ひきつるかさぶた

 かつてこのドラゴンズホールには、竜の幼獣ばかりが住まっていた。竜帝が神獣の力を取り込むまでの繋ぎを得るべく、配下の同族を食らって養分にしたために、成獣は皆姿を消していたらしい。捕食者が死ぬと、只でさえ人の身の丈に並ぶほどであった子竜達は、今や倍の大きさにも成長していた。皮肉にも主を失った事で存えるようになったわけだが、これを好機と捉えるのは竜ばかりでは無かった。
 デュランは紺碧のデスブリンガー片手に、巨竜に向かって肉薄し、挨拶代わりに足の鉤爪を叩き割った。振り下ろされた腕を肩で受ける。腹に剣を突き立てるも、鱗が厚くて入らない。切っ先が表皮を削った勢い、腕をかわして背後に走った。太い尾を踏み台にして背鰭に乗り、相手がこちらを向いた刹那、デュランはその目玉を貫いた。けたたましい叫び声が上がった。
 剣を抜くのに手間取っていると、竜が何度も頭を振り、体ごと地面に投げ出された。体勢を立て直そうとした拍子、傍らに底知れぬ穴が口を開けており、そちらに気を取られた瞬間、竜が両手の爪を振り下ろして来た。咄嗟に剣で受けるも、衝撃で弾かれる。よろめいた所をどうにか踏ん張り、潰れた左目側の死角に回り込み、尻尾を切り落とそうとしたら、丁度剣とかち合う形で尾が叩き付けられた。そのまま弾き飛ばされ、仰向けに倒れると、鋭い牙が目の前に迫っていた。毒霧を吐こうと竜が口を開いた隙に、喉を目掛けて剣を突き通す。刺した弾みで口が閉じ、腕に牙が食い込んだが、構わず抉り続けた。出血と逆流したブレスが混じり合い、喉の奥でごぼごぼと嫌な音がした。そしてついには肘から先の感覚が無くなってしまったが、それで終わりだった。断末魔を上げる暇も無く、巨竜は沈黙した。
 念の為、デュランはしつこく喉を抉ってから、弓手でどうにか竜の口をこじ開け、剣を引き抜いた。脱力した竜が凭れるようにのしかかる。重くて身じろいだ拍子、顎からの流血が夥しく滴った。液汁を脳天から被ってしまった彼は、気色悪さに頭を振った。ひょっとしてまだ生きてやしないかと、分厚い鱗を叩いてみたが、とうに息の根は止まっているようだった。デュランは痛む方の腕をかばいつつ、竜の亡骸を押しのけ、口に入った体液を吐き出した。それから荷物を漁り、ポトの油で応急処置をするついで、毒消しのプイプイ草を探していると、ふと時間の感覚を失っている事に気が付いた。この洞窟は溶岩の照り返しだか何だかで、昼夜を問わず赤く染め抜かれており、昼夜の区別がまるで掴めないのだった。そろそろ家に帰るべきだろう。彼は厚手の布を取り出し、デスブリンガーの刀身に巻き付け、携行に耐えうるようにした。そして決闘の証として、竜の鱗を一枚剥ぎ取り、荷物の中に詰め込んだ。今や鎧の一つでも作れそうなくらい集まっていた。
 地の底を出ると、月は西の空へと傾きつつあった。凍える空気が傷に沁みて痛む。ぶつけたせいで体中が痛いし、返り血が冷えて寒くなって来たしで、さっさと帰って寝てしまおうと、荷物から太鼓を探し出していれば、後背から聞き慣れた鳴き声がした。フラミーが洞穴の入り口に留まって、戻って来るのを待っていてくれたのだった。寒さのせいか、黄色い羽毛を膨らませており、いつもより丸っこかった。
「よう。出迎えご苦労」
 ぬくそうな風体に引き寄せられるように、デュランがそばへ行って撫でようとしたら、牙を剥いて威嚇された。不思議に思って手を見下ろすと、黒ずんだものでべったり濡れていた。女の子であるフラミーは、汚れた手で触られるのが嫌いなのだった。慌てて鎧の裾で拭い、心持ち綺麗になった手を差し出すと、彼女は渋々ながら頭を屈めた。
 世界は平和になった。魔族は魔界に、亡者は冥界に去り、悪しき竜は勇者の一刀の下に伏した。自然、魔物達の権勢も弱まり、傭兵や騎士の果たすべき役割は減ったものの、食い扶持を稼ぐ程度の仕事にはありつけた。かくして誰もが安穏と暮らしていたのだが、困ったのは聖剣の勇者その人であった。
