稜線麓の豆車軸

「いいかい、落とすよー」
 木の上から間延びした声が落ち、続いて赤っぽい、薄汚れたような色の木の実が降って来た。待ち構えたケヴィンが受け止める。幾つか落とした後、梢を掻き分け、ホークアイが下方を覗き込んだ。
「今、いくつ?」
「五つ」
「ちょうどだな。そんじゃオシマイっと」
 そう言いながら、彼は樹上をがさごそ騒がせ、ケヴィンの位置からは見えなくなってしまった。ざくろの実を置き、少し下がると、木の天辺から身を乗り出している姿が見える。ミスト山脈の裾野、暖かな気候に育まれたざくろの木は、仰いだ首が痛くなるほど大きく繁っていた。風が吹き、枝葉がざわめいて、ホークアイの帯と尻尾のような後ろ髪が棚引いた。
「いい眺めだな。ミスト山脈が空にとどきそうだ」
「オイラにも見せて」
「ま、待て、バカ! 折れる!」
 ケヴィンが枝に手を掛けた途端、ホークアイが泡を食って飛び降りた。棘のような小枝を体で折り払いつつ、代わりにケヴィンが天辺を取った。天高い秋の空に、截然たる山々は雲を突き通すように連なっており、空気が一層澄んでいそうで、あの山の上で遠吠えしたらさぞ気持ちが良いのだろうな、と考える。南の反対側にはフォルセナの長い城壁が連なっており、此処まで離れて漸く端から端が一望できるくらいだった。手近にあった、熟して弾けたざくろが美味しそうだったので、一つもぎ、満足して降りると、ホークアイは服に付いた葉っぱを払っている所だった。していると顔をしかめて、肩の辺りに手をやる。
「いてててて……ザクロの木ってトゲトゲなんだな」
「だいじょうぶ?」
「ああ。ケヴィンは?」
「オイラ、平気」
「ならいいんだけどさ。オレなんかほら、こんなあとがついちゃったよ」
 と、ホークアイは腕に付いた白い跡を見せて来た。葉っぱを粗方落としきると、続いて腰のナイフを抜き、軽い手付きで木の実を一刀両断する。中の粒々が割れて果汁が滴るような事も無く、見事に二つに分かれていた。食べるのも器用で、零さずに少しずつかじっている。ケヴィンはお構い無しにかぶり付き、赤い胴着の襟ぐりがますます赤く染まった。そうして食べている内、皮から剥がれた粒が一つ、襟の中に転がり込んでしまった。
「げげ、服の中入っちまった……」
「ゆっくり食べなって」
 ざくろの粒は果汁が多いせいか、肌に貼り付いてしまってなかなか出て来ない。帯を緩め、胴着の裾を摘まんで散々はたいた挙句、赤い粒々は漸く地面に落ちた。それでも懲りずにむしゃむしゃ貪るケヴィンに、ホークアイは笑って肩を竦めた。
「ザクロもいけるね」
「うん」
「フォルセナって、ほんとに色んなものが生えてるんだな。よりどりみどりだ」
 一昨日はデュランと三人でりんごを食べ、昨日は市場でぶどうと洋梨を買って来た。ケヴィンとホークアイは果物が好きなので、しばしば探検に出ては、仲間のために美味しい木の実を持って帰って来るのだった。
「春はイチゴがおいしいんだって。デュラン、言ってた」
「イチゴか。春になるのが楽しみだな」
 其処でざくろを平らげてしまい、二人は枝をちょっと引っぱって、熟して皮の裂けたものをもぎとった。お代わりを食べつつ、周囲の低木のあわいから、ケヴィンはさっき見た大きな山を仰ぎ見た。
「あの山、登ってみたいな」
「行ってみるかい? そんなに遠くないみたいだし」
 と、ホークアイも目元に手をやって眺めた。そして二人はざくろをかじりながら、山登りの計画を立て始めた。今でも魔物がいないわけでは無いから、武器を携え、まんまるドロップやぱっくんチョコを買い溜めし、擦り傷に塗るポトの油を買って来るのだが、魔力が無くなってしまった分以前よりも数が余計に要るかも知れない。ついこの間まで当たり前のように行っていた身支度であるが、わくわくするような気持ちは今も相変わらずだった。
