五

 ルーベンスの居室を通りがかると、部屋の主がいつも以上にむっつりしていた。因習として廃された身分制だが、以前輝石以上の立場にあった者は本人の徳によって慕われているため、何かが劇的に変わったと言うことも無い。都市の自治は相変わらず彼らが司っている。彼が厄介事を引き受けるのは日常茶飯事故、瑠璃はそっとしておいてやろうとしたら、相手の方から呼び止めて来た。
「北に煌めきの都市があることは知っているか?」
「らしいな。でも、今は廃墟なんだろ」
「再建して移住したいとの提案が出ているんだ。元々向こうが故郷だった珠魅も多いからな」
 皮肉にも、昔戦争で傷付けられた珠魅達は、アレクサンドルと宝石王の手によって一堂に会し、フラウの涙で蘇ることとなった。有り難い話であるが、都市一つに収めるには余りに数が甚大だった。其処でルーベンスらは、半壊した他の街をなし崩しに修復、移住して行く計画を立ち上げた。仲間達に是非を問うてみれば、こちらの都市が寂しくなってしまうくらい、移住を希望する者が後を断たないのだと言う。それを、瑠璃達は喜ばしく受け止めた。
「みんな、自分のおうちに帰りたいものね」
と、真珠がにっこりした。
「そう言う話なら協力するぜ。再建を手伝えば良いんだろ」
「いや。非力な珠魅を安全に移動させるべく、騎士隊を組むつもりなんだ。お前とパール様に、その指揮を取って貰いたい」
 ルーベンスにそう持ち掛けられると、乗り気だった瑠璃が及び腰になった。眉間に皺を寄せる。
「何のためのパートナーだよ。騎士に自分の姫を守らせりゃ……」
「だめなのよ」
 首を振るのは真珠だった。
「みんな、まだパートナーが決まってないの」
 騎士と姫は大抵の場合、男性と女性で一対になる。一生を添い遂げるつもりで選ぶ所以であるが、人ならざる時を生きる珠魅、その関係は伴侶より深く重い結び付きで、だからこそ今までおいそれとは決まらなかった。このルーベンスも、兼ねてから暗黙の了解のようなものだったのに、正式にディアナを姫と定めたのは昨今の話だ。既に組み合わさっている者達は各々で向かわせるとしても、一個小隊くらいの規模にはなると言う。数を聞き、瑠璃はますます敬遠した。
「オレにそんなこと任されてもな……。何でアンタがやらないんだよ?」
「俺は殿を務める。先導は真珠姫に任せて、お前は魔物を始末してくれれば十分だ」
 要するに露払いだった。良く走り良く戦う瑠璃には打って付けの仕事だが、それしか他に能がないと言われたようで、事実であってもちょっと傷付いた。少なくとも真珠が先導するよりは頼りになると思う。
 ルーベンスが物々しく切り出したせいで、道中に余程の危険が伴われると覚悟を決めた瑠璃だったが、実際のところは、安全な街道沿いを歩くだけの話だった。同行する珠魅達も、たまの外出を遠足気分で楽しみにしてい、お弁当など作って行くつもりなのだった。
 しかしながら、これが大きな橋頭堡となった。計画が進む内、衛兵トーマの口利きで、帝国兵らが協力を申し出て来たのである。あちらの事情は奇妙なものだ。皇帝が帰還する日を待つべく、人民を取り纏める新たな頭を据えずにおいたせいで、帝国はここ百年国としての体系を失っていた。極めつけに先般、転生の魔女の働きにより、ついに皇帝が不死の命を終えてしまったのである。これにて帝国は瓦解した。残された兵隊は一箇の自由民として、もしも珠魅達が嫌で無いなら、と手を差し出したのだった。帝国による珠魅の略奪は、人間にとっては古臭い烏賊墨色の歴史であるが、珠魅からすれば身を以て知る血塗られた記憶である。青天の霹靂に対し、元輝石のお偉方は侃々諤々、石の頭を散々悩ませたが、結局蛍姫の鶴の一声で、伸べられた手を取る次第となり、永きに渡る両者の因縁に漸く幕が引かれることが決定した。とは言え、形式上は決まりが付こうと、人心をそれに倣わせるのは至難の業。瑠璃と真珠の仕事は、不安がる同族の執り成し及び、元帝国連中のお目付役に形を変えたのだった。
 今日はデュマ砂漠に来た。瑠璃にとって、故郷とまでは思わぬまでも、気が付いたら存在していたのがこのランドだったので、少なからずの思い入れがある。何より自分の姫と初めて出会った場所だ。その当時、どうして彼女が来ていたのかと言うと、瑠璃と同じく同族の行方を探していたらしい。此処のオアシスには珠魅を惹起する何かが秘められている。ひょっとしたら砂に埋もれた仲間が呼んでいるのかも知れないと、改めて調査に訪れた次第であった。