 デュランは未だ戦いの記憶が忘れられず、故国で傭兵を続けながら、退屈を持て余していた。仕事で憂さを晴らそうにも、並みの人間では弱っちくて相手にならんし、フォルセナ近郊の魔物など三下も三下、斬っても打ち物汚しにしかならず、思う存分戦える機会などありもしなかった。それで強者との決闘を求めた挙句、夜な夜な竜の巣穴へ潜り続けたわけであるが、ついにはフラミーにまで愛想を尽かされたようで、目的地が其処だと知るなり振り落とされるようになってしまった。彼女なりにデュランの身を案じてくれたのだと、頭では分かっていながらも、鬱憤は溜まる一方である。とにかく強い奴を倒したくてならず、果ては決闘を夢にまで見るほどだった。
「血が見てえよぅ」
「ぶっそうな事言わないでよ」
 そんな事をアンジェラに零したら、案の定怒られてしまった。
 早春の砌、いつもの六人と一匹とは、皆でお茶をするためジャドに集まっていた。主たる目的はアンジェラとの再会である。真冬の雪原は猛烈な地吹雪に見舞われるため、アルテナの人間は一ヶ月ほど国から出られなくなってしまう。そのため冬季は殆ど会わずじまいだったのだが、漸く雪の降りもおだゆんで来、久々に全員が顔を合わせる機会に恵まれた。積もる話もある事で、駄弁りながらのんびりと旧交を温めるつもりが、デュランのせいでそうも行かなくなってしまった。誰しもデュランの顔を見るなり、その傷はどうしたのかと眉を顰めたし、事情を聞いたらますます心配した。なるべく肌を隠せるような重装備で来たものの、顔の傷痕は誤魔化しようが無かった。隣に座るシャルロットが、デュランの袖を捲って溜息をついた。
「ずいぶんはでにやりまちたねえ。あんたしゃんがけがしても、もうシャルロットはなおしてあげられないんでちよ」
「すまん」
「およよ、おデコにもきずが……。どーやったらこんなとこ、ひっかかれるんですかね?」
 子供なので触れて来る手に遠慮が無い。おまけに彼女が傷を見付ける度、反対側のアンジェラが逐一薬を塗ってくるもので、デュランは思い切り椅子を引き、挟み撃ちから逃がれた。
「あの、私でよかったら、けいこのお相手になりますよ」
「オイラも」
 武闘派のケヴィンとリースが申し出た。二人も腕が鈍ってしまったらしい。
「気持ちはありがたいんだが、そんなんじゃ全然足りないんだよ」
 流石のデュランも、仲間を傷付けたくは無いのだった。魔物を相手取るにせよ、雑魚をいたぶるのは嫌で、地獄の竜共を相手にして、気息奄々で生きて帰れぬような目を見るくらいで無いと鬱憤が晴らせなくなっていた。そんな有様に、仲間達は概ね同情を寄せてくれたが、アンジェラとシャルロットは化け物を見るようだった。
「……なんか、それって、もんすたーがいいそうなことでちね」
「こう言ったら悪いかもだけど、あんた、ちょっとおかしくなってるんじゃない?」
 そう二人に指摘され、デュランも素直に首肯した。
「おかしいのは分かってるさ……。しかし、自分じゃどうする事もできないんだ」
 自覚はあれど、いざ人から言われてみると傷付くものだった。ちょっと気を落としてしまい、デュランが机に顎を乗せていると、丁度カールの顔が同じ高さにあった。背伸びして机に手を置いた格好で、じっと見詰めて来る。ジャドでは狼が厭忌されるが、カールに於いてはどうやら犬だと思われているらしく、連れていても特段気に留められない。鬱蒼とした月夜の森は肌寒いのか、彼は未だに冬毛のままで、暖かなこの地方だと暑そうに舌を出していた。隣でそのひげをいじくっていたシャルロットが、身を乗り出し、机上のパンを手に取った。
「ケヴィンしゃん。カールに、おやつあげてもいいでちか?」
「いいよ」
「あ、私もあげてみたい」
 ケヴィンが了承すると、アンジェラもパンを取って小さく千切り始めた。
「じゃあオレも」
 つられて他の皆もパンを取り、オレも私もと挙ってカールにおやつを与え出した。ついでにデュランも一緒になってあげてみた。くんくんと鳴いて口を舐めてくれる狼は、大きくなっても人懐っこくて可愛らしいものだった。一頻りカールを構い倒した後、再び席に着く。流石に五人分は多かったようで、余ったパンをケヴィンが平らげた。
「オイラには、おかしいように見えないよ。いつものデュランだ」
「オレにもそう見えるけど」
 ホークアイが頷いた。
