フェアリー小隊北へ、北へ

 ウェンデル光の神殿の庭、草の生い茂る木陰に座って、リースがシャルロットに本を読み聞かせている。初夏の風は柔らかで心地良く、時折二人の髪をそよそよと揺らしている。そばにはカールが伏せており、リースの声に耳を澄ませていた。ホークアイとケヴィンは樹上に登って、友達がやって来るのを今か今かと待っていた。
「フラミーと船、どっちで来ると思う?」
 と、ホークアイはケヴィンに聞いた。ケヴィンは少し考えてから答える。
「フラミー、最近、呼んでも来ないって。船じゃないかな」
「ケヴィンは船か。じゃあ、オレはフラミーに賭けるよ」
 待ち人はなかなか来ず、二人は暇潰しにぱっくんチョコを賭けて遊ぶ事にした。デュランはアンジェラを迎えに行き、二人で一緒に来るつもりらしいが、フラミーならばほんの数時間で到着する一方、船で来るなら明日以降になるかも知れない。全ては気紛れなフラミー次第である。そうして友達の傭兵について話していたら、ふと別な話題を思い出し、ホークアイは下にいるリースに声を掛けた。
「ところで、リース。デュランから手紙が来なかった?」
「来てませんよ」
 と、リースが見上げて来た。
「デュランさん、お手紙を書くのがニガテみたいだから」
「シャルロットにも、ぜんぜんくれまちぇん」
 シャルロットも不満そうにした。おしなべて男と言うのは手紙を書かないものだが、デュランはそれに輪を掛けて筆不精である。彼に手紙を書かせるのは一苦労で、なるべく返事の出しやすい話題を選び、結びに返事をくれと催促の言葉を書かねばならない。ホークアイは直截的に、はいかいいえか書いて送れとせっついてしまうのだが、それでも返事は滅多に来なかった。優しく遠回しに催促するリースでは、尚更返事は来ないだろう。他の仲間はしばしば手紙でやりとりをするため、互いに近況を把握しているのだが、そうした理由で、唯一デュランの消息だけは曖昧だった。
「あいつ、オレが十回出して、やっと一回返すぐらいだからなあ」
 まあそういうものだろうと思っているので、ホークアイは特段デュランを責める気にはならない。
「ホークアイがマメなんですよ」
 と、リースがホークアイを褒めた。性格がまめな上に、文章を書くのも上手いので、ホークアイが手紙を書くと喜ばれるのである。そうした話題はひとまず置き、ホークアイは本題に入った。木から降り、リースの隣へ腰を下ろす。シャルロットと自分の上に降って来た木の葉を、リースが手で払いのける。ホークアイも体に付いた葉っぱや枝を取って、服を綺麗にした。
「英雄王さんが、ブラックマーケットの取り締まりを始めたんだってよ」
「ほんとう?」
 リースが目を丸くした。
「ああ。ドレイ商人の事もあったし、最近じゃサギまがいの品物まで売ってるらしいからさ」
 英雄王は自治に重きを置き、近隣の都市には介入せずにいたのだが、ブラックマーケットの情状は流石に目に余るものだったらしい。綿密な調査と取り締まりを行い、定期的にフォルセナの兵を立ち寄らせる事で、英雄王は違法な商売を根絶させようと試み、確たる成果を挙げているそうだった。
「でも、どうしていきなり? 何かあったのかしら」
 と、リース。
「それが、ギルドの連中が英雄王さんに依頼してきたんだってよ」
 以前バイゼルの町民が言っていた、商人ギルドが町内会のオヤジ連中だと言う指摘は、強ち間違いでも無かったようだった。マーケットに店を構える商人達は、その殆どが良識的で、奴隷売買や胡散臭い紛い物の横行に顰蹙していたのである。しかし、マーケットへの出店を厳しく監督し、それらの狼藉者を追放しようと思っても、申請を上手く誤魔化してしまう者も多く、酷い時は勝手に店を広げられるような事もあったので、拠所無くフォルセナの助力を乞うたのだった。奴隷商人については、ナバールのホークアイも全く無関係と言うわけでは無いから、デュランが珍しく手紙で知らせてくれたのだが、当然デュランの事なので、主君リチャードの辣腕を自慢するつもりも大いに含まれていた。それよりはリースに早く知らせてやれば良いのにと、ホークアイは思う。案の定、リースは今まで全く知らなかったのである。ローラントには国民を数多く奴隷として売られていた過去があり、当然リースはこの知らせを喜ばしく受け取る筈だった。
