二
草人達はある日、マナの樹を治しに行くとか言い出して、綿毛のように空へと飛び立ち、それきりすっかり姿を消してしまっていた。フラウと言う少女が女神を討ち、マナの力が世界に横溢してからも、一匹たりと戻らなかった。可愛らしい生き物だし、いないと随分寂しくなったと世間の俎上に乗せられた彼らであるが、暫くしたら続々と土から生えてきた。使命を終えた今、草人には何の目的も無く、好きなものを浴び、嫌いなものから逃げ、気ままに自由に暮らしている。
「またいなくなるかも知れないにゃ。今のうちに、一匹捕まえとくかにゃ」
算段するのはニキータだった。ドミナの小道の端っこに寝転ぶ草人は、身体中の葉っぱをいっぱいに広げ、無心で日向ぼっこを楽しんでいる。ニキータはその首根っこを掴もうとしたが、通りがかった瑠璃達を見るや否や、髭をぴくぴくさせて興味を移した。
「宝石のニオイがするにゃ」
「良く分かるな……」
ちょっと呆れながら、瑠璃が物入れから、小ぶりながら重たい袋を出した。ニキータの細い目が光り、忽ち小躍りせんばかりに浮足立った。
「それだにゃ! 珠魅の核かにゃ?」
「違う」
「なんにゃ。普通の宝石か……」
瑠璃が答えると、商人はあからさまに興味を無くし、また草人に目を移した。
「珠魅の核も、おみせにだすの……?」
真珠が恐る恐る問うと、忽ち笑顔を取り戻し、愛想良く応じる。
「心配ご無用! オイラはそんなテーゾクな人間じゃありませんにゃ。……そりゃ、一度はお目にかかってみたいとは思うけどにー」
「だったら、見せてやるよ」
瑠璃は先程保護した核と、比較対象として、只の宝石の袋も渡した。守銭奴だが、信用ならない相手では無い。ニキータは手を擦り合わせて受け取り、懐からルーペを取り出すと、取り敢えず核に向かって挨拶した。それから失礼とばかり、核をまじまじ観察し、ついで普通の宝石を検めた。
「ふむ……傷も無く、形も良い。どれも最高級の宝石だにゃ。スバラシイにゃ」
と、ニキータは両方の石を褒めた。核が美しいのは当然だから、瑠璃は只の石について触れる。
「珠魅が集めた宝石だからな。色ツヤだけなら、オレ達の核とも遜色無いくらいだ」
「だにゃ。珠魅の核にゃんか売らんでも、フツーの石でじゅうぶんにゃ。やっぱ人身売買なんかロクでなしのすることだにゃ」
「それをアンタが言うのかよ……さっき、草人を売ろうとしてたのは何なんだ?」
「ありゃ人でなしにゃ。ムシだにゃ」
どうにも胡散臭いものの、いくら金のためとは言え、ニキータは珠魅を商売道具に使うつもりは無い様子だった。もしも核を売ったなら、珠魅全体から恨みを買うことになってしまう。恨みの利息は高く付くのである。良き出会い、良き分かれ、気持ちの良い取引が彼の身上だった。
ニキータは、珠魅の核は早々に返したが、ちょっとでも時間を稼ぐように、宝石を一粒ずつ取っては日に透かし、のそのそと袋に仕舞っている。愚図愚図する様子を見、真珠が瑠璃の袖を引っ張った。言わんとする旨を察し、彼は商人に向かって言った。
「その宝石、アンタにやるよ」
「にゃんで?」
とニキータが首を傾げた。
「それくらいなら、街からいくらでも出て来るんだ」
喜ぶかと思いきや、ニキータは真剣な顔付きになった。
「ありがたいけどにゃ……オイラも商人の端くれ。こんな大金、タダで貰っちゃ据わりが悪いっちゅーもんにゃ」
「そうか」
「そうにゃ! だから、代わりにアンタの欲しいものを言うにゃ。モノによっては、叶えてやるにゃ」
「そう言われてもな……オレ達、欲しいもんなんて無いぞ」
そう提案されたが、瑠璃は困惑する一方だった。さっさと話を終わらせて、このしつこい商売人に背を向けたいのだ。
「じゃ、ツケにでもしとくかにゃ? ……でもオイラ、人に貸すのはいいけど、借りるのはキライにゃ」
「まだるっこしい奴だな」
その辺りで瑠璃は面倒になってしまった。苛立ち紛れに、踵で地面を叩く。
「いるのか、いらないのか? そこんとこハッキリしやがれ」
「ハッキリ言って、ものすご〜く欲しいんだにゃ。……でもでも、商人として、タダで貰うわけにゃいかんのだにゃ」
ニキータは上手いこと言い包め、どうやっても頑として譲らなかった。この商人から物を貰うと後が怖いのだが、相手はすっかり宝石を受け取る腹でいるのだし、交換条件を飲む他無さそうだった。瑠璃は顧みて、真珠に問うた。