「じゃあ、デュランもさそって、みんなで行こう」
「そうしようか。……だけどあいつ、そんなヒマあるのかな?」
 直情径行の傭兵は、只でさえ皆が一緒に遊ぼうと誘っている所なのに、昨日からますますしゃかりきになって頑張り始めたのだった。恐らく自分が約束を持ち掛けたせいなのだが、アンジェラに知られたら怒られてしまうから、ケヴィンはその事を黙っている。こっそりホークアイにだけ相談すると、彼はにやにや笑い出した。
「そういう事か。そりゃ、デュランもがんばっちゃうワケだ」
「ごめん、オイラのせいで……」
「ケヴィンのせいじゃないさ。デュランががんばってるのは、たぶんアンジェラのためでもあるんだよ」
「う……?」
 ケヴィンにはさっぱり意味が分からず、首を捻る。
「……でも、アンジェラ、怒ってるのに?」
「複雑なオトシゴロってやつだね。ほんと、いじっぱりは損だよな」
 ホークアイは訳知り顔で頷き、ざくろの皮を遠くに投げ捨てた。そして上着の懐を漁ると、大きな四角い布切れを出し、振るって大きく広げた。其処に、先程取ったざくろをくるんで仕舞い、端をしっかり結び合わせると、ネコ族が背負っているような袋の形になった。
「これでよし、と」
「オイラ、みんなに渡してくるよ」
「頼むよ。そんじゃ、オレはもうちょっとだけ、そのへんの見回りでもしてこようかな」
 其処で二人は一旦別れた。ケヴィンがざくろを食べ切り、殻をその辺に捨てた間に、忍者の少年は姿を消していた。林の間に入ってしまったらしい。ケヴィンも汚れた口を拭い、カールを探して歩き出した。
 草原は所々緩い窪地になっていて、その凹みに花々が流し込まれたように息づいており、絨毯みたいで綺麗なものだった。ケヴィンが近くを歩いていると、白詰草畑の真ん中で、カールが丸くなっているのを見付けた。間に桃色の塊が見えるから、シャルロットも一緒にいるらしい。彼女は毛皮にすっぽりと包まれながら、カールの首を枕に、気持ち良さそうに昼寝を取っていた。二人の邪魔をしないよう、ケヴィンは足音を忍ばせてそっと近付き、ざくろだけ置いて遠くへ行こうとした。したら、シャルロットがむにゃむにゃ言いながら目を擦った。ケヴィンが思わず飛びずさる。シャルロットは真っ白なハンカチを取り出し、口元のよだれを拭いてから、硬直した仲間の姿に気が付いた。寝起きの半眼でじっと見詰める。
「あんたしゃん、なにびびってんでちか」
「……お、おれ、べつに……」
「もしかして、シャルロットのかおに、らくがきしようとしたんじゃありまちぇんよね?」
「ち、ちがう……」
「ほんとでちか? そんなら、いいんでちけど」
 と、大きな欠伸をする。ケヴィンはどぎまぎする心臓を押さえながら、カールを起こさないよう、静かにそばへ膝を突いた。
「シャルロット、いきなり起きて、びっくりした……」
「しんぱいしなくても、シャルロットはとってくいやしまちぇんよ。アンジェラしゃんは、ひっぱたくかも、わかんないけろ〜……」
 そう言って、シャルロットはまた欠伸をし、良く寝たとばかり大きく伸びをした。狼の尻尾から足がはみ出し、また引っ込んで毛皮に埋もれた。丁度その時カールも起きて、思い切り口を開けた。先程まで仲間達にしこたま遊んで貰ったため、彼はくたびれており、まだ眠たそうだった。シャルロットがにこにこしながら、その鼻筋を指先で撫でた。
「カールも、おはようさんでち。あくびはおててでかくさなくちゃ、いけまちぇんよ」
 シャルロットは額の辺りと、帽子の二股それぞれに白詰草の冠を被っており、輪投げの的にでもされたようだった。ケヴィンの視線に気付くと、得意げに冠へ手を添える。
「いいでちょ。アンジェラしゃんと、リースしゃんがつくってくれたんでち」
