後
父親にえらそうなことを言った手前、アルスは男らしくけじめを付けることにした。そうと決まれば行動は早い。明くる日の朝にマリベルを呼び出し、屋敷の前で、怪訝そうにしている相手に切り出そうとした。
「マリベル……」
「まって!」
と、マリベルが平手を突き出して来て、アルスは思わず口を噤んだ。
「あんたのことだから、どうせロクでもない話でしょ? その前に、あたしのおねがいを聞いてちょうだい」
マリベルは不機嫌そうな顔をして、そう言うのだった。彼女がそんな顔をしている時は、大事な話だとか、言い難い話だとかをする時である。流されやすい性格のアルスは、自分の話は後でも良いかと、此処でも妥協してしまった。
「おねがいって、何?」
尋ねると、マリベルは少し俯き、スカートをいじくり始めた。
「……ヒマでしょ? 今日一日、あたしにつきあってほしいのよ」
「別にいいけど……どうして?」
「あたしに言わせる気?」
マリベルはむっとしたが、アルスがさっぱり分からなかったので、いやいやながら正解を教えてくれた。
「……デートよ、デートっ。あたしとデートしなさい」
そう言って、マリベルはまた俯いてしまった。頬がちょっと赤くなっているので、照れているらしい。アルスは面食らった。アルスとマリベルを指して、まさかデートなどと言う言葉が出て来るとは思わなかったのである。ぽかんとしたアルスの体を、マリベルはくるりと回して反転させ、軽く背中を押して来た。
「ほら、そんなかっこうで行くつもり? 着がえてきなさいよ」
そうしてマリベルに追い返されたアルスは、大人しく家へ帰った。帰宅しておきながら、ボルカノに首尾良き返事が出来ないのが情けなかったが、マリベルに追い返されましたと言うのはもっと情けなかったので、両親には何も言わずに二階へ行った。しかして、アルスは鏡も何も無い部屋で、自分の装備を全部引っ張り出して検めた。アルスとして最も格好良いと思うのは、全身を防具で固めた鎧姿である。しかし、鎧でデートに行くべきでは無いと言うことは、ぼんやりのアルスも承知していた。マリベルの好みは貴族風の出で立ちだが、アルスがそんな格好をしたらただの間抜けに見えるだろう。どうしようか散々迷った挙句、海賊の服を着て行くことにした。マリベルから、あんたにしては似合うじゃないと、珍しく褒められた装いだった。キャプテンハットも合わせようかと思ったが、却って格好悪い気がしたので、やめた。いつもの帽子は脱ぎ、普段は襟元をだらしなく開けているアルスも、今日はきちんと襟を正して、改めてアミット邸にマリベルを迎えに行った。
「おまたせ」
マリベルは魔法の法衣を着ていた。桃色でふわふわの、可愛らしいやつである。アルスはマリベルをいつも通りだと思ったが、相手はアルスの出で立ちを見て、思わず噴き出した。
「かいぞくの服ぅ? デートに何着てるのよ」
そうは言ったものの、マリベルは嬉しそうにして、アルスの隣に立った。
「……でも、あんたに似合う服なんて、それくらいだもんね。行きましょ!」
と、アルスに腕を絡めて来た。手を繋いだりしたことは何度もあるが、こんな風に腕を組んだことは無い。アルスはちょっと照れながら、マリベルに乞われるまま、マーディラスに向かってルーラを唱えた。
マーディラスに向かって何をするかと言うと、マリベルは真っ先に防具屋へ向かった。勿論腕は組んだままである。昔魔導研究所があったところの、店の立ち並ぶ一角にて、にこやかに対応する店主に向かって、彼女は慣れた風で注文した。
「金のかみかざりがほしいんだけど」
「かしこまりました」
と、主人は奥に向かい、棚から髪飾りを取り出して、マリベルに見せた。先日、アルスが買ったのと全く同じものだった。マリベルはいつものつんとした顔をして、髪飾りをつまらなそうに見下ろした。
「それ、メッキでしょ? あたしは本物がほしいのよ」
「失礼いたしました」
マリベルがきっぱりと言うと、防具屋は軽く頭を下げて、再び棚の中を漁り始めた。そのやりとりが如何にも何気無い風だったので、アルスはただ突っ立って見ているだけだった。
「……本物、あるんだね」
