逢魔が小道をちょっと踏み

「あいつら、遅いなあ……」
 宿のベッドに座りながら、デュランが呟いた。すると、のんびりと寛いでいた仲間達が、そちらに注意を向けた。
「ひょっとして、モンスターにでも出くわしてるんじゃねえの?」
「だいじょうぶよ。ホークアイがついてるんだから」
 アンジェラが答えた。彼女はデュランの向かいのベッドで、髪にブラシを掛けていた。その隣に座るリースは、少し心配そうな顔で、窓の方を見やった。
「でも、たしかに帰りが遅いわね……。港に行くだけで、こんなにかかるのかしら?」
「オレ、ちょっと見てくるよ」
 と、デュランが立ち上がり、兜を付け直していると、寝転がっていたケヴィンも起きようとした。
「オイラ、いっしょに行く」
「オレ一人で平気だよ。留守番たのむぜ」
 そう言い置き、デュランは宿を出て行った。外は昼間の終わり掛けで、日の傾きそうで傾かない、影の色濃く映る頃だった。
 アルテナ軍によるフォルセナ侵攻を退け、一行は港町マイアに戻って休憩していた。英雄王の助言通り、次はローラントに行って風の精霊を味方に付けたい所なのだが、獣人兵によるジャド制圧の関係で、マイアの港は現在休航中だった。今後船が出る予定はあるのか、状況を窺うため、ホークアイとシャルロットが港へ情報収集に向かっているが、なかなか帰って来ない。其処で焦れたデュランが様子を見に行ったのである。
 港は潮風が強く吹き抜けており、デュランはいつも以上に頭を滅茶苦茶にされながら歩いた。停泊している船が幾つか見られるが、殆どはジャドの件で立ち往生しているもので、船員達も退屈そうに甲板の掃除をしている。マイアの港はさほど大きく無いため、肝心の二人はすぐに見付かった。丁度話が付いた後らしく、こちらに向かって歩いて来る。表情で何と無く分かったものの、デュランは一往首尾を尋ねてみた。
「どうだった?」
「だめでちた」
 と、シャルロットが首を振った。
「ジャドの人達が帰れるまで、港は使えないんだとさ。ま、しょうがないよな」
 ホークアイは肩を竦め、事のあらましを説明した。噂によれば、獣人兵達はジャドから撤退したそうなのだが、真偽の程は今の所不明だった。確認のため、マイアからまず偵察の船を送らねばならない。それの準備や後始末が終わり、安全が確約された後、ジャドの人々の荷物を船に積み込み、彼らの引越しが終わってから漸く、通常の航行を再開するのだそうである。旅人が利用出来るまでには、少なくとも数日は要すると言った話だった。
「パロ行きの船なら、バイゼルから乗ったほうが早いんだってよ」
「そうかもな」
 相槌を打ちながら、デュランは頭に地図を思い浮かべた。バイゼルへ行くには黄金の街道を通って行く事になるが、此処で足止めを食うよりは余程早いだろう。
「おじょうちゃん、話はついたのかい?」
 と、船員の一人がシャルロットのそばに来た。デュラン達より背が高く、厳つい風貌の男だが、シャルロットは臆する事無く見上げた。
「んとね、ばいぜるにいって、おふねにのることにしたんでち」
「そうか。バイゼルは遠いが、歩いていけそうか?」
「へいきでち。がんばって、あるきまちから」
 大きく頷き、シャルロットが歩く真似をすると、船乗りは感心したように言った。
「こんなご時世に旅するなんて、大変だろうになあ。がんばれよ」
「うん! おじちゃんも、おしごと、がんばってくだちゃい」
 笑顔で手を振られ、船員はやに下がった顔で手を振り返した。去り際、デュランとホークアイにも、しっかりなと声を掛けてくれ、彼は仕事に戻って行った。シャルロットは愛想が良い上、傍目には頑是無い子供にしか見えないせいか、人から親切にして貰える事が多かった。本人も、美少女の役得だと得意気で、子供扱いされているとは思っていないらしい。デュランは踵を返し、二人に早く戻るよう促した。
