二

 ナバールのホークアイは、今日は特別するような事も無く、暇潰しに要塞をうろうろしていた。主のフレイムカーンは出払っており、首領が戻るまで盗賊稼業は休止である。盗賊団は本業の傍ら、砂漠の魔物を退治して、商人達の交通の便を計らってやったりもしているのだが、此処数日は不思議と魔物が大人しく、警戒の手も緩みがちだった。その上、ホークアイは腕が鈍ってしまわぬよう、進んで仕事を引き受けていたものだから、たまには休めと仲間に言い含められていた。ならばとジェシカをオアシスにでも誘おうとしたら、暖かくなって植物の蕾が綻んで来たらしく、そちらの世話で忙しいと。そんなわけで滅法暇だった。要塞をそぞろ歩き、哨戒中の忍者に景気を尋ね、井戸端会議のおばさん方にちょっと交じり、カウンターの姐さんに酒を勧められたりしながら、ニキータの所へ遊びに行った。したら、丁度ニキータが部屋から出て来る所だった。目が合うなり、彼は瞳孔の部分をまん丸くした。
「あ、アニキ。ちょっと来てくにゃさい」
 招かれるまま、ホークアイはニキータの居室にお邪魔した。彼の部屋は如何にも猫が好みそうな、仄暗くて手狭な様相である。ホークアイは普段の癖でつい、新しいお宝でも仕入れたのかと探してしまうが、今回はそう言った相談では無さそうだった。人目を憚るように、ネコ男は外を見回してから、きっちりと扉を閉め切った。
「お宝の話……って感じではなさそうだな。一体どうしたって言うんだ?」
 そう尋ねると、ニキータは一段と声を潜めた。
「……ここんとこ、砂漠に怪しげなれんちゅうがうろついてるそうにゃんです」
 忙しなく体毛を撫で付けながら、彼は事の次第を説明した。話によると、ナバールの仲間の一人が、火炎の谷に怪しげな人影が複数出入りするのを見掛けたらしい。不審に思って町で調べてみれば、それらの手合いは数日前から目撃されていたそうだった。早々に手を打たねばならぬ所だが、首領の不在もある事で、差し当たりは忍者軍も動きを取らず、要塞の防備を固めて対応するのだと。
「げんかいたいせー、ってやつですにゃ」
「ジェシカを連れ出さなくてよかったな」
 ホークアイは独り言ち、ニキータに問うた。
「……という事は、そいつらの正体もさっぱりなわけだ」
「あい。忍者軍達は、他のみんなに知られにゃいよう、こっそり動いてるみたいですにゃ。オイラはそれを盗み聞きしたんですけど……」
 話す内、先の事件を思い出したのか、ニキータはおぞましそうに毛を逆立てた。
「にゃんだか、またきなくさくなってきましたにゃあ……」
「だいじょうぶさ。オレ達もマヌケじゃないんだ、この間の轍は二度と踏まないよ」
 ホークアイは楽観的だった。砂漠の魔物達も大人しいし、何故だか不思議と嫌な予感がしないのである。不安は無いが、昨今魔物が鳴りを潜めている事に関係していそうで、その辺りを調べてみる必要があった。
「……しかし、気になる事は気になるな。オレ、谷まで行って見てこようかな」
「アニキぃ」
 ニキータが情け無い声を出した。
「あんまり、おじょうさんに心配かけさせにゃいでくださいよ。ジェシカさん、しまいにはアニキがニンジャ軍に入りやしにゃいかって、心配してるんです」
「ジェシカは考えすぎなんだよ」
 と、始めは笑っていたホークアイも、心持ち真剣になった。
「しかしだな。こう見えて、オレもけっこう心配性なんだぜ。魔族の連中がまた何かを企んでいるとすれば、危険なのは彼女だろ?」
「それは、そうですけどにー……」
「だから、ちょっと偵察に行ってくるよ。くれぐれも、ジェシカには内緒にしといてくれよな!」
 言うが早いか、ホークアイはさっさと部屋を出た。背後でまた情け無い声が上がった。
 出掛ける前に、自室へ戻って装備を整えた。無茶は禁物だが、相手が余程の規格外でも無い限り、少人数ならば確実に仕留める自信がある。事によっては一人で片付けてしまうつもりで、漆黒のマントを肩に掛け、使い慣れた暗器を懐に仕舞った。そうして部屋を出発し、要塞の外周を走っていると、見張りの忍者に呼び止められた。
「ホークアイ、どっか出かけるのか?」
「ああ。ちょっとヤボ用」
「そうか」
 装束のせいで誰だか分からんのだが、声からすると、フレイムカーンの養い子、鴉の名前を付けられた男だった。例の事件の影響か、彼は少し考える素振りをしていたが、お前なら良いかと呟いた。
