こちらフォーリッシュ、敵は西部を進軍中 前

「東側、異常なーし!」
 キーファが双眼鏡を覗き、アルス達に報告した。
「こっち側は、ナスビナーラがひなたぼっこしてる!」
 西側ではガボが目を凝らしている。見張り櫓の塀によじ登り、蛙のような格好で座っていた。
「……ん? ナスビナーラだっけ? あのナスみてえなやつ」
「あれはメランザーナだよ」
 首を捻るガボに、アルスが名前を教えてやった。森の近くの斜面にて、トマトのような体を持つメランザーナが、何匹か固まって寝転がっている。かの魔物は仲間同士の結び付きが強いらしく、蔦のような腕を絡ませて、仲良く手を繋いでいる。鮮やかな橙色の体が、陽光を浴びて一層綺麗に輝いていた。
 フォーリッシュにいる。からくり兵団の襲撃を受け、町は壊滅的な被害を被った。アルス達四人は、兵士長の命を受け、哨戒任務及び負傷者の救済に当たっている。回復魔法の使えるアルスとマリベルは、防壁の中で治療を行い、キーファとガボは外の見張り櫓で歩哨に立った。アルスはマリベルと違い、豊富な魔力を持つわけでは無いから、魔力が尽きたら少し休んで、落ち着いたら治療に戻るを繰り返している。今は休憩中で、暇潰しに見張りの方の様子を見に来たのだった。
「なあなあアルス。あとどんぐらい見張ったら、メシの時間になるんだ?」
 腹が減ったらしいガボは、頻りに太陽の傾きを気にしていた。アルスも少なからず空腹を覚えたが、彼に決定権は無い。
「マリベルが休憩したら……かな?」
「マリベルかあ。マリベル、はやく休憩しねえかなー?」
 太陽の高さからすると、そろそろ昼食を食べても良さそうな時間だが、マリベルは大忙しである。高飛車で自分勝手に見える彼女だが、その実心は優しくて、苦しむ人を見ると放っておけない一面がある。だから、自分の魔力が尽きるか、怪我人がいなくなるかで無ければ、休憩など取ろうともしないだろう。そうして人に優しくした後は、まるで反動のように、アルスに対して我儘を言ったり毒口を叩いたりする。アルスはすっかり慣れたもので、今回もいつもの如く、マリベルの言動を甘んじて受け入れるつもりだった。
「……ん、いたぞ」
 キーファが敵影を発見し、二人を手招きして呼んだ。アルス達も目を凝らして眺めやると、東の丘陵地帯より、五体のからくり兵が前進して来るのが見えた。前に三体いて、後から少し遅れて二体が歩いている。
「こっちに来そうだな」
 キーファは場所を譲ってくれ、アルスに双眼鏡を覗かせた。敵がこのまま直進を続けた場合、丁度このフォーリッシュに突き当たる。からくりは人家を襲撃する際、大抵は一個小隊規模で行動するのだが、どうやら例外もあるらしい。アルスは敵の軌道を予測しながら、手に持つ槍を強く握った。
「なあなあ、行くのか? 行こうぜ!」
 退屈していたガボは、すっかりその気になって、今にも櫓を飛び降りそうだった。様子を見ていたキーファも、結局は単純に考えた。
「よし、行くか!」
 そう言って、鉄の斧を拾って櫓を下りた。ガボは喜々として追従し、アルスも勿論付いて行く。三人がどたばたと階段を下り、防壁の中を走っていたら、騒ぎに気付いたマリベルが顔を出した。
「どうしたの?」
「ちょっと行ってくる」
 アルスは目的を濁した。素直にからくりが来たと言って、町の人々を徒に怖がらせる必要も無いだろう。
「待って、あたしも行く!」
 マリベルは慌てていばらのムチを取り、アルスの後に付いて来た。