「あんたがガキっぽいから、オモチャでじゅうぶんだと思われたのよ」
思わず呟いたら、マリベルにちくりと言われてしまった。妙に安いとは思っていたが、店の主人も客を見ているものなのだった。ぼんやりして、未だ少年のように見えるアルスなら、鍍金の髪飾りを贈るくらいで十分だと思われたのだろう。店主は暫く棚を漁っていたが、苦笑いを浮かべて戻って来た。
「すみません、髪かざりは欠品中でして……。代わりに、指輪はいかがですか?」
「指輪ね……どう、アルス?」
と、マリベルはアルスに話を振った。アルスはさっぱり分からないが、此処で不得要領な顔をするのも間抜けだと思ったから、頷いて購入することにした。
「買います。いくらですか?」
「一万ゴールドになります」
高かった。しかし、女神の指輪も九千ゴールドの値打ちがあると言われたから、指輪の相場とはそれくらいなのだろう。アルスは財布から小銭を掻き集め、ばらばらとカウンターに置いて、何とか代金を支払った。
「どれにいたしましょう?」
こちらが品物になりますと、店主がカウンターに並べたのは、幾つかの小さな木箱だった。これらに一万ゴールドの指輪が入っており、マリベルに選んで貰うらしい。
「え〜と、どれにしようかな……」
マリベルは機嫌を取り戻して、絡めていた腕を外し、一番右の小箱を開けた。装飾も何にも無い、アルスにはただの金色の輪っかにしか見えない代物だったが、マリベルは喜んで右手に嵌め、アルスに見せて来た。
「どう?」
「いいと思うよ」
相変わらずさっぱりなので、アルスは取り敢えず賛意を示した。
「でしょ。ま、あたしだったら、なんでも似合うけどね」
マリベルはにっこりして、指輪を外して木箱に仕舞い、隣の箱を開けた。祈りの指輪に似たような、青い宝石を付けたものだった。マリベルの瞳は青いから、アルスとしては似合っているなと思ったのだが、マリベルは首を振り、その木箱を閉じてしまった。
「これはダメ。毎日つけられないもの」
他にも幾つかの木箱を勧められ、マリベルはいずれも試してみたが、今一つ気に食わないらしい。どうやら彼女は、日常的に装着出来て、飾りが邪魔にならないものを探しているようだった。女神の指輪も気に入っていたのだが、今装備していないのはそうした理由からであった。あれこれと試し続け、随分悩んだ様子だったが、マリベルは最終的に結論を下した。
「……やっぱり、最初の指輪にするわ。アルスもいいって言ってくれたし」
「ありがとうございます」
マリベルが一番右を指差し、店主は他の木箱を仕舞い始めた。選ばれたのは、アルスが金色の輪っかだと思った指輪だった。純金と銅を混ぜているらしく、良く見ればほんのり桃色をしている。赤毛にりんごほっぺのマリベルに似合っていた。マリベルは木箱を受け取ると、早速中身を取り出し、右手の中指に嵌めた。やはりアルスには薄桃色の輪っかにしか見えなかったが、一万ゴールドと知っていると、何と無く輝きに高貴なものが窺えるような気がした。
「ありがと、アルス」
にこにこしながら、抱き付くようにして、マリベルは再び腕を組んで来た。こんなに機嫌の良いマリベルは滅多に見ない。最後に見たのはいつだったかと、アルスはふと考えて、あることに思い当たった。
「……もしかして、この間の髪かざり、まだ捨ててない?」
尋ねると、マリベルはついと目を逸らした。
「……そんなの、あたしの勝手でしょ」
「捨ててくれって言ったのに」
もはやぼろぼろの筈である。アルスが言い募ると、マリベルは空いている方の手を腰にやった。
「だって、アルスがはじめてくれたものよ。十八年いっしょにいて、はじめて! 捨てたら呪われそうじゃない」
と、マリベルは初めてを強調して言った。やはりと言うべきか、何にもくれない男だと、内心恨みに思っていたらしい。アルスは気まずくなったが、店屋の前で言い合っていたせいで、店主がにこにこしながら見守っていることに心付き、それよりも照れくさくなった。マリベルの腕を引き、建物の外に出る。
「あのさ、マリベル……」
「まって! まだ一日終わってないわ」