「行くんだったら、門開けてやろうか」
「いや、こっちから降りるつもり。帰りは頼むよ」
 すぐ戻るからと言い置いて、ホークアイは外壁を渡って行き、上から門外へ飛び降りた。着地に際してちょっとよろめき、すっかり体が鈍っちまったと苦笑しながら、一路砂漠を駆けて行った。盗みも戦いも暫く御無沙汰だった。
 わざわざ人間から魔王の後継者を選んだ事や、人間界侵攻への実行部隊があれだけしかいなかった事を鑑み、ホークアイが類推する所には、どうやら魔族は兼ねてより瓦解寸前だったらしい。其処に持って来て、先代魔王が黒の貴公子によって弑逆され、美獣や伯爵と言った実力者も死んだとなれば、もはや先方も人間界にちょっかいを出そうとは思わないだろう。彼やリースにとっては、美獣が討たれただけで宿願は遂げられた上、正直金輪際魔族とは関わりたく無いと言うのが本音だったから、それで良かった。とは言え、魔族共が皆魔界へ引っ込んだわけでは無い。こちらに定住した連中も少なからず存在し、大抵は洞窟や山深い廃墟を根城にして暮らしていた。この火炎の谷にも、魔界の鎧や忍者共が数多巣食っているのだった。
 奇妙な事に、魔物達は皆姿を消していた。ダックの羽根やプリーストの割れた壷が散乱している様子から、何者かが彼らを殲滅して行ったらしい。途中、ソードマスターが入っていた鎧も落ちており、調べてみたら、獣か何かに引き裂かれたような傷と、鎧の継ぎ目に僅かな抉れが付いていた。相手は複数。警戒心がいやまし強まり、ホークアイは物陰に身を潜めながら、死骸の後を辿るようにして谷を下った。屍の道は延々と続き、しかして桟橋の辺り、以前マナストーンがあった場所の程近くまで来た。洞窟の陰から様子を窺うと、陽炎と煙が周囲に立ち込め、視界が悪いが、どうやら敵は一体しか残っていず、他は桟橋の向こうにいるらしい事が分かった。人型だからやっぱり魔族か、それにしては何処かで見たようなと思っていれば、相手がこちらに向かって来た。迎え撃つべく、武器を携え躍り出た直後、彼はすんでの所で手を止めた。相手も気付いたようで、喉元に剣が突き付けられたが、斬り付けては来ない。ホークアイは馬鹿でかい刀身を手で押しのけ、持ち主を怪訝に見やった。
「……なんだ、お前か」
 双方が声を揃えた。デュランも拍子抜けしたような顔で、剣の切っ先を翻し、血糊を払う所作を取った。
「こんな所で何やってんだよ?」
「それはこっちが聞きたいよ……」
 危うく投げ付け掛けた手裏剣を仕舞い、ホークアイはひとまずほっとした。これなら全ての辻褄が合う。他に仲間がいるのか聞こうと思ったら、答えは自ずと知れた。デュランが足元の鎧を蹴飛ばし、顧みて言ったのだった。
「おいケヴィン! ホークアイだぜ!」
 ケヴィンはそれどころでは無いらしかった。噛み付こうとする火トカゲの両顎を掴み、口を広げてどうにか踏ん張っている。やばいと思った拍子、ホークアイは目を逸らし、決定的な瞬間は見ずに済んだ。弾けるような音がした。ぼたぼたと中身を撒き散らし、二枚の皮に変わり果てたとかげを、ケヴィンは慌てて放り出した。両手を持て余した挙句、デュランの所へ走って来、鎧で拭く。骨の鎧と骨の爪が擦れ合い、嫌な音を立てた。
「うひー、きもちわりい!」
「なすりつけんなっての!」
 デュランが逃げ出すと、ケヴィンがこちらに矛先を移したので、ホークアイも後ずさって距離を取った。其処で漸く気付いたようで、獣人の少年はしげしげホークアイを見上げ、瞬く間に破顔した。右の頬が青く腫れていた。
「ホークアイも来てたのか。ひさしぶり」
「君、ひどいケガだよ。だいじょうぶなのか?」
「うん。ダックに殴られただけだよ」
 そう言って、痣を自分で小突いたが、やはり痛かったらしく、顔を顰めた。聞きたい事が山ほど喉に痞えており、ホークアイは口を開き掛けたが、弾け飛んで来た火の粉を見、ひとまずは噤んだ。話すには場所が悪い。
「……ま、立ち話もなんだし、ナバールにおいでよ。歓迎するからさ」
「そうだな。今日の所は引き上げるとするか」
 デュランは頷くと、どう見ても只の骨としか思えない兜を脱ぎ、頭を掻き乱した。帰り掛け、ダークプリーストは空を飛べなくなったせいで、壺を頭に被って歩いているとか、鎧や忍の手合いは魔族であるためか、今でも技の威力が衰えていないとか、ドレイクは相変わらず炎や氷を吐くのだとか、そんなような話をした。