「……でも、あのマーケットにみんなが売られたのは、不幸中の幸いだったかも知れないわ」
 と、リースはいつもの、思い詰めたような面差しになった。
「どうして?」
 ホークアイが意外に思って聞いた。リースはちょっと言葉に迷って、ええとと言った。
「みんな、ドレイ商人に売られてはいたけど……たたかれたり、ひどい目にあわされたりはしなかったみたいなんです」
 扱いは比較的まともであったらしい。奴隷として過酷な生活を強いられたならば、心に傷を負ってもおかしくない所だが、小さなエリオットさえもすぐに立ち直り、今では元気に過ごしているそうだった。それは良かったと言うべきなのだろうが、今まで好きなように生きて来たホークアイは、何処かに閉じ込められるのが嫌で仕方無いような性格だから、奴隷として捕まるだけでも最悪なように思えた。
「どっちにしろ、ドレイなんか売るヤツはロクデナシだろうよ。……あ、ごめん」
 口汚い言葉が口を衝いて出、ホークアイは慌てて取り消した。シャルロットやリースに聞かせる言葉では無かった。そのシャルロットと言えば、二人の話にはとっくに飽きてしまっており、手元の草をむしっていた。
「リースしゃん。うさぎしゃんが、おねんねしたまんまでちよ」
「あ、ごめんなさい」
 そう言って、リースは本の続きを読み始めた。相変わらず、シャルロットは文字が殆ど読めないらしい。うさぎが昼寝をした挙句、のそのそ歩く亀に追い抜かされたと言う話を、ホークアイも隣に座って聞いた。リースは真面目な性格なので、本を読む時も真剣に読み上げる。うさぎと亀の呑気な物語が、リースの綺麗な声で真摯に紡がれるのは、聞いていてなかなか面白かった。
 ウェンデルの色濃い青空を、大きなフラミーの体が横切って行った。彼女の腹に遮られ、束の間日が陰った。再び差し込んだ陽光に、ホークアイは眩く目を細める。そのすぐ隣に、ケヴィンが上から飛び降りて来た。
「二人、来た!」
「オレの勝ちだな。どこに降りるんだろ……」
 そんな事を言いながら、フラミーを目で追うと、珍獣は南の町すれすれをゆっくりと通り過ぎ、忽ち速度を上げて去って行った。乗っている人間が飛び降りたのだろう。
「ウェンデルの先か」
「滝の洞窟のほう」
 ホークアイが呟き、ケヴィンが付け足した。彼が降りて来たので、カールも身を起こして尻尾を振り始める。リースも本を閉じ、立ち上がって服の草を払った。
「洞窟まで、むかえに行きましょうか」
「おふたりさん、ケンカしてないといいけど」
 ホークアイが言うと、シャルロットは軽く肩を竦めた。
「けんかしてるほうに、まんまるどろっぷをかけまち」
 かくして四人と一匹で、ウェンデルの町を通り過ぎ、洞窟そばの雑木林まで歩いて行った。すると、丁度デュラン達もやって来る所だった。仲間の姿に気付くと、アンジェラは大きな鞄に振り回されるようにして、駆け足で寄って来た。それをケヴィンが走って出迎え、彼女の鞄を持ってやった。
「ありがと」
 アンジェラは礼を言い、皆の顔を見回した。
「なーんだ、私達が一番最後だったのね」
「だから言っただろ。寄り道なんかしてるからだよ」
 デュランは呆れた風だった。後から来た彼に、アンジェラがむっとしてやり返す。
「しょうがないでしょ。お世話になるのに、手ぶらで行ったら失礼じゃない」
「友達のところに行くのに、みやげなんていらねえだろ」
 当然デュランもやり返す。
「いるわよ。それくらい常識でしょ」
「いらねえよ。遅刻するほうが非常識じゃねえか」
「いるわよ」
「いらねえよ」
 と、二人は立ち止まって、睨み合いを始めてしまった。