「君、前に会った時はふつうだったよな。何でいきなりそうなっちゃったわけ?」
「実はふつうじゃなかったんだよ。でも、オレ元から気荒いし、こんなもんかと思ってたんだが……」
 さして自覚は無かったものの、旅を終えてからこの方、似たような気分を抱き続けていたのだった。しかるに以前、同じ相談をフォルセナの同僚に持ち掛けてみたら、異口同音にお前は元々そんなものだと返された。だからこんなものかと納得していたのだが、時を経るにつれいよいよ気性の激しさが増し、おちおち仕事に身が入らず、家族に心配を掛けるようになって漸く、デュランは自分の異変に気付いたのだった。考えてみれば、旅をする間は欲求が満たされていただけで、おかしいのはそれ以前からだったのかも知れない。一通り心当たりを話し切ってしまうと、考え込んでいたリースが言った。
「もしかしたら、クラスのせいかも知れません。デュランさんも、闇の力を選んでいましたよね?」
「ああ」
 奇遇にも六人ともが闇クラスだった。クラスチェンジに際しては、全員が全員目的のために必死だったせいで、力が手に入るならば光だろうと闇だろうと道は問わんつもりで祈ったのだった。お陰で皆、邪教の司祭だの暗殺者だの悪の大魔導師だの、碌な肩書を持っていず、それに伴う碌でも無い修行を積んでいた。だとすれば、デュラン一人の問題とは限らなくなる。他に最近様子がおかしい人、と挙手を求めれば、ケヴィンが小さく手を挙げた。
「オイラも、最近、そわそわする……」
「ケヴィンはしょうがないと思うけどな。だって、住んでる場所が様変わりしちゃったんだろ?」
 蜂蜜水を飲みながら、ホークアイが気安く答えた。それが如何にも何でも無い風だったから、ケヴィンも少しは気が楽になったらしい。
「……そうかも」
 頷いて、故郷の近況を訥々と話した。
 月夜の森は普通の森になった。マナストーンが失われた頃から急速に月の数が減って行き、ついには太陽の光が差し込むようになった。明るくなって獣も獣人も大喜びである。いかんせん、興奮余って以前より凶暴性が増し、ケヴィンはかくある同族の体たらくを見る事で、自分もこうなってしまうのでは無いかと不安に思ってしまったのだった。荒っぽい事や騒がしいものが嫌いな性質からしても、周囲に気圧されてしまうのは無理からぬ話なのだろう。斜向かいのアンジェラが、机に上体を凭れさせ、彼と目線を合わせた。
「たしか、アルテナで、気分を落ち着かせるお茶を作ってたよ。この町でも売ってるから、みんなのおみやげにしなさい」
「うん、そうする」
 当たり前のように言ってのけ、ケヴィンも素直に聞き入れたが、傍から見ればおかしな話だった。此処からウィンテッドまでは随分距離がある。
「そのお茶、そんなに出回ってるのか?」
「当然よ。アルテナの大事な交易品なんですもの」
 デュランが突っ込むと、彼女はえらそうに頷いた。今し方塗っていた軟膏も、ポトの油と似て非なるものだったらしく、言われてみれば妙に薬草臭かった。温暖な気候を失い、農産物の自給に苦心するアルテナは、他国との貿易でそれを補う事になった。代わりに何を輸出するかと言うと、薬が主らしい。元来魔女の国なだけあって、製薬の研究も盛んなのだった。リースも薬の出来には太鼓判を押した。
「アルテナのお薬は、ローラントでも使われてるんですよ。魔法みたいによく効くの」
「あるてなさん、おくすりやさんになったんでちか。すごいでちねえ」
「アンジェラも、ずいぶん国の事に詳しいんだね。さすがは王女様」
 シャルロットとホークアイが感心して褒めると、アンジェラは椅子にふんぞり返った。
「でしょ」
 そうしてにこにこ笑いながら、得意気にデュランに向かって目配せする。むきになるどころか、却ってデュランは意気消沈してしまった。
「変わってないのはオレだけか……何だろ、精神弱いのかなあ」
 折角の楽しい席なのだし、くよくよ考えるのはやめようと、飲みさしの酒を引き寄せたら、脇からアンジェラが手を伸ばし、奪われてしまった。
「あっ、こいつ!」
 と、取り返す間も無く飲み干されてしまった。彼女は不味そうにちょっと舌を出し、空のグラスを返して寄越した。