 おおよその事情はこんなものだった。ケヴィンはジャドでの会話以来、どうにも落ち着かなくなってしまい、腕試しをしたくてうずうずしていた。そんな内証を獣人王に知られて喜ばせるのは嫌だから、彼は人知れず森を離れ、よりにもよってデュランへ相談した。その時分には既にアンジェラもフォルセナを発ち、国へ帰っていたらしい。そして今に至る。ホークアイは更に突っ込んで、どうして砂漠を訪れたのかも聞いてみた。其処にも歴とした理由があるのだった。いつの間にか行われていた四か国協議なるものにより、ドラゴンズホール、ミラージュパレス、ダークキャッスルの三地方は現在フォルセナの預かる所となっている。何故フォルセナかと言うと、今は各々内政に手一杯で、他に適当な国力を持つ国が無いからだった。それがアルテナ王女並びにローラント王女たっての要望により、期限を設けず封鎖され、立ち入る者は厳しく罰せられる決まりとなってしまった。王様と言うのはつくづく禁止が上手だなと、ホークアイとしてはぞっとしない話であったが、今回ばかりは妥当な判断としか認めようが無かった。かくある理由で、二人は地獄の門を叩くのを諦め、火炎の谷まで暴れにやって来たらしい。
 取り敢えず、ホークアイは友達を要塞へ連れて帰った。忍者の仲間に事情を伝え、他の皆には余計な心配を掛けぬよう、こっそりと部屋に向かおうとしたのだが、いかんせんずたぼろの異国人は只歩いているだけでも多分に目立つ。門を開けてくれた仲間を口止めし、何は無くともジェシカにだけは黙っていてくれるよう頼んだ。付いて来る二人はお構い無しで、辺りを物珍しそうに左見右見する。ケヴィンは首飾りも帽子も取り払い、片足立ちで飛び跳ねるようにして歩いていた。
「ホークアイ。くつのひも、ほどけなくなっちまった……ほどいて」
「あとあと。もうちょっとの辛抱だよ」
 ホークアイがそう答えた拍子、ケヴィンは大きく飛び跳ねた。
「でも、熱くて履いてらんないんだよ」
 彼は珍しく紐のブーツを履いていた。窘めの言葉は時遅く、既に片方は脱いでしまい、煤まみれのそれを振り回して歩いている。
「君が靴をはくなんて、めずらしいな」
 ホークアイが聞くと、ケヴィンは軽く蹴る真似をした。
「爪先に、鉄板しこんで、敵、蹴る。よく効くよ」
「あ、そうなんだ……。すごいね」
 楽しそうな少年に対し、ホークアイは聞いた事を少し後悔した。一方、デュランの方は大人しく追従し、正面の入り口を通らない事を不思議がっていた。
「どこに行くんだ?」
「オレの部屋。むさくるしいとこだけど、ゆっくりしていってくれ」
「そりゃどうも。……でも、首領に挨拶しなくていいのか?」
「フレイムカーン様は出かけてるんだ。あさってぐらいには戻るって言うから、その時にね」
「そんなにジャマするつもりはねえよ」
「そのキズじゃ家に帰れないだろ。治るまで、しばらくこっちにいなよ」
 変な所で常識的なデュランは、礼儀だの迷惑だのを気にしていたが、結句素直に頷いた。道々要塞の仲間から、手紙を受け取ったり、帰ったんならジェシカに声を掛けてやれとか言われたりしつつ、どうにか部屋に戻り着いた。流石の二人も草臥れたらしく、入るなり床へ座り込み、手当ての道具を漁り始めた。椅子を持って来ようかと申し出たが、いらないそうだった。ホークアイは棚を漁り、部屋に置いてある薬を残らずかき集め、二人のそばに並べてやった。
「こんなもんしかないけど……足りるかい?」
「だいじょうぶ。サルタンでいっぱい買ってきたんだ」
 と、ケヴィンが袋からまんまるドロップを掴み取り、彼に見せて来た。
「でもさ、ポトの油もまんまるドロップも、キズを治す力はほとんど無くなってるんだろ。ムチャもほどほどにしといた方がいいよ」
「分かった」
 素直な相槌が返り、二人とも大人しく応急処置を始めたので、ホークアイも自分の用を済ませる事にした。彼らに水を差し入れてやるのと、手紙を届けるのと、ジェシカに挨拶。まずはジェシカの所へ行こうと決め、預かりものの手紙を帯に挟み込み、自室を出た。そうしてまた要塞を走り回り、何の気無しに厨房を通ると、料理番の刀自に呼び止められた。
「ちょいと、ホークアイ」