 からくり兵の弱点は人間と大差無い。首と名の付く、要するに手首や足首などの、鉄と鉄の継ぎ目に当たる部位や、目玉、心臓部などがそうである。背中に背負った内燃機関のような物体も、上手く壊せば機能停止に至らしめる。こつを掴めば倒すのは容易いが、狙いを外すと、鋼鉄の体に弾かれて、まるで効き目が無くなってしまう。片手に斧、片手に鉄球の槌を持っているのも厄介で、両者を巧みに捌かなければ挽肉のようにされるだろう。四人はもはや心得たものである。アルスは槍、キーファは鉄製の斧、ガボは石斧を構え、からくり達の迎撃に向かった。
 町を出ると、からくりは思ったよりも接近していた。周囲は遮蔽物の無い草原だが、うさぎやもぐらの開けた巣穴が点綴し、ちょっとした陥穽になりそうである。足の速いガボが敵陣に突っ込み、敵の背後を取った。アルスは槍を斜に構え、からくりの斧を受け止めた。少し距離を取ろうかと思った矢先、ガボが背中に飛び付き、相手の右手に斧を打ち付けた。弾みで石斧を落としてしまったが、肩の関節を外すことに成功し、からくりの右手がぶら下がった。アルスは右から回り込み、足元の穴ぼこに気を付けながら、狙いを定めて目を突いた。視覚を潰した。ところが、潰したは良いものの、敵は残った左手を前後不覚に振り回し始め、却って危なくなった。ガボは素早く転身し、マリベルの援護に入ってしまったので、アルスが一人でどうにかすることになった。
「どうしようかなあ」
「まかせろ!」
 キーファがガボの斧を拾い、弾みを付けてぶん投げた。右の手首に命中し、手が武器ごと吹き飛んだ。こうなってしまえば単なる鉄塊である。アルスは下方から抉るように、からくりの胴体を突き通したが、それでもまだ動いていたので、キーファが頭を潰して漸く倒した。隣では、ガボが囮になって、マリベルの魔法を援護していた。ところが中々当たらない。焦れたマリベルは、魔法を止して鞭を振るい、からくりの腕に巻き付けた。動きを止めるつもりが、相手に腕を引っ張られ、マリベルはたたらを踏みながら引き摺られた。
「マリベル、がんばれ!」
 其処にガボが駆け付け、一緒になって鞭を引っ張り始めた。互いに踏ん張り、暫し膠着したが、二人は頭を使い、一旦緩めて相手に引かせた後、渾身の力で引っ張った。からくりの足は地面の穴倉に引っ掛かり、俯せの形で地面に倒れた。後は如何様にも出来るだろう。斧を拾ったガボと、後から来たキーファは武器を構え、狙い済まして、それぞれ首と胴体を狙って振り下ろした。アルスは残る一体の相手をし、背後を取って槍を突き刺した。背中の内燃機関に当たったが、てんで効き目が無く、槍が抜けなくなってしまった。引き抜くのを諦めたアルスは、梃子の原理で槍を抉り、背中の機関を取り外した。蒸気が四方から噴き出し、焼けるような熱に強か打たれた。動力源を失ったからくりは、機能を停止させ、手に持つ武器を取り落とした。三体仕留めた。
「また来るわよっ!」
 後方の二体が接近し、マリベルはメラの魔法を唱えた。一体は目玉に直撃し、動きを止めることに成功したが、続くもう一体は、胴の鋼鉄に当たって弾けた。外した。からくりは前進を続ける。
「うそっ、やだ……」
 マリベルがそう言ったのと、アルスが彼女の前に躍り出たのは同時だった。槍の柄でからくりの斧を受け止めたが、馬手の槌で打たれ、横様に地面へ薙ぎ倒された。間髪入れず、再び斧が振り下ろされ、首に冷たい感触と、骨が削れる嫌な音がし、頭が地面にぶつかった。アルスは息を吐こうとしたが、喉で血が泡立つばかりで、呼吸が出来ない。その内に、段々意識が遠くなり、これは不味いなと思っていると、忽ち喉元が温かくなった。アルスは激しく咳き込み、気管に詰まった血を吐き出した。酸欠でくらくらしながら上体を起こすと、間近に顔面蒼白のマリベルが座り込んでいた。目尻に涙をいっぱい溜めており、アルスと目が合うと、瞬いで涙の粒を零した。
「ああ、よかった……!」