「それじゃ、さっそく出発しようぜ」
「もう行くのか?」
 ホークアイは意外そうにしたが、シャルロットの方は気合十分だった。
「そうときまれば、ぜんはいそげでち。はやくいこう!」
「チンタラしてると、こっちの船に追いつかれちまうぜ」
「それもそうか」
 ホークアイもすんなり納得し、三人は連れ立って宿屋に帰った。妙に時間の掛かった理由については、ちょっと買い物をしたくらいで、本人達には遅かった自覚が無いらしい。待つ方と待たせる方にはそんな齟齬もあるものだった。
「おい、出発だぞ!」
 部屋の戸を開けるなりデュランは言った。中では相変わらず仲間達がのんびりとしており、気の抜けた顔で彼を見上げた。
「もう行くの?」
 アンジェラがさっき聞いたような事を言った。いつもの髪留めを外し、髪を下ろしている。欠伸でもしたのか、目元が少し潤んでいた。デュランはずかずかと部屋に踏み込み、自分の荷物を纏め始めた。
「行き先はバイゼルだ! ちゃっちゃと行かねえと、日が暮れちまうぞ!」
「バイゼル、どこ……?」
 ケヴィンも欠伸をした。その辺りでホークアイがデュランを宥め、取り敢えず皆にも情報を共有して貰おうと言う事になった。まずは港で聞いた話を伝え、ベッドの上に地図を広げる。周囲に全員が集まり、少し窮屈になった。
「この黄金の街道を通って、バイゼルに行くんだ」
 デュランがマイアを指し、南に続く長い道を辿って、海沿いの町で静止した。
「改めて見ると、けっこう遠いんだな……」
 ホークアイが呟いた。しかし、先般訪れた大地の裂け目で、街道を概ね半分進んだ事になるのである。あともう少し頑張ればバイゼルだった。
「道も悪くありませんでしたし、何とかいけそうですね」
 リースが身じろぎし、地図に体を近付けた。彼女も髪を解いてあるので、布団の上に金色と紫色が広がっている。と、近過ぎて地図の端を手で踏んでしまい、彼女は少し後ろに下がった。デュランが地図を少し引き寄せ、そちらの空間に余裕を持たせてやった。
「夜になるとゾンビ共が出てくるし、今日中に行くなら早い方がいいんだ」
「デュラン、バイゼル、行った事ある?」
 と、ケヴィン。
「一回だけな」
 デュランは頷いた。仕事で行った事があるのだが、往復するだけで一日が潰れる距離だったのを覚えている。その時よりずっと魔物は凶暴化しているだろうし、急ぐに越した事は無かった。
「よし、しゅっぱつでち!」
 シャルロットがそう言ったのを皮切りに、全員もそもそと準備を始めた。港に行った三人は殆ど身支度が終わっているので、他の皆が終わるのを待つばかりである。デュランは娘達の髪を手で踏まないよう気を付けながら、地図を畳んで仕舞い、ホークアイと荷物の確認を行った。荷物入れの袋を引っくり返して振ると、中からばらばらとドロップが落ちる。が、出て来たのはごく僅かな量だった。
「まんまるドロップがねえぞ」
「さっき買ってきたよ」
 ホークアイが足元の袋を拾った。十数個のまんまるドロップと、ついでに魔法のクルミやぱっくんチョコも買ってくれたが、これにはアンジェラが良い顔をしなかった。
「そんなのを買うんだったら、もっとドロップをたくさん買う方がいいのよ」
「まあ、もしものための保険って事でさ」
 ホークアイが適当にかわした。
「それなら、しょうがないけど……」
 小さく嘆息しながら、彼女はブーツを履き、踵で軽く床を叩いた。アンジェラは一時期お金に苦労したらしく、この中では最も実際的で吝嗇家なのだった。ケヴィンの支度はあっと言う間に終わったが、女性の二人は今暫く掛かるようなので、デュランは暇潰しに剣を召喚したり消したりして、いざと言う時使えるのを確かめた。魔法の力は便利なもので、武器は勿論、道具も仕舞う事が出来、倉庫にまで繋げられるのだった。