アルスが話をしようとしたら、マリベルが即座に口を封じて来た。彼女は恐るべき勘を持っていて、アルスが例の話を持ち出そうとすると、すかさず待ったを掛けて来るのだった。
「……じゃあ、次はどこへ行く?」
アルスもいい加減諦めて来て、いつものように、フィッシュベルの浜辺で伝えれば良いかと思い始めた。建物の前で問答するのも邪魔だから、ひとまず場所を変えることにする。
「いつものお店! ほら、ハーブティーのよ」
マリベルにそうねだられ、アルスはリートルードに向かってルーラを唱えた。バロック橋のそばにちょこんと建っている、ハーブティーの店である。マリベルはあの店を気に入っており、時々アルスやアイラを連れて訪れているのだった。
リートルードからバロック橋に行くまでも、二人で腕を組んで歩いた。マリベルは上機嫌ながら、いつもと変わりなく、何でも無いように振る舞っているが、アルスはかなり照れくさかった。それでも、絡めた腕を解いたり、手を繋いで行こうと譲歩を持ち掛けたりしなかったのは、偏にマリベルが喜んでいるからであった。結局のところ、アルスはマリベルに弱いから、彼女をがっかりさせたくないのだった。そうしてハーブティーの店に辿り着き、以前より賑わいを増した店の、窓際の良い席を取ることが出来た。窓から橋が良く見えるのだ。
「あの橋、あたしはどうも好きになれないんだけどね……」
マリベルはそう言いながらも、楽しそうに頬杖を突き、給仕の女性にハーブティーと軽食を頼んだ。少し早いが、そろそろ昼食の時間だった。アルスも同じくお茶と軽食を頼んだが、はっきり言ってこの店は苦手だった。ガボほどでは無いものの、アルスはそこそこの健啖家で、此処の軽食にあるような、可愛らしいパンケーキやハムサンドでは全く満足出来ないのである。一度ガボと一緒に来た時、二人で何遍もお代わりをしたら、マリベルにしこたま怒られてしまったので、がつがつ食べるのはご法度とされている。故、アルスは小さなハムサンドをちびちび食べながら、家に帰ったら何か頬張りたいなと思いを馳せるのだった。
「ん〜、おいしい! ここのパンケーキって絶品よね!」
マリベルはうっとりしながら、フォークでパンケーキを切り取り、ちまちまと口に運んでいた。
「アルスも食べればいいのに。おいしいわよ」
「僕はいいよ」
アルスは甘いものにさして興味が無い。しかし不思議なもので、マリベルがにこにこしながら食べているのを見ると、パンケーキも甘やかで美味そうに見えて来るのだった。アルスがハムサンドを食べ終えてしまい、相手の食べる姿を見ていると、マリベルがパンケーキを切り、蜂蜜を良く絡めて、アルスに差し出した。
「はい。あんた、すっごくものほしそうな顔してるわよ」
「……ありがとう」
厚意は素直に受けることにする。アルスは身を乗り出して、パンケーキのかけらをぱくりと食べた。確かに美味しい。雲のようにふわふわしていて、蜂蜜の甘さの中に、小麦の香ばしい風味がほんのりと感じられた。女性なら堪らない味だろう。アルスがもちもちと咀嚼しながら、これは美味いなと思っていると、マリベルはもう一かけら分けてくれた。そして軽食を食べ終わり、のんびりとハーブティーを飲み始めた二人は、暇潰しに雑談を交わした。
「あんた、リーサ姫にぜんぜん会いに行ってないんですって?」
「うん。ごめん」
「あたしにあやまらないで、リーサ姫に言いなさいよ。アルスのこと、心配してたわよ」
「ごめん」
アルスはぽりぽりと頭を掻いた。最後にリーサと会ったのは、一体いつになるのか知れなかった。アイラとマリベルが姫と親しくしていて、その噂を聞いていたものだから、会わなくてもおおよその消息を知っていたのだ。だからと言って、直接顔を合わせなくとも良い理由にはならないだろう。
「……でも、しょうがないよね。最近のあんた、すごくいそがしかったみたいだし」
そう言って、マリベルはアルスの事情を思いやってくれた。考えてみれば、最近のアルスは、フィッシュベルと海とを往復する日々ばかりを送っていた。漁師とはかくあるものなのだが、今までぶらぶらしていたアルスがいきなりこうなったら、周囲も戸惑う筈である。メルビンはあんなに怒っていたが、アルスが休みの日に訪ねて来たことからして、下界へ降りる頃合を見計らってくれていたのだった。アルスは仲間の優しさに感謝した。