 アルスは彼女より、目の前に転がるからくり兵の残骸に注意が行った。胴体がひしゃげており、人間で言う脊椎の辺りから油を垂れ流している。もう動かないようだ。
「……マリベル、大丈夫?」
 痰が絡んだような酷い声が出て、アルスはもう一度咳をした。口の中が錆臭いし、咳をする度脇腹が痛む。マリベルはすっかり度を失い、アルスの首に手を差し伸べた。全身に血の飛沫が飛び、斑点模様を描いている。
「大丈夫? 痛くない?」
「マリベルは大丈夫?」
 アルスは再度尋ねた。其処で、マリベルも我を取り戻したらしい。血まみれの手で目を擦ろうとしたが、やめて、袖を押し当てて涙を吸い取った。
「あたしは平気よ。からくりは、キーファとガボがやっつけてるところ」
 そう言って背後を指差されたので、体を捩って見ると、少し離れた場所で、二人が最後のからくりを仕留めようと奮闘していた。アルスは安心して、今に至った状況をぼんやりと思い起こした。草の上に血溜まりが出来ており、座り込んだマリベルの膝を汚してしまいそうだった。喉元が涼しく感じるのは、同じもので汚れているせいだろう。首を撫でてみたが、ぬるりと滑るばかりで、どうなっているか全く分からなかった。
「ちょっと拭くけど、痛かったら言って」
 マリベルは汚れるのも構わず、ハンカチを出してアルスの首を拭った。傷に触れて少し痛んだが、既に殆ど塞がっているようである。マリベルのホイミは何とか間に合い、アルスの棺桶行きを食い止めたのだった。首を見て貰う間、アルスはホイミを唱え、鉄球で殴られた脇腹を治療した。一番下の肋骨が折れたらしく、皮膚の下で動き、元の位置に戻って行くのを感じた。気持ち悪いが仕方無い。治療しながら前線の様子を見ていると、ガボがからくりの頭に飛び付き、キーファが脚部を一閃した。からくりは体勢を崩して倒れ、キーファが頭を潰そうとしたが、穴ぼこが干渉して上手く行かなかった。キーファは角度を変えて、もう一度頭を叩いて潰した。五体のからくり兵は漸く全滅した。
「おーい! アルスは無事かい?」
 キーファが手を上げて合図したので、アルスも手を振って応えた。向こうは首尾良く終わったようだ。ガボがこちらに駆け寄って来ながら、口からからくりの部品を吐き出した。目玉をもぎ取ったらしく、熱でひしゃげた赤い硝子やら、螺子やら配線やら、色んなものが散らばった。
「うえっ! ひっでえ味!」
 ガボが近付いた時、マリベルが首にもう一度ホイミを掛けている所だった。自分の口の中に気を取られていたガボは、惨状を見て目を丸くした。
「うひゃ〜! いったい何がどうなっちまったんだ!?」
 驚くのも無理は無く、マリベルの両手と、アルスの口から胸に掛けての一帯が真っ赤に染まっており、血飛沫は更なる広範囲に広がっていた。およそ自分が出したものとは思えず、アルスは他人事のような気分で、袖で口元を拭った。
「僕がケガしたみたい」
「みたいって……大丈夫か?」
 キーファもこちらに来た。血溜まりを平気で踏ん付けて、アルスの隣に膝を突く。ガボも野生の出であるためか、全く恐れる様子は無く、平気で血の上に座っていた。未だ生々しい血の染みは、踏ん付けるとじわりと染み出し、靴底を濡らした。
「大丈夫だよ。マリベルが治してくれたから」
 と、アルスはマリベルにちょっと笑い掛けたが、相手は頗る不機嫌だった。
「あんたねえ……助けるんなら、もうちょっと上手に助けなさいよ。ビックリするじゃないの」
 ハンカチを畳みながら、マリベルは渋い顔で文句を付けた。取り乱したことへの照れ隠しだと知っているから、アルスは素直に謝った。口の中が血の味で一杯で、あらくれのように唾を吐き捨てたくなったが、アルスにそんな真似は出来ない。早く口を漱ぎたかった。