「ところで、これって、みんなのぶきもだせるんでちかね?」
 その様子を見ていたシャルロットが、試しに仲間の武器を召喚した。すると、彼女の手元にデュランの剣が現れ、弾みでベッドから下りてふらついた。危なっかしいので、デュランが自分の方に呼び寄せると、剣は消えて彼の手元に出現した。感心しながら、刀身に目をやる。
「こんな事もできるのか。万一取られちまっても、すぐに取り返せるな」
「あんたしゃんのけん、おもいでちねえ……」
 と、シャルロットは息をつき、ベッドによじ登った。
「慣れの問題だよ」
 デュランは物心付く前から、父親の剣でこっそり遊んだり、木刀を振り回してラビをいじめたりしていたせいか、剣が体の一部のようなものだった。だから剣の扱いこそ手慣れているが、反面、杖やフレイルを持つと何故だか手に重く、邪魔で仕方無いように感じるのだった。
「おまえだって、フレイルは重く感じないだろ」
 そう尋ねると、シャルロットは少し口を尖らせた。
「えー、おもたいでちよ。ずっともってると、てにあせかいちゃいまち」
「あ、そう?」
 言われてみれば、シャルロットはフレイルをすぐに仕舞っており、あまり手に持ち続けてはいなかった。戦い始めたのもつい最近からの話で、剣術が趣味かつ生業であるデュランとは事情が違うのだろう。
「オイラにもかして」
 ケヴィンも布団から下り、デュランの方に寄って来た。デュランが剣を渡すと、軽々と掲げてみせる。
「ほんとうだ。剣、重い……」
「その割には、ずいぶん軽そうじゃねえか」
 しかし、持っているとくたびれるらしく、彼はすぐに剣を返した。軽く手を握ったり開いたりした後、拳を鳴らす。
「ケヴィンしゃん、ぶき、いりまちぇんもんね」
 と、シャルロット。
「素手でも戦えるっていいよな。オレも練習しよっかな」
 そう言って拳を固めたデュランに、シャルロットは眉を顰めた。
「デュランしゃん、ぞんび、なぐれるんでちか?」
 デュランは固めた拳を見、ゾンビの顔を殴る光景を想像した。腐敗した表皮はずるりと剥けるし、あまつさえ芯まで腐りきっているので、叩けば何が飛び出るか分からないのである。何とも答えられず、彼は苦い顔でケヴィンを見た。
「……ケヴィン、お前よく平気だよな」
「ガマンしてる……」
 と、ケヴィンは俯いた。亡者だけでは無く、昆虫類を殴るのもかなり不快な感触がするらしい。今まで一言も弱音を吐かず、どんな敵をも果敢に相手取っていたケヴィンだが、実は内心気持ち悪いと思っていたのだった。しかし、彼はすぐに顔を上げ、笑止がる二人を安心させるように言った。
「でも、オイラ平気だよ。グラブつけてるから」
 健気なその姿に、デュラン達は同情を寄せた。気の毒な事に、黄金の街道は亡者と虫の温床であった。
 遊んでいる内に、仲間の支度も終わったらしい。皆立ち上がって身なりを整え、武器が出てくるかどうかの確認を行った。デュランは念のため、六人全員揃っているか数えてから、仲間に声を掛けた。
「さっき通った場所だから、勝手は分かっていると思うが……気をつけて行こうぜ」
「けがしたら、シャルロットにいいなしゃい。すぐなおしてあげまちから!」
 と、シャルロットが胸に手をやった。そうして一行は部屋を後にし、主人に礼を言ってから宿を出た。道々、六人で何でも無いような話をしながら、マイアの町並みを通りすがり、黄金の街道に出た。
 大地の裂け目の両端は、地形が隆起して山脈のように連なっており、黄金の街道からもその様子が良く見える。街道の敷かれた辺りは、なだらかな平地で歩き良いようになっているのだが、長らく人の通行が途絶えた事もあり、石畳ががたついて雑草が生い茂っていた。樹木が繁茂しているのも与って、存外視界が悪く、しばしば点呼を取りながら、六人ともはぐれぬように進んで行った。
