四
ジオから戻った二人は、早速玉石の間に馳せ参じ、宝石王に会ったことを報告した。気は引けるが、彼らが戻るつもりの無いらしいことも伝えねばならない。案の定、蛍姫は礼を述べたきり、悲しげに面を伏せてしまった。真珠が彼女のそばへ行き、膝を屈めてそっと見上げる。
「なかないで、蛍……。二人とも、きっと帰ってくるわ」
「……いいえ、悲しいわけでは無いのです。アレクサンドルも、やっと自由になれるのだと思って」
「不自由なようには見えなかったけどな」
瑠璃が皮肉ると、蛍は首を振った。
「アレクの心はずっと、滅び行く珠魅という種族に捕らわれていました。珠魅が救われて、彼はやっと思うままに生きることが出来るはずなのです」
アレクサンドルだけでは無く、これまでの珠魅は皆、明日をも知れぬ我が身を憂い、少なからず心を縛られ続けていた。世にある人々のように、ただ普通に生きて行けるようになって、彼らは漸く自由と呼べる生を得た。特にアレクサンドルなどは、玉石の姫、傷付きさらばえ行く蛍のそばに傅く身だから、その焦燥と重圧は計り知れぬものがあったのだろう。とは言え、今の彼が解放され、真実思うままに生きているわけでは無かった。
「旅をすることだけが自由じゃないわ。……ほんとはね、アレクも蛍のそばにいたいのよ」
「……まあ、そうだろうな。一族を敵に回してまで、よほどアンタのことが好きだったんだろう」
「ええ。アレクも王も、本当に良くしてくれました。帰って来てくれたら、きっとそのお返しをするつもりです」
蛍は柔らかく微笑んで見せる。彼らがいつ戻って来ようとも、この平和な都市を以って迎えられるよう、精一杯力を尽くす。彼女はそう心に決めていた。
この期に及んで、瑠璃はアレクサンドルに同情する気が持てなかった。珠魅達が蛍姫の核を傷付けたのなら、彼は心を傷付けてばかりいる。かく言う蛍姫も、人の姿を持つ限り、互いに触れて言葉を交わせる距離にいたいと望むのが当然である。心配を掛けまいと気丈に振る舞っているのだろう。彼女を助けたくとも、アレク以外にはどうすることも出来ないのだから、尚更恨めしく思えた。
明くる日、今度はウルカン鉱山の探索に出た。この鉱山は不死皇帝時代のもので、鉄鋼や金など武具になる原料の他、魔力を宿す宝石が採掘されたと言う。現在はとうに採り尽くされた後で、趣味で装備品を作っている物好きとか、穴を掘ること自体が目的の妙な連中が住まうのみである。隠れ潜むのにお誂え向きな場所だから、かつて難を逃れた珠魅が此処に宿り、そのまま眠りについたこともあり得る話で、その上、珠魅の卵となる宝石が埋もれているかも知れないのだった。
鉱山に住む唯一の知り合い、ワッツに聞いても案の定さっぱりで、瑠璃達は自らの足で探す他無かった。暫く薄暗い中を渉猟していると、やや深いところに、人家のような横穴を見つけた。地下だと言うのに洗濯物が干してあるせいで、何だか内部が湿っぽい。人間の姿は無く、数匹のアナグマがたむろしていた。家主は何処なのか、探し物を知っているか、色々と尋ねてみようにも、ぐまぐま言うだけの彼らに会話は通用しない。胡散臭い魔術師のような、長衣を引き摺った犬も交じっているが、同じことだった。アナグマが何にも言って来ないのに託けて、瑠璃達は勝手に家捜してみることにした。
机の上に冊子が置かれていた。あからさまにランプで照らされ、ご丁寧に最初の頁が開かれており、いやでも人の注意を惹く。瑠璃が手に取ると、大きな帳面にこれまた大きな丸っこい字で、呪文のような言葉が綴られていた。渋面の瑠璃を訝り、真珠も覗いて見る。
「何だこれは?」
「……詩だわ。すてきね」
「核の手がかりになるようなものか?」
「ちがうみたい。おほしさまの詩よ」
瑠璃にはさっぱりだが、とにかく手掛かりになる代物では無さそうだった。真珠が喜ぶならと、冊子を彼女に渡した途端、入り口から筋骨隆々の大男が飛んできた。瑠璃がすかさず立ち塞がる。暫し睨み合う。膠着の末、騎士の背に隠された真珠が、怖ず怖ず顔を出した。
「……あの、その、ごめんなさい……」
「……で、どうだった?」