「うん、きれいだね」
「でちょ! あんたしゃんも、そのどーぎ、なかなかにあってまちよ」
 と、朱雀の胴着を褒めてくれた。いつもの服は洗濯してしまったので、代わりにこれを着ているのだった。ケヴィンも胴着を見下ろし、胸元をちょっと引っ張った。
「でも、ザクロの粒、入っちまうんだ」
「ざくろ?」
 首を傾げつつ、シャルロットは胴着をじっと見ていたが、不意に真面目な顔付きになった。
「あ。あんたしゃん、くびんとこ、べとべとでち。ちょっとこっちきて」
 そう言って手招きされ、ケヴィンは彼女に近付いた。シャルロットは身を乗り出し、短い腕を精一杯伸ばして、ハンカチでざくろの汁を拭いてくれた。綺麗になると、先輩風を吹かしてご満悦らしく、にっこり笑う。
「ありがとう」
「どういたちまちて」
「ところで、草、集まったのか?」
 ケヴィンが尋ねると、彼女は毛皮からもう片方の腕を抜き、傍らの籠を指差した。細長い枝に青い花が点々と付いたようなのとか、もっと小さい枝とか、幅広の艶々した葉っぱとかが山ほど詰まっている。籠の中身を覗き込んでいると、つんつんした香りが鼻を衝き、ケヴィンはちょっとたじろいだ。
「どちたの?」
 シャルロットが不思議そうにした。
「オイラ、このニオイ、ニガテ……」
「ろーずまりー、キライなんでちか?」
「そういうの、ニガテだ」
「ふーん。まあ、このみはひとそれぞれでちよね。シャルロットはだいすきでち」
 そう言って、シャルロットはカールから降り、籠からローズマリーの枝を取り出した。うっとりと香りを楽しんでから、カールに向かって差し出す。カールはふんふんと鼻を近付けた後、枝をぺろりと舐めた。平気なようだった。かなりきつい香りの筈で、ケヴィンは心配になってしまった。
「……もしかして、カール、鼻悪いのかな?」
「なんで?」
「狩り、ヘタだし……。獲物のニオイがわかんないのかも」
「カールはやさしいから、かりがきらいなんじゃありまちぇんか? あんたしゃんも、いつもは、かりなんてしないんでちょ」
「うん……」
 性格の問題なら良いが、カールは生き物の匂いにさほど興味を示さないのだった。狩りの練習をしている時も、獣人のケヴィンに分かる匂いさえ、要領を得ない顔で辺りをうろついてしまう。あまつさえ、ケヴィンが獲物を見付けてやっても、遊びか何かだと思っているようで、軽く追いかけるだけですぐにやめてしまうのだった。この問題は狩りだけに留まらず、外敵の襲撃から逃れる時にも不利になってしまい、森の獣としては致命的である。そのカールと言えば、兄弟分の思い悩んだ表情を見、都合が悪いのは知っており、目を瞑って聞かない振りをしていた。
「そんなにしんぱいしなくても、だいじょうぶでちって。かりなんかしなくたって、ごはんはたべられまち」
「で、でもサ、もしオイラが動けなくなったら、カール食いっぱぐれちまう」
「だいじょうぶ。もしケヴィンしゃんがだめになったら、シャルロットがめんどうみてあげまちから! あんしんして、だめになりなしゃい」
 と、シャルロットは胸を張った。頼もしい言葉を聞くや否や、カールは鼻を鳴らして彼女に甘え出した。それがケヴィンにはいやに情け無く思えてしまい、いよいよしかつめらしい顔で、眉間に皺を寄せた。
「……カール。おまえ、ほこり高きウルフって事、忘れてないか?」
 カールが耳を伏せった。恐る恐るケヴィンの方を見て、また目を逸らす。ケヴィンは彼を叱った事が無く、しょんぼりした表情を見ただけで可哀想になってしまったが、心を鬼にしてじっと睨め付けた。其処へ、シャルロットがカールを庇うように、上から抱き付いた。
「あんたしゃん、いったいカールのなにがふまんなんでちか? やさしくて、しずかで、いいオトモダチじゃありまちぇんか」