「真珠は何が欲しい?」
「えっと……」
いきなり話を振られて驚いたのと、希望を告げるのが恥ずかしいのとで、真珠はあたふた赤面した。長いこと逡巡していたが、やがて、おずおずと申し出る。
「あのね、わたし……暖炉のあるおうちが、欲しいの」
「それじゃ、煉瓦を仕入れてあげるにゃ。そいつで暖炉を作るといいにゃ。頑張ってにゃ!」
瑠璃が応とも否とも言わない内に、倉皇と商談を纏めてしまうと、宝石袋をしっかり抱きかかえ、ネコウサギの商人は素敵な笑顔で去って行った。流石やり手の早業であった。
教会からオルガンの音色が響いて来た。風車がゆるやかに動き出し、草人の葉が心地良さそうに靡く。ニキータの後ろ影を見送り、瑠璃は真珠の方を向いた。どうやら妙な物を押し付けられたようだが、それは良いとして、肝心なのは彼女の言った台詞だった。余計なことを言ったと思っているのか、真珠は叱られる子供のように、恐る恐る騎士を盗み見ていた。
「……家、欲しかったんだな」
と、瑠璃はなるべく親切に聞いた。真珠はほっとした様子で頷く。
「うん。煌めきの都市に、あいてるお部屋があるでしょう? そこに、ふたりで住みたいの……」
そして真珠はまた赤面した。普段滅多に離れることの無い二人だが、今住んでいる部屋は別々で、彼女は元々使っていた部屋で休んでおり、瑠璃の方は何処だろうと頓着しない性分故、適当に宛てがわれた部屋で寝起きしている。真珠が兼ねてから家と家族に憧れていたのは承知していたが、それにしては、わざわざ二人と限定するのが不思議だった。住むなら二人だけでなく、皆で暮らしたがるだろうと思っていたのだ。
後日、ニキータは猫車を引き引き、煌めきの都市まで品物を届けに来た。肝心要の煉瓦のついで、これを塗り固めるには恐らく足りないであろう、少量の漆喰も置いていった。貰った宝石と見合う分の材料をきっかり引き換えて寄越し、足りない漆喰の注文を受け付け、更なる利益を生み出さんとする。相変わらずやり手の商人だった。
煌めきの都市に暖炉は無い。当然、造り方は誰も知らない。となると、人間の誰かに聞くしか無いのだが、言葉で聞いて分かる気もしないので、都市まで招いて手伝って貰う必要がある。誰に頼むかと言うと、デュエルなどは物知りだし面倒見が良いから、頼めば気前良く引き受けてくれるだろうが、以前の件で瑠璃には疚しいところがあって、頼み事をするならせめてまともな関係を築いてからにしたかった。そうなれば、呼ぶのはフラウに決まっていた。連日連夜何をやっているのかさっぱりだが、とにかく忙しい人物だけに、早い内に約束を取り付けるに越したことは無い。ついでに、真珠が欲しいのは彼女の家のような住まいだから、彼女の家を見せて貰い、間取りの青写真に使わせてもらうつもりだった。フラウの家はドミナの程近く、なだらかな草原を通った先にある。
すっかり馴染みの場所である。家路の小道を歩いていると、窓から見えたのか、鼠の双子が飛び出して来て、二人の訪れを歓迎してくれた。相変わらずフラウは留守だが、珍しいことに、森ペンギンのしるきーと妖精が遊びに来ていた。彼女らはジャングルに住まう誼で、フラウと友達になったのだと言う。妖精は背が低いので、椅子にクッションを積み重ねた上で座っている。煌々と燃える灯りが珍しいのか、二人とも暖炉に対面する席に座り、ぱちぱちと燃える火を眺めている。彼女らの楽しげなお喋りを遮らぬよう、瑠璃は静かに席についた。手前の誕生日席である。コロナはまだ家事が残っていると言って、真珠を連れて二階へ行ってしまった。
しるきーはお土産をたくさん持って来ていた。ジャングルの甘い果実、筆記具にする丈夫な尾羽、瓶詰めにした妖精の粉、フラウの喜びそうなガラクタなど。彼女達がわざわざ森を下りてきた理由は、こんなものだった。
「あはははははは。森ペンギンは弱いから、もう全然仲間がいなくなっちゃったのよ。でも、それじゃ寂しいし、新しく友達を作ろうと思ってね」
「妖精もね、他の種族と仲良くしなくちゃ駄目なんだよ」
妖精も口添えする。小さな見た目からも、言葉の拙さからしても、かなり若い妖精のようである。かつて人と争った歴史を知らないのだろう。年寄りの妖精達は、下らない意地を張って人間を嫌っているけれど、それを新しい世代に押し付けられても困るのだと、一丁前に主張するのだった。