「シャルロットのかちでち」
 シャルロットがにまにました。二人は神殿の人達にお土産を買うべく、マイアに寄って品物を選んでいたらしい。デュランが持っている柳の籠がそれで、中にはケーキが入っているそうだった。興味津々で中を見たがるシャルロットから、大きなケーキの籠を遠ざけつつ、デュランはリースの顔を見て、思い出したように言った。
「そうだ、リース。お前に話したい事があるんだけど……」
「どれーしょーにんのことでちょ」
 シャルロットがその身に全く似つかわしくない言葉を出し、デュランがまじくじした。どれーしょーにんとは何かと考えて、何の事を言っているのか気付くと、デュランは更に目を丸くした。
「あれ、何で知ってんの?」
「オレに手紙を出すより、リースに出してあげたほうがいいよ」
 と、ホークアイ。それでデュランも理由を察した。
「だって、大事な話は直接言わなきゃいけないだろ。……とにかく、そういう事だから」
 カールの頭を撫でながら、デュランはリースに向かって言った。リースは微笑しながら答える。
「どうもありがとう。こんなに早く解決するなんて、思ってもみなかったわ」
「陛下は遅すぎたっておっしゃってたよ。もう少し早けりゃ、お前達が苦労しなくてすんだからな」
 と、デュランは申し訳なさそうにした。リースが首を振る。
「ま、かたくるしいはなしは、そのへんにちて……。きょうは、いっぱいあそびまちょ!」
 二人の会話にシャルロットが容喙した。物々しい話題は其処で打ち切られ、六人は互いの事を話しながら、和気藹々とウェンデルの神殿へ向かった。
 光の司祭に挨拶を済ませ、お土産を渡した所で、皆はデュランとアンジェラを寝床に連れて行った。三人用の部屋を二つ与えられており、それぞれ男女に分かれて宿る事になっている。ホークアイ達は既に案内されていたが、三つ並んだベッドの何処に寝るかは決めていず、荷物は床に置き放しだった。部屋に入るなり、デュランとケヴィンが顔を見合わせたと思えば、忽ち荷物を放り投げ、互いの陣地を確保した。
「オイラ真ん中!」
「オレ奥! おまえ通路側な」
 と、二人がそれぞれベッドを指差した。
「どうぞご自由に」
 ホークアイは端が好きだから、通路側のベッドをありがたく使う事にした。カールは選り好みしないらしく、窓際で大人しく座っている。神殿は石造りで、そうしていると足が冷たくて気持ち良いようだった。ホークアイは彼の頭を撫で撫で尋ねる。
「ところで、カールはどこで寝るんだい?」
「オイラといっしょ!」
 ケヴィンが枕を叩いた。カールも嬉しそうに吠える。
「そうか。でも、せまくないか?」
「せまいけど、いいよ」
 やはり狭いらしい。カールは逞しく育ち、一人分のベッドを占領する大きさになっていた。ホークアイは試しに、カールの脇を持って軽く持ち上げ、縦に伸びるとどれくらいなのか測ってみた。毛むくじゃらの胴は良く伸びて、耳が目線の辺りに来た。大人しく万歳しているカールに、君は背が高いなあと褒めていると、デュランがこちらにやって来て、自分の頭に手を乗せ、位置を保ちながら水平にホークアイのほうへ持って来た。そうしてホークアイの頭上を、ぶつかる事無く通り過ぎると、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「やり、勝った!」
「待った。それはおかしいって」
 身長はホークアイの方が高い筈である。ホークアイも躍起になって、兜を外しての測り直しを要求したが、結局まんまと逃げられてしまった。そうして騒いでいると、ケヴィンもそばにやって来て、帽子を外して頭に手をやり、ホークアイの方に真っ直ぐ寄せた。敢え無く額にぶつかり、ケヴィンの眉間に皺が寄る。ケヴィンは続いて、浮かれているデュランの方にも行って、同じ方法を試してみたが、結果は同じで、眉間の皺が深くなった。
「……オイラ、ちび」