「こいつら、何で体がバラバラになるんだろうな?」
 デュランはアサシンバグを斬り捨て、残骸から少し遠ざかった。周囲に大きな羽や足が散らばっている。敵の急所を突くのが上手いホークアイは、間接の弱い部分を斬り付けるので、ますます細かく分解されていた。
「魔法で攻撃すれば、バラバラにならないよ」
 アンジェラが黒っぽくなった虫を指した。聖なる光は触れると焼けるらしく、死骸が焦げ臭い。デュランは敵がいないのを確認してから、アンジェラの方を向いた。
「ムダ撃ちするなよ。いざって時にとっておけ」
「街道を渡るだけだもん。だいじょうぶだよ」
 と、アンジェラは気楽に杖を回した。
「念のため、温存しておいた方がいいよ。昨日みたいな事があるかも知れない」
 そばにいたホークアイも忠告した。吊り橋でアルテナ兵に攻撃された事を指していた。すると、アンジェラが忽ち肩を落とした。
「そうね……まだ、あの子達がいるかも知れないし」
 俯いた彼女を見て、下手な事を言ったかと、ホークアイが気まずそうな視線をデュランに寄越した。アンジェラはアルテナの侵攻に傷付いており、どうすれば良いのか思い悩んでいる。デュランが何か言おうとした矢先、腕に鋭い痛みが走った。
「いってえ!!」
 デュランが叫ぶや否や、ホークアイがその腕からダーツを抜き、飛んで来た方向に一投した。続いて、アンジェラが口早に詠唱を済ませ、そちらに杖を差し向けた。見事命中し、木陰から鼠のような悲鳴と物音が聞こえた。ホークアイは攻撃した敵より、無理矢理ダーツを引き抜いたデュランの方を気に掛けていた。
「悪い、痛かった?」
「おみごと」
 デュランは事も無げに返した。ダーツの針は意外と太い。腕には穴が開き、血が滲み出している。滲みを適当に指で拭き取り、本人は全く気にしなかったが、ホークアイは心配したらしく、シャルロットを呼んだ。
「シャルロット。悪いけど、治してやってくれるかい?」
 シャルロットは他の仲間と一緒に、敵の様子を見に行った所だった。空方に倒れたポロンの鼻先に、件のダーツが突き刺さっている。彼女はおっかなびっくりで、口元に手をやった。
「しえー、あたりどころがわるかったんでちね……」
「二人とも、すごい」
 ケヴィンが近くに屈み込み、ポロンの息の根が止まっている事を確認した。アンジェラも杖の先で、狸の焦げた尻尾をつついた。
「びっくりしたあ。かしこいモンスターがいるんだね」
「もっと警戒しないといけないわね。みんな、木の陰にも注意しましょう」
 槍を構え直し、リースが周囲の木々を目視した。すっかり日は傾いてしまい、西の山から仄見える陽光で、街道の煉瓦が黄金に輝いている。美しい光景だが、夜の影が忍び寄り、視界は悪くなる一方だった。デュランは率先して道の外れを歩き、隠れたポロンを叩きのめせるように構えていたのだが、不意に草むらでぐにゃりとしたものを踏んだ。踏んだ瞬間は硬いものに当たったが、表面のぬるついた物体に足が滑った。
「うっ……」
「どうしたんですか?」
 強張ったデュランに気付き、警戒していたリースが声を掛けた。デュランがぎこちなくそちらを向く。
「なんか、ふんだ……」
「な、何を?」
 そう言いつつ、二人には下を見る勇気が出なかった。デュランは他の仲間に声を掛け、その場で待機して貰うよう指示した。そしてリースと、せーので足元を確認する事に決め、思い切って下を向こうとした。したら、何かに足を掴まれた。湿っぽい腐った手だった。
「いっ!!」
 引きつった悲鳴と共に、デュランが咄嗟にゾンビを斬り付けた。命中して首が落ち、リースの方に転がった。
「きゃあ!!」