「こんなものに頼ってるから、精神弱くなるんでしょ」
 そのままあっかんべーをして来たアンジェラと、暫し睨み合う。いつもの事だから、皆微笑ましく見守るだけで、誰も止めようとはしなかった。
 丁度その折、頼んでいた軽食が運ばれて来た。春らしく、きゃべつとえんどう豆のスープである。温かい内に頂くべく、ひとまず相談は置きにして、揃って黙々とスプーンを動かした。畑から採れたばかりのようで、しゃくしゃくと歯切れの良い食感がし、濃い味付けに野菜の味が良く映える。食べながら、今度はローラントの近況を聞いた。国の事に触れる際、かつては深刻そうな表情を浮かべてばかりいたリースだったが、最近は嬉しそうに話す事が増えた。
「すっかり元通りとまでは言えませんけど、いつも通りに過ごせていますよ。ドレイ商人に売られてしまった人達も、みんなローラントに戻ってきました」
「ほんと、無事でよかったよね」
「ええ」
 アンジェラもリースも、揃って屈託無く微笑した。
「つらい思いをさせてしまったけど、生きてくれていただけでよかったと思います」
 王子エリオットと同じく、兵隊以外の人民は殆どが奴隷として売られていたのだった。城の修繕や飛行船の入手に際し、魔族も資金が必要だったらしい。彼らを国へ助け戻すに当たって、フォルセナとアルテナの両国は助力を惜しまず、そうした切っ掛けで二国とローラントは随分とお近付きになっていた。特にアルテナとは昵懇の間柄で、近々両軍の合同演習を行うそうだった。そんな事を話していれば、シャルロットが羨ましくなったらしい。夢中で食べていたのが、スプーンから口を離した。
「リースしゃん。たまにはうぇんでるにも、かおをみせなしゃいな。あんたしゃんがげんきにしてるかって、おじいちゃんがきにしてまちたよ」
「ごめんなさい。そうね、司祭様にも報告しなくちゃ」
「そうしなされ」
 リースが聞き分けると、彼女は鷹揚に頷いた。
「くるんだったら、いまのうちでちよ。もっとあったかくなると、ひとでごったがえしちゃいまち」
「ええ」
 偉そうに言うシャルロットに対し、子供に甘いリースは、嬉しそうに笑って了解した。其処でシャルロットは、スプーンを持っていない方の手を伸ばし、空中で小さく振った。欲するものを察したホークアイが、パンの籠をそちらへ押しやった。
「ありがとさんでち」
「どういたしまして。ウェンデルも忙しいんだね。マナがなくなっちゃっても、司祭さんのミイツは相変わらずか」
「まあ、そんなもんでちょ。じんせーのなやみに、まなのちからはかんけいありまちぇんもん」
 元々光の司祭は、参拝者の傷病を癒すより、懺悔や相談を聞く役目の方が多かったそうである。何しろ年が年なので、極力無理をさせまいと神官達が配慮しているのだった。シャルロットも祖父の健康のため、一緒に昼寝をする時間を設けさせたと。彼女は大人びた口振りで語りつつ、スープの最後の一滴を浚おうと、器にパンの欠片を押し付けた。
 スープを食べ終わると、今度は苺が出された。時期には早いのだが、今年は割に暖かく、森に沢山実っているらしい。大きな籠に盛られたのを、粒が小さいから、皆幾つも口に頬張った。甘酸っぱい果汁を楽しみながら、すっかり春めいて来たと話していたら、ふとリースが思い出したように言った。
「そういえば、そろそろ剣術大会の時期なんですよね。デュランさんはどうなさいますか?」
「……いちおう、参加しようとは思ってる」
 デュランが答えると、彼女はちょっと身を乗り出した。
「ぜひお願いします。あなたの参加を、エリオットが楽しみにしてるんですよ」
「ああ……」
 青い瞳を輝かせるリースに対し、デュランは浮かない顔で応じた。俯いて視線を落とした所を、シャルロットが覗き込んで来る。
「デュランしゃん。もんすたーをたおすのはやめて、けんじゅつたいかい、がんばりなさいな。おもうぞんぶん、たたかえまちよ」
「そりゃオレだって戦いたいけどさ……今のままじゃ、取り返しのつかない事をしでかしそうなんだ」
「なら、手加減して戦うのはどうだい?」
 続いてホークアイ。それにもデュランは首を振った。
「だめだよ。訓練ならまだしも、大会で手ぇ抜くのは相手に対する侮辱だ」