「そうだけど……でも、カールはウルフなんだ。しっかりしなきゃダメ」
「むずかしいことをいいまちね……。わんちゃんにそんなこといっても、わかんないんじゃありまちぇん?」
「犬じゃない、ウルフ!」
 覆い被さるシャルロットを一蹴し、ケヴィンはその下からカールを無理矢理引っ張り出した。カールは伏せの格好で懸命に頑張ろうとしたが、獣人の力に敵う筈も無く、敢え無く引き摺られてしまう。おんぶばったのように、シャルロットが背中にひっ付いて来た。
「なにすんでちか!」
「おせっきょうするんだ! カール、来い!」
「ぎゃー、ひとさらいだぁ! だれかたちけて〜!!」
 きんきん声が山に木霊した。思わずケヴィンもぎょっとして、辺りを見回してみたが、誰も聞いてはいなかったようである。こうなったらもう必死で、何とかしてシャルロットを振り払い、ざくろの包みを引ったくり、白詰草を蹴散らしながら、カールを抱いてとっとと逃げた。シャルロットはまだぷんすか喚いていた。
 カールは普通の狼と違い、生まれてこの方群れの中で暮らした事が無い。だからこそ、ケヴィンが狩りの仕方やねぐらの見付け方を教えてやり、一匹狼でも生きて行けるようにしてやらねばならないのだった。もしケヴィンがそばにいてやれない時は、最悪ウェンデルやビースト城のお世話になれば良いのだろうが、彼はカールにそんな腑抜けた狼になって欲しくなかった。大切なトモダチであるが、ちびの頃からあれこれと世話を焼いて来たので、ケヴィンが親代わりのような側面も持っているのだった。
 フォルセナの傭兵が辺りを巡回しているため、周囲に魔物の影は見当たらない。お陰でシャルロット一人を放っておいても心配はいらず、ケヴィンはずかずかと花畑から遠ざかった。シャルロットがむくれるのはいつもの事だし、ざくろを食べれば忽ち機嫌を直すだろう。片手にざくろの包みをぶら下げ、獲物を仕留めたような格好でカールを肩に担いで行くと、アンジェラがこちらにやって来るのが見えた。遠目の木陰にはリースも見え、何本か固まって生えている内の一つに寄り掛かっている。アンジェラは頻繁に後ろを顧みていたが、やがてケヴィンの姿に気付き、小走りで寄って来た。心配そうに眉を顰めて、カールの顔を見上げる。
「何か、悲鳴が聞こえたんだけど……。あんた、いじめてないでしょうね?」
「いじめてない。おせっきょうするんだ」
「ほんとに? ……ま、ケヴィンがそんな事するわけないか」
 そう言ってアンジェラは手を伸ばし、カールの伏せった耳を立てようとした。カールは哀れっぽく鼻声を出したきり、すっかり無抵抗で脱力している。彼女は厚ぼったい耳を引っくり返そうとしたり、短い毛を撫でて遊び始めた。
「何だか知らないけど、お説教はほどほどにしなさいよ。カールも反省してるみたいだし」
 カールいじりをやめ、手を引っ込めると、彼女は手元に薔薇の花を持っていた。ケヴィンが目を丸くする。アンジェラはふふんと笑って、花弁を千切ると、それも薔薇の一輪に変えてしまった。ケヴィンの目にすら留まらぬ早業だった。
「アンジェラ、すごいな。どうやったの?」
「ヒミツ! ヒマつぶしに練習したんだ」
 私もマジシャンの端くれなんだからと、得意げに胸を張るも、アンジェラはすぐに花を捨ててしまった。不服そうに腰へ手をやる。
「そう、ヒマつぶしよ! せっかくみんなが来たって言うのに、デュランてば、ぜんぜん遊んでくれないんだもん。ウェンディちゃんは学校行っちゃうし、つまんない!」
 ケヴィンはそう言われて、今朝出会ったデュランの姿を思い返した。約束は守るからな、とケヴィンに向かって拳を突き出し、威勢良く仕事に出掛けて行ったのである。ホークアイはあんな事を言っていたが、やはり彼は約束のために頑張っているのだった。原因が自分にあると言う事がアンジェラにばれた時の事態を想像すると、ケヴィンは血の気が引いて来て、取り敢えず話を逸らした。