「君は将来有望だよ。きっとそのうち、獣人王みたいになるんだぜ」
「獣人王……?」
 ホークアイが慰めると、ケヴィンは天井の方を見上げた。
「……ふ、ふくざつ」
 と、曖昧に首を傾げた。褒め言葉では無かったらしい。考えてみればホークアイも、中身ならば喜ぶが、外見がフレイムカーンそっくりになると言われたら、複雑な気分になりそうだった。
「いいなー、オレもオヤジみたいになれっかな?」
 デュランは一人だけ嬉しそうだった。
 ふと見れば、いつの間にかシャルロットが部屋に入り込んでいた。開けっ放しの扉から忍び込んだらしい。カールの背中に凭れ、首に腕を巻き付けながら、彼女は三人の顔を見比べて、首を傾げた。
「なにちてんの?」
「どんぐりのせいくらべさ」
 ホークアイが答えると、シャルロットはますます首を傾けた。
「なんでちか、そりわ? まあ、たしかに、にたよーなれべるでちけど……」
 そんな事を言うシャルロットのそばに、ホークアイが歩いて行くと、彼女は頭を伏せ、カールの体に身を隠した。
「あ、シャルロットとは、くらべなくてもいいでちから」
「いやいや、えんりょせずにどうぞ」
 ホークアイは胸を張って、出来るだけ自分が大きく見えるようにしながら、シャルロットの隣に詰め寄った。
「いいんでち!」
 と、シャルロットは慌てて逃げ出した。開けっ放しの扉の方へ走り、外へ出ようとしたが、ちょうどアンジェラとリースが入って来た所だったので、シャルロットは二人の体にぶつかってしまった。
「ちょっと、あぶないわね」
 アンジェラがシャルロットの腕を取り、ひっくり返るのを防いでくれた。シャルロットは二人を見上げ、身長を目測で確認すると、少し肩を落とした。
「ねえリースしゃん。どちたらそんなに、せがのびるんでちか?」
「そうね……」
 と、リースはアンジェラの顔を見て、互いに目配せした。
「ごはんを残さず食べて、夜ふかししないで、しっかりお勉強したら、きっと大きくなれると思うわ」
「シャルロット、ぜんぶばっちりでち」
 シャルロットは胸を張る。
「ばっちりじゃないでしょ。ピーマン残すくせに」
「うっ……」
 すかさずアンジェラが突っ込むと、シャルロットは絶句して、またカールの所に行き、ぐりぐりと毛皮に顔を押し当てた。その隣で、デュランとホークアイは改めて身長を比べ合っている。二人で背中合わせに立ち、絶対にずるはしないと誓い、なるべく自分が大きく見えるように頑張っていた。
「……ふたりとも、同じぐらい?」
 測定したケヴィンが言うと、両者はてんでんばらばらの反応を見せた。
「やりっ!!」
「そんなバカな!」
 拳を突き上げたデュランは、驕り高ぶった風でホークアイを見下ろした。見下ろすと言っても、身長はほとんど一緒である。
「慢心したな、ホークアイ」
「くそー、身長だけは負けないと思ってたのに……」
 体格ではまるでデュランやケヴィンに敵わないと知っているホークアイは、せめて立っ端で負けないようにと思っていた。男の矜持と言うものである。しかし、その後も何度か比べ合いをすると、どうやらデュランは髪の毛の分で嵩を増しているだけで、依然としてホークアイの方が少し大きい事が判明した。それにはホークアイもほっとした。
 アンジェラが窓を開け放し、外に向かって身を乗り出した。室内に清涼な風が流れ込む。眼前に広がる景色に目を輝かせ、彼女は室内を顧みた。
「みんな、こっちは山脈が見えるよ! すごくキレイ!」
 アンジェラに誘われると、カール以外の全員が挙って窓に詰め掛けた。ぎゅうぎゅうで窮屈な所を、ホークアイが押しやって、半分の三人を隣の窓に移らせた。それから、足元でシャルロットが見え辛そうにしていたので、親切のつもりで抱き上げてやったが、シャルロットは不満そうに振り向いて来た。
「……そんなことしなくたって、じゅーぶんよくみえまちよ」
「おや、それは失礼」
