二

 やはりと言うべきか、ケヴィンの里帰りは少々苦しいものになった。森の中では終始ウルフや獣人に付け狙われ、死を喰らう男には挑発されて魔法を食らい、あまつさえルガーと一戦交える羽目になってしまった。犠牲が出なかったのは僥倖であるが、三人とも酷く傷付いて疲弊していた。しかしてほうほうの体で月読みの塔へ辿り着き、マナストーンの無事を確認した後、暫し塔内部に留まって休憩を取る。ケヴィンは変身を解かぬまま、魔法のクルミを口に放り込み、リースの傷の治療に掛かった。
「女の子の顔を殴るもんじゃないよな」
 ホークアイが森の方を見て言った。獣人は弱者に対しては優しいのだが、戦士と見做した者には容赦無い。リースは防具を付けていたものの、頬や手足をぶたれて痛めてしまっていた。ケヴィンは精霊の力を借り、淡い光を手元に収斂させ、傷跡をなぞるようにそっと撫でる。直接触れるのが一番効果的だった。狼男の大きな手だと、片手だけでもリースの顔を覆い隠せそうだった。ついで籠手や脛当ても外して貰い、そちらの傷も綺麗に治した。
「リース、他に痛いところ、ない?」
「もうだいじょうぶよ。ありがとう、ケヴィン」
 と、リースは微笑んで兜を被り直した。念のため再度具合を確かめてから、ケヴィンはホークアイの方を向いた。
「ホークアイ、キズ見せて」
「オレはいいよ。さっき治してもらったから」
 平気な風の相手に対し、ケヴィンはそばへ膝を突き、彼の足を両手で挟み込むようにして何度かはたいた。ホークアイが反射的に足を上げた。
「いてっ! 何すんだよ!」
「足、さっき蹴られてた」
「分かってるなら、たたくなよ!」
 文句を言う相手を無視し、ゲートルとズボンを捲り上げ、ケヴィンは足に癒しの魔法を掛けた。かなり痛そうな傷で、今まで普通に歩いていたのだが、無理を強いていたらしい。
「ムリはよくないわ。ちょっと、見せてくださいね」
 リースも彼のクロークを預かり、打ち身が無いかどうか検めた。リースにあれだけの傷があったのだから、無論ホークアイも例外では無く、単に痩せ我慢していただけだった。大きな負傷はケヴィンが治してやり、軽微なものはポトの油を塗って手当てした。本人はいつものように笑って誤魔化そうとしたが、リースが許さなかった。
「こんなにケガして……。今まで、よくがまんしてましたね」
「大した事ないって。つばつけときゃ治るよ」
「それでよくなれば苦労しませんよ」
 と、リースは溜息をつきながら、彼の腕に軟膏を付けてやった。ケヴィンも油を分けて貰い、毛皮のせいで塗り辛いが、毛の流れに逆らうようにして地肌に擦り込んだ。かかるほどに手当ては済んだ。ホークアイが外套を掛け直したのを見、ケヴィンは外に注意を向けた。
「準備できたね。行こう」
「ケヴィン、あなたのケガは?」
 リースが心配そうに彼を見上げた。
「オイラ、治した」
 ケヴィンは相手の顔を見ずに答えた。少し嘘も混じっており、魔力が尽きてどうしようも無いのである。リースが確かめるように体を撫でて来たが、触れ方が優しいから痛くも痒くも無く、誤魔化すのは容易かった。ホークアイは気取ったようだが、口には出さず、代わりにこう言った。
「どこかで休めればいいんだが……」
「森は獣人がみはってる。たぶん、すぐ見つかっちまう」
「そうか。ゆっくり休むのは、ミントスに戻ってからだな」
 と、彼は頷き、今度はリースに声を掛けた。
「リース、君の魔法もかけてくれるかい?」
「ええ」
