな、と、ホークアイは感心した。性格からか、それとも女の子だからなのか、彼女は人の心を和ませる言葉を与える事が出来る。繊細で傷つきやすいケヴィンに対して、その細やかな心遣いは慈雨のように沁みるのだった。
「しかし、寒いな……」
 ホークアイはそう言って、白い息を吐いた。暑いのは慣れっこだが、寒いのには慣れていない。
「そうか?」
 ケヴィンは平気な顔をしていた。彼はいつもの虎斑の服を着たまま、上には何にも羽織っていない。足などは、土踏まずに包帯を巻いただけで、殆ど裸足のままである。それが冷たい煉瓦や解けかけた雪を踏んでいるものだから、見ている方が寒々とするくらいだった。
「オイラ、平気」
 他の者が寒さに震えているのを見て、ケヴィンは少し得意になっているらしい。意地を張るのではないが、敢えてその格好をしている節もあるようだった。ケヴィンもやはり男の子なのである。厚い毛皮を着たカールが、平気な顔で尻尾を振っているから、彼に負けじと元気一杯の姿を見せていた。
「カゼひかないようにね」
 リースはケヴィンの意思を尊重しているが、心配ではあるらしい。無理に着込ませるような事はしないものの、寒がっていないか注意深く様子を見ていた。ケヴィンは平然としているが、ホークアイは寒がりだし、リースもそこまで寒さに強いわけではない。そこそこに散歩を楽しんだら、一息入れる事にした。
「ちょっと歩いたら、そこのカフェで休憩しないか?」
 ホークアイがそう言うと、二人も頷いた。
「……でも、もう少し、歩きたい」
 ケヴィンはちょっと含羞みながら、そう付け足した。手を繋ぐのが楽しいのだ。ホークアイも、悪い気はしなかったから、そのまま暫くアルテナの町を歩く事にした。
 ぶらぶらと歩きながら、ホークアイは懐かしい記憶を思い出した。小さなジェシカを真ん中にして、イーグルと三人で手を繋いで歩いた光景である。もう親友はいなくなってしまったし、ジェシカも年頃になったから、こんな風に歩く事は二度とないのだろうと思っていた。こう見えて人の好き嫌いの激しいホークアイが、ナバールの同胞の他に大切に思う存在が出来るとは思ってもみなかった。自分もすっかり丸くなったものだと、自嘲するような、こそばゆい気持ちになった。悪くないものだった。
「なんだか、うれしそうですね」
 と、リースがホークアイの顔を見ながら、悪戯っぽく笑った。
「べつに」
 ホークアイはわざとそう言って、澄ました顔を取り繕ってみた。
「うれしそうだよ」
 ケヴィンもそう言って、ホークアイの方を覗き込んできた。
「そんなことないですよー、っと」
 ホークアイはふざけた調子で、ぶんぶんとリースの手を振った。揺すられながら、リースがくすくす笑った。そうしてまたぶらぶらと歩いていると、途中でデュラン達に会った。シャルロットは手を繋ぐのをやめて、デュランの肩に乗っていた。何故だかしっくりくる光景だった。顔を合わせた途端、リースはますます笑い出したし、アンジェラはにまにましていた。
「お前、何やってんだよ?」
 と、デュランが怪訝な顔をした。わざわざホークアイだけを指して言うのだった。
「君のほうこそ」
 ホークアイはそっくりそのまま返してやった。デュランが眉間に皺を寄せた。こうして互いに同じ事をしながら、ばったり顔を合わせると、何だか気恥ずかしいような気持ちになるのだった。
「いいとししたオトナが、てなんかつないじゃって……なにやってんでちか?」
 シャルロットも似たような、生意気な事を言った。
「抱っこしてもらってるあんたが言うの?」
 依然として含み笑いを浮かべながら、アンジェラが突っ込んだ。
「だっこじゃありまちぇん!」
 シャルロットはそっぽを向いたが、下りるつもりはないらしい。足をじたばたさせて、蹴られたデュランが迷惑そうにした。
「オレ達はもうちょっと歩くけど、君達はどうする?」
 今日はそこそこに人通りもあって、こうして手を繋いでいる六人組が話していると、それなりに目立っている感じがする。ホークアイは早々に話を切り上げて、デュラン達と別れる事にした。手を離す、という選択肢は無かった。
「オレ達も、もう少し歩くつもりだ。……言っとくけど、ついてくんなよ!」
 と、デュランは威嚇するように付け足した。
「はいはい」
 ホークアイは空いている手をひらひら振って、デュラン達と別れた。彼らは元来た道を戻り始めたので、ホークアイは南へ行って、カフェの方へ向かう事にした。そう遠い道のりではないから、少し話でもしながら歩いていれば、すぐに辿り着いてしまう。煉瓦造りの建物の前で、三人と一匹は立ち止まって、互いに顔を見合わせた。