首を傾げる彼女に、コンゴは件の冊子を指差して示す。剣の柄に手を掛ける瑠璃の、近付けば斬り倒さん勢いの気迫がために、取り返し損ねたのだった。真珠は戸惑いながらも、素直に感想を述べた。
「その、とってもすてきでした」
「そうかそうか!」
厳つい顔がにんまり笑った。どうやら害意は無さそうで、瑠璃は後に退き、姫の守りを解いた。真珠は親しげに寄って行き、コンゴに詩集を返した。やたらと大きな詩集が、この大男の手に収まると、まるで手帳のように見えてしまう。
「こんなモンが良いなんて変わってるのう。気に入ったんなら、続きも読んでやろう」
コンゴは平静を装いきれず、照れ臭そうににやにやしながら、朗々と読み上げた。洞窟に野太い声がわんと響き、なかなか聞こえは良い。夢中の真珠姫に対し、瑠璃はまるで興味が無く、犬にお座りやお手をさせて遊ぶ。恰好は変だが賢くて愛想の良い犬だ。邪魔そうなので装備を外してやろうとすれば、だうと変な声で吠えられてしまい、どうやらこの格好を気に入っている様子である。している内に、真珠が彼らに事情を話してくれた。
「ほー、仲間を探してるのか」
「うん。ここにも珠魅が眠ってないか、さがしに来たの」
「そう言うことなら、プッツィ様に聞いてみろ。何でも知ってるお方じゃ」
プッツィ様は犬だった。一つ吠えて瑠璃に挨拶し、のそのそと真珠の元へ行く。聞けとは言い条、どのようにすれば良いのかさっぱりで、真珠は困惑しながら騎士の顔を見たが、瑠璃だって分かる筈は無かった。
「珠魅の匂い、わかってくれるかしら……?」
犬となればこれだろう、恐る恐る老犬に手の甲を差し出してみる。鼻を寄せたプッツィは、思案するようにちょっと俯くと、出口の方に歩いて行き、振り返って彼女を呼んだ。
「ついていけばいいのね」
「見失わんようにな。こら、オマエラも手伝え!」
コンゴが呼ぶとアナグマ達もぞろぞろ付いて来た。先程からこちらにまるで関心を寄せず、何の縁も無いかと思われた彼らだが、単に言葉が通じないだけで、紹介されれば気さくな相手だった。彼らはみな穴掘り団の一員であり、偉大なるプッツィ様の下、万物は土より生まれ出ずると言う教義を胸に、日夜ひたすら穴を掘り続けているのだと、後でコンゴが説明してくれた。
老犬と雖も俊足である。一同は玄室まで全力疾走する羽目になり、足の遅い真珠姫などはアナグマ達の神輿になる始末。あまつさえ息も切らさず、プッツィの示す場所に陣を組み、穴掘り団は早速作業に移った。
「傷付けないでくれよ!」
「おうよ!」
瑠璃の心配は杞憂だった。何となれば、彼らは手で掘るのである。カンテラの僅かな灯りを頼りに、細かい岩をアナグマが掻き分け、でかい岩盤をコンゴがひっぺ返し、玄室が崩れそうな勢いで猛烈に掘る。飛んでくる石礫を凌ぐつもりか、プッツィも離れたところに穴を掘っていた。暫く掘ったら、アナグマ達が急に働くのを止めてしまい、首を振った。指差してコンゴに抗議する。
「ぐげ」
「何だ? 変なモンは放っとけ!」
「まっ!」
何だか深刻な風情で、コンゴも手を止めた。アナグマの一人がカンテラを手に取り、作業中の部分を照らした。化け物の頭が出ていた。目が無くて首が長くて、亀とか蜥蜴に少し似て、大きく口を開けている。齧られる寸前瑠璃が滑り込み、代わりに剣を突っ込んだ。捻じ込んでやろうと尚押せば、異形の喉から石槍が出、まともに腕を突き通される。魔物が岩から這い出た勢いで、一同てんでんに吹っ飛ばされた。
瑠璃は利き腕が千切れたことに気付いたが、真珠が倒れている方が大事だった。すかさず駆け寄り、無事を確かめ、瑠璃の剣をしっかり抱えていることに腹を立て、押っ取り刀で視線を巡らす。件の魔物は天井に張り付いていた。これは確かジュエルビーストと言う。やたら長い首をぶら下げ、振るった剣に噛み付いて来た。持って行かれそうになる。瑠璃は咄嗟に手を離し、頭を掴み引きずり下ろして地に叩き付けた。大いに揺れて小石が降った。
