いつかは辿る帰り道 前

 山道を歩いている。アルス達は、浜辺の村フズを出て、ハーメリアと言う町を目指して歩いていた。町に続く爪先上りのでこぼこ道は、岩や小石に足を取られる上、周囲が山々に囲まれて見通しが悪いため、魔物に出会すと厄介な場所だった。この山道を抜けて、平地に出るとハーメリアが見えるらしいが、何処まで続くのか分かったものでは無い。三人は口数も少なく、神経を研ぎ澄ませながら、足早に歩みを進めた。
「ん!」
 ガボが耳をそばだてて、北の方角に視線をやった。アルスも注意して、きつい斜面の下を覗いて見ると、下方の木立の中で、二体のダッシュランがうろついているのが見えた。ダッシュランは名前の通り、猪突猛進な恐竜の魔物である。アルスは慌てて後へ下がり、敵の視界に入らないようにした。
「ダメだな、ニオイで気づかれた」
 ガボが冷静に言いながら、拳のパワーナックルを嵌め直し、手首に付けた盾をずり上げた。蹴爪が砂利を蹴る音がし、徐々に近付いて来る。アルスは大きなバトルアックス、マリベルは魔封じの杖を構え、臨戦態勢を取った。ダッシュランは勾配を物ともせず、猛然と駆け上がって来た。
「ベギラマ」
 精神を統一し、マリベルが呪文を唱えた。衝撃波が大地を走り、火炎と化してダッシュランを囲繞する。火に取り巻かれ、片方の足は止まったが、もう片方のダッシュランは、炎が吹き上がる前に跳躍し、魔法を躱して走り続けた。一心不乱にアルスを目掛け、頭を下げて突進して来たので、アルスは盾で防ごうと身構えた。ところが失敗した。激突の衝撃は凄まじく、引っくり返って強か背中を打った。今度は尻尾で打たれるだろうと、遮二無二盾を空に向けたが、追撃は無い。すぐさま身を起こすと、ガボが敵の頭をぶん殴り、竜を力尽くで薙ぎ倒していた。ダッシュランは脳震盪でも起こしたらしく、倒れたまま動かない。
「アルス、早く!」
 ガボに促され、急遽立ち上がったアルスは、ダッシュランの首に斧を振り下ろした。しかし皮膚が厚く、思うように刃が入らない。痛みでダッシュランが目を覚まし、鍵爪を擡げたが、アルスは構わず斧を振る。持ち上がったダッシュランの腕は、痙攣して大きく弾み、再び地面に伏せった。アルスは尚も執拗に叩き続け、どうにか相手を絶命させた。ダッシュランは口から血を垂れ流し、断末魔は血のあぶくに紛れて、如何にも苦しげな叫び声を上げた。
「マリベル!」
 ガボはマリベルの援護に向かっていた。マリベルは敵にマヌーサを掛け、前後不覚に陥れた。ダッシュランが立ち止まって、不思議そうにきょろきょろしたところを、ガボが後ろから思いっ切り蹴り付けた。つんのめった勢い、幻惑の霧が掻き消えてしまい、ダッシュランはマリベルに標的を定めた。
「あぶねえっ!」
 ガボが全速力で駆け出し、マリベルを横から掻っ攫った。ダッシュランは猛進し、すれ違いざまにガボの左腕を食い千切った。二人が折り重なって倒れた。勢い付いて通り過ぎ、振り返ったダッシュランは、腕をごりごりと噛み砕き、肉を咀嚼しながら、盾とナックルを吐き捨てた。アルスは一瞬中身を想像しそうになったが、振り払って、ダッシュランに肉薄した。すかさず相手が大きく口を開け、中の肉が見えたので、アルスは脇に逃げて突進を躱し、横っ腹に斧を突き立てた。とかげの鱗は硬く、鈍い音を立てて弾かれた。続いて尻尾が飛び、盾を使って受け止める。距離を取らねば斧が振るえないが、離れていると突進の餌食になる。逡巡していると、周囲の空気が立ち所に冷え切った。其処に魔力の兆しを見たアルスは、跳躍して後方に退いた。アルスが下がるや否や、巨大な氷柱が地から突き出し、ダッシュランの喉を貫いた。串刺しにされた魔物は、逃れようと必死に氷柱を掻き毟ったが、やがて力尽き、四肢をだらりと垂らした。
「ヒャダルコ」
 マリベルが呟くと、氷柱は砕け散った。氷の塊が辺りに散らばり、磔から解放されたダッシュランが、地響きと共に倒れ伏した。死んだらしい。アルスがぼんやりしている間に、マリベルはガボのそばへ膝を着き、じたばたする野生児を宥めようと掛かった。
「いて〜! いってえ!!」
 ガボは半べそでひいひい言っていた。千切れた左肩を振り回し、地面に転がってのたうち回ったが、マリベルに取り押さえられた。食い千切られた断面から、先の尖った骨が飛び出していて、夥しい出血で赤く染まっていた。