「これ、ザクロ。たべて」
 と、包みを差し出す。つむじを曲げていたアンジェラだが、一転して嬉しそうに受け取り、中から木の実を一つ取り出した。そして緩んだ包みの口を縛り直し、ケヴィンに返した。
「ありがとう。これ、おいしいんだよね」
 以前旅をしていた頃、デュランとシャルロットとで一緒に食べた事があったらしい。そうして件の名前が出、彼女は少し眉を曇らせた。
「デュランがいたら、いっしょに食べられるのになあ……。ケヴィンと約束したからって、そんなにがんばらなくてもいいのにね」
「……アンジェラ、知ってた?」
 ケヴィンは嫌な汗が出た。しかし想像に反し、アンジェラは特段気にした様子も無い。
「うん。だって、デュランが自慢してたもの」
 一昨日の夕方、傭兵は帰宅してアンジェラと顔を合わせるや否や、ケヴィンと男の約束を交わしたのだと、喜び勇んで彼女に報告したらしい。それほどまでにデュランの大きな励みとなったわけだが、彼の働き過ぎに拍車を掛ける事にも繋がったのである。申し訳無く思い、ケヴィンは頭を下げた。
「ごめん、オイラのせいだ……」
「あやまらなくていいよ。おかげで、デュランも元気出したみたい」
 確かにちょっとは心配だけどと、アンジェラはフォルセナ城の方を見やった。詰まるところ、彼女はデュランの意思を尊重しており、彼の努力を無理矢理やめさせるような真似はしないのだった。
「それより、カールをおろしてあげなよ。ぐったりしてるよ」
 ケヴィンがカールを揺すり上げた拍子、彼女はふと気付いて言った。カールはもはやぴくりともせず、悲しそうな泣き声すら聞こえなくなってしまい、ケヴィンはいい加減で放してやった。恐る恐ると言った体で、カールはこちらの顔色を盗み見ながら、大人しく隣へ座った。如何にも悄然とした様子に、アンジェラが苦笑しながら、その頭を撫でた。
「あんたがカールに怒るなんて、めずらしいじゃない。どうしたの?」
「カール、ウルフの誇り、ない……。このままじゃ、りっぱなウルフ、なれない」
 ケヴィンもしょんぼりして答えると、アンジェラは少し真面目な顔付きになった。
「……でもさ、いくらがんばっても、ムリな事はあるものよ。そんなのでケヴィンにきらわれたんじゃ、カールがかわいそうじゃない」
 彼女は自分の境遇を思い出したようだった。母親から顧みられなかったのは、自分が全く魔法を使えず、王族らしくないせいだと、アンジェラは長い間ずっと思い悩んでいたのである。実際の所はそうで無かったらしいが、彼女は他の誰かが同じ辛さを味わって欲しくないと考えている。ケヴィンも何と無くその気持ちが分かり、俯いてカールを見詰めた。
「そうだね。オイラまちがってた……」
「だってさ。よかったね、カール」
 と、アンジェラはにっこりして、カールの首をくすぐった。カールも嬉しそうに尻尾を振った。彼女は満足気な顔で、花畑の方に行き掛けたが、不意にケヴィンを顧みて言った。
「あ、そうだ。向こうの森にビーが巣を作ってるから、近づいたらあぶないんだって。気をつけてね」
「分かった」
 彼女の指差した方を目で追うと、山裾に密集した林のそばで、ちびっこのような傭兵達が話し合っている姿が見えた。草原からはかなり離れているから、此処で遊んでいる分には問題無さそうだった。アンジェラはシャルロットの相手をしに行くそうなので、ケヴィンはリースの所へ向かって歩いた。カールについては、先程の事を謝って仲直りをした。アンジェラの言う通り、説教をしてもカールの誇りが取り戻せるわけでは無いし、それよりも仲良く一緒に過ごす方がずっと大事なのである。そもそも、狩りに際してケヴィンは獲物を生け捕りにし、カールに見せたらすぐに逃がしている。彼も殺生が嫌いな性格の上、自分で捌いて食べるような事もしないので、仕留めてしまうと可哀想なのである。それがカールにとって遊んでいるように見えるのかも知れず、狩りが下手なのはケヴィンの教え方に起因しているのだとも考えられた。カールは尻尾を振りながら足に擦り寄って来、ケヴィンの歩みを遮るように蛇行した。