「めんどくさいわね」
 アンジェラが苺を摘み、口に放り込んだ。デュランはむっとして応じる。
「しょうがねえだろ。男のメンツの問題なんだ」
「しょうがないよ。手加減すると怒られるんだ。獣人だったら、みんな怒る」
 今度はケヴィンが取り成した。彼を指差し、アンジェラに向かって言う。
「ほらな。オレがめんどくさいんじゃねえんだって」
 アンジェラはまして面倒くさそうに、肩を竦めて見せた。まあ魔導師には分かる筈も無いかと、端から承知していたデュランは、そちらから顔を背けた。すると、向かいのホークアイと目が合った。正反対の二人だが、これで案外気の合う所があり、互いの事を分かっている。今度も胸裏を察してくれたらしい。
「しかし、手加減しない事にはなあ……。君が本気で戦ったんじゃ、相手がかわいそうな事になっちゃいそうだよ」
「そうだろ」
 デュランは息をつき、床に置き放しのブロンズソードを見下ろした。魔法の力が消え、武器を随意に取り出したり仕舞ったりが出来なくなったせいで、鞘に収められないデスブリンガーは携行に不向きだった。そのため、普段は簡素な銅の剣で済ませている。剣術大会でもこちらを用いるのだが、業物は業物である。刃の通らぬ鎧や竜ばかりと戦っていたせいか、無意識に急所を突いて殺しに掛かる癖が染み付いており、それが人間相手に出たらと思うと恐ろしかった。ホークアイも自分のクラスの性質上、其処に理解と懸念を示した。やはり参加を控えるしか道は無さそうである。真剣な顔で聞いていたリースが、蜂蜜水で口を湿し、デュランに尋ねた。
「この事について、英雄王様は何かおっしゃっていますか?」
「いや。みんなに頼んで、陛下には黙っててもらってるんだ」
「そう……。分かりました」
 彼女も察しの良い性格で、それ以上は触れるのをやめた。代わりにケヴィンが聞いた。
「相談した方がいいんじゃないか? 英雄王、色んな事知ってるから、何か分かるかも……」
「オレ一人の問題で、陛下のお手を煩わせたくない」
 と、デュランはお体裁を言った後、こっそり本音を付け足した。
「……それに、以前も言われたんだよ。お前はムチャをしすぎるきらいがあるから、もっと自分を大事にしろって。注意されといてこのザマなんだぜ」
「ほうらっはら、えーゆーおーのおじひゃんに、いいつけちゃいまひょ! おじさんからおこられれば、デュリャンしゃんらってくいあらためまひ」
 シャルロットが口をもごもごさせた。苺の詰め過ぎで半分くらい碌に聞き取れなかったが、付き合いの長い分、仲間達には意味が通じた。堪らずデュランが声を上げる。
「それだけはかんべんしてくれ! 国王陛下に失望されたらと思うと、情けなくて国にいらんねえよ」
 行住坐臥沈着冷静な態度を崩さぬ英雄王は、決して呆れた素振りを表に出さず、どんな相手をも見捨てる事は無いだろう。それが却ってやり切れないのだった。デュランは酒を飲もうとして、とうに空だったのを思い出し、代わりにアンジェラの蜂蜜水を引ったくった。アンジェラは眦を吊り上げたものの、取った事には言及しなかった。
「今でも十分情けないわよ。がっかりされたくないんなら、騎士らしくしっかりしなさい」
「騎士じゃねえよ。戦うしか能のない、ただのデュエリスト」
 そう言って、デュランは自棄っぱちで飲み物を呷った。つられたように、他の仲間も溜息をついた。
「こりゃ重症だ。落ちこむ時はとことん落ちこむタチだからなあ、デュランは」
 しかし剣士が剣術大会に出られないのは辛いよなと、ホークアイが労わってくれた。アンジェラも分かっているらしく、口では厳しい事を言いつつも、心配そうに柳眉を顰める。当のデュランは惨めになる一方だった。これだから陛下も叙任して下さらないのだろう、不様を自嘲していたら、シャルロットがそっと肩を叩いてくれた。
「そうすてばちになるもんじゃありまちぇんよ。おさけののみすぎでち」
「デュラン、いいとこ、たくさんあるよ。元気出して」
 ケヴィンも一緒になって励ました。
「ありがとよ」