 リースも慌てふためき、足元をざくざくと槍で突き通した。またしても命中し、頭の皮が剥がれた。二人ともいよいよ総毛立ち、必死で盲滅法草を薙ぎ払い、泡を食って仲間の方へ逃げ出した。他の四人は状況を把握しあぐね、警戒を強めた。
「どうした? 何があった?」
 ホークアイの目付きが鋭かった。
「……道の外れにも、気をつけろ。ゾンビが埋まってる……」
 デュランが息も絶え絶えにうなだれつつ、声を絞り出した。ポロンはねぐらに帰る頃になったが、今度は亡者の闊歩する時間が訪れたのだった。連中は石畳を這い出しては来ないので、今度は街道を歩いた方が安全になる。息を整え、リースと顔を見合わせると、デュランは彼女の槍に何かくっ付いているのに気が付いた。良く見れば、ゾンビの頭皮と毛髪だった。デュランが引きつった。リースも彼の視線を追い、べろべろした物体が目に入った途端、驚いて武器を取り落とした。他の仲間も事態に気付き、表情を強張らせた。
「え、えんがちょ!」
 と、シャルロットがアンジェラの陰に隠れた。全員既に槍から距離を置いている。リースも大きく後ずさりし、槍を指差した。
「……これ、とってくれる人〜?」
「……オイラ、やる」
 硬い表情のケヴィンが、じりじりと槍の方へ詰め寄り、持ち手を拾い上げた。流石の彼も気持ち悪そうにしたが、穂先で地面を何度か叩き、ゾンビの皮を先端にずらしてから、誰もいない方向に振って落とした。綺麗に取れた。嬉しそうに槍を掲げる姿に、息を詰めて見守っていた仲間達も、漸くほっとしたが、肉片がくっ付いていた槍には近寄ろうとしなかった。
「近くに池あった。ヤリ、洗ってくるよ」
 皮さえ取れてしまえばもう平気らしく、ケヴィンは槍を肩に担ぎ、先程通り掛かった溜め池の方へ向いた。その様子を恐々見ていたアンジェラが、ふと気付いて言った。
「ケヴィン、目が光ってるよ」
「目?」
 不思議そうにして、ケヴィンは軽く目を擦った。金色の目が夕映えに反射し、獣のように煌いている。空を見上げると、彼は忽ち理由に思い当たった。
「……もう、夜だ。オイラ、ついでに変身してくる」
 と、ケヴィンは皆に背を向けた。
「おい、一人じゃ危ねえぞ」
 デュランも付いて行こうとしたが、ケヴィンは彼を半眼で見やった。
「……見ちゃダメ」
 そして少年は槍を携えたまま、早足で溜め池に向かい、林の間に隠れて見えなくなってしまった。ぽかんとしたデュランに対し、ホークアイが苦笑いでそちらを指した。
「変身してる時の顔が、はずかしいんだってさ。別に、ヘンじゃないんだけどな」
「私達は何度も見てるし、気にしなくていいって言ったんだけど……」
 リースも苦笑しながら、ケヴィンの行った方に目を向けた。繊細な一面のある少年は、色々と気にする所も多いようだった。
「……そう言われると、ますます見てみたくなるのよね」
「きになりまちねえ」
 アンジェラ達は興味津々だったものの、結局詮索しなかった。そうは雖も、離れているのは危険なので、皆はケヴィンの方を見ないようにしながら、溜め池の近くに戻って待機した。辺りの魔物に警戒しつつ、暫く待つと、池の方から真っ白な毛並みの獣人が現れ、槍を持ち主に返した。リースは彼を見上げ、喜んで受け取った。
「ありがとう、ケヴィン」
「ゾンビ、ニガテ……もういないといいね」
 やや低い声が返った。普段リースと同じくらいの背丈である少年は、彼女より一回り以上大きな狼男に変わっていた。中身は全くケヴィンそのままで、亡者を怖がって身を震わせた。
 池の水が綺麗だったので、デュランは少し掬って飲んでから、水筒に水を汲んだ。仲間達も同じく水を汲み、手を洗ったりして一息ついた。湖面に映るフォルセナの空は、一面藤色で、端にほんのりと橙の夕暮れが差していた。