「お茶にするかい?」
「そうしましょうか」
 ホークアイの提案に、リースは素直に頷いた。渋い顔をしたのはケヴィンである。このままずっと手を繋いでいたいのだ。ホークアイもそうしたいのは山々だが、実を言うと、少し手の平に汗をかいてきた。自分も気になるし、リースも気になるだろう。のんびり歩いていたから、体も冷えてきたし、この辺りが潮時だった。思い詰めた表情のケヴィンに、ホークアイは優しく声を掛けた。
「そんな顔するなって。またいつでもできるさ」
「……ほんとうか?」
 ケヴィンが顔を上げた合間に、ホークアイとリースは思い切って、手を離してしまった。
「ね、ケヴィン。おやつにしましょ」
 リースも優しく言い聞かせるように、ケヴィンに声を掛けたから、ケヴィンもいよいよ諦めて、そっと手を離して、自分の方へ引っ込めた。いかにも悲しげだった。リースは苦笑しながら、殊更に明るい態度を以て、ケヴィンの背を押してお店に連れて行った。
「いらっしゃい」
 開店したばかりのようで、中には誰もいなかった。給仕の女性は退屈そうに、窓際の席に座っていたし、店主の男性はカウンターでグラスを拭いていた。
「この子も入れていいかい?」
 と、ホークアイは店主に向かって、カールの事を尋ねてみた。アルテナに来ると良く訪れる店だから、カールを入れる許可は取っている。しかし、都合の悪い日もあるだろう。ホークアイは礼儀として、毎回許可を取る事にしていた。
「いいよ」
「ありがとう」
 ホークアイが一言礼を言い、リースも店主に一礼して、三人と一匹は奥の方へ歩いて行った。すると、給仕の女の子が譲るように席を立ったから、其処に座らせて貰う事にした。窓際の席だが、すぐ隣に大きな家が建っているため、景観が良いわけではない。暖炉が近いから、暖かいのは有り難かった。
「お兄さん、寒くないの?」
 立ち上がった給仕の子が、ケヴィンを見て目を丸くしていた。
「オイラ、平気」
 ケヴィンはまた得意な顔をした。彼の隣にはカールが来るから、ホークアイとリースが隣同士で座って、その向かいにケヴィンが座る形になった。リースが上着を脱いで、自分の膝に掛けるのを見て、ホークアイも上着を椅子の背に掛ける事にした。
「あったかいの、くれるかい」
 奥に引っ込もうとした給仕の子に、ホークアイはそう頼んだ。そうして暫く待っていると、温かいレモネードが三つと、ぬるく温めたミルクが運ばれて来た。ミルクは底の浅い器に入れられていて、カールのための飲み物だった。給仕の子は動物が好きなようで、ケヴィンに許可を取ってから、カールの頭をよしよしと撫でてくれた。カールは愛想良くして、女の子が満足するまで、ミルクに口を付けずに撫でられていた。
「乾杯」
 ホークアイがマグを掲げると、二人もマグを持ち上げて、こつんとぶつけた。三人がレモネードに口を付けると、カールも舌を出してミルクを飲み始めた。レモネードはレモンの果汁がたっぷり絞られていて、甘酸っぱい味が口に広がる。ケヴィンはレモンの輪切りを口で取って、熱でくたくたになった果肉をかじっている。少し猫舌らしいリースは、ふうふうと冷ましながら、少しずつマグを傾けていた。まだ朝食を食べたばかりだから、暫くは飲み物だけで寛ぐ事にした。
「そういえば、デュランさん達に何も言わずに来てしまいましたね。どこかで待ち合わせしないと……」
 しっかり者のリースは、そんな事を思い出して言った。
「そのうちここに来ると思うよ。オレ達が来る事は、あちらさんも分かってるだろうし」
 一度ぬくまってしまうと、外に出るのが億劫になる。ホークアイはそう言って、デュラン達を探すのを諦めた。
「そうですね」
 リースも唯々として納得し、動くのをやめた。あちらも随分楽しそうだったから、もう暫く歩いているのかもしれない。デュランは寒暖に鈍い方だから、その内アンジェラとシャルロットが寒がって、何処かに入ろうと言い出すのだろう。慣れ親しんだ仲間だから、そんな顛末もすぐに思い浮かぶのだった。
「あったかい」
 レモンを食べ終わったケヴィンが、満足そうに呟いた。
「ね」
 体温が上がって、心持ち頬が赤くなったリースが頷いた。ホークアイは何も言わなかった。わざわざ雄弁になる必要もないのだった。のんきに甘いレモネードを飲みながら、ホークアイはまた自嘲的に、平和だなあと思うのだった。暖かい場所があって、食べるに困る事もなくて、ゆるりと過ごす時間がって、大切な仲間がいる。欠けたものは何もなくて、平和だった。

2019.3.30