「……あたしに会いにくるのも、めんどうだったら、毎日こなくたっていいよ?」
カップを口にしながら、マリベルが上目遣いで見て来た。
「別に、めんどうだとは思わないよ」
「そう?」
「うん」
アルスは頷いた。単純に日常の一部なのである。港に着いたら、片付けをして、マリベルのところに挨拶に行って、それから家に帰る、と言うのがアルスの日課だった。おしなべて漁師は縁起を気にするものだから、漁の日はこれと決めた行動をしなければ、何となく据わりの悪い思いをするのだった。
「そっ。……ま、うれしいからいいんだけどさ」
と、マリベルは照れて目を逸らし、好きでも無いバロック橋を眺めやった。アルスは今だと思って、またしても例の話を切り出そうとした。
「あのさ、マリベル……」
「まだだってば。まだ一日終わってないでしょ」
素気無く一蹴され、アルスはまたしても頭を掻いた。どうしてもマリベルには敵わない。アルスが困っていると、マリベルは窓の方を向いたまま、拗ねたように呟いた。
「……だって、もう二度と、アルスとこんなふうにできないかも知れないんでしょ? 最後に思い出がほしいんだもん」
それを聞いて、アルスは内心焦燥を覚えた。マリベルは何かとてつもない思い違いをしている。ところが、それを正そうと口を開くと、彼女はよからぬものを感じ取り、先のように待ったを掛けてしまうのだった。アルスは口を噤みながら、もしもマリベルが真実を知ったら、怒るか、拗ねるか、或いは涙を零してしまうかも知れないと想像し、それは嫌だなとぼんやり考えた。
昼以降は、モンスターパークでスライムをぷにぷにしたり、移民の町の商店街に買い物へ出掛けたりした。アルスは例の話が気に掛かったものの、それよりは目の前のマリベルを喜ばせる方が先決だと考え、ひとまずはたまの休みを満喫することにした。マリベルは、ハーブティーの店でああ言ったきり、何もかも忘れてしまったかのように、良く笑って良く怒った。アルスが腐った死体に懐かれていると、気持ち悪いわねと言って逃げ出したし、バザーでアルスの財布が空っぽなのを知ると、情けないわねと言って自分の財布を出してくれた。かくして互いに大騒ぎしながら過ごし、あっと言う間に日が暮れた。
「……それじゃ、帰る?」
アルスの大荷物を見て、マリベルがちょっと済まなそうにした。プレミアムバザーで買い過ぎた。アルスは力持ちだが、かさばる洋服を上手に持つような知恵は無い。マリベルと手分けして、沢山の袋をお土産として持ち抱えた。
「……ねえ、よかったら、うちでごはん食べていかない?」
マリベルは何と無く気まずそうにして、そう尋ねて来たが、アルスは首を振った。
「いや……その前に、話がある」
先ほどまではへらへらして、何も考えていなかったアルスだが、今度ばかりは真剣だった。それでマリベルも漸く観念したらしく、髪の毛をいじくりながら、アルスの様子を窺った。夕暮れになるとバザーの人通りがまばらになり、うら寂しいような心持ちがする。そうして真面目に構えたは良いが、此処では場所が悪いような気がした。
「……それじゃ、いつもの場所に行く?」
ややあって、マリベルがそう提案して来たので、アルスも乗って、フィッシュベルにルーラを唱えた。さっさと蹴りを付けたいところだが、如何せん荷物が邪魔である。一旦マリベルの屋敷に寄って、荷物を置いてから、ついにいつもの浜辺に立った。今夜は風も無く、マリベルの僅かな呟きさえ聞き逃さない筈だった。アルスはマリベルとちょっと距離を取って、単刀直入に切り出した。
「マリベル、婚約の話はなかったことにしてほしい」
考えてみれば妙な言い草だったが、マリベルはきちんと意味合いを理解してくれた。溜息をつきながら、綺麗な形の眉を寄せ、アルスをじっと見詰める。
「……あんた、ボルカノおじさまに何か言われたの?」
図星を突かれたが、アルスは怯まなかった。
