たった一つのあいことば

 とある人間の活躍で、煌めきの都市は輝きを取り戻した。互いに思いやり、傷を癒し合う、本来あるべきだった姿を、珠魅達は漸く取り戻すことが出来たのである。長らく災禍へ置かれていたせいで、久々の穏やかな暮らしに戸惑っていた彼らも、時を経るにつれ次第に馴染んで行き、涙石を少しずつ分かち合いながら、平和に過ごしていた。
 瑠璃と真珠は、相変わらず各地を歩き回っている。珠魅から無理矢理奪ったところで、手に入るのは濁って死んだ石に過ぎず、それよりは只の宝石を手に入れる方が良いのだと、人間達に広く伝える必要があるのだ。その上、未だ何処かで眠り続けている同朋も存在し、彼らを見付けて蘇らせねばならなかった。煌きの都市に住む千と一の珠魅達は、騎士と姫とが揃わぬ者も多く、その上外界を恐れる気持ちが強いため、必然的に瑠璃達へ仕事が回されるのだった。
 種族の抱える問題は解されたが、瑠璃個人には問題が生じていた。可愛らしい真珠の姫君は、ぼんやりと考え事をしなくなり、道に迷う癖が抜けた一方で、代わりに今度は泣き虫が付いてしまった。ちょっと瑠璃がしくじって怪我をして、その傷が核の近くを掠めていたりしたならば、彼女は悲しくて悲しくてぽろぽろ泣く。瑠璃にしてみれば堪ったものでは無い。大切な真珠を傷付けてくれるなと、見かねたレディ・パールに窘められるし、まだ涙に慣れない種族であるから、泣かれるとどうすれば良いのか途方に暮れてしまうのだった。
 お陰で瑠璃の核はピカピカである。何もしなくても眩く光り輝く。同族からはパール様の寵が深くて羨ましいと言われる始末で、他意は無いのだろうが癪に障るし、めそめそする真珠がもどかしく、どうしても叱りつけてしまう。であるからして、軟化しつつあった瑠璃の気性は、以前の通りに戻ってしまったのだった。
 本日の瑠璃は、玉石の姫直々から依頼を受けた。仲間達から涙石を貰うことで、朽ちかけていた蛍姫の核は綺麗に修復されたのだが、積年の疲労はそうそう抜け切らず、今も自室で静養する日々を送っている。唯一の外出は、白の森にてマナストーンに癒される時で、幽邃たる森を散策するのが彼女の楽しみだった。頼まれごとの内容は、森に珠魅の気配を感じたから調べて欲しいと言うものだった。供を務めた騎士も、彼女と同じく気に掛かったらしいのだが、姫を森の奥深くまで連れ出すわけにも行かず、かと言って彼女を置いて探索するなど以ての外で、ひとまず看過したと言う次第であった。
「私達に預ければ良かったんだ」
 蛍姫の話友達、シエラは不満顔だった。丁度ヴァディスの毛を梳いていたところに瑠璃達が訪れ、そのまま応対したので、手に櫛を持って怒っている。同感であるものの、瑠璃は仲間の方に肩入れしてやった。
「騎士ってのは、姫のそばを離れられないんだよ」
「だが、その代わりを務めることは出来る」
「そうだけどな。アンタは珠魅じゃないだろう」
「いけないのか?」
 シエラの声がきつくなった。
「いつまでも珠魅にこだわっているわけにも行くまい。少しは他種族を信用して貰いたいものだ」
「シエラ。彼らには、まだ時間が必要なのです。私達が信を示せば、いずれ答えてくれることでしょう」
 見かねたヴァディスがそっと窘めた。
「ヴァディス様」
 主の言葉に、シエラの耳が心持ち伏せった。高台になっている大樹から、珠魅達の元に下りて来る。根の生真面目なドラグーンは、却って謝られた方がが気の毒になるくらい、真摯に反省していた。
「……すまなかった。そちらの事情を考えもせず、失礼なことを言ってしまった」
「こっちこそ悪かったな。アンタの言う通りだと思う」
「いや。この前の騎士も同じことを言っていたんだ。貴方達にとっては、譲歩しがたい問題なのだろう」
「あいつは愛想が悪いだけさ。珠魅の男はみんなそうなんだ」