「しるきーが教えてくれたの。ここにヘンテコな人間がいるんだって」
「ヘンテコって言ったら失礼よ。フラウさんはすごく親切な人なんだから」
と、しるきーが窘めた。森で怖い目に遭っていたところに、フラウが颯爽と現れて助けてくれたお陰で、しるきーは彼女を大変尊敬している。本人は全く助けたつもりなど無いと言うが、それがまた謙虚で優しい人に思えるのだと。友達になるには打って付けの人物で、それで妖精に彼女を紹介するつもりなのだった。フラウの家を訪れる当たって、二人きりで里まで下りるのは心許なかったものの、恐るる気持ちこそが災いを呼び寄せると言う、ロシオッティの金言に従えば何てことは無かったらしい。道中万事恙無く、この家まで辿り着いたのだった。
「フラウさんと仲良くなれれば、もっと沢山友達が増えるわ。良い人のところには良い人が集まるんだって、ロシオッティ様も仰ってたもの」
「……それで、オレとコロナも友達になってやったんだ!」
お勝手からバドが声を張り上げた。甘い匂いがするので、お茶菓子を用意しているらしかった。
コロナは真珠の手を借りながら、庭で洗濯していた。一方のバドは客をもてなす係を勤めた。フラウの代理として、お茶と大きなケーキを皆に配膳する。彼の席は瑠璃の差し向かいで、同じく誕生日席だった。
「洗濯と掃除は、コロナと交代でやってんだ。今日はあいつの番」
「お前もそんな事やってるのか?」
「もちろん! だって、働かざるもの食うべからずって言うだろ」
と、バドは元気良く答えた。お世話になっているフラウのため、彼女の助手を務めたり、お使いに行ったり、他にも細々とした雑用を受け持っているらしい。ジャングルで家事をする必要は無いが、しるきーはロシオッティのお使いとして、時折ドミナまで下りて来たりもするそうだった。一日働いて疲れた後は、お湯で体を綺麗に洗って、皆揃ってご飯を食べて、ふかふかの寝床に入って眠るのだ。根無し草として好きなように暮らして来た瑠璃なので、彼らにしみじみと住まいの良さを語られ、ちょっと羨ましくなってしまった。こう見えて、彼は仲間と過ごす時間に憧れていた。
賢人ロシオッティは、バドのこともしっかり覚えており、しるきーに頼んで少年に言伝を寄越していた。しるきーは語弊の無いよう、意味の分からない難解な言葉まで、賢人の言葉を一言一句違わず伝えた。此処にいる誰も、その内容について理解は出来なかったものの、取り敢えずバドには魔法の才能があって、努力すればいずれは開花するだろうと、褒めているらしいことだけは分かった。
「あなたの器は大きいから、沢山のマナの力を受け入れることが出来るんだって」
しるきーがそう言うと、バドは自分の体を見下ろした。
「ふーん……? いつ満タンになるんだろ」
「マナの力は流れ行くものよ。留めて、使役するものじゃないわ」
バドは難しい顔をしたが、言っているしるきーも、詳しい意味は分かっていないようだった。
「それじゃ、器がでっかくても意味無いじゃん」
「私もそう思うんだけど……ロシオッティ様の言葉は難しいわ」
賢人の台詞は得てして概念的である。バドとしるきーが解釈について議論し始めたのを、妖精がけらけら笑って囃し立てる。妖精は人と違うから、目に見えぬ実体のことは理解しているのかも知れない。魔法に興味の無い瑠璃はちんぷんかんぷんで、少し退屈になってしまい、庭先で洗濯する少女達の方に注意が行った。大きなたらいに布団が一杯押し沈めてあって、真珠とコロナがざぶざぶと踏み付けて洗っている。綺麗な水はウンディーネに頼んで注いで貰い、絞るのはブリキのゴーレムに頼むようだ。いつもの仕事だから、コロナは慣れた様子だが、真珠にとっては物珍しく、嬉しそうに頬を染めて飛び跳ねていた。跳ね上がった水の粒、頼りなく舞うしゃぼん玉、絞られて零れた雫、芝生に出来た薄い水溜まり、全てがいちいち光を弾いて眩しかった。
景色をぼんやり眺めつつ、無心でケーキを口にしていたら、妖精がその手をじっと見ているのに気が付いた。瑠璃は半身の殆どが石そのもので、普段は服と籠手とで覆っているが、今となっては珠魅であるのを隠す理由も無くなったから、気軽に外している。石の手を差し出すと、妖精が喜んで飛んで来て、行儀悪くテーブルに座り、表皮の石をこつこつと叩いた。核の方とは違って、腕の石には艶が無く、雲を散らしたような模様の武骨な風体である。あんまり派手なのも嫌だから、彼はこの地味なくらいが気に入っていた。
