あなたの空蝉に触れたとき

 魔物にとって、ゴールドと言うのは、きらきらした珍しい石か何かのように見えるらしい。だから、行き倒れの持っているゴールドや、旅人が落としたゴールドを集めて、小銭くらいの金額を所持している。それを旅人が倒して、拾い集めて、武器か何かと交換する。そうしてゴールドは世の中を渡って行くのである。アルスも勿論例外では無く、ゴールドを稼ぎたいと思った時は、魔物を退治してちびちびと集めていた。
 アルス達は、パミラと言う占い師に頼まれて、炎の山の探索に乗り出した。ところが、火山は普段立ち入りを禁じられており、明日のほむら祭りにならなければ開放されないのだと言う。仕方無いから、一日適当に時間を潰して、明日の祭りに備えることにした。炎の山には数多の魔物が巣食っており、それらを退けて奥地を探索し、もしも噴火の元凶がいるならば、いずれも纏めて倒さねばならなくなる。かかる困難を乗り越えて戦うには、現状の力や装備では少々心許なかった。そうしたわけで、三人は資金集めと腕試しを兼ねて、村周辺の魔物を退治することになった。
 調子に乗って、村から随分離れた場所に来た。マリベルの魔力も残り僅かだし、そろそろエンゴウの村に戻ろうと思ったが、人間のにおいに引き寄せられ、引っ切り無しに魔物が寄って来る。そう強くは無い魔物達を、蹴飛ばしたり殴ったりして退治しながら、ようやっと道の引いてある平地に出た。
「まだ来るな」
 背後の森を顧みながら、キーファが銅の剣で空を切った。アルスも同じく銅の剣を構え、マリベルはいばらの鞭を持ち、走り寄るソードワラビーとはなカワセミの群れを迎撃した。ソードワラビーの剣はなまくらで、刃物のようには切れないが、叩かれれば当然痛い。ワラビーは一匹で、はなカワセミは三匹いた。
「アルス、ソードワラビーをたのむ」
 キーファはそう言って、はなカワセミに向かって行った。三匹の鳥が忙しなく羽ばたき、一斉に彼を取り囲んだ。カワセミは身軽に剣を躱し、鋭い嘴で突きを食らわせて来る。アルスとマリベルはソードワラビーの相手をし、入れ替わり立ち代わり攻撃を加えることで、敵に二つの剣を振るう暇を与えずに立ち回った。キーファは鳥に散々突っつかれながら、盾を構えて隙を窺う。していると、一匹の嘴が革の盾を削り、勢い敵が体勢を崩した。すかさずキーファが武器を叩き付けると、はなカワセミは死に、持っていたゴールドがばらばらと散らばった。派手な金属音が響き、マリベルとアルスは一瞬そちらに気を取られ、ソードワラビーへの反応が遅れた。刹那、マリベルはメラを使うか防御するか逡巡して、敵の攻撃を防ぎきれなかった。
「あっ……」
 二本の剣で強か打たれ、マリベルは一瞬アルスを見上げたが、敢え無く地面に倒れ伏した。ソードワラビーは執拗に、倒れた彼女に剣を振り下ろし、頭部と延髄に一撃を食らわせた。マリベルはそのまま、ぴくりとも動かなくなり、ソードワラビーはアルスに標的を変えた。アルスはマリベルの元に飛びずさって戻り、ソードワラビーを蹴っ飛ばして転ばせ、首を斬り付けて殺そうとしたが、相手は転がりながら逃げ出した。続いて、死肉を漁るつもりか、はなカワセミがふらふらとマリベルのそばへ寄る。アルスは言いようも無い嫌悪を覚え、尻尾を掴んで地面に叩き付け、剣を滅茶苦茶に打ち付けて殺した。ずたずたになった鳥の死骸を捨て、マリベルのそばに膝を突き、抱き起こしてホイミの呪文を唱えた。しかしまるで効果は無く、頭部の深い傷は癒えなかった。血は止まっているようだが、却ってそれが悪かった。マリベルは死んだから、血の巡りも失われているのだ。
「マリベル」
