ここはグレートアーチ。海風の心地良い南国である。ユリアンはイルカ像を探しに来たのだが、大枚叩いたにも拘らず碌な情報が得られなかった。折悪しくも、ハーマン爺さんはハリード達と組んで、宿敵マクシムスを倒した余興に何処かへ行ってしまったのだ。頼りない情報を当てにして薮蛇をつつくのも嫌だし、折角だから一行は海を楽しむことにした。
トーマスはさる旅行社と交渉すべく、ピドナから此処まで付き合ってくれた。カーソン姉妹も一緒で、今はモニカと海で遊んでいる。ユリアンが桟敷からその光景を眺めていると、宿からトーマスが出て来た。本日の営業は終わったらしい。
「どうだった?」
上々の出来だったらしく、トーマスの表情は明るかった。
「まあまあだな。良い印象は与えたみたいだ」
「トムの顔を見て、悪く思う奴はいないよ」
「そう言ってくれると有難いな。あとは、ドフォーレがどう出るかだ」
トーマスはそう呟いたが、仕事の話はもう止しにしたかったらしい。行かないのか、と海を指されるが、ユリアンは首を振った。彼はモニカから目を離さないようにしている。別に遊びたいのを我慢しているわけでは無い。商談に向かう以前、代わりにトーマスがみんなの様子を見てくれていたので、既にユリアンは草臥れるほど泳いで遊んだ後だった。濡れて髪の毛が潰れると、格好悪い上に誰だか分からなくなるから、気にして頻りにいじっていた。
三人娘は其処からやや離れたところ、岩場の方にいた。さっきまでユリアンと競争したり潜りっこしたり、さんざ運動していた筈のエレンは、引き続き元気に魚と泳いでいる。サラは水に入らず、波打ち際でちょっと触ったくらいで、それよりも生き物と戯れる方が好きらしい。モニカも同じく大人しくしてい、今は岩場に座っている。たまにエレンから海の様子を話して貰えるようで、令嬢は段々と海中に興味を寄せ始めていた。していると、エレンがまた戻って来て、彼女に声を掛けた。多分了承したのだろう。モニカは羽織を脱ぎ、ブーツに手を掛けた。ところが、途中でふと足元に目を止めた。エレンを呼ぶ。二人で見る。突如、モニカが飛び上がるように驚いて、桟敷まで駆けて来た。そのまま彼女に飛び付かれるかと思い、ユリアンも大いに狼狽えた。
「どうしました!?」
「ユリアン!」
モニカは怯えた様子で、ユリアン達の後ろに隠れてしまった。
「敵襲ですか!?」
「いえ、虫が……」
「バガーでも出たんですか?」
怪我は無いようだが、お互いあたふたして一向要領を得ない。トーマスはエレンの方を心配して、そちらに声を掛けた。
「エレン、何かあったのか?」
彼女は大して動じなかった。剣呑な顔をしながらも、置いてきぼりの羽織を取り上げ、ぱたぱた振った。小さな黒いものが落ち、岩肌を滑るように走り抜けた。モニカが肩を震わせ、ユリアンの陰に隠れる。流石のエレンもちょっと嫌な顔で、変なものが逃げた後を見下ろした。
「ただの虫みたい。げじげじみたいな気持ち悪いやつ。モニカ様のマントに登っちゃったのよ」
「船虫よ」
成り行きを見ていたサラが答えた。彼女は全く平気だ。ズボンを絡げ上着の裾を縛り、潮溜まりで茹りつつある磯巾着を引っ越しさせようと頑張っている。根気良くちょっとずつ剥がすので、姉が日射病を心配して、結局帽子を被ることで双方妥協していた。麦藁帽子が良く似合うサラだった。
モニカをトーマスに任せ、ユリアンは船虫とか言うのを見に行った。そこにはもういなかったが、サラに言われるまま岩影を覗けば、散り散りに駆け抜ける黒い集団に出くわした。蜘蛛と百足を合わせたような形で、やたらと小刻みに素早く動き、これは確かに気色悪いと納得する。天才ねずみアルジャーノンの法で、小さくてすばしこいものは何より恐ろしいのだ。特にモニカは足の多い虫を大変苦手としていた。
エレンも桟敷に帰って来て、すっかり濡れてしまった服と、筆みたくなった髪の毛を絞った。片手に自分とモニカの上着を持っている。差し出そうとして、モニカも受取ろうとしたが、どちらも途中で手を止めた。
「これ、着る?」
「いえ……」
そう言うと分かっていたらしく、エレンはマントを丸めるようにして畳み、自分の黄色い上着を差し出した。
「だったら、あたしのを着てなよ。こっちは後で洗っちゃいましょ」
「けれどエレン、あなたの着るお洋服が無くなってしまうわ」
「こんなの、無くても平気よ。だってあっついじゃない」
そこでユリアンが失敗した。自分の上着をモニカに貸そうとしたのだが、余りにエレンの行動が早すぎた。足元のそれを拾おうとした、跪いたような変な恰好で固まる。良いことに、見ていたのはトーマスだけだった。やっぱりエレンには敵わないものだと、こっそり二人で苦笑した。
黄色い上着は色が柔らかいため、モニカが着ても良く似合った。彼女に髪をタオルで拭いて貰い、エレンはくすぐったそうにしながら、妹に声を掛ける。
「サラも上がっておいで」
「うん。ちょっと待って」
サラは漸く磯巾着を救出し、再びくっ付くまで波に浚われない、かつ茹だらないような潮溜まりに移してやった。生き物が大好きな少女なので、雪だるまと別れた際ちょっと肩を落としたものの、南国の自然に触れて元気を取り戻していた。ずっと屈んでいて凝ってしまった体を、大きく伸びして解すと、小走りで姉のところに戻ってくる。
「イルカ、どうするか決まったの?」
妹に尋ねられ、エレンが仲間達の顔を見回した。全員軽く肩を竦めた。
「こうなったら、片っ端から探してみるか」
三つも四つも洞窟を教えられたのだから、虱潰しに探せば何処かに当たりがあるだろう。そんなユリアンの適当な提案は即刻却下された。
「もっと情報を集めた方がいい。罠かもしれないだろう?」
「そうよ。あたし達は平気だろうけど、モニカ様にあぶないことはさせられないでしょ」
と、トーマスとエレンに窘められ、ユリアンも思い直した。
「そうか……」
「私は大丈夫よ」
モニカはそう言い張るが、ユリアンが断固拒否する。
「駄目ですよ。サラだっているんだし、二人に怪我でもさせたら大変だ」
出奔して来た身であるが、ユリアンは引き続き護衛の役目を請け負っている。みすみす危険に突っ込むわけにはいかなかった。本人達は大丈夫だと言うけれど、サラとモニカは特に危ない場所から遠ざけたい相手だった。
暫く考えて、彼はトーマスの方を向いた。
「トムは仕事が残ってるんだよな?」
「ああ。悪いけど、暫く滞在することになりそうだ」
「それじゃ、オレ達もじっくり調べるか。トムがいなきゃ、探索も出来ないし」
商談が少なくとも両三日掛かりそうだと言うことで、その間トーマスの戦力に期待出来無いのはかなり手痛い損失になる。またフォルネウスの手勢に襲われていまいか、バンガードの人々が心配だが、此処で一行が倒れてしまっては元も子も無し。臥薪嘗胆と割り切って、その間みんなで海を楽しむことにした。