「ヘンなの! あっちの白い子は、人間の手なのに」
「他の珠魅もふつうだよ。なぜだか、オレだけこうなってるんだ」
「ふーん。ヘンなの!」
そう言って、今度はフォークの柄で小突き出す。手のことは真珠にも触られたことがあったが、綺麗だと撫でるきりで、それに比べて遠慮の無さは流石妖精である。小さな体がちょこまか動く一方、その羽は蝶のようにゆったりと翻る。あんまり透明で、暖炉の熱で溶けてしまいそうなほどだった。良くもそんな羽で飛べるものだと、瑠璃の方も感心した。其処に、議論を終えたバドが話し掛けて来た。
「なあ、珠魅に兄ちゃん以外の剣士っているの?」
「ああ。でも、稽古の相手にはならないぜ」
「違うよ」
バドは首を振った。
「オレ、ジジイになったら珠魅の剣士と旅に出るんだってさ。それが兄ちゃんだったらいいなと思ってさ」
「そうだな。……そこに真珠がいるんなら、いいかも知れない」
「三人旅かあ……楽しそう!」
バドは待ち遠しくてたまらず、今から将来の算段を始めていた。不思議なのは、賢人がはっきりと年月を示し、それが七十年も先であることだった。家主のフラウはあの若さで英雄と呼ばれるに至っているのだが、このバドだって十分優秀な魔導師なのだから、七十年も待つ必要は無いだろうにと。首を捻る少年に、そんなに英雄が生まれるような事件が頻発されても迷惑だと、瑠璃は半畳を入れたくなったが、やめておいた。
「オレ、何が足りないんだろ?」
「魔法じゃないの? 人間って、ぜんぜん魔法使えないみたいだし」
妖精が口を添えた。
「妖精のおまじない、教えてあげよっか」
「ホント?」
「おまじないなら私も得意よ」
と、しるきーも一緒になって言った。道に迷わないおまじないだとか、ロープを蛇にする悪戯とか、ラビを巨大化する魔法とか、妖精としるきーは挙って冗談のような術を教え始めた。慌てて帳面を取りに走り、そんなものを逐一書き留めて、真剣に習得せんとするバドが微笑ましい。銀の錆を取るおまじないは大成功で、くすんだフォークが鏡のように美しくなった。調子に乗って、今度は解呪のおまじないを試したら、ケーキがかさかさに乾いてしまった。このねっとりしたかぼちゃのケーキ、どうやら魔法のお化けかぼちゃで作っていたらしい。魔法が解けたら、かぼちゃの嵩が減ってしまったのだった。
洗い物は終わったようで、庭では和気藹々と洗濯物を干していた。こんな時間までやっていたのは、既に洋服などは終わっており、布団の方に手間を取っているためだったらしい。するすると綱にシーツを通し、飛ばされないようはさみで留め、裾の弛みを伸ばす。ロープの端を木の枝に結ぶのは、羽を持つ小さな悪魔に手を貸して貰っていた。もし自分らが家を持ったなら、彼女は毎日ああして家事をするのだろう。普段と打って変わって、家では瑠璃の方が何の役にも立たなくなるが、たまには彼女に頼るのも良いかも知れない。そうしてあれこれと暮らし振りを想像してみたものの、煎じ詰めれば、瑠璃は其処に真珠がいるだけで構わないのだった。こちらに気付いた真珠が小さく手を振って寄越す。コロナに何事か声を掛けられ、いつものように赤面してもじもじしていた。
かかるほどにフラウが帰宅した。彼女のもてなしで、一同揃って昼食を取りながら世間話に興じた。先日の疑問、何故教会が綺麗なまま保たれていたのかと言う疑問も解決して、単純に勝手に間借りしていた連中がいただけの話だった。またそれが怪しげな信仰に染まった集団とかで、折角彼らを受け入れると言い始めたヌヴェルの心証を悪くするに違いなく、老人には黙っておくことにした。
それから、えもにゅーとロシオッティへのお土産を買いに、皆揃ってドミナまで出掛けて行った。瑠璃は行かなかった。適当に理由を付け、真珠を連れて煌めきの都市に帰ってしまった。
格好悪いから決して人には言わないが、瑠璃は相当の寂しがりだった。仲間を求めて歩き続けた孤独は、心の底に澱のように沈んでい、恐らく終生浚われることは無い。今もふと、真珠がフラウの家で暮らしたがるのでは無いかと思い立ち、居ても立ってもいられなくなったのだった。きっと真珠は彼らと一緒に行きたかったのだろうが、何とも言わず、いつものように付いて来た。