 アルスはマリベルの名を呼んだが、何の意味をも齎されなかった。手にべっとりと纏わり付いた、ぬるい体温を持っていた血は、既に冷たくなっていた。一瞬アルスの体もひやりとし、熱い汗が噴き出して、心臓が喧しく騒ぎ立て始めた。アルスが呆然としている間に、キーファは魔物の群れを片付けてしまい、剣を振るって血糊を払った。
「アルス、村に戻ろう」
 状況を察したキーファは、それだけ言った。
「でも、マリベルが……」
 しがみ付くように、アルスはマリベルをぎゅうと抱き締めた。細い体は何の抵抗も無く、折れてしまいそうなまでに脆く軋む。指先などは既に冷たくなっていた。このままではいられないと、アルスも頭では分かっているのだが、この手を離すとマリベルが何処かに行ってしまいそうで、どうしても力を緩めることが出来ない。キーファがしゃがみ込んで、マリベルに手を添えた時も、奪われまいとまして力が籠った。
「アルス、ここにいるのはまずいって。マリベルなら、オレが運んでやるからさ」
 マリベルの背中に手をやりながら、キーファが言い聞かせるように言った。其処でアルスは、漸くマリベルから目を側め、キーファの方を見上げた。喧しい心臓の音を意識から追いやりながら、深く息をつき、しがみ付く腕の力を徐々に緩めて行く。
「……いや、僕が運ぶ」
 と、長い沈黙の後で答えた。心配するキーファを目で制し、いつの間にやら放り出していた銅の剣を拾って仕舞い、力無いマリベルの手足を取って動かしながら、どうかこうか背中に乗せて立ち上がった。往々にして意識の無い人間は重いものだが、マリベルは思ったよりもずっと軽くて、ちっとも手応えが無い。この背中から離れ、いなくなったとしても分からないような軽さで、アルスは不安を覚えた。
「……マリベル、ちゃんと乗ってる?」
「ああ」
 誰にとも無く尋ねると、キーファが返事をした。酷い顔色をしているらしいアルスを、キーファは心配してくれる。
「……なあ、ほんとに大丈夫か?」
「大丈夫」
 アルスは一歩踏み出しながら、だらりと垂れ下がって揺れるマリベルの手を見た。マリベルはどんなに怒った時でも、絶対に人を叩いたりはしない。手を繋いだり、肩に触って注意を引いたり、そうした優しい仕草のために使われる。その手は真っ白で冷たくなっていて、恰も幽鬼のようだった。アルスが取り乱した分、キーファは却って冷静になったようで、周囲を警戒しながらアルスの様子を見た。
「教会に行こう。村の奥のほう……わかるよな?」
「うん」
 軽いとは言い条、人間一人を背負って歩くのは尋常な苦労では無い。戦闘で疲弊しているから猶更である。アルスはキーファに先導されながら、無心で足を動かした。くたくたに疲れていたが、アルスはマリベルを放そうとせず、キーファがおぶると言っても頑として譲らなかった。手放したく無かった。途中で魔物の群れに出会して、マリベルを地面に横たえて置く時は辛かった。かくしてほうほうの体でエンゴウに辿り着き、疲れた体に鞭打って、村の一番奥に位置する教会まで向かった。
 エンゴウの教会は椅子も机も無い。火の神が余計なものを嫌うためである。その何にも無い床の上に、アルスはマリベルをそっと横たえて、神父に事情を話して治療をお願いした。神父はまず、マリベルの体に付いた傷を修復した。跪いて集中すると、淡雪のような白い光が中空に浮かび、収斂して水滴のように零れ落ち、マリベルの体に染み渡った。ホイミの呪文とは違う、特別な術のようである。そして完全になったマリベルの体に、祈りを捧げて魂を呼び戻した。マリベルのそばに屈み込み、アルスとキーファが固唾を飲んで見守っていると、すぐに変化が現れた。横たわっていたマリベルが、小さく呻くような声を上げ、ゆっくりと目を開けた。