 木立の下で、リースもすやすやと眠っていた。幹に深く凭れ、心持ち首を傾げるような格好で微睡んでいる。面倒見が良くて、ケヴィンに対しては姉のような態度で接してくれる人なのだが、こうしていると何と無くあどけなく見えた。ケヴィンはさっきの伝で、静かに近付き、ざくろを置いて立ち去ろうとしたが、アマゾネスには敵わなかった。リースは即座に目を覚まし、槍を片手にはっしと掴んだが、相手を見るなり慌てて取り落とした。
「ごめんなさい、あなただったのね」
「ご、ごめん、オイラ……」
「ごめんね、そんなに驚かないで……」
 害意が無いのを示そうと、彼女は両手を広げて見せる。それから、傍らの地面をぽんぽんと叩いた。
「こっちに来て、一緒に座りましょ。カールも、おいで」
 ケヴィンはちょっと躊躇ったが、結局誘いに乗る事にした。未だにばくばく言っている心臓を押さえつつ、カールと並んで、木立の陰に腰を下ろす。その間、リースはカールの毛並みを撫でて整え、ケヴィンが落ち付くまで待っていてくれた。木陰は三人並ぶとちょっと狭かった。
「リース、寝てるの、めずらしいね」
「そう? さっきまで、アンジェラに相談に乗ってもらっていたんだけど……」
「何の?」
「国の事とか、弟の事とか。……たくさん話したら、ちょっと気が抜けちゃったみたい」
 リースは照れくさそうに微笑んだ。同じく王女の立場にあり、彼女より少し年上のアンジェラは、リースの良き相談相手になっているそうだった。其処で、ケヴィンはふとざくろの事を思い出し、包みから一つ取り出した。
「これ、ザクロ」
「ありがとう」
 手から手に渡される木の実を、間に入ったカールがくんくんと嗅ぐ。受け取ったは良いが、リースはざくろを見詰めたまま、暫く不思議そうにしていた。
「……あのー、これって、どうやって食べればいいの?」
「ああ、見てて」
 ケヴィンは自分のざくろを取り出し、尖った部分に指を突っ込んで、二つに割り開いて見せた。艶やかな、赤い歯のような実が幾つも顔を出す。リースが感嘆の声を上げた。
「きれいね。宝石みたい」
「この赤いの、食べるんだよ」
「そうなんだ。どうもありがとう」
 彼女は女神に祈りを捧げると、短刀を抜き、端に切れ目を入れてから割った。始めの内は一粒ずつ千切って口に運んでいたが、例の如くかぶり付いて根こそぎ平らげるケヴィンを見、そうして食べるものなのかとばかり、思い切って果肉をかじり始めた。そうして食べる方が、果汁が口一杯に広がって瑞々しく感じるのだった。カールも一粒貰ったが、やはり好きでは無いらしく、舐めただけで終わりにしてしまった。ホークアイは上手い事選んでくれたようで、完熟して未だ実の弾けていない、甘くて美味しいものばかりだった。
 食べ終わると、リースはハンカチを取り出して手を拭いた。白地に青い刺繍の、シャルロットが持っていたのと同じ模様である。綺麗になると、今度は膝に置いていた花冠の作り差しを取り、作業の続きを始めた。そばに置かれた白詰草の花束から、一つ取り、茎を器用に編み込んで行く。曲げられて傷付いた花の茎から、ほのかに草の香りがした。ケヴィンは隣で足を伸ばし、膝にカールの頭を乗っけられながら、繊細な手の仕草を見ていた。
「カール、大きくなったよね」
 と、リースがカールの方を見た。座っている二人と、カールの目線は丁度同じくらいにある。