 と、手招きして来る。皺だらけの顔に、ますます皺が寄っているので、どうやら説教をするつもりらしい。ホークアイはそのまま通りすがろうとしたが、フライパンで頭をはたかれるのも嫌だし、一旦足を止めた。お菓子でも焼いているのか、甘い香りに取り巻かれた。
「何かな?」
「あんた、煤だらけじゃないか。また谷の方まで行ってたんだろ?」
「……バレたか。ばーちゃん目がいいよな」
「ジェシカが言ってたんだよ」
 友達にばかりかまけていたら、自分の身なりに全く頓着しなかった。適当に笑って誤魔化しつつ、埃を払い落とそうとしたが、場所を思い出し、ひとまず後にした。嘘のつけないニキータは、ジェシカに尋ねられるまま押し切られてしまったのだろう。早晩必ず露見する事なのだし、其処の所は仕方無かった。彼女は先程まで此処にいて、料理を作るのを手伝っていたらしい。老婆は暖炉の鍋をかき混ぜながら、ホークアイに小言を言った。
「あんまりジェシカに心配かけるんじゃないよ。ただでさえ、フレイムカーン様がいないってのに……」
「すまなかったと思ってるよ。だから、今あやまりに行く所なんだ」
「ならいいけどね。ジェシカの所に行くんなら、これ持ってっておやり」
 窯を覗いていたホークアイを追い払い、彼女は中からお菓子を取り出し、てきぱきと木の器に盛り付けて寄越した。所謂ジンジャークッキーと言うやつだった。香りの出所はこれだったようで、空気がますます甘くなる。
「おいしそうだね」
「あんたも食べるかい?」
「ああ。……あ、でも、今友達が来てるんだ。みんなに聞いてからにするよ」
 この人の作るクッキーは、名前の割にちっとも生姜の風味がせず、蜂蜜味でとろけるように甘い。一往は断ったものの、良い匂いの魔力には逆らえず、ホークアイは無意識に一つ摘み取った。蜂蜜がたっぷり練り込まれており、口の中で軟らかくほぐれた。
「こら。行儀が悪い」
 と、老婆は器を遠くにやってしまった。それからいつもの伝で、お説教が続く。
「あんたにゃ、もっとしっかりしてもらわなきゃ。これからチビ助が増えるんだから、ちゃんとお手本になってやるんだよ」
「なに、子供増えんの?」
 ホークアイが尋ねると、彼女は大儀そうに頷いた。
「あんたがいない間に、フレイムカーン様から手紙が来たんだよ。またみなしごを連れて帰ってくるんだとさ」
「へえ」
 フレイムカーンの拾われ子の中では、ホークアイが一番年下だった。土台孤児がそうそういるわけでも無し、殆どの場合は親族に引き取られて幸せにやっている。ナバールはおしなべて、親の無い子供より、行き場の無い者達を引き取って住まわせる事の方が多かった。それに、フレイムカーンの細君、ホークアイにとっては母親代わりの存在なのだが、その人が早世した辺りから、盗賊団は生活に余裕が無くなりつつあった。当時は竜帝騒ぎの影響でマナが減少しており、其処から立て直すや否や、今度は美獣の登場である。随分と時間は掛かってしまったが、漸く全てが落ち着いて、ナバールも外から人を迎えられる程度になったのだった。聞いた所、どうやら新入りは男のようだった。ホークアイはケヴィンのような少年が頭に浮かんだが、それよりはずっと小さいらしい。要塞がますます賑やかになると思うと、頬の緩みが抑えられなかった。
「ついに、オレにも兄弟が増えるのかあ。なんだか照れるね」
「本当は、喜べるような事じゃないんだけどねえ」
 複雑な顔で、老婆は腰に手をやった。
「みなしごなんか、いないに越した事はないだろ。家族といっしょにいるのが一番いいんだ」
「まあ、そうなんだろうけどさ……」
 ホークアイはまた一つクッキーを頬張った。
「オレはナバールに拾われてじゅ〜ぶん幸せだから、その子だってそう思ってくれるよ」
 こんな場合は何を言っても怒られるものである。クッキーの器を引ったくり、ホークアイはそそくさと逃げ出した。親の顔は全く覚えておらず、そもそも拾われた経緯すら聞いていないが、知りたいとも思わないし、ナバール以外の友達も似たような境遇だったので、皆そんなものなのだろうと言うのが、彼の知りうる世界だった。
 しかしてジェシカの部屋まで来た。ノックの前に、体の埃を払い落とし、襟を正して、如何にも何事も無かったかのような体を装ってから、室内を訪れた。中にはニキータもいて、二人で話をしていたらしい。ジェシカは来訪者の顔を見るなり、矢も盾も堪らず立ち上がった。