 昼の任務が終わった。上半身がすっかり汚れてしまったアルスは、鎧と服を脱いでズボン一丁になった。緑の上着はともかく、白いシャツは洗っても落ちそうに無いから、勿体無いが処分することになる。マーレ母さんの作ってくれた服だから、アルスとしては取っておきたかったのだが、母さんさえも捨てろと言いそうだったので、諦めて捨てた。しかして、町の濠で服と体を洗い、兵舎にあった余分な服を貰って着た。マリベルも汚れてしまったが、革製のドレスは掃除が比較的容易で、濡れた布で拭いたら綺麗になった。濡れたドレスとアルスの服は、見張り櫓に綱を張って干した。その頃には昼の時間をとうに過ぎていた。
 アルスの後始末を終えた四人は、漸く休憩に入った。昼食を取るべく、今いる南東部の防壁から、北西部の防壁に向かって歩く。以前はからくり掃除機が稼働しており、フォーリッシュの整然とした石畳の上を、樽のような機械がちょこまかと動いて可愛らしくもあったのだが、今は一つも見当たらなくなった。慈悲無き鉄の兵隊は、命無きからくりさえをも殺してしまったようだった。大群に踏み荒らされた道は、凸凹で草も生えていず、やけにうら寂しい感じがした。
「この町、やっぱヘンなニオイがすんなあ……」
 ガボが団子鼻を動かしながら、周囲をきょろきょろした。
「からくり兵のアブラじゃないか?」
 キーファはそう言ったが、ガボは納得しかねる様子で、眉間に皺を寄せた。どちらかと言うと不快らしい。
「なんだろうな? 前にもどっかで、かいだことあるような気がするんだけどな……」
 ガボは臭いの原因を突き止めるべく、目を瞑ってふらふらと歩き出した。軌道は全く要領を得ず、あっちに行ったりこっちに行ったりしている。非常に鼻の良いガボが、これと言う発生源を探し出せないと言うことは、町中に遍く広がっているのかも知れなかった。目を瞑ったまま、町外れに向かおうとしたガボを、マリベルが背中を押して連れ戻した。
「そんなことより、ガボ、ごはんでしょ。お待ちかねのごはんの時間よ」
「メシ!?」
 ごはんと聞いて、忽ちガボの目の色が変わった。
「そっか、メシの時間か! よっしゃ、オイラ待ちくたびれちゃったよ!」
 ガボはすぐに気を取り直し、自作の飯の歌を歌い始めた。食堂は防壁内部、教会と宿舎と会議室を一緒くたにした建物の中にある。アルス達は下手くそな歌を聞きながら、防壁の階段を上り、見張りの兵士に挨拶して、傷付いた分厚い扉を開いた。
 防壁の中は、外気を通す穴が殆ど開いておらず、空気が淀んでむさ苦しい感じがする。普段はあまり快適とは言えないが、食事時は美味しそうな匂いが立ち込めて食欲をそそる。町の人々は、匂いだけで腹一杯で、とても食べる気にはならないと言うが、アルス達は食欲旺盛だった。ガボは台所に行き、料理をするおばさんの後にくっ付いて、食事が作られるさまを具に見詰めていた。おばさんは手際良く、一つの暖炉の火で、お粥と炒め物を作っていた。
「うほ、うまそ〜!」
「こんなもんしか作れないけど、ガマンしておくれ」
 と、おばさんはいんげん豆と豚の塩漬け肉を盛り付け、皿をガボに渡した。
「こんなもんじゃねえよ! ごちそうだ!」
 ガボが涎を垂らさんばかりに、皿にがぶり寄って匂いを嗅ぐと、炊事のおばさんは嬉しそうに笑った。
「ありがとうよ。たんとお食べ」
 そのまま皿を傾けて、丸ごと食べ尽くしてしまいそうだったので、マリベルがガボから皿を取り上げた。おばさんは続いて、暖炉に掛けられた鍋から、ミルク粥を掬って木の器に盛った。燕麦を牛乳で似て、砂糖や蜂蜜で甘く味付けしたお粥である。四人分の器を、アルスとキーファが半分ずつ持って食卓に運んだ。ガボは先に席に着いていたが、常からマリベルに言われているだけに、つまみ食いをしようとはせず、全員が揃うまで待っていた。最後に、マリベルがスプーンとフォークを運んで来、漸く支度が整った。
