店鎖し時の誰そ彼に

 魔法屋ではノースが店番している。長く険しい旅を経て、腕前からすれば既に一端の術士であるのだが、自らを未だ熟さずと見て、相変わらずユンに師事する日々を送っている。実際のところ、そんな勿体付けた理由よりは、単に師匠とこの町を気に入っているからが大きかった。
 夕刻になると、緑の海も純白の町並みも、一面燃えるように赤く染め抜かれる。そろそろ客足の途絶える時間で、ノースはぼんやりと窓越しの斜陽を浴びながら、昨晩から解読を始めた魔法板のことを思い返していた。すると、すいませんと声がした。声はするが、姿が見えない。ノースは帳場から身を乗り出し、向こう側を覗いてみた。アーミックがいた。慮外なる来客に驚き、思わずずり落ちそうになったところを、すんでのところで台にしがみ付く。アーミックはまじくじしていた。
「アーミックさん! お久し振りです」
「こんにちは。久しぶりですね」
「ええ、本当に。お変わりないようで安心しました」
 そう挨拶すると、アーミックはノースを見上げた。
「ノースさんは、背が伸びました」
「良く分かりましたね。ほんの少しなのに」
 彼は術具を買いに来たらしい。詳しく聞くと、身振りを交えてこう言った。
「五行配分を水に傾けて、定期的に雨季がどうとかこうとか、らしいです」
「それでは水の術具ですね。遠いところからわざわざ、お疲れ様です」
「大変は大変ですけど、もう一回あんなことをするのは面倒です。ラークバーンへお使いくらいなら、楽かなーと思いまして」
「配達も承りますよ」
「そしたら、ノースさんが大変です」
 ノースは思わず苦笑した。相変わらず大らかで優しい人である。何にも頓着せず、アーミックは店の中をぐるりと見回す。その目は何だか焦点が合っていないようで、ノースは未だに彼が何処を見ているのか分かっていない。本人に聞けば、色々なところを見ているのだと。複眼のようなものかも知れない。広い視野を持ち、誰に特別目を掛けるでも無く、誰を憎むでも無い。ノースはその心構えを高く評価していた。
 チャパ族との交易は、大体のところ金では無く物々交換を以て行う。今回のアーミックも沢山の薬草を抱えて来た。術具一つでは釣り合わないからと、ノースは断ろうとしたのだが、また持って帰るのも荷物になるからと、ずるずるに押し切られてしまった。森深くに分け入らねば手に入らぬような、貴重な植物ばかりであった。
「ユンさんは元気ですか?」
 と、アーミックが尋ねた。
「老師は療養中です。この間のことで、ずいぶん無理をしていらしたので……」
「そりゃどうも、すいませんでした」
「アーミックさんが謝ることありませんよ」
 話しながら、ノースは今日の会計を袋に纏め、金庫の中に仕舞い、魔法の鍵で施錠した。それが済むと、帳場の跳ね上げ扉を潜って出る。
「お暇ですか?」
「急ぎたくありません」
「それは良かった。ご一緒にお茶しませんか? 今日はもう店じまいなんです」
「いただきます」
 話は決まった。営業中の看板を裏返そうと表に出、手を掛けた丁度その時、子供が慌てて飛んで来た。ずり落ちそうになる帽子を懸命に押さえ、息をつく。顔を上げると、輝くように笑ってみせた。
「ユンさんのお見舞いに来ました!」
 ジュディだった。
「お一人でいらしたんですか?」
 後を見ても、彼女の家族が来る様子は無い。まさかサドボスからたった独りで旅したのかと、内心どきどきしていたら、ジュディが笑い出した。
「心配しなくても大丈夫よ。いろんな人が、途中まで付いてきてくれたの」
「それなら良かった。ジュディさん、お元気でしたか?」
「うん、とっても! ノースさん、背伸びたね!」
 ノースは彼女を店内に招き入れ、アーミックと引き合わせた。ジュディは感激して震い付かんばかりだったが、ビーバーの方は驚く様子も喜ぶ様子も見せなかった。
「おじいさんはどうしてますか?」
「オジイチャンね、腰痛めちゃったの。キャッシュさんとの冒険で、張り切りすぎちゃったみたい」
「腰痛の薬、ありますよ。村長がいつも貼ってます。さっきのお届け物に入ってるはずです」
 と、アーミックが言いながら、ノースの方を向いた。ノースが喜んで頷く。
「ジュディさん、どうぞ持って行って下さい」
「ありがとう。助かるわ」