 リースは額に指先を当て、祈りの言葉を呟き、魔力を籠めてケヴィンの眉間に触れた。触れられた場所が熱を持ち、柔らかな光が体を包んだ。炭素の微粒子が体を覆い、身の守りを固めてくれる魔法らしい。戦乙女の加護は温かいような感覚で、掛けて貰うと気持ちが良い。同じ伝で、彼女は自分とホークアイにも魔法を唱え、全ての準備が整った。
「ちょっと待って」
 窓を覗いていたケヴィンが二人を引き止めた。塔の正面入り口を、十頭ほどの狼が取り囲んでいる。長居し過ぎたらしい。リースを手招きして呼び、外の様子を見せると、彼女は少し唇を噛んだ。
「強行突破するしかなさそうね」
「やだな……」
 ケヴィンは狼をやっつけるのが苦手だった。昔から彼らが数少ない遊び相手だったのである。ホークアイも隣の窓から顔を出し、気の進まない顔をした。
「……オレの使う弓矢ってさ、実は倉庫から取りだしてるんだ」
 だから数に限りがあるし、使うと金が掛かって仕方無いのだと、彼は場違いな事を言った。言うが早いか集中し、外の中空に大量の矢を呼び出した。矢の雨が降る。呆気に取られた二人に、ホークアイが合図した。
「行くぞ!」
 雨が止んだ瞬間、三人は外に向かって駆け出した。中には無傷の狼もおり、ケヴィンの足に食らい付いて来たが、殴るに殴れず、引き剥がして遠くに放り投げた。他はリースが槍で振り払い、ひとまず堀の橋を抜ける事が出来たが、森深くから別の群れが迫って来た。ミントス行きの道を塞がれ、拠所無く南下する。しかし前方からも狼が来た。ケヴィンが立ちはだかり、呻り声を上げて威嚇すると、狼達は一瞬竦んで足を止めたが、彼に退けるだけの力は無い。していると、瞬く間に後続が肉薄した。殿のホークアイが真っ先に襲い掛かられ、武器の柄で殴って退ける。リースも加勢して薙ぎ払うが、数が多過ぎて切りが無かった。其処へホークアイがパンプキンボムをばらまき、リースをクロークで庇い、閃光弾代わりに炸裂させた。激しい爆発音が響き、一瞬森が明らんだ。
「おい、どうするよ!」
 と、背後のケヴィンに問う。ケヴィンは少し躊躇したが、二人を小脇に引き寄せ、右翼の藪へ飛び込んだ。先は急斜面である。滑り降りながら、どうにか足で勢いを殺そうとしたが、リースの槍が地面に引っ掛かって躓いてしまい、全員諸共転げ落ちた。そのままもつれ合いながら斜面を飛び越え、小川に落ちた。
 ケヴィンは誰かに頬を踏ん付けられていたが、幸い水深は浅く、鼻が長いお陰で溺れなかった。
「いたたた……。あっ、ごめんなさい!」
 リースが慌てて彼の上から降りた。しかしホークアイからも腹にのし掛かられてい、彼女がどいた程度では動けない。
「静かに。……ウルフ、追ってこないみたいだ」
 ケヴィンは空様の格好で言った。獣達は閃光で目がやられているし、斜面の先に水場があるとなれば、嫌がって追跡して来ないだろう。遠くで蛙が鳴いているきり、森は静謐を取り戻していた。
「暗いな。オレ達、どこまで落ちたんだ?」
 かぼちゃ爆弾の影響で夜目が利かなくなったらしい。ホークアイは慎重にケヴィンから降り、周囲を左見右見した。
「ここ、沢。そこから上がれるよ」
 ケヴィンも立ち上がり、手前を指差した。森のそちこちを流れる沢に落ちたのだった。深さは無く、畦を乗り越えれば陸地に出られる。しかし、示した指先すら判然しないようで、ホークアイは目を擦った。
「ちょっと待って……ケヴィン、おまえ見えてる?」
「うん」
 ケヴィンは背を向けていたので平気だった。
「ならいいや。リースは?」
「何とかだいじょうぶみたい……」
 そう言いながら、リースも目をしょぼしょぼさせた。足元が濡れて気持ち悪いが、目が慣れるまでは下手に動けず、暫く沢の上でじっとしているしか無い。ホークアイはリースを探し、近くにあった腕を取った。