「それじゃ、食べましょうか」
 食前の祈りを神に捧げ、全員が食器を手に取った。待ちに待った時間だが、穴の開くほど見詰めていた筈のガボは、皿から目を離し、空中を見上げていた。
「……あ、わかった」
 と、ガボは不意に口を開いた。
「これ、動物が死んだ時のニオイだ……」
「もう、なんてこと言うのよ!」
 マリベルが口早に窘めた。ガボは悄然としてうなだれる。怒られたせいでは無かった。
「……町のみんな、ほんとに、あの中に入ってるんだな。なんか、さみしいな……」
 それきり、ガボは黙ってお粥を啜った。アルス達は、この町の死を直接目にしたわけでは無い。来た時には何もかも終わっていて、そちこちに棺桶が置かれているのを見ただけである。ガボは彼にしか分からない感覚で、人の死を鋭敏に感じ取り、優しい心を痛めているのだった。
「ごはん中にする話じゃないけどさ……」
 マリベルは気まずく思ったのか、徐に口を開いた。
「神父さまが、特別な魔法をかけてるらしいんだけど……その、いたむのは防げないんですって」
 彼女は言葉を濁した。ガボには良く分からなかったようだが、会話の流れから、他の二人には言わんとする旨が伝わった。ガボも神妙な話題だとは理解しており、黙って耳を傾けた。
「病気の元になるらしいし、早くまいそうしてあげなきゃいけないんだけどね……」
 フォーリッシュ町民の棺桶は、町の至る所に置かれている。安置所に運んだり、埋葬したりする手が無いから、現在は半ば放っておかれた状態にあった。早く安らかに眠らせてやりたいが、そうすることは叶わない。点在する真新しい棺桶は、生き残った者の悲しみをいやまし掻き立て、陰鬱な空気を醸し出していた。マリベルは口重に語り、沈痛な表情で俯いた。
「……ごめん、ほんと、食事中にする話じゃなかったね」
「この戦いが終わったら、すぐにお墓を立ててあげられるさ。な、アルス」
「うん」
 アルスとキーファは恬然として、厚切りのベーコンを頬張り、豆を三つ重ねてフォークで突き刺した。保存されていた期間が長かったせいか、肉は端っこが干からびて硬くなっているが、十分に美味しい。柔らかく煮込まれたお粥には、乾燥した苺やすぐりの実が入っており、牛乳を吸って瑞々しく潤っている。甘酸っぱい味が砂糖の甘さを引き立てた。温かいお粥を食べたら、ガボも元気が出たらしく、いつものように五杯も六杯もお代わりをした。彼がしょんぼりしていると、如何にも悲しげでいじらしく見えるから、それにはアルスも安心して、自分も粥のお代わりを頼んだ。現金なのかも知れないが、食の喜びは何にも勝るものだった。
「アルス、また首ひっかいてるぞ」
 キーファが気付いて注意した。アルスは全く無意識に掻いており、言われて初めて手元を見て、爪の間に血が挟まっているのに心付いた。爪には泥が詰まっているが、赤い色ははっきりと分かった。先程まではもっと酷くて、出血して指先がまだらに染まったりしたが、アルスとしては痒いのだから仕方無い。治り掛けの傷はむず痒く、掻き毟らずにはいられないのだった。
「掻くからかゆくなるんでしょ。それくらいガマンしなさいよ」
「うん、ごめん」
 アルスが首の傷に触る度に、マリベルの機嫌が悪くなる。怪我人だからと手加減して貰っているが、そろそろ本格的に怒られそうだった。
「包帯でも巻いとくか?」
 と、キーファが助け船を出した。
「うん、そうする」
 言ったそばから、アルスは首をぼりぼり引っ掻き、ついにマリベルに怒られた。