「……暗いと、ちょっと心細くなるわよね」
 アンジェラが指先で水を掬い、髪の毛に付けて梳った。シャルロットも同意見らしく、影のように黒く染まった木々を見回し、気味悪そうにした。
「シャルロットも、よるはにがてでち……。デュランしゃん、ばいぜる、まだでちか?」
「まだ半分ぐらいだよ」
 デュランが南の方を見ると、シャルロットもそちらに目を凝らした。
「とおいんでちねえ……。まっくらになるまえに、はやくいきまちょ」
「焦ってもしょうがねえよ。慎重に行こうぜ」
 端から明るい内には着かないだろうと分かっていたデュランは、夜の訪れにもさほど焦りを感じなかった。これまでの道中で苦労しなかったのもあり、仲間達は少々気が抜けていて、バイゼルに着くまでは気を引き締めていかねばならない。此処でじっとしていても仕方無いので、六人は水の補給が終わり次第、すぐに歩き出した。道沿いに水路が流れており、さらさらと音なう流水が耳に心地良かった。
「なんか、とんでまち……」
 少し行くと、シャルロットが空を指差した。複数の黒い塊が、不規則な軌道で飛び回りながら、森の方から徐々に近付いて来ていた。
「バットムみたいね。だいじょうぶ、そんなにこわくないわ」
 リースが答えた。声は優しいが、鋭い目差しで槍を構えている。体が小さく身軽なので、バットムにはなかなか武器が当たらないのだった。先んじた一匹が襲い掛かろうとするも、リースが素早く叩き落とした。シャルロットはひとまずほっとしたものの、目を丸くして空を見上げた。
「ひえー、いっぱいきてまち!」
 彼女が叫んだ途端、甲高い鳴き声と共に、一塊のバットムが舞い降りて来た。纏まって戦うと怪音波の餌食になりそうなので、六人は一旦散開した。デュランはシャルロットを守れるよう、彼女の後ろを追従する。シャルロットもバットムを叩こうと、フレイルを構えて敵との距離を詰めた。狙いを定めて振りかざした瞬間、重心が後ろに行ってしまい、よろけて足踏みした。と、水路の斜面に踵が入り、シャルロットは坂を転げ落ちた。転がる彼女をデュランが掴もうとしたが、間に合わず、追って斜面を滑り降りた。水飛沫を飛ばさぬよう、シャルロットから離れた場所に着地する。落ちた方は尻餅を突いていた。デュランは剣を仕舞い、そちらに近付いた。
「おい、だいじょうぶか?」
「シャ、シャルロット、なきまちぇん……」
 おろおろ声が返った。シャルロットはずぶ濡れになってしまったものの、しかし幸いにも怪我は無いらしい。デュランは彼女を立ち上がらせ、川の上方を見上げた。周囲は草で覆われた斜面になっており、シャルロットがよじ登れるかどうか分からない。
「誰か、手を貸してくれ!」
 そばに仲間がいる事を期待し、デュランは道に向かって叫んだ。すると、程無くホークアイが姿を見せた。
「おむかえに上がりましたよ〜。無事かい?」
「へいきでち」
 と、シャルロットは濡れた袖で涙を拭いた。ホークアイは欲する所をすぐに察してくれ、屈み込んで斜面に身を乗り出した。其処へデュランがシャルロットを抱き上げてやり、自分を踏み台にするようにして、相手が彼女を捕まえられるようにした。腕を一杯に伸ばし、互いの手が届いた所で、ホークアイが矢庭に顔を伏せった。
「……うっ!! いてえ、こら、やめろ!」
 突然痛がり始めたと思えば、ホークアイは背後からバットムの襲撃に遭っていた。やり過ごそうと身を低くする内、川へとずり落ちそうになり、足を突っ張って踏み止まる。それでも彼はシャルロットを諦めず、手を掴みながら後方を顧みた。
「おーい、ケヴィン! 助けてくれ!」
 助けを呼べば、頼もしい獣人は颯爽と駆け付けてくれた。バットムを容易く蹴散らし、ホークアイに手を貸してシャルロットを引っ張り上げる。そうしてシャルロットは無事に上がる事が出来た。しかし、ケヴィンの攻撃を逃れたバットムが、今度はデュランの方へ降りて来た。顔面に体当たりされ、慌てて逃げ回る。