 自分がそうであったから、瑠璃は身につまされる思いがした。珠魅が市井に溶け込むまで、こうした悶着が幾度もありそうだと考えると、どうにも先が思いやられる。蛍姫が上手く取りなしてくれれば良いのだが、当の騎士を前にして、珠魅達は人間不信だから仕方無いのだ、とは言いかねるだろう。しとやかな彼女は、いつも人の後に引いており、自らの意見を述べることが滅多に無いのだった。
 この場所はマナが濃く、ヴァディスの力に感応してか、空気が澄んで暖かく感じる。実り豊かで暮らしやすい反面、魔物達の動きも活発で、シエラは森の安寧を守るため、他のランドへお使いに出る暇が取れないのだと言う。魔物達は賢しらで、龍であるヴァディスが森に干渉して来ないのを良いことに、ドラグーンの不在を狙って悪戯を仕掛けてくるのだった。今のように早朝であれば、連中も塒で大人しくしているので、シエラもゆっくりと過ごせるらしい。
「アンタの弟、まだ帰って来ないのか?」
 と、瑠璃が尋ねると、シエラは頷いた。
「ああ。少なくとも、あと百年はかかるようだ」
「そんなに待ってられるのかよ?」
「私達の命ならば、それくらいは容易いことだ。君も珠魅なら、分かるだろう?」
 負けず嫌いの瑠璃は、分からないと言うのも癪だったから、黙っていた。シエラが彼を不思議そうに見ているのを、真珠姫が取り成した。
「瑠璃くん、まだとっても若い珠魅なの。百年ってどのくらいなのか、ぜんぜん想像できないのよ」
 このドラグーンは既に百年以上生きているが、瑠璃の命は弱冠二十に満たない。たった一昼夜離れている時でさえ、我が姫が心配で気も漫ろだと言うのに、百年など到底耐え切れそうも無かった。真珠の説明に、感心するのはヴァディスだった。
「珍しいこと。新たに珠魅が生まれたと言う話は、しばらく耳に入りませんでしたが……」
「そうね。わたしが知ってるみんなも、不死皇帝のころからいるわ」
 都市の中でも、エメロードなどは殆ど子供のような扱いだが、彼女の生まれさえ戦争以前だった。それを真珠やヴァディス達は、暫くと言うたった一言で済ませるのだから、瑠璃は閉口するばかりだった。
「時間の感覚がおかしくなってそうだな……」
「何人たりとも、時の流れは変わりはしない。待ち遠しい気持ちは同じさ」
 そう言って、シエラは気負い無く笑った。同じ時を歩んでくれる龍がいるから、彼女の待ち人に無聊は無い。役目こそ違うものの、龍とドラグーンの関係は珠魅に近しいものがある。命の長い生き物は、互いに寄り添わねばいられないことを知っていた。
 シエラが森の案内を申し出てくれたが、二人は断って辞去した。寛いでいるところを邪魔するのは気が咎める。それに、核の曇りも無く、重苦しい嫌な予感もしない。眠っている珠魅に危険は及んでいないと感じ取れる。だから、蛍達も保護を急がなかったのだろう。
 とは言え、土地柄迷いやすい。なるべく人の歩いた道を辿り、木立の合間や藪を抜けたりしないよう気を付ける。はぐれるのを避けるためと、魔物から不意を打たれないための用心だった。瑠璃は真珠と手を取り合って歩く。普段ならば頼まれてもしてやらないが、放っておくと彼女がまた何処かにいなくなりそうだし、それにどうせ誰も見ていないからと譲歩した結果だった。姫の喜んだこと、ほっぺを真っ赤に染めながら、繰り返し騎士の方を見上げてい、転びそうで却って危なっかしい。疎らな木漏れ日が快く、真珠の上機嫌な鼻歌を聞きながら、湿った落ち葉の積もる、靴が弾むような柔らかい土を歩いていると、散策にでも来た気分だった。
 先程のやり取りを反芻すると、シエラの言い分は確かに正鵠を得ていた。他の種族とて、珠魅と親しくなって然るべきなのだ。自分だって真珠を人間のフラウに預けたのに、この石頭も偏見で凝り固まっているのだと、瑠璃も反省した。