「でも、ウルフだと、まだ小さいほう」
「……そう言えば、そうだった気がするわ」
 狼の狼たる姿を思い出したらしく、彼女はやや苦い顔をした。この仲間達は以前月夜の森にて、ウルフや獣人に痛い目に遭わされた記憶があった。ケヴィンは故郷を庇うように、口早に弁解した。
「月夜の森、いつもはいいところなんだよ」
「ええ、わかってるわ。今は明るくなったのよね」
「うん」
 月のマナストーンが無くなり、常に夜だった森にも日の光が差すようになった。ケヴィンの大好きな場所が、朝の匂いや夕暮れの色彩でますます美しくなり、友達にも是非見て貰いたいと思っている。リースも遊びに来てくれれば良いなと考えていると、彼女がもうすぐローラントに帰る事を思い出した。
「……リース、帰っちゃうの、さびしい」
「そうね……でも、またいつでも会えるから」
「オイラ、ローラント、遊びに行くよ」
「ええ。山登りがちょっと大変だけど、ケヴィンはだいじょうぶ?」
「オイラ、山登り好きだよ」
「それならよかった。カールも、おさんぽは好きなのね」
 と、見上げて来た頭を撫でた。カールが耳を掻こうとするのを、毛が飛び散らぬよう、ケヴィンが代わりに掻いてやる。丁度その時花輪が完成し、リースは狼の鼻先からそっと通して、首輪のように被せてやった。首が太いから胴まで落ちず、中程で引っ掛かる。カールはきょとんとした顔で首を傾げ、お愛想に尻尾を振った。
「気に入ってくれた?」
 と、リースが聞いたので、ケヴィンが代わりに答えた。
「うん。ちょっとくすぐったいって」
 かわいいと喜ぶリースの気持ちを汲んでか、カールは暫くそのままの格好でいた。仲間達は皆カールを温かく受け入れ、友達として親しく接してくれる。それがケヴィンには自分の事のように嬉しいのだった。
 ホークアイが戻って来た。山麓の、木々が密集した方を指す。先程より兵隊の行き来が盛んで、豆粒のような数人が森に集まって談判しているのが見えた。
「向こうの森で、ビーが巣を作ってるみたいだよ。近づかないようにね」
「シャルロット達、だいじょうぶかしら?」
 リースが身を起こし、花畑の方を眺めやった。
「あそこはだいじょうぶだよ。傭兵さんも見回ってる事だし」
 ビーは普通の蜂より大きい分、作る巣も巨大なものになる。だから廃屋や洞窟の中に営巣するのだが、その場所が分からず、傭兵達は探し回っていたそうだった。其処へ、傭兵の中に知った顔がいないかと、ホークアイが様子を見に行った。デュランの姿は見当たらなかったものの、ついでだからと探索を手伝ってやり、山間の小さな洞穴に巣があるのを発見したのだった。人家や放牧地に近ければ潰す事も考えねばならない所だが、幸い林の中に隠れているので、そのままにするつもりらしい。魔物とは言え、自然のものは自然にしておくのが一番だった。そんな経緯を話し、ホークアイはカールの鼻先に手を出した。首を伸ばし、濡れた鼻をくっ付けて来た狼の頭を、荒く撫で擦る。
「カールは無事のようだな。シャルロットが探してたぜ、君の事」
「……シャルロット、まだ怒ってる?」
 ケヴィンが聞くと、彼は笑顔で首を振った。
「ご心配なく。アンジェラのおかげで、すぐにごきげんを直してくれたよ。探険もつきあってくれるってさ」
「探険って、どこかに行くんですか?」
 リースが首を傾げた。ホークアイも一瞬間の抜けた顔をし、ケヴィンを見る。
「アレ? ケヴィン、おまえまだ話してなかったの?」
「……忘れてた」
 不思議そうなリースに軽く手を振り、ホークアイは彼女の隣に座った。幹からはすっかりはみ出してい、寄り掛かる余地は無かったが、日陰にはありつけた。そして先程ケヴィンと話していた登山の件を持ち出すと、勿論リースは賛成してくれた。アンジェラも乗り気だったそうだから、全員一緒に行ける事になった。ホークアイはざくろの袋をもう一つ持って来ており、皆にお代わりを渡そうとした。包みを開く際、ふとリースが気付いて言った。
