時織り葛折り

 レスリーが生け花を持って行くと、フリンがギュスターヴに何やら報告している場面に出会した。邪魔しないよう静かに花瓶を飾っていれば、彼女に気付いたギュスターヴが、人払いが出来ているのを確認し、手招きして来る。こうやって呼ぶ時は侍女で無いレスリーに用がある。事務的な要件が済むなり、彼は唐突に切り出した。
「ケルヴィンがマリーを気に掛けているようだな」
「みたいね」
「マリーがいる時のあいつの態度。おかしいと思ってたら、案の定だ」
 ギュスターヴは短兵急に好きかと問い質したのだった。ケルヴィンは平静に応と答えたそうだが、その内心は知れたものである。光景がまざまざ目に浮かび、二人は気の毒になってしまった。この男のことだから、聞くだけ聞いて放っておいたに違いない。放っておきながら、相手の知らぬ間に話を進めるのだ。
「ギュス様、そっとしておいてあげようよ」
 フリンが窘めた。この年になって人の色恋沙汰を一々揶揄するとも思えないが、それがギュスターヴとなると話は違って来る。レスリーにとってのケルヴィンは、昔馴染み兼、現在侍女として仕えるべき立場の人なので、主人のためやんわり話頭を転じた。
「ソフィー様に似ているせいかしらね。話していると、何だか懐かしい気がするのよ」
「俺みたいなのにも優しく話し掛けてくれるんだ。マリー様のこと、みんな大好きだよ」
 二人して、笑いながら目配せする。彼らはソフィーを良く知る数少ない人物なので、マリーが興味を抱くのも道理であった。それにしても、王女の美しさと分け隔て無い優しさは方々からの評判だった。ケルヴィンと彼女の関係と言えば、現状顔を合わせた際挨拶を交わす程度だが、誰しもが其処から何かしらの予感を抱いていた。人の勘は侮れないものである。ケルヴィンの下で働くレスリーにも、主人が内々姫君に心を傾けていることは目に見えて分かる。ギュスターヴの言い分では、マリーも少なからず好感を抱いているのだと。
「マリーは離縁したばかりで落ち込んでるだろう。だからってわけでもないが、ケルヴィンに相手になって貰おうと思うんだ」
「あなたが口下手で慰められないだけでしょう?」
 ギュスターヴが言葉に詰まった。そもそも、オートから妹姫を無理矢理連れ戻したのは他ならぬこの人だった。レスリーは、度重なる出来事にさぞや疲弊していることだから、落ち着くまで待つのが尋常だと思っている。そうではあるけれど、不器用なりに策動する兄の厚意を、きっとマリーは無下にはしないだろう。加えて相手はあのケルヴィンと、トマス卿が治めるヤーデである。其処でフリンが漸く気付いた。
「ケルヴィンとマリー様が結婚すれば? ケルヴィンだったら、マリー様も幸せになれると思うよ。ねえギュス様!」
 目を輝かせて机に身を乗り出す。相変わらず少年のようなフリンだが、普段は腕利きの諜報員として頼もしく振る舞っているので、こういう態度は慣れ親しんだ人間に限る。打って変わってすっかり老成したギュスターヴは、どうしたものかと顎を撫でた。内心浮き足立っているのは明白だった。
「そうかも知れないな。俺が横槍を入れることでも無いと思うが……」
 そう言ってレスリーを見遣る。知れたくせに後押しを得たがるのだ。
「あなたのしたいようにすれば? 私は勿論、主人の幸せを願うわよ」
 フリンも強く頷いた。それでギュスターヴの心も決まったようだった。
「そうするか。あいつには、君をハンまで連れて来て貰った義理があることだし」
「そういうことになるわね」
「あ、そうだったんだ。良かったな、レスリー」
 無邪気に笑うフリンから、レスリーは花瓶に目を側めた。どうして自分がケルヴィンに頼まれ、彼の侍女としてこちらまで追従したのか、薄々感付いてはいたが、本人から直截言われると面映ゆい。ギュスターヴは既に、妹達へのお節介に興味を移していた。
 結果、差し当たって両人が対面する機会を設け、彼らの反応如何でギュスターヴが話を取り纏めると決めた。心配するフリンに、決してマリーの意に染まないことは強いぬが、色好い返事を聞かせてやると約束した。
「ギュス様、約束だよ!」
「お前に言われなくとも上手くやる。早く行け!」
「はい! レスリー、またな」
「ええ。気を付けてね」
 彼も密かにソフィーと、その面影を宿すマリーを慕っていたのだろう。フリンは喜び勇んだ様子で、次の仕事に飛び出して行った。
 ギュスターヴは息をつき、椅子に深く凭れた。その表情がいつに無く優しげで、レスリーも顔を綻ばせる。
「良い機会だ。ケルヴィンに貸しを作れる」
「助けて貰ってばかりだものね、昔から」
「ああ。あいつには迷惑掛けたし、世話になってるんだ。出来ることなら恩を返してやりたい。……レスリー、君にも」
「私より、フリンでしょ?」
「あいつは放っておいて良い」
 忽ちつむじを曲げてしまった。傲岸不遜な外面とは裏腹、繊細で自尊心に欠くギュスターヴにとって、無条件に慕ってくれるフリンは自己肯定の権化である。矜持が彼に認めさせようとはしないのだが。何気なく矛先を逸らしたが、レスリーは最前の一言が嬉しかった。
 彼女はふと、ギュスターヴの頭に手を伸ばした。くすんだ金髪を、一房摘んで下ろして見る。いつも後ろに撫で付けていて気に留めなかったが、今では肩を過ぎるくらいの長さになっていた。もう十年も前のことになるけれど、鍛冶屋に飛び出そうとする少年を捕まえて、これを梳るソフィーの姿を見たことがあった。ギュスターヴは照れ臭そうに眉を顰め、しかし大人しく座って母君と言葉を交わしていた。今は何だか面白そうに目を細めて、ふてぶてしくなったものである。彼女は無意識に梳いていた。
「髪、伸びたわね」
「切る暇が無かった」
「そう。悪くないと思うわよ、そのままでも」
 そうか、と答えたギュスターヴは、本当に髪を伸ばすようになった。これきり何とも言わないので、レスリーの一言が切っ掛けなのかどうかは、結局分からずじまいだった。
 誰も何とも言わない。だからレスリーも考えないでいる。フリンは仲睦まじゅうする人がいても、主君に先んじてはならないからと、決して形ある関係を築かない。けれどギュスターヴは終生伴侶を作らないだろう。それは移り気でふらふらしているせいでなく、自分自身への負い目が頚木となっているのだと、彼女は薄々察していた。そう言う性格だから放って置けなくて、ずっとそばにいるのだ。姉のような母のような気持ちで、それ以上をギュスターヴが望んでいないのだから、レスリーも求めなかった。