「お帰りなさい」
「ただいま。はい、おみやげ」
 と、クッキーを差し出したが、ジェシカはお菓子より、ホークアイの様子に注意が行っていた。ホークアイは彼女を回れ右させ、背中を押しつつ、元座っていた椅子に落ち着かせた。ニキータの方も、始めは申し訳無さそうにもじもじしていたが、帯に挟まれた手紙に気が付くと、忽ち浮き足立ち始めた。差し当たりそちらの用事を済ませようと、手紙を抜き取り、軽く潰れた部分を整えてから渡した。
「ニキータ、お待ちかねの手紙だよ」
「やっぱりですか!」
 ニキータが耳をそばたてた。ネコ族特有の、巻物のような畳み方をしているからすぐに分かったらしい。恭しく受け取り、手紙に頬擦りせんばかりの喜びように、ジェシカも思わず笑みを零した。
「ジョセフィーヌさんからね」
「そうです、はい」
 頷きながら、彼はホークアイにそれと無く、口を割っちゃってごめんにゃさいと謝った。ホークアイもさり気無く、首を振って返した。
「部屋でゆっくり読むといいよ。おまえもクッキーもらってきな」
「そうしますにゃ。じゃ、オイラはこれで……」
「ありがとう、ニキータ」
 ジェシカが礼を言うと、ネコ男はやに下がった顔で手を振り、いそいそと部屋を出て行った。
 ちょっとした幕間劇に、ジェシカの気分も解されたらしい。怪我が無いかどうか、改めてホークアイの風体を見、何とも無い事に安心すると、漸くクッキーに手を伸ばした。しっとりと焼き上がっているため、かじっても音が立たなかった。窓際の棚に、彼女が大切にしている植物の鉢が並んでおり、鮮やかな花を咲かせている。暑さに弱いそれらのためか、窓に日除けの油布が張ってあり、外の刺すような日光を和らげる。春らしい暖かな様相だった。ジェシカはクッキーを勧めながら、ホークアイに向かって尋ねた。
「谷には誰が来ていたの?」
「オレの友達が来てたみたい」
「友達……?」
 彼女はきょとんとして、兄そっくりの吊り目を瞬かせた。ニキータの座っていた椅子を借り、ホークアイもおやつに相伴しながら、気楽に話す。こうなるだろうと想像は付いていたらしく、老婆はクッキーをたんまり盛ってくれていた。
「一緒に旅してたあいつらだよ。何でも、武者修行の旅に出てたんだってさ」
「そう……」
 未だ状況が飲み込めない様子だが、どうやらホークアイの友達が火炎の谷へと踏み込み、魔物を相手に喧嘩していた事は分かったらしい。ジェシカは気の毒そうに眉を顰め、胸元に手をやった。
「危なかったでしょう。お友達にケガはなかった?」
「だいじょうぶ。あいつら、とんでもなく強いんだ」
 ジェシカは彼らに助けられた恩があるため、ちゃんとしたお礼をしたがったのだが、今の所は疲れているからと遠慮して貰った。少なくとも嘘は言わなかった。ありのままを話せば定めてジェシカに心配を掛けるだろう。父親が不在の今、彼女に余計な不安の種を与えたく無いのだった。適当にお茶を濁そうとしたら、折しも相手の方から話題を振ってくれた。
「今度、ナバールに男の子が来るんですって。パパが引き取ったみたいなの」
「聞いた聞いた」
 と、ホークアイも喜んで話に乗った。
「名前はどうするんだろうね。いつものように、ハトとかスズメとかにするのかな」
「きっとね」
 ジェシカも楽しみで仕方無いらしく、頬を綻ばせた。女の子の彼女を例外として、フレイムカーンに名付けられた子供達は、おしなべて鳥の名を冠した。首領の趣味らしい。それぞれに似合うような名前を考えてくれるから、皆自分の名前を気に入っている。他ならぬ盗賊王の子にして、ナバール盗賊団の一員であると言う証のように思えるからだった。そうした仲間達から妹分として可愛がられて来たジェシカも、弟妹に接するのは初めての経験だった。
「私、いいお姉さんになれるかしら?」
「もちろん。こんな風に、おいしいクッキー作ってあげるといいよ」
「ええ」
 オレにも食べさせてと頼めば、ジェシカはまして嬉しそうに笑いながら、約束してくれた。
 ジェシカに暇を告げ、自室に戻ると、仲間二人はいつもの格好に着替えた後で、生傷にポトの油を塗っていた。切り傷と打ち身だらけで酷い有様だが、暫く休んで元気を取り戻したらしい。それにはホークアイも安心し、彼らに水桶を差し出した。
「はい、水」
