鉄火伯仲

 ハン・ノヴァ宮殿の、分厚い扉が僅かに開いた。隙間から滑るように少年が出て来る。祖父との面談を終えたギュスターヴは、回廊にて待ち設けていた従兄に出迎えられ、デーヴィドが小走りで寄って来た。生真面目な顔付きの中に、好奇心が見て取れた。
「ギュスターヴ、お爺様は何と?」
「昔のことと、僕の名前のことを話して下さった」
「それだけか」
 デーヴィドは少々呆気に取られていた。彼も先程祖父に呼ばれていたのだが、こちらはヤーデ領の当地について論議などを交わしたらしい。祖父は従兄弟それぞれに対し、彼らの最も必要とする話を与えたのだった。
「それと、名前に縛られる必要は無いと言われたんだ」
「どういう意味だ?」
 従兄はますます首を捻った。デーヴィドにとっては妙な言い付けに聞こえるかも知れないが、ギュスターヴは大きな意味を以て受け止めていた。この容姿には十三世公の面影が見えるそうなのだが、だからと言って大伯父の影を追わずとも良いと、祖父はそう言ったのだ。名前故に生まれ故に、周囲から王座の期待を寄せられる少年からすれば、少し肩の荷を下ろして貰ったような気がしたのである。安心する一方で、祖父の口調は何だか遺言めいて聞こえ、彼は胸のざわつきを覚えた。
「お爺様、すごく疲れてるみたいだった」
「ああ。私達も、そろそろ覚悟しておくべきだろう」
 淡白な反応を見せるデーヴィドに、ギュスターヴは頭を振った。
「嫌だな」
「気持ちは良く分かるがな。遅かれ早かれ、いつか必ず来るものだ」
「それでも、お爺様が死ぬのなんて見たくない」
 敬愛する祖父が何処かに去ってしまうなど、ギュスターヴは想像だに出来なかった。死した人間はアニマの一となり、近しき者のそばにいると言われるのだが、早世した母は飽くまでも遠い存在なのである。彼にとり、死はぼんやりした薄闇のような、不可思議で恐ろしく見えるものだった。
 押し黙ったギュスターヴに、デーヴィドは溜息で返し、やる瀬無く扉の方へ目を向けた。淡然としているが、彼とて死の重さは重々承知しており、従弟に理解と同情を示してくれる。此処から辞するよう促され、二人はひとまず城下に出る運びとなった。
 城内は静まり返っており、二人の絨毯を踏む音さえ響くようだった。城の左右にそれぞれ商業街と工業街が広がり、人の雑然たる喧騒と、鉄を打つ高らかな残響がざわめくが、硝子を一枚隔てるだけで、水を打ったように空気が凪いでしまうのだった。デーヴィドは機嫌良さそうに、歩きがてら外の景色を見下ろした。彼の見ている方は工業街で、煤混じりの煙が幾重にも連なって立ち迷う。オート候の統治下に於いて術不能者は軽視され、一度は廃止の憂き目に遭った鉄工業だが、今は再び活気を取り戻している。十三世公と祖父の追い求める理想が、この町には遍く存在しているのであった。
 窓から廊下に落ちる縞模様の影を、ギュスターヴは踏まないよう飛び飛びに歩いてみる。デーヴィドの方は相変わらず、町々の喧騒を眺めていた。
「ハンには久しぶりに来たな。相変わらず賑やかなところだ」
「デーヴィドはハンが好きなのか」
「ああ。良いところだと思う。しかし、私にはヤーデの方が性に合っているな」
「僕も、ヤーデの方が好きだな」
 デーヴィドは暫くギュスターヴの顔を見ていたが、やがてしかつめらしい顔付きになり、従弟に問うた。
「この際だから聞くが、お前にメルシュマンやロードレスランドを治めるつもりはあるか」
 詰問の如く切り出され、ギュスターヴは返す言葉に詰まった。戸惑う素振りを見、デーヴィドは幾分か語調を和らげ、言葉を重ねる。
「別にどうこう言うつもりではないんだ。ギュスターヴがどう思っているのかを知りたい」
 ギュスターヴは足を止めた。自分の決めた方針一つで、今此処で鉄を打っている鍛冶屋とか、客を呼び込んでいる店の主人とかが、職を失うかも知れないし、戦禍に巻き込まれて傷付くかも知れない。そう考えるだけで落ち着かなかった。この余りに広大な大陸は、手には余るし追うには重過ぎる。そもそも、小さなノールを治める自分の姿さえ想像も出来ないのだ。同じく立ち止まり、返答を待つ従兄に対し、彼は正直に感懐を述べた。
「僕は、領主に向いてないと思う」
「そうか」
 如何にもお前らしい答えだと、デーヴィドはちょっと笑った。どうやら彼はほっとした様子だった。