 とは言いつつも、シャルロットが窓枠に手を引っ掛けて、丁度良い塩梅のようだったので、ホークアイも下ろさない事にした。鬱蒼とした森の向こう側に、滝の洞窟が通っているごつごつした岩山があり、その奥には緑の山脈が広がっていた。あの山を北に登って行くと、密林があって、その中に神獣がいた古代神殿が収まっているのである。同じ窓から景色を臨むリースが、東に遠く霞む尾根を指さした。
「あの山脈は、バストゥークにつながっているの」
 この神殿はかなり低い場所に位置するため、角度の関係で、バストゥークの山々は手前の尾根に遮られてしまい、此処から姿を見る事は出来なかった。ウェンデルの南西からローラントまで続く、これらの連綿たる山脈に雨雲が堰き止められるため、西側は温暖な森林地帯、東は乾燥した砂漠地帯に二分されるのであった。
「そっちの景色はどうだい?」
 と、ホークアイがリースに尋ねた。男女の部屋は通路を挟んで西と東に位置しているため、窓からは全く違う景色が拝める筈なのである。
「私達の部屋もすてきですよ。アストリア湖が見えるの」
 西側の部屋は、木々のあわいにアストリアの湖が広がっているそうだった。それではそちらも見に行ってみようと、全員で部屋を出て行くと、廊下でヒースが歩いている所に出会した。重そうな本を何冊も重ねて持っている。親切なリースが、そばへ行って援助を申し出た。
「あの、よろしければお手伝いしますよ」
「ありがとう」
 と、ヒースが本を差し出すと、オレも私もと方々から手が伸びて来て、本人の手元には一冊も残らなくなってしまった。親切で助かるなと、ヒースは人の良い笑顔を浮かべながら、目的の部屋まで仲間達を先導して歩く。図書室に返しに行くそうだった。
「お忙しいところにおじゃましちゃって、すみません」
 と、リースがお詫びする。
「こちらこそ、慌ただしくてすまないね」
 ヒースはいつものように、温順な笑みを浮かべて返事をした。このヒースと言う青年は、シャルロットの手紙を代筆し、読み聞かせてくれている張本人なので、仲間達の事情の殆どを把握している。優しく穏やかなお兄さんと言った人だから、仲間達も懐いて親しく接していた。特に、しばしば神殿に遊びに来て勉強しているケヴィンとカールは昵懇の間柄である。カールはヒースの足元を蛇行するように歩いて、彼の歩みを邪魔しているが、ヒースは一向意に介さず、優しく頭を撫でてやっていた。
「歴史の本ばっかりね」
 アンジェラが本の題名を瞥見して言った。ヒースが頷く。
「歴史書の編纂に必要なんだ」
「歴史の本? それなら、アルテナも今作ってるよ」
 つい最近まで、世界を揺るがすような大事件があった影響で、世の趨勢は大きく変わりつつある。ウェンデルとアルテナが行っているのは、それを言葉として残そうと言う試みだった。アンジェラは少し考えて、ヒースに尋ねた。
「ねえ、どうせ作るんだったら、アルテナとウェンデルでいっしょに作ればいいんじゃない?」
 と言うと、ヒースも感心して答えた。
「共同か……それは良い考えかも知れない」
「でしょ」
 と、アンジェラはにっこりした。これまでの世の中で、古代魔法の過ちを犯さず、平和に暮らして来ていたのは、歴史書による抑止力がある程度影響していたらしい。女神の言葉を長く後世に語り継ぎ、いずれ再び訪れるマナの時代に、その力を正しく利用出来るよう導く事こそが、現代に生きる学者の果たすべき役目なのだった。
「シャルロットも、へんさんをてつだってるんでちよ」
 と、シャルロットが得意気に言った。
「なんたって、シャルロットはせいけんのゆうしゃさまでちからね! うぇんでるのみんなに、ゆうしゃのぶゆーでんをきかせてあげてるんでち」
 滔々と自慢するシャルロットに対し、アンジェラは冷めた反応だった。
「聖剣の勇者はデュランでしょ。どうしてあんたが勇者になってるのよ」
 突っ込まれると、シャルロットはちらりとデュランを見上げた。本を片手で軽く放り投げながら、デュランはどうでも良さそうに彼女を見返した。これで名誉欲の希薄な男なので、聖剣の勇者の肩書にもさして興味は無いらしい。シャルロットは聞こえなかった振りをして、話頭を転じてヒースに話し掛けた。