「細かいことに拘ってたら駄目だな。騎士と姫の関係があるからって、排他的なままでは危険を呼び込むばかりだ」
「だいじょうぶよ。パートナー同士も、ほかの人たちも、信頼する気持ちはおんなじだわ」
 と、真珠が鼻歌をやめた。
「同じと言ったってな……」
「わたしは瑠璃くんが好きで、瑠璃くんもそうだって分かってるから、みんなのことも好きになれるの。気持ちは誰かに分けてあげるものよ」
 そう断言した真珠は、自分で言ったくせに恥ずかしがって、繋いだ手をもそもそと動かした。二人の何とも言えない関係は、パールの騎士となった時から歯車がずれて来て、煌めきの都市が蘇った辺りで違った噛み合わせになった。真珠は以前にも増して素直だし、もはや瑠璃は彼女を妹分だと思っていなかった。ひたむきな言動に慣れている筈の瑠璃も、今度ばかりは真珠の顔を見る気がせず、魔物が出たのに託けて手を離した。敵を蹴散らしてからも、暫く無言で歩いた。心の拠り所と言うべきか、真珠はそんなような思惑を伝えたかったのだろう。絶対的に信頼出来る存在さえあれば、其処に気持ちの余裕が生まれる。信じられる相手がいるならば、人の裏切りを恐れることは無いし、もしも裏切られることがあったとしても、すぐに立ち直って新たな出会いを探すことが出来る。真珠の分かりにくい言い草には、そんなような意味が込められていた。
 森の奥から不思議な歌が、木の幹に反響しながら聞こえてきた。耳を澄ますと、豆豆言うだけの単純な歌で、そのうち真珠も一緒になって唱和し出した。まめ、まめまめぼくはまめ。いつまで経っても終わらない歌である。歌声を頼りに進んで行くと、見上げるほどの大きなきのこが周囲をめぐる、開けた場所に辿り着いた。合唱していたのは、鳥のような玉のような、桃色の小さな生き物で、瑠璃達の登場により、豆の歌は途切れてしまった。
 きのこに紛れて、隅の方に天幕が張ってあった。窮屈ながら、一通りの什物が揃い、書物は整然と重ねられ、なかなか居心地が良さそうな住まいだった。天幕の持ち主、ヌヴェルは小さなきのこに腰掛け、読書に耽っていた。この鳥人は、人となりこそ柔和で親切なのだが、如何せん書物に夢中になりすぎるきらいがある。今度も紙の世界に没入したきり、呼び掛けに応じる様子が無かった。焦れた瑠璃がずかずか歩み寄り、本を奪い取る。すると、老人はおもむろに顔を上げ、漸く少年に気が付いた。
「おや、あなた方は……」
「こんな所で何してるんだ」
 瑠璃が尋ねると、ヌヴェルは立ち上がり、鮮やかな翼を翻して挨拶した。真珠も頭を下げて応えた。
「豆一族の研究です。結論が纏まりつつあるので、そろそろ町へ戻ろうかと思っていまして。お二人は如何なさいましたかな?」
「珠魅の核を探している。心当たりは無いか?」
 瑠璃の問いに、ヌヴェルはゆったりとした所作で、顎に手をやった。
「ふむ……私は存じませんが、彼らなら分かるやも知れません」
 そう言った事情なのですがと、老人は豆一族に話を振った。頭に鳥の乗った、ひときわ偉そうな豆が出て来て応じる。
「プ」
 身振り手振り、小さな体を目一杯使った彼の言葉を、ヌヴェルがふんふんと聞き取り、やがて瑠璃達の方を向いた。
「彼らの中に、いつまでたっても孵る様子の無い、きらきらした卵を抱えた者がいるそうです」
 蛍達の勘は正しかったらしい。瑠璃が飛び付くような形で、老人に重ねて問うた。
「本当か? そいつはどこにいるんだ?」
「あちらの池で、仲間を作っているそうです」
 ヌヴェルと豆一族が一緒になって、木が疎らな明るい方を指差した。通訳を介した会話の運びに、またじりじりと不機嫌を募らせ始めた瑠璃を、真珠が宥めた。
「瑠璃くん、おこったらだめよ。豆さんがおどろいちゃう」