魔物は忽ち飛び起きた。狭い玄室を四つ足で跳ね回る。ともかくも真珠から遠ざけねばならない。外に誘き出そうかと、一瞬目を離した隙に飛び掛かられ、大きな図体に押し潰された。腹の下で足掻く瑠璃に、異形の首が覗き込んで来る。喉奥の石槍がはっきり見えた。もがいて何とか腕を抜き、横っ腹に剣を突き立てると拘束が緩む。刺さりの甘いところを、柄を蹴飛ばして貫通させ、外套を剥ぎ取って風穴に突っ込む。一振りで嵐を呼ぶ流砂のマントである。腹の中でやけに生々しい、粘着質な音がした。飛び散った石の内臓が瑠璃に強かぶつかった。
腸を砂嵐で掻き回されれば堪らんだろうと思えたが、魔物は鉄屑と砂をぼたぼた滴らせつつ退いた。瑠璃も剣を拾い、態勢を整える。不慣れな手故に太刀筋が甘い。斬れぬならば死ぬまで傷を抉ってやろうと、柄を固く握り直した。
ふと甘い香りがすると、剣を取る拳に白い手が添えられた。黒曜石に力が宿る。
「……苦しませてやるな」
相手は見ずとも分かる。瑠璃はしかと狙いを定め、増幅された力を熱線として解き放った。両断する。切り口が赤く沸騰し、其処から溶解しながら崩れて行き、魔物は鉄屑の山に帰した。断末魔が耳を聾して痺れるようだった。
暗く静まり返った。カンテラは全部壊れてしまったようだ。気が抜けたし、今更傷が疼き出したせいで、瑠璃はその場に座り込んだ。腕を見ると、丁度籠手と生身の境、肘上辺りから先がごっそり無くなっていた。パールは残骸の前に屈み、瓦礫を除けて何かを取り出した。済むと、瑠璃の元へ戻って来る。
「……すまない、遅れた」
「剣なんかに気を取られるからだ」
瑠璃が斬られた際、真珠は放り出された剣を庇いに向かった。そんなことに身を挺する必要など無いものを、瑠璃は大変気に食わない。パールは彼のそばに屈み込み、傷の具合を見た。冷たい手が添えられ、心持ち楽になる。
「剣はお前の命だろう?」
「命はラピスと真珠だよ。……そいつ、どうすれば良い?」
と、彼女の拾った石を指す。残骸の山から、薄闇でもそれと分かる、艶やかな核の原石が出て来たのだった。これまで、不完全な石が魔物と化す姿を度々目にして来たが、魔物が珠魅になるとは聞いたことも無い。パールがずっと柳眉を顰めているので、それも訝る要因だった。指摘されると、彼女はやや表情を和らげた。
「……案ずるな、もはや危険は無い。後のことはルーベンスに任せよう」
「泣いて喜ぶだろうな」
敢えて平然と返し、取れた右腕を手繰り寄せる。剣を掴んだまま吹き飛ばされたようで、パールのそばに落ちていた。自分のものとは言え気味が悪い。ラピスラズリで出来たそれを、断面がきちんと合うか検めていたら、アナグマ達にひょいと担がれ、パールと一緒に超特急で連れ去られてしまった。
送り先は穴掘り団のアジトだった。ぐげぐげと慌てふためきつつ、アナグマ達は瑠璃を布団に押し込んで、包帯やら氷嚢やら軟膏やらを持ち込むなり、手厚いつもりの看病を始めた。鬱陶しいが、枕元にしゃがみ込む真珠の顔を見た途端、蹴散らす気勢を削がれてしまう。瑠璃は大人しく、固い枕と案外良い匂いのする布団に伏せった。後方からコンゴが様子を見に来た。全身埃っぽくて土の色だが、彼らに怪我は無いようだった。
「アンタら、無事だったか?」
「お陰でな。プッツィ様が掘って下さった穴に隠れとったんじゃ」
魔物が飛び出した勢いで、跳ね上がった岩盤が上手いこと穴の盾を務め、塹壕代わりになっていたらしい。道理で姿が見えなかったわけである。巻き込まずに済んで、瑠璃はほっとした。一方のコンゴは痛ましそうに顔を顰め、厳つい人相がますます怖くなる。
「腕はどうしたもんか……糊で付けとくわけにも行かんしのう」
「気にしないでくれ。放っておけば元通りになる」
瑠璃が安心させるように言うと、コンゴはやや表情を和らげた。
「そうか。そんなら、治るまでうちで休むと良い」
「すまない。……さっきから、世話になってばっかりだな」
「穴掘る者はみな兄弟じゃ。気にすんな!」
コンゴはにっかり笑うと、勢い良く部屋を飛び出し、わらわら集るアナグマ達をなぎ倒して行った。入れ替わりにプッツィが来たが、彼は真珠の隣で大人しくお座りした。真珠姫は、周囲のてんやわんやなど一顧だにせず、瑠璃の無事な方の手を握り締めていた。