「リース……にしては、ずいぶん毛だらけだなあ」
「それオイラ……」
「私はここですよ。……これは、ケヴィンの腕?」
 と、リースの手が空を掻き、ケヴィンの毛皮に当たった。
「それ、オイラのおなか」
「あ、ごめんね……。さっきふんづけちゃったけど、気持ち悪くなってない?」
「うん、だいじょうぶ」
 話しながら、ケヴィンが誘導してやり、双方の手を取って近付けさせた。すると、ホークアイが細い腕を掴み、弾んだ声を上げた。
「つかまえたっと。……きみ、リースで合ってるかい?」
「はい、リースですよ」
 元気そうな返事があると、ホークアイは安心したようで、近寄って相手の顔を覗き込んだ。
「ケガはないか? 目は見えてるよな?」
「ええ、私は何とも……。みんなこそ、だいじょうぶですか?」
 と、彼女は青い瞳を瞬かせた。ホークアイも明るい声で、軽く胸を叩いて見せた。
「オレはこの通りだよ」
「オイラも元気」
 リースの魔法と、ケヴィンが下敷きになった甲斐あって、仲間達は滑り落ちても掠り傷一つ負わずに済んだ。泥が傷に染みて痛むが、ケヴィン自身も大した事は無かった。その辺りで二人の目も利くようになり、状況を把握したらしい。沢から上がり、草むらの上で泥を落とした。
「どうする? このまま、しばらく身を潜めるか?」
 ホークアイはクロークの水気を絞り、両手にナイフを召喚した。流石に機転が利き、抱えられた瞬間武器を仕舞ったのだった。ケヴィンはちょっと考えて、差し当たりこの場を離れる事に決めた。一所に留まるよりは動き続けた方が良いだろう。
「この先、女神像がある。ついてきて」
 其処は彼の良く知る場所である。不意に心臓が疼いたが、知らん振りをして仲間を先導し、川沿いを歩いた。足音を忍ばせながら、月夜草の息づく畦道を少し進むと、やがて開けた場所に出た。月明かりが良く差し込む、小さな花畑だった。
 金の女神像は花畑の中、カールのお墓のそばにあった。やはり獣に掘り返されてしまったのか、草むらから土が露出し、墓碑代わりの枝が倒れていた。三人はひとまず体を癒し、荒れてしまった墓の盛り土を整え、周囲に生えている花を摘んで供えてから、カールのために黙祷を捧げた。ケヴィンは本当は、獣人の姿で此処に来たく無かったのだが、状況のせいで変身を解くわけにも行かず、そのまま墓前に立った。会いに来なかった事をカールに謝り、新たな友達を紹介してから、友達も獣人達も皆無事で森を抜けられるよう、縋るような気持ちで祈った。
「寄り道してごめん……」
 墓参りが済み、ケヴィンが仲間達に頭を下げると、二人とも首を振った。
「しょうがないさ。あのままじゃはさみ撃ちだった」
「それに、おはかまいりの事は約束してたんだもの。忘れちゃうところだったわ」
「ありがとう」
 離れ難くなりそうだったから、ケヴィンは最後にカールの墓を顧みて、それきり注意を向けない事にした。悲しむのは後でも出来る、今は仲間と無事に帰る事が先決だった。
「ところで、ここは森のどのあたり?」
 リースが空の方を仰いだ。
「ビーストキングダムの東。だから、獣人いっぱいいる」
「そう……ずいぶん遠くまで来てしまったのね」
 当惑した様子で、彼女はスカートの裾を引っ張って整えた。その言葉を言い切らぬ内、幾つもの遠吠えが長く尾を引いた。全員が表情を引き締める。
「さっきのウルフ。オイラ達の事、知らせてるんだ」