 真珠は繊細な石で、乾燥に弱いし日光にも弱く、そうした環境に晒されると忽ち力を発揮出来なくなる。以前アレクサンドルに不覚を取ったのも、土地に負うところが大きい。心配性の瑠璃は、真珠の負担を和らげるべく、強い日差しをきちんと防ぐ、フードの付いた厚い外套を彼女に着せた。ところがこれが本人には不評だった。頻りに首もとを寛げようとして、どうにも落ち着かない。見かねた瑠璃が注意した。
「核はしまっとけよ。ヒビ入るぞ」
「でも、核がいちばんきゅうくつなの。息がつまっちゃう……」
 これで外気を取り込むわけでも無いのに、どうしてか珠魅は、核を服で覆うと息苦しくなってしまい、故におしなべて急所を晒すような恰好を取る。何とも不都合な作りだった。それきり真珠は不平を漏らさず、呑気な体で追従して来たが、その様子が却って辛そうに見えた。
 住まう魔物は雑魚ばかりでも、猪口才で寄り集まれば脅威となる。もぐらの掘る穴に足を取られ、暑苦しい鬼の首をはたき落とし、チョコボの飛び蹴りを躱し、大車輪の瑠璃だったが、終いにはコカトリスに石化させられてしまった。見かねたパールが参戦し、連中を薙払う。あひるを叩いて追い払い、纏わる砂を踏み分けながら、瑠璃の元へ駆け寄った。丁度石が解けた彼は、勢い地面に倒れ込んだ。
「怪我は無いか?」
 と、パールが手を差し出して来る。
「……ああ。パールは?」
「聞くまでも無い」
 そう言って、彼女は事も無げに砂埃を払う。瑠璃は差し伸べられた白い手を取りながら、以前あった同じような出来事を思い出した。以前も彼女に助けられたのだ。これでは昔の二の舞で、相変わらず頼り無い騎士だと思われていないかどうか気掛かりになる。彼の内心など知る由も無く、既にパールの注意は別に向いていた。
「地の利はあちらにある。油断するなよ」
 と、鎚で仙人掌を指す。陰に隠れていたチョコボが、慌てふためき首を引っ込めた。引きも切らずちょっかいを掛けてくる魔物達に、いちいち入れ替わって相手をするも手間なので、彼女は黒い煌めきのまま進んだ。瑠璃は不服であったが、自らの失態故に反対も出来なかった。
 行く行くとオアシスに辿り着いた。真珠の消耗を鑑み、ひとまず此処で休憩を取ることにする。小さな泉であるが、そばにいると周囲の熱波は何処へやら、涼やかでしっとりした空気に包まれる。マナが濃いことからも、それを生み出す力の源があるのかも知れない。パールはついに外套を脱いでしまい、木陰を選んでオアシスへ寄り、跪いて水中に手を差し入れた。瑠璃は丁度周囲を警戒していたから、脱いだところに気付かなかった。
「ちゃんと被ってなよ。また倒れるぞ」
「平気だ」
「さっきまで日差しにうだってたくせに、よく言うぜ!」
 そう言ってつかつか歩み寄り、取り上げた外套を乱暴に被せた。パールは全く抵抗せず、されるがまま、寧ろくすくす笑っていた。その面差しがあんまり可愛らしいものだったので、瑠璃は一瞬鼻白んだ。
「お前くらいだろうな、私に指図する珠魅は……」
 彼女はまだ笑っていた。
「……悪かったな」
 瑠璃が素っ気なく詫びれば、パールは意に介した様子もなく、オアシスの縁に腰掛け、服が濡れるのも構わず足を浸した。誘われるまま、瑠璃も傍らに腰を下ろす。二人が座るには日陰が狭過ぎて、肩の辺りが少し暑かった。オアシスは見えるよりずっと深く、ほんのり青みを帯びた水面が、光の欠片を眩く散らした。きらきらに照らされ、パールの姿がいやまし白く際立つ。微笑んで目を細めると儚げに見える人だった。
「他言するなよ」
 と、彼女は出し抜けに切り出した。
「真珠は言わば、私がこうありたいと望む理想の姿。真珠の言葉は私の意志でもある」
「……パールで言えないようなことも、真珠の姿なら言えるってことか」
「そう言うことになる」
「今更だな。分かってるよ、そんなこと」
 様々に色えど本質は同一である。冷徹な言動に隠されているが、パールは物静かで心優しい女性だった。真珠が記憶を失った無垢な姿であることからすると、あちらが本来の性質なのだろう。また、外に出す感情が素直なだけで、真珠の思考はパールそのものだった。
「だけど、珠魅にはレディ・パールが必要だったんだろ。姫になるべきだったお前が、騎士として珠魅を治めなくてはならなかった」
「重荷だと感じたことは無いさ。器では無かったがな」
 パールは過去に玉石の姫を失っていた。次に迎えた蛍さえ、策動の果てに、自分自身の力では救うことが出来なかったと自省する。姫を守り抜き、種族を救うまでに至った強靭な力は、優れた武勇や権謀術数からでは無く、ただ直向きで純粋な心の有り様から生まれるのだと、彼女は述懐した。
「今では蛍と珠魅も救われて、彼らに庇護は無用となった。私はただの真珠に戻り、瑠璃に守って貰うとするよ」