「ありがとう」
「悪いな」
 丁度良い入れ物が無かったから、汲んだ桶のまま持って来たら、二人とも桶ごと傾けて呷っていた。ホークアイも少し貰いたかったのだが、すっかり飲み干されてしまい、拠無く、空の水差しを元あった場所へ戻す。
「クッキーもあるけど、食べるかい?」
「オイラ、いらない……」
「オレもいいや。ぱっくんチョコの食いすぎで、口ん中甘ったるくてさ」
 案の定、揃って首を振った。
「そうか。うち、食事の時間は決まってないから、お腹空いたら言ってくれよ」
「ふーん。けっこう適当なんだな」
 皆で一緒に食べるものじゃ無いのかと、デュランが不思議そうにした。普通の家で生まれ育った彼の目には、ナバールの暮らしが物珍しく映るのだった。
「みんなどっかに出かけてて、帰る時間がまちまちなんだよ。作る方は大変らしいけどさ」
「ビースト城とおんなじだ。ごはん作ってもらうヤツ、森で狩りして食べるヤツ、みんなバラバラ」
 ケヴィンの住むビーストキングダムも、親しい者はそれらで固まって暮らしているらしい。森を根城とするのは獣人兵の如き屈強な者達で、普通の獣人は案外ナバールと似たような共同生活を送っているのだった。先程からケヴィンの出で立ちに何かが足らぬと思っていれば、上着からふかふかした襟巻が取り外されていた。暑かったらしい。ホークアイは長い事この少年と一緒に旅していたが、着脱可能なのは初めて知った。と思ったら、無理矢理引き千切っていただけだった。余程暑かったらしい。相変わらずやる事なす事豪快だった。ホークアイも一息ついて、彼らのそばへ腰を下ろした。
「ジェシカが君達と話してみたいんだってよ」
「えっ……」
 矢庭にケヴィンがまごつき始めた。
「オ、オイラ、いい……。話、ヘタ」
 人見知りも変わらずな少年を、他の二人は笑いながら宥める。
「そんなにびびんなくても……」
「ちょっと挨拶するだけだよ。緊張する事ないって」
 そうは雖も、ケヴィンは今から身構えてしまい、渋面でそわそわと目を泳がせた。ホークアイはちょっと面白がりつつも、差し当たり少年を落ち着かせるべく言った。
「ま、そういうのは後で考えようぜ。せっかく来てくれたんだし、ゆっくりして行くといいよ」
 本来ナバールは隠れ里であり、外から人が訪う例は滅多に無い。貴重な機会で、折角だから仲間の皆に紹介したり、要塞を案内してやりたい所だが、まずはその物騒な風体をどうにかせねばならなかった。傷口から染み出した血が軟膏と混じり、何とも痛々しい風に滲んでおり、出血が収まるまで今暫く掛かりそうだった。一往手当ては済んだようなので、ホークアイも防具を拭くのを手伝ってやる。半ば固まり掛けた液汁と、谷に舞い落つ煤と砂とが入り混じり、乾布ではそうそう綺麗に落ちない。デュランの兜を磨きしな、持ち主へ尋ねてみる。こちらは鎖帷子を手入れする最中だった。
「アンジェラは元気かい?」
「ああ……」
 と、デュランは少し口籠った。
「あいつも忙しいみたいだな。アルテナに仕事があるってんで、この間ようやく帰ってくれたよ」
「君の仕事は?」
「しばらく休み」
 流石に国王陛下の手を煩わせるような真似はせず、デュランは前以て断りを入れてから国を出たのだった。只でさえ危険人物呼ばわりされているのが、頃来は血に飢えた狂犬さながらで、フォルセナとしては体良く厄介払いが出来たのだろう。国元の事情はいざ知らず、精神的には元気を取り戻したようで、その点に於いては一安心である。床に投げ出されたデスブリンガーの、海のような深い色の刀身が、血と脂でまだらに汚れているのを見、彼は磨きに掛かろうとしたが、何故か左の手を使おうとはしなかった。
「そっちの手、どうかしたのか?」
「何ともねえよ」
 デュランは事も無げに、左手をぷらぷら振って見せた。
「いちおう、動かさないようにしてただけなんだ」
 平気な事を示そうと、手の骨を鳴らし始めたデュランを、ホークアイは慌てて制止した。塗り薬では治りそうに無く、どうしたものかと腕を組む。
「困ったな……悪いけど、ナバールに医者はいないんだ。町に行くまでガマンできるかい?」
「別にいいよ。全然痛くねえし」