「そうだけど、僕自身も考えたんだ。ウソをついたらいけないって」
アルスは魔物と対峙する時の心持ちで、一番勇ましく見える姿を取り繕った。既に覚悟は出来ている。此処でマリベルが素直にうんと頷いて、婚約がすんなり解消されてしまったなら、アルスも潔く諦めて、話を終わりにするつもりだった。しかし、彼女は首を縦には振らなかった。
「……それじゃ、ウソじゃなかったらいいの?」
「そのつもりだ」
アルスは頷き、息を吸って気合を溜めた。正念場である。
「今の僕には、マリベルを養う力はないし、網元の家を継ぐこともできない。だけど、いつか必ず、父さんやアミットさんのような男になってみせる。その時に、改めて僕と約束してほしいんだ」
だから今は婚約を解消して、幼馴染同士のままでいて欲しいと、そう訴えた。アルスにしては論理的で、筋道の通った説得をした。ところが、マリベルは見る間に機嫌を損ねてしまい、苛々と腰に手をやった。
「……あんた、あたしと婚約するのがイヤなわけ?」
「イヤじゃないよ。今はそうするべきじゃないってだけで」
「今婚約したって、べつにいいじゃない。どうしてイヤなのよ」
「イヤじゃないよ。まだ僕たちには早いんだ」
「だから、イヤなんでしょ」
「イヤじゃないんだって」
戦況を膠着状態に持ち込まれ、アルスは困ってしまった。一晩頭の中でこねくり回した想定では、相手も容易に納得し、将来に向けて婚約の約束をする、と言う運びになっている筈だった。しかし、マリベルはそれでは納得出来ないらしい。温順なようでいて、実は頑固な性格のアルスは、一度これと決めたことは最後まで貫き通そうとする。今回も、相手に譲歩するつもりは無く、何とかして婚約を解消しようと試みた。
「何度も言うようだけど、今は婚約できないんだ」
「……やっぱり、イヤだってことじゃない」
と、マリベルは拗ねたように言った。
「マリベルは婚約したいの?」
埒が開かず反問すると、マリベルは虚を衝かれて固まった。ややあって、髪をいじくりながら、半眼でアルスを見やる。
「どうしてあたしに聞くのよ……」
「僕のことは全部話した。今度は、マリベルの意見を聞かせてよ」
重ねて問うと、マリベルは俯いて沈黙した。どうやら逐電を考えたらしい。屋敷の方に目をやって、そろりと一歩後退ろうとしたが、アルスが一歩踏み出して、軽く威嚇してみせると、諦めて足を引っ込めた。アルスは怒っているわけでは無いのだが、そもそもの心構えが魔物と相対する時のつもりだから、どうしても態度が威圧的になってしまう。其処に気が付いて、アルスは態度を和らげた。
「マリベルはどう思ってるの?」
と、なるべく親切に聞こえるように問うた。逃走を諦めたマリベルは、改めて少し後退り、アルスから距離を取った。星空を見上げ、波打ち際を見下ろしてから、恨めしげな目付きで睨んで来る。
「……こういう時って、男のほうから言うものじゃないの?」
「たしかに」
「でしょ」
アルスが頷くと、マリベルは少し調子を取り戻した。いじくり回してくるくるになった髪の毛を整え、法衣の裾を払って、居住まいを正す。
「いい、聞くわよ? ……あたしのこと、アルスはどう思ってるの?」
と、可愛らしく首を傾げて見せた。男らしくと決めてはいたものの、アルスは少し躊躇した。幼馴染である。おしめをしていた頃から知っていて、互いの家に良く遊びに行き、一緒にご飯を食べ、一緒の布団で眠った。家族のようなものだった。家族を好きになって、それに添い遂げて新しい家庭を作ると言うのは、人によっては奇妙な関係に映るだろう。変なところで冷静なアルスは、そう考えたが、一方で、これ以上に自分を知っていて、全てを曝け出せる相手もいないだろうと思っていた。マリベルなら、気持ち悪いわねと言いながら、それでもアルスを受け入れてくれるのだった。そんなことをぼんやり考えて、何を言うべきかすっかり忘れていると、マリベルが不安げに柳眉を寄せた。
「……アルスは、あたしのこと嫌い?」
其処で漸く、アルスも初心を思い出した。
「好きだよ。好きだ」