 道々デーヴィドは、誰にも言うなよと念押しして、この先の小さな展望を語ってくれた。祖父や父はハン・ノヴァに固執している。その心情は理解出来るし、町は十三世の遺志を継ぐために必要不可欠な場所であるのだろう。しかしながら、ハンを訪れる度、この町は誰の支配下に置かれようと恒久不変に栄えるのだと、彼は薄々考え始めていた。徒に争いを続ける事無しにも、祖父の渇望する太平はいずれ実現出来るだろう。デーヴィドは、現状こそ先達の意志に従うものの、治世が彼らの手を離れた時にはその限りでは無いつもりだった。正直に言って、ギュスターヴ、詰まるところヤーデ伯の縁戚がメルシュマンやロードレスランドの領地を受け継いだならば、ナ国や諸侯のヤーデに対する心証は悪化するばかりである。その上、ノールは連合諸国によって恙無く治められており、オート候の跡目争いが膠着する中、ヤーデの者が名乗りを上げ、敢えてそちらに火種を持ち込むような真似をすることもあるまい。自分達が飽くまでナ国の臣下、ヤーデ伯爵家の立場を保ち続けるならば、いつか交渉の道も開けるだろう。だからギュスターヴが統治に気無しなことは幸いであったと。未だ幼く、剣術にばかり明け暮れるギュスターヴには忖りかねるが、見通しの明るい展望だろうことだけは分かった。
「良く考えてるんだな」
「口先だけなら何とでも言えるさ」
 ギュスターヴが感心して褒めると、デーヴィドは皮肉気に返した。そしてつかつかと先を行かれてしまい、ギュスターヴは早足で後を追った。今はあまり難しいことは考えられないものの、彼の小さな目標は、理想を追う従兄の助けになることだった。
 階段を下りた頃には、デーヴィドも気を取り直していた。
「ともかくだ。今は理想を語るより、目の前の責務を果たさねばならないな。お前も屋敷を抜け出してばかりいないで、しっかり勉強に励め」
「デーヴィドも抜け出してるだろう」
「私はお前を連れ戻しに行ってるんだ」
 その割にデーヴィドはいつも楽しそうだった。反論すると説教が増えるだろうし、これからは脱走を半分くらいに控えるつもりで、素直に頷くと、それで相手は満足したらしい。デーヴィドは入り口の前で立ち止まり、顧みて言った。
「我らが使命はヤーデにある。領地領民のため、共に善く治めて行こう」
「うん」
 二人で頷き合い、揃って城を後にした。
 デーヴィドには有無を言わせぬ説得力と言うか、廉直かつ真摯な物言いの中に、意見を自然と押し通す気概が備わっている。これが人の上に立つべき能力で、自分には欠けていることを、ギュスターヴは知っていた。内向的な彼は、政治に関わろうとする意欲がどうしても持てそうに無い。従兄弟同士は平等に助け合おうと思っているが、とやかくやと容喙するのは周囲の人間だった。ギュスターヴと言う名前の通り、恐らく父フィリップは我が子に大伯父の遺志を継ぐべきだと嘱望している。父はチャールズ伯父への引け目から、自信がフィニーを継承することに二の足を踏んでいるが、いずれにせよ結局、父と伯父の関係は良好とは言えないものだった。ギュスターヴは、ふとした切っ掛けで従兄とぎくしゃくしてしまうのが嫌だし、争いで大勢の血を流すのも嫌だった。気質からして、誠心誠意人に仕え、家臣となって働く方が向いているのに、血筋がそれを良しとしない。受け継いだ炎の剣は重すぎて、未だに引き摺ってしか扱えぬような代物だった。
 中庭に出た。街のざわめきが城壁を越して、空から聞こえてくるようだった。賑やかな空気と、小気味良く靴音を立てる石畳に、何と無く鬱屈した気持ちも晴れてくる。
「さて、どこに行こうか」
 と、デーヴィドが聞いた。重苦しい政治の話のせいか、気分がくさくさしてしまったので、ギュスターヴは軽く体を動かしたくなった。
「演習場に行きたいな。剣の稽古に付き合ってほしいんだ」
「またか」
 と、従兄は眉間に皺を寄せた。
「お前の稽古に付き合うのは大変なんだぞ」
 年が違うため、今はデーヴィドの方が上手なのだが、ギュスターヴは何度もしつこく練習に付き合わせる。それで根気の尽きたデーヴィドが降参する、と言うのがいつものやり方だった。気乗りしない相手の様子に、ギュスターヴは少し残念そうにした。
「それじゃ、遊んでくれないのか」
「やるさ。良いか、やるからには手加減しないからな」
 私だって赤天馬の子だと、勇ましく宣戦布告するなり、デーヴィドは兵舎の方へ向かって行き、ギュスターヴも喜んで後を追った。今は二人とも難しい話をするより、遊んでいる方が楽しい年頃だった。

2015.7.26