 獣人はさほど鼻が利かないが、彼らに服う狼達は鋭敏である。行きはアルテナ達の匂いである程度韜晦出来たものの、今は違う。ケヴィン達の匂いを嗅ぎ付け、じきに追い付いて来る筈だった。
「こりゃ、帰りも大変そうだな」
 ホークアイが息をついた。傷と疲労は癒した筈だが、休息が取れないと言うのは精神的に辛いものだった。獣人のケヴィンはまだ平気だが、二人の集中は落ちて来ている。疲労はこちらの命取りにもなるが、加減を忘れて相手の命を奪う事にも繋がる。互いのためにも、極力争いを避けるべきだろう。ケヴィンは今来た方と逆の、雑木林に踏み込もうとした。
「みんな、ついてきて」
「待って。プロテクトアップをかけていきましょう」
 と、リースが詠唱を始めた途端、草むらがざわめき、狼達の荒い呼気が聞こえた。咄嗟にケヴィンが彼女を拾い、肩に抱え上げる。息を呑むリースに鋭く吠えた。
「魔法、かけて!」
 そのまま迷う事無く小川に踏み込んだ。丁度その刹那、藪から狼共が現れた。一足先に詠唱を終えたホークアイが迎え撃ち、月の魔法を唱えた。一頭が煙に包まれ、小さな貝殻と化して花畑に転がった。突如として消えた同族に戸惑い、獣達が怯んだ隙に、ホークアイも仲間の後を追った。
「なんだあの魔法!?」
 唱えた本人が誰よりも驚愕していた。ケヴィンは木にリースをぶつけぬよう身を屈め、水を撥ね散らかして浅瀬を登り、対岸の林を突き進んだ。獣は水が嫌いで、流水に匂いも流されてしまう。木立のあわいを抜け、リースが全員に魔法を掛け終わった所で彼女を下ろした。第一の追っ手は撒いたが、既にこちらの居場所は割れているのである。周囲に耳を澄ますと、北の小高くなっている林から、微かに足音が聞こえた。獣の足では無い。
「来る」
 仲間に注意を促した瞬間、上から獣人が飛び込んで来、ケヴィンは腕で防御した。毛皮が引き千切れた。続く二撃目の前に、リースが槍で足払いを掛け、ホークアイが両目を浅く斬り付けた。盲滅法拳を振るう相手から、三人とも飛びずさって距離を置く。続いて二人目の獣人が現れるも、狙い澄ましたリースが肋骨から抉るように一突きし、相手は膝から崩れ落ちた。走り去る際、彼女は大いに青ざめていた。
「ああ、やってしまった……」
「だいじょうぶ、生きている。こっちだ」
 肺に穴が開いた程度で獣人は死なない。ケヴィンが東を指差すと、腕に気付いたホークアイがぎょっとした。相手は鉤爪を着けていたのである。治す暇は無く、リースに黙っていてくれるようこっそり頼み、まんまるドロップをかじって誤魔化した。
 獣道を走ると、木立の合間を併走する幾つもの足音が聞こえた。三人が気配に気付き、足を速めようとするや否や、回り込むようにして狼達が現れた。これも十頭ほどの群れである。ケヴィンが先頭に立ち、唸りを上げて威嚇するも、やはり道を開けてはくれない。致し方無く臨戦態勢を取り、片っ端から投げ飛ばして血路を開く事にした。飛び掛かってきた狼の首根っこを掴み、林へ向かって放り投げる。リースも加勢し、二人で叩いたり噛み付かれたりしていると、漸く相手が怯んで後退りした。この好機を逃さぬべく、ケヴィンは仲間に道を示そうとしたのだが、誰も近くにいなかった。焦って周囲を見回すと、二人は来た道を戻って獣人と交戦している所だった。
 ホークアイは首を狙って斬り付けたが、相手に腕を捕まれ、横っ面を殴られた。しかし負けじとナイフで殴り返す。互いに何度かやり合っていたが、援護に向かったリースが、獣人の背後から肩を斬った。ホークアイが退いた所で身を翻し、今度は正面から穂先の平を顔面に叩き付ける。止めにホークアイが武器の峰で延髄を殴って倒した。
「そっちダメ!」