 らしくも無いことを言ったと、パールは外套を深く被り直した。彼女の見せる白い真珠の一面が、他の珠魅達に戸惑うことなく受け入れられたのは、其処に共通した面影を見るためだ。蛍姫の言った通り、肩の荷が下りたパールは険が取れ、気軽そうだった。玉石の騎士を奪ったような立場で、蛍に面目無く思う反面、彼女に騎士を返すつもりは欠片も持たない瑠璃にすれば、パールのこうした姿は救いであった。
 此処にいると、目に痛いほどだった日差しが繻子を被せたように柔らかい。足元に茂る草の絨毯と言い、居心地の良い場所だが、肝心な目的を果たせないことには安らいでもいられない。辺りの様子を伺いつつ、話をしていたら、ふとパールが面を上げた。
「……瑠璃。微かだが、珠魅の気配がする」
「オレには分からない。水の中か?」
「恐らく。マナの濃さに紛れているようだ」
 同族の気配を知る術は様々である。瑠璃の場合は香りで、見知った仲間には鋭敏なのだが、そうで無ければ殆ど役に立たない。一方、パールと真珠の第六感は水際立って優れている。水面が波立つせいで、目を凝らすだけでは埒が開かなず、瑠璃は流砂のマントを脱ぎ捨て、オアシスにざぶざぶと入り込んだ。想像したよりずっと深く、首まで浸かった。思い切って潜ると、水底の砂が巻き上がって禄に見えなかった。一旦水面に顔を出し、落ち着くのを待つ傍ら、追って入ろうとするパールを止める。
「そこで待ってろ」
 ざっと見渡したところ、石の塊があるようには認められず、縁の草木に隠れている様子も無い。だとすれば湖底の砂を掘り返してみるしか無い。とは言え、オアシスを端から端まで探し回るわけにも行かず、瑠璃はパールを顧みた。
「何か、手がかりはないのか?」
「石の眠りについていても、呼びかけには応じる筈だ。呼んでみろ」
「……オレが呼んだって十年かかるぜ」
 と、瑠璃は少々不機嫌になった。この姫を見付けるまでにそれだけ掛かったのである。
「待ってみるのも良いな。お前といるなら退屈しないだろう」
 皮肉をあっさりかわされ、瑠璃はそっぽを向いて水に潜った。彼女に会うまでの長い長い彷徨は、出来れば思い出したく無いくらいである。此処に眠る珠魅が同じ孤独を味わっているならば、直ぐにでも手を差し伸べてやりたい。再び潜った水中は、生き物の気配が全く無い。尚のこと孤独が切実に感じられ、瑠璃は片っ端からでも探してやろうと奮起した。
 と、瑠璃の核が煌めいた。水底に、反響するように煌めく一点があり、其処だけ砂が不自然に凹んでいる。手を伸ばしてみると、透明な塊を掴んだ。急いで水面に上げ、正体を確かめる。水の塊のようだが、ほんのり青みを帯びた、粉うこと無き珠魅の核であった。なくさないよう急いでオアシスの縁へ行き、核を真珠に手渡す。道理で見付からないわけだった。瑠璃はどっとくたびれた心地で、重い体をオアシスから引き上げ、服の水気を等閑に絞り、マントを被って頭の飾りで留めた。流砂が水を吸って重くなる。いつの間にか元に戻った真珠姫は、宝石の雫を丁寧に拭き取っていた。
「ずっとここで眠ってたのね。ひとりで砂漠にいて、さみしかったでしょ……」
 そう言って、目元が心持ち赤くなった。不穏な様子に気付いた瑠璃が、慌てて彼女の頬を摘む。手の冷たさに驚いたのか、潤んだ涙が引っ込んだ。
「そんなことで泣くなよ! また核が傷付いたらどうするんだ?」
「……じゃあ、瑠璃くん、おねがいします」
 と、核を返して来た。瑠璃は男だ。長いこと人間の世界で暮らし、珠魅よりも人間の常識が身に馴染んでいる。極め付けに、なるべく弱味を見せたくない、自分の姫が目の前にいるのだ。それを今此処で泣けと言う。固まった彼に、真珠は手を伸べて、帽子の乱れを整えた。むっつりと押し黙った瑠璃を見、首を傾げる。
「……帰ってからにしようぜ。今じゃなくたって良いだろ」
 瑠璃はぶっきらぼうに返した。
「三人で帰りましょ? みんないっしょなら、さみしくないわ」
「ああ、帰ってからな……」
 等閑に相槌を打ち、瑠璃は真珠の手を引いて、さっさとオアシスから立ち去った。先程まで暑さにうだっていた姫を、下らない押し問答で此処に留めておきたく無かった。
 保護された核は、仲間達の涙石を少しずつ集めて蘇らせる。核の消耗を抑えることが大きな目的である。ついでに、特定の一人から涙石を分けて貰った場合、フラウや蛍姫のような特例でも無い限り、大抵くれた相手に情を移してしまう。騎士と姫の習性があるせいか、珠魅は人間関係に慎重で、これは余分な軋轢を生まないための措置でもあった。後々そんな話を聞き、瑠璃と真珠は揃って、止めておいて良かったと安堵したのだった。