「ホークアイ、ケガしてますよ」
「ん? ……ああ、ほんとだ」
 と、ホークアイは事も無げに返した。巣のそばをうろついた時、怒ったレディビーに真空波動槍を食らったらしい。すんでの所でかわしたつもりが、掠ったようで、肘の辺りが赤く擦り剥けていた。彼は腕輪をずらして隠そうとしたが、擦れて痛かったらしく、やめた。
「オイラ、治す……」
 ケヴィンはそう言い掛けて、魔法が使えなかった事を思い出した。心持ち肩を落とした彼に、ホークアイが声を掛けた。
「すぐ治るよ。血が出てるわけじゃないんだし」
 と、擦り傷を全く意に介した様子も無かったが、リースに注意され、応急処置としてポトの油を塗り付けた。道具を使っても、以前のように傷が忽ち消えるような事は無く、ケヴィンはもどかしい気持ちで見ていた。
「魔法の力に慣れちゃうと、こういう時に不便よね」
 ケヴィンの胸裡を酌んでか、リースが言った。
「オイラ、変身の力いらないから、回復魔法が残ってほしかったな」
 世界からマナが消え去った事で、魔法や魔法生物などは消滅したが、一方で存続したものも多かった。獣人の変身能力、とかげやドラゴンの吐くブレス、魔族の呪術や必殺技などである。意外と世界はそう変わらなかったのだが、ケヴィンにとっては最も身近で便利な能力が無くなったので、少し不満だった。
「でも、回復魔法がいらなくなるぐらい、平和な世界になったって事なのよね」
「そうだね」
 リースがそう言ったので、ケヴィンも頷いた。治療が出来なくなった代わり、怪我を負うような機会も減った。それだけ争いが無くなったと言う事だった。魔物も以前よりずっと大人しくなり、荷物が安全に流通するようになった。この平穏な暮らしを誰もが享受しており、戦いを生業とするデュランやリースも、実践に身を置くよりは、平和な世界で訓練や演習に励んでいる方が幸せなのだった。
 カールが大きな欠伸をしたので、つられてケヴィンも欠伸をし、他の二人も口を押さえた。三人でのんびりとお喋りをしていると、ふと思い出したホークアイが、袋からざくろを取り出し、ナイフで切って二人に渡した。そして先程の伝で、皆で果肉にかぶり付いて食べ始めた。
「今日のごはん、どうします?」
「デュランのおばさんが食べさせてくれるってさ」
 リースが聞き、ホークアイが答えた。
「ほんとう? オイラ、おばさんのごはん、好き」
「おいしいよな」
「ええ、ほんとに」
 昨日の夕飯を思い出し、皆でにやついた。五人の仲間達はかなり特殊な環境で育っているので、ごく普通のデュランの家が珍しく、何と無く温かく感じられる。人嫌いのケヴィンも、ステラおばさんやウェンディなら平気で話せた。カールも美味しい肉料理を思い出し、草の上で尻尾を動かした。リースも嬉しそうににこにこしたが、彼女には別の心配事があった。
「でも、いただいてばっかりで悪い気がするわ。何かお礼を持っていきましょ」
「これは?」
 ケヴィンがざくろを指した。これなら山ほどお土産に出来る。しかし、リースの反応は芳しく無く、言い辛そうに答えた。
「……もうちょっと、ちゃんとしたものにしません?」
「おいしいのになあ」
 ホークアイもケヴィンに味方したが、果物は此処の所毎日持っていっているので、結句無難にケーキやパイを持って行く事にした。何を選ぶかについては、アンジェラやリースの方が良く知っているから、お金は皆で折半し、買うものは彼女らに任せる事にした。そんな話をしながらざくろを食べていると、またしても粒が襟の中に入ってしまい、ケヴィンは慌てて胴着を覗き込んだ。

2014.11.7