取れた腕はひび割れており、繋げたところで使い物にならなかった。石と雖も感覚はある。体中生傷だらけで判然しないが、腕だけは別格で、傷口は鑢にでも掛けられたように熱いし、途切れた筈の肘から先が異様に冷たく感じる。何より痛いのは、よりによって利き手をやられたせいで、差し詰め騎士の役目を果たせそうに無いことだった。治るまでに一体どれくらい掛かるのか、考えると憂鬱になってしまう。核の曇りに気付いた彼女が、悄然と目を伏せた。薄汚れた姿が一層いじらしかった。
「いたいね、ごめんね……」
「核が傷付いたわけじゃないんだ。すぐ治るさ」
睫毛がすっかり濡れていて、毛先に涙の粒が光る。これが弾けてしまったら、また彼女の核が傷付く羽目になる、瑠璃は拭ってやろうと手を伸ばしたが、動かすべき腕が無かった。
涙の雫が触れた途端、切断面から泡のように石が湧き出した。紺碧の石が不格好な手を形作る。取れる前はごつごつで見た目の悪かったのが、ほんの少しだけ滑らかになり、人間らしくなった。
瑠璃は元通りになった手で、真っ先に真珠の目元をごしごし擦った。お門違いの八つ当たりであるが、相手にはまるで通じていず、却って欣然と頬を寄せられる。
「よかった……」
「どこがだ!」
騎士の腕が無くて、確かに真珠は驚いたし悲しんだろう。だからと言って彼女が身を削る必要は何処にも無い。誰よりも自分の姫を傷付けるのは他ならぬ瑠璃であり、その不甲斐無さが腹立たしかった。
雀躍するアナグマの声を聞きつけ、コンゴが飛んできた。頭からずぶ濡れで、抱えた紙袋に薬瓶が詰まっている。何事かと室内をきょろきょろ見回し、瑠璃の腕に気付くと、目を丸くした。
「もう治ったのか!?」
「不本意ながらな」
不機嫌な瑠璃はさっさと起き上がり、出て行く支度を始めた。アナグマが外套を拾ってくれたらしく、椅子に掛けられたそれを取る。ずたずたで襤褸切れのようだが、砂だから程無く直るだろう。次いで肝心要の核を受け取り、彼らに礼を告げ、尻尾を振るプッツィの頭を撫でてやる。一連の所作をぼんやり見ていた真珠も、弾かれるように立ち上がった。
「あの、お世話になりました」
「な〜に、礼にゃ及ばん。またいつでも来ると良い」
コンゴはまたにっこりして、その石が人間になったら顔を見せるように言って欲しい、と頼んで来た。二人は世話になったお礼を、餌代としてプッツィに寄進した。お布施の形で無ければコンゴが承知しなかったせいである。良い人達だった。
魔物だった珠魅について、パールはこんなことを言った。珠魅なる種族が人の括りに入っていないのは、悪魔や妖精と同じく、魔物に近い側面を持つためだ。世界に存在するものは遍く人の想像から構成され、人と魔のどちらかに区別され、心一つでどちらとも成りうる。この石が珠魅の輝きを持ったのは、仲間として生まれることを望む者がいてこそである、と。何だか賢人のような口振りだった。
珠魅が涙を流した影響で、鉱山の空は荒れ模様となってしまい、漸く拝んだ太陽はもはや沈む間際であった。早く年に帰りたいのだが、嵐に足を取られてはどうしようも無い。二人は拠所無く、ドミナで宿を取ることにした。
瑠璃にしてみれば厄日だった。腕のことは過ぎた話であるが、武器までもが取り落とした拍子に欠けてしまい、ワッツに頼めばさっさと直せたのだが、すっかり忘れてドミナまで来てしまった。鉱山まで戻るのは面倒だし、煌きの都市から予備を探すか、あるいはフラウの工房を借りるか、二つに一つである。差し当たり、欠けた面を鋭利に削って、不恰好ながら実用に耐えるようにした。無機物の石は面倒である。真珠はコンゴに影響されてか、出窓に凭れて星を見ながら、詩の断片を鏤めていた。燭台と筆記具と原石の核と、所狭しと物を広げ、思い付いた文言を書き留める。読み聞かせるように、時折原石へ目を移し、愛おしげに微笑む。
「珠魅のたまご。あなたの兄弟も、きっと見付けてあげるからね」
「……兄弟、いるのか?」
「たぶんね」