「あばれないの! 血が止まらないでしょ!」
 マリベルはガボの腰紐を抜き取り、肩に巻き付けてきつく締め、出血を止めようとしていた。ガボが腕を振り回すせいで、血飛沫が舞い、取れ掛かっていた腕の皮が千切れて飛んだが、彼女は怯まない。埃まみれのガボは、相変わらずの半べそで、吠えるような泣き声を出した。
「アルスう、オイラの腕、とりかえしてくれよ!」
 獣のような叫び声の中で、アルスが聞き取れたのはそれくらいだった。アルスは渋い顔で、死んだダッシュランを改めて見た。横様に倒れた姿からは、中身がどうなっているか分からない。目は大きく見開かれており、虚ろな視線がこちらを見ているようで、アルスは少したじろいだ。ガボの切なる願いだが、どうも気が進まなかった。
「とらなきゃいけない?」
「そりゃ、ないよりはある方が、治しやすいけど……」
 マリベルは控え目にそう言った。しゃがみ込んだ彼女の足元で、ガボはおいおいと泣きながら、腕を取り返してくれと訴えている。仕方無いので、アルスはダッシュランを捌くことにした。とかげの皮膚は厚い。まともに突いても穴が開かないため、首の傷口から刃を入れ、腹まで伝って切り開き、中身を出す。大きな斧ではどうにもやり辛く、難儀しながら腹を切った。内臓が腹の中に詰め込まれているせいで、開くと溢れるように飛び出して来る。アルスは割り切って、大きな魚だと思うことにした。生温い腹に手を突っ込んで、ぐにゃぐにゃしたはらわたから胃を探し出し、注意して切れ目を入れると、胃液と混ざり掛けたでろでろの肉片と、肉のくっ付いた骨の欠片が出て来た。指は形がそのまま残っている。胃液の酸い臭いと相俟って、アルスは息が詰まったが、これはガボの体なんだと自分に言い聞かせ、肉片と骨を摘まんで取り出した。アルスが地面に赤身を並べる間、マリベルは目を逸らしていたが、ガボは自分の腕だったものを見て、悲痛な声を上げた。
「ウガァ、ぐちゃぐちゃだあ! オイラの腕なのに!」
「落ちつきなさいよ。治してあげるってば!」
 吠えながらじたばたするガボに対し、マリベルは手綱を取るように、止血の紐を何度も引っ張った。暫くやり合った挙句、漸くガボは沈静し、鼻をすすった。
「あうう、オイラの腕……」
「じっとしてて」
 マリベルは息を整えながら、目を瞑り、ベホマの魔法を唱えた。治り方は気持ち悪く無かった。肉片とガボの左肩が光り輝き、集まって一つになったと思えば、傷の断面から体の内に入った。ややあって、肩から光が伸びて行き、腕の形を象ると、全てがすっかり元通りになっていた。
「おお!」
 ガボは感心して、治った左手を握ったり開いたりした。魔法の使い方が下手だと、変な風にくっ付いてしまったりするのだが、その点マリベルは優秀で、ガボの腕は寸分違わず、元の形を取り戻していた。
「マリベル、ありがとな!」
 満面の笑みを浮かべ、ガボは彼女に礼を言った。
「どういたしまして」
 魔法よりも、ガボを取り抑えるのに苦心したらしく、マリベルは大きく息をついた。
「さっ、早く行きましょ。あんたが騒いだせいで、みーんなこっちに気づいちゃってるわ」
 地面の染みを見下ろし、彼女はそう言った。腕の肉片が置いてあった場所と、ガボが暴れた周辺に、赤黒い液体と肉片が点々と滲んでいた。魔物は血の臭いに敏感である。手に付いたダッシュランの血を見ていたアルスは、出し抜けに、乾き掛けた血を頬に塗り付けた。
「こうすれば大丈夫だよ」
 平然として、アルスは二人を顧みた。
「それ、またやるわけ?」
 と、マリベルは顰蹙した。
「こいつらの血って、いやなニオイがすんだよなあ……」
 ガボは渋々ながら、傷に障らない程度に、包帯の上からダッシュランの血を付けた。聖水の代わりである。魔物達は、魔王によって生み出された全ての命を同胞と見做すため、その血を纏うと、人間の匂いを紛らわし、仲間の内であるように欺くことが出来る。聖水を買うよりずっと安上がりなので、魔物と相対するのを避けたい時、アルスは良く体に血を塗るのだった。
「そんなもの、よくつけられるわよねえ……」
 当然マリベルは嫌がるので、彼女は何も付けない。こうすると、魔物の匂いが二体と、人間の匂いが一体と言う、かなり珍妙な組み合わせになるが、単純な魔物の目を誤魔化すことは出来た。