 カールが机を潜って来、椅子の脇から顔を出した。彼も慰めてくれているようで、冬毛の温かさが身に沁みた。デュランは剣士になるべくして生まれた人間で、他の道など考えた事も無い。今までは単純に高みを目指し、仇敵を討ち倒すべく戦うのみで済まされたものの、この平和な世の中に於いては全く無価値な存在であった。これからどうするかを考えるよりは、闇の力に惹き込まれるまま戦い続ける方が楽で、それが故に化け物染みた無体を仕出かすのだった。この穏やかな世界を享受する仲間達とは、其処に大きな隔絶があった。悉く元気の無くなってしまったデュランに、リースはゆるゆると首を振った。
「英雄王様は、そんな事でデュランさんに失望なさったりしませんよ。心配なのは、あなたのケガの事です」
「そうだな」
 苺を頬張りつつ、ホークアイが同意した。
「一人でガラスの砂漠に乗りこんでくってのは、いくら君でもアブナイと思うぜ。戦えるのも、生きてる内だけだよ」
「ほんとよ。デュランに何かあったら、おばさんとウェンディちゃんはどうなるの? 家族の事も考えてあげなさい」
 いつに無くアンジェラも真剣で、そう切言されてはデュランも頷かないわけには行かなかった。
「……そうだよな。分かった、絶対ムチャはしないよ」
 家族のためにも友達のためにも、決して命を粗末にするような真似はしない。皆に約束すると、仲間達も安心して息をついた。其処で漸く、デュランは苺に手を付けたのだが、いかんせん蜂蜜水の甘さに負けて、酸っぱさばかりが口に残ってしまった。
 そうこうする内に、苺の山もあっという間に無くなった。最後の一掴みを取るついで、シャルロットがデュランに向かって尋ねた。
「ねえねえデュランしゃん。おでかけしないんだったら、かぜのたいこ、つかわないでちょ。シャルロットにかちて」
「ああ、いいぜ」
 デュランが頷くと、何故か既にホークアイが太鼓を持っており、彼女の所へ渡しに行った。
「はい、どうぞ。ついでに笛も預かっとく?」
「おきづかいなく。ひとのふいたフエなんか、いりまちぇんもん」
 と、シャルロットは丁重に断った。
「心配しなくても、吹いたって何も来やしねえよ」
 ホークアイから荷物袋を返され、デュランは適当に床へ放り投げた。珍獣同士で相通じる所があるのか、フラミーから事情を聞いたようで、ブースカブーも来てはくれなくなっていたのだった。他の人間が吹けばきっと応じるだろうが、シャルロットの前言通り、誰も人の笛を吹きたがろうとはしないので、現状ぴーひゃら笛は無用の長物だった。旅をしている時も、フラミーを呼ぶ係はいつもシャルロットだったから、いっそデュランは太鼓を譲ってしまおうかと考えた。
「これでデュランしゃんも、どこにもいけなくなりまちたね。いっけんらくちゃくでち!」
 嬉しそうに太鼓を鳴らす彼女に対し、アンジェラは未だ半信半疑の様子で、怪訝な顔をしていた。
「何だか、まだ心配だなあ……。デュランがあんなに落ち込むなんて、今まで一度もなかったわけだし」
 そう言って頬杖を突き、デュランの顔をじろじろ見やる。やがて、奮起したように上体を起こした。
「ねえデュラン。私の事、しばらくおうちに泊めてちょうだいよ。あんたが危ない事しないように、見張っててあげるから」
「泊まるのは構わんが、支度はどうすんだよ?」
「だいじょうぶ」
 デュランの問いに、彼女は下を向き、爪先で床を軽く叩いてみせた。
「あらかじめ、荷物は持ってきてあるの」
「はなからそのつもりだったのか……」
 道理で机の下に大きな鞄があるわけだった。用意周到さに呆れつつ、了解すると、アンジェラは両手を挙げて喜び始めた。上機嫌な方と黙然とした方、それぞれの顔を、リースが微笑ましく見守っていた。
「アンジェラは、デュランさんに会えるのがほんとに楽しみだったんですねえ」
「デュランじゃなくて、みんなに会いたかったのよ。ずーっと退屈だったんだもん」
 と、アンジェラが笑って皆の顔を見回した。
「オイラも、楽しみにしてた」
「ありがと。ケヴィンは素直で好きよ」
 同じくにっこりしたケヴィンに、彼女はキスを投げて寄越した。ともかくも、こうしてデュランの相談にも始末が付いた。一同血腥い話を忘れ、軽食を食べながら、それぞれの近況に花を咲かせた。日の暮れも遅くなる時節だった。