「……ん〜、よく寝た……」
 と、何とも気の抜けた事を言いながら、のんびりと身を起こした。状況が良く分かっていないようで、寝起きの潤んだ瞳のまま、マリベルは神父の顔を見詰め、続いてアルスの顔を見た。
「アルス、あんたひどい顔よ。どうしたの?」
 安心したアルスは、すっかり力が抜けてしまい、大きく溜息をついた。キーファもさぞ脱力したろうと、隣の幼馴染をちらと見やると、彼は嬉しそうににこにこしていた。
「いやー、おどろいたよ。マリベル、おまえ死んじゃってたんだぞ」
「えっ、あたし?」
 マリベルは目を丸くして、微笑んでいる神父を改めて見詰めた。中年の神父は人の良い笑みを浮かべながら、少し下がって、マリベルと適切な距離を置いた。
「具合はどうです?」
「ええ、大丈夫……。神父さま、ありがとう」
「お役に立てたようで、何よりですよ」
 神父に重ねて礼を言い、かくして教会を出た三人は、疲れたのでもう寝ることにした。町の南方の、小さな宿屋に向かって歩く。自分が死んでいたと言うことに対して、マリベルは未だに実感が湧かないようで、後頭部のごわごわした血の塊を鬱陶しそうに撫でていた。
「あたし、死んじゃってたの……。どうりで、アルスがなさけない顔してるわけだわ」
「ああ、アルスもびっくりしてたよな」
 実際、アルスは見苦しいほど取り乱していたのだが、キーファはそれについて触れず、びっくりしたの一言で片付けた。アルスは気恥ずかしかったので、そうだねとだけ答えて終わりにした。魔物の手に掛けられて、肉体が殆ど完全に残っている人間ならば、教会の神父に御霊を取り戻して貰える。そうとは知っていたのだが、いざ幼馴染の死を眼前にしてみると、身も世も無く周章狼狽してしまった。割合淡白な性格のアルスは、自分がああまで取り乱すとは思わなくて、我ながら少し驚いていた。マリベルが何も覚えていなかったのは、却ってありがたいのかも知れない。宿に着くと、やはりマリベルも体力を消耗したようで、ベッドにごろりと横になった。
「……でも、おしかったな」
 血塗れの頭巾を脱ぎ捨てながら、マリベルが呟いた。
「死んだ時って、死後の世界を見るっていうじゃない? あたし、なんにも見なかったわ」
 おじいちゃんが好きだった彼女は、もし会えたら嬉しかったのにと言った。アルスは冗談として聞き流したが、マリベルに死後の世界など見て欲しく無かったので、内心ほっとしていた。
 結局のところ、魔物を沢山倒した割に、大した利益は得られなかった。それ以上は何もする気になれず、三人は宿屋でごろごろして過ごし、早々と寝に就いた。その夜更け、アルスはこっそり起き出した。隣ですやすや眠っているマリベルを見て、布団越しに腹の辺りが動いていることに安心する。しかして宿屋の裏に銅の剣を持って行き、誰もいないのを確認し、一人で素振りを始めた。アルスは下段に構えて斬るのが下手だから、其処を重点的に狙って剣を振る。していると、段々汗をかいて来た。夕方お湯で綺麗に拭いたばかりなのに、汗臭いとマリベルに嫌がられてしまう。後で水でも被ろうと思いながら、アルスはひたすら剣を振るった。
「がんばるわねえ……」
 小さな呟きに、アルスは飛び上がるほど驚いた。思わず剣を構えるも、相手がマリベルだと知っているから、倉皇と剣を収める。マリベルは宿屋の壁面に寄り掛かりながら、口ほどには関心していない風で、つまらなそうにアルスを見ていた。
「マリベル……」
「明日起きらんなくても知らないわよ」
 マリベルはそう言ったが、帰るつもりは無いようで、相変わらずアルスのことをじっと見ている。しかし、アルスは気勢を削がれたような心持ちで、手に持つ剣を持て余した。