 武器の血糊を払い、開けた道を進もうとしたリースを、ケヴィンが慌てて呼び戻した。リースがたたらを踏む。
「でも、森の中は暗くて見えないのよ」
「見えないのは獣人も同じだ」
 だから敵の目が届かないのだ。懸命に訴えると、彼女は戸惑いながらも素直に踵を返してくれた。ホークアイはふらつきながら戻って来、口に溜まった血を吐き捨てた。ケヴィンが心配して近寄ると、木肌に手を突いてうなだれた。
「だいじょうぶ?」
「オレ、ケンカ向いてないや……」
 と、口の端を拭った。声は弱々しいが、傷は浅いらしい。いつの間にか狼の群れは姿を消しており、ケヴィン達にやられた何頭かも、よろめきながら同族の後を追って去る所だった。そちらに気を取られていたら、もう一体獣人が来た事に気付くのが遅れた。いち早く察知したリースが迎え撃ち、突き出された一撃を槍で受けたが、もう片方の爪で腕を裂かれた。危うい所で、ホークアイが敵にクロークを被せて視界を封じた。鉤爪がそばを掠めるも、彼は素早く身をかわし、爪は立木に突き刺さった。其処にケヴィンが掌底を食らわし、よろめいた脳天に踵落としを入れて仕留めた。
「ここ、あぶない」
 リースが気の毒だったが、その場で治療をしも敢えず、ケヴィンは彼女を庇うようにして木陰に誘導した。丁度腕の露出した部分を切られてしまったらしく、二の腕が裂け、籠手に血の雫が流れていた。敢えて道を外れ、目立ちにくい木々の間に身を潜め、歩きながら手当てを行う。リースの出血はかなり酷く、薬を塗っても浮いてしまいそうだったので、ケヴィンが首のバンダナを取って止血に使った。ホークアイも殴られた頬に薬を塗ろうとしたが、小瓶を持ってやや躊躇した。
「ポトの油って、なめたらマズイかな?」
 すると、同じく油を塗っていたリースが、指先の軟膏を少し舐めた。暗くて表情が判然しないが、何と無く想像は付いた。
「まずくはないけど……ギトギトするわ」
「……ま、鉄の味よりはマシか」
 ホークアイは拠所無く口の中にも油を塗り、傷が粗方癒えた所で、水筒を出してがぶがぶ飲んだ。抜け目無い彼はクロークを置き去りにする事無く、忘れずに肩に引っ掛けていた。二人が話している間、ケヴィンも腕の傷の手当てをした。骨が軋むような痛みがあるものの、我慢するしか無かった。
 少し行くと、小さな崖に突き当たった。かなり斜面が急で、上に生えた木の根が張り出しており、登るのは大変そうである。迂回すれば緩やかな斜面に行き着きそうだが、ケヴィンは二人を顧みた。
「のぼれる?」
「ああ」
 尋ねると、ホークアイは片方のナイフを口に咥え、魔法のロープを木に向かって放り投げた。そうしてするすると登ってしまい、次にリースが登る手助けをする。ケヴィンは自分の重みで崖が崩れないか心配だったが、何とかロープを頼りに登り切り、再び三人で坂道を歩いた。獣人が盛んに活動するせいか、森の住人は鳴りを潜めており、狼以外の獣に襲われる心配が無いのは幸いだった。三人は藪の蛇や虫に気を払いつつ、僅かな月明かりと月夜草の光を手掛かりに、鬱蒼とした深い森を進んだ。
 月夜の森には幾つかの山や丘、河川が存在し、獣人はそれらを避けて歩きたがるため、彼らの踏む道は曲りくねったものとなっている。ケヴィンはその合間を突っ切って近道したのだった。勾配の急な坂道を行き、登り切って緩やかになった辺りで、二人に忠告した。
「ここから道にもどるよ。たぶん、獣人いるから、気をつけて」
 ミントスは川に囲まれているため、辿り着くには泳ぐか獣道を渡るかの二つに一つだった。ケヴィンはともかく、他の仲間にはとても泳げそうに無く、危険を冒して獣人の懐へ飛び込むしか無かった。