瑠璃が思わず尋ねると、振り返って答えた。振った拍子、お下げが蝋燭を掠めそうになり、見ていて冷や冷やする。
「草人さんたちが言ってたの。世界がラブで満ちた時、新たな命が芽吹くんだって。わたしたち珠魅も、やっと想いあえるようになれたから」
珠魅の核が、その人自身の心馳せによって輝くように、原石にも珠魅として生まれるべき切っ掛けがあるのだろう。それが一体何なのか、瑠璃には分からない。今此処で真珠に尋ねれば、きっと答えをくれるのだが、それは砂に水を落とすようなものだった。与えても与えても乾き続け、決して満ち足りることは無い。あまつさえ、瑠璃には失うことが怖くてならなかった。そんなことなら、端から求めない方がずっと気楽である。そんな葛藤を知ってか知らずか、真珠は肩を竦めて笑った。
「……今、ちょっとだけ、人間がうらやましくなっちゃった」
「いきなり何だよ」
「だって、人は自分のこどもがいるでしょう? わたしは女の子で、瑠璃くんは男の子だけど、珠魅には意味がないんだもの」
「良く分からないな。オレは二人だけの方が良いよ」
得てして、人の子は親に似るものである。もしも彼女に子供がいたなら、ぼんやりしてか弱いのが倍に増えるわけで、もはや瑠璃の手には負えないだろう。かと言って、瑠璃にそっくりな奴がいても気味が悪いし、ましてやそれが真珠の騎士になるとか言い出せば、自身の立場さえ危うくなる。現状が最善だった。否定されたにも拘わらず、真珠は一層笑みを深めて、再び月夜に戻ってしまった。風雨に洗われたためか、透明で明るい紺碧の空だった。
石から生まれたばかりの珠魅は、記憶を無くした真珠のように、まっさらで何も知らない存在なのであろう。正しく導く養育係が必要だ。適材を選出するに付けても、ますますルーベンスの眉間に皺が寄るに違い無い。ついでに、現在真珠がこんなような性格をしているのは、保護者である瑠璃自身の責任だと思い至った。上げ膳下げ膳で何一つ教えなかったのだから無智も已む無し。そうこう考えている内にも、真珠が窓辺でうとうとしていた。
「……真珠。そんなところで寝るな」
返事は無かった。そばへ行き、軽く揺すっても反応しない。染みを広げるペンを片付け、蝋燭を消し、それでも起きる気配は見えず、仕方無いから抱き上げる。真珠は束の間薄目を開けたが、また瞑ってしまい、体ごと瑠璃の服に埋ずまった。
「瑠璃くん、やさしい……」
「起きたなら自分で歩け」
憎まれ口を叩きつつベッドまで運ぶ。下ろすと、真珠は寝ぼけ眼を擦り擦り、もそもそと靴を脱ぎ捨て、布団も被らず寝入ってしまった。
暗がりの中で、胸の真珠はぼんやりと光っていた。べたべたと手で触られた時のように、表面の艶が薄らいで来たのが見て取れる。一度や二度、涙石を産み出したところでびくともしないが、泣き虫の彼女がそんな風に過ごせば、僅かな疲労も蓄積して行く。それは真珠の責任では無く、偏に不甲斐ない騎士のせいである。瑠璃は自身の核に手を突っ込み、波立って溢れた一欠片を、真珠の核に与えてやった。青い雫は表面を撫でるように覆い、純白の核に染み込むように取り込まれた。涙を流さぬ癒し、いつだったか真珠が蛍姫に試みかけた方法を、瑠璃は見様見真似で習得したのだった。心なしか和らいだ表情で、真珠は寝返りを打って丸くなった。離れがたく覚えるも、彼女に毛布を被せてやって、瑠璃も自分の寝床に戻った。
守る者、癒やす者とは言うけれど、役目に関わり無く、どちらかが傷付けばどちらかが癒す関係が、珠魅達の実態である。それを繰り返して行く内、二つの核が摩耗して行くため、騎士は傷を負う外因を断つことで、姫と自身の玉の緒を繋いでいるのである。このラピスラズリは半分真珠のもので、真珠も同じく瑠璃のものだった。エメロードを始め、騎士や姫の見付かっていない珠魅は多いが、いた筈の片割れを失った珠魅と言うものは滅多に見ない。そのことをパールやルーベンスに尋ねると、かつての擾乱の故に、騎士と姫はおしなべて相倒れ伏したのだと言った。生き残って新しい騎士や姫を見つければ良いのにと、以前は冷ややかに捉えていたが、今の瑠璃には痛いほど身に沁みた。