 医者なんかいらんと言い張るが、デュランの痩せ我慢はいつもの事だから、ホークアイは後で彼をサルタンまで連れて行こうと決めた。かかるほどに兜は大方綺麗になった。そもそもが骨なので、汚れなのだか地の色なのだか良く分からなかった。そちらは適当に隅へ打ち遣っておき、続いてケヴィンの籠手を拾い、同じように汚れを落とす。大きな刀傷が付いており、ささくれに引っ掛かって布が解れてしまった。ケヴィンはほっぺたの痣に湿布を当てているのだが、何度も剥がれては押さえ直し、面倒くさそうだった。
「ケヴィンはだいじょうぶか?」
「うん。オイラ、骨太いんだ」
 元気そうに腕を回すケヴィンの方も、余程深く殴り抜けたのか、手首の辺りまで体液の痕が残っていた。鎖帷子に手こずっているデュランが、こちらに声を掛ける。
「でもお前さ、火ん中に足つっこんでたろ。ヤケドしたんじゃねえの?」
「足、熱いけど、平気だよ」
 デュランの指摘通り、毛先が焦げたり肌が赤くなったりする様子からして、火傷を負った可能性もある。そう言えば先般やたらと暑がって、靴を脱いでいたのはそのせいかと思い当たった。ケヴィンは我慢強いきらいがあるため、怪我の自覚が無いのかも知れず、こちらも医者に診て貰うべきだった。魔法の力が無いと不便なものである。差し当たり、冷やすにつけ汚れを洗うにつけ、水が余分に必要だった。やり掛けを綺麗に磨き終え、ホークアイは立ち上がって二人を見下ろした。
「オレ、もう一回水取りに行ってくるよ。君達は、そこでおとなしくしてる事」
「そんなに水使っちまっていいのか」
 と、デュランが聞いた。
「おかげさまで、井戸もオアシスもすっかり元通りだよ。まあ、湯水のようにってわけにはいかないけどね」
「そうか」
 ホークアイが答えると、彼は殊勝な態度を見せ、少し俯いた。
「……こんなに迷惑かけるんだったら、違うとこに行きゃよかったな」
「そういう問題じゃないだろうよ。そもそもこんなアブナイ事をするなって話」
 流石のホークアイも、小言を言わずにはいられなかった。傭兵がすまんと言う前に、ケヴィンが慌てて声を上げる。
「ホークアイ、デュラン怒らないで! オイラが悪いんだ」
「もちろん君だって悪いさ」
「ごめんなさい……」
 返す刀で叱責を受け、ケヴィンが体を縮こめた。ホークアイは説教が苦手で、大概適当に話を茶化すか、聞かない奴は端から相手にしないかで、謝られたら即座に赦してしまう性分である。しかし今度ばかりはきつく言い付ける必要があった。
「カールはどうしたんだ? 君がいなくて、さびしがってるだろうに」
「ビースト城においてきた。だいじょうぶ、みんなカールに優しくしてくれるよ」
 だから心配いらないと、ケヴィンは早口に付け足した。そう言う問題でも無いと窘めようとした途端、頬の湿布が剥がれ落ちてしまった。拾って再び貼り付けようとしたケヴィンの手から、砂まみれの湿布を取る。
「こりゃもうダメだな。新しくした方がいいよ」
「オイラ、これ、いらない……。はらなきゃダメか?」
「だめだよ。腫れが引くまでは貼っとかなきゃ」
 ホークアイが言い付けると、ケヴィンは渋々ながら、まっさらな包帯を小さく千切り、ポトの油で浸して貼り付けた。どうにも怒る気勢を殺がれてしまい、ホークアイは改めて二人を見下ろした。負傷は置いても、つい今し方まで嬉々として魔物を屠り回っていたとは思えぬ落ち着きようで、性格も特別普段と変わらない。いつぞやデュランの言った通り、闇の力に傾倒した影響が未だに残っているのか、凶暴性は本人の意志と全く無関係な所で働いているらしい。
「……念のため聞いてみるけど、君達、戦いをやめる事はできないんだよな?」
「ウン、たぶん……」
「ああ。なんか、体が落ちつかねえんだよな」
 と、二人揃って頷いた。中毒とはそう言うものなのだろう。ホークアイには良く分からないが、自分が泥棒をやめられないのと一緒なのかも知れないと思い、ひとまず自分の中で整理を付けた。
「自分じゃどうにもならないわけか……。こうなったら、またみんなに相談してみるしかなさそうだな」
「……まさか、アンジェラに話すのか?」
 デュランがぎくりと身を竦めた。
「もちろん。彼女がそういうコトに一番詳しいんじゃないか」
 途端、傭兵は居住まいを正し、床に手を突いた。終いには頭まで下げそうな勢いである。
「頼むから、アンジェラだけはかんべんしてくれ! だってあいつ泣くんだよ!」
「あ〜あ。オレ知〜らね」