はっきりと言い切ると、マリベルが見る見る顔を赤らめた。暗闇にもはっきりそれと分かる。音がしそうな勢いだったが、彼女は気付かないふりをして、アルスを上目遣いで睨め付けた。
「じゃあ、あたしと結婚してくれる?」
「する。結婚しよう」
マリベルが首まで赤くなった。ブーツの爪先で砂浜をいじくり、変な模様を描いている。
「婚約は? やめる?」
「やめないよ」
マリベルがそうしたいのなら、と続けようとしたが、男らしくない気がしたので、アルスはそれだけ言った。考えてみれば、今婚約していても何ら不都合は無い。マリベルには縁談が来なくなるし、お互いが誰かに取られてしまうような心配も無くなる。ただ少し、気が早いと言うだけの話だった。
「……ふーん」
マリベルは真っ赤になりながら、俯いて、再び髪の毛をいじくり始めた。面映ゆさに、目元はすっかり潤んでいる。その潤んだ瞳で、アルスを上目遣いで見詰めて来るが、アルスは怯まなかった。
「……ねえ、ほんとに、あたしのこと好き?」
「本当に、好きだよ」
「じゃあ、もう一回言って」
「好きだ」
良いように弄ばれているような気もしたが、半ば自棄になったアルスは言いたいことを全部言った。散々好きだと伝えると、マリベルは堪らないと言った風で、りんごのようなほっぺに手を当てた。内心悶えているらしく、そのまま暫く動かなかった。アルスもかなり照れくさかったが、意地でも目は逸らさず、地面に踏ん張ってマリベルを見据えた。マリベルはふわふわのフードを軽く揺らし、真っ赤な顔を扇いで冷ました。
「……ま、あんたの言いたいことは、だいたい分かったわ」
頬が緩むのを懸命に堪えながら、マリベルはいつものえらそうな態度を装った。こんなに機嫌の良いマリベルは見たことが無い。アルスは妙な疲労感を覚えたが、肝心なことは言い切ったし、見事相手に伝わったので、それなりに胸がすっとした。優柔不断な性格にしては、男らしく努力した方だった。
「……でも、プロポーズはまだ聞いてないからねっ。今から考えときなさい!」
マリベルはそう言うなり、踵を巡らし、屋敷に帰ろうと逃げ出した。其処をアルスが腕を取り、捕まえる。
「待って。僕にだけ言わせて、マリベルは何も言わないの?」
「……だって、言わなくてもわかるでしょ」
と、マリベルは振り返らずに答えたが、アルスは彼女の体をくるりと回し、両肩に手を置いて、しっかと捕捉した。
「わかんないよ。僕のこと嫌い?」
詰め寄られると、マリベルは懸命に目を逸らしながら、口を尖らせた。
「……やだ。ぜったい言わない!」
「ずるいよ」
顔を背けながら、マリベルは身を捩って逃げようとしたが、アルスは放さず、青い瞳を覗き込んだ。マリベルが尚もじたばたする。
「ほら、もうこの話はおしまい! 帰りましょ!」
「好きなの?」
「聞こえなーい!」
ついには両手を振り払い、マリベルは逃げ出して、屋敷の方へ走って行った。アルスはそれを追い掛けて、何とか扉の前で捕まえ、拝み倒して説き伏せて、漸く、嫌いじゃないとお墨付きを貰ったのだった。
それから少し経って、アルスはマリベルに、どうして自分が好きなのか聞いてみた。マリベルの評価によると、アルスは名前が変で、ぽーっとしていて、ひ弱で、お節介で、たまに気持ちの悪い男なのである。我ながら魅力がさっぱり分からなかった。
「どうしてって?」
アルスの部屋でお茶をしながら、マリベルがきょとんとした。最近の彼女は頭巾を被らなくなり、少しおしとやかになって、自分のことを私と呼ぶようになったが、アルスの前では相変わらずのマリベルでいる。少し考えた後、彼女はこう言った。
「アルスにたのめば、あたしを船に乗せてくれるじゃない? あなたが網元になったら、ちょうどいいと思ったのよ」
「そうなんだ」
お茶を飲みながら、アルスも納得した。確かにマリベルは、アルスが少し偉くなってから、毎回漁船に乗せてくれと頼んで来るようになった。まだ発言力が弱いから、必ず願いを叶えることは出来ないが、多少の融通を利かせてやるくらいなら可能である。これが他の男だったなら、絶対に許してはくれないだろう。都合の良い男で良かったと、アルスは安心しながら、マリベルと楽しくお喋りを続けた。