 一面朱塗りの魔法屋クリムゾンであるが、奥はラークバーン式の白亜に包まれている。心構え無く移ると緑の影がちらつき、誰もが目を白黒させる。慣れたノースはそうでもない。ただ師匠の目に悪そうだと思っていた。
 老子ユンは、小さなお見舞いに大層喜んだ。体の調子は良く、一人でも店を切り盛りして見せる、と息巻くノースの顔を立て、暫く休養している風だった。友人の孫であるからか、ジュディに一際目を掛けている師に、ノースは家庭と言うものを考えさせられた。一応自分がいるけれど、師匠は少し寂しいのかも知れない。
 病床を辞し、三人は客間に移った。武骨な楢のテーブルを囲み、ふかふかした長椅子に腰掛ける。其処で四方山話をしながら、お茶と、ジュディが持ち寄ったクッキーを食べて過ごした。これはマリーの得意なお菓子で、且つロイの好物である。最近は彼を元の体系に戻すべく、めっきり作るのを止めてしまったのだが、そうしたら今度は兄が自分で焼き始めたらしい。当然没収されるが、それでも懲りずに焼く。こってり絞られてもこっそり焼く。今回だけは、ジュディに持たせるお土産だと言って、母の剣突を無事回避したそうだ。さくさくのジンジャークッキーは甘くてすっとして、ロイで無くても食べる手が止まらなかった。
「そうそう、ノースさんは知ってるよね。吸血鬼になっちゃったクライドさんのこと!」
「ええ。お師匠様のご友人です」
「その人達、これからラウンドテーブルさん達に代わって、不死者を支配するんだって。勿論、みんなに悪いことさせないためよ。転んでもただでは起きないって言うのかな?」
 ラウンドテーブルをどこかの発明家が倒したお陰で、吸血鬼どもの契約は反故となった。自由を得たところで、虚しき不死の頸木から解き放たれることは無いが、せめて意義ある永遠を生きようと決めたらしい。アーミックにとっては良く知らない事情故、とりあえず不死者の危険を心配した。
「危なくないと良いですねえ」
「大丈夫、悪いことしたらおしおきよ。私に任せといて!」
 ジュディはにっこり笑って、得意気にクッキーをかじった。
 ちなみにクライドの方も独り身で、幸せに正しい道を歩んだジョーゼフ老を鑑みるに、ノースはますます家族の必要性を考えた。功徳を積んだ賢人に対してさえ、孤独の深みは心を拗らせ、思い余った行動に走らせるのだろう。力及ばずながら、せめて弟子の自分がそばにいて、少しでも気持ちを賑わせて差し上げよう、と彼は決意を新たにした。
 ジュディはお見舞いのついでに、母からお小遣いを貰い、ラークバーンの観光をして帰るつもりだった。と言うわけで、暫く町に滞在するらしい。アーミックは前言通りのんびりしている。いつ戻るかも定めておらず、追々考えてみると言えば、彼女が喜び勇んで身を乗り出した。
「アーミックさんも一緒にお買い物しましょ。奥さん達にお土産買ってあげると良いわ」
「そうですね。そうします」
 熟慮を重ねた挙句のように、ゆっくり返事をしながら、彼は向かいのノースを見上げる。
「ノースさんはどうしますか?」
「僕も行かせて下さい。明日はお店が休みなんです」
「それじゃ、決まりね! 早く明日が来ないかなー」
 今度は思い切り体を倒して、ジュディが背もたれに埋まった。足をぱたぱた揺らし、はしゃいで浮足立つ様子を見、アーミックもほんの少し笑った。間違い無く口角が緩んだのに、ノースは思わず目を見張り、思わず顔に掛かった布を捲りそうになった。そしてふと我に返り、こんな大袈裟に驚いては失礼だと、謹んで視線を逸らした。幸い、アーミックは意に介さなかったようだ。
 すると、ジュディが手招きした。ノースが少し顔を寄せる。耳元でこしょこしょ話をすると、彼は気の進まない声で応じた。
「……構いませんけど、一回だけでお願いしますよ」
「ありがとう」
 ジュディはそっと手を伸ばし、顔に掛かっている布をめくった。中身をあらためるが早いか、すぐさま戻す。ノースが照れくさそうに帽子を直した。
「ごめんね、もうしないわ」
「何か意味があるんですか、それ?」
 ついでに見ていたアーミックが聞く。
「これは、表情を隠すためなんですよ」
 魔法屋は信用が第一である。店番を任されるに当たって、未だ幼い顔を隠し、立ち振る舞いに威厳と神秘性を与える必要があったのだった。外した方が恰好良いと、ジュディから褒められたものの、彼は結局そのままでいる。今更顔を出すのも気恥ずかしいのだった。

2011.7