 歩いている内に日が暮れてしまった。仕方無いから、見晴らしの良い場所を探して、火を焚いて野営することになった。アルスとガボが歩き回って、手頃な小枝を拾い集め、放射状に組み合わせてから、マリベルがメラの呪文で火を点ける。この木の組み方にすると、火力は弱いが、薪の持ちが多少良くなる。寒かったり、薪が潤沢に手に入る場合は、木を平行に並べて燃やすと火勢が良くなる。今夜はさほど冷え込まないから、薪が持つ方の組み方にしたのだった。
 新しい石版の世界に来ると、ガボはまず獣の知り合いを作る。獣達に対し、その地で起こっている異変について尋ね、狼がいれば戦いの力を借りる。アルスが町の人から情報を集めるのと同じで、ガボなりの処世術だった。彼はいつものように、高らかに遠吠えをしたが、手応えを感じなかったらしく、自らの声が木霊している内から、首を傾げていた。
「おっかしいなあ……」
 と、頭を掻いた。
「どうして、だれもいねえんだろ? しーんとしてるぞ」
「たしかに、ヘンね」
 マリベルも頷いた。
「さっきから、やけに静かなのよね。鳥の声もしないし、虫だって一匹もいないみたい」
 アボンとフズの村では、村人がすっかり姿を消してしまうと言う異変が起こっていたが、どうやら獣達までもが姿を消してしまったらしい。奇々怪々な出来事に、首を捻りながら、マリベルは小さな鍋を取り出し、木で作った骨組みにぶら下げた。普段のマリベルは、夜に火を焚くと、周りに虫が飛び回るのを嫌がるのだが、今夜は何も飛んでいず、心置き無く火のそばにいる。水筒の水を鍋に注ぎ、香辛料とクリームを混ぜ、その辺から摘んで来たハーブを、塩漬けの豚肉と、乾燥した豆と、硬くなったパンと一緒に煮込む。パンがふやけて、スープにとろみが付いた頃が出来上がりである。マリベルは如何にも適当と言った風に、材料を次々と鍋に投げ込み、木のお玉でぐるぐると掻き混ぜた。面白いことのためなら努力も厭わぬマリベルは、屋敷のメイドに習い、旅の役に立つような家事を一通り習得してしまった。それでいて、ごく普通の家庭料理は全く出来ないのだから、冒険以外に興味が無いことが良く分かる。
「マリベルさま特製のおかゆよ。感謝して食べることね」
 アルスの視線に気付くと、マリベルはふふんと笑いながら、また鍋をぐるぐると掻き混ぜた。まるで魔女が毒薬を作っているような様だが、アルスは余計なことは言わなかった。性格に反して、アルスは家庭的な人間では無い。マーレやコック長の料理を手伝ってはいるものの、担当するのは専ら下拵えと片付けで、皮むきとか皿洗いばかりが得意になっていた。故、今マリベルの機嫌を損ねてしまうと、空っぽの腹を抱えて眠る羽目になるのである。マリベルはクリームの瓶にお玉の柄を突っ込み、白い塊をほじくり出した。途中で揺れたせいで、底の方が固まってバターになったらしい。
「あ〜あ、せっかく海の町に来たんだから、おいしい魚料理が食べたかったな……」
 聞こえよがしに、彼女は大きな溜息をついた。昨晩もフズの宿屋にて、美味しい焼き魚を頂いたばかりである。しかしマリベルにとっては、毎日豪華な食事を振る舞って貰い、温かいお湯を使い、ふかふかのベッドで眠るのが当たり前なのだ。それが叶わないと忽ちつむじを曲げてしまう。アルスがとろいせいで、日が暮れる前に次の町に着くことが出来なかったと、瓶の底を叩きながら八つ当たりした。実際、アルスは職業を極めようと、方々に寄り道して回っていたから、彼女の愚痴を甘んじて受け入れる他無かった。
「オイラ、マリベルの作るメシも好きだぞ」
 ガボがそう言って褒めると、マリベルは少し機嫌が良くなったようで、鼻歌を歌いながら味を整え始めた。塩を加えて軽く混ぜ、指先でお粥を掬い、味見をして、満足気な笑みを浮かべる。
「できた! ほらアルス、ぼさっとしてないで」
 マリベルに催促され、アルスはふくろから三人分の器を出した。そしてマリベルがお粥を掬っている間に、木のスプーンを探し出し、三つ取り出す。ガボがそれを引っ手繰るように取って、膝を叩いた。
「早く食おうぜ! オイラ、ハラへってぶっ倒れちまいそうだよ!」