 ホークアイはそっぽを向いた。それほどまでに親身になってくれる子がいると言うのは幸せな事だが、泣かせる方は碌で無しである。必死に食い下がる男に対し、無視を決め込む。したら、ケヴィンも取り縋って来た。
「たのむ、カールに言わないで! オイラがこんなじゃ、ケイベツされちまう……」
「黙っててやりたい所だが、いずれは二人の耳にも入る事だ。あきらめな」
 情け無い声で騒ぐ所を、どうにか宥めすかし、まあ取り敢えず聞けやと、ホークアイは二人を楽な姿勢にさせた。
「こうなっちまったら、もはやオレ達の手に負える問題じゃないんだよ。何とかして、早いとこ手を打たなければ。君なんか、ロクに仕事もできやしないんだろ?」
「ああ。家族のためにも、オレががんばらなきゃいけないんだが……」
 デュランが頷く。
「……しかし、演習なんかで同僚に大ケガでもさせたら大変だろ。そんな事しちまったら、陛下に合わせる顔がない」
「気持ちは分かるけどな。オレだってそんな危険があれば、しばらくナバールを離れるかも知れん」
 彼の胸中に同情を示し、今度はケヴィンを向く。
「ケヴィンの方も、獣人の血が抑えられなくなってるのかも知れないな。君に限って、仲間を傷つけるようなマネはしないと思うが」
「いや」
 しかしケヴィンは首を振った。
「似たような事、前にもあった。……だから、カールのそばを離れていたいんだ。大事なトモダチ、アブナイ目にあわせたくない」
「そうか……。君は以前もそのせいで、つらい思いをしたわけだしな。それは仕方ないと思うよ」
 二人とも、周囲に迷惑を掛けたくないと言う気持ちが第一にあり、大いに斟酌すべき事情を持ち合わせているのだが、その結果どうして武者修行の旅に出るのか、ホークアイには到底理解出来そうに無かった。気分が荒れてしまっているのなら、何処か景色の美しい場所にでも行って、ゆっくり気持ちを落ち着かせれば良いのである。その辺の精神状況も仲間に相談せねばならない。彼らと同じく戦士のリースならば、気持ちを理解して打開策を考えてくれるかも知れなかった。そう言えば彼女は今頃、アルテナとの合同軍事演習に参加している筈で、アンジェラと一緒に楽しく過ごしているのだろうと考えると、何とも羨ましくなってしまった。可憐な女友達の姿に思いを馳せつつ、目の前の友達に立ち返ってみると、尚更怪我が痛々しく見え、ホークアイは眉を顰めた。
「とにかく、まずは医者だな。君達のぐあいがよくなり次第、みんなに連絡して、サルタンまで来てもらうとしよう」
 彼は既に決まったつもりで言ったが、他の二人は了解出来ない様子である。
「……アンジェラには、言わないでほしいんだけど……」
「カールにも……」
 しょんぼりと肩を落としながらも、両方とも食い下がって来た。当然ホークアイは首を振った。
「あきらめなって。こればっかりは聞けないよ」
 其処をどうにか勘弁してくれと、足にしがみ付こうとする二人を振り払い、ホークアイは部屋を出ようと、扉に手を掛けた。
「待てっ!」
 途端、帯の両端を思い切り引っ張られ、不様に床へとすっ転んだ。そのまま室内へ引き摺り込まれる。締め上げるついで、胴体が帯から両断されそうになり、焦ったホークアイはすかさず凶器を投げ付けた。取り敢えずデュランを倒した。ケヴィンの注意が逸れた隙に、彼も凶器で殴り付けて昏倒させる。其処で漸く帯が緩み、まともに息が継げるようになった。
 満身創痍のデュランとケヴィンが俯せに倒れている。足元には血に塗れた彼らの武器と、凶器の鉄の塊が散乱する。この状況を人に見られるわけには行かず、ホークアイは真っ先に凶器を始末し、武器の血糊を布で拭った。しかして仲間の容体を確かめ、自分の胴体の無事を確認した。幸いにしていずれも大過は無い。しかしながら、この馬鹿力共に掛かれば、人間くらいわけも無く千切り倒せるのだろう。先般の火トカゲの末路を思い出し、いっそ足の一本や二本奪って自由を封じた方が良かろうかと考えた所で、彼は自分も闇の力の影響を受けている事実に気が付いた。仲間に手を出してしまったにも拘わらず、恐ろしいほど冷静に証拠隠滅を図り、あまつさえ何処の関節を外そうかと算段していたのだった。クラスが暗殺者なだけに質の悪い拗くれようだった。まずい事になったと、ホークアイはこめかみの辺りを押さえつつ、引き続き現場の始末に取り掛かった。