「ねえヒース、きいてきいて。シャルロット、きょうはアンジェラしゃんとリースしゃんといっしょにねるの」
「ああ、司祭様が寂しがっていたよ」
 と、ヒースは穏やかな笑みで聞いていた。
「おじいちゃんはいいかげん、まごばなれしたほーがいいんでち」
 シャルロットは肩を竦めたが、実際のところ、司祭やヒースと一緒に眠りたがるのはシャルロットの方だった。夜はお化けが出るから、一人でベッドに入れないのである。そんな話をしながら、皆で連れ立って図書室に行き、それぞれの本を元あった場所に戻した。途中、ヒースから、これから何処へ行くのか尋ねられたが、六人はまだ何も決めていなかった。
「たまには静かに読書もいいな」
 立ち並ぶ本棚を見ながら、ホークアイが思い付いて言った。幸いにして誰もいないので、少しくらい喋っても誰にも怒られない。
「はんたいでち」
「私も! 外で遊びましょうよ」
 当然と言うべきか、アンジェラとシャルロットの反対に遭った。他の仲間も不賛成な顔をしたので、ホークアイはすごすご意見を引っ込めた。
「山登りはどうです? 空気がきれいで、気持ちいいですよ」
 と、リース。
「それならいいよ」
 アンジェラがにっこりした。
「オイラ、山登り、好き」
 ケヴィンも賛意を示す。
「ついでに探検でもしようぜ」
 デュランもそう言ったので、神殿の外へ探検に出てみる事になった。この辺りは山あり谷あり、川もあれば湖もある事で、六人と一匹が遊び歩くに丁度良い場所である。暖かい季節だし、渓流で水遊びをするのも楽しそうだった。この時期は魚が沢山泳いでいて、捕まえて塩焼きにすると美味しく食べられる。六人は自然と、川で遊ぶ計画について話し合い始めた。
「川で泳ぐのもいいが、あまり深いところには行かないようにするんだよ」
 六人が好き勝手に喋るのを、ヒースは静かに聞いていたが、年長者として忠告は忘れなかった。
「はーい」
 ヒースの言うことなので、全員揃って素直に返事をした。返事をしながら、皆揃ってシャルロットの方を見た。彼女は金槌で、運動も一番下手なのである。シャルロットが視線に気付き、むっと口を尖らせる前に、ヒースが続けてこう言った。
「シャルロットは泳ぎが苦手だから、みんなで注意してあげてくれるかい」
 ヒースに注意を促されれば、さしものシャルロットも素直に聞き入れるしかない。
「……まあ、にがてなものは、しょうがないでちよね。みんな、シャルロットにきをつけるよーに!」
 自身の金槌を認めたシャルロットは、何故だかえらそうに仲間達へ頼んで来た。仲間が返事をしてやると、ヒースは安心したようで、また優しい微笑を浮かべた。
「ケヴィン、シャルロットをたのむよ」
「ウン」
 と、ケヴィンは素直に頷いた。何故ケヴィンに限定して言ったかと言うと、最近しばしばウェンデルに来て、勉強がてらシャルロットと一緒に遊んでいるので、この台詞はお定まりのものになっているらしい。ヒースはケヴィンに笑い掛けた後、再びシャルロットの方を向いた。
「何度も言うようだが、シャルロット、じゅうぶん気をつけて遊ぶんだよ」
「うん」
 シャルロットが大きく頷くと、ヒースはそっと手を伸ばし、彼女の頭を優しく撫でた。普段シャルロットは子供扱いされるのを嫌い、特に頭を撫でるなど以ての外だと言う態度なのだが、ヒースのそれは当然のように受け入れた。
「よーし、いくでちよー!」
 ヒースと分かれて部屋を出た後、シャルロットが意気軒昂に両手を振り上げた。すると、デュランがにやにやしながら彼女に近付き、大きな頭に大きな手を被せた。そのまま、ぐりぐりと擦り付けるように撫でる。
「ほら、いい子にしてやがれよ」
「なんでちか、もー」
 不満そうな声を出しながら、シャルロットは膝を屈めて、デュランの手から抜け出した。