「うへ、こっち来やがった! ケヴィン助けて!」
「とどかない……がんばって」
 と、ケヴィンにあっさり見捨てられ、デュランは水上で孤軍奮闘する羽目になった。仕方無しに剣を取り出して振るうも、膝下まで水に浸かっていては身動きもままならない。難儀しながら一匹仕留めると、やがてバットム達は上の仲間に標的を変え、漸く街道へ戻る事が出来た。デュランが登っている間に、仲間達はバットムを全て仕留めてくれたらしい。シャルロットはホークアイに面倒を見て貰っており、少し服の水を絞ったが、着替えなければどうしようも無さそうだった。
「リース達はどこに?」
 くしゃみをするシャルロットを心配し、ホークアイが周囲を探した。丁度曲がり道に突き当たった辺りで、見通しが悪い。
「先に行っちゃったみたい」
 ケヴィンが答えた拍子、通りの向こうから声があった。
「ちょっとー、リースが虫にさされちゃったよー!」
 街道の曲がり角の先で、アンジェラが手招きしていた。そばにリースもいて、心持ち青い顔で、アサシンバグに引っ掻かれた腕を見ている。ひたひたと濡れた靴音を立てながら、シャルロットがそちらに向かうと、アンジェラが彼女の様子に気付き、目を丸くした。
「あっ、川に落っこちちゃったの? かわいそうに……」
「シャルロットにはおかまいなく。リースしゃん、けがみちて」
 と、手を差し出す。
「プイプイ草で治すから、だいじょうぶよ」
 リースが答えると、シャルロットは軽く息をついた。ほっとしたらしい。構えようとしたフレイルを下ろし、視線を落とした。
「……ねえ、シャルロット、もうくたくたなんじゃないの?」
 アンジェラは本人に聞くより、周囲に注意を促すように言った。リースもプイプイ草を取り出し、食べながら皆に聞く。少し古いせいか、しゃくしゃくと言う音が湿っぽかった。
「たしかに、ちょっと疲れましたね……。いったん、ドワーフの村で休憩しません?」
「ドワーフの村、近いの?」
 ケヴィンが地元のデュランに聞いた。
「とっくに通りすぎちまったよ」
 デュランは親指で後方を指した。考えてみれば、ドワーフの村やマイアで細切れの休憩を取ったきり、この地方では休み無しに動き続けていた。アルテナ軍の侵攻を防ぐためには致し方無かったのだが、それにしても相当の強行軍である。デュランは少し屈むようにして、シャルロットに問うた。彼女は話に容喙せず、足元を見詰めて黙って聞いていた。眠いらしい。
「シャルロット。ドワーフの村とバイゼル行くの、どっちがいい? どっちにしろ、まだ歩かなきゃならないんだが」
「……ばいぜるまで、あとどのぐらい、かかるんでちか?」
 と、彼女は目を擦った。
「分からん。かなり遠いと思う」
 街道のお陰で交通の便は良いのだが、マイアからバイゼルまでは大陸を殆ど縦断するようなものだった。およそ半日以上は掛かる旨を伝えると、シャルロットはますます怠そうにした。
「もどるのもめんどくさいでちね……。それじゃ、ここできゅーけいにしまちぇん?」
「きゅーけいって……街道のど真ん中だぜ」
 そう言って、デュランは周囲を見回した。其処で初めて、仲間達がくたびれた表情をしているのに心付いた。
「いいんじゃないか? ムリして歩いても、危険が増えるだけだと思うよ」
 と、ホークアイ。
「シャルロット寝るなら、オイラ達、みんなで見はってよう」