 ガボはそれでも、三人に器が行き渡り、いただきますをするまで待った。アルスとマリベルも空腹だったので、すぐに食べ始める。マリベル特製のミルク粥は、クリームのこくとほのかな甘みに、豚肉の旨味が染み出し、濃厚で美味しい。塩加減も絶妙である。あれだけ掻き混ぜていた筈なのに、パンはぐずぐずに溶けてはいず、丁度良い塩梅で柔らかくなっている。アルスの好きな加減だった。ガボは器に口を付け、お粥を一口に飲み干した。
「うまい! おかわりっ!」
 と、白くなった口を舐め回した。
「ちょっとしかないんだからね」
 マリベルは自分の器を脇に置いて、お代わりをよそってやった。ガボは二杯目も飲むように平らげてしまい、三杯目で漸くゆっくりと食べ始めた。温かい食事を口にすると、気分も満たされて来る。地面は石でごつごつしているが、見晴らしの良い丘の上にいて、空気が綺麗で星が良く見える。満点の星空の下で食べる食事は、風情があってなかなか良かった。
 食事を終え、食器を反故紙で綺麗に拭いた。腹も満たされたし、やり残したようなことも無いから、明日に備えて早めに寝に入る。魔法のふくろから三枚の毛布を出し、横になる場所の小石やごみを拾って、平らに均してから、厚手の敷物を敷いた。一番ふかふかの上等な毛布は、当然マリベルが使うと決まっている。万一敵襲があった時に備えて、彼女はアルスとガボの真ん中に寝ることになっていた。二人が緩衝材になれば、少なくともマリベルが怪我をする危険性は減るからだった。マリベルは毛布を丁寧に並べながら、憂鬱そうに目を伏せ、小さな溜息をついた。アルスは首を傾げる。マリベルの機嫌が悪い時、アルスには大抵その理由が分かるのだが、今はどうして鬱いでいるのか分からなかった。夕飯を作る時は機嫌が良かったし、野宿が不満なわけでは無さそうだしと、暫く考えていると、毛布を広げていたマリベルがこちらを見た。
「……あんたって、何考えてるの? それとも、何も考えてないの?」
 唐突な質問に、アルスは何とも答えられなかった。ぽかんと口を開けていると、拗ねたような顔のマリベルが、口を尖らせて言葉を続けた。
「……あたしは、ちょっとだけ、キーファのこと思い出したのよ。イビキがうるさいから、はなれて寝てたなって」
「そういえば、そうだね」
 と、アルスもキーファのことを思い出した。アルスは彼と仲が良く、大抵のことは受け入れていたが、鼾だけはちょっとうるさいなと思っていた。マリベルが嫌がって、キーファのベッドを部屋の隅っこに追いやった時、アルスも便乗して、マリベルの方にベッドを置かせて貰ったりしたものである。それも随分昔のことのように思え、アルスは懐かしい気持ちになって、口元を緩ませた。ぼんやりしたアルスを見、マリベルは青い目を眇めた。
「あんたたち、そういうところがそっくりなのね。気が合うわけだわ」
 呆れたような、責めるような、冷ややかな調子だった。アルスがきょとんとしていると、マリベルはさっさと自分の陣地に座り、毛布を口元まで引き上げた。
「もういいよ。おやすみ!」
 と、つんけんした声で言い、寝転がってアルスに背を向けた。何が何だかさっぱり分からず、アルスは只呆気に取られて、不貞寝をするマリベルの背中を見下ろすばかりだった。
「……なんだろう?」
「マリベル、さみしいんだよ」
 帽子を外し、寝る支度をしながら、ガボが答えを言ってくれた。
「オイラもさみしいよ。ずーっと四人で旅してたもんな」
 ガボは割合恬然として、口ほどには寂しく思っていないようだった。アルスもどちらかと言うと、ガボの気持ちに近いものを持っていた。キーファがいなくなった当座は、戸惑ったし、寂しくも思ったが、落ち着いて考えてみれば、キーファが漸く自分の道を見付け出したと言うことなのである。それが、歴史を一つ隔てた世界にあったと言うだけで、アルスはごく普通の友達との別れを経験したに過ぎなかった。だからキーファは笑顔で別れたし、アルスも自然と受け入れたのだが、マリベルにとっては薄情に映るのかも知れない。マリベルは恐らく、アルスが受けるであろう悲哀を想像し、同情して悲しんでいるのだった。ところが、当のアルスは平然としている。その点がどうも噛み合わず、彼女に歯痒い思いをさせていた。アルスは夜番をしている間、自分とキーファの気持ちについて、マリベルにどう説明したら納得して貰えるのか、色々と考えてみたが、結局は何も思い付かなかった。