拍手ありがとうございます。嬉しいです。小説書く時の話。恥ずかしいので普段話題にしない内容です。なんか偉そうというか知ったかぶり感があって……一人称が不得意で書いたことがありません。キャラの口調で全部書くのが照れ臭いというか何というかもありますが。一番の理由は描きたいものと少し離れてしまうからです。小説を書く時に背景も書いておくのが好きです。その場面において五感で受けてそうなものはとりあえず書いておきます。しかし、何も気にしないタイプの人間もいます。美人がいてもかわいい犬がいても「人だ」「犬だ」で終わります。そういうキャラの一人称で細かい部分まで書くのは変なので、いつも書いてるところがバッサリ消えます。そうなるとただ淡白なだけのつまらない文章になります。面白くする技量がありません。普段のくどいのが面白いとも限らないんですがね。また、二次創作ばっかり書いているので、一人称での口調というか語り口ってどうなるんだろ? と疑問に思います。漫画ならいざ知らず、ゲームは口に出した言葉が殆ど全てです。丸カッコで内心を出す作品もありますが、ないものもあります。しかして、セリフとして喋る口調と内心で考えている口調が果たして同じものか? と考え出します。だわ口調の女性キャラが心の声まで全て女性口調とは限らないかも分からない。しかし口調を変えたりして、二次創作として元キャラから掛け離れたことをしたくはない。そもそも文章として書き表せるくらい頭の中であれこれと考えているものなのか。……結果、「一人称で書かない」が自分にとって無難な選択となります。読む分には全く気にならず楽しく読みます。自分で書く場合むしょうに気になります。特定の人物からの語り口で書くって、技術やアイディアがあれば色んなことが出来そうなんですがね。ミステリーやホラーなどの引っ掛けを入れたりする作品で効果的に使えるとすごく面白いですよね。……しかし自分には向いてません。無念。いつものは三人称です。特定の人物視点の三人称ですね。文章読本だったかな? うろ覚えですが作法のようなものを見たことがありまして、基本はその寄せた人物以外の視点を持ち込まないのがセオリーです。他者の視点からの描写をする時は場面を変えます。ただ例外もあり、かの有名な「三四郎」は主人公の視点寄りの三人称ですが、まれに他者の視点からの一文が入ります。うろ覚えですが、かなりシニカルなツッコミに近い文言です。意訳すると「自意識過剰な主人公に対し相手は何も感じていないのだった」に近い感じです。あれは文豪にしか出来ないあえての崩しだと思います。まあ、いつもはこんなに考えている筈もなく、ノリでだーっと書いてます。 日記 2024/11/19(Tue)
嬉しいです。
小説書く時の話。
恥ずかしいので普段話題にしない内容です。
なんか偉そうというか知ったかぶり感があって……
一人称が不得意で書いたことがありません。
キャラの口調で全部書くのが照れ臭いというか何というかもありますが。
一番の理由は描きたいものと少し離れてしまうからです。
小説を書く時に背景も書いておくのが好きです。
その場面において五感で受けてそうなものはとりあえず書いておきます。
しかし、何も気にしないタイプの人間もいます。
美人がいてもかわいい犬がいても「人だ」「犬だ」で終わります。
そういうキャラの一人称で細かい部分まで書くのは変なので、いつも書いてるところがバッサリ消えます。
そうなるとただ淡白なだけのつまらない文章になります。
面白くする技量がありません。
普段のくどいのが面白いとも限らないんですがね。
また、二次創作ばっかり書いているので、一人称での口調というか語り口ってどうなるんだろ? と疑問に思います。
漫画ならいざ知らず、ゲームは口に出した言葉が殆ど全てです。
丸カッコで内心を出す作品もありますが、ないものもあります。
しかして、セリフとして喋る口調と内心で考えている口調が果たして同じものか? と考え出します。
だわ口調の女性キャラが心の声まで全て女性口調とは限らないかも分からない。
しかし口調を変えたりして、二次創作として元キャラから掛け離れたことをしたくはない。
そもそも文章として書き表せるくらい頭の中であれこれと考えているものなのか。
……結果、「一人称で書かない」が自分にとって無難な選択となります。
読む分には全く気にならず楽しく読みます。自分で書く場合むしょうに気になります。
特定の人物からの語り口で書くって、技術やアイディアがあれば色んなことが出来そうなんですがね。
ミステリーやホラーなどの引っ掛けを入れたりする作品で効果的に使えるとすごく面白いですよね。
……しかし自分には向いてません。無念。
いつものは三人称です。
特定の人物視点の三人称ですね。
文章読本だったかな? うろ覚えですが作法のようなものを見たことがありまして、基本はその寄せた人物以外の視点を持ち込まないのがセオリーです。
他者の視点からの描写をする時は場面を変えます。
ただ例外もあり、かの有名な「三四郎」は主人公の視点寄りの三人称ですが、まれに他者の視点からの一文が入ります。
うろ覚えですが、かなりシニカルなツッコミに近い文言です。
意訳すると「自意識過剰な主人公に対し相手は何も感じていないのだった」に近い感じです。
あれは文豪にしか出来ないあえての崩しだと思います。
まあ、いつもはこんなに考えている筈もなく、ノリでだーっと書いてます。