 ケヴィンも頷いた。そうして皆が同意を示したため、提案通り途中で一息入れる次第となった。見通しの悪い場所は危険なので、少し歩いて移動し、周辺にゾンビが埋まっていない事を念入りに確認し、休憩の陣地を取った。シャルロットは木陰で服を着替え、横になって丸くなったと思えば、忽ち寝息を立て始めた。アンジェラも疲れたようで、シャルロットに膝を貸しながら、木に凭れてうとうととまどろんでいる。見張りをする方は、水とぱっくんチョコを分け合いながら、四人で警戒に当たった。火でも焚きたい所だが、生憎火種になるようなものを持ち合わせていなかった。
「……オレ、今座ったら、二度と立てない気がする」
 ホークアイが木に寄り掛かって呟いた。一往武器を手にしているが、いつもの鋭さは無かった。
「オイラ、立って寝られそう……」
 ケヴィンも変身を解き、ぱっくんチョコの包みを破いた。全員足が棒になってしまい、腰を落ち着けた途端にがたが来そうだったため、立ったまま休憩していた。何故か今まで疲労に気付かなかったのだった。唯一リースは、皆に勧められて座っているが、やはり立ち上がる気力を無くしてしまったようだった。同じくチョコを開封し、半分欠いてホークアイに渡す。
「シャルロットはがんばりやさんですね。大変だったのに、つかれたなんて一言も言いませんでしたよ」
「だからこそ、オレ達が気をつけてやらなきゃいけないんだろうな」
 チョコを頬張りつつ、ホークアイが寝ている二人を見やった。リースも視線を追い、殊勝に頷く。
「そうね……」
 魔導師は元々の体力が心許無い上、魔法の使役によって精神力が削られるため、普通の人間より消耗が激しいのだった。アンジェラもシャルロットも、安心してすやすやと寝入っており、起こすのは憚られるようだった。
 どうせ足も濡れてしまった事で、デュランは先程の川にもう一度下り、剣を綺麗に洗って来た。登って仲間の所へ戻ると、皆ぜんまいが切れてしまったようで、その場に座り込んでいた。剣の水気を振り払いながら、デュランは彼らに声を掛けた。
「見張りならオレがやるから、みんな休んでなよ」
「デュラン、つかれてないか?」
 ケヴィンがちょっと視線を上げた。
「ああ。なんか、落ちつかねえんだ」
 そう言って、相手のチョコを一かけら貰い、水と一緒に流し込んだ。元来思い込んだら寝食をも忘れる性質で、フォルセナ襲撃の件で気が立っているせいか、一刻も早く紅蓮の魔導師に追い付きたくてならず、疲れが頭の隅に追いやられていた。仲間達は此処に来て疲れを思い出したようだが、デュランはまだまだ行けそうだった。しかし、多分これでは駄目なんだろうと、彼は少し反省した。無事に旅を続けるためには、自分や仲間の体力を知り、適宜休息を取って行く必要がある。そうで無ければ潰れてしまうのだ。旅をするのは案外難しかった。
「今日は満月だな」
 ホークアイが空を仰いだ。暮れ始めてから気にも留めていなかった夜空だが、南東の方角、散りばめられた星屑の粒に交じって、小さな丸い月が浮かんでいた。皆黙って空を見上げ、呆けた顔で星々に見入った。疲れ過ぎたせいか、頭に取り留めの無いような事ばかりが浮かぶのだった。暫くの事、遠くの方で野犬や梟が鳴く声と、仲間達の息をつく音だけが響いた。
「月夜の森、月、たくさんあるんだ」
 チョコでべたついた手を舐めながら、ふとケヴィンが言った。皆が視線を下ろし、彼の方を向く。
「いつも夜だって聞くし、ふしぎな所なのね」
 と、リース。最後のチョコの欠片を大切そうに食べていた。
「うん。最近、ちょっと減っちゃったけど……」
 以前は十個以上見えていた月が、今では六個や七個に減ってしまったらしい。それだけ多いと大して変化無いように思えるが、月が太陽の役割を果たす森に於いては、その数で夜の明るさが違ってくるため、減るのは喜ばしい事では無いのだった。それで数が減ったのかと、呆気に取られた仲間達の隣で、ケヴィンは懐かしそうに月夜を見上げた。
「月夜の森、みんなに遊びにきてほしいな」