「焦らずとも心配はございませんよ」
 老人は静かに微笑んだ。
「一族はあなた方を歓迎するそうです。それが珠魅の核であれば、快く譲ってくれることでしょう」
 瑠璃が本を返すと、奪われていたことさえ気付いていなかったらしく、ヌヴェルはごく普通に再び読み始めた。こうなると何を聞いても答えることは無く、、彼無しでは豆と話が通じないのだが、二人は諦めて奥へと向かった。泉の方からも、まめまめ言う陽気な歌が聞こえていた。
 件の豆は、池のほとりで泥をしゃくっていた。掘り出した塊を丸い形にこね、別の仲間が葉っぱで扇いで乾かし、また別の仲間が目や嘴を縫い付ける。そうして完成した汚い土くれは、瞬きした合間に、ふわふわの豆一族に変身していた。新しい仲間を作り上げ、満ち足りた表情で汗を拭う豆に、真珠がしゃがんで話し掛ける。
「こんにちは。あなたたちのだれかが、きらきらした卵を持ってるって聞いたの」
「プ」
 適当に尋ねた相手がそれだったらしい。豆は頭を下げ、巣がよく見えるような姿勢になってくれた。真っ白な卵の中に一つだけ、乳白色の石が光を放つ。反響するように、二人の核が煌めいた。瑠璃も跪き、思わず手を伸ばそうとしたが、まずは相手に許可を取らねばならなかった。
「そいつはオレ達の仲間なんだ。譲ってくれないか」
「プ」
 豆は真珠の膝に押し付けるように、頭をぐりぐりと差し出して来た。それを了解と取った彼女は、卵をそっと掻き分け、巣の中から核を取り出した。傍目からは真珠の玉のように見えたが、こちらの宝石はもっと艶があり、白い中に緑や赤が溶けて入り混じっている。窮屈に詰め込まれていた卵達は、石が抜けたことで、解放された様子で藁に身を転がした。手にした核を、真珠がそっと抱き締める。瑠璃も覗き込み、核の様子を検めた。
「傷付いてはいないようだな」
「優しいきもちがするわ。豆さんたちと、いっしょにいたおかげかしら」
 丁度その頃、生まれたての豆の頭上へ、マメクイドリが巣を作り始めていた。基礎が出来ると、豆一族がわらわらと集い、巣の土台を綱でしっかり括り付ける。珠魅の核を持っていた豆も、その中に交じってしまった。皆似たり寄ったりの容姿であるから、こうなると石を持っていたのが誰なのだか判断付かず、二人は核の礼を言いそびれてしまった。取り敢えず全員に呼び掛けたものの、十匹ほどいる全ての豆が同じ反応を見せ、結局どれだか分からずじまいだった。
 用は済んだ。きのこの森へ戻り、ヌヴェルに挨拶して行こうとしたら、丁度彼も帰り支度を始めていた。二人の様子を見ると、優しげに目尻を下げる。
「どうやら、首尾良く終わったようですな」
「世話になったな。アンタも帰るのか?」
 と、瑠璃が軽く頭を下げた。
「ええ。ドミナに戻り次第、フラウさんにお話を伺うつもりです。女神様から直々にお言葉を賜ったと聞きますので」
「あいつは、女神を斬り倒したヤツなんだぞ。それでもいいのか?」
「構いませんとも。それが女神様の思し召しとあらば」
 老人は鷹揚に頷いた。女神が如何なる一面を持とうとも、信仰に偽りは無し。影がまた彼女の正体であるならば、これまで疎んじていた存在をも受け入れるまで。人はこれからも、女神の思し召しに悖らぬよう、慎んで生きるのである。ヌヴェルはそんなようなことを語り、何も考えていない草人は勿論、白眼視していた異教徒の存在も、それなりに受け入れるつもりのようだった。
「珠魅達もフラウさんによって救われたそうですな。彼女はひょっとすれば、女神様の御使いなのかも知れません」
 一人で行かせるのも心配だし、世話になった礼のつもりで、瑠璃はヌヴェルをドミナの町まで送ることにした。風吹く丘の教会は、長いこと放って置かれたにも拘わらず、何故だか綺麗に保たれており、老人が首を捻っていた。