「ほら、続きは?」
 マリベルが咎めるようにけしかけた。
「見られてると、やりづらいんだけど……」
 そう言って動かないアルスに、彼女は業を煮やしたのか、そばに来て剣を奪い取った。そうして、変なへっぴり腰のような格好で、剣をぶんぶんと振り始めた。情けない恰好だが、本人は一生懸命なので、アルスは黙って見守った。マリベルは暫く頑張っていたが、そう長くは続かず、剣を下ろして肩で息をした。
「つかれた〜……。けっこう重いのね」
 と、マリベルはアルスに剣を返した。マリベルの持った剣は、柄に彼女の手の温かさが残っている。アルスは珍しく、少しやり込めてやる気になって、こなれた所作で剣を振って見せた。ウッドパルナから使っている武器なので、すっかり手に馴染んでおり、刀身が綺麗な音を立てて空を切った。
「あー、イヤミなやつ!」
 マリベルは大袈裟にむくれてみたが、機嫌は良いらしい。アルスに取り付いて、再び銅の剣を奪い取ると、手の届かないところまで逃げてしまった。エンゴウの夜は暖かく、動いたアルスには少し暑いくらいである。マリベルも少し暑いらしく、闇夜に頬が紅潮しているのが窺えた。取るだけ取ってしまうと満足して、マリベルは銅の剣を地面に置き、乱れた赤毛を手で梳いた。
「あんた、わざとらしいわよ」
 出し抜けにそう言われてしまい、アルスは少々面食らった。
「そうかな……」
「そうよ。あたしが死んだからって、責任感じてるんでしょ」
 図星だったので、アルスは何とも言わずに頭を掻いた。マリベルを守るのはアルスの役目である。浜辺に出るげじげじや蟹から、人を食らう魔物まで、彼女が怖がるものは全てアルスが退けなければならなかった。しかし、マリベルを守るには、アルスはあまりにも非力なのである。だから、人知れず訓練をして強くなろうと思ったのだが、言われてみればわざとらしく、取って付けたような行動だった。マリベルはずけずけと指摘したが、少し口元を緩めた。
「……でも、ちょっとうれしかったりして。あんた、ちゃーんとあたしを守ってくれるつもりなのね」
 と言って、照れくさそうに後の言葉を付け足した。
「はずかしいだろうから、あんまり言わないであげるけど……あたし、死んだ時のこと、おぼえてるわよ。ありがと」
「えっ、おぼえてたの?」
 虚を衝かれ、アルスは思わず問い返したが、マリベルはそっぽを向いてしまった。
「もう言わないって言ったでしょ。この話はおしまい!」
「でも、どこからどこまでおぼえてるの?」
 あんなにしがみ付いていたことがマリベルにばれたら、怒られるかも知れないし、何よりアルスが恥ずかしい。どぎまぎしながら食い下がったが、マリベルは素気無く背中を向けた。
「だから、おしまいだってば!」
 そう言い置いて、宿の方へ駆け出した。どたばたと扉を閉めたのを、アルスは追い掛けようとして、剣を置き放しだったのを思い出し、拾いに戻った。そうして宿の部屋に入ると、マリベルは既に布団に入っており、うつ伏せになって枕に顔を埋めていた。長い付き合いだから、アルスは彼女が寝たふりをしていると知っている。どうやら怒っているのでは無く、照れているらしい。それなら話は簡単で、アルスとマリベル、照れている者同士、昼の出来事を胸に仕舞っておけばいいだけだった。アルスは安心し、ちょっと照れくさく思いながら、いそいそと布団に潜って目を瞑った。
「おやすみ」
「……おやすみ!」
 アルスが小さく呟くと、返事があった。マリベルはすやすや寝ている筈なのにと、アルスは少し笑いながら、布団を顎まで引き上げた。明日はもう少しだけ強くなって、もう少しだけマリベルを守れるようになるだろう。

2017.01.09