「北に進めばミントスに着くの?」
「うん。北行って、東」
 リースの問いに、ケヴィンは緊張しながら答えた。万一間違えでもすれば命に関わる。意を決し、斜面の下へ降りようとすると、獣人が足音を頼りにこちらを探している姿が見えた。目が合った途端、ケヴィンは斜面から飛び降りた。
「オイラにまかせろ」
 二人を先に行かせ、立ち塞がるようにして構えを取る。ケヴィンはこの獣人の名前を知っているが、思い出さない事にした。これも鉤爪装備である。警戒して少し距離を取ると、相手の方から仕掛けて来た。放たれた拳を身を屈めてかわし、反撃に殴打を食らわせる。当たったが、ケヴィンも腕の傷が開き、幾筋か血が流れ出た。ちょっとそちらに注意を逸らした隙、相手の拳が横っ面を殴り抜けた。あまりの痛さに怯む間も無く、もう一撃を腹に打たれたが、ケヴィンはすかさずその手を掴んだ。食らったが捕らえた。取った腕を肩に引き寄せ、背面から相手を投げ飛ばした。大木が軋み、樹上から鳥の逃げる羽音が落ちて来た。あれだけ叩き付ければ暫くは伸びているだろう。
「うう、いたい……」
 ケヴィンは泣き言を言いながら頬を押さえ、ぬるりとした感触に怖気を振るいながらも、取り敢えず頬が無くなっていない事に安心した。安堵の息をついたら、腹部から体液が滲み出て痛んだ。凶器を使うのは反則である。痛む口にぱっくんチョコを詰め込み、仲間を追って走った。
 曲がりくねった獣道を進むと、案の定仲間達も交戦中だった。リースは獣人との距離を保とうとし、槍を斜に構えて攻撃を受け流していた。段々森の方に追いやられて行き、隙を見て突いたものの、踏み込みが甘く、相手に受け止められて槍ごと持ち上げられる。背後に回り込んだホークアイが踵を斬り付けるも、獣人は怯まず、リースは雑木林の中へ投げられた。反す刀でホークアイも腕を取られ、軽く放られて地面に叩き付けられた。そのまま他所へ投げ捨てられようとした刹那、彼は獣人にナイフを突き立てた。上顎に命中し、怯んだ隙に拘束から逃れる。其処へケヴィンが飛び込んで行き、獣人の鼻面に膝蹴りを叩き込んだ。
「ミントス、あっち!」
 敵を蹴倒した勢い、鼻のナイフを拾って行き、ホークアイに助け起こされたリースと合流した。彼女は頬を擦り剥いていたし、胸を打って激しく咳き込んでいた。歩くのも辛そうで、ケヴィンがまた抱えて連れて行こうかと思ったが、腕の傷が痛くて出来そうに無かった。
「ホークアイ、ナイフ」
「ありがとう」
 彼女の背をさするホークアイに、ケヴィンは武器を手渡した。
「くそ、痛いな……」
 ホークアイが呻いた。随分してやられたらしい。守りの魔法はとうに効果が切れてしまい、相手の攻撃が覿面に効いたのだった。
「もうちょっとだよ。がんばって」
 彼の怪我は辛そうで、かく言うケヴィンも気持ち悪くなって来たが、立ち止まるわけにも行かず、牙を食い縛った。
「……あの人達、生きてるのよね?」
 漸く咳の落ち着いたリースが、掠れた声で背後を一瞥した。ケヴィンが頷く。
「獣人、あれぐらいすぐ治る」
「すごいわね……」
 リースのために歩度を緩めていた二人も、其処からは全力で走った。林間を抜け、小さな橋を渡ればすぐだった。
 予想通り、獣人兵はミントスまで追って来なかった。ケヴィンの選んだ経路は警戒が手薄だったのも幸いし、どうにか大群には襲われずに済んだ。それにしてもかなり危ない橋であった。流石に駄目かと思ったと、後でホークアイが軽口を叩いたが、強ち